とあるサキュバスの日記   作:とやる

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6ページ目 『夏祭り』

 ふわりと頰を撫でる風が運ぶ匂いに甘みがある気がした。

 離れていても聞こえる喧騒に、空気に乗って波のように広がる高揚感。提灯の赤らんだ光がよりそう思わせているのかもしれない。

 

 昔に何か凄い事をしたらしい人の銅像の周囲には、私と同じように待ち人来ず状態の人々がスマホと周囲を交互に見ていて何処か落ち着きがない。

 銅像の側のベンチに腰掛けた私はスマホに表示された時間を見てひとつ溜息を吐いた。

 

「早く来すぎたわ……」

 

 なんと待ち合わせ一時間半前である。

 

 モブ男から夏祭りの誘いが来たとき、私には断るか断らないかの二つの選択肢があった。

 手間を考えると断る一択だったが、それに待ったをかける私がいたのだ。

 

 夏。それは人が浮き足立つ季節。

 祭り。それは人の理性が緩む催し。

 美少女。それは雄が求めてやまない至高の存在。

 

 夏。祭り。美少女。

 この三つが揃ったときの化学反応はタイフーンの如く! 

 

 あの不能野郎も一夏のアバンチュール三大要素詰め合わせセットには耐えられまい。

 海では色々あって散々だったけど今日こそオトす! モブ男破れたし! 

 

 他にもまあ、夏祭りに来た理由はあるけど。

 

「おい、あの子めちゃくちゃ可愛くないか?」

「ふあぁ……顔にクレオパトラが宿ってる……」

「泣く子も惚れる顔面美……」

 

 スマホで時間を潰していると、気が付けばヒソヒソとした話し声と視線が多くなっている事に気が付いた。

 

 ふふん、まあ当然でしょうね。

 只でさえ美少女の私が、昨日合わせた浴衣を着ているのだから。

 白の布地に咲く色取り取りの朝顔。普段はクセなく腰の辺りで流れているロングの髪は、くるくると巻くように後頭部で纏めてかんざしで止めてある。

 日に焼けて健康的な肌色を覗かせる素足は薄赤色の鼻緒が可愛い下駄に乗せている。

 夏祭りパーフェクトスタイルだ。

 

 ……ちょっと胸がキツいけど。お母さんはこんなものだって言ってたけど緩めたい……暑いし。

 

 可愛い私を網膜と記憶に焼き付けたい気持ちは分かるが、いつまでもジロジロと見られるのはあまり気分が良いものでもない。

 まだ見られるだけなら良いが、近くにいた男グループのひとつが何やら私を見て騒いでいる。

 断片的に聞こえてくる会話からして誰が私に声をかけるか囃し立てあっている、と言ったところだろうか。

 

 チャームしないように限界まで抑えてるとこういうのも面倒くさいのよね。

 制服、ましてや水着と比べるとかなり露出が抑えられている分見ただけで理性飛ばすほどではないが、露出の過多で変じるほど私の可愛さは安くない。露出してようがしてなかろうが美少女は美少女なのだ。

 男のナンパに女が真っ当に付き合ってやるのも馬鹿らしい。適当にチャームして何処かに行って貰おうかしら。

 そう考えて、軽くチャームをかけようとしたとき。

 

 見知った顔が此方へ歩いてくるのが目に入った。

 その人物は私を見つけると驚いたような顔をした後、小走りで駆け寄ってくる。

 

 無地のオフホワイトのTシャツに黒のチノパンと、美少女を誘っておいて正気かお前と言いたくなる服装のモブ男だ。

 

「ごめん、待たせちゃった? まさか一時間も前に来てるとは思ってなくて……早いね、美上さん」

「混む前にお母さんに車で送ってもらったのよ。そ、れ、よ、り……」

 

 正直服装について少し物申してやりたい気持ちは山々だったし、浴衣を褒めろって思ったけどそれをぐっと飲み込んだ。だって私がそれを期待してたみたいに思われたら嫌だし。

 

 だから、モブ男に向かって右手を伸ばして、一言。

 

「今日は私を楽しませてくれるのでしょう? 退屈させないでよね」

「うん、精一杯頑張るよ」

 

 これが、私が夏祭りに来たもうひとつの理由。

 お祭りに誘う最初のメッセージのあと、すぐに二通目が来たのだ。

 

 ──私と行きたい場所があるから、と。

 

 私のスマホを覗き見していたお母さんはきゃーきゃー騒ぎ出したけど無視して話を聞いてみれば、私でも楽しめるお祭りのエリアがあるとかなんとか。

 チャームの関係で基本的に人が多い場所は好まない私が楽しめる場所が、約千発も花火を打ち上げる規模のお祭りであるとは思えなかったけれど、そこまで言うなら行ってやろうじゃないかということである。

 モブ男をオトすって目的もあるしね。

 

「予定より早いけど行こっか。花火まで出店見て回ろう」

「ん」

 

 特に異論はないのでモブ男の後をついていく。

 十秒ほど歩いたところで、不意にモブ男が立ち止まった。

 

「えっと、その浴衣可愛いね。髪も、凄く似合ってる」

「……ナンパはお断りよ」

「違うって。素直な感想」

「そう。まあ、私が可愛いのは当たり前のことだけれどね」

 

 赤らんだ提灯の光に照らされた瞳が私を見つめて、破顔する。

 私が可愛いのはただの事実で、当たり前の事で、今まで何万回も言われてきた事で。

 その筈なのに。

 何故か、胸の奥が甘く疼いた気がした。

 

 ……可愛いって思ったならもっと早く言いなさいよね。気の利かないやつ。

 

 ……ばーか。

 

 

 

 

「ところであんたはなんでこんな早い時間に来たの?」

「あー、早く来ないと自転車止める場所なくなっちゃうからさ」

「……あんたの家って確か」

「……まあ最近は夕方も涼しいしそんなに大変じゃないよ」

「体力お化け……」

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 モブ男がなんで私を夏祭りに誘ったのか。

 それが分からないほど私は鈍くはない。

 

 先日の海の一件。あれに責任のようなものを感じているのだろう。

 メールの一文一文から私に楽しんでほしいという意思が読み取れた。

 実際、直後は私が気にせずに振る舞えと言うまでずっとしょぼくれてたし。

 

 ……罪悪感を抱えたままじゃたたでさえ効かないチャームがより効かなくなるかもだし? 

 だから私は仕方なくこうしてモブ男の自己満足に付き合ってやっている。

 なんて健気で麗しい美少女。

 

 そんな訳でモブ男に先導されて屋台が立ち並ぶ道を歩いて約十分。

 

「……一応聞いておくわね。なにここ」

「サキュバスエリア」

「サキュバスエリア!?」

 

 連れてこられたのは怪しげなネオンの光溢れる出店がずらりと並ぶ一角だった。

 毒々しいまでのアダルティックな色合いの外装が施された店の構え。その前では浴衣を着崩したナイスバディのサキュバスたちが客引きをしている。一応屋台だから看板娘になるのかしら。

 ……いやそんな事はどうでもよくて! 

 

「ねえ、お兄さん。ん……ちゅ、ぢゅる……ぢゅ、ちゅっ。あ〜ん、ふ、チョコバナナ……買ってかない?」

「ん……んっ、ん……んくっ、ぷはっ。ちゅる、ほ……あ、ふふ、ラムネ、冷えてるよ」

「あんっ、や、だめ……そこっ、あっ! 型抜きの……ん、楊枝で……あんっ! 弱いとこクリクリしちゃ……んっ、だめっ、出ちゃう! 型番くり抜かれて粉が出ちゃううっ!」

 

 あそこのサキュバスはチョコバナナをじゅぽじゅぽ口の中に出し入れして! 

 そっちのサキュバスは見せつけるように胸の谷間に溢れたラムネを掬って舐めて!! 

 そこのサキュバスに至っては型抜きやってる男の耳元でなんか喘いでるし!!! 

 

「もう一回言うわね──なにここ!!?」

「夏祭りのサキュバスエリアだよ」

イメクラかなんかの間違いでしょう!?」

 

 数えるほどしかお祭りに行った事はないけど、これが普通のお祭りの光景とは違う事ぐらい分かる。

 こいつ正気なの……!? 女の子誘って、右を見てもサキュバス左を見てもサキュバスのエロトラップダンジョンと化した一角に来る!? 

 

「というかそもそもサキュバスエリアって何? このお祭りはいつから公営風俗になったのかしら。……まさか私を連れてきたのも」

「違うよ!? ここは去年一昨年とサキュバスのお店が……えっと、色々あって問題視されて、今年から纏められたんだって。だからちゃんとした公式のだから! 全年齢だから!」

 

 ドン引きしたジト目で睨め付けると、モブ男は慌てて弁解の言葉をまくし立てる。

 

「ほら、ここなら美上さんの他にもサキュバスがいっぱいいるからさ、美上さんも気が楽かなって思って……!」

 

 ……まあ。

 確かにここまでのエロエロ空間なら、いくら私が美少女といえど不躾な視線を向けられる事……ましてやチャームをかけてしまうなんてこともないだろう。

 サキュバスは例外なく美しい容姿を誇る。露出していないサキュバスより露出したサキュバスという事だ。ほんとこれだから雄は……。

 

 ……でも、一応私の事を考えた末のチョイスなのね。

 

「……とはいえ流石にこれはないわね。ドン引きよ。頭おかしいんじゃないの。普通女の子連れて男の獣欲とサキュバスの性欲を煮詰めたような空間には来ないわよ」

「うぐ、やっぱりかあ……」

「やっぱり? 自分でここは無いって判断したのにここに来たの? あんた本当に私を……」

「違う違う! 本当に違うから!? 美上さんもここなら楽しめるってある人に聞いて……!」

 

 ある人? 

 私の趣向を知る人なんて殆どいない。それこそ家族か弓森さんぐらいで……。でも弓森さんがこんなどこまでレーディングを攻められるか選手権みたいな場所を勧めるとは思えないし、他にモブ男と面識のある人といえば──。

 

 ………………。

 

 そこまで考えて、ひとりの人物が思い浮かんだ。

 恐る恐るモブ男に尋ねる。

 

「ねえ、そのある人って」

「美上さんのお姉さん」

 

(お姉ちゃん──ーっ!!!!)

 

 予想通りの人物に思わず内心でシャウト。サムズアップするお姉ちゃんを脳内でぶっ飛ばす。

 だと思ったわよ!!! 消去法でお姉ちゃんしかいないものね! 

 

 よくよく考えてみたらカレンダーには今日の日付にお姉ちゃんが印をつけていた。

 もしかしなくてもこっちに帰ってきたのは今年かららしいサキュバスエリアで何かする予定だったから? 無駄に行動力はあるし十分あり得る。

 

「……前から気になってたんだけど、なんであんたとお姉ちゃんが面識あるのよ」

「美上さんがお姉さんと水着買いにきてたときに少しね。あの時、美上さん先に帰っちゃったから」

 

 あの時か。言われてみればその日はお姉ちゃんの頭のネジが外れた水着選択が私の趣味だと思われたくなくて帰った。お姉ちゃんが家に帰ってきたのは私よりだいぶ後だったので何をしていたのかと思えば、モブ男と関係を持っていたのか。

 

 ……いやちょっと待って。

 いやちょっと待って(一秒ぶり二回目)

 

 海に行った日、お姉ちゃんは欲求不満からモブ男を狙っていた。でも、二人はその一週間前にはすでに出会っていた……? 

 あのお姉ちゃんが一週間も我慢する……? そんなバカな、あり得ない。狙った男は即ぺろりのあのお姉ちゃんが……! 

 

 と、ここまで考えてから気付いた。

 モブ男にはチャームが効かないのでお姉ちゃんもいつものようにオトせなかったのだろう。ふう。

 

 ──ん? 

 

「どうする? 美上さんが嫌なら場所を変えて──」

「──え、あ、そうね、確かにここなら普段の煩わしさはなさそうだから別に良いわよ」

「そっか。じゃああそこからみて回ろう。……一応、全年齢らしいし、うん。全年齢だよね?」

「知らないわよ……」

 

 ぽわっと心に広がった安堵に似た感情。それに疑問を覚えるより前に、モブ男に声を掛けられた事で感じた引っかかりは霧散した。

 

 際どく、されど程よい布面積を確保した浴衣に身を包むサキュバスたちを見渡して自信なさげに呟くモブ男の後ろをついて行く。

 ま、折角のお祭りだし。ちょっとコンセプトが頭狂ってるけど、楽しむとしましょう。

 

 

 

 ──そう思っていたのだけれど。

 

 

 

【輪投げ】

 

「あら、あらあら。お兄さん、お兄さん。そこのお兄さん。輪投げ、やっていかない? このまーるい輪っかをね、えいって投げて引っかかったら景品ゲットよ」

「あれ? でも何も引っかかるものがないような……」

「あらぁ、あるじゃない。お兄さんの目の前に……ほら♡二つ、輪っかを掛けられそうな引っ掛かりが♡」

「次行くわよ」

「わっ、ちょっと美上さん!?」

 

 巨乳(模型)に輪投げさせようとする変態に。

 

【金魚掬い】

 

「おー、夏って感じだね。でも金魚がいないなあ……」

「ふふ、不思議? 金魚なら今から出すのよ……ほら、しーこ♡しーこ♡」

「あ、金魚が水槽から管を通って出てきた」

「次ぃ!」

「え、ちょっ、美上さんっ、引っ張らないでっ」

 

 水槽に取り付けられた管をなめかましく扱き始めたキチガイに。

 

【射的】

 

「よーく狙って……そう、そうよ、しっかり狙って撃つの。ウチが耳元でカウントダウンしてあげる。五……四……三……二……一……零ッ零ッ零ッ!! ほら、撃っちゃえ♡ウチのカウントダウンで情けなく無駄撃ち射的しちゃえ♡」

「ここからだとよく聞こえないけどお店の人が近くでアドバイスしてくれてるのかな?」

「はい次ぃ!!」

「わっ、また!?」

 

 射的カウントダウンをやってる頭がイかれたのと。

 

「ロクな店がない……!!」

 

 一通り見て回った私は、屋台から少し離れた場所に設置されている簡易ベンチに座り頭を抱えていた。

 サキュバスの頭のネジの外れ具合を甘く見ていた……!! 

 

 基本的にえっちな欲求を持て余してる種族である事を失念していた。年中頭ピンクの奴らが年齢制限に引っかからないものをマトモにできるはずもなかったのよ。

 その証拠に、外れたところにある茂みの奥からはセックスの気配を感じる。チャームは対象を性的に興奮させればさせるほど強力に効く。なにが全年齢だ、最初からこれが目的でしょう。なんで去年問題になったのかも薄々わかってきたわね……。

 

 しかもハタから見れば男と連れ歩いているように見えるからか、やたらとサキュバスが寄ってくる。

 サキュバスが気に入った男=精力の良い男の図式が成り立っているのか、どうにもサキュバスは他人の男に食指が動く傾向がある。モブ男も随分と多くのサキュバスに絡まれていた。

 

 ふん、私でもオトせないあいつをオトせるわけないでしょ。

 チャーム出来ないことに驚きながら恨めしそうに去っていく背中を見るのはちょっとだけ気持ちよかったわ。

 

「はい、美上さん」

「ん、ありがと」

 

 休んでいる間にモブ男が買ってきたラムネを受け取り一口だけ口に含む。

 既に蓋は取られていた。

 

「僕の顔に何か付いてる?」

「……なんでもないわよ」

 

 ほんと、なんでこいつはチャーム出来ないのかしらね。

 心臓の動きを自分で止められないように。男である以上チャームに掛からないなんて事はひとつの例外を除いて絶対にあり得ないのに。

 こいつは人間だからその例外って訳でもないし。

 しかも、私がこんなにもこいつの事を考えているのに、当の本人は『ラムネ美味し』なんて言いながら呑気に笑ってるもの。

 あー、なんか、もう。

 

「ほんとムカつく」

「えっ、た、楽しくなかった……? そうだよね、美上さんあんま笑ってなかったし……ごめん」

「違……わなくもないけど。そうね、諸々合計してマイナス十点ってところかしら」

「ごふっ、て、手厳しいっ」

 

 私がそう告げると、モブ男はお腹に良いのをもらったボクサーのようにがくりと頭を落とした。

 

 場所は……まあこの際いいとして。

 まずプランがダメ。屋台見て回るだけで潰せる時間は限られてる。マイナス二点。

 次に服装がダメ。無理をしろってわけじゃないけど努力の跡ぐらいは見せなさい。私に釣り合わないし。マイナス二点。

 仕方のない部分もあるけれど、私が楽しいと思える話をして。そうね、どうやったら私の虜になるのかとかだとグッドだわ。まあ、退屈だったわけじゃないからオマケしてマイナス一点。

 この私が横にいるのに大人のサキュバスに抱きしめられたとき表情が崩れたの見逃してないから。マイナス五点。

 

 他にも細かくあげればキリがないけど、私は寛大なのでこのぐらいで見逃してあげた。

 

 それきり、沈黙が降りた。そんなに離れてるわけでもないのに、お祭りの音がどこか遠く聞こえる。

 自分の身体に意識を向ければ、なんか、思ったより体力がなくなっていた。

 身体を支えるように両腕をお尻の横でベンチにつけてふと、見上げた夜空は真っ黒。

 夜だから当たり前だけど、お祭りの灯りで星も見えなくて。まるで目が眩んだような暗さだった。

 もうそろそろ花火を打ち上げ始める時間だ。この真っ黒のキャンパスに綺麗な光の華が咲く事だろう。

 

「そろそろ、私は帰るわ」

「え、あと少しで花火上がるよ?」

「だからよ。花火終わってからだと電車混むし」

「帰りは電車なんだ。……あー、じゃあ、そろそろ移動した方がいいかな」

 

 花火が終わった後の混みようは尋常ではない。お祭りに来る人はだいたい電車が移動手段だから、一斉に同じ時間帯の電車に人が集まることになってすし詰め状態になるだろう。

 体質的にも心情的にも、流石にそれは嫌だ。

 

 そう言って立ち上がる。

 思ったより疲れてるけど、駅まで歩くのに支障はない。でもちょっと遠いので少しばかり気合を入れて足を踏み出したときだった。

 

 ぶちっ。

 

「あっ」

 

 紐が切れるような音。引っかかるはずだったものが引っかからずに、慣性に従って私の足が滑る。

 当然の帰結として、足を滑らせた形になった私の背中が地面に吸い込まれるように落ちていき──。

 

「っと、大丈夫?」

 

 ──でも、私が倒れる事はなくて。

 モブ男が咄嗟に伸ばした腕が、私の背中を支えるように受け止めていて。必然的に、私はモブ男に全体重を預けるように密着していて。

 

 お祭りの空気とは違う匂いがした。今日、何回かふと感じた、汗と、男の匂い。

 背中に回された腕は私の細くて柔らかいのとは全然違って、同じ腕とは思えないぐらい硬くて、しっかりとしてて。

 触れた肌と肌から、自分のものとは違う熱がじんわりと広がり。

 目の前で心配げに揺れる瞳には、相貌に驚きを浮かべた、でも、顔に血が集まった私が──。

 

「──ありがと。でも、いつまでそうしているつもりかしら」

「あっ。ごめん、えっと……取り敢えず座る?」

 

 頷き、モブ男に背中を向けてベンチに座りなおす。

 下駄の紐が完全に切れていた。これではもう歩く事は出来ない。

 

「これは……履物が売ってないか探してくるから、ここで待ってて」

「え、ええ。分かったわ」

 

 そう言ってモブ男の姿が人混みに消える。

 それを確認して、私は両手で顔を覆った。

 

(嘘でしょ……)

 

 下駄の事ではない。いや、下駄もショックだけど、それ以上に。

 どくん、どくん、と。

 心臓が、甘く律動していた。肺に何かが詰まっているように、息がしにくい。

 今にも叫び出しそうな感情が、私の身体の中を暴れまわっている。

 尻尾が、私の意思とは関係なしにふりふりとまるで内心を吐露するように勝手に揺れていた。

 身体が熱い。でも、顔はもっと熱い。

 

 信じられなかった。信じたくなかった。

 だって、これでは、まるで……! 

 

(ちょっとえっちな気分になってしまった……)

 

 本当に……ッ! これだからサキュバスという種族は……ッ!!! 

 私の意思とは関係なしに身体が反応した。この雄が欲しいと、私の身体の奥底でナニカが疼いたのだ。

 多分、サキュバスエリアの空気にあてられたのだろう。サキュバスがエロい事をする際のフェロモンをサキュバスは感じ取ることができるから。

 

 一度高められた欲は、もんもんと身体に残り続ける。何処かもどかしい感覚がずっと続くのだ。

 これはまずい。電車とは別に早急にこの場から去る必要が出てきた。

 私は見境のないセックスバーサーカーたちとは違うのだから……! 

 

「美上さん」

「ひゃい!?」

 

 突然かけられた声にびくりと肩が震え、いつもより数オクターブ高い声が喉から漏れ。

 振り向くと、困った顔をしたモブ男がいた。

 

「ここには売ってないみたい。ちょっと遠いけど急いでコンビニ行ってくるから、悪いけどもう少しだけここで待っててくれる?」

「え、ええ。それはいいけれど……は、早く帰って来てね?」

「うぐっ……、う、うん。任せて」

 

 あまり長くこの場にはいたくないという気持ちが不安となって現れて、後半は自分でもびっくりするほど細い声音に。

 そして、何故か自分のお腹をものすごい勢いで叩いたモブ男。

 そこは普通胸じゃない? 間違えたのかしら。

 

 そうして、モブ男がコンビニへ行くために踵を返したとき。

 

「あ、みーつっけたっ♡君がチャーム出来ないっていう男の子ね♡」

「やだ、わっかーい♡」

「へ?」

 

 ねっとりとした視線と耳をふやかすような濡れた声音。

 歳の頃は二十より少し上ぐらいだろうか。浴衣に身を包んだ二人のサキュバスが此方を……というよりモブ男を、まるでカエルを狙う蛇のような目で舐め回すように見ていた。

 

「すみません、僕は用事があるのでそこを通して──わぷっ」

「近くで見たら結構しっかりした身体してるじゃん♡わ、筋肉もかたーい♡」

「どれどれ……ぁ、ほんとだ♡」

 

 やけにゆったりと、まるで身体を見せつけるようにしながら近づいてきたサキュバスのひとりは、モブ男の後頭部に手を回し自身の豊か双丘へと顔を押し付ける。

 もうひとりのサキュバスは自分の身体を押し付けるようにモブ男の右腕を抱きすくめ、上半身を撫で回し始めた。

 

 ……なんだこいつら。

 

 それを見た私に、訳の分からない赤い感情がお腹のあたりに溜まっていく。

 普段ならあり得ないはずの、自分でも制御できない灼熱が込み上げてくる。

 

「んぐ、ぷはっ! い、いきなり何してるんですか!?」

「きゃっ、……チャーム出来ないって本当なんだ」

「えー? ボク、人間だよね? 水妖精とのハーフって訳でもなさそうだし……なんでだろ?」

「まあいいじゃない。たまにはこういうのも燃えるわ♡」

 

 身動ぎをして拘束から逃れたモブ男。

 チャーム出来ないことに数秒の思案をしたサキュバスたちは、そんなの関係ないとばかりに瞬く間に距離を詰め、前後から挟むように身体を密着させる。

 

「あら? ボク、口の中怪我してるじゃない。痛いでしょう? お姉さんが舐めて痛いの痛いのとんでけってしてあげる♡」

「サキュバスのちゅーは気持ちいいよ♡唾液が甘くてぇ、舌は蕩けるぐらい柔らかくて♡」

「ねえ、見て? お姉さんのこの舌がぁ……れろ、んちゅ、ぢゅる、ちゅっ、ちゅ♡ちゅる、ちゅうって、ボクの口の中で動き回るの♡絶対気持ちいいよ♡」

「あは、身体びくってした♡期待しちゃったかな♡ちゅう♡」

「うわあ!? いや、あの、ほんと大丈夫ですから! お気持ちだけでほんと十分ですので!!!」

 

 正面から抱きついたサキュバスが下品に開いた口から唾液に濡れた朱い舌が顔を出し、にちゅ、にちゅっと音を立てながら空気を刮ぐ。背後から抱きついたサキュバスは脳を溶かす魔性の声で囁き、ちゅっと小さくリップノイズを響かせた。

 

「……」

 

 赤い波が、押し上がってくる。

 

 なによそれ。やめろっていうなら今すぐそいつら突き飛ばしなさいよ。あんたの力なら簡単にできるでしょう。

 こいつらもこいつらだ。お前たちがそんなんだから同じサキュバスの私が迷惑してるんだ。サキュバスとは簡単にエロい事出来るから、私とも出来るって男に思われるんだ。

 

 赤い感情が、込み上げてくる。

 

 サキュバスは男が興奮しているかどうか本能的に分かる。男はサキュバスの前では性に関する隠し事が出来ない。

 

「でも、ボクも期待してるんでしょう? こ〜ぉこ♡男のコの大事な場所……はまだまだだけど、息、荒いよ♡」

「ひっ!?」

「うーん、チャームかかってもいいはずなんだけど……ま、こっちを準備万端にさせたらいけるでしょ♡」

 

 赤い感情がぐつぐつと煮えたぎる。

 何よりも気に入らなかったのは。

 

 私はちっともそんな目で見ないくせに、今、こいつが私以外のサキュバスに例えほんの少しでも性を感じている事だ。

 

「きゃあ!?」

「わわっ!?」

「うわっ!?」

 

 自分の中で生まれた激情の名前も知らないまま。

 気がつけば私はモブ男の手を掴んで思いっきり引っ張っていた。

 サキュバスの間から無理やり引き抜かれたモブ男がバランスを崩しながら私の方へ。

 謎の衝動のままに間髪入れず、私は叫んでいた。

 

「こいつは私のよ!! 手を出すなッ!」

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

「あの、美上さん……」

「うるさい」

「さっきは……その……」

「色ボケ見境なし」

「がふっ。ち、違くて……! 余裕なくて、力任せにしたら怪我させちゃうかもしれなかったから……!」

「言い訳は聞きたくない」

「すみませんでした……」

 

 お祭りの喧騒を背に、人もまばらな道を歩く。

 正確には、モブ男ひとりが歩いている。私は、モブ男に背負われていた。

 

 私が叫んだ、あの後。

 

『行くわよッ!!』

『え、うん……あ、行くって言っても美上さん歩け……』

『あんたが背負えばいいでしょうっ!』

『ええっ!?』

 

 勢いに任せてそんな事を言ってしまい、今に至る。

 とにかくあのサキュバスたちからモブ男を離れさせたくて、なんか自分でもよく分からないうちに口が勝手に動いていた。

 

『えー? 私たちにも貸してくれてもいいじゃない』

『まあ、でもこの子童貞(確信)だし? 初モノは譲りたくないって気持ちはわかるわあ』

『あー、ならしょうがないかなあ。終わったら教えてね? そっちの茂み進んだところに休憩所あるから♡』

 

 サキュバスたちは最後まで頭サキュバスだった。

 完全に同類に見られていた。ふざけんな私はお前たちとは違う。

 ……違うから! (一秒ぶり二回目)

 

 ダメだ落ち着け私。クールになれ。

 なんか今日の私はいろんな意味でおかしかった。間違いなくあのサキュバスエリアのせいだ。

 あそこに充満する濁った空気のせいなのよ……! 

 

 だから、私は他のサキュバスとは違う。

 あんな、年がら年中男のことしか考えてないような性欲モンスターとは違あ……背中広いなあ……身体もがっしりしてて、背負われてて安心感があるっていうか……すんすん、それにこの匂いも……嫌いじゃ……。

 

「美上さん?」

「ちっがあああああああうっ!!!」

「美上さん!?」

 

 思考があらぬ方向にっ! 

 今は会話したくない、という意思を表すようにモブ男の左肩に顎を乗せ。

 それを察したのか、それ以上モブ男は何をいうでもなく、ただ歩き続けた。

 

 ……今日の私は、本当におかしい。

 いつもの私なら、男の誘いに応じなかった。

 いつもの私なら、男の事でイライラなんてしなかった。

 いつもの私なら、男の背に乗るなんてあり得なかった。

 

 いつもの私なら、男に背負われたのなら、嫌悪感を抱いていた。

 

 いつもの私なら──。

 

「お、花火」

 

 モブ男の声に顔を上げる。

 直後、どん、と力強い音が空気を叩いた。ひゅうぅ〜と、力尽きていくように一条の光が空を駆け上がり、次の瞬間夜空に光の華を咲かせる。

 形も、色も様々な光の華が次々と咲いて、消えていく。

 

「綺麗だなあ」

「……そうね」

 

 ぱっと刹那に散っていく華が夜の街を照らし、私たちの重なった影を強く、濃く伸ばす。

 打ち上げ花火をこんなに近くで見るのも何年ぶりだろう。

 テレビで見るのよりもずっと力強く、綺麗だった。

 

 チラリ、と視線を落とした。背負われているからモブ男の表情は分からない。

 ああ、でも。きっとあの呑気そうな顔で、花火を見上げているのだろう。それぐらいは簡単に想像できるぐらい、私はこいつを知っている。

 

 ……ああ、いつもの私なら。

 こんなにも花火を綺麗だなんて思うことも。

 きっと、なかったのだろう。

 

 なんとなく、そんな気がした。

 

 

 

 

 

 ☆☆☆

 

 

 

 

 

 八月℃日

 

 控えめに言って散々だったわね! 

 だいたい私に楽しんでもらいたいならお姉ちゃんのアドバイスを真に受けるのがプレミという他ないわ。あの人基本的にえっちのことしか考えてないから。

 まあ、お祭りは散々だったけれど帰りにした自転車の二人乗りはまあまあだったわね。普段自転車乗らないからちょっと怖かったけど、モブ男の運転は安定してたし。

 それに、怖かったら最初の方思わず背中に抱きついちゃったけど、その時……ふふふ、あいつはバレてないと思ってるだろうけどバレてるわよ、私に女を意識したの。

 あのサキュバスたちはエロい事を連想させるような事をしなければダメだったけど、私はちょっと身体が触れただけで! ふふん、これが美少女としての格の違いってやつね。あの二人は少女って年齢でもなかったけど。

 もちろんチャームをかけようとしたけど、私を意識しているにも関わらずチャームにかからなかった。これは水妖精の種族以外あり得ないんだけど……まあこれに関しては今更ね。私を美少女として意識する事がある、それだけで今は十分。ふふん、気分が良い。なによりあのサキュバスたちより私の方が可愛いと主観的にも客観的にも証明できたのが気分が良い。ふふん。

 

 明日から学校始まるし、二学期の間にはモブ男もオトせるでしょう。二学期はイベントが目白押しだもの。友達とやるイベント事もも小学生以来だから楽しみだわ。

 

 今日は早めに寝ておきましょうか。

 ……まあ、なんだかんだ言って。それなりに楽しい夏休みだったかしらね。絶対言わないけど。

 

 

(この日記は夏祭りの一日後に書かれている)

 

 

 

 

 

 

 

 

 補完的な登場人物紹介

 

 美上さん

 主人公。やっぱり君もサキュバスじゃないか(歓喜)

 周囲の雰囲気に当てられてキャラが崩れている。普段のなんちゃってクール系は本来の性格ではなく『私は他のサキュバスとは違う』が行き着いた結果である。言ってしまえば中学生の段階で高二病を発症してしまっていた。現在も発病中。果たして完治するときは来るのか。

 無自覚な独占欲が見え隠れし出した。

 

 モブ男

 ヒロイン。体力を強いられているんだ……! 

 めちゃくちゃ頑張った。彼はめちゃくちゃ頑張った。悪いのは全部見境のないサキュバスってやつなんだ……! 

 なおデートの代償としてお小遣いは治療費に消えた。

 それはそれとしてデートプランはもう少し練ろう。今後の課題だね。

 

 お姉ちゃん

 諸 悪 の 根 源 。

 

 サキュバスたち

 基本的にこんなやつら。これでも体面上は全年齢のお祭りという事で抑えられている方。一応未成年に淫らに手を出してはならないけどばれなきゃいいんだよばれなきゃ。

 これは美上さんがグレるのも分かりますね……。




うん、八月ですね!(強気)

美上さんがちょくちょく毒づくサキュバスって実際どんな種族なんだ?って回でした。
この世界の法律は様々な種族が共生している結果、あれもこれもカバーしようとした名残でかなり曖昧なものになっています。なので奴らは割と好き勝手できます。
大多数の男からしたら役得でしかないので、まあ、そういう事です。えちえちなお姉さんには勝てなかったよ。

次回からは二学期に入り、ようやく学園生活らしく。
入れ忘れた林間学校的なやつは何処かでねじ込みたいですね。お風呂お泊りイベントを逃してたまるものか(鉄の意志)
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