日差しが傾き始めた午後の穏やかな日差しの降り注ぐテンプ湖を横切っていく影がある。雄大な自然を眼下に見下ろしながら、悠然と大きな翼をはばたかせる火の鳥は、足につかまっているパートナーと共にテンプ湖のほとりを沿うような形ではばたいていた。
空の手の中でクリアパープルに変貌を遂げた光子郎のデジヴァイスが一定のリズムで電子音を響かせている。白黒画面の向こう側では、タケルたちの持っているデジヴァイスがある方角に点滅するマルがある。さあ、どうしようかしら、と空は、タケルたちを心配して先を急ぐバードラモンを見上げた。
タケルとトコモンがヤマトに待っているよう言われて別れたのは、テンプ湖のほとりにある、たった1つのスワンボートがある場所のはずである。さすがに食料や寝る場所のことを考えるとずっと同じ場所で待ち続けていることは難しいものの、デジヴァイスが指し示す方向は間違いなくテンプ湖の先を指していた。
どうする、空、とバードラモンに問いかけられた空は、そうねえ、と思案顔である。そして、しばらくしてから、そのまままっすぐにテンプ湖を辿ろうと顔を上げた。
たしかにデジヴァイスが反応している方角とテンプ湖の岸辺の方角はどんどんずれていくけれども、タケルたちがいたであろう場所を確認してから行動する方が早く見つけられるに違いない。
空の提案にうなづいたバードラモンは、ふたたび大きな大きな風の塊を生み落して空高く舞い上がった。森とテンプ湖を横切るバードラモンの影がどんどん、どんどん、小さくなっていく。
森はバードラモンの蹄から落っこちないようにしっかりとつかんだ状態で、下を覗き込んだ。ばたばたばた、と耳のすぐそばで暴れている帽子のひもが風にあおられて飛んでしまわないように、片手で軽く帽子ごと押さえながらスワンボードがあるという場所を懸命に探した。
高度が上昇すればするほど視界も見渡せるだけの距離もけた違いに変わってくるのだ。どんどん広がっていく目下の世界で、空がようやくスワンボートを見つけた時には、空高くあったはずの太陽は、やや傾き始めていて、西日があまりにまぶしくて目を背けたくなるような時間帯になっていた。
ゆっくりと高度を下げて空をのせたバードラモンがスワンボートが停泊している乗り場の少し離れたところで着地する。ざわざわざわ、と波紋が広がっていく湖の周囲も、森も、やはりデジモンやタケルたちの姿はない。
ただただ、空とバードラモンが寄り添う影がどんどん長くなっていくのを待っている。光子郎のデジヴァイスはまっすぐに森を直進する方角に空たちを導いていた。
「タケル君たちどこに行ったのかしら」
「さあ?でも、空。あんまり遠くには行っていないと思うわ。ほら、そこ。釣竿が置きっぱなしよ」
そこ、そこ、とバードラモンの言葉に反応した空が振り返る。そこにはヤマトがミミから借りた折りたたみ式の釣竿とバケツが置きっぱなしになっていた。
近付いてみれば、すっかり火種は消えてしまっているものの、確かにたき火をした跡があり、釣りをしては魚を串刺しにして焼いていたのか、さえばしくらいにまで削られた木の枝がたくさん突き刺さったままになっていた。
主な食料であろうお菓子や果物は、きっと全部一緒くたにしてビニル袋に放り込み、リュックの中に入れたのだろう。たき火の後は、何もないくらいきれいさっぱり何もない。後片付けも完璧だ。
食べ物を残しておいたりすると猛禽類のデジモン達が寄ってきてしまうから危ない、と漂流生活の中で上級生組が何度となく口にしてきたことがしっかりと実行されている。
さすがねえ、という空の感嘆めいたため息に、バードラモンは笑ったのである。もし大輔たちだったなら、間違いなく今頃食べ物のにおいにつられてやってきたどこかのデジモンに追いかけまわされているに違いない。
半月ほど行動を共にしてきた手前、手間のかかる弟分をちょっと懐かしく思ったりして、タケルと大輔の違いにちょっと驚いてみたりしながら、空は帰ってくるという意思表示でもある釣竿に手を伸ばした。どうやら、ヤマトとタケルたちがわかれたのはここで間違いなさそうだった。
そして、タケルたちはここを拠点にして、ヤマトたちを待ちながらずっとここで生活していたようである。
空は木の上に立てかけられている釣竿を慣れた様子で手に取ると、そのまま、ぱちん、ぱちん、と音を立てて折りたたむ。
そしてバケツの中に放り込むと、リュックの中に入れたのだった。
「たぶん、晩御飯のために食べものを探しに行ったんだわ。探しましょう」
うん、とうなづいたバードラモンは、再び空を乗せて風を生む。ぴこぴこぴこぴこ、と光子郎のデジヴァイスが指し示すのは、まっすぐに森の奥を指している。その方角めがけて空たちは先を急いだ。
オレンジ色の空に溶け込むように、メラメラとオレンジ色に輝くバードラモンが空を飛ぶ。どんどん大きくなり始めた影は、とうとう空たちを追い抜いて先を先導するようにはるか先を飛んでいる。
ぴこぴこ、ぴこぴこ、と空の手の中でタケルたちの居場所を探すダウジングマシンモドキは鳴りやむ気配を見せなかった。すべてを赤く染め上げる夕日の中で、空たちはようやくデジヴァイスが指し示す方角の先に、大きな大きな観覧車を発見し、一気に加速する。
まぶしそうにデジヴァイスと飛んでいる方角を確認しながら、空はぽつりとつぶやいた。
「デジタルワールドも夕日の時間って変わるのね」
「え?」
「だって、ほら。もう夕日が赤く染まり始めてるわ。ファイル島にいたころはまだまだ明るかったじゃない」
「……あ」
火の鳥は今気付いた、とでも言いたげな様子で声を上げる。空はくすくすと笑った。
「もうそんな時間なのね」
「え、そう?変わり映えしない景色の中を移動したから、そう感じるだけじゃないかしら?」
「結構長い距離を飛んだのよ。急ぎましょう、空。このままじゃ夜になっちゃう」
「そうね。急ぎましょうか」
こくり、とうなづいたバードラモンは観覧車を目印に、空を駆ける。そのときである。はるか東端の果てで、巨大な音が響き渡ったのは。はじかれたように顔を上げた空とバードラモンは、敵襲かとあたりを警戒するがそんな気配はない。
ただ、鮮やかな夕日に浮かんでいるはずの積乱雲がちぎれ飛ぶのを見た。嫌な予感が双方に確認された瞬間、彼女たちは最年少の男の子とパートナーデジモンの身を案じて先に進むことにしたのである。
彼女たちは知る由もないが、デジタルワールドにも、東西南北という方向性が存在する。地球上の四方は人間が生活するために便宜上の概念として使用しているにすぎないが、デジタルワールドではその世界が成り立つときに、東西南北を起点としたグリッドが使用されている。
デジタルワールドの四方のうちでも未知と称されるフォルダ大陸の最奥では、かつて平行世界の八神太一が世界を救う旅をした地を中心として、確実に異変が起きつつあった。
その時点で空たちが強烈に覚えていることと言えば、東の方角に夕闇が迫っていることくらいである。それは夕闇ではなかったと知るのは、まだ先のことだ。
その轟音と夕闇の正体は、龍の悲鳴と共に埋没した土石流である。砕かれた岩と土埃が高く高く舞い上がり、東の空上空を覆い隠しているのである。すべての粉砕物が空気中から沈殿するには、おそらく数日以上かかるだろう。
そのころには、未知の大陸は死の大陸と化している。地面には方角を司りしデジタルモンスターのいた名残だけが残されていた。幅百メートル、深さは三十メートル、長さは三キロにも及ぶクレーターの中央部分には、漆黒の結晶体が氷山の一角として現れ始めたのである。
東のエリアを中心として、空はどんよりとした雲に覆われ、大地から生気が急速に失われる暗黒の浸食が始まっている。少しずつ、少しずつ、黒いネットワークが再構築され、フォルダ大陸に広がっていく。
その新脈はやがて海底を巡り、黒い歯車が埋め込まれ、稼働を開始するのを待っている。大きさはさまざまで、拳大の大きさのものから、7階建ての建物くらいはあろうかという大きさのものまでさまざまである。
大地が割れ、断片となる。誰も知らない未知の領域から、世界の再統合という名の浸食が始まっている。
デジモンミュージアムに備え付けられている大きなライオンの呼び鐘が、ドンドンドンと乱暴に響き渡ったのは、タケルとトコモンがこれからどうしようかとワイズモンと話し合っているところだった。
失礼するよ、とドアの向こう側に消えていった屋敷の主人が再び現れたのは数十分後。誰か来たのかな、とタケル達が噂しあうのは、浮遊するワイズモンの後から付いてくる独特の足音が近付いてくるからだ。
興味をひかれてドアの向こうを凝視していた彼らの前に現れたのは、オモチャの街の町長を連想させる大きな大きなパンダのぬいぐるみのような姿をした真っ赤なバンダナを付けているデジタルモンスターだった。
どういう訳かおへその部分には白いハンドバンドがバッテンマークで付いている。もんざえモンと違ってずいぶんと目つきの悪く、愛想の悪いパペット型デジモンは、ぶしつけに初対面であるタケルとトコモンを睨み付けるような眼差しを向け、そのわりには対して興味なさそうな形でため息をつくと、どかりと隣のソファに座り込んだ。
あいさつしようと思ってはいるものの、こうも露骨なまでに無関心を態度で示されてしまうと、さすがのタケルもトコモンもむっとする。そんな彼らを見ても、赤いバンダナがトレードマークの彼は態度を改める気はないようだ。
「パンダモン、挨拶くらいしたらどうだい。彼らは僕たちと共に誘拐事件について協力してくれると申し出てくれたんだから」
「けっ、ピーターモンが居なくなってからこの街は誘拐事件が後をたたねえんだ。オレたちが見つけられネエってのに、そんなガキ共になにができるんだっての。
何が選ばれし子供だ。どっからどう見てもただの子供じゃねえか。しかも連れてるのはまだ幼年期のデジモンだ。買いかぶりすぎじゃねえのかよ」
咎めるような眼差しを向けるワイズモンに、け、とそのデジモンは肩肘付いた状態で気にするそぶりも見せない。すまないね、とワイズモンはタケル達に謝罪した。
「私が変わって紹介しよう。彼はパンダモンというんだ。タケル、トコモン。ピーターモンが居なくなってからは、このエリアのぬいぐるみハウスエリアを任せているんだ。
パンダモン、ところでブリキモンはどこだい?確か一緒に辺りの見回りをしてきたはずだよね?」
「あ?知らねえよ、あんなポンコツジジイ。こっちはピリピリしてるってのに、呑気にポーンチェスモンたちに昔話なんて油売りやがって」
「はは、また喧嘩したのかい?ああ、ブリキモンはこのエリアの中でもピーターモンに継いで古参の域にあるデジモンなんだ。名前の通りロボットのデジモンでね、ロボットハウスの警護を任せているんだ」
「仕方ねえだろうが。あったのかどうかもわからねえ、チェスモン大帝国なんて昔話をしやがるせいで、真に受けたチェスモンたちが、オレたちの仕事手伝わせやがれってうるせえのはお前も知ってるだろ。って何がおかしいんだ。何笑ってやがる、気味わりいな」
「君を見ていると素直が一番だとつくづく私は思うんだ。羨ましいからって嫉妬からの八つ当たりはよくないのでは無いかい?」
「んだとこらあっ!!」
図星なのか羞恥と憤怒が入り交じった真っ赤な殺気を向けるパンダモンだったが、ワイズモンは気にも止めない様子で紅茶とお菓子をパンダモンに勧める。
瞬きをしながら彼らのやりとりを見守っていたタケルとトコモンだったが、ワイズモンがちゃっかりパンダモンについて詳細情報を教えてくれた。
相変わらずむすっとしているパンダモンだが、ワイズモンに声をかけた。
「とりあえず今日のところは不審な奴は居なかったし、気になるようなこともなかったぜ」
「そうかい、お疲れ様」
「ああ、一息ついたら家に帰るぜ。今夜はエクスティラノモンが来ると思うから後はよろしくな」
邪魔したぜ、と彼はそのまま帰ってしまった。
「ポーンチェスモンって?」
「ロボットハウスに住んでいる成長期のデジモンたちだよ。ちなみにさっきのチェスモン大帝国って言うのは、ブリキモンが言うには、キングチェスモンっていうデジモンがデジタルワールドを支配するために作り上げようと暗躍している国の名前だそうだよ」
「えええっ!?それって……!」
「はは、心配いらないさ。たしかにデジタルワールドは広大だ。とくにフォルダ大陸の東方は未だに未開の地が多い。私たちの知らない勢力も数多くあると思うよ。しかし具体的にチェスモン大帝国がどのようなものか知る者はいないのはどうしてだか分かるかい?」
「どうして?」
「……これを言ったらポーンチェスモンたちに怒られるから言わないでほしいんだけど、周囲から興味すら持たれていないのが現状なんだ。彼らはチェスゲームの駒を模していると言われているんだけど、君はチェスをやったことはあるかい?」
「ううん、やったことない。でも、白と黒の駒みたいなのを動かすのテレビで見たことあるよ」
「なら、話は早いかな。その中で、一列に並んでる一番数が多かった駒、覚えてるかい?ポーンチェスモンたちはどうやらあの駒のデータから生まれたらしいんだ。他にも、ナイトの駒、ビショップの駒、ルークの駒、クイーンの駒、キングの駒から生まれたデジモンたちがいるらしいんだ。
ただ……チェスっていうのは、それぞれの駒を動かして相手の駒を取り合っていくゲームなんだけど、キングの駒を取られたら負けだから、基本的にキングの駒は逃げるんだよ。だから…クイーンチェスモンとキングチェスモンは同じレベルらしいんだけど、チェスモンたちの中で一番強いのはクイーンらしいんだ。
ブリキモンが言うにはキングチェスモンは、小心者のため自ら攻撃することはほぼ皆無で、いざというときの逃げ足だけは速いってもっぱらの噂なんだ。
ポーンチェスモンたちに言わせれば、スパコン並の頭脳の持ち主だから、敵前逃亡等が全て計算の内らしいんだけど、口癖は『逃げるが勝ち!』らしいからね」
「………あはは」
「ポーンチェスモンたちはすっかりブリキモンの昔話を気に入ってしまってね、大帝国を作った暁には私たちを部下として迎え入れてくれるそうだ。
その時が来るまで修行に励むんだって聞かなくてね、今日もどうやらパンダモンたちを困らせてしまったらしいね」
「じゃあブリキモン、もしかしてまだポーンチェスモンたちと一緒にいるの?」
「うん、多分ね。今日はもう遅いし、行方不明になったデジモンたちを捜すのはまた明日にしようと思うんだ。 今日はこの屋敷でゆっくりしていくといいよ」
「ありがとう!そうだ、ねえトコモン。僕たちでブリキモンを呼んでこようよ。ポーンチェスモンたちの話とか聞きたくなっちゃった」
「あ、そうしてくれるかい?ロボットハウスの広場にいると思うから、三叉路をまっすぐ右に行ってみてくれないか」
「はーい」