遅ようさん、と茶化されながら大輔が揺り起こされたのは、すっかり朝日が昇り、龍の目の湖が丸くて白い光をきらきらと輝かせ始めた時間帯だった。起こされたばかりで寝ぼけている大輔は、顔を洗うついでにうがいでもして来いとはっぱをかけられて、はあい、なんて寝ぼけ眼なまま湖のほとりにやって来た。
揺らめいている人影が覗き込んでいる。魚影が見える。水をすくえば逃げてしまった。さすがに回復したばかりの体力、気力を朝から魚釣りに費やす人はいない。2本の折りたたみの釣竿はミミのサバイバルリュックに仕舞われたままである。
そういえば、昨日勉強したことがある。それは、人間の食べ物をデジモンが食べる分には味覚の誤差は起きないのだが、デジモンが食べるものを人間が食べると、時としてえらい目に遭うということだ。それを教えてくれたのが、他ならぬブイモンと釣り上げたデジカムルという巨大な淡水魚だったのは非常に悔やまれることである。
デジカムルだと知った瞬間のデジモン達の目はさっと変わったのである。寄生虫がどうたらこうたらという心配は、丸焦げ寸前まで火を通せば大体のものは食べられるというデジモン達の主張によりきれいに退けられたのが悪かったのだろうか。
敗因はやっぱりヌメリがきついうえに、80センチ近くある大物だったことだろうか。ヤマトたちが悪戦苦闘しながら包み焼きにしてくれたはいいものの、川魚特有の生臭さがデジサケと比べて比にならないほど癖があり、うーん、という人もいた。
淡白でおいしいといえばおいしかったのだが、煮物にしたり、揚げたりした方がよかったかもしれないとは調理担当組である。結局デジカムルの包焼きはその半分以上がデジモン達のお腹の中に納まったことになる。
そのかわりに、大輔たちが重宝したのは、現実世界となんら変わらないクオリティを残している果物群だった。デジバナナとか、デジイチゴとか、デジオレンジとか、どこかで聞いたことがある名称はだいたいそのまま反映されている。丈の持ってきているキャンプ用のご飯でもいいのだが、昨日の昼のようにお菓子の可能性もある。さて、朝食は何になるんだろう、と期待をにじませながらみんなのいる所に駆け寄った大輔は驚いた顔をした。
「どうしたんすか、これ」
「デジモン達が取ってきてくれたんだよ」
「それはありがたいっすけど、なんでこんなにデジリンゴが?」
昨日覚えたばかりの果物も新しいものがいくつか並んでいるのだが、どういうわけかその甘さが控えめですっぱいリンゴが、山積みになっているが乗り切らなくて、何個かころころと転がった。その内の一つを拾い上げたブイモンが大輔に差し出しながら言った。
「パタモンとピヨモンがケンカしちゃったんだよ」
「え?なんで?」
大輔の言葉に、近くでタケルと一緒にデジリンゴをほうばっているパタモンが、空と一緒に少し離れて果物を食べているピヨモンをちらりと見てから、若干すねた様子でつぶやいた。
「僕が取ろうとするデジリンゴ、ピヨモンがとっちゃうんだもん」
「わたしがとろうとした木の実が、パタモンのと一緒だっただけよ」
「うそだー、だったらなんで2個も3個も取ってっちゃうの?」
「パタモンが他の樹のデジリンゴをとればよかったんじゃない」
「なんでっ!?僕が先にみつけたのに!」
ピヨモンの意地悪!とパタモンはすっかりむくれてしまい、タケルの頭にしがみつきながら怒っている。ブイモンが言うには、デジフルーツがたわわに実っているのは昨日収穫した桃の木のように、結構な高さになる。必然的にパタモンやピヨモン、テントモンに取ってきてもらい、ブイモン達が下に落ちてきたのをキャッチしたり、拾ったり、回収していくことになる。
テントモンは好物の木の実が潰れやすいため、いっぱいになったら直接降ろしに来てくれるので問題なかった。だがどうやらパタモンとピヨモンはとろうとした木の実が同じだったようでケンカになったようだ。
なんでもパタモンもピヨモンも進化してから昨日の今日ということもあってか、自慢の翼があるにもかかわらず上手く飛ぶことができないらしい。体重が重いのか、体の構造的に難しいのか、それとも飛び方が分からないのかは本人のみぞ知る。時速1キロという子供の徒歩より遅い速度でしか飛べない彼らはどうしても滞空範囲が限られてくる。
木登りした方が早いんだけど、さすがにぽんぽん落ちてくるデジリンゴの回収にてんわやんわで止めることができなかったようだ。少しでも高いところ、高いところ、とお互いがお互いを意識し過ぎた結果、牽制や言い合いを繰り返すうちに、気付いたらこんなことになっていたらしい。
ライバル意識が芽生えてしまった二匹はさっきからむすっとしていて口を聞かない。ピョコモンとトコモンの頃にはこんなことなかったのに、なんてすっかり空は困り顔である。
タケルもパートナーにケンカして欲しくないらしく、どうにか仲直りさせたいようと必死で説得しているのだが、つんとしたまま、取り付く島もない程ピヨモンとパタモンは目を合わせようとしなかった。大丈夫かよ、と思いつつ、大輔はブイモンからもらったデジリンゴを軽く拭いてから口にした。
漂流生活2日の朝。小学6年生が1人、小学5年生が3人、小学4年生が2人、そして小学2年生が2人の計8人。やけに上級生に比重が偏りすぎているメンバーご一行は、昨日集めた食料を上級生男子が分担。女の子と小2コンビは特別扱いでもともと持っている荷物以外はなにも持つことを許されないまま、湖を発つことになった。どこに行くのか、というこれからを決定する会議にも、最年少であるが故の弊害でまともに参加させてもらえない。
大輔たちは何にも心配しないで、付いてくればいいんだよ、とご機嫌斜めな後輩に太一は笑った。どうやら昨日のうちにすっかり太一と仲直りしたらしいヤマトも、大輔のコトを太一から聞いたのかは知らないが、心なし視線が優しい気がする。よかったわね、と空にまで微笑まれてしまえば、これ以上不満を漏らすのは贅沢すぎる気がした。
なんかタケルの目が据わっている気がする。いや、そうだけど、なんか、なんか違うんだよおお!心のなかでモヤモヤと格闘しながら、必死で少ない語彙の中から名前を捜す。大輔は、しっくりと来る表現を見つけられないまま、こくこくと頷くしかなかった。目立ちたがり屋だが注目されることには慣れていないのである。
昨日の夜の直談判が功を奏したのか、ほんの少しだけかまってもらえるようになった嬉しさと恥ずかしさ、もやもやを抱えながら、しぶしぶ頷いた大輔はブイモンと共に、太一たちと離れないようにひたすら付いていくことが求められることを知った。ふくれっ面の大輔に、タケルとパタモンが機嫌を直すよう説得する。
お前はそれでいいのかよ、とのつぶやきに、僕達まだ小さいんだよ、仕方ないよ、という返答。かち合った目にはやや不満の色。どうやらお互いに今の置かれている立場にやや疑問があることはわかったものの、それを解決するにはどうしたら良いか考えつかない。
せめてお互いのパートナーデジモンが進化してさえいれば、いろいろと上級生たちの目も変わってくれるかもしれないのに、とお互いに非力すぎる身の上をこの時ばかりは呪った。それがきっかけだったのかもしれない。暇を持て余しているブイモンと大輔は、ひたすら進化について話し合っていた。
アグモンがグレイモンに進化した。
ガブモンがガルルモンに進化した。
いずれもパートナーである八神太一と石田ヤマトが生命の危機にさらされた時、一度だけそれは訪れていた。パートナーデジモンが心の底からパートナーを助けたいと思ったとき、デジヴァイスが反応してデジモン達が鮮やかな光りに包まれて、成長期から成熟期へと進化をとげている。一度進化することが出来たデジモンならばいつでも行えるわけではない。
進化しているデジモン達本人ですら、イマイチその進化条件が分かっていない。何故デジモン達が進化できるのか、何故進化したデジモンが再び成長期に戻ってしまうのか、いろんな疑問が子供たちの間で浮かんでは消える。結局何一つ解決することができないまま、今に至る。
アグモンが言うには、太一を助けたいと思ったら、凄まじい力が湧いてきたらしい。秘密はデジヴァイスにありそうだが、この白いデジタル時計の秘密は今はまだ誰も知らないのだった。
しかし、幾度ものピンチを救ってきたデジモンの進化の光景。まだ進化を経験していないデジモンとそのパートナーの間で、もしかしたら自分たちもできるのではないかという期待と不安から、あれこれと予想するには事欠かない。
大輔とブイモンもその例外に漏れることなく、あれこれと予想しては空想の中でかっこ良く敵のデジモンを倒す様子を想像しては、早く進化したいという様子を包み隠さず話しあっては、盛り上がっていた。進化する本人すら進化するその瞬間まで、成熟期の姿も名前も全くわからない状態なのである。
誕生日プレゼントを空ける寸前のわくわくを噛み締めながら、大輔とブイモンは、進化したパートナーを連れていることで自然と子供たちの前衛を任されるに至った、太一とヤマトを懸命に追いかける。深い密林の木の根っ子やごろごろ転がっている石、そして足場の悪いぬかるんだ道などものともせず、ブイモンと進化後の姿はどんな感じなのか、について本人たちは至って大真剣に話し合っていた。
「オレ、もっともっとでかくなりたい!そしたらこーんなでっかいデジモンが出てきたって、オレだけで倒せるだろ!」
ぶんぶん拳を振り回していきり立つブイモンの頭の中には、グレイモンよりずっとずっと大きく巨大化したブイモンが、「おれがかんがえたさいきょうのわるもの」相手に勇猛果敢に勝負を挑み、パワーで圧倒して、ブイモンヘッドでお星様に変える光景が浮かんでいた。
そしたら、大輔はきっといってくれるに違いない!自然とブイモンは口元がおもいっきり緩み、鼻歌すら浮かんでいた。考えていることが顔だけでなく全身に出やすいのは誰に似たのやら。
「さっすがはオレの相棒だ、ありがとな!ヤマトさんや太一さんじゃなくってお前だけが頼りだ!」
わしゃわしゃと頭を撫でながら、大好きな笑顔をブイモンだけに向けてくれるに違いないのだ。ブイモンの頭の中では、抱きしめてくれる大輔がいて、現状において保護者的立ち位置にいる太一とヤマトが悔しそうにこっちを見ていて。
グレイモンとガルルモンが、参りましたとばかりに頭を下げて白旗を降っているのである。四足歩行のガルルモンが何故グレイモンと共に白旗を前足でもって、振っているのかは突っ込んではいけないところである。
そしたら大輔のことも守れるし!とそれはそれは嬉しそうににかっと笑いながら、今はまだ大きい大好きなパートナーを見上げた。あれ?いない?大輔は?側にいたはずの大輔の姿も形もない。
あれ?あれ?とキョロキョロあたりを見渡していたブイモンは、ようやく自分がずるずると大輔に引きずられている事に気がついた。さっきから、明後日の方向に飛んでいってしまったブイモンの意識を戻すべく、しつこい位にブイモンの名前を連呼したが、反応はない。
振り返れば太一もヤマトもどんどん先をいってしまう。湖を出発したばかりで、まだまだ元気が有り余っているはずのブイモンの謎の硬直。もっと頼れと心強いお言葉を頂いたばかりであるとはいえ、こんなしょうもないことで先陣の足取りをわざわざ鈍らせるのはあれである。追いついてきたヤマトや空に先にいってもらって、大輔が取ったのは持ち運びだったわけである。
さすがに大輔に置いて行かれることに関して、トラウマとも言うべき心の傷を負っているブイモン相手に、置き去りにするという選択肢はとれるほど外道ではない。大輔の頭の中では、凄まじい狼狽を見せて、パニック状態になりながら必死で東西南北に大輔の名前を連呼して捜し回るブイモンの姿が、寸分狂い無く想像することができた。想像力豊かなのはお互い様である。
小学校二年生男子として持ちうる限りの力を注ぎこんで、石像と化していたブイモンを引っ張っていた大輔は、ようやく正気に戻ったブイモンに呆れながら、先を急ごうと手を伸ばしたのだった。
実際のところ、大輔の中での頼りになる存在ランキングは、今までブッチギリの1位だった太一が首位から陥落している。だが相談に乗ってくれたので、2位に踏みとどまっている。何かと気にかけてくれる空に首位は奪われてしまったが、今まで圏外扱いだったヤマトと丈が急浮上しており、太一と丈が2位を争う結果となっている。
丈は今のところ3位である。最上級生だし、しっかりしてるし、なんだかんだで大輔は丈に桃を持ってもらったり、湖に落ちそうになったところを助けてもらった。それにいろいろ難しいことを知っている。
空が先輩と呼んでいるのも影響していた。大輔の自主性とタケルと比べてなんでも自分でやりたがる性質を知っている、大輔のことを知っていればいるほど、上級生たちは大輔の中にある甘えたいという意識と認めてもらいたいと背伸びする意識の葛藤を汲みとってくれない。ヤマトは4位だ。理由は簡単、苦手意識が上位3位にランクインするのを拒否したのである。
意地悪な人は姉を連想してしまう。聞きたいことを教えてくれなかったこと、こっちが嫉妬に駆られるほどの仲睦まじい姿を見せつけられること、相変わらずタケルにものすごく過保護なのをみるたびに、顔を背けたくなってしまうなどの理由がある。そういうわけで、ブイモンが大好きな本宮大輔の頼れる人ランキングで、堂々首位を奪取するのは、まだまだ先が長そうだった。
「なあなあ、大輔、大輔はオレにどんな進化して欲しい?」
「そーだなあ、やっぱドラゴンだな!」
「どらごん?なにそれ、かっこいいのか?」
「そりゃそーだろ、なんたってドラゴンは空の王者なんだから!」
大好きなゲームシリーズに登場する架空のモンスターの話をする大輔の目は、さっきとは打って変わって輝いていた。大輔の理想の進化像を聞きながらブイモンは想像してみる。どらごんはブイモンよりずっとずっと大きくて、グレイモンより大きいらしい。
ブイモンと同じで額に角があり、大きなしっぽがあり、二足歩行でぶっとい脚とでかい腕を持っていて、とここまで聞いたブイモンはほとんどグレイモンと変わらないではないかと大輔に返すが、全然違うと大輔に力説された。
大空を自由に飛び回ることができるツバサを持った、それはそれはかっこいい勇ましい姿らしい。大輔の語るどらごんは、世界征服を企む魔王ってやつを倒すために、世界を救うために立ち上がった勇者の大事な大事な相棒で、運命共同体そのものの関係性を構築しているらしい。
結局言葉の意味が分からなかったので、丈に道中聞いた話では運命共同体とは、ものすごく分かりやすく言うと生まれた時から死ぬまでずっとずっと一緒にいる相手のことをいうらしい。嬉しいことがあっても悲しいことがあっても、つらいことがあっても、未来になにがあってもずっと半分こしながら過ごしていく、相手やグループのことをいうらしい。
まさしくオレとパートナーの大輔のことだと大喜びしたブイモンは、よくそんな難しい言葉を知ってるねと感心した丈に対し、ちょっと聞いたのだとごまかした大輔の挙動不審ぶりに気づくことはなかった。なにそれかっこいい。ブイモンの頭の中では、「おれのかんがえたさいきょうのしんかけい」の姿をしたブイモンが大輔を乗せて大空を羽ばたいていた。
「ブイモン青色だから、青いドラゴンになるな。かっけー。早く進化できるといいな」
「うん!オレ、空が飛べるようになりたい!」
すっかり大輔の言葉に感化されたブイモンは、その時が来るのを夢見て、今はただ見上げるしか無い空を眺めたのだった。大輔がかっこいいと絶賛した進化系の姿は、もちろん大輔が初めてこの世界に来たときに出会った、秋山遼とエアロブイドラモンがモデルである。
強烈なインパクトをもたらした彼らの勇姿は、鮮明なイメージとして克明に反映されているが故の結果である。エアロブイドラモンは成熟期ではなく、さらに進化を遂げた完全体であることなど知るはずもない大輔は、どうせならまたエアロブイドラモンに会いたいと思っただけである。
でも進化の姿は違うとエアロブイドラモンがいってたことを思い出した大輔は、他にもいろいろ進化の姿があるのかと一瞬思ったが、そんなこと実際になってみなくてはわからない。どんな姿に進化したとしても、ブイモンは大輔にとってのパートナーデジモンであることにはかわりなく、でもどうせならかっこいいほうがいいなあ、という男の子なら当たり前の発想がそうさせていた。
まるでお母さんと結婚するのだと宣言したちっちゃい男の子のような無邪気な約束である。ブイモンが割と本気で楽しみにしていることに気づくワケもなく、大輔はブイモンにつられて空を仰いだのだった。