どっくん、どっくん、どっくん、と大きな心臓の鼓動が絶えずなり響いている。はじめ、タケルとトコモンは、たった一人と一匹で潜入している螺旋屋敷に緊張して、いつも以上に自分たちの心臓は激しく波打っているのかと思ったがどうやら違うらしい。
まるで屋敷全体が生きているかのように、一定のリズムで、どくん、どくん、と脈を打っているのである。呼吸するかのように隠し階段の螺旋階段から鳴り響いてくる。誰かいるのは間違いなさそうだった。
うん、間違いないよとトコモンはこわばった様子で頷いた。トコモンによればどうやらこの先の隠し部屋に複数のデジモン達の気配がするらしい。耳を澄ませば確かに何人かの足音が聞こえてくる。にしてはずいぶんと足音が揃っている。
運動会の整列、行進を連想させる足並みそろった雑踏は、一定のリズムでぐるぐるとまわっているようだ。
しかし、先ほどから耳を塞ぎたくなるくらいまで不気味なリズムを刻んでいる心臓の拍動とは何の関係もないらしい。一体この先には何が待っているのだろうか。
ごくり、と息を飲んで確認し合うように顔を見合わせたタケルとトコモンは、うん、とうなずいてから、手にしている蝋燭の灯を頼りに、慎重に一階へと下っていく。
そっと通路に顔を出したタケルとトコモンが見たのは、ライフル銃が何十丁も空中を浮かんで隊列を組んで見回りをしている奇妙な光景である。
ぽかんとしているタケルに対して、トコモンはじいっと目を凝らすような眼差しで透明デジモンがいるはずの場所をながめていた。薄暗い廊下は影すら映らない。区画に入って壁とは違う模様の扉に差し掛かったライフル銃の行列をみて、指差した。
タケルが見ると、一瞬だけではあるのだがライフル銃をもっている成長期くらいのデジモン達が行進しているのが見えた。ライフルだけでなく小型爆弾まで携帯しているらしい竜型デジモンである。
全身はいくつかの迷彩色が混在したアグモンとよく似た種族のデジモンなのだが、体表を覆っている構成データが特殊なのだろう、周囲の色を感知してあらゆるパターンを表示して、たちまち彼らの姿は見えなくなってしまうのだ。
身に着けている防具や武器も適応されるらしい。透明デジモンになってしまうには数秒の誤差が必要なようだが、ライフルまで適応されていたらタケルたちは間違いなくそのまま突っ込んでいってハチの巣にされてお陀仏である。
ほんものの兵隊さんだ、とタケルは思った。どうやらあのライフル銃は訓練中に使う練習用の武器のようである。実践中に遭遇でもしたら最悪だ。
再び戻ってこないことを祈りつつ、息をひそめて待っていたタケルたちは、彼らの巡回には一定の空白時間、おそらく交代の時間なのだろう、があることを知る。
長い長い待ち時間だった。おそらく実際はそんなに経っていないが、タイミングはとても遅かった。何週目かの足音は聞こえなったタイミングを逃すことなく、タケル達は先を急ぐ。あの兵隊さんたちはたぶんマシーン型のデジモンだよ、とトコモンはいう。
どうやら機械型のデジモン独特の音や匂いがするらしい。緑色のアグモンにしか見えないのに?へんなの、と思いつつ、タケルはトコモンを抱えて小さな脇道に入った。さっきの兵隊さんたちとはまた違ったデジモンの足音にトコモンが反応したからである。
「またこの世界から我々の同志が一人減ったのか」
「ああ、ワイズモンによって異次元に落されたそうだ。ご帰還はかなり厳しいぞ」
「そうか、ならばまた補充しなければならないな。すべては我々の悲願のために」
「そうだな。ところで、デジメンタルに変わるエネルギー体の到着はまだなのか?」
「もうすでに手筈は整えている。ピーターモンが届けてくれたからな、やはりホーリーリングの効果は絶大だ。ここに紋章さえ手に入ってしまえばこちらのものだ」
「こう何度も選ばれし子供たちに我々の邪魔をされるわけにはいかないからな。そのためならばヴァンデモンに戦力くらいいくらでもくれてやれとは、あのお方の判断だ。せいぜい足止めしてくれればいいさ」
「まったくだな。我々の力を手に入れるためとはいえ、守護デジモンをジョイントプログレスの実験体に差し出すなど見上げた根性だ。野心を手に入れるとああも残酷なことができるのかと思うと末恐ろしささえ覚えるぞ」
「ジュレイモンだったか、まさかウィルス種のデジモンと相性がいいとは知らなかった」
「従わない者を配下に置くために取る手段としては最良だな、意志を残している時点で裏切りの危険性が排除できないのは困るが」
「下手にジョグレスが失敗して暴走されたら困るからな。どうせなら機械化してしまえばいいものを」
「やはり生物型のデジモンの考えることは分からんな。なぜこうも非効率な方法をとるのかわからん」
やたらと物騒な単語が隠れていたタケル達の前を通り過ぎていく。タケルとトコモンは背筋が凍りついていくのを感じた。なんていったの?え、うそでしょ?遊園地エリアを奇襲したタンクドラモンが叫んでいたDブリガードという単語が脳裏をよぎる。
メカノリモンたちに使い捨てのデジモン達を搭乗させて、自爆特攻させた鬼畜がここにいるのだ。タケルたちは震えがとまらなかった。いろんな感情がない交ぜになって言葉を発することができない。
淡々としている会話には異次元の恐怖すら覚えてしまう。頭が理解するのを拒否しているのだ。
しかも、この組織が持っている技術を利用しようとしている別の勢力がいるらしい。その勢力は覚悟を示すためなのか、忠誠を誓う為なのか、おそらく仲間だったデジモンを生贄として差し出したらしい。ジュレイモン、という名前は聞き覚えがあった。
ファイル島にあるミスティツリーズを守っていた守護デジモンで、森の長老でもあり、先代の子供たちにも助力したらしい守護デジモンだ。
行方不明だから探してほしいとトノサマゲコモンから頼まれたと空から聞いたばかりなのに。
そんなタケルたちの狼狽など知る由もない暗殺部隊の2体は去ってしまう。かつん、かつんと足音を響かせながら、遠ざかっていく。ようやく静寂が訪れた通路。
うっすらと涙すら浮かんできたものの、なんとかその場で耐えていたタケルだったが、ずるずると壁を伝ってその場にしゃがみ込んでしまった。耳を塞ぎたいが状況が許してくれない。
こんなのってないよ、そんなのないよ、なんだよそれ。声を殺して泣いているタケルにトコモンは何も声を掛けることができなかった。
ぴこんぴこんぴこん。デジヴァイスの電子音が鳴り響いたのは、ずいぶん経った後である。
真っ赤になってしまった目を乱暴にぬぐったタケルが、もしかして!と思ってのぞいてみれば、聞き慣れた音である。途方もないくらい待ちわびた音である。紋章が近くにあれば反応して場所を教えてくれる機能が、ようやく起動してくれたのだ。
さいわい誰も気付いていないらしい。もうタケルたちは後戻りができなくなった。目的場所まで矢印を表示してくれているデジヴァイスを頼りに、トコモンに辺りの警戒を任せながら、タケルはたった一人ぼっちで敵の拠点施設への潜入を続ける。
階段を下りて、通路を歩いて、換気扇の通路や水路の道をくぐったりして、ただひたすら歩いた。トコモンのおかげで厳重な施錠は意味を為さない。タケルの頭の中にあったのは、一刻も早くここから出たいという気持ちだけである。
もうぐちゃぐちゃで、めちゃくちゃで、なんだか心の中が壊れてしまいそうな気がして、何も考えたくなんかなかったのだ。いつしかデジヴァイスは電子音が起動しなくなり、画面を表示しているのは紋章の場所が近くなってきたことを知らせる点滅マークだけである。
ここだ。タケルとトコモンは、迷宮ピラミッドの奥底にあったナノモンの研究所よりもはるかに大きい自動ドアを見上げた。目と鼻の先まで近づいてみたが、案の定自動的に開いてくれることはない。
横を見ればパスワードが必要らしく、9ケタのボタンと指紋認証を示す警備設備が整っていた。
ここから先は立ち入り禁止だ。この先に紋章はあるかもしれないのに!どうしよう、と途方に暮れるタケルとトコモンはため息をついた。
もうそろそろ巡回している歩兵型デジモン達の大行進が始まるころだ。どこかに隠れなくっちゃ、とあたりを見渡したタケルとトコモンは、トイレを見つけた。ラッキー、と思いながら男子トイレ(女性型デジモンも出入りするのだろうか)をくぐったタケルは、個室の上の方に小さな子供くらいなら入れそうな換気扇のふたを見つけた。
すぐ真上にある換気扇の空気溝の格子からみえたのは、研究室だった。緑色の液体に浸されたガラス管の中には、おそらくこのエリアの住人だったのであろう幼年期、成長期と成熟期、完全体に相当するであろうデジモン達が眠っている。
ごぽり、ごぽり、と時々空気が泡になって下から上にむかって解けていった。二つの大きなガラスの棺ははるか頭上の方で結合しており、コンピュータで管理されている。がこん、と大きなレバーが押される。
直視できないほどの光が爆発するが、視覚を保護するためのサングラスカバーをしているデジモン達は誰一人として2つのデジタルモンスターが1つのデジタルモンスターとして合体していくという状態から眼を離す者はいない。タケルたちはこれがジョイントプログレスだと悟る。
デジモンが1と0の数字になって緑色の液体の中に解けていく。螺旋状になって消えてしまった。名前も知らない見たこともないデジモン達が、新しいデジタルモンスターとして誕生する瞬間を図らずもタケルとトコモンは目撃することとなったのだった。
それぞれのデジタルモンスターを構成しているデジタマとワームフレームが分解され、上の方にある無数のコードを通って、遺伝子のような螺旋状の光として奥のガラスケースに注ぎこまれていく。水蒸気の熱気が一気に研究室に注ぎ込まれていく。真っ白な蒸気であたりが見えなくなってしまった。
しかし、研究者であるデジモン達は完成を確信したらしく、歓声が上がる。息をひそめているタケルとトコモンがちゃんと見られるようになったころには、先程まで酸素ボンベを充てられていた2体のデジタルモンスターの姿はもうない。
そこにいたのは、2体のデジタルモンスターを素材として、新たに誕生したデジタルモンスターの生命が宿ったデジタマである。NEWと表示される電光掲示板が点灯する。ふたたび、がこん、とレバーがあげられる。
そこから取り出されたデジタマは始まりの街で見かけたものとは大きく異なり、大きさが明らかに成長期、もしくは成熟期以上のデジタルモンスターが入っていそうなほど大きなカプセルと化している。
そして、見るからに禍々しい色をしている。ガラスの棺桶から慎重に取り出されたNEWデジタマは、何人かの研究者デジモン達に抱えられて、さらに奥の方にある部屋へと消えてしまった。
自動ドアから見る限りでは、デジモン達同士で融合させられて誕生したデジタマは、あの保育器機能が完備されているらしい機械の中に、たくさん並べられているらしかった。
融合されたデジモンたちは、自分の意志はどうなってしまうのだろうか。片方は吸収されて片方が主人格を継承するのか、統合されて新しい人格が生まれてしまうのか、それともまっさらな状態でデジタルモンスターとして誕生することになるのか、さすがにタケルもトコモンも分かるはずはない。
ただ分かるのはあの実験の素材として次々と運び込まれている緑色の液体に浸されているデジモン達は、きっと自ら望んでこのような研究被験者になったわけではないということくらいなものである。
いずれのデジモン達もこのエリアの風土病である結晶化が全身にまで及んでいるらしく、光の鎧に覆われた物質が放つ特有のプリズムがよどんだ液体ごしでも仄かに輝いていた。デジモンは死んでしまうとその亡骸を残すことはなく、デジタマとして転生するか、ダークエリアに送られる、暗黒の力に吸収される、消滅という意味でデータチップごと消えてしまうか、いずれかしか選択肢が与えられていない。
文字通り亡骸に近い状態を保つには、結晶化のように生きた化石となるか、データごと強制的に凍結されて封印されてしまうかくらいしかない。まさかとは思うが彼らはこの螺旋屋敷に並べられているお墓の住人達ではないだろうか。
もしくはこの世界の秘密を知ってしまったために、見せしめに殺されてしまった後のデータの残骸から復元された思念のようなものたちなのだろうか。
いずれにせよ昼夜問わず納骨堂や死体置き場である墓場から運び込まれてくる彼らをこねくり回し、データを集めて回収し、こうやって一つのデジタルモンスターとして作り上げているのだ。
小学2年生の男の子が見るにはあまりにも刺激が強すぎたらしく、トコモンが心配するくらいタケルは手足が震え、めまいを覚えたのか壁に手をついて、そのままうずくまってしまった。
タケルたちの様子など知る由もなく、なにかに憑りつかれたように研究者たちは湧き上がる情熱に逆らうこともせず、次々とデジタルモンスターたちを合体させて、新しいデジタマを作り上げていく。
彼らの身の毛もよだつような息苦しい程の熱意に急き立てられる形で、タケルとトコモンは元の部屋に戻ろうとしたのだが、タケルたちの遥か下方で横たわっている身体に生命の源を吹き込もうとしている装置に、デジヴァイスが反応した。聞き慣れた音である。
かつて途方もないくらい待ちわびた音である。
紋章が近くにあれば反応して場所を教えてくれる機能が起動したのだ。さいわい誰も気付いていないらしい。もうタケルたちは後戻りができなくなった。
どうやらこの研究の要となっている機械に動力を与えているのは、タケルの紋章のようである。もしかしたら大輔たちの紋章も関わっているのかもしれない。蝋燭が今にも燃え尽きようとしている研究室の中で、そっとデジヴァイスの画面を覗き込んだタケルは、この部屋ではなく別の通路でつながっている別の部屋に、微かな光が点滅しているのが見えたのだ。
取り返なさくちゃ。誰にも気づかれないように通路と通路の間を潜り抜け、慎重に別の経路へと続く換気扇の通路を進んでいくタケルは、デジヴァイスが激しく反応している部屋の真上に辿り着いた。
そこには何体かのデジモン達がせわしなくあたりを駆け回っている。注意深く様々な機械が陳列している棚を覗き込むと、そのカバーケースの中にタケル達の紋章がちょうど5つおさめられているのが分かった。なにしてるんだろう。いやな予感しかしないが、未だにパタモンにすら進化できないトコモンでは、このまま彼らがどこかに行ってくれるのを待つしかないもどかしさである。
はあ、とため息をついたのは、どちらだったのだろう。
「あ、ティンカーモンだ」
「光の紋章もってるよ、タケル」
あれ?ロゼモンは?二人は顔を見合わせたが、一瞬頭をよぎった最悪の結末に必死で頭を振った。今まで見たこともない大きなガラスの棺の中に横たわるデジタルモンスターをみおろす妖精は、どこか嬉しそうにその紋章を最後のカバーケースに乗せる。
がこん、というレバーの音が響いた。ぱ、ぱ、ぱ、と真っ赤なランプがかがやいた。どうやら、眠っていたデジモンが起きたらしい。生き物は深く息をして、手足を激しく痙攣させる。
酷く変色している黄緑糸の皮膚からは、その下にある筋肉や動脈が透けていた。
髪の毛は長年潮風にでもさらされたかのように赤みがかっており、死んだ魚のような眼をした目以外の顔の上の部分を覆い隠す機械が一層不気味さを際立たせていた。一文字の黒い唇がわずかに動き、濁った黄色い瞳がゆっくりと開き、真上にいるタケルたちと目が合ってしまう。思わずタケルは目を逸らした。
身体の至る所に導線が張り巡らされ、拘束具で全身を覆われているデジタルモンスターは、巨大な大男のようにも見えた。この屋敷にいる機械が基本として造られたデジモンと違って、人型のデジモンに人工的に機械を埋め込んだため色が変わってしまったデジモンなのだろう。
どうしてそんなデジモンがここにいるのかは分からないが、紋章を6つも使用してようやく起動するほどの封印が施されていたデジモンである。ティンカーモンの慕うデジモンのために目覚めさせたのは明白だった。
もしかして、これがロゼモンが焦ってた理由なのかな、と思った刹那、凄まじい雷撃が狭い研究室にさく裂する。一瞬の閃光。世界は白く染まった。
デジモンの攻撃ではない。それは後からやって来た轟音と突風が証明してくれた。がこん、と留め金がひしゃげて格子が吹き飛ばされてくる。驚いて硬直してしまったタケルを守るために、トコモンはあわてて酸性の泡で鉄格子を溶かしつくした。
鼻を突く強烈な匂いは突風によってあっという間に吹き飛ばされ、白い煙が辺りを覆う。真っ赤な色がちらついた。あたりに響き渡るのは警報だ。
もしかして見つかっちゃったの、ってタケルは焦るが、真四角の世界が灼熱に燃えているのに気付く。スプリンクラーが起動して、冷たい水が辺りを覆い尽くすが機械を走る電磁波はやまない。どうやら起動したデジモンが一瞬のうちに拘束具を外してしまったようだ。
どれだけのパワーをつかったのだろう。紋章がおさめられていたガラスケースは粉砕され、ショートしたのかタグが電磁波を放っている。凄まじい轟音は揺れとなって屋敷全体に襲い掛かり、タケル達は振り落とされないように必死でつかまっていることしか出来なかった。気付けば火の気がやんできたとはいえ、すっかりびしょびしょになってしまった研究室がある。
デジモン達の気配はない。見渡す限り瓦礫の山だ。タケル達は絶句するしかない。そっと耳を澄ませてあたりを慎重に伺ってみるが、どうやら出て行ってしまったデジモンを捕まえるためにみんな総動員で向かえというアナウンスに駆り出されているようだ。
「………タケル、いこ?」
「………え、あ、そ、そうだね。いまのうちに!」
よいしょっと降りたはいいものの、さすが高さがあったのか、寝台に着地で来たとはいえ、あまりの痺れに我慢できなくてタケルは尻餅をついてしまった。大丈夫?と心配そうに覗き込むトコモンに、あいててて、といいながらタケルは首を振って笑った。
ベットの上におっこちたようなものだ。クッション替わりのマットは弾力性があって助かった。それよりも、と体を起こしてタケルたちは大きな実験台に足を向ける。さいわい紋章とタグがバラバラに配置されていることはなく、どちらもちゃんと二つセットになっていた。
おそらく紋章はこのタグによってエネルギーが制御されている。だから、さすがの敵勢力も紋章単体でコントロールできるほどの技術力はないのだろう。それだけが救いだった。ほっとしてリュックの中にしょい込んだタケルの頭の上で、光の紋章が見つかってよかったねとトコモンが嬉しそうに笑う。
これから会う新しい仲間にとって欠かせないものがこうして取り返せたことは何よりも誇らしい。でもタケルはまだ浮かない顔だ。
「でもまだ9個だよ、トコモン。10個あるんでしょ?紋章って」
「あ、そっか。どこにあるんだろう」
「きっとジュレイモンに酷いことしたデジモンがもってるんだよ。ティンカーモンはそいつの仲間なんだから」
「そっか、じゃあそいつのところに行けば最後の紋章が取り返せるね」
「そうだね、はやくみんなに知らせなくっちゃ」
さあ、いこう、とタケルたちが研究室から出ようとしたとき、部屋全体が真っ赤に照らされた。けたたましいサイレンが響き渡る。侵入者の居場所と奪われた動力源の確保を叫ぶ機械的な声色が研究室全体に響き渡った。
ばたばたばたとにわかに騒がしくなる通路。タケル、にげよう!とトコモンが叫び、うん、と頷いたタケルは足跡がする方向とはまた別の通路に足を向けたのだった。ずいぶんと遅い発見である。もしかしてロゼモンが頑張ってくれたのかな、と思いながら、タケルは走った。
「タケル、こっち!」
「どうしたの?トコモン」
「こっちからにおいがするんだ!」
「えっ!?囲まれちゃったの?」
「違うよ!みんな!攫われちゃってるみんなの気配がするんだ!」
「ほんと!?」
「うん!」
トコモンの指示に従って大きな通路から細い通路を抜け、いくつかの空っぽな部屋を抜けたタケルは、先程NEWデジタマと表示されていたデジタマがたくさん保管されている保管庫に辿り着いたことを知る。
色とりどりのデジタマ、それこそ大きさも大小さまざまなデジタマが所狭しと並べられ、新しい命として生誕するその日を待っている。まるで保育器のような機械の中で、毛布にくるまれながらガラスケースのデジタマは、時折タケルたちの気配を敏感に感じ取ってか、わずかに揺れていた。
膨大な数に及ぶデジタマの通路を駆け抜けていった先には、大きな部屋がある。一転して真っ暗な部屋に足を踏み入れたタケルは、思わず足がすくんでしまった。理科の実験室においてある動物の標本やホルマリン漬けの死体を見てしまった時の恐怖と似ている。
暗闇の中でぼんやりと色付いた蛍光液に浸されたガラスの棺桶の中でうずくまるように眠っているたくさんのデジモン達が並べられている。
完全体は別の部屋に保管されているらしくそれ以下の世代が年代別に並べられていた。
成熟期、成長期、幼年期、ここまで歩いてきたタケルは、まさか、とトコモンを見た。いずれのデジモン達も光のまゆに覆い隠され、発光体のような結晶体として光を放っていた。幸い仲間たちはこの中にはいないようだが、このエリアに幼年期のデジモン達が極端に少ない理由が判明してしまい、タケルは無性に泣きたくなって乱暴に涙をぬぐった。
トコモンが先へ先へと急かすその先には再び螺旋状の階段があって、蝋燭の灯篭が精神的に不安定になりつつある幼い心の陽炎を映し出していた。
「タケルーっ!!」
ばっと顔を上げたタケルが見上げた先には、鉄格子から青色の熱帯植物の花びらがのぞいていた。まるで刑務所のように螺旋階段の壁に所狭しと設置してある牢屋に押し込められているのは、ピョコモンだ。あわててその階段付近を駆け下りて、小さな檻の中を覗き込んだタケルは、心配そうに聞いた。
「ピョコモン、大丈夫?」
「ええ、大丈夫よ。ありがとう、タケル、トコモン。私たちを助けに来てくれたのね」
「たち?たちってことは、やっぱり他にも捕まってるの?」
「ええ、そうよ。ほら。私は寝ている間にさらわれたからすぐに目が覚めたんだけど、他のデジモン達はティンカーモンっていうデジモンに無理やり眠らされて、しかも無理やり操られてここまで来たから、もうボロボロで体力も残ってないの。みんな疲れちゃってずっと寝てるわ。ご飯もちゃんともらえないの」
ピョコモンの向こう側には、死んだように眠っている幼年期のデジモン達が身を寄せ合って眠っていた。バーガモンが証言したデジモン達がいる。どうやら命に別状はないようだが、選ばれし子供たちと引き離されてしまったパートナーデジモン達は、基本的に進化できない。
普通のデジモンとは違って子供たちとのつながりに生存本能を大きく依存しているため、見るからに衰弱してしまうのだ。ろくな扱いを受けていないのは分かる。はい、とタケルは紋章をピョコモンに渡す。
紋章まで!と感極まった様子で涙をぬぐったピョコモンは、なんとか牢屋をこじ開けようとタケルから降りたトコモンを見て、一歩下がった。ピョコモンの技は戦闘には不向きな目くらましの普通の泡攻撃しかない。
壊せそうなツノモンたちは体力を回復しておらず、ずっと寝たまま。さぞかし心細かっただろう。錠の外れる音がして、タケルはデジモン達が瞬きするのを見た。
「みんな、大丈夫?」
「………タケル?」
「そうだよ、僕だよ!トコモンもいるよ!みんなを助けに来たんだ。ほら、紋章も取り返したよ。みんなで逃げよう!」
手を差し伸べてくれる選ばれし子供、かけがえのない仲間の登場にほっとした様子でツノモン達は起き上った。やはり成長期に進化するためにはパートナーの存在が必要不可欠である。
エネルギー体である紋章が帰ってきて、大分元気になったようなのだが、幼年期のまま彼らは進化する様子もない。仕方ない。ここは元気なピョコモンを先導にして、歩けるまで回復していないツノモン達をリュックに押し込んで、脱出するしかなさそうだ。
「私がここに放り込まれるまでの道は覚えているわ。一緒にここから逃げましょう」
「ほんと?」
「ええ。あの結晶化した密林の中に、隠し通路があるみたいなの。あそこからきた奴に私はここに閉じ込められたんだから。間違いないわ」
なるほど。結晶化していく風土病を恐れてふつうのデジモン達は誰一人としてあの密林へ突っ込んでいく者はいないはずだ。
「待って、ここに連れてこられたバーガモン達と一緒に逃げようって約束したんだ。一緒に行ってもいいよね?」
「バーガモン?バーガモンってデジタマモンだった?」
「やっぱり知り合いなの?ツノモン」
「し、しりあいっていうか、その、あ、あははは」
まさか2か月にわたって丈とゴマモンの無断飲食の連帯責任を取って無理やり働かされ、誤解を解くまでヤマトがタケルとの約束を破ってテンプ湖のほとりまで来ることができなかったなんて言えるわけがない。
ふうん、と軽く流したタケルはとりあえずみんなと再会できたのがうれしいのか、にこにこしている。どうするの?とピョコモンに目くばせされたツノモンは、じつはねー、あのねー、と真実を口にしようとするタネモンをあわてて止めた。
首をかしげるトコモンに、ごまかし笑いを浮かべたツノモンはタケルに訊いたのだ。
「みんなでカレー作ったんだけどさ、ヤマトが作ったやつ、物凄く辛かったんだよ。タケルももしかして好きなのかなあーっておもってさ」
「ううん、僕はそんなに辛いの好きじゃないよ。お兄ちゃん、またそんなことしたんだ?もー、お兄ちゃんたら」
「どうしたの?」
「僕とお兄ちゃんが離れて暮らしてるのはみんなしってるでしょ?僕がお兄ちゃんと一緒に遊べるのってすっごく少ないから、お兄ちゃん時々僕をからかって遊ぶんだ。酷いでしょ?すっごく辛いカレーとか作るんだよ。僕そんなに辛いの食べられないのに。そうじゃないと僕が全部食べちゃうから落ち着いて食べられないんだよ、とかいうんだ。僕だってそんなに食べないのに」
ちょっとムッとするタケルに、幼年期のデジモン達はそっかあと笑ったのである。島根のおばあちゃんが作ってくれるおはぎが実は大好きで、甘いものがそんなに好きじゃない、と照れ隠しから素直じゃないことを言ったせいで、弟に全部食べられてしまうという悲しみを時折経験している兄のあてつけなんて慣れっこらしかった。
そして、彼らはピョコモンの記憶を頼りに螺旋屋敷から脱出することに成功したのだった。もっとも主に使った経路は言わずもがな排気口。すっかり泥だらけになってしまった彼らは、真っ先にバーガモンの家でシャワーを使わせてもらうことになる。
降りしきるシャワールームにて、ようやく解放された小さな男の子は崩れ落ちる。わあわあ泣いてしまうタケルから凄まじい体験談を聞いてしまったツノモン達は、慰めることしか出来なかったのだった