ぱ、ぱ、ぱ、と灯りが不自然に点灯し、ぷつっという音を最後に真っ暗になってしまう。しばらくしてナノモンの研究室に設置されている非常電源が作動し、ライフラインは復旧した。
ロボットは眠らない。不眠不休でナノモンの研究室は光が零れ落ちている。休憩室で毛布に丸かってソファに沈んでいるであろうガジモン達は、つかの間の休息だ。
ナノモンのピラミッド迷宮は不眠不休で警戒態勢を敷いている。ぷしゅー、と扉が開き、その入り口に立っている影を認めたナノモンは、対して驚く様子もなくふり返りもしないで言葉を放つ。
「私を殺す気か、お前は。私を初めとするマシーン型のデジモンにとって、電気という供給源が一時的にでも絶たれたらどうなるか再三説明したはずだが?」
「ああ、申し訳ないね、ナノモン。この移動方法は便利だから、ついつい利用してしまう」
「今メールが届いても遅いだろう、大馬鹿。書籍媒体からの移動はいい加減にしろ。この迷宮は古代デジ文字の遺跡データによって電気が供給されているのだ。空間を繋げるためにそのデータを書き換えたら機能を停止するに決まっているだろうが」
ナノモンの前には勝手に書き換えられた古代デジ文字のデータが並んでいる。機能を取り戻すべくブラインドタッチで復旧作業を強いられているナノモンはやや不機嫌だ。
「すまないね、もともとなんと描いてあったか分からないものだから」
「それくらいバックアップを取っておけとあれほど言ったはずだが」
「ああ、気を付けるよ」
「なら好きにしろ。ただし、私の許可なく触れることは許さん。ここは私の城だ。お前は私と同じ目をしている。なにか気になることがあるのなら、率直にいえ。私はお前のそういうところが嫌いなのだ」
肩をすくめた客人は、ゆっくりとした足取りでナノモンの立っている巨大なモニタに近付いてくる。
「で?何の用だ、ワイズモン」
「確かめたいことがあるんだ。ナノモンはタケルとトコモンにあったことがあるだろう?彼らがたまたまとはいえ、D―ブリガードという組織の本拠地らしきエリアに迷い込んだんだがそこで、ダイノ古代境から何者かに持ち去られた筈のデジモン黙示録のオリジナルデータを持ち帰ってくれた、とピッコロモンから連絡があったんだ。ここに描いてある予言の書と照合したくてね」
「ああ、わかった。少し待っていろ」
「それと、もうひとつ」
「なんだ」
「残念なお知らせだ。ジュレイモンが敵の渦中に落ちたらしい。はじまりの街の守護デジモンは選定し直しだそうだ」
ワイズモンから話の詳細を聞かされたナノモンは、ワイズモンがタケルから預かってきたのデータを眺め見て、そうか、と返した。
なっちゃんの先導によって、太一達はデジタルワールドと現実世界の境界である歪みを沿うような形で移動していた。空を飛ぶことができればずっと移動も楽になるのに、となっちゃんは空を見上げているが、ホーリーリングの補助で進化するということは、彼女が成熟期や完全体になるということを意味する。
比較的影響の低いという人間の姿であっても、彼女が歩くだけで街にあふれる電気は異常を発生していた。信号機の調子がおかしくなる。電光掲示板が0と1やデジ文字に覆い尽くされる。ビルのライトが彼女の移動に会わせてランダムに点灯する。
デジモンはデータだ。実体化するには相応の電気やエネルギーが必要となる。彼女はそこにいることを維持するだけでも、相当無理していることが伺えた。かなり自制をかけているのだ。その証拠に彼女は太一たちとの共闘を選んだ。
太一たちと同じ速度で地上を移動することを選んだ。
もしなっちゃんが何も考えないでこの世界に現れたら、は迷いデジモンたちが教えてくれている。上空からのナビゲータを持たない太一達が、なんとか迷い込んだデジモンを追跡できているのは、明らかに異常を発生させている信号だったり、掲示板だったり、時にはオフィスビルがまるで多色モザイクのように点灯して、道標になっているからだ。
やはり完全体にもなると、明らかに電波障害の規模は拡大しているようだ。きっと太一達の移動と連動して電波テロが発生していると勘違いする人がいるに違いない。
テレビを見る限り、カメラなどのメディア媒体はことごとく故障するため、太一達が撮られてしまうという事態は未然に防ぐことが出来ていそうだが、メディア関係者、近隣住民の目撃だけはどうしようもないのが現状である。
特定されてしまいそうな情報が出ないことを祈るばかりだ。彼らしか聞こえない、どおん、という音が少しずつ、少しずつ、近付いてくる。
目の前で再現される光が丘テロ事件の予兆に、息が詰まりそうになっているのは、光だった。
太一と握っている手は明らかに力がこもっている。
「大丈夫か?光。やっぱりなっちゃんと一緒に待ってるか?」
心配そうに聞いてくる太一に、ぶんぶんと光は首を振った。
「ぜったい、や。わたしも行くもん」
トラウマが払拭されたわけではない。それでも、光がここから逃げ出さない理由は、ただひとつ。太一とアグモンはデジタルワールドに戻らなければならないのだとなっちゃんからはっきりと告げられたからだ。
いま、この手を放したらどうなる?妹が大切な太一は間違いなく光を置いていくだろう。ひとりぼっちになることを直感的に悟った彼女は、そっちの方が怖かった。わかったよ、と太一はしぶしぶ頷いて、なっちゃんを見た。
「スコピオモンはね、名前の通り、大きなサソリのデジモンなの。見てわかると思うけど、あのこは完全体。だから、無茶しちゃだめ」
「じゃあ僕が進化すればいいんだね!」
「せめてアイツに追いついてからにしろよ、アグモン!」
「え?なんで?」
「なんでわっかんねえかなあ!ここはデジタルワールドじゃねえんだ。オレたちの世界なんだよ!成熟期になるだけですっげえことになっちまうんだ。完全体になるなら、なるべく短い時間にしないと!」
「えええっ!?じゃあすぐに倒さないといけないの!?」
短期決戦が必須条件になってくるのは明白だ。大丈夫だろうか、と不安げな太一にふってくるのは苦笑いだ。
「手間をかけさせてごめんなさい。私はあの子をお迎えにきたから、倒しちゃったら困るの。ごめんなさい、アグモン」
「そーだぞ、勝手に話捏造すんじゃねえよ、アグモン。なっちゃんがわざわざこっちの世界にまで足を踏み入れたのは、この電波障害をなんとかするためだっていってただろ?
一度ここはグレイモンとなっちゃんが暴れたせいで街がぶっこわれちまったことがあるんだよ。もしまた同じことが起こったら、なんにも知らない人達から見たら、コロモンまで同じ怪物だと思われちまうだろ」
「カイブツ?」
「そうだよ、カイブツ!光みたいに見えてる子がいたらどうすんだ。勘違いしたらどうすんだよ。あの時みたいに、なんにも知らないのに怖がられるの、嫌だろ?嫌われるの嫌だろ?オレだってヤダよ。そんなことになってたまるか」
だから、そのためにはどうしたらいいのだろうか、と太一は先導者を仰ぐ。
「ここがデジタルワールドなら、まだ、考えられたかもしれない。でも、ここはあなたたちの世界でしょう?デジタルワールドじゃないわ。
もしこっちの世界でデジモンが死んじゃったら、きっとデジタマにはなれないの。ここからじゃダークエリアにアクセスできないもの。
転写されたデータがいくところは無くなってしまう。きっと幽霊になっちゃう。そんなの、だめなの。絶対に。可哀相でしょう?」
そりゃなおさら大変だって太一とアグモンは気を引き締めるのだ。光だけがついていけなくてきょとんとしている。なっちゃんは手短にデジモンの生態について説明した。
そして、これから相手をすることになる通称砂漠の暗殺者について情報を提供するのだ。太一たちは何も知らないまま突っ込んでいたらと思うと背筋が凍る。スコピオモンは昆虫型デジモンの完全体であり、データ種であると彼女は言う。
暗黒の力の影響は一切受けていない、純粋な意味での野生のデジタルモンスターの透明体であり、すなわちデジヴァイスによる浄化に伴う弱体化は狙えないと言うことだ。
スコピオモンは視界部分を破壊するというとんでもない毒が含まれている毒霧を得意とし、蠢く真っ黒な靄を確認することが出来ても、スコピオモンのシルエット以上の情報が得られない。
姿なき敵は、それだけでも相当なプレッシャーと太一たちに与えていた。いつまでもスコピオモンとの追いかけっこに付き合うわけにはいかないのだ。太一の後ろには、すっかり息が上がってしまっている小さな女の子がいる。
精神的に緊張しきっている彼女は気付いていないが、明らかに無意識のうちに蓄積している疲れは、光の意志とは関係なく体を蝕んでいる。
力が入らないことを射抜かれた光は、申し訳なさそうに、ごめんなさい、とうつむいた。
あーもー、なんでそうなるんだよ、と太一は笑うのだ。そして、ばーか、と言いながらむにーと光の両頬を引っ張ったのである。今までのお兄ちゃんだったなら、頭を撫でてくれたり、励ましてくれたり、ごめんと謝って困ったような顔をして頭をかくはずなのにそこにいたのは。
突然の暴挙に驚いた光ははじかれたように顔を上げるが、まるでもちのごとくよこに引き延ばされてしまってはじんわりと痛みが熱を帯びる。おひいひゃん、いはいよう!と光は必死で抵抗するのだが、くるくるくる、と回されてしまう。
くすくす、とみんなに笑われてしまった光は、太一がぱちんと放してくれた真っ赤な頬をさするのだ。熱を持っている頬をさする光は、すっかり涙目である。太一はくしゃりと前髪が汗でぴったりとくっついてしまっている妹の髪を撫でた。
「なーにがごめんなさいだよ、なんも悪いことしてないのに謝るなよ」
最初っからそうすりゃいいんだよと一言多いお兄ちゃんは、ささやかな抵抗に思いっきり飛びつかれたのである。ちょっとよろめきながら、太一は笑った。
「まだ、走れるか?」
「うん、がんばる」
こくりと頷いた光を見下ろして、なっちゃんは空中に浮遊する。
「デジヴァイス、かざしてみて」
「え?」
「いいから、はやく!あなたのデジヴァイスなら、きっとあなたたちを守ってくれる機能が追加されてる筈だから」
え?と顔を上げる太一を、お兄ちゃん、と叫ぶように言葉を紡いだ妹が遮る。あれ、と光の人差し指の先を見た太一の前に現れたのは、必死の逃亡劇を共に歩んできた影が突然後方と前方に分かれ伸び始めた奇妙な光景である。
どんどん本人の許可も得ずに足元から細長く伸びた光の影が2つ出来上がっていく。コロモンを通り過ぎ、警戒態勢に入ったなっちゃんの背中を逃げていく影がある。
もう一方は、どんどん伸びていって、後方にある水晶体の瓦礫の山にまで頭が突っかかりそうなほど細長くなっていた。おかしい、と太一は直感した。背後はどんどん暗闇に飲み込まれていくのだ。
太一たちはひたすら太陽を背にスコピオモンの姿を求めて走り続けていたはである。まるで通路の電灯以上に強烈な光を放つスポットライトが後方から浴びせれ、よりくっきりとした影が形成されているような状況は明らかにおかしかった。
いわれるがまま、オレンジ色のデジヴァイスをかざした太一は、デジヴァイスが異常な音と振動を震わせて、鮮やかなバリアを張った事を知る。
「スコピオモンたちがきたみたい!」
その瞬間、太一と光は初めてスコピオモンの姿を目撃することになる。瓦礫のわずかな隙間から流れていく空気の流れに従って、どんどん瓦礫の防壁が黒い煙で覆われていく。そして、黒い煙は黒い靄となり、やがては黒い霧として次第に暗闇との輪郭があいまいになっていくのだ。
黒い霧の中におぼろげなら浮かんでいたシルエットが次第に鮮明になっていく。どんどん遠ざかっていくはずなのに、輪郭がくっきりとしてくる。豪快に振り下ろされたのは、獲物を八つ裂きにするために特化した大きな鎌。
そして、相手を麻痺させて動きを封じる毒を注入するために付随している血のように真っ赤な刃物。
そして、どおおおおおおおおん、というすさまじい激音が響きわたったのである。そして、太一と光は閃光を見た。なっちゃんは一瞬だけ人とは全く異なる影をうつした。
「お願いだから、ひどいこと、しないで」
真っ黒な羽根が舞う。いや、黒を帯びている紫色に燃えた羽根が舞った。突然後ろから放たれた突風。スコピオモンを牽制するために、なっちゃんは攻撃を放った。太一は、とっさに光をかばうようにして抱きかかえる。
「きゃああっ!」
絹を裂くような光の悲鳴が響き渡った時、容赦なく太一と光を巻き込む形で突風が吹き抜けた。毒霧が一気に吹き飛ばされて拡散し、つかの間の安全地帯が形成されるが、空気の流れに乗って黒い風が激しく吹き荒れる。
その様子をまじかで目撃したアグモンは、いても経ってもいられなくなって大きく跳躍したのである。
「太一っ、光っ!!」
アグモンの瞳が戦闘本能で一気に染め上げられた。デジヴァイスの光に包まれたアグモン、そしてグレイモンに進化する。豪快に切り裂かれた瓦礫の山は、あっけなく木端微塵に粉砕され、跡形もなく切り崩されてしまった。
身の毛のよだつような足音と共に広がっていくのはブラックアウトの霧である。毒霧に浸食されていく道路は、前方も後方もどんどん暗闇に堕ちていく。あれだけ明るかった現実世界がなっちゃんの風壁によって守られてい場所しか光源がなくなっていく。
退路を失った太一たちは完全に挟み撃ちされてしまったのである。一気に吹き込んでくる毒の黒霧の中から姿を現した砂漠の暗殺者は、すさまじいスピードで襲い掛かってきた。
砂漠地帯という過酷なエリアを【生きる】というただ一点に特化するためだけに、極限まで必要最低限の構成データを追及していった結果、
スコピオモンは暗黒進化の象徴であるスカルグレイモンのごとく白骨化したような姿をしていたのである。
身の毛のよだつような足音を響かせながら一気に加速する完全体がとうとう姿を現した。黒い霧が広がっていく。まずい、と太一たちはじりじり、じりじり、と後ずさりした。
しかし、少しずつ距離が詰められている。フットワークが軽い。動きが俊敏見上げるほどの鋏顎を振り回し、巨大な尻尾を持っているにもかかわらず、スコピオモンは微塵も感じさせまいと、凄まじいスピードで近づいてくる。
スコピオモンの巨大な鋏が振りかざされたそのときである。コロモンの瞳が戦闘本能に染め上げられた。
「太一」
太一ははじかれたように顔を上げた。
「光」
光は顔を上げた。
「ボクが君たちを護る。だから、ボクに、力を貸してくれ!」
ぐっと握りこぶしを作った太一は、力強くうなづいた。
「行くぜ、グレイモン」
「頑張って、コロモン!」
大きく響く勇ましい咆哮が響き渡った。その瞬間に、光の太一の胸元に揺れていたデジヴァイスがすさまじい光を放つ。溢れだした光が細く長い鎖となって幾重にも螺旋を描く。
突き動かされるように、激しく反応し始めたのは、勇気の紋章だ。光は驚いて太一の胸元に輝いている太陽を見る。オレンジ色のデジヴァイスが青色からオレンジ色へと塗り重ねられた光の渦にタグを導いていく。
勇気の紋章がタグから解放される。太陽を模したオレンジ色の紋章が天空に舞い上がる。そして、光は、生まれて初めて、デジタルモンスターを目の当たりにすることになる。
「いっけええ!メタルグレイモン!」
グレイモンとは比べ物にならないくらいの巨体が光たちを守るために、スコピオモンの前に立ちはだかる。ごおっという風を切断する音がした。
スコピオモンの巨大な尾がメタルグレイモンめがけて豪快に振り下ろされる刹那、光が今まで見たことがない武装に身を包んだコロモンという名のトモダチは咆哮した。
「オーヴァフレイムっ!!」
メタルグレイモンから、灼熱の業火が吐き出される。スコルピモンの胴体に突出している4つの鎌が向きを変えたのだ。もちろん真っ赤に染まっている鎌にとらわれたら最後、視界を完全にブラックアウトさせる猛毒が襲い掛かることになる。メタルグレイモンは間髪で最初の奇襲から逃れると、風を切り裂く音がする。
「撃て!メタルグレイモン!」
いっけええええ!興奮した様子で高らかに声を上げた太一の声援が響き渡る。圧倒的な熱気にさらされて、一瞬ひるんだスコピオモンのすきを狙い、メタルグレイモンは、トライデントアームをさく裂させた。
「おうちにかえりましょう?ここはあなたたちのいるべきところではないわ」
太一のデジヴァイスを捕捉したデジタルゲートが起動する。そして、デジタルワールドへと続くゲートが開かれるのは、ほぼ同時だった。