正三角形を上と下に向けて重ねたような六本分の線分が交差する図形。変わった形が鎮座している石室に彼らはいた。六角形の各辺を延長して構成されている図形の名は、ある方面では広大な宇宙を現すため神聖、もしくは神秘的な印象を与える六芒星である。
もっとも子供たちにとってはもっと簡略化された、一筆書きの図形の方がお馴染みかもしれない。おかげで派手な演出で物議をかもし、世界最悪の悪人と書きたてられた神秘主義者の魔術師との関連からオカルトチックな印象しか浮かばないのはお約束である。
異世界へのゲートは、九枚のカードを石版の決められた九つの場所に、ある法則にのっとって設置されることで開かれる仕組みになっている。
カードにはそれぞれデジモンの絵が描かれている。石版には、縦横に三枚ずつ並べられたカード置き場が設置され、横の列には右から順番に☆、☆☆、☆☆☆という項目がレリーフとして彫り込まれていた。
そして縦の列には上からライオン、弓を射る上半身が人間で下半身が馬のような男、猿の絵が描かれていた。カードを間違った置き方をすれば、現実世界でもなく、デジタルワールドでもない全く別の世界に飛ばされる可能性があり、
また場所によってはゲートをくぐる時点で肉体を構成しているデータを破壊し、崩壊消滅してしまうおそれがあるため、適当に並べるわけにはいかない。
ちなみにヴァンデモンが残した置き土産は、9枚のカードだった。アグモン、クワガーモン、アンドロモン、ユニモン、エレキモン、ドリモゲモン、ガジモン、デジタマモン、トノサマゲコモンである。
何か法則性があるとすれば、まずはカードの意味を知る必要があるだろう。
デジモンアナライザーの出番である。光子郎のパソコンからデジモンアナライザーが起動した。そしてゲンナイからもらったばかりの接続端子に自分のデジヴァイスを繋げ、データをダウンロードしながら検索する。みんな彼の一挙一動を後ろから観察していた。
アグモン、爬虫類型デジモン、成長期、ワクチン種
クワガーモン、昆虫型デジモン、成熟期、ウィルス種
アンドロモン、サイボーグ型デジモン、完全体、ワクチン種
ユニモン、幻獣型デジモン、成熟期、ワクチン種
エレキモン、哺乳類型デジモン、成長期、データ種
ドリモゲモン、獣型デジモン、成熟期、データ種
ガジモン、哺乳類型デジモン、成長期、ウィルス種
「あとはトノサマゲコモンとデジタマモンだけですね」
かたかたかたと打ち込まれたいずれもエラー音と共に表示されるのはNO DATA。
「あ、そっか。僕は会ってないデジモンたちばかりだから表示されないんだ。誰か、トノサマゲコモンとデジタマモンと会ってる人はいませんか?」
「じゃあ、私のデジヴァイスを使って、光子郎君」
「はい、ありがとうございます、空さん」
空から受け取ったデジヴァイスにより、データが新しく更新される。
トノサマゲコモン、両生類型デジモン、完全体、ウィルス種
デジタマモン、パーフェクト型デジモン、完全体、データ種
「これか!やったな、光子郎。きれいに成長期、成熟期、完全体に分かれるじゃないか」
嬉しそうに太一が光子郎の肩を叩いた。嬉しそうに光子郎も頷く。
「はい、これなら丁度3つのグループに分けることができますね。たぶん☆の数が少ない方が世代的に幼い年代なんだと思います」
「☆が成長期、☆☆が成熟期、☆☆☆が完全体ってわけか」
つまり、成長期にはアグモン、エレキモン、ガジモンのグループ。
成熟期にはユニモン、ドリモゲモン、クワガーモンのグループ。
完全体はアンドロモン、デジタマモン、トノサマゲコモンのグループ。
ちょうど3つに分かれるということだ。
「でも、この猿と弓を持ってる馬みたいな男とライオンはなんなんだ?これもなにか法則性がありそうだな。うーん、星座か?」
「でもヤマトさん、お猿さんって星座ありましたっけ?」
「え?いや、聞いたことないな」
なんだろう、と腕組みをして考える子供たちに習ってデジモン達も考える。
「でもなんでこの猿、サングラスなんてしてるんだろうなあ。なんかエテモンみたいだ」
ダークエリアに送られたであろうかつての宿敵を思い浮かべながら、ラヴ・セレナーデのジャイアンリサイタルでもやってそうだとつぶやいた太一の一言に、みんな一斉に振り返る。
え?な、なんだよ?とびっくりした様子で瞬きする太一に、光子郎はありがとうございます、と声を上げた。本人はよく分かっていないらしく、疑問符を浮かべている。
「ナイスです、太一さん。きっとこの絵はエテモンなんですよ」
「え?ホントかよ」
「はい、☆が世代を示しているのなら、ちょうど3つずつに分かれるグループがもう一つあるはずです。それを示しているんじゃないでしょうか」
「えーっと、種族はバラバラだし、生息域もバラバラみたいだしそうか、属性だ!ワクチン種、データ種、ウィルス種ってのに分かれてんだな、へえ」
「ちょっと待っててくださいね。えーっと、エテモンはウィルス種のようです」
これで一番下段の列は判明したことになる。エテモンの列にはウィルス種のデジモン3体が☆が示す世代ごとに並べられるわけだから、右側から順番にガジモン、クワガーモン、トノサマゲコモンだ。
これで残りのカードは6枚だ。ヒントは弓を弾く男とライオンである。どちらかがワクチン種、どちらかがデータ種ということになるだろう。
「弓持ってるこいつ、なんかケンタルモンに似てないか?下が馬みたいで、上が男みたいだし」
「でも太一、ケンタルモンは弓ではなくてレーザー砲じゃなかったかい?」
「あー、そう言えば腕が機械なんだっけ?じゃあなんだよ、こいつ」
ケンタルモンに似ている風貌の謎のデジモンのレリーフを食い入るように見つめながら、太一たちは懸命に考えるが、いまいち思いつかないようだ。
「なあ、そのレリーフ、もっとよく見せてくれよ!」
さっきから子供たちに周囲を占領されてすっかり蚊帳の外だったデジモン達を代表してか、ブイモンが我慢できなくなったのか不満たらたらに声を上げた。ぴょんぴょんジャンプしながら懸命に主張するブイモンに行き詰まりを見せていた光子郎たちは突破口となる発想を期待して
ちょっと横にどいてくれた。
どれどれ、とカードを設置する石版を背伸びしながら見上げたブイモンは、こともなげに言い放つ。
「これサジタリモンじゃない?」
「サジタリモン?サジタリモンって魚釣りに行った時に言ってたあのデジモンのこと?」
「うん、そうだよ」
「え?ガブモン、しってるのか?」
「ううん、違うよ、ヤマト。古代デジタルワールド期にケンタルモンの群れの中で一番偉いデジモンがいたって話をブイモンから聞いてたんだ」
「へー、ブイモンが言ってたサジタリモンってこんなやつなんだ」
「間違いないのか?」
「うん、間違いないよ。ここの炎の塊みたいな腕とか、一角が生えた真っ黒な頭とかオレがデジメンタルで進化できる別のデジモンのデータが混ざってるんだ。それに弓を使った必殺技があったはずだから、サジタリモンだと思う」
「そこまでそっくりなら、この絵はサジタリモンってやつで決まりだな、光子郎」
「サジタリモンはブイモンたちがデジメンタルで進化する古代種なんですよね?でもこれじゃあワクチン種でもデータ種でもありませんよ」
「でもそれは古代デジタルワールド期の話だろう?今はそうとは限らないんじゃないかい?」
「あ、そっか、そう言われてみればそうですね。じゃあ、一度ケンタルモンに聞いてみます。サジタリモンがケンタルモンの長だった歴史があるのなら、きっと何か知ってるはずですし。ちょっと待っててくださいね、ゲンナイさんの隠れ家のアドレスはっと」
しばらくして長期療養中のエージェントを看病しているケンタルモンから返事が届いた。
「大正解です。ありがとう、ブイモン。どうやらこの絵はサジタリモンで間違いないみたいだよ」
嬉しそうにブイモンは笑った。
「ケンタルモンの上位種族に位置するデジモンで、幻といわれている存在だそうです。ごく稀にケンタルモンがサジタリモンに通常進化することがあるみたいなんですが、力の消費が膨大すぎて、すぐに元の姿に退化してしまうらしいです。
ゲンナイさんによれば、古代種のデータを構成因子として強く引き継いで生まれてきたデジモンだった場合、たとえそれが現代種のデジモンであったとしても、古代種しか進化できないはずの進化形態になることもあるそうですよ。
その現代種としてのサジタリモンはデータ種だそうです」
これでサジタリモンの列にはデータ種が並ぶことになる。☆ にはエレキモン、☆☆にはドリモゲモン、☆☆☆にはデジタマモン。残るカードはアグモンとユニモンとアンドロモンである。
「ってことは、このライオンは」
みんな顔を合わせて頷いた。
「レオモンだ!」
規則正しく並べられたカードがようやく起動する。石版全体をスキャンする蛍光色の横棒が上から下に流れていったかと思うと、デジモンのカードが一枚、一枚、幻想的な光に包まれて、かち、かち、と本来あるべき場所にレリーフとして埋め込まれていくではないか。
そしてその光は石室全体を包み込んだかと思うと、祈るような気持ちで強く両手を握り締めて目を閉じている子供たちを乗せて、石室のエリアごとデジタルゲートが開き、現実世界への扉が開かれることになったのである。
真っ白な球体のデジタルポイントは、四角い画面がたくさん表示されている。それは、会社、学校、自宅、イベント施設、政府機関、公共施設とネットで繋がるすべてのパソコンが、デジタルワールドの入り口となっていることを示していた。その真ん中に立っていたなっちゃんは、がしゃん、という無機質な音を聞いた。
無遠慮に響いた冷たい音に、びくっとして顔を上げたなっちゃんは、体をすくめる。音のする方に目を向けるとひとつの画面が鉄格子に閉じられている。ガラガラガラ、と突然出現したシャッターによって完全に封鎖されてしまった。
おどろいてそちらに向かったなっちゃんは、鉄格子に手をかけてみるが、しっかりと施錠されている窓のようにびくともしない。ひんやりと冷たい格子がなっちゃんを拒んでいた。こんこん、と格子の間に腕を差し入れて叩いてみるものの、分厚い壁の音しかしない。
一体何がどうなっているのだろう、ホメオスタシス様からは何も聞いていないのに、といつかと同じ状況になりつつあることに気が付いて、なっちゃんは息を飲む。
あのときもそうだった。突然八神家のパソコンに通じるデジタルゲートに、侵入を拒むセキュリティシステムが作動して、ゲートの封鎖が発生したのだ。
さいわいこのゲートは特に利用する予定もないからいいけれど、嫌な予感がする。背筋を走る悪寒はきっと気のせいではない。脳裏をよぎる悪夢に彼女は首を振る。そんな矢先、またガシャン、という音が響いた。今度は真逆のゲートである。
なっちゃんをあざ笑うように、デジタルゲートの封鎖がまたおこなわれた。鉄格子にシャッターという味気ない装飾は、真っ白な世界には灰色の染みに見える。まるでこちらが閉じ込められてしまうような錯覚を覚えてしまう。ぞくぞくする恐怖がなっちゃんに込み上げてくる。
さすがに不安になってきたなっちゃんは、今の現状が知りたくて救援要請を求めた。ガシャン、とまた音がする。アドレスを打ち込む音が震えた。ガシャン、ガシャン、と音が加速していく。ガシャン、ガシャン、ガシャン、と冷たい金属の音がゲートポイントに響き渡った。
なっちゃんが周りを見渡すと、凄まじい勢いでデジタルゲートが閉じられていく。灰色の染みが真っ白な空間を染め上げていく。どんどん埋め尽くされていく。このままではこのゲートポイントがつかいものにならなくなってしまう!
どうしよう、どうしよう、と必死でセキュリティシステムからのメールを待ち望む彼女の目の前で、真っ白な世界は灰色に覆われていった。
瞬く間にゲートポイントから移動できるデジタルゲートの数が減っていく。
なっちゃんは、デジタルゲートを自由に開閉できる権限が認められていない。このままではこの場所に閉じ込められてしまうかもしれない。
さすがにそうなってしまうと、ホメオスタシス様に助けてもらうまで現実世界に迷い込んでしまうデジモン達を保護するお仕事ができなくなってしまう。
それだけはだめ、と判断した彼女は、いつまでたってもこないメールの返事をあきらめて、最後のひとつになってしまったデジタルゲートひとつに飛び込むことにした。四角い世界が広がる。すぐうしろでは、がしゃん、という恐怖をあおる音がする。
完全に封鎖されてしまった灰色の壁があるだけだ。なっちゃんは完全にはじきだされてしまった。どうしよう、と途方に暮れたなっちゃんだったが、現実世界を観測できないとまずい。光が丘に拠点を置いていたゲートポイントは諦めて、違うゲートポイントに移動することにしたのだった。
なっちゃんが送ったSOSメールに返信が届いたのは、彼女がお仕事の場所を隣の区にあるゲートポイントに定めたころだった。ホログラムを心配そうに覗き込んでいたゲンナイやピッコロモン達は、なっちゃんが無事だと確認して、ほっと胸を撫で下ろしたのである。
「ああ、よかった。やっと通じたわい。大丈夫かのう、なっちゃんや」
「いったいどうしたの?ゲンナイ様」
「それがのう、こちらの世界から突然光が丘のゲートポイントだけアクセスできなくなったんじゃ。いきなりゲートポイントからデジタルゲートがつかえなくなって、完全に制御不能に陥っておる。おそらく、あちらの世界の影響がこちらにも出始めておるんじゃろう」
「こちらの世界とあちらの世界が繋がり始めてることが原因なの?」
「いや、事態は思ったよりも深刻じゃ。違法電波とされるのは致し方ないとはいえ、その範囲が明らかになっちゃんの活動範囲を超えておる。初めは光が丘団地だけだったのが、ほんの数十分の間に練馬区全体にまで及び始めているんじゃ。
ネットワークはもちろん、電磁波を使うライフラインや交通機関は完全に麻痺して、機能しておらん。あの日の教訓からまだパニック状態にはなっておらんが、いつまでもつか分からんのう。
光ヶ丘のゲートポイントはもう完全に隔離状態になっておる。こちらからでは干渉することができんのじゃ。すまんが、なっちゃんはそのゲートポイントから活動を再開してくれんか」
「わかったわ、がんばってみる」
こくりとうなずいたなっちゃんに、ゲンナイは申し訳なさそうに目を伏せた。暗黒勢力による意識誘導は、常時行われている。無意識とゲンナイは戦い続けている。この隠れ家エリアでしか、ゲンナイは活動することができない。
少しでも気を緩めれば、ダイノ古代境に向かおうとしてしまう自分がいるのだ。意識を乗っ取られて、主導権を握られてしまったが最後である。生き残りのエージェントとして、まだゲンナイは正気を失うわけにはいかなかった。
それをしっているなっちゃんは、なにを言えばいいのかちょっと困ってしまう。ゲンナイはひょうひょうとした様子で笑った。すると、ゲンナイの隣でなっちゃんとの会話を聞いていたピッコロモンが、突然画面の端に見切れて、見えなくなってしまった。
どうしたのかしら?ってそちらの方向に目を向けたなっちゃんは、慌てた様子で画面の中に再び入りこんできたピッコロモンを見た。
「残念なお知らせがあるっぴ、なっちゃん。光子郎たちは止めることができなかったようだっぴ」
「………そう」
「なっちゃんが光が丘のゲートポイントから追い出されたのも、きっとそのせいだっぴね」
「………そう、だね。わたしが光が丘とサマーメモリーズに行ったのは、あのお城からだから。旧システムは全部、あそこで管理してたもの。管理者権限で追い出されちゃったのね」
「光子郎たちはそのまま追いかけるつもりだそうだっぴ。あそこから直接光が丘のエリアに飛んだら、少しでも被害が抑えられるかもしれないっぴよ」
「わたしも行った方がいいのかな」
「なっちゃんは別のエリアを回ってほしいっぴ。違法電波のエリアはものすごい勢いで拡大してるらしいんだっぴよ。きっと地下水道やトンネルを通って、移動してる奴らがいるんだっぴ。少しでも返してやらないとまずいっぴよ」
「そうだね。そうする」
「うん、お願いす」
「どうしたの?ピッコロモン」
「光子郎からメールがあったっぴ。どうやら無事にゲートを開くことができたらしいっぴ。9枚しかないなら間違えようがないっぴね」
「9枚?本当に9枚っていったの?」
「え?そ、そう書いてあるっぴよ?」
「ちがう、ちがうわ、ちょっと待ってってメールして、ピッコロモン!あそこのカードは、ホントは10枚のカードがあるはずなの!1枚足りないわ!どっちも大事なカードなのに!」
必死で叫ぶなっちゃんに気圧されて、ピッコロモンは大慌てで光子郎にメールする。時は一刻を争うのだ、写真を見せてくれと叫ぶなっちゃんに転送されるメール。添付されていたヴァンデモン城地下に存在する旧ゲートの管理室の写真。食い入るように見つめていたなっちゃんは、デジモンの絵柄にさっと顔色を変えた。
「ゲンナイ様、急いで旧ゲートを別のゲートポイントにつないで!みんなをそっちに転送して!そうじゃないと大変なことになっちゃう!」
1995年、時空のひずみに落ちてしまったデジタマを回収するために、デジタルワールドは現実世界とつながるデジタルゲートを作り上げた。光が丘のゲートがヴァンデモンの勢力によって占拠されてしまった以上、利用されてしまうことは必然だったと言ってもいい。
なっちゃんの機転により寸前のところでトラブルは未然に回避されることになった。太一たちは光が丘にいくはずの転送装置から、いきなり真っ白な空間に投げ出されるはめになって驚いたのだが、なっちゃんから詳細を聞かされてほっとするのだ。
ゴマモンのカードは、光が丘団地へのデジタルゲートだとすれば、初めから残されていたアグモンのカードは、アメリカ行きのゲートだったのである。あっぶねえ、と冷や汗をかいた太一たちだった。
誰が考えたのかは知らないが、とんだトラップである。そして彼らは、デジタルワールドから現実世界に安全に送り届けられるという理由から、結局、サマーキャンプのデジタルゲートに転送されることになったのだった。
豊かな自然に恵まれた壮大な景観が魅力の御神渓谷は、標高520mの場所にあり、夏は涼しく暑い日でも木陰に入れば、のんびりとした時間が流れている場所である。川のせせらぎや鳥の鳴き声により、くつろげる場所として有名なこの渓谷は、この地区を代表する紅葉の名所から、さらにバスで20分ほどの山間部に位置している。
様々な形をしている岩石の群とサンショウウオなどの多様な動植物が棲息するこの渓流は地元住民により保護活動と景観整備が進められ、より自然を身近に体感できるため、マス釣りやバーベキューを楽しむことができ、遠方からも多くの人々が訪れていた。
本来であれば、午後からは廃校となった旧小学校を改築して作られた工房で、木工ろくろで器を作る教室や小枝のクラフトを作成する体験学習が行われる予定だった東京からの団体がある。
季節外れの豪雪により安全を確保するために提供してもらった工房の一角には、中止になってしまったサマーキャンプの不満をがやがや騒いでいる子供たちがいた。家に帰るための荷造りを子供会の役員である大人たちに指示された彼らは、ようやく落ち着いてきた天候により、下山することができないのではないか、という最悪の事態を回避することが出来てほっとしているのだった。
突然降り始めた大雪により、真夏の穏やかな渓流は一面真っ白な銀世界である。一歩外に出たならば真っ白な息を吐き、夏服の軽装は間違いなく体調を崩しかねない。旧小学校の木造建築物に暖房なんて最新器具が設置されている訳もなく、工房をやっているスタッフたちが慌てて奥の倉庫から引っ張り出してきたストーブがたくさん並べられている。
さすがに灯油を使用するストーブは、灯油なんてストックされていない以上役には立たなかった。
まきをくべる大人たちがいるストーブ周辺しか暖を取れない中、様々な学年の子供たちは、思い思いの場所で暖を取りながら、到着が遅れているであろう観光バスの到着を待ちわびていた。
そんな中、子供会の役員のひとりでもあるお台場小学校5年2組の担任をしている藤山市郎先生は、スタッフの人から貸してもらった上着を羽織りながら、息を切らして同じ役員の男性と合流する。
どうでした、と何度繰り返したか分からない問答には、首を振って答えるしかない役員の男性である。そして、紅葉の楽しめる別のキャンプ場に捜索範囲を広げていた役員のメンバーもようやく帰ってくるのが見えたが、大人しかいないのを見るやいなや藤山先生の目には明かな落胆が伺えた。
すっかり雪に濡れてしわくちゃになってしまっているパンフレットを眺め見て、藤山先生はマーカーで多くの×がつけられた地帯に、新たに3つ×を付け加える。サマーキャンプに参加していたはずのメンバーが7名行方不明になってから、もう1時間が経過しているのが分かる。
頼むから無事でいてくれと願いながら、藤山先生は自分の教え子3人を含む子供たちの捜索のために声を張り上げた。突然の豪雪により薪拾いにいっていた子供たちは方向が分からなくなって遭難した可能性が色濃くなってきたのである。豪雪の影響か今まで通じていたはずの携帯電話が使えなくなってしまった以上、警察に連絡するには一刻も早くここから下山して最寄りの施設に電話するしかない。
心配そうな顔をして窓の向こう側で子供の捜索を続けている大人を見ている子供たちと視線があった藤山先生は、心配するな、絶対見つけるから、と何度目になるか分からない返事を返して、子供たちが避難した可能性がある範囲をさらに広げていくことを役員のメンバーに言うことにした。
その時である。
真木を拾いに行った我が子の携帯電話が急に通じなくなったと相談しにきた捜索隊メンバーのひとりが、何度かかけては落胆していた携帯を耳に押し当てながら、大きな声で我が子の名前を叫ぶのが聞こえたのは。
思わずふり返った藤山先生たちが見たのは、必死で探し続けていた我が子の声をようやく聞く事ができた喜びから、感極まって言葉を紡げず、ただ何度も確かめるように名前を呼んでいる憔悴しきった母親の姿である。
積もりに積もった雪を踏み分けながら彼女の周りに駆け寄った大人たちに気づいた役員たちは、7名の子供たちが皆無事であることを知って歓喜にわいた。そんな大人たちの反応を敏感に察知した子供たちはにわかに騒がしくなる。
いても立ってもいられなくなったのか、数名の子供たちは勢いよく外に飛び出して駆け寄ってくる。
「神社、ええ、分かったわ、神社にいるのね、大輔。え?だめだめ、じっとしてなさい!今からお母さんたちが迎えに行くから、ね、いいわね、みんなにはそこにいるよう伝えて頂戴。
勝手に動いちゃダメよ!大雪が降って道が分からなくなってるんだから!うん、うん、そう、それでいいわ。電話は切らないでね、今、藤山先生と変わるから。大輔、誰か上級生の子と変わってくれる?」
そして彼女は熱くなる目尻をぬぐいながら、携帯電話を藤山先生に手渡して、詳細を訊きたがっている子供たちに向かって行方不明の子供たちの無事を伝えた。
「大輔たちが見つかったってみんなに伝えてくれる?散歩道の先にある境内の中にいるんですって」
はい、と元気良くうなづいたメッセンジャーは、転がるような勢いで廃校の中に吸い込まれていく。しばらくして、子供たちも一緒に迎にに行くと言い出して、スタッフに止められていた。
よかった、と大きく胸をなで下ろした彼女にねぎらいの言葉をかけるのは、1時間にわたって子供たちを捜していた役員や保護者の大人たちである。若干涙ぐみながら、はい、はい、と大きく頷いた彼女は、我が子がいると教えてくれた、今はすっかり寂れている神社の境内がある方角を見つめたのだった。
「あー、よかった。ホントに良かったですね、本宮さん。しかし、よく中に避難できましたね。たしかあの神社って鍵がかかってるってスタッフの人がいってませんでしたっけ?」
「古い建物だから、急な豪雪でドアが壊れちゃったのかもしれません。大輔は鍵なんてかかってなかったって言ってましたけど」
「そうですか、まあ、そのおかげでみんなこんな寒い中雪風をしのぐことが出来たんですから何よりですよ。とりあえず、みんなを迎えに行きましょうか!」
「はい!」
きっと1時間に渡って閉じこめられていたであろう神社の中は寒いに違いない。一刻も早く迎えに言ってやらなければ、と意気込む大人たちは、毛布や上着を抱える。ゆっくりと降り積もっていく季節外れの雪の中、この辺りを観光案内していスタッフを先導にして進むことになったのだった。
「やばい、やばい、ヤバいっすよ、みんなこっちにくるって!どうしよう!」
しー、と藤山先生からの電話の応対をしている丈から人差し指を押し当てられた大輔は、スイマセン、と小さく謝った。しかし、大輔の動揺から事情を察知した子供たちは一気に騒がしくなる。
受話器の辺りを押さえつつ、ちょっとみんな静かにしてくれよ、と丈は叫んだが効果なし。あわてて神社の境内から飛び出すと、PHSに手をおし当てた。ぎゃーぎゃー騒ぎ始めた子供たちが叱られることを恐れている、とあること無いことでっち上げてしまえばいい。不審がる藤山先生からの追求を誤魔化すことになっている。
生まれて初めてパートナーである子供たちの世界にやって来たデジモンたちは突然、神社の建物の中から出るな、じっとしてろっていわれてきょとんとしている。彼らが生まれ育った世界を一刻も早くこの目に焼き付けたい、空気を吸ってみたい、目で見てみたい、耳で聞いてみたい、匂いをかいでみたい、大地を踏みしめてみたい、とわき上がる衝動を抑えきれる訳がないのだ。
ちょこまか動いて、なんで!?と必死で抵抗しているデジモンたちは一匹残らず腕の中に収まってしまう。ゆいいつの光源である木枠格子の向こう側には、真っ白な世界が広がっていた。
子供たちも半年ぶりに帰還した現実世界に大喜びして、一刻も早く友達や家族と再会したいのは山々である。
でも、この腕の中にいるパートナーデジモンたちの処遇を考えた時に、高揚する気持ちは一気に吹き飛んだ。どうしよう!?という困惑と混乱と焦燥に襲われることになってしまった。
デジモンたちを今すぐ隠さなければ行けない。
ついでに隠しながら家に連れて帰らなきゃいけない。今、子供たちがいるのはサマーキャンプをしている東京郊外の山の中なのである。2台の大型バスでやってきたことが遠い昔のように思えるが、サマーキャンプが豪雪により中止、これからバスが到着次第帰路につくらしい。
ということは、問答無用で子供たちは大型バスに乗らなければならないのだ。バスで片道20分以上もかかる山の中を徒歩で帰るのは無謀だし、勝手に行動してはまた大人を心配させる。
デジモンたちの影響で電化製品が壊れてしまうと言う事実を太一から聞いている以上、運転席を通る際、バスにそのまま乗せることが出来るのはどうやら幼年期までらしい。
デジタルゲートをくぐり抜ける時は、幼年期でねってなっちゃんに言われたので、0と1のデータから肉体をもらったデジモン達は、今のところ一律で幼年期だ。これでバスにデジモン達が紛れ込んでも、バスが壊れて事故に遭うことはない。
だから、あわあわしている子供たちを理解できずに、デジモンたちは困惑しきりだ。とりあえずこの中で現実世界でのデジタルモンスターの扱いについて一番良く知っているアグモンと太一が説明に周るはめになる。
折角ヴァンデモンを何とかしようって意気込んだのに、とんだぐだぐだである。でも、これから数十分後には来るであろう大人たち、という危機に直面していることを知るのが先だ。
「モチモン、このカバンの中、入れます?」
「無茶言わんといてーな、光子郎はん。パソコン用のカバンに入ったら、潰れてしまうがな」
「うーん、そうなるとやっぱり何か袋をかぶって荷物の中に紛れてもらうしか」
「荷物と一緒て息つまりますって」
「でも、僕たちの家まで2時間はかかりますよ。どうしましょう?」
「せめてテントモンやピヨモンだったら、空を飛べるのに。バスを追いかけてもらうこともできたのに、残念ねえ」
「えええっ!?2時間もずっと飛ぶのっ!?ねえ、空、バードラモンになっちゃダメ?」
「だーめ、みんなに見られたら大騒ぎになっちゃうじゃない」
むー、とむくれるピョコモンと、難儀やなあ、と落ち込んでいるモチモンである。
「タネモンはちっちゃいからぬいぐるみのフリして一緒に乗りましょ!」
「え、ほんと?」
「うん。私がだっこしててあげる。あ、でも、じっとしててね。アタシ、お友達とずーっとおしゃべりしなきゃいけないから!」
「えー、2時間もずーっと!?」
「幼年期でよかったね、トコモン。オレたちもバスに乗ってもいいよね、ヤマト」
「そーだねー」
「え?」
「え、どうしたの?ヤマト」
「え、あ、いや、その……ミミちゃんやタケルならともかく、オレがぬいぐるみ持ってるのはどうなんだ」
「えええええっ!?ちょ、ひどいよ、ヤマト!」
「大丈夫だよ、ツノモン。僕が一緒に連れてってあげる」
「ありがとう、タケル!もー、ヤーマートー、どういう事だよ、ひどいなあ!」
「わ、悪い悪い。でもなあ、さすがに、あはは」
すっかり拗ねてしまったツノモンをヤマトが慌ててなだめている中、ようやく携帯電話から解放された丈はほっと息を吐いたのだった。そして大輔に携帯電話を返し、同じように頭を抱える。
「参ったなあ、藤山先生、僕たちの他に誰かいるのかって怪しんでたよ、どうするんだい。頼むから静かにしててくれよ、君たち」
「いきなりそんなこといわれたってオイラ知らないよ」
「あーもー、なんでプカモンはいっつもそうかな!君はさすがにリュックの中に入って、荷物と一緒に乗ってもらうしかないと思うよ。一緒に乗るには僕が耐えられないからね。色んな意味で」
「まーいいけどさ。どれくらいの狭さなの?」
「大型バスだから結構荷物は入るはずだよ。僕が乗った方は結構スペースが空いてたと思うから、ドアが閉まったら出てくれてもいいしね」
「りょーかーい」
「丈さん、チビモンもコロモンも一緒に乗った方がいいっすか?」
「うーん、でも確か大輔君は別のグループじゃなかったかい?一緒の方がいいと思うけど、大輔君の荷物の中に紛れてもらうことを考えると
チビモンには別のバスの方がいいかもね」
「じゃあ僕とプカモンは一緒のバスだね。いいなあ、チビモン」
「えー、でも真っ暗な中で2時間もかくれんぼするんだろー?暇だよ」
はあ、とため息をつくのはチビモンである。こればっかりはしかたない。そして、担任の先生のことをすっかり忘れていた太一は、すっかり冷や汗である。どうしよう、絶対いろいろ言われるぞ、怒られるぞ、どうしよう。
「なあなあ、丈、藤山先生なんて?」
「とりあえずここに来るからじっとしてろって言ってたよ。一時間ぐらいずっと僕たちのこと捜してくれてたらしいんだ。みんなを心配させたからね、謝らないと」
「だよなあ、はあ」
「それより、太一。たしかサマーキャンプには君のお母さん来てるんだろう?光くんのことなんて説明するんだい?」
「………どうしよう、光」
「………どうしよう、お兄ちゃん。お父さん、私がこっちにいること知らない」
「えええええっ!?」