日本有数の豪雪地帯を貫いている関越自動車道を下り、大型バスは50番の看板を目指して東京外環自動車道の外回りを走る。そして、大泉インターチェンジで東京都と埼玉県を結ぶ県道に乗り換えたバスは、ようやく東京都練馬区の道を走り始めた。2時間ちかくにも及ぶ帰路である。
3台の大型バスに乗っている子供たちは、ほとんどが眠りに入っていた。解散場所であるお台場の臨海公園まではまだまだ距離があるというのに、バスはなぜか練馬区の東大泉にある池袋線の駐車場に入って停止した。3台のバスが順番に並んで停止する。
起きなさい、って太一がお母さんから揺り起こされたのは、そのときだった。ふあああって大きな欠伸をして、すっかりこってしまった背中を伸ばしながら、寝ぼけ眼なまま太一は辺りを見渡した。隣の光子郎はまだうつらうつらしている。
前のバスを見れば、まだ4時半を指している。
なんだよ、まだ到着まで30分もあるじゃん。なんだよ、トイレ休憩?乱暴に目頭をぬぐいながら、欠伸をかみ殺しつつ、通路にいるお母さんを見上げた。隣にはもう準備万端の光がコロモンが隠れているリュックを抱えて立っている。
「藤山先生から許可は頂いたから、ここで降りましょう、太一。お母さん、ううん、おばあちゃんのお見舞いに行かないとね」
「え?あ、あー……忘れてた。ばあちゃんの入院してる病院って、ここから行った方が近いんだっけ?うん、わかった」
「はい、これ太一のリュックね」
「ありがと、お母さん」
光子郎を起こさないように、慎重に座席を離れた太一は、お母さんからリュックを受け取って、そのまましょい込んだ。この中にはデジヴァイスと紋章も一緒に入っている。どうしようかな、臨海公園で現地解散した後、みんなで話し合いするつもりだったのに。
明日の朝、7時に臨海公園に集合することしか、今後のことはまだ決まっていないのだ。
これから家に帰って、しなきゃいけないことはたくさんある。少しでも整理してからやりたかったのに、想定外のことが起きてしまった。
ちょっと困った顔をして固まっていると、すぐ前にいた空が太一、太一って呼んでるのに気付く。なるべく音をたてないように歩いていくと、小声で空が話しかけてきた。
「仕方ないわよ、太一。後のことは任せて、お見舞い行ってきた方がいいわ」
「ごめんな、空。光子郎たちにも伝えといてくれよ。
なにかあったら、電話してくれればいいからさ」
「うん、そうするわ。ここで降りるのは太一と光ちゃんだけじゃないみたいだしね。
ここはデジタルワールドじゃないし、上手く行かないこともあるわよ。
気にしないで」
「え?オレ達以外にも誰か降りるのか?」
「ほら、あそこ」
空の視線の先には、別のバスに乗っていたのヤマトとタケルが下りるのが見えた。
「あー、そう言えばヤマトのやつ、今日はタケルの家に泊まるって言ってたっけ?」
「銀座だって大輔君が言ってたわ。ここで降りた方が早いわよね。お台場からだと電波障害のせいで、今日中に帰れるかどうか怪しいし、デジモン達に襲われないうちに早く帰った方がいいもの」
「そりゃそーだ。ありがとな、空。じゃあ、後はよろしく」
「りょーかい。任せて。じゃ、また明日ね」
手を振る空に別れを告げて、太一は一番乗りでバスの最善席に向かった。
「じゃあな、八神。今日は一日大変だったからな、しっかり休めよ」
「はーい。じゃあ、藤山先生、さよーなら」
「おう、ご家族の方によろしくな」
はーいって元気よく挨拶した太一は、藤山先生に別れを告げる。すぐ後ろではお母さんが藤山先生や子供会の役員、バスの運転手の人たちに、大人の挨拶をしているのが見えた。ちょっと時間がかかりそうである。
光はといえば、バスの中でずーっとお友達とおしゃべりしていたらしく、お母さんがまだバスにいるなら、少しでも時間を伸ばしたいと補助席にかじりついているのが見えた。まあ風邪で欠席するはずだったんだから、無理もないかもしれない。
太一よりも楽しみにしていた節があるから。つまんねえから、先に降りてよう、と太一はバスの階段を駆け下りた。
「あれ?太一、お前もここで降りるのか?」
「おう、そうなんだよ。お祖母ちゃんが急に倒れたらしくてさ。病院に運ばれたらしいんだけど、命に別状はないって話だから、このままお見舞いに行くんだってさ」
「そっかあ、元気になるといいね!太一さんのおばあちゃん」
「そーだよな。お爺ちゃんが死んじゃって、一人で住んでるからいろいろ大変みたいなんだよ。一緒に住もうって言っても、お爺ちゃんとの思い出が詰まった家を売りたくないっていうんだ。まー気持ちも分かるけどさー、仕方ないよな」
へえ、そうなのか、と相槌を打ったヤマトだったが、大泉駅に鳴り響く次の電車のアナウンスが遠くから聞こえたことを思い出して、あ、と声を上げた。これからタクシーで病院まで直通の太一と違って、ヤマトはタケルと一緒に電車やバスで、家まで帰らなければならないのである。
すっかり忘れてた、と申し訳なさそうに太一を見たヤマトは、いいよ、いいよ、また明日なって笑う太一に、おう、と返した。じゃあね、太一さん!ばいばい!って元気よくツノモンとトコモンが入っているリュックを揺らしながらタケルは、ヤマトの手を繋いで駅の構内に消えていく。
太一、そろそろ行くわよってお母さんに呼びかけられた太一は、光が大きく手を振っているタクシー乗り場に急いだのだった。
真っ先に捕まえたタクシーに乗り込んだ太一たちは、お母さんからおばあちゃんについて、ようやく詳しい話を聞くことになる。お母さん曰く、お父さんがお母さんの実家であるおばあちゃんのおうちから、生活用品や貴重品をたくさん抱えてトランクに詰め込み、もう既に待っている。
だから太一たちはお母さんと一緒に、おばあちゃんのところに行くだけらしい。お父さんの話によると、今年に入ってから東京は異常気象が続いていたため、その影響を受けて体調を崩しがちになってしまう人が多い。
特にお年寄りは体温調節をすることが苦手だから、いきなり寒くなったり、いきなり暑くなったりしても、自分の中では大丈夫だと思って無理をしてしまう。だから、体がからからに乾いていても、とっても熱くなっていても気付かない。
おばあちゃんは、お部屋の中で熱中症になってしまって、倒れてしまったらしかった。さいわい、おうちを尋ねてきたお客さんが、約束をしていたのにチャイムを鳴らしても一向に出てこないお祖母ちゃんを不思議に思ってくれた。お客さんに呼ばれたお隣さんは、お客さんがくることを聞いていたので、出掛けるはずがないと判断、裏手に回ってみると倒れているおばあちゃんがいた。
お客さんは、救急車で運ばれるおばあちゃんの付き添いでそのまま乗り込んで、お隣さんは冷蔵庫に張ってあった、八神家に大慌てで電話をしたというわけである。もしお客さんがいなかったら、おばあちゃんも死んじゃったかもしれない。とっても怖いことである。
お母さんのお話に太一と光は心の底からほっとしたのだった。
お父さんが駆け付けたから、お客さんは帰ろうとしたらしいのだが、おばあちゃんはお母さんのお母さんだ。だからお母さんが直接、おばあちゃんの命の恩人に一言言わないとダメだからってお父さんが必死で引き留めてくれているらしい。だから、お客さんにあったら、まずはお礼をしないとねってお母さんは言った。
「お客さんっておばあちゃんのお友達なの?」
「ううん、おじいちゃんのお友達なのよ。今日はおじいちゃんにお話したいことがあるから、
お仏壇にお花を供えさせてくれないかって電話してたらしくてね。とはいっても、お父さんくらいのとっても若いお友達なんだけどね。
ほら、おじいちゃん、学校の先生してた人ととっても仲良しだったでしょう?その人の生徒さんだったらしくて、よくしてもらったって言ってたわ」
太一や光もぼんやりとだが覚えている。お母さんの実家はいろんな人が訪ねてくることだけはよく覚えている。外国の人だったり、普通なら知りあえないような人だったり、とにかくいろんな人がおじいちゃんのお友達として遊びに来ていた。
どうやって知り合ったのかまではさすがに孫である太一たちは分からない。でも、そのうちの誰かがおばあちゃんを助けてくれたわけだから、感謝である。どんな人なんだろう、と太一はタクシーの中で思いをはせた。
携帯電話の電源を切るお母さんを見た太一と光は、タクシーで到着した病院を前に、ようやくコロモンが隠れているカバンをそのまま持ち込むことが出来ないことを悟る。どうしよう、とお父さんが待っているという入り口までこっそり内緒話をしていた。二人は、冷房が効いた涼しい自動ドア通路にあるコインロッカーを発見した。
「母さん、母さん、お母さん!」
「こら、太一、そんな大きな声ださないの!」
「あ、ごめん」
迷惑そうに通り過ぎていく親子連れに軽く謝罪した太一は、カバンを持ち上げた。
「そのさ、これ、ロッカーの中に入れてもいい?」
「あー、そうねえ、重い?」
「うんうん、重い!」
「そうねえ、702号室らしいし、そうしましょうか」
はい、100円、と手渡された小銭を握り締め、ほっとした様子で太一と光は顔を見合わせて笑った。そして、一番隅の扉を開けた太一は、どさっと乱暴にカバンを置いたものだから、問答無用でひっくり返ってしまったコロモンは、いてっと声を上げてしまう。
どうしたの?って聞いてくるお母さんにびくっと肩を震わせた太一は、手をぶつけたと笑った。あははははは、と空笑いしている太一に隠れて、光はそっとカバンのチャックを開けてあげた。
ふは、と小さく息を吐いたコロモンはちょっとだけ顔を出すが、出て来ちゃダメだってあわててカバンの中に押し込められてしまう。明らかに太一の家ではない上、狭いロッカーに押し込められて涙目だ。
バスのカバン置き場に押し込められ、ようやく太一の家に帰れると思ったら、今度は2時間も経たない内に途中の場所で下ろされ、今度はタクシーのトランクに押し込められた。今度はこんな狭いロッカーである。いくら姿を見られてはいけないとはいえ、扱いがひどすぎやしないかとすっかり涙目である。
「ねえねえ、ここどこなの?」
「ここはね病院なんだよ、コロモン。お祖母ちゃんが倒れて入院したの。だからお見舞いに行かなきゃいけないんだ。だからアグモンはここにいて?ごめんね」
「じっとしてろよ、コロモン」
「わかったけどさ、なんで僕もいっちゃいけないの?」
「ここ携帯禁止なんだ。デジモンが電波出してんのはお前も分かってるだろ?もし手術してたり、機械を体に繋げてたりする人に何かあったらどうすんだよ」
「あ、そっか」
だからごめんな、と申し訳なさそうに手を合わせてくる太一を見れば、コロモンはこれ以上何も言うことは出来ない。いってらっしゃいとしか言えなかった。コロモンという大切な友達をバケモノ扱いされるなんて、絶対嫌だ。
そう言ってくれた太一を思いだしたコロモンは、改めて自分がこの世界ではどこまでも異物だと理解する。すぐ戻ってくるからという約束を残して太一と光が四角い世界から消える。
がちゃんという音と共に真っ暗になった世界は、窮屈な中こぼれ落ちる細長い長方形を除いて暗転する。これならタクシーのトランクの中の方がまだマシだったかもしれない。
せめて太一のオカアサンが自動車を持っていたなら、車の中でお留守番出来るのだからもう少しマシだっただろう。なにせコロモンは自分に背を向けてオカアサンの所に駆けよっていく太一と光を、その狭い狭い隙間から見る羽目になったのである。
やがて二人の子供は自動ドアの向こうに消え、
その先でサラリーマン風の格好をした男と何やら会話している。あれが太一と光のオトウサンという存在なのだろうかとコロモンはぼんやり考える。
オカアサンもオトウサンも二人にとってかけがえのない存在だとぼんやり認識できるが、デジタルモンスターであるアグモンは、家族という集団をイマイチ理解できない。それがどんなにかけがえのないもので、どんなに素晴らしいのかなんて分からない。
コロモンは目で見て、耳で聞いて、その動作から憶測することしかできない。とりあえずオカアサンという存在は太一にとって、かけがえのないものなのだと強烈に焼き付けられたのだ。
あの太一が泣いていた。寂しかった、会いたかった、って抱きついて甘えていた。今まで見たこともないような態度で、それを誰も疑問に思わず、許容していた。
つまりそれがこの世界、太一たちの生きている世界における当たり前であり、普通のことなのだ。デジモンとパートナーでは形成しえない関係性があるのだと認識せざるを得ない。
それは一緒に隠れていたチビモンたちも同じようで、内心複雑なため息が漏れていたのをアグモンは覚えている。それだけでも衝撃だった。
でも新しい家族という太一の大切な存在が次々と現れるのに、八神太一というパートナーを形成している世界が目の前に広がっているのに、
彼らに対して名乗り出ることが出来ないのだ。姿を見せることすら出来ない。
つまりそれは拒否もされないが、認識もされないと言うことを示している。途方もない寂しさやむなしさがコロモンたちに込み上げてきたのだ。
やがて遠ざかっていった太一たちは、コロモンの視界から見えなくなってしまう。はあ、と小さくため息をついたコロモンは、同じような理由で置き去りにされたデジヴァイスと紋章を探り当て、唯一の光源となっているデジタル時計を表示させた。
早く帰ってこないかなあ、太一、光。ひとりは寂しいよ、とこぼれおちた言葉は、心の中にしまわれた。狭い狭い四角の向こう側には、人間がいっぱいいる。真っ白な服を着たお爺さんやお婆さん、煙草片手のお兄さんやお姉さんがベンチに座っている。
談笑していたり、携帯電話をいじっていたり、
イヤホンで音楽かラジオを聞いていたりする。
マツバ杖をついていたり、車いすだったり、包帯を巻いていたり、ギブスをしていたりするが、元気そうな人達が入り口の向こう側に見える。時々親子連れの子供と母親が通り過ぎてくる。
太一や光と同じくらいの子供が通り過ぎるたびに帰ってきたのか、と期待するのだが、そのたびにそのまま素通りされてしまい、ああ人違いかと自覚する。そして落ち込む。まだかなあ、とデジヴァイスを見る。数分、数秒しか経っていなくてまた落ち込む。
その繰り返しを行う内に、だんだん今までの蓄積してきた緊張感がほぐれてきたのか、うつらうつらとし始めたコロモンは、小さく寝息を立てて眠ってしまったのだった。
数時間経っただろうか。日没をとうにすぎた夕暮れ時、空は星の瞬きが見え始める。一番星が輝き始めた羊雲の空が広がる頃には、近くにある自販機やロッカーが置いてある廊下の電灯だけが唯一の光源として照らしてくれていた。
そんな静寂をうち破るように、凄まじいサイレンの音があたりに響き渡った。ピーポーピーポーと響き渡る聞いたこともない、本能的に緊張感を煽るサイレン。吃驚して頭をぶつけてしまい、ちょうど通りかかった通院患者がびくっとしたが、そんなことすっかり涙目のコロモンは知ったことではない。
やがて甲高いサイレンは半音下がってほんの少し優しい音色に代わり、ゆっくりとこちらに近付いてくるのである。もちろん救急車のことなんて知るはずもないコロモンにとっては、わけのわからない音を鳴らしながら車が近付いてくるのである。
怖いことこの上ない。
悲鳴を必死で押し殺しながら、見つからないように息を忍ばせているコロモンの事なんてお構いなしで、救急車は一刻を争う患者の命を救うために、ちょうど反対側に設置されている救急病棟に向かった。
あわてて狭い世界をのぞき込んだコロモンが見たのは、上の方に真っ赤な細長いランプが回っている真っ白な車だ。白い車体に真っ赤なラインが引かれているのが目をひいた。
「AMBULANCE」「救急」の文字が鏡文字で書かれているが、コロモンは読めないため分からない。ピーポーピーポーと鳴り響くサイレン。やがてすごい勢いで後ろの扉が開き、何人もの血相変えた大人が白衣姿であわただしく出入りする。
なんだなんだと人だかりが出来ているのでますます見えなくなってしまうが、その救急車のあとから走ってきたパトカーやパトカーの先導を受けてきた患者の親族らしき大人たちが入ってきたことで、騒然となっていく。忙しそうに携帯電話や無線機を片手に喚いている大人たち。
やがて救急車から運び出された患者は担架に乗せられ、そのまま救急病棟と表示されている通路の向こう側に消えてしまった。警察に同伴される形で親族の人達が別の通路を使って中に消えていく。
目をぱちくりさせながらそれを見届けるしか無かったコロモンだったが、すっかり耳に残ってしまった不協和音のせいですっかり眠気が吹っ飛んでしまった。ようやく静かになったものの、救急患者の緊急搬送なんていう一大イベントと遭遇した野次馬たちはなかなか静かになってくれない。
近くで事故でもあったのか、事件でもあったのか、と携帯電話で知り合いに連絡を取る人、あること無いことでっち上げて話を盛り上げている人、何があったのか病院関係者に聞こうとする人、すっかり興奮して救急車のことを誰かに伝えようとしている人ですっかりごった返していた。
これなら少しだけ物音を立ててもばれないかもしれない、と思ったコロモンは、カバンの中からデジモンアナライザーを引っ張り出した。すっかり目を覚ましてしまったのは、救急車の騒音もあるが、それだけではないのだ。
タオルとか洋服を押しつけながら音を打ち消しつつ起動させたデジモンアナライザー。表示された検索機能を見つけたコロモンは、デジモンがいないかどうか確かめるべく、自分の腕が届く範囲でアンテナを伸ばしてみる。赤外線機能を起動させてみる。最初にコロモンが検索されてしまったのはご愛敬。
違う、違うよ、とコロモンの前にマイナスボタンを入力して除外申請、再検索。アンノウン、アンノウン、ノーデータ、見つかりませんでした、芳しくない言葉ばかりが並ぶ。おかしいなあ、とコロモンは首を傾げるのだ。
仕方がないからデジモンアナライザーを下の方に向けたコロモンはぎょっとする。
今度は表示しきれない数のデータが流されて行くではないか。成長期、成熟期、完全体、え、え、えなにこれっ!?なんだこれ!?下になにかいるの!?訳が分からなくなったコロモンは、怖くなってデジモンアナライザーを閉じてしまった。
早く帰ってきてよ、太一、光!声にならない声がロッカーに吸い込まれていった。