乱暴に差し込まれた鍵穴がくるりと回転する音がして、ちゃりんと硬貨がおりてくる。がちゃんと音がして、ロッカーが開く音がした。ぱっといきなり明るくなった。暗い所から急に明るい所に出ると目がくらんで、真っ赤な瞳はいくつもの残像を描く。
まぶしくて目を凝らしたコロモンは、覗き込んでくる影が太一だったので、喜び勇んで飛びついた。おわっと予期せぬ奇襲に太一の悲鳴が上がる。コロモンの手のように操れる触角から零れ落ちたデジモンアナライザーを光はあわてて受け止めたのだった。あぶないあぶない、壊すところだった。
ばしばしばし、と顔面に張り付かれた太一はコロモンをたたく。たいちぃぃ、こわかったよぉっと数時間放置されていたコロモンは涙目だ。
「コロモン、コロモン、お兄ちゃん死んじゃう。放してあげて」
「ふえ?」
ちょっとだけ力を緩めると、ぷはあっと息を吸い込んだ真っ赤な顔が睨みつけた。なあにすんだよ、おまえ!死ぬかと思ったじゃないか、と声にならない抗議があがる。ごめえん、と縮こまったコロモンは、だって、だって、と光が持っているデジモンアナライザーを見上げた。こわかったんだよぉ、とコロモンは言う。
なにがだよ、と太一はじと眼だ。光は太一の袖をひいて、画面を差し出した。これじゃない?って差し出された太一は、目を見張るのだ。
そして、ようやく太一のデジヴァイスが狂ったように警告音を発信した理由を悟る。
おばあちゃんとの久々の団欒を過ごした太一と光は、ちょっと気が抜けていた。不調だったタクシーのラジオはてっきりコロモンのせいなんだろうと思っていた。だから、いまいち、東京で起ころうとしている事態がどこまで深刻化しているのか、把握できずにいたのだ。
及川さんと両親の会話は現実に引き戻してくれたけど。光子郎によればデジヴァイスとデジモンアナライザーの探知機能は、東京の23個ある区画の1ブロックを補完することができる。
つまり光が丘にある病院を中心として、練馬区全体を把握することができるのだ。太一と光が見たのは、凄まじい数のデジモン達がこの練馬区にいるという表示だ。
「これ、ほんとなのかよ、おい」
壊れたんじゃないよな?なんて現実逃避気味につぶやいた太一は、ひきつった。光子郎がナノモンたちと作ったデジモンアナライザーである。デジモンの発する電磁波ごときで壊れるわけがないことはよく分かっているのだが。
「間違いないよ、太一。僕たちデジモンは鼻が利くんだ。わかるでしょ?」
「あー、うん。そのおかげで温泉とか敵とか見つけてくれたもんな」
「そうなの?」
「そうだよ、光。僕がデジタルワールドとこっちの世界の境界線を見つけた時、僕、とっても懐かしい匂いがするっていったでしょ?」
「もしかして、すぐ近くにいるのか?」
「うん、そのはずなんだけど、全然姿がみつからないんだ。おかしいなあ。だからそれで調べようとしたのに、いっぱい敵の名前が出てきちゃうんだもん。怖くて仕方なかったんだよ。僕が初めてそんな気がしたのは、ぴーぽーぴーぽーって音がする車からだった。あれはたぶん、デジモンの匂いだと思う」
「は?救急車?ほんとかよ、コロモン」
「きゅーきゅーしゃっていうの?」
「そうそう、救急車っていうのは、病気になった人をここに運んでくれるんだよ。あの音が鳴ったら、道を譲らなくっちゃいけないんだぜ」
「おばあちゃんもね、救急車のおかげで助かったんだよ」
「ふうん、じゃあなんでだろう?」
「オレに聞くなよ。じゃあさ、救急車のどの辺からしたんだ?」
「うーんと、その、いっぱいニンゲンがいたからわかんないよ。でも静かになった後は、もう匂いはしなくなってたんだ」
ということは野次馬である黒山の人だかりは無関係である可能性が高そうだ。静かになったと言うことは、救急車が緊急搬送をするために緊急病棟に向かった後で、役目を終えて運転手が倉庫の方に向かえばサイレンはならなくなる。
患者?病院関係者?警察?それとも親族?
デジモンがニンゲンに似た風貌になる事例を知っている太一たちにとっては、選ばれし子供たちを倒す機会を虎視眈々と狙っている新たな手口として、ニンゲンに化けているという可能性も捨てきれなくなってしまった。
選択肢が広がるのも考え物だ。ちょっと気になる証言である。太一たちはおばあちゃんのお見舞いのため、最寄の駅から大型バスを降りて、
タクシーに乗り込み、この大学病院にきたわけである。
だから、ほかの選ばれし子供とデジモンたちは関係ないはずだ。いくら光が丘が一番デジタルワールドのゆがみが発生している地帯だとしても、デジモンが迷い込んだならなっちゃんが飛んでくるはずだし、結晶化している光景はみられない。
電波障害という病院にとって最悪の障害がまだ発生していないのは、いくらなんでもおかしい。もし何かあったら、太一たちがここまでやってくるのに、あわただしいスタッフとすれ違うはずだ。これは明日早起きしてみんなと集合した時にでも話さなきゃいけないなあ、と太一は思った。
相変わらず、太一のデジヴァイスはアラームを鳴らし続けている。せめて発生源だけでも特定しないとまずいなあって太一は光とうなずいた。
「くっそ、こいつさえ鳴らなかったら、及川さんに詳しい話を聞けたのにさあ」
がっくりと肩を落とす太一である。おいかわさん?コロモンはきょとりと瞬きした。
「おじいちゃんのお友達でね、おばあちゃんを助けてくれた人なの、コロモン。パソコンのことにとっても詳しい人みたいでね、デジモンのことはわからないけど、今の東京がとっても危ないことには気づいてたみたい。すごいよね。私たちのこと心配してくれたいい人なんだよ」
「知りあいに光が丘の事件で記憶喪失になった子供を抱えてる人がいるって言ってたからさ、詳しく話を聞きたいなあって思ったのに、こいつがさっきからビービーうるさくてそれどころじゃなくなっちゃったんだよ、くっそ。誰だよ、こんなときに!」
はあ、と太一がため息をつくのも無理はない話である。唯一の手がかりは1995年の光が丘テロ事件の際に、太一たちと同じようにデジモンを目撃したことがあること。そして、大輔やタケル、光と同じ年齢の少年であるということだけなのである。
タケルとヤマトのように家庭の事情で苗字が変わってしまったらどうしようもない。しかも、光が丘テロ事件に関しての記憶は、目撃者である人間はすべて記憶を忘却させられている。
光のように初めから覚えているのは非常に稀だ。期待する方が無駄だろう。
光が丘とお台場の住宅地には住んでいないとゲンナイさんが断言している以上、4年前に引っ越して、そのまま別の地区に引っ越してしまった可能性が高い。もし東京ではない別の都道府県に引っ越してしまっていたら、もうどうしようもない。うーん、と太一と同じように光も考え込んでいる。
強烈に焼きついている光景では、デジモン達を目撃したのは、ほとんどが子供だったはずだ。
大人もいたかもしれないけど、光が見渡す限りの光景では見つけることができなかった。何人かはわからないけど、いっぱいいた、としかいえない光である。
ひとりひとり探して回るのはとっても大変だ。とてもではないが、時間も人でもたりないだろう。そんな中で、偶然とはいえ手掛かりになるかもしれない人とせっかく会えたのに、話を聞く機会を逃してしまったのである。くっそう、と太一は舌打ちした。
「とりあえず、このアラームのやつを捜すのが先だな。行こうぜ、コロモン、光」
「うん」
「でも、どうやって探すの?」
「どうってそりゃ、歩くしかないだろ、オレたちお金なんて持ってないしさ」
そういって太一たちは歩き始めた。異常に渋滞している車が行く手を阻んでいる。ぴこぴこぴこぴこ、ぴこぴこぴこぴこ、とうるさいアラームが鳴り響く。迷惑そうに通行人たちが避けてくれる。太一たちは急いでそのアラームと点滅する方角めがけて進んでいった。交通整理に駆り出されている警察の人たちとすれ違う。
ここまで来ると大分車の進み方もスムーズになってきた。このアラームが鳴り終わったら、お父さんたちに及川さんの連絡先を聞いたらいいかもしれない、たしかお父さんが及川さんの名刺をもらっていたはずだから、とここまで考えた太一は、一層強くなる振動とアラームに警戒しながらあたりを見渡す。相変わらずデジモンがいる痕跡はみられない。
つーかなっちゃん何してんだよ、お仕事がんばるっていってたじゃないか、と迷いデジモンの送還に奔走している女の子が現れないことに焦りを感じつつ進む。
「あれ?行き止まりだ」
「え、どうして?ここが一番強いよ?」
太一たちはビルとビルの隙間にあるフェンスで囲まれた地帯に出てしまった。ぐるぐるとたくさんの風送機が回っている。入り乱れる配管が隙間を埋めていた。きっと冷房機能をここに集中させているんだろう。長い長い影が落ちている。日の当たらないここはじめっとしていて、苔が生していた。
相変わらずアラームは強くなるばかりで、振動も点滅もやむ気配がない。でも、周りはデジモンの気配も匂いもしないとコロモンは首を振り、いくら目を皿にしても結晶化した物体も、デジタルワールドのゆがみもみあたらない。
薄気味悪くなった太一たちは、とりあえず反対方向から回り込んでみることにした。自動販売機を通り過ぎて、きれいに整備された上垣を曲がり、ビルのオフィス前に立ってみる。やっぱりさっきよりも反応がずいぶんと薄くなっていた。遠ざかってしまった証拠だ。
どう言うことだろう。さっぱり分からなくて、首をかしげていた太一たちは、丁度後ろからぱっぱとクラクションを鳴らされて、びくっと体を硬直させた。あわてて振り返ると、びいい、と音を立てながら窓を開けた車がある。
「こんなところで、何をしているんだい?」
及川さんがいた。光はあわててリュックの中にいるコロモンをおしこめて、チャックをひっぱる。太一は及川さん!と声を上げて、光の奮闘ぶりが見えないように、あわてて車にかけよった。及川さんの車から流れてくるカーラジオは、不自然に砂嵐の音を響かせている。
都心のど真ん中でラジオが聞けないなんてありえない。やっぱり近くにデジモンがいるんだ、と確信した太一は、ようやく準備が終わった光と共に、あはは、と笑った。
「勝手に出歩いちゃダメじゃないか、テロ事件の犯人がどこにいるのか分からないって言うのに。お父さんたちが心配していたよ。はやく戻った方がいい」
「え、あ、あはははは。久しぶりに帰ってきたら、なんだか懐かしくなっちゃって。な?光」
「え?あ、うん、そうなんです」
太一と光の発言に、おや、と思ったのか及川さんは目を細めた。
「久しぶり?たしか、君たちはお台場に住んでいるんじゃなかったのかい?」
「今はそうなんですけど、4年前まではこの辺りに住んでたんですよ。えーっと、たしか第二小学校だったっけ、そこに通ってたこと思い出したんだ。ついさっきなんですけど、あはは」
「すっごく小さい時に、私とお兄ちゃん、あそこのマンションに住んでたんです」
「そうか、君たちは光が丘テロ事件の時に巻き込まれてしまった子供たちの一人だったんだね。あの日のことを思い出した子供をみたのは、これが初めてだよ。オレの同僚の子供たちは未だに思い出せてないみたいだからな、うらやましいよ」
「え?そうなんですか?」
「………ああ、そうか。君たちは知らされてないのか。余計なことを言ってしまった気がする。
忘れてくれないか」
「ちょ、ちょっと待ってください、及川さん!その話、ちょっと教えてくれよ!」
「しかしなあ」
「お願いしますって!話聞いたら、すぐ戻りますから!お願いします!」
「します!」
あたまを下げる子供たち。及川さんは通行人や通り過ぎる車の運転手たちからの、視線に耐えきれなくなったのか、手招きをした。どうやら車に乗せてくれるらしい。リュックを後ろのトランクに乗せていいですかって聞いてきた太一に、及川さんは意味深に笑っていった。
「いいのか?さっきまでロッカーに押し込められてたのに、またトランクの中に押し込めても」
ぎくうっと面白いくらいに固まった太一と光は、肩を揺らしている及川さんからロッカーでのやり取りを見られていたと知らされて、声にならない悲鳴を上げた。
デジタルワールドという異世界をずっと探していたのだというプログラマーは、これくらいの意匠返しはさせてくれないか、と申し訳なさそうに笑う。
子ども時代と大人になった今までの時間をすべてなげうって捜し続けた世界は、今こうして、あっさりと選ばれたという理由だけで行き来できる子供がいる。大人げないとは分かっている。嫉みや恨みがお門違いなのはわかっている。
でも、もう一度だけでいいから、パートナーと会いたいという願いを残して、あの世に旅立って行ってしまった人たちを知っているから、やりきれない。遠い異国で死んでしまった親友は、その願いを叶えてやりたいと思った同士だった。
これは独り言だから気にしないでほしいとつぶやきながら、ぽつりぽつりと話し始めた及川さんの表情は、ルームミラーからはうかがえない。太一と光は沈黙する。二人の間にいるコロモンも瞬きしながら聞いていた。
「先代の子供たちはもうこの世界にはいないんだ。デジタルワールド側がコンタクトを取ろうとしても無理だったのはそういう訳だ。あちらの世界に行ったら、そう伝えてくれないか?」
「わかり、ました」
「それと、これだ。本当はオレが独自に調べてたものだったんだが、こうして君たちと話し合うことができたわけだし、オレの役目はもうおわった。これからは君たちが役立ててくれ」
仕事用のトランクを開けた及川さんは、たくさんの書類が入ったクリアファイルを太一たちに差し出した。ぱらぱらとめくってみると、新聞のスクラップがある。光が丘テロ事件について取材したものや、関連書籍のコピーが詰め込まれていた。
その中には、及川さんが生前の子供たちから聞いたデジタルワールドの想い出を書きつらねたボロボロのノートも見つかった。すべてアナログだ。デジタルだと壊れてしまう。そして、後ろの方に差し掛かったとき、及川さんが口を開いた。
「さっきオレが言いかけたのは、それのことだ。きっと君たちのご両親も参加しているはずと思ってね」
光ヶ丘テロ事件被害者の会とその紙には書かれている。賛同する病院代表者やNGO団体、光が丘団地に住んでいた人たちの連絡先。当時子供たちが通っていた学校や練馬区の役場の名前まで書いてあるではないか。太一たちのように光が丘テロ事件の出来事そのものを忘れてしまった子供たちは、文字通りたくさんいたのである。あまりにも大規模な集団記憶障害だった。
子供たちの両親を中心にして出来上がったグループは、主に子供たちの様子を話し合う、今後について話し合う、全国各地に散ってしまった被害者たちが心のよりどころにしているグループらしい。カウンセリング的な要素が強い集いなのは、きっと子供を愛するゆえだろう。
ちょっとだけ罪悪感を感じてしまうコロモンである。たくさんの人たちに支えられていたんだなあ、ってちょっとじーんとくる二人である。
及川さんは太一と光の心境を察してか、苦笑いを浮かべた。
「やるべきことが終わったら、全部話すんだよ。オレはそれがいいと思う。あの人たちはデジモンを秘密にすることを選んだ。時代が早すぎたんだ。あの時代はまだインターネットは軍事的繋がりが強くて、一般家庭が利用することができるほど普及するのは、夢のまた夢だったからな。
二度と会えなくなることは、覚悟していたと何度も聞いたよ。でも、君たちは違うだろう。きっとデジモンとこの世界の関わりは、これからの君たちに全てがかかっている。がんばってくれよ」
はい、と太一たちは頷いた。
「実は、オレたち、10人目の選ばれし子供を捜してるんです。ヴァンデモンっていうデジモンが東京中で起こってる電波障害の犯人なんですけど、たぶん、10人目の子供をやっつけようとしてるんです。
あいつ、光とそのこのパートナーを洗脳して、配下にしてるから、そいつらも取り返さないといけないし。手伝ってくれませんか?」
「私とおなじ、小学校2年生だってゲンナイさんがいってました」
「2年生か。なら大分絞れてくるな。そこにあるリストを手掛かりに探すといい。オレの同僚の下の子が確か2年生だったと思うからな、こっちも探ってみるとするよ」
連絡先はここにしてくれと及川さんは名刺を太一に差し出した。ありがとうございます、と子供達が笑った。
「ところで、こんなところで何をしていたんだ?」
なりっぱなしのアラームである。すっかり困り顔のコロモンが抱えるデジヴァイスは、さっきよりも反応が鈍くなっているものの、相変わらず振動を続けている。
「この辺りにデジモンを見ませんでしたか?なんか反応してるんだけど、見あたらなくて」
いや?と及川さんは首を振る。光が丘に入ってからカーラジオはずっとこの調子で、特別このあたりに違和感を覚えることはないらしい。完全にお手上げである。どうしたものかと太一たちは頭を抱えた。ビルの上を滑空しているなら影が出る。
大通りをくぐり抜けるなら、結晶化した物体が残骸を残すはず。姿も形もない敵にはさすがにどうしようもない。
「そのデジモン達は調べられるのかい?」
「え?ええ、まあ。こいつにのってるんですけど」
デジモンアナライザーを太一は及川さんに渡した。
「なるほど、結構な数のデジモン達が移動しているはずなのか。5メートルクラスのやつもいるんだな、たしかにおかしい」
デジモンアナライザーを返した及川さんは、シートベルトを締めるようにと二人にいう。いつまでも路上駐車をしていると警察官に呼び止められてしまうのだ。ここは不許可エリアである。車を発進させた及川さんは、ちょっと遅れても大丈夫かい?と二人に聞いた。
「ここまで見つからないんなら、こんな街の真ん中を自由に移動できる手段なんて限られてる。きっと下水道を巡っているんだろう、ここからじゃあ入れないからな。ちょっと飛ばすから捕まっていてくれ。新しい通信網の関係で、
オレの会社で携わってるエリアがあるんだ。そこからまずは探してみよう」