(完結)おれとぼくらのあどべんちゃー   作:アズマケイ

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第151話

黒いモヤが漂ってきたのは、光が丘団地から遠ざかり始めたころだ。摩天楼が霞み始めたので、海で発生した霧が流れてきたのかと思った及川さんは、ワイパーを動かし始めたが、一向に水滴はつかないままワイパーが空を切る。

 

ざりざりとした粉末が窓に付き始めたので、水を飛ばしながらワイパーを動かしつつ、まだ日が落ちていないというのに、ヘッドライトを付けないと前の車が分からない。辛うじて車間距離を保てる程度にスピードを落としつつ、及川さんは運転を続けた。

 

なんで急に、と眉間にしわを寄せている。横を通り過ぎていく通行人たちは、みんなタオルやハンカチを口に当てて、忙しそうに通り過ぎていく。

 

 

「二人とも、マスクはもってるかい?」

 

 

及川さんの問いかけに、光と太一はうなずいた。お父さんからもらったマスクは、結局今の今まで存在すら忘れて、お互いのポケットの中に入れっぱなしだったのである。

 

 

「とりあえず、マスクをした方がいい。太一君はゴーグルもした方がいい。霧じゃないし、スモックでもない。どうやら砂みたいだ」

 

「スモックって何ですか?」

 

「スモックっていうのは、排気ガスや工場のガスから出てくる有害物質が、太陽の光を浴びてできたオキシダントっていう物質が、空気中に飛んでることをいうんだ。濃度が高くなるとこんなふうに、霧にかかったみたいに辺りが見えにくくなるんだよ。公害なんかで習わなかったかい?4大公害で有名だと思うんだけど」

 

「あー、そういや社会でならったっけ」

 

「スモックだとマスクを付けてても意味がないんだが、黄砂みたいな砂埃みたいだ。のどや目をやられるのは同じだからな、吸い込まないようにした方がいいのは変わらないな。ぜんそくや気管支炎のアレルギーはもってないかい?」

 

「オレは大丈夫です。あ、でも光が、まだ風邪治ってないんですよ」

 

「えっ?だ、大丈夫だよ、お兄ちゃん。わたし、もう、元気だもん」

 

「元気つったってなあ」

 

「そうか、でも目的地はもうすぐそこなんだ。光君は工事現場の事務室で待ってた方がいいかもしれない。この砂埃は明らかにおかしいからな。何が飛んでいるか分からないぞ」

 

「ほんとだぜ、光」

 

「……わかった」

 

 

不満げに頬をふくらませた光は、コロモンを抱っこする力が強くなる。光が丘団地から遠ざかるにつれて、カーラジオの調子がよくなっていった。及川さんの会社が携わるプロジェクトの一環として行われている通信網の工事現場に

到着するころには、すっかり音の調子もよくなり、アナウンサーの声もよく聞こえる。

 

すべての番組を変更して一日中行われているニュース番組は、東京各地の異常事態を必死で伝える番記者中継を繋ぎながら、忙しなく続いている。電磁波の性質を解説する大学教授、かつての事件の指揮を執っていた警察幹部、当時のことをよく知る匿名希望の投書も交えながら、アナウンサーは番組を仕切っていた。 

 

太一と光、そしてコロモンは食い入るようにラジオに聞き入っている。現実世界に帰ってきて、ようやく入手できる客観的な情報だ。東京で起こっている出来事は、太一たちの想像以上に大規模な事件の予兆として、人々に受け止められていると知ったのだった。

 

ヴァンデモンの侵攻が想像以上の速度で行われているのが実感できる。4年までの事件と今回の事件は無関係であることを証言できるのは太一たちだけだ。何も知らない大人たちは、光が丘テロ事件の犯人が4年ぶりに活動を本格化させたと息巻いている。

 

まずい。非常にまずい。この状況下でヴァンデモンがデジモンであると公言したら、どうなるだろう。間違いなく、子供たちもデジモン達も窮地に陥るのは目に見えていた。この世界にとって初めて認識するデジモンが、現実世界に害を及ぼす最悪の怪物と認識されるのは時間の問題だ。

 

子供たちと大人たちの埋めようがない認識の差に、どうしようもない歯がゆさを感じながら、

太一たちは及川さんから託された、君たちにこれからのデジモン達とこの世界の関係性がかかっているのだという発言を身に染みて感じたのだった。

 

どんどん色をなくしていく子供たちを心配そうに及川さんは、鏡越しに見つめる。ハンドルがぐるりと右にきられる。何度目になるか分からない赤信号に停車する。ここまでくると信号機のトラブルによる交通渋滞はなく、自然発生したゆるやかな渋滞があるだけだ。

 

及川さんが一声かけようとしたとき、臨時ニュースが入ってきたと原稿の音を響かせながら、アナウンサーが中継をきった。

 

 

「東京都練馬区の×××あたりで光化学スモック注意報が発令されました。みなさまは、屋外での激しい運動を避け、目に刺激を感じたらすぐに屋内に避難してください。乳幼児、お年寄り、病弱な方は特に注意が必要です」

 

 

読み上げられた地名は、ちょうどこの辺りである。

 

 

「いよいよもっておかしいな」

 

 

及川さんは真剣なまなざしでつぶやいた。ようやく到着した工事現場は、どうやらあまりの視界不良に作業を中断せざるをえないらしく、スタッフが休憩している事務所の灯がついている。ポケットから許可証を引っ張り出した及川さんは、前方にそれを目立つように置く。 

 

警備員の男性がそれを確認して、笛を鳴らしながら奥に先導してくれた。キャラクターのイラストに囲まれた工事現場の囲いを通り抜けると、地下に続く舗装された道が現れた。下っていくと、地下のライフラインを整備しているトンネルへの入り口が目に入る。

 

たくさんの車が並んでいるところに及川さんの車が停車した。すっかり車は砂にまみれていている。空気の流れの関係で砂埃は地下の空間まで入ってくることができないようで、久しぶりに澄んだ空気が辺りを満たしているのが分かった。でもやっぱり煙たいのはかわらない。

 

さあ、いこうか、と及川さんに連れられて、太一と光は、コロモンが入った荷物片手に事務所に向かったのである。工事現場を取り仕切るおじさんと及川さんは顔見知りらしく、社交辞令や世間話を交えながら迎え入れてくれた。

 

暇を持て余している作業員たちは、ラジオから聞こえてくる光化学スモック注意報にすっかり困惑しているようだ。予定通りの作業が進まないことに焦りを感じているらしいおじさんに、

及川さんはそれとなく勤め先との交渉に付き合うことを約束しているのが見える。

 

大人の世界も大変だなあ、と太一と光は思ったのだった。

 

 

「お子さんですか?」

 

「違いますよ、知り合いの子供たちです。出掛けてる先で注意報に巻き込まれたものだから、

送り届ける途中なんですよ。それより、どうしたんです?シャッターなんか閉めて」

 

「実はですね、光化学スモックよりたちが悪いもんにぶち当たっちゃいまして。困ってるんですよ、及川さん。この辺りって化学薬品工場はなかったですよね?」

 

「ええ、そんな話きいてないですけど?」

 

「実は不法投棄されてた物質から、高濃度の硫酸が検出されたんですよ。硫酸ミストが発生してるみたいで、ろくに近づけないんです。この黄砂みたいな霧も地下から噴出してるみたいで……昨日までそんなことなかったのに」

 

「70年代じゃあるまいし、黒いスモッグが発生するなんてあり得るんですか?白いスモッグならまだ分かるのに」

 

「ええ、初めは我々もそう思ったんですがね、異様に湿度が高いエリアがありまして、そこから発生してるみたいなんですよ。どっかの悪徳企業が埋めてたんですかねえ。一応警察には連絡したんですが、参ったなあ。明日から大騒ぎになりますよ」

 

 

スキャンダルもいいところだ、と及川さんは頷いた。太一たちは首をかしげている。黒いスモックは4大公害がきっかけで規制されている有害物質から発生するもので、白いスモックはそれ以後に発見された物質で構成されているものだと教えてくれた。

 

どちらも人体に有害である。こんな都会の真ん中で地下からスモッグが発生するなんて、たちが悪い都市伝説としか言いようがない事態である。

 

計測しようとした電子機器がすべていかれてしまい、詳細を調べることができないらしい。とんだ立ち往生である。及川さんは会社に連絡を入れるから、という建前のもと、太一たちと一緒に、一旦車の中に戻ったのだった。

 

 

「誰もいないんだったら、こっそり入れないんですか?及川さん」

 

「ダメだ、ダメだ。明らかにデジモンの仕業だろうし、君たちの気持ちも分かるが、硫酸ミストが発生してる様な危険な場所に、君たちを連れていけるわけがないだろう。硫酸は少しでもつくと、衣服も体もボロボロに解けてしまうんだ。危険すぎる」

 

「くっそ、ヴァンデモンのやつ、どんだけ危ないデジモン連れて来てんだよ」

 

 

太一は思わず舌打ちした。

 

 

「つーか、なっちゃんのやつ、ホントにどうしたんだよ。こんな危ないデジモンいるのに、ほっといてどこで何やってんだ、もう」

 

「なっちゃん?だれだい、それは」

 

「え?あー、えっと、その、デジタルワールドを守ってるデジモンなんですよ。人間に変身できるから、こっちに迷い込んでるデジモン達を連れ戻す仕事をしてるみたいで」

 

「どうやってこっちとデジタルワールドを行き来してるんだい?光が丘は2時間ほど前からインターネット通信が完全に遮断されているはずなんだが」

 

「えっ、それほんとですか?!オレたちが来た時には大丈夫だったのに」

 

「お兄ちゃん、なっちゃんに何かあったんじゃないかな」

 

「まじかー、どうするよ、光。インターネットにつなげないと、どうやってデジモンたち誘導するんだ。ゲンナイのじいさんとも連絡とれないじゃねーかよ、くそ」

 

「インターネット?それだけでいいのか?」

 

「え?えーっと、はい、そうです。インターネットにつないであれば、こいつを使えばデジタルワールドが勝手にゲートポイントまで続く扉を開いてくれるんだってなっちゃんが言ってました」

 

「緊急事態だから特別にって、言ってたよね」

 

「そうか、わかった。じゃあオレのパソコンを使ってみよう。仕事柄無線LANを使えるからな、ちょっと待っててくれ」

 

「ホントですか!?ありがとうございます!」

 

 

さすがはプログラマー、と太一たちは後部座席から準備をし始めた及川さんを覗き込む。家庭用では到底手が届かないはずの無線LANルーターが置かれていた。ゲンナイさんから教えてもらっていた特設サイトにアクセスできるアドレスを入力し、太一たちはゲンナイの隠れ家と銘打たれたサイトに没入する。

 

ドット絵で現れたNPC風のおじいさんは、ひらがなだらけの台詞を並べる。ケンタルモンとピッコロモンのドット絵が16なのは容量の関係なのだろうか。動きがぎこちないのは仕方ないとして、太一たちの声はそのまま届いているようである。

 

そして太一たちは、光が丘団地にあったはずのゲートポイントが、ヴァンデモンによって完全に封鎖され、居城にされてしまっていることを知るのだ。さいわいなっちゃんは無事だが、ただ今の活動拠点は反対方向のエリアである。

 

 

 

 

 

 

 

封鎖されているシャッターの向こう側で、聞き取れないうなり声が響き渡った。

 

 

 

 

 

 

 

 

完全に封鎖されているシェルターごしに、どろりとした異臭漂う物体が滲み出ている。地下水道の奥底に沈殿した泥特有の粘りけがじわじわと広がり始めていた。

 

様々な有害物質が混ざったヘドロなのだろう、有毒なガスを噴射しながら隙間をはいつくばって現れた。

 

スライム状のデジタルモンスターは、言語能力がないのか、言葉にもならないうめきをあげている。鼻を突き刺す凄まじい悪臭が一気に密封された空間に広がった。吐き気をもよおす刺激臭である。

 

窒息してしまいかねない。涙が止まらない。くしゃみが止まらない。喉の違和感が顕著になる。生理現象がとまらない。マスクとゴーグルをしててよかったとおもいつつ、太一はコロモンとともに車から飛び出した。

 

ぼこぼこぼこ、と内側からべこべこにされていくシェルター。壁を隔てているであろうデジモンが現れるのは、時間の問題だった。光はここにいろって念を押されてしまい、光は太一の後ろ姿を食い入るように後部座席から眺めている。 

 

太一の手にあるデジモンアナライザーが起動する。シェルター越しに探知されたデジモンのデータが表示された。

 

 

ぼろいぞうきんを重ねあわせた、海坊主のカイブツみたいなデジモンだ。真っ赤な瞳が縦に開いて、こちらを覗いている。

 

 

「いくぜ、コロモン」

 

「うん!」

 

 

紋章を取り出さない太一の意志に従って、デジヴァイスだけが起動する。久方ぶりに紋章の媒介を通さずに進化を遂げたコロモンは、アグモンになると、そのままシェルターに突撃した。

ばごおん、という音を立てて鉄筋が吹き飛んでくる。デジヴァイスの光の螺旋に包まれたコロモンは、グレイモンに進化した。

 

 

これがデジタルモンスターなのか、と生まれて初めて目撃した異世界の生命体を食い入るように見つめている及川さんだったが、ノートパソコン越しにゲンナイから呼びかけられて、我に返ったのか、太一と光の代行として作業を再開し始めた。

 

新設されるデジタルゲートを安定化させるには、現地の技術者である及川さんはこの上ない適任者なのである。

 

自ら選んだ道が決して間違っていないのだと肯定された気がしたのか、込み上げるものを乱暴にぬぐい、プログラマーの目をした男のタイピング作業は加速していく。子供が戦っているのだ。大人が傍観していてどうする。

 

かき込まれていくデータがゲンナイさんのところに転送される。転換されたデータがデジタルゲートを作り上げる。不定だったゲートが固定される。及川さんは書き上げたデータを実行に移した。

 

 

「太一君、ゲートが開いたぞ!あとはまかせた!」

 

「はいっ!」

 

 

まかせろ、と勇ましい応酬がかえってくる。どろりとしたデジモンの通った後には硫酸ミストが発生しているらしく、金属はたちまち錆びついて、どろりととけてしまった。

 

下水道に蓄積していたヘドロや工場廃棄を吸い込んでいるようで、そのままなら環境を改善する無害な奴だったのだろうが、高濃度になった汚染物質をまき散らすならたちがわるい。

 

へどろをはいつくばせながら襲いかかってくるデジモンに、グレイモンは灼熱の業火をたたき込んだ。

 

じゅうううう、と見るからに有害な硝煙が上がる。どうやらこのデジモンはほとんどが水分で出来ているようだ。

 

 

「がんばれ、グレイモン!この調子で蒸発させるんだ!」

 

「わかった、任せてくれ、太一」

 

 

とびちったヘドロが分裂しないように、グレイモンは片っ端からへどろを蒸発させていく。連射される炎の弾丸に、もともとスライムのように非力で攻撃力が全くないデジモンはなすすべなく体を小さくしていく。

 

あたり一面、異臭が充満した。ものがやける匂いがする。あまりにも生々しいので、太一は目を背けたくなった。デジモンアナライザーによればウィルス種の成熟期。グレイモンの敵ではない。

 

あまりに肥大化しているので時間がかかっているだけだ。ぶるぶると全身をふるわせながら、敵は自分の体を飛ばしてくる。全身を機械化することで生きながらえようとしたものの、全身の筋肉が腐れ落ちたせいで体が安定してしていないのだ。

 

体を構成するデータすら崩壊し始めているものの、延命のために取り込んだ機械のせいで醜い姿になっても生きながらえている。じゅうじゅうと焼かれているデジモンは、ようやくアナライザーと同じ大きさになった。

 

本能のままに行動している敵は、おそらく今どういう状況に置かれているのかわかっていないだろう。これなら、ヌメモンの方が絶対マシだよなと思いつつ、太一は及川さんを呼んだ。

 

 

デジタルゲートが開かれる。

 

 

レアモンと呼ばれている紫色のアンデット型デジモンは、無事にデジタルワールドに転送されたのだった。あー、よかった、やっとおわったぜ、と安堵のため息をついた太一だったが、腰につけているデジヴァイスは鳴りやまない。

 

それが意味するところを悟った太一は青ざめる。及川さんは飛び出していこうとする光を止めるために、内側からロックをかける作業に追われていた。まじかよおっと工事現場で太一の声が響き渡った。

 

 

結局、太一達が大学病院の方に帰って来れたのは、1時間近く経過したあとだったのはいうまでもない。。

 

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