東急新玉川線と営団地下鉄半蔵門線にやってきた8590系から途中下車したヤマトとタケルは、最寄りの階段を伝って地上にある渋谷にやって来た。夏休みと言うこともあって、いつもより人が多い中、はぐれないように注意しながら雑踏を抜け、ようやくほっと一息できる場所に辿り着いたと思ったら、緩やかな階段がタケルたちを待っていた。
東京都渋谷区宇田川町13番と16番の間にある道路は、100メートル弱のゆるやかな勾配の坂が続いており、北の方角には23段にも及ぶ12メートルほどの階段が続いている。
1975年に商業ビルのパルコから命名を依頼された喫茶店のオーナーが写真で見た風景に一目ぼれして以来、その趣味が高じて経営する喫茶店の内装も統一していたこともあり、何のゆかりもないにも関わらず、24年間にわたってその坂はスペイン坂と呼ばれている。
そのためか周辺商店は坂の愛称に合わせた南欧風の街づくりが行われており、坂の上には映画館、ゲームセンター、そして渋谷パルコの1階には音楽スタジオがある。
料理店の付近に設置されている女神像には、好きな人の名前を書いたプリクラを張ると両思いになるという都市伝説にあやかったのか、実際に設置している料理店がある。上から下までプリクラ君と呼ばれている雪だるまのプリクラがペタペタと張られていた。
タケルの家までまだ距離があるというのになぜ途中下車したのかといえば、理由は単純明快、地下鉄がいつまでたっても動かなかったからである。何時運航再開になるか全く見通しが立たず、代替運行も開始するというアナウンスが流れる位ほどの大混乱である。
切符の払い戻しにできる長蛇の列、代替運行の案内をする駅員の周りにできる人だかり、携帯電話を持っていない人間が唯一使える公衆電話は案の定いっぱいで、沢山の人の波をかきわけ、かきわけ、ようやく二人は地上に到着することができたのだった。
それでも考えることは皆同じらしく、財布に余裕がある大人は迷うことなくタクシーを捕まえるために手を上げる。自転車も心なし今日は多い気がする。それでもほとんどの人は徒歩だろう。
代替バスが待っているのはここから結構遠い発着場所である。かきいれ時とばかりに黄色や緑、白、いろんな色のタクシーが通り過ぎていく。
空車と書いてあるランプはあっという間に切り替わってしまい、タクシーを待っている人でどんどん歩道橋はいっぱいになりはじめていた。
もちろんタケルの住んでいるマンションまで直通でいけるだけの大金所持しているわけもない小学生は、なんとか持っているなけなしの予算内で自宅に帰るべく代替バスがあるというアナウンスにしたがって先を急ぐのだ。
懐かしいくらい久しぶりの振動がヤマトに届いたのは、ちょうどその時だった。
反射的にしまっていたデジヴァイスを引っ張り出したヤマトはブルー仕様のデジヴァイスが小刻みに振動していることに気付くのだ。ぴこぴこぴこぴこ、ぴこぴこぴこぴこ、と懐かしい電子音と警告音が辺りに響き渡る。
もちろん妙に耳に残るノイズにつられてたくさんの視線がヤマトたちに向かうが、どこをどう見ても子供向けのデジタル時計、もしくはポケベルにしか見えないため、誰も深入りすることなく音の出どころがヤマトたちだと気付いたら興味をなくして通り過ぎてしまう。
それでも延々と流れ続ける振動と警告音に、次第にその場にいずらくなってしまった二人は、
仕方なくデジヴァイスを抱えたまま路地に逃げ込んだのだった。
「これってデジヴァイスを持ってる人が近いよってことだよね?」
ああ、と頷いたヤマトはパートナーが超進化したことで紋章と同化したデジヴァイスにのみ発現される探知機能が起動したのだろうと憶測する。
ノーマル・個人仕様のデジヴァイスを問わず、持っている人間を一定エリア内であれば探知することが可能なこの機能は、現実世界であればどれくらいの性能が発揮されるのか完全な未知数だと説明していた光子郎を思い出す。デジタルワールドであればその機能は広大なサーバ大陸全土にまで及び、方向、距離まで明確に分かった。
子供たちが全員集結することができたのはこの探知機能があったからに他ならない。一向に鳴りやむ気配もなく、むしろ次第に大きくなっているデジヴァイスの振動と画面の光、そして警告音を見つめるまなざしは真剣だ。
聡明な兄が危険視するべき可能性について思考を巡らせている中、デジヴァイスが近くにある=仲間が近くにいるという単純明快な発想に至ったタケルは聞いてみるのだ。
「ってことは、誰か近くにいるのかな?探してみる?お兄ちゃん」
「いや、でも誰も渋谷に行くなんて言ってなかったよな?」
「うーん、でも僕達もここにくるなんて思ってもみなかったよ?」
「まあ、それはそうだけどな」
太一は光と共に大型バスを途中下車して母親と共に、父方の祖母のお見舞いに大学病院に向かった。
つまり残りの5人はみんな台場にあるマンション目指して徒歩なり、自転車なり、親の自動車なりの移動手段をもって向かったのを二人は確認している。
明日の朝七時、臨海公園広場で待ち合わせという約束の確認のあと別れたからそれは間違いないのだ。
「そっかあ。じゃあ、誰だろう?」
「さあな」
言葉少なに肩をすくめたヤマトは、デジヴァイスと共に紋章を握り締める。そして、渋谷道玄坂の人混みを遠目に、注意深く辺りを見渡した。
「気を付けろよ、タケル」
あたりを警戒しているヤマトに応じて、リュックサックの中でずっとぬいぐるみのふりをしていたツノモンが、もともと緩やかになっていたひもの入り口をこじ開けて顔を出す。
ふるふると顔をゆらしたツノモンは、どうだ、と聞いてくるヤマトに、うん、と小さく頷いた。そうか、とだけ言葉を紡いだヤマトのデジヴァイスを握る手が強くなる。どうしたの、お兄ちゃん、と不安そうに見上げてくるタケルに、緑色のリュックサックを内側から開けたトコモンが顔を出した。
「え、どうして?」
「デジヴァイスを持っているのは、俺たちだけじゃないってことだ」
「トコモン、わかる?」
「こっちじゃないみたい。ツノモンはどう?」
「こっちでもない、かな。ヤマトのデジヴァイスはあの坂の向こう側を指してるみたい」
「え、じゃあ、デジヴァイスを持ってる敵がいるってこと?」
「ああ、ゲンナイさんが言ってただろ、タケル。10人目のデジヴァイスと太一の妹の、えーっと、光ちゃんだっけ?あの子のデジヴァイスが行方不明だってな。しかもどっちの紋章も行方不明だ。
さすがにパートナーを超進化させることはできないだろうから、普通だったらこの機能は俺たちだけ使える特権のはずなんだ。でも、相手は普通じゃない。科学者なんだろ、ゲンナイさんが言ってたじゃないか。
ダイノ古代境にあった骨をくみ上げて、瓦礫の残骸だったデジコアを復活させて、あのスカルグレイモンを復活させてファイル島を壊滅に追いやりかけたことがあるって。暗黒勢力が持ち去った先代の子供たちの記録を復活させて、復元までさせてるんだ。
セキュリティしか知らないはずのゲートの暗号まで解読されてるんだろ、デジヴァイスを俺たち以上に使いこなせてたってオレは驚くつもりは無いけどな」
「とにかく、それだけの相手だってことだよ。気を引き締めていこう」
「うん!」
「わかった!」
彼らはうなずいて、目の前にある坂道を全力で駆け上がった。
「……これは?」
思わず足を止めたヤマトは、戸惑いを浮かべながらあたりを見渡した。
「気を付けて、ヤマト。何かいる!」
警告するツノモンに、わかってる、と頷いたヤマトは、追いついたタケルが同様にあたりを見渡しているのを確認する。がらがらがらと東京の都心真ん中にはあまりにも不つり合いな馬車の音が響き渡る。
夜の東京に数メートル先も見えない霧が発生しているではないか。どこを見渡しても馬車らしき影は見えず、ただ音がどんどん遠ざかっていく。その霧は瞬く間に散見してしまい、そこに老人倒れているのを見つけたヤマトは、思わず声を上げて駆け寄るのだ。タケル達も急いでそちらに向かう。
熱中症にでもなって倒れてしまったのだろうか。
「おばあさん、大丈夫ですか?」
「なにかあったの?」
ぐったりとしている女性は意識を失っているらしい。呼びかけてみるが返事は無く、ヤマトはあわててタケルに人を呼ぶようにいう。うん、と頷いたタケルが坂を駆け下りていくのを見届けて、ヤマトは倒れている女性をみてぎょっとするのである。
夏服から覗いている皮膚はまるで老女のようだったので、おばあさんと呼んでみたのだが、呼吸ができるようにうつ伏せから仰向けにしてみたところ、どう見ても20代の衣装である。
しわしわになった皮膚、毛細血管が浮かび上がってミイラのようになっているがりがりの腕は、辛うじて脈を刻んでいるが、呼吸は限りなく微弱である。どこをどう見てもおかしい。
「ヤマト、これは」
ヤマトのリュックから飛び降りたツノモンが女性の首元に近寄っていく。
「これは・・・・・・・」
小さな犬歯が二つ突き立てられ、青痣が浮かんでいる。ひやりとした風にヤマトは振り向いた。外套もまばらな黒い道の向こう側に白いものが見えた。鯉きりの塊が緩やかに動き、近づいてくる。ぞわぞわぞわとツノモンの毛が逆立つ。
まっている暇は無い。道路にどんどん霧が充満していく。女性を守るために前に立ちふさがったヤマトは、ツノモンと共に前を見据えた。
デジヴァイスの反応が最大音量の警告音を持って、デジヴァイスと紋章を持っているものの存在を知らせている。
タケルは逃げることができただろうかと思いながら、ヤマトはデジヴァイスをかざしてツノモンをガブモンに進化させる。
「いくよ、ヤマト!」
「ああ、頼んだぞ」
答える必要はない。すべてわかっている。そういう響きが含まれていた。迷っている暇は無かった。隙を見せたら最後、目をそむけたが最後、間違いなく、殺される。
デジヴァイスが進化の光に包まれる。タグに組み込まれている友情の紋章が解放され、ガブモンは真っ白なベールに包まれ、姿をかえていく。
「食事時にずいぶんと無粋な真似をしてくれる」
影が無機質な声を発する。姿なき声に呼応して、無数のコウモリが飛来する。
「食事だって?」
「この人をこんな目にあわせて、なんだよそれ!」
黒い霧だと思われたそれは、太陽の眠った常闇で活動を開始した敵の配下だったのである。コウモリたちの動きが速かった。ヤマトたち目掛けて襲いかかってきたコウモリに、ガブモンは目の前にいたパートナーをかばうことしかできなかった。
コウモリに覆われて黒い塊になった女性は、あっという間に空中に浮遊する。コウモリたちは際限ない食欲で女性の血液一滴まで食らいつくそうとしているようだ。ヤマトのデジヴァイスのゲージが最大限にまで跳ね上がる。
道路の向かい側にある音楽スタジオまで押し戻された影は、一陣の風を持ってガルルモンはコウモリ達を跳ね飛ばす。空中で反転したガルルモンは口から真っ青な炎を放った。すでに地上にはいない敵は、大きく跳躍した後で重力の法則に逆らう形で空中にとどまっている。
迫りくる高温度の炎はその後を追って伸びる。これもマントの一振りで蹴散らしてしまった。
ガルルモンはその影を追いかけながら、音楽スタジオの壁をけり、高く高く跳躍する。ヤマトが叫ぶ。ガルルモンの姿が光の中で変貌を遂げ、巨大な狼はそのスピードと引き換えに
はるかな跳躍力を得た狼男へと進化を遂げた。その粒子をまといながら、大きな回し蹴りがさく裂した。
「円月蹴り!」
その蹴りが届くまではまだ距離が足りない。だが三日月形の衝撃波は敵目掛けて飛んでいく。
その衝撃波から主を守るべく一斉に集まってきたコウモリから解放された女性が急速に落下していく。
ワーガルルモンはその飛距離のまま女性を受け止めると、安全なところにまで一気に飛んでいく。配下のコウモリの犠牲でもって攻撃を防いだ姿なき敵は、その隙を狙って真っ赤な瞳を向けた。衝撃波が周囲に広がった。音のない爆発である。外套が砕け、ビルの窓ガラスが四散した。
渋谷駅前広場であるハチ公を見下ろす樹の上であたりを警戒しながら、パタモンは公衆電話で通報しているタケルを見守っていた。パタモンがいては電話がつながらなくなってしまうのだ。
デジタルワールドでは光子郎と大輔の携帯電話やPHSは使えたのになんでだろう、と光子郎が魔改造したことを知らない彼は思うのだ。人々のざわめきが聞こえる。遠くで爆発音が聞こえてきて、パタモンはいてもたってもいられなくなり、警察と救急車を呼んでほっとした様子で外を出たタケルの待つ茂みへと急いだのだった。
「お兄ちゃんっ!」
姿なき敵から放たれた赤い電撃が鞭のようにうごめき、ワーガルルモンを襲うのが見えた。突然の爆発と共に真っ暗になってしまう東京ハンズの掲示板、ネオン、行きかう人々の視線は空に向かっている。
跳躍した空中から東急ハンズの壁に飛びついたワーガルルモンは、その爪を壁に食い込ませ、
垂直にとんぼ返りして間髪でかわす。電撃が壁を深くえぐる。ネオンが激しく火花を照らす。
あっという間に停電になってしまった。ただでさえ帰宅困難者で溢れ返っていた雑踏はますます大混乱になっていく。
上空から無尽蔵に降ってくるガラスから逃げるために散っていく人たちから逃げる。
タケルは、両手を勢いよく交差させ、真っ赤な爪で空気を切り裂く真空波を目印に、兄がいるであろう場所をめざして裏路地に潜った。敵は強い。途方もなく強い。そうパタモンはぬいぐるみのふりをして、リュックにへばりつきながら思った。
下方の空中にいたワーガルルモンが両手で攻撃をブロックするが、そのまま向かいのビルに壁ごと撃ち抜かれてしまう。無数のコウモリがワーガルルモンに襲い掛かる。必死で防衛体制をとり続けている隙を執拗に攻撃する。
Parcoのネオンに叩きつけられたところに、容赦なく振り下ろされる一撃。屋上に転がっているワーガルルモンは、微動だにしない。這いつくばっている狼男は、懸命に立ち上がろうとするが、全身を襲う麻痺の副作用は身体の動きを完全に封じていた。
「パタモン、急いで!助けて!ワーガルルモンがやられちゃうよーっ!!」
タケルの絶叫がデジヴァイスに届いた時、内蔵されているゲージの数値が一気に跳ね上がる。
聖なる光を6枚の翼に託し、黄金色の杖を携えて現れたエンジェモンは、タケルを抱きかかえて、一気にワーガルルモンがいる所にまで飛翔する。
放たれる眩い光をまとった突風がワーガルルモンに襲い掛かる無数のコウモリを蹴散らした。
そして、ネオンが粉砕されて常闇が濃くなっていくにしたがって、数を増やしていくコウモリを殲滅するべく、自らが持っている聖なる光を一気に拡散させる。
いくら格下の成熟期が放った光の攻撃とは言え、所詮は分身に分身を重ねた微弱な魔力で構成されている個体としては成長期レベルのコウモリは、あっという間に粒子となって消えてしまう。
ようやく常闇の主はその正体を現した。ヤマトたちが真っ先に連想したのは。顔の半分以上を覆い尽くしている仮面が紅に染まるのは、決してエンジェモンの光による照り返しによるものではない。
同格ならばともかく、所詮は完全体と成熟期という圧倒的な格差があるうえに、今は宵の刻、世界は太陽から月に主導権が移りつつあり、すでに光と闇の均衡は崩れ去っていた。時間が経過するにつれて、どんどん状況は悪くなっていく。
どうする?必死で状況の打開を思案するエンジェモンの脳裏によぎるのは……。かたく唇を結んだエンジェモンの視線がワーガルルモンに向かう。
「ワーガルルモン、私に考えがある」
ふ、とばかりにワーガルルモンは鼻で笑った。
「断る」
「……まだ何も言ってないんだが」
「言わなくても分かるさ。でも断る。それよりこの痺れをなんとかしてくれ」
しばらく沈黙したエンジェモンは、まだ痺れの残る満身創痍の味方の傍に駆け寄ると、左手からシルク色の光をかざしてやる。瓦礫のころがる屋上で再会したお兄ちゃんに、タケルはちょっとだけ涙目になって、お兄ちゃんの馬鹿、なんで僕だけおいていっちゃうんだよ!と叫ぶのだ。
悪い、と言葉短く肩をすくめたヤマトは、もう二度としないで、という約束を求める弟への返事はあえて聞かなかったことにして、弟を守るべく前に進み出るのだ。複雑そうな眼差しは背中で受け止める。
「大丈夫か、ワーガルルモン」
「ああ、なんとかな」
「相変わらず無茶をする、ヤマトも君も。私のパートナーを悲しませないでくれないか」
「どの口がいうんだ。味方もろとも攻撃する趣味は俺にはない」
「他言無用で頼むよ」
「ああ」
ここに長時間居続けるのは得策ではない。ならばとれる方法は一つだけである。どうやらまだ本性を現す気はないらしい敵は、こちらの動きを察知してにやりと笑みを浮かべている。コウモリの群れが一斉にあたりを覆い尽くす。真っ赤な電撃を伴った嵐がビルを中心に襲い掛かった。
渋谷の上空に、光と闇、そして空間を切り裂く真空波の力がぶつかって拡散する。衝撃は色を変えながら町全体を覆い尽くすほど広がり、眩く照らし出された渋谷は、その後、15分の大停電に陥った。当然のことながら街は大パニックになる。
成熟期や完全体から一気に退化したパートナーデジモンと人間を捜すことは、さすがの敵も出来はしないのだった。デジヴァイスを持っている限りお互いに居場所がばればれなのは変わらないが、こちらには地の利と圧倒的な知識の差がある。
そして、単独行動を基本とする敵と違って、ヤマトたちにしか起動できない機能があることも事実である。デジヴァイスが起動した結界の中で、ヤマトとタケルは無事、追っ手をまくことが出来たのだった。