タケルと奈津子の住んでいるオートロック式のマンションは、まず出入り口の真横にあるロック画面に行かなければならない。真っ黒な画面に設置されているモニタと音声が聞こえてくるマイクがあって、その下には、電話や携帯と同じ配列の数字が並んでいるのだ。
僕たちの住んでるお部屋の番号を押すんだよ、と得意げに笑ったタケルは、ちょっと背伸びをして自分が住んでいる部屋番号を押し、確認ボタンを押した。そして、カードキーの提示を求められたタケルは、リュックから予め出しておいた、ひも付きのカードを勢いよく隣の機械に通して、引き抜くのである。
照合中という言葉が表示された後、ようやく自動ドアのちょうど真上にランプがついて、自動ドアがタケルとヤマトを迎え入れてくれたのだった。
ひんやりとした空気が一気に流れ込んできて、
蒸し暑い外で待たされていた兄弟はほっと息をなで下ろした。金髪の小学生二人組という外見はやはり人目をひくらしい。フロントで警備を委託されているおじさんが、競馬新聞をテーブルに置き、にっこり笑って会釈した。背後ではちょうど小さなテレビで競馬のなんとか賞が開催される直前である。
「おや、タケルくんじゃないか。お兄さんも一緒かい?お帰り。今日はキャンプじゃなかったのか?」
そう言えばここに久しぶりに来た時も、タケルが嬉しそうに話してたっけ、とぼんやりヤマトは思い出す。どうやらタケルが引っ越してきた頃からここで警備員をしているこのおじさんは、帰宅してもお母さんがいないことが多い鍵っ子な弟にとっては貴重な頼れる大人らしかった。
きっと毎日こうやって挨拶したり世間話をしたりする位には知り合いなのだろう。普通のマンションに住んでいるヤマトにとってはまずあり得ない光景である。
「おじさん、ただいま!今日はね、キャンプ場にいっぱい雪が降ったから、中止になっちゃったんだ」
「ほー、そりゃ残念だな。しっかし、夏に雪とは日本もとんでもないねえ。アマゾンじゃ干ばつで沼地が干上がっちまってるって話だし、砂漠地帯じゃ連日の豪雨で河が氾濫しちまうし、アメリカじゃ豪雪らしいじゃねえか」
「でも今日はね、お兄ちゃんが泊まってくれるんだ!」
「ほー、そりゃよかったじゃねえか」
「うん!じゃあね、おじさん!いこ、お兄ちゃん」
「ああ、そうだな」
そうしてタケルに手を引かれるままにエレベータに乗ったヤマトは、真っ黒なボタンの中で唯一オレンジ色にライトアップしている番号を見る。お母さんが家にいて、そこに向かって帰っている自分がいることにひどく違和感を覚える自分がいた。
一段一段上がっていくうちに、手のひらに汗を掻いていることに気がづいて、フリースでぬぐってみるがやっぱりどこか緊張しているらしい。タケルは気づかないからたいしたこと無いのだろうが、心臓の音がやたらうるさい。
真横に設置されている全身を映し出す大きな鏡を見れば、ぎこちなくなっている自分がいた。
ついたよ、というタケルの声に我に返ったヤマトは、はやくはやくって急かす弟に苦笑いしながらエレベータを下りるのだ。
タケルの手にはカードキーと同じヒモに結ばれている別のカードキーが握られている。ようやく辿り着いたカードを差し込んだタケルは、ぴ、という音と共に、自動的に開閉する機械音を耳にする成り、勢いよく扉をひらいた。玄関にはお母さんの靴が並べて置いてあった。
「ただいまー!」
元気良く声を張り上げるタケルは、もう靴を脱ごうとしている。釣られてただいま、と小さくつぶやいたヤマトは、お帰りなさいという言葉を聞いて思わず顔を上げてしまう。
聞かれた、と察したヤマトはバツ悪くなってちょっとだけ横を向いてしまった。いつもは無愛想な長男が自分の家と同じようにただいまと言ってくれてちょっと嬉しいお母さんがいるのでますます気恥ずかしくなってしまう。
「お帰りなさい、ふたりとも。大雪で迷子になったんですって?大変だったでしょう、大丈夫だった?」
「うん、大丈夫だったよ!お兄ちゃんがいてくれたから、全然寂しくなかったんだ!」
「そう、それは良かったわね。ありがとうね、ヤマト。さすがはお兄ちゃんね」
「いや、別に、俺は……」
当たり前のことをしただけだから、お兄ちゃんとして。次第に小さくなっていく言葉でもしっかり聞き取れたのだろう奈津子は、にこにこしている。ありがとう、と言われたヤマトは、ますます言葉が続けられなくなってしまった。照れ屋な長男が言葉を探してうろたえている中、タケルが早速奈津子に聞くのである。
「ねえねえ、おかあさん!今日ね、お父さんがいないんだって。だからお兄ちゃん泊まってもいいでしょ?」
「あら、そうなの?私はいいけど、ヤマトはいいの?」
いつもならば、お父さん贔屓の長男は自分だけお母さんとタケルと一緒に過ごしたら、お父さんへの裏切りになるとかたくなに信じているため、なにかと理由を付けて断ってきた経緯がある。タケルがいつでも大歓迎なのはいつものことだったので、奈津子はヤマトに聞いてみるのだ。
「……今日は、泊まっていく」
ぽつり、とつぶやかれた言葉に、一瞬意味を反芻した奈津子は瞬き数回のあと、ぱっと笑顔になったのだ。よかっわねえ、タケル!と微笑んだ奈津子に、実は初めから知っていたなんていえないタケルは、うん、と頷いて笑った。
何年ぶりかしらねえ、と感慨深そうにつぶやいた奈津子は、見るからに嬉しそうである。どこかに出掛けようかしらという発案をされたらどうしようかと心なし身構えていたヤマトだったが、どうやら家族そろって水入らずの外食をする気はないらしく、奈津子は荷物を片づけて、着替えていらっしゃいと言って先に部屋に引っ込んでしまった。
これでなんとかデジモン達の食料確保は出来そうである。よかった、と胸を撫で下ろしつつ、ヤマトたちは一度タケルの部屋へと引っ込むことにしたのだった。
そして、デジモン達にお菓子を振る舞い、待機しているようお願いしてからリビングに顔を出した二人を待っていたのは、暑かったでしょ、とキンキンに冷えた麦茶をくんで待っているおかあさんの姿である。
「せっかくだから、お母さん、腕によりをかけて作っちゃおうかしら。なにたべたい?」
家族水入らずの時には、特別なことをしたいという意識が強いためか、なにかと外で食事をしたり、お取り寄せを頼んだりする演出をしたがる奈津子にしては珍しいこともあるものである。
子どもが不在と言うことですっからかんのはずの冷蔵庫は、すっかり冷えた麦茶が入っている。どうやら子供たちが帰ってくると事前に連絡が行っていたため、買い物を済ませてきたらしい。
「え、ほんと?」
「ええ。今日はおうちでゆっくりするのもいいと思ってね、近くのスーパーで買い物してきたの。ごめんなさいねえ、せっかくのお休みなのに。いつもならどこかに出掛けるところなんだけど、今日は公共交通が全滅状態でしょう?
吸血鬼なんていう気持ち悪い通り魔もいるみたいだしね」
「吸血鬼?」
「あら、大通りのテレビとかで見なかった?
今日の夕方ごろに女の人がね血を吸われて倒れてるのが見つかったんですって。テレビ見る?多分、トップニュースでやってるわよ。今日で何人目かしら。怖いわねえ」
ぴ、とリビングにおいてあるテレビのスイッチを入れた奈津子が、ほら、と指差す先には、まだ記憶に新しいスペイン坂の現場にkeepoutのまっ黄色なテーピングが張り巡らされ、報道陣が殺到しているのが窺える。まさかあのデジモンにやられた女性のことだろうか。
被害女性の年齢は被害者に共通の20代前半ということが強調され、化粧や衣服、靴に至るまでヤマトとタケルが強烈に覚えているミイラの彼女と合致する。命に別状はない、との文言にほっとした様子で息を吐いた二人は、間違いなく吸血鬼はデジモンであると確信する。
「何人目って、この人だけじゃないってことか?」
「そうみたいねえ。今日の夕方ごろから光が丘で一人、隣町で一人、ええとこれで4、いえ5人目かしら?」
「お母さん、外に出ちゃだめだよ」
「あら、ふふ、そうねえ。若い女の人が被害に遭ってるみたいだから気を付けないとね」
食事を邪魔するという言葉を思い出したヤマトは、心の底からぞっとするのである。
どうやら吸血鬼というのはあながち間違いではないらしい。
「さ、ご飯がおいしくなくなっちゃうからちょっとテレビはお預けね。二人ともお腹すいてるでしょう?何食べたい?」
「ぼくパスタ!お兄ちゃんは?」
「え、あ、ええとオレも」
「そ、じゃあ久々にお父さんに教わったパスタでも作ろうかしら」
奈津子の父親は外国人である。そのためヤマトとタケルの日本人離れした外見はクオーターが故の先祖がえり、隔世遺伝といわれている。イタリア人ではないが、ラテン系の血が入っているためか根っからの楽天家な祖父から教わった家庭料理が、奈津子の料理レパートリーの偏りが日本よりも西洋の家庭料理に寄っていたり、造詣が深かったりする一因でもある。
久々に子供二人にふるまう料理とあって気合が入っているのか、奈津子はいつになく上機嫌でキッチンへとむかったのだった。2年ぶりになる母親の料理する姿をなんとなく後ろから眺めていたくて、慣れた様子で食器の配膳を始めたタケルの手伝いをしながらヤマトはこっそりと奈津子の方を見る。
聞きたいことがあると決めていたはずなのに、こうして家族のだんらんを前にするとそれを自ら壊してしまいそうな気がして、なかなか切り出せない自分がいた。香ばしいバターとオニオンライスの焦げた匂いが漂ってくる。
どうしよう、と内心焦りを浮かべながらため息をついたヤマトがタケルに言われてフォークを3つ並べようと引き出しを開けた時、リビングに設置されている固定電話のベルが鳴る。
「ごめんね、今手が離せないから誰か電話に出てくれない?」
おそらくパスタに和える具材を調理しているのであろうフライパンを鳴らしながら奈津子が言うので、ヤマトはタケルにフォークを3つ手渡すと、俺が出るよ、と告げてそのままリビングに向かった。
『もしもし』
女の子の声である。もしかして河内小学校の連絡網かなにかだろうか。しまった、やっぱりタケルが出るべきだったかな、とちょっとだけ焦ってしまう。
「もしもし、いし、あ、いや、たか、高石ですけど」
何時もの癖で父方の姓を名乗ってしまったヤマトはあわてて訂正して、どちら様ですかと切り返す。
『あ、もしかしてヤマトさんですか?アタシです、ミミです』
「え、ミミちゃん?どうしたんだよ、突然」
「え、お兄ちゃん、ミミさんから電話?」
「え、あ、ああ。タケル、お前いつの間に」
「えっと、大輔君たちと一緒になったときにね、電話番号交換したんだ。今度一緒に遊ぼうねって」
「あ、そうなのか。なんだ、びっくりした」
『もしもーし、ヤマトさん?聞こえてます?』
「ああ、悪い。驚いただけだよ。で?」
『あのね、今日やってる吸血鬼のニュース見ました?渋谷区の』
「ああ、さっき見た。謎の爆発とか結構騒ぎになってるみたいだな」
『もしかしてって思ったんでお電話したんですけど、その、ヤマトさんとタケル君、あの吸血鬼の大騒ぎとか爆発事故のとき、渋谷にいませんでした?』
思わず言葉が詰まってしまったヤマトである。
『もしもし、ヤマトさん?』
「あ、ああ、悪い。いたよ、いたけど、なんでミミちゃんがそれを知ってるんだ?」
『えっと、その、実はあたしのパパ、ミュージシャンなんです。今日は渋谷のレコーディングスタジオで収録してるんですけど、15分くらい渋谷区が大停電になったせいで機械が壊れちゃって、結局今日はおうちに帰れないって電話があったんです。
そのときに、たばこを吸うために外に出たら、大きな青い犬といっぱいのコウモリ、あと金髪の男の子を見たんだけどテレビの収録かなって連絡があって』
思わず頭を抱えたくなったのはご愛嬌である。
そういえばスペイン坂のゲームセンターがあったビルには音楽スタジオがあった気がする。暗幕が貼ってあって外から中を覗くことは出来ず、防音設備も整っていたのだろう、全く音がしなかったから誰もいないものだとばかり思い込んでいた。
しまった、大人がいたのか。しかもデジモンを見られてしまった。頭痛がするヤマトである。
結構派手に戦闘を繰り広げてしまったのだから、目撃証言があってもしかたないだろう。不可抗力である。
幸いミミの父親は、テレビの収録か何かだと勘違いしてくれたらしく、深く言及をすることは無かったようだ。ただなんとなくミミの両親と会うのはちょっとまずいかもしれないなあと思うヤマトである。
何かあったんですかって心配そうに聞いてくるミミに、後ろを確認したヤマトはそっと受話器に手を当て、声が漏れないように注意しながら小声で話すのだ。
「実はあの時、コウモリを従えた吸血鬼みたいなデジモンに襲われたんだ」
『え、大丈夫だったんですか!?』
「なんとか逃げることができたけど、その代わりに渋谷区が停電になっちまったな。そうだ、ミミちゃん。太一たちに伝えてくれないか?
悪いけど、明日の7時には俺たちいけないかもしれない。地下鉄とか止まってるせいでお台場に帰れないんだ」
『あ、そっか、そうですね。ヤマトさんがタケル君のおうちにいるんだし。でもそっちの方がいいですよ。タケル君と一緒にいてあげてくださいね』
「ああ、そうするよ。ミミちゃんも気を付けて。夜は外を出歩かない方がいい。ニュースでやってるあの吸血鬼の通り魔はそのデジモンなんだ。コウモリに女の人を襲わせて、血を吸ってた。俺たちが止めないと女の人が死ぬところだったんだ。気を付けてくれ。奴が現れる時には、いつも黒い霧が発生するんだ」
『わ、分かりました。ママにも今日はお出かけしないでって言ってきます!じゃあ、おやすみなさい』
「ああ、また連絡するよ。おやすみ」
がちゃりと受話器を置いたヤマトは、はあ、とため息をついてキッチンへと向かう。
「ミミさんなんて?」
「え?ああ、明日の約束はちょっと無理だって、太一たちに伝えてくれるよう頼んだんだ」
「あ、そっか。そうだね」
ちょっと残念そうに肩をすくめたタケルは、飲み物を冷蔵庫から取り出すところだった。隣ではすっかり出来上がったボウルの中のパスタを具材と共に混ぜ合わせているお母さんがいる。
どこかニコニコしているのは気のせいではないだろう。
「なんだよ」
ちょっと嫌な予感がしてヤマトは後ずさった。
「ヤマトはやっぱりおじいちゃんに似てるのねえと思っただけよ」
ふふふ、と怪しげな笑みを浮かべている奈津子は明らかに井戸端会議に花を咲かせるおばちゃんの顔をしている。ヤマトは一度だけそれを見たことがある。たしかGWの頃だったか、タケルが寝静まった後、こっそりヤマトの近況を聞きたがった奈津子に今年の4月に野球部とサッカー部でグラウンドを巡って内紛状態となったことを話した時と状況がよく似ている。
たしかあの時には太一と空と友達になったことを話したような、そしたら珍しく女の子が話題に出てくるから奈津子が過剰反応して。もうやめよう。奈津子の考えていることが分かってしまったヤマトは、違うからな、とはっきり否定して話題を切り上げた。
残念そうに肩をすくめた奈津子は、3人分にパスタを取り分けて、シーフードサラダもサイドにおいてくれた。椅子に座ったヤマトとタケルは、いただきます、と手を合わせる。
「ヤマト、食い逃げするようなお友達はお友達とは言わないわ。ちゃんと分別つけなさいね」
かつん、と皿にフォークのこすれる音がする。
弾かれるように顔を上げたヤマトとタケルは、ひきつらざるを得なかった。
「なんでそんなこというんだよ、母さん」
「あの人から電話があったわ」
「父さんから?」
「お父さんから?なんて?」
「今、電波障害があちこちで起こってるでしょう?だからあの人のオフィスも大騒ぎらしいの。報道陣や番記者の人たちがあちこち取材して回ってるんだけど、××商店のアイスクリーム屋さんで食い逃げした子供がいたらしくてね。
代わりにあなたがお金を払ってあげてるの見た人がいるらしいのよ。その子たちと仲良く話してるのを見た人もね。ヤマトは優しいから肩代わりしてあげたんでしょうけど、それはあの子たちのためにはならないからね。
それはあの人のお金でしょう?ヤマトのお金であったとしても、それはよくないことなのよ」
「………ああ、気を付けるよ」
「そのこの親御さんにも言ってあげてね。そっちの方がいいと思うから」
「そんな、お兄ちゃんは……!」
「タケル」
「え、でも……」
「どうやって説明するんだよ」
「……そうだよね」
はあ、と二人はため息をついた。
それは1時間前に遡る。
真っ先に反応したのはタケルで、釣られる形でふり返ったヤマトはちょっと硬直するのだ。ハロウィーンは10月のお祭りじゃなかったか、むしろ日本じゃマイナーな部類にはいらないか、パンプキンパイくらいしか思い付かない小学生にとって、もともとハロウィンはなまはげ的な行事であり、悪霊を追い払うために仮装した子供が街を練り歩くなんてルールはしらないだろう。
どうでもいいが今日は8月である。明らかに季節外れの仮装大会が両手をふって歩いていた。
丸い目とギザギザの口にくりぬかれたカボチャの向こう側にはぼんやりとした光があって、それが生きていることを教えてくれる。斧が脳天に突き刺さっても生きていられる頑丈な体の持ち主は、なにやら慌てふためいた様子でこちらに走り抜けて来るではないか。
適当な石を人間の形に組み上げたようにしか見えないでこぼこの石型デジモンは、息を切らせながら置いていかないでくれと必死で相棒を追いかけてくる。
「いたあああ!」
まっすぐに指差されてしまったヤマトは硬直する。
「え、おれか?」
「そうだよ、金髪の兄ちゃん!デジモンの匂いのするそこの兄ちゃん!頼むから助けてくれよ!オイラたち、怖い奴に追われてるんだっ!」
ヤマトとタケルは顔を見合わせる。デジタルワールドと現実世界の境界線が曖昧になり、デジモンが迷い込むという事例は太一から聞いている。もしかしたらこいつらもその類なのかもしれない。
「怖い奴ら?悪い奴らに追われてるの?いいよ、ここに隠れてて」
「サンキュー!」
二体のデジモンたちはヤマトに促されて脇道に隠れた。悪い奴って誰だろう。リュックの中から話を聞いていたツノモンとトコモンがそれぞれのリュックから顔を出す。どうする?進化する?もうちょっと様子を見てから?デジヴァイスと紋章が入っているポケットを探りながら、
ヤマトたちは彼らが逃げてきたスペイン坂を眺め見る。
「まてえええええ!こんの、くっそがきいいい!どこ行きやがった、カボチャ頭あああっ!!」
大絶叫と共に現れたのは、鬼の形相でブランドもののバッグを振り回しながら全力疾走している妙齢の女性である。その姿からは似つかない暴言罵声を呪詛のようにはき出しながら、ぜいぜいはあはあ、せっかくのメイクが汗で台無しなのも気にせず、彼女はどんどん坂を下っていく。
引きつった顔をしているヤマトの後ろに思わずタケルは隠れてしまう。ヤマトもなんとなく目を逸らしてしまう。パンプスは足の部分がおれてただのサンダルのようになってしまっているが、結構派手な色遣いの服がなぜか血まみれになっているが、怒り心頭の彼女は自分の恐ろしいまでの出で立ちに気づくことが出来ないらしい。
だらだらだらと流れていくのは鼻血ではなく、おしゃれのつもりで付けていたのだろうおおきなピアスがあって、その付け根の所から出血しているようだった。彼女は訳の分からない言葉を叫びながら走り去り、ようやく疲れが体に直撃したのか、よりにもよってヤマトたちの近くで膝をついてうずくまってしまった。
目を合わせないようにそれとなくその場を離れようとしたヤマトは、もしかしてさっきの2体が彼女にイタズラでもしたのだろうかと思いつつ、タケルの手を取ろうとしたが、彼女とばっちり目が合ってしまった。
げ、と思いつつ、ずいっとを上げた汚顔を向けられたヤマトは反射的に後ずさりした。
「どこいった、あの、カボチャ、頭っ!しら、な?」
ちらと見れば脇道に隠れている二体はぶんぶん首を振っている。お願いします神様とでもいいたげに両手を合わせて拝み倒している。はあ、とため息をついたヤマトは、脇道とはちょうど反対方向の下り坂を指差した。
「あっちに行きましたよ」
きっと言いかけた言葉はありがとうなのだろうが、もはや聞き取り不能な宇宙語を叫びながら彼女はあっという間に見えなくなってしまった。
「ありがとー!兄ちゃん。オイラはパンプモン!」
「おれ、ゴツモン!」
「「二人合わせて、渋谷系デジモンなんだ!」」
「はあ?」
妙な脱力感に襲われたヤマトがため息をつくのも無理はなかったりする。そんなお兄ちゃんの横で、さっそく光子郎からもらったばかりの
デジモンアナライザーを起動したタケルは、カボチャのデジモンを読みとった。え、なになに、写真?やーだ、オイラも有名になったなあ、なんて呑気に笑っているパンプモンは、どこまでも無表情なのでちょっと怖い。もんざえモンを思い出したのはここだけの話である。
「パペット型、データ種、完全体……って完全体なの、きみ!」
てっきり成長期だと思っていたタケルは驚いて声を上げた。
「おうおう、そうだぜ。オイラはこう見えても完全体なのさ。ふふん」
すごいだろ、今ならサインやるよ、と調子のいいことを言っているちゃらんぽらん相手にちょっと相手をするのも疲れてきたヤマトは、それほんとなのかよってタケルからアナライザーを借りてみるのだ。カボチャの頭をもつヌイグルミのデジモンであるというパンプモンである。
それ、ぬいぐるみなのか、って脳天に突き刺さっている斧に触ろうとしたヤマトに、ダメー!これはオイラの一張羅!という悲鳴が上がった。どうやら中も柔らか仕様らしい。欧米のお祭りである「ハロウィン」の時期になると発生していたコンピュータウィルスが突然変異を起こして生まれたというパンプモンは、悪質なウィルスではなかったのでデータ種に分類されているようだ。
危害を加えることは一切ないが、見た目の姿とは裏腹に強力な攻撃力の持ち主でもあるらしい。なにせ必殺技は巨大なカボチャを空中に出現させて、敵を押しつぶす『トリックオアトリート』である。お菓子をくれなきゃイタズラするよの文言丸無視である。何はともあれ人は見かけに寄らないものだ。
「じゃあお前も完全体なのか?」
「ちがう、ちがう。おれは成長期だい」
「鉱石型、成長期、データ種か、ホントだな」
「おれの鉱石は宇宙から来たんだぜ!だからすんごく硬いんだ!」
「ほんとかよ」
「ほんとだって!ほら見ろよこの輝き!普通のゴツモンじゃこうはいかないぜい」
こつこつ、と自らの頭を叩いてみせるゴツモンだったが、そこら辺に転がってる石と変わらない気がするのはきっと気のせいではないはずである。
アナライザーによれば、構成データの違いによって、様々な種類の(またの名を色違い)ゴツモンたちがおり、そのデータさえも環境や条件によって変化し、様々な進化の可能性を秘めているのだという。完全体のデジモンがいるせいで、周囲の電灯が激しく点滅し、不思議そうに行き交う人達が上を見上げている。
「ところで、なんでお前達はこんな所にいるんだよ。ここはデジタルワールドじゃないぞ、迷子にでもなったのか?」
ゴツモンとパンプモンは顔を見合わせた。そしておもむろに声を上げて笑うのである。
「ちがう、ちがう。おれ達はここにいたいからここにいるんだぜい」
「迷子になったわけじゃねえよ。オイラ達は【楽しいことが大好き】なのさ!」
「いや、それ答えになってないだろ。どうやってきたんだよ」
「え?いやー、それは」
「内緒だぜい!んじゃな、るったらー!」
「るったらーじゃねえっつの、ろったらーだ、ばあか!」
「あ、そうだった。ろったらー!」
「あ、おい、ちょっと待てよ!」
あわてて引き留めようとしたヤマトの静止を振り切って、あっという間に自称渋谷系デジモン達は走り去ってしまった。二体は子供くらいの背丈しかないせいで、夜の人混みに紛れてしまったが最後、目視するのは無理だった。しかし、同じ匂いをたどることが出来るデジモン達は違ったらしい。
「みてみて、ヤマト!あれ!」
ツノモンの声が上を促す。スペイン坂をちょうど下った辺りにある信号がアトランダムに明滅状態となっているのが分かる。ぐらぐらぐらとそのうちの一つが風もないのに揺れていた。
「信号機で遊んじゃだめだよっ!」
タケルの声が響き渡る。先ほどまでスムーズに流れていた交通があっという間に渋滞になりはじめてしまった。完全にシステムダウンしてしまった信号機は、まるでネオンのようにカラフルな色を映し出していた。
あそこか、と走り出したヤマトは、人混みの中で迷子にならないようにタケルの手を握り締め、野次馬が目立ち始めた交差点へと下り始める。やはり完全体クラスのデジモンが遊び半分でイタズラすると大混乱が起きてしまっている。
しまった、別にいいやつっぽいしほっといてもいいか、とデジタルワールドと同じような
感覚で接してしまったと今さらながら後悔が過ぎる。スイマセン、ちょっとどいてください、って声を上げながらどんどん先を突っ込んでいったヤマトは、一瞬の浮遊感のあと、次に踏むはずだった地面がないことに気づく。あれ?穴?
「うわあっ!?」
あわてて立ち止まったヤマトのせいでひたすら後をついてきていたタケルは、お兄ちゃんの背中にぶつかってしまう。思いっきり鼻をぶつけてしまったタケルは涙目である。なんでいきなり止まるの、お兄ちゃん、と涙目な恨み節が聞こえてきたので、わるい、わるい、ごめん、と苦笑いしたヤマトはその先を見せてくれた。
「穴?」
「穴だな」
「なんでこんなところにあるの?」
「マンホールの蓋が片っ端から開けられてるんだ。水路のコンクリートまでひっくり返してあるぞ」
「あの看板落書きされてるよ、お兄ちゃん」
「デジ文字だな」
「【渋谷系デジモン参上】だって」
「………あいつらか」
「ねえねえ、二人とも。あのショーウインドのマネキン、なんにも着てないよ」
「ホントだ、なんにも着てない」
その代わりに残されているのは、ショーウインドに開けられた特大サイズのひび割れである。
防弾ガラスなんてものともしない威力で粉砕されたのか、無数のガラスの破片が散乱していて、その上には海外ニュースで見たことがある超特大サイズのカボチャや河の上流に転がっていそうな大きな岩が突き刺さっていた。
「いい加減にしろよ、お前ら」
ヤマトがうんざりした小言を彼らにぶつけることが出来たのは、30分後のことである。