(完結)おれとぼくらのあどべんちゃー   作:アズマケイ

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第157話

じじじじじ、とファスナーの金具音が、右から左に真っ黒な世界を二分する。汗くさいタオルや衣類を上から押し込まれ、使い捨てカメラやデジヴァイス、紋章をつっこまれ、息苦しさを必死で我慢していたチビモンは目を輝かせた。

 

2時間もの間待ちわびた「出てこいよ」の言葉に、待ってました、とばかりにチビモンは顔を出す。蒸し暑いリュックから解放されたチビモンを待っていたのは、冷房全開の快適な空間だった。

 

うーん、と大きく伸びをして、チビモンはリュックから飛び出すのだ。そして、あたりをきょろきょろと見つめ、好奇心に駆られて目の前にあったベットに特攻する。ぎしりとスプリングがきしむ音がする。ごわごわのタオルケットが飛び跳ねた。

 

お日様のにおいがする布団に沈みながら、ほんの少しだけ高くなった世界をチビモンは注意深く見渡すのである。

 

 

まず目をひくのは壁を独占している何枚もの大きなポスターだ。サーバ大陸のコロシアムで見たサッカーボールとは違う、見たこともない文字が刻まれたロゴ、デザインのボールを豪快に蹴り上げる男性が写っている。

 

4年に1回開かれるサッカーの祭典で使用される公式のボールなんだよ、と力説されるのだが、当然ワールドカップのワの字も知らないチビモンには、その価値はさっぱりである。

 

でも、大輔がそのポスターをとっても大切にしているのは一目瞭然だ。大輔曰く一番好きなサッカー選手のポスターらしい。穴が開くのが嫌という理由から、わざわざ跡が残らないようにピンセットやテープではなく、クリップで挟んでから、テープで留めてある。

 

 

その下には贔屓のチームのエンブレムがべたべた貼ってあるタンスがあって、並べられたグッズとか、大会で入賞した時にもらった表彰状やカップ、集合写真が鎮座する。

 

もちろん英語も日本語も読めないチビモンには、なんて書いてあるんだか分からないが、

同い年くらいの男の子たちと腕を組んで、嬉しそうにピースサインをしている大輔がいるのだ。

 

とっても楽しい思い出の欠片なんだろう事くらいは分かる。すぐ隣には中古のテレビ。大会を記録したビデオが積み上げられているラックがあって、ゲーム機とカセットをまとめて放り込んであるボックスがある。

 

教科書よりも漫画が多い本棚とか、夏休みの宿題が入れっぱなしになっているランドセルとか、勉強した形跡がないことが丸わかりの、ほこりだらけの勉強机。服がはみ出している閉まってないタンスとか、いつもいつも部屋を片付けなさいってお母さんに怒られていそうな男の子の部屋である。

 

チビモンの知らない大輔がここにいる。この一つ一つが本宮大輔を形づくっているのだ。そう思うと、なんだかとっても特別な場所な気がしてくるから不思議だ。ずっとここにいられたらいいのに。ずっとここで大輔と過ごせたらいいのに。たった3日しか許されていない短すぎる滞在時間。チビモンは小さく頭を振った。

 

 

さっき風に揺れてふわふわとレースのように翻っていたカーテンが大人しくなる。大輔の住んでいるマンションは、今の時間帯は西日が差してきて結構暑いのだ。  

 

あー、すずし、と冷房が一番効くポジションである勉強机のローラーイスを引っ張ってくる大輔に、ベットから見える高層マンションを見たチコモンは、ちょっとだけ残念そうに肩をすくめた。

 

 

「なあんだ」

 

「なんだよ、その顔」

 

「マンションっていうんだっけ、だいしけが住んでる家?ここ見た時、すっごくおっきいなあって思ったのにさ、中って結構狭いんだ」

 

 

リュックの隙間から見えたのは、見上げるほど大きな建物だった。デジタルワールドでだって、ここまで大きな建物を見たのはなかなか無いだろう。

 

当然ながらブイモンは見たことが無かったものだから、どれだけ大きなお家に大輔は住んでいるんだろう、と勝手に胸を躍らせていた分落胆も大きかったらしい。

 

はああっ!?、と思わず声をあげた大輔は、カチンと来たらしく、チビモンをこづいた。

 

 

「う、うるさいなあ!マンションが丸ごと家なわけないだろ。どんだけ金持ちなんだよ!」

 

「だってさー、なんかハニービーモンの家みたい」

 

「誰だよ、それ」

 

 

物凄く馬鹿にされているのだけは感じ取った大輔はジト目である。一度会ったことがあるデジモンならば、デジモンアナライザーで調べられるが、大輔の記憶が正しければ見たことも聞いたこともないデジモンである。

 

 

「オレがデジメンタルで進化できる奴の一つなんだ」

 

 

ということは古代種のデジモンである。今の時代に目覚めてから、今まで一度も見たこと無いから、今でもいるのかは知らないとはチコモンの談である。サジタリモンやセトモンのように現在では成熟期や完全体として現存するかもしれないが、いずれも希少種であることを考えれば、その姿を映像として拝むことは難しそうだ。

 

 

「昆虫型のデジモンだよ。4枚の透明な羽根があってさ、黄色くて黒の縞模様があるんだ。力は弱いけど、動きが素早くて、敵の後ろに回り込んで、毒針で攻撃するんだよ」

 

「……誰の家がハチの巣だって?このやろ」

 

 

養鶏場にあるに無数のニワトリの家みたいだ、というレベルの暴言だった。

 

 

「いてっ。ひどいや、だいしけ」

 

「あーあ、チョコバーやろうと思ったのに、やっぱやーめた」

 

「え、え、なになに、大輔!チョコバーってなに!」

 

「チョコ味のアイスだよ。折角まだ冷蔵庫にあったからオレが我慢してあげよっかなーって思ったのに」

 

「アイス?アイスってなんだよ、だいしけ!おいしいの?それ、おいしいのか?ご、ごめん、ごめん、だいしけ!もう言わないからそんな意地悪言わないでくれよ!」

 

 

平謝りしてくるブイモンに、はあ、とため息をついた大輔は、許してやることにした。そのうち、洗濯物を持ってこいという母親の催促がドア越しに飛んでくる。 

わかったよ、とぶーたれながら消えていった大輔を見送ったブイモンは、この世界にいる今、ライフラインは全て大輔が握っていることの不便性を痛感したのだった。

 

前途多難な居候生活に遠目をしているパートナーを置き去りにして、リュックから引っ張り出してきた洗濯物を脱衣所に置いてある籠に放り込んだ大輔は、その足でそのままキッチンに向かった。

 

 

「お母さん、まだチョコバーあったよな?」

 

 

あるわよ、という前に既に冷蔵庫を開けている息子に、お母さんは苦笑いだ。今夜の晩ご飯何がいい?とサマーキャンプを前提にしていたせいで、すっからかんの冷蔵庫を見つめながらお母さんが聞いてくる。

 

あ、オレ、オムライスとカレー以外で、とピンポイントで話す不可解さにお母さんは首を傾げるのだ。どうして?てっきり食べ損ねたカレーが食べたいというのを見越して、これから行って来る買い物のメモを作っていたお母さんは当然聞くのだが、大輔は何でも!と言って譲らない。

 

まあいいけどね。今日一日大変な目にあった息子のために、今日は意見を尊重して好きな料理でも作ってあげようかな、なんて考えながらお母さんは唐揚げをメニューに追加した。

 

 

「2本も食べるとお腹壊すわよ、大輔」

 

「あ、姉ちゃん。大丈夫だって、それくらい」

 

「大丈夫な訳無いでしょ。お腹壊してサッカー出られなくなったら可哀相だからアタシが食べてあげるわ。ほら、一本よこしなさい。」

 

「えー、なんだよそれ」

 

「いいから」

 

 

ん、と差し出された手にしぶしぶチョコバーを差し出した大輔は、仕方なくそのまま冷凍庫のドアを閉めた。このままだと大輔がおやつを我慢してブイモンに提供するか、食料を部屋にストックする必要がありそうだ。

 

デジタルワールドではご飯を思いっきり食べられない弊害があったが、こっちではこっちで有り余る食料を確保するにはそれなりのお金が必要になりそうだ。

 

どうしよう、お小遣い前借りしようかな、なんて焦る大輔は戦利品をもってブイモンのいる部屋に直行しようとするが止められた。

 

 

「大輔、ちょっといい?」

 

「なんだよ、姉ちゃん」

 

「PHS返してくれる?」

 

「え?」

 

「えってなによ、えって。キャンプの間だけだって約束してたじゃない。まさか貰えるとでも思ってたんじゃないでしょうね?」

 

 

ジト目のジュンに、大輔はあわわと焦った様子で、わすれてない、忘れてないって!と言いつくろう。まさか、壊したんじゃ無いでしょうね?ってジュンはますますジト目だ。

 

それはない、絶対無い!と大輔は言い返す。壊れてはない。性能だけなら右肩上がりだ。なにせデジモンが近付くだけで使えなくなってしまうPHSが使えるようになっているのだ。光子郎がナノモンと共同でデジタルワールドにのみ存在している金属を使った魔改造をしたから。

 

一度分解してから、あちこち弄くり廻されて、また組み立てられただけである。大輔が焦っているのは、デジタルワールドの時と同じ感覚で

これからの3日間を過ごすつもりだったからだ。

 

もちろん、選ばれし子供達は、みんな同じだ。そのギャップを今、ありありと見せつけられている。どうしよう、と大輔は焦った。焦りまくっていた。光子郎先輩との連絡、どうやってとったらいいんだろう!

 

不自然に沈黙している大輔に、痺れを切らしたジュンは、あーもうとぼやいて大輔の部屋に行こうとした。わああああ!と大輔は絶叫である。マズい。非常にマズい。大輔はジュンの進行を阻止した。

 

今、大輔の部屋を覗かれたらめんどくさいことになる!うっさいわねえ、なによ、とジュンはふり返った。

 

 

「待って、待って、マジで待って!すぐ持ってくっから、姉ちゃんはここで待っててくれよ!」

 

「なんなのよ、もう。大輔、アンタ帰ってきてからテンパり過ぎ」

 

 

意地悪そうにジュンは笑った。うぐぐとなった大輔は、言い返すこともできないまま自分の部屋にとんぼ返りした。待っててくれていいから!わざわざ来なくていいからなってドアの向こうで牽制する、なんか必死な弟にジュンは母親と顔を見合わせて、首を傾げるのだった。

 

 

「へんな大輔。ねえ、お母さん。あいつ、帰ってきてからあんな感じなの?」

 

「素直じゃないところは、ホントにそっくりよねえ、大輔とジュンは」

 

「えー?なによそれ」

 

「お姉ちゃんに会いたいってあれだけ泣いてたくせに、意地張っちゃって、素直じゃないんだから。ジュンが大輔を待っててくれるんだって言ったら、物凄く喜んじゃって、早く家に帰りたいって大騒ぎだったのよ?」

 

「えー、嘘」

 

「嘘じゃないわよ。3時間も豪雪の中で古いお堂に閉じこめられてたのよ?PHS大事そうに持っててね、お守りみたいにしてたのよ」

 

 

「ふうん、じゃあやっぱり役に立ったんだ」

 

「そりゃあ、大好きなお姉ちゃんが貸してくれたものだもの」

 

 

ジュンは嬉しそうに笑った。

 

 

「大輔は昔から自分のことより、みんなのことを心配する子だったじゃない。今はまだ大丈夫だけど、心配なのよねえ」

 

「そうよね。昔から、あいつ、優しい子だから。助けて欲しいなら、助けて欲しいって言えばいいのにさ、ホントばかなやつ。つらいんなら言ってくれたらよかったのに。ぜんぶ忘れちゃうほどつらいんならさぁ」

 

 

「それが大輔のいいところでもあり、悪いところでもあるのよねえ。ま、誰かさんによく似てるわ、ホントにね」

 

 

ドアの向こうで大輔が入ってきていいタイミングが見つけられなくて悩んでいることには気づかない。ごめんなさいが心の中でしまわれる。

 

しばらくして入ってきた大輔は、PHSをジュンに渡した。大輔にしては丁寧に扱ってくれたみたいねってジュンは笑った。なんだよう、オレ、そんなどじっこじゃねーし、と大輔は不満そうだ。

 

 

「えっとあー、その、あれだ。あんがと、お姉ちゃん」

 

「え?あ、うん、どういたしまして」

 

 

一瞬戸惑いながらも、数年ぶりに「お姉ちゃん」と呼んだ大輔に、母親はにやにやしている。何笑ってんだよっと恥ずかしくなったのか、顔を赤らめた大輔はむくれる。ジュンはいきなり何言ってんのよ、馬鹿大輔、と目尻をぬぐいながら笑った。

 

おねえちゃん、というたった6文字の言葉を紡ぐのに、数分を費やした大輔は、込み上げてくる照れと恥ずかしさがない交ぜになり、どことなく動作がぎこちない。

 

それでも、まっすぐに見つめるのは、異世界での大冒険をひとえに支え続けてきたたった一つの決意を実現するためである。ずっと決めていたのだ。このPHSをジュンから手渡された時から、ずっとずっと決めていた。

 

もう逃げるのは止める。真っ向から立ち向かう勇気をくれたのは、ほかならぬ目の前の大切な家族だから、もう自分の気持ちに嘘をつくのは止めにするのだ。

 

なに、と大輔のいつにない違和感に眉を寄せながら、ジュンが聞いてくる。大輔は潰れてしまいそうになる恐怖から出かかった言葉が散見するのを恐れて、そのまま一気に言葉を紡ぐのだ。何かい繰り返してきただろう。

 

何十回、いや、何百回頭の中で描いてきただろうか。いつかこんな日が来ることを誰よりも願いながら、誰よりも恐れていた。

 

それなのに、今その瞬間だというのに、案外、心の中はあっけない。むしろそれだけのことにいっぱいいっぱいになってしまっていて、ごちゃごちゃ考えていたことが嘘みたいに、今、大輔の世界には目の前のジュンしかいなかった。

 

 

「おねえちゃん、おれのこと、きらいなのか?」

 

「はあ?なによ、いきなり」

 

「おれ、ずっと、聞きたかったんだ。あの日から。あの、雨の日から。お姉ちゃんが、【もうアンタの姉でいるのは疲れたから、お姉ちゃんって呼ばないで】って言った時から、もう、お姉ちゃんて呼んじゃダメなんじゃないかって、

もう、おれのお姉ちゃんじゃいてくれないのかって、ずっと、ずっと」

 

「……」

 

「なあ、教えてよ」

 

 

直視することができないのか、ジュンは気まずそうに大輔から視線をそらす。避けられた、と反射的に感じてしまった大輔は、言葉を捜して思考を反芻しているジュンに気付くことができなくて、今にも泣きそうな顔をして、そのままうつむいてしまった。

 

 

「アタシ、まだなにも言ってないわよ、大輔。勝手にアタシの返事を作らないでよ。あんたはいつも、いつもそうなんだから。こっちのことなんかお構いなしで、自分でボールを投げかけておきながら、こっちが振りかぶった時にはもう別のところにいっちゃうんだから。いい加減にしなさいよね、なんでそういうとこばっかりアタシに似てるのよ」

 

「ねえちゃ」

 

「それはこっちの台詞よ」

 

「え?」

 

「あんたには、太一先輩とか空先輩っていうお兄ちゃんやお姉ちゃんがいるんじゃないの?

何もかもしゃべっちゃうくらい、信頼おいてる子がいるんじゃないの?アタシなんかいらないんじゃないの?だからわかんなくなったのに、なによ、それ。もう、わけわかんない」

 

 

はっとなって大輔は顔を上げるのだ。そこには、いつだったかと同じように今にも泣きそうな顔をしているジュンがいる。もうそこから堰を切ったように大輔は叫ぶのだ。お母さんに聞こえている、なんてことは吹っ飛んで、ただ、ただ、お姉ちゃんに悲しんでほしくなくて、自分の気持ちを伝えたくて、まっすぐに大輔は言葉を紡いでいく。

 

 

「ちがう!おれ、姉ちゃんがおれのこといらないのかって思って、太一先輩たちはその、違うんだ。今はもう、違うんだ。もう分かったんだ。おれにとっては、おれにとってのお姉ちゃんは、ジュン姉ちゃんしかいないんだよ」

 

「……そう」

 

 

こくり、とうなずいた大輔は、気丈な姉がどことなく脆く見えた。はあ、とため息をついたジュンは、目じりに浮かぶものをぬぐいながら、笑った。

 

 

「嫌いなわけないじゃない。好きよ。大好きよ。大好きにきまってんでしょう」

 

 

こういうときのジュンは、誰よりもまっすぐにモノを見る。

 

 

「なにがあったって、アタシはあんたのことが大好きよ、大輔。八神君たちの方が頼りになるって思われてるのは心外だけどね、ま、そこは我慢してあげるわよ」

 

「え?なんだよ、それ」

 

「ちょっと来なさい、大輔。ここじゃちょっと言いにくいから」

 

「え、あ、ちょ、姉ちゃん!?」

 

 

大輔の手を掴んだジュンはリビングからまっすぐジュンの部屋に向かって歩き始める。え?え?え?と大輔は想定外の展開に吃驚して、母親に助けを求めるが、母親は肩をすくめるだけだ。

 

いつだって本宮家は基本的に、ジュンお姉ちゃんと大輔の関係性は見守る姿勢を一貫している。乱暴に扉を閉められた大輔は、はあ、とため息をついたジュンにしどろもどろになっている。さっぱりわからないのである。ジュンは覚悟を決めたらしく、大輔を見下ろした。

 

 

「あたしはお母さんじゃないから言うわ。あんた、直接言わないと分かんないしね。なんで部屋に一人しかいないのに、ぎゃーぎゃー騒いでるわけ?さっきから物音がするんだけど。

 

ねえ、ほんとに大丈夫?ゲームしてるわけでもなさそうだし、あたしのPHSで誰かと電話してるのかと思ったけど、リュックにいれっぱなしなら違うだろうし、独り言にしては大きすぎるわよ。 

 

あんた、嘘つくのヘタなんだから、隠すんならせめてもっと慎重にやりなさいよね」

 

「べ、別に何にもないって!つーか、なんでそんなこと言うんだよ。姉ちゃん、ずっと家にいたんだろ?」

 

「そうよ。今日、アタシはずっと家で留守番してたのよ。アンタが行方不明になったって聞かされてから、ずーっと待ってたのよ」

 

「心配かけてごめんって言っただろ!なんで怒ってんだよ」

 

 

はあ、とため息をついたジュンは、そのまま腕を組んで壁にもたれ掛かった。

 

 

「今日の12時すぎよね、アンタが八神君たちと一緒にいるってお母さんに電話して、電話が通じなくなったの」

 

「そうだけど?」

 

「八神君は一緒にいたんでしょ?」

 

「なんで太一先輩が出てくるんだよ」

 

「かかってきたのよ、電話」

 

「電話?」

 

「八神君から家に電話があったのよ、12時半くらいに。大輔、家に帰ってませんかってわけのわかんない電話がね。これがどういう意味か分かるわよね?アンタによれば雪山で遭難してる間に。

 

しかもサッカークラブの連絡網で登録しといた自宅番号からかかってきたのよ。なんで東京郊外の電波障害が発生してるキャンプ場にいるはずの彼が、自分の家の電話からうちに電話できるのよ。おかしいでしょ、普通に考えて」

 

 

太一が現実世界に帰還している間にとった行動を逐一知っているわけではない大輔は青天の霹靂である。あっけにとられている大輔は、え、いや、その、となんとかごまかそうとするが、

小学校2年生の男の子に辻褄の合った出来事なんて捏造できるわけもなく、完全に事実の隠匿を確信したジュンに詰め寄られることになってしまう。

 

 

「あのあと、電話があったのよ。武之内さんと泉くんのご家族から。八神君から電話があったんですけど、サマーキャンプ中止になったんですか?

 

子供は帰ってるんですか?って。その直後よ。

電波障害が起こってない場所まで下山した子供会の人から緊急連絡で、アンタたちが雪山で行方不明になったって電話があったの。

 

もう、わけわかんない。こんなんでコンサートなんか行ける訳ないでしょ、そこまで薄情になった覚えはないわよ、馬鹿にしないでよね。こんなことがあったのに、何にもないなんてありえないわよ」

 

「う」

 

「……でも、まあ、八神君の電話のことは誰にも言ってないから安心しなさいよ」

 

「え?なんで言わないんだよ」

 

「バカね、ありえないじゃない。どうせ誰も信じてくれないもん。いつだってそう。大人はね、実際に見ないと何があったかなんて誰も信じちゃくれないの。どうせ言ってもイタズラ電話だろうって片付けられちゃうに決まってるわ」

 

 

それが光が丘テロ事件のことを差しているのだ、と大輔はすぐに悟った。ジュンはデジモンが見えていないから、大きな鳥さんと恐竜さんのケンカなんてファンタジーは口にしなかった分、何があったのかと知りたがる大人の追求は過剰だった。

 

ジュンが覚えているのは、光が丘団地が大停電に陥り、突然ベランダが大爆発を起こして、一瞬のうちに広範囲に渡って爆弾テロが行われたとしか思えない大爆発が街を瓦礫に変えた事だけだ。

 

鳴り響く雷鳴と立ち上る黒煙、そして火柱。鳴り響くホイッスルの音。興奮した様子で意味の分からないことをいう弟と、その先にいた太一と光。少なくても、ジュンのような子供が何人もいたから、光が丘爆弾テロ事件という名称がついたのは確かだ。

 

あの時ジュンは小学校4年生だ。あまりにも大人すぎた。その悲痛な表情を見てしまうと、とてもではないが、デジモンのことをうち明ける気力は失せてしまう。一呼吸おいて、ジュンは大輔を見つめた。

 

自嘲気味に笑ったジュンは、大輔がみたことのない痛みと引き替えに泣いてるように見えた。

だから、もう、大輔はその先を紡がせたくなくて、口走っていた。

 

 

「なあ、それってさ、光が丘のこと?」

 

 

ジュンの表情が凍り付いた。なんで知ってるんだと言いたげな顔をしているジュンに、大輔はあっけらかんとした表情をなるべく崩さないようにしながら、笑った。

 

 

「思い出した。思い出したんだよ、姉ちゃん。オレさ、ずっと忘れてたんだよ。姉ちゃんを守りたいっていったのにさ、ずーっと忘れちゃってたんだよ。ごめん、姉ちゃん」

 

「ほんとなの?ほんとなの、大輔。アンタ、あの日のこと、思い出したの?どうやって?」

 

「どうやってって、いわれてもなあ。すっごい偶然なんだけどさ、お堂に閉じこめられてた人、みんな光が丘に住んでたことがあったんだって。お母さんが迎えに来てくれるまで、

 

眠らないようにいろんなこと話してたら、みんな、4年前のこと忘れてるってなって。光子郎先輩が調べてくれたんだ。あの日何があったのかって、ネットで」

 

 

へへ、と笑う大輔を待っていたのは、なによそれえって今にも泣きそうなジュンである。

 

 

「へたくそな嘘つくんじゃないわよ、馬鹿大輔。 結局あたしにはなんにも教えてくれない訳ね?アンタがそんなに筋の通った説明、ぺらぺらしゃべれるわけないじゃない。カンペ用意してんじゃないわよ、ばあか」

 

「う、」

 

 

「もういいわよ、もう、無理に説明してくれなくったって、そういうことにしといてあげる。

アンタが思いだしたのは事実みたいだし。そんなに頼りないわけね、あんたのお姉ちゃんは」

 

「そ、そういうわけじゃないってば!」

 

 

ぼろぼろ泣き始めてしまったジュンである。

大輔はどうしよう、どうしよう、とパニック状態になる。でも、デジモンのことだけは、これだけはまだしゃべるのは早過ぎる。それだけは分かっていた。

 

ジュンはデジモンにトラウマを持っている女の子なのだ。太一によればホイッスルを嫌いになるくらい。衝動的にしゃべってしまったら、それこそジュンとデジモンの関係性は修正不可能なまでにこじれてしまうだろう。それだけは嫌だった。

 

大輔にとって、ジュンをデジタルワールドに連れて行くことは、チビモンと仲良くなってほしいのはほんとうに、ほんとうに、夢だから。

 

どうしたら許してくれるんだろう、ごめんなさいってしどろもどろで、釣られて泣きそうになっている大輔を見たジュンは、ぐしぐしと涙をぬぐった。

 

ウサギみたいな目が大輔を写す。ジュンの手が伸びる。大輔は不思議そうに瞬きした。

 

 

「これ、外して。それなら許してあげる」

 

 

ジュンの手にはゴーグルが握られている。

 

 

「今日の電話で聞いたのよ、八神君に。ゴーグルはいつからつけてるんだって。光が丘の時につけてたものと一緒だってわかったし、八神君がホイッスル吹いてた男の子だってことは、なんとなくわかってたの。

 

大輔がなんにも覚えてないのに、八神君がサッカーしてるのを見て、サッカー始めるのを決めたって聞いた時、なにそれっておもったのよ。

 

アンタがなんで光が丘の時に、八神君みたいになりたいと思ったかなんて、未だにわかんないわ。少なくてもあたしにとっては、八神君は光が丘事件の象徴なのよ。

 

あのホイッスルが強烈に鳴り響いてるせいで。

もちろん、八神君が事件の犯人だなんて思ってないし、大輔には見えてた何かがあって、あたしにはそれが見えてなかったダケなんだってことは何となくわかってる。

 

大輔の言うように、八神君がホイッスルを吹いた瞬間に、すべてが終わったのはあたしも見てるわ。終わらせてくれた英雄が八神君だって事も、なんとなくだけど、ね。

  

でも、だめなの。いろんなことがありすぎたのよ、あの日から。八つ当たりだって事はわかってるけど、わるいけど、大輔、せめてあたしの前ではゴーグル外してくれない?」

 

 

力無く笑うジュンに、大輔はうなずくしかなかった。ゴーグルを返してくれたジュンは、そう、と嬉しそうに笑ったので、いたたまれなくなってしまう。デジモンが見えているのか、見えていないのか、と言うたったそれだけのことで、大輔とジュンにはどうしようもない隔たりが存在しているのを自覚してしまう。

 

光が丘テロ事件は、大輔達にとってはデジモンとの早過ぎたかけがえのない出会いだが、ジュンのような普通の人達にとっては、あまりにも禍根が残りすぎた出来事でもあるのだ。修復の難しさを痛感した大輔は、ますますデジモンのことをうち明けにくくなってしまった。

 

なにせ、太一のパートナーは、あの時のグレイモンを先祖にもつアグモンだ。直接見たことが無くても、必殺技を目撃することがあったら、一瞬でジュンは気づくだろう。

 

その時のことを思うと、さすがにべらべらと喋る無神経さは大輔には無かった。ジュンはにひと笑う。

 

 

「ま、ホントは、大輔のお姉ちゃんはあたしなんだから、こんなゴーグルつけてまで八神君に憧れなくてもいいじゃないって言う、単なる嫉妬よ、嫉妬」

 

「えー、なんだよ、それえ」

 

「大体、ずっとつけてると禿げるわよ?」

 

「ハゲねーよ!」

 

 

けらけらとジュンは笑った。大輔はなんだよ、もー、とがっくり肩を落として笑った。

 

 

「なあ、姉ちゃん」

 

「なに?」

 

「夜になったらさ、出かけないでくれよ、危ないから」

 

「あー、吸血鬼みたいに女の人ばっか襲ってる通り魔のこと?それとも、光が丘テロ事件の犯人が東京にいるって言う、あれ?そうよね、気をつけるわ。あーあ、折角夏フェスのチケットとれたのに」

 

「絶対に行かないでくれよ?!危ないんだから!」

 

「いきなりどうしたのよ、大輔」

 

「なんでもないけど、なんでもあるんだよ!」

 

「なによそれ。おかあさーん、大輔がなんかいきなりシスコンみたいなこと言ってんだけどー!」

 

「シスコンってなんだよ、人が折角心配してんのにいっ!」

 

 

嬉々として報告し始めたジュンを止めるべく、大輔は大慌てでリビングに舞い戻ったのだった。

 

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