ばたん、とドアが閉まり、鍵がかけられる。リュックから顔を出したチビモンは、ていっと元気よく飛び出して、見事に着地してみせた。いらっしゃい、チビモン、とモチモンが笑う。
すっごーい、だいしけの部屋と全然ちがーう、とチビモンは興味津々で辺りを見渡している。これなに、あれなに、とモチモンに質問攻めをし始めたチビモンを横目に、大輔は光子郎に促されてクッションに座った。
「あれ、大輔君、赤いバンダナは?」
「今、洗濯機の中っすね。明日、空先輩に返さないと」
「あー、そっか。そういえば空さんのだったっけ。それじゃあ、その首の痣はどうやって隠してるの?すごいな、全然見えないね」
「ホントはオレが持ってるやつを巻こうと思ったんすけど、脱衣所で着替えてるときに姉ちゃんに見られちゃったんすよ、これ。このまんまだと目立つからって、姉ちゃんが使ってるお化粧の道具で隠してもらいました」
「あー、もしかして、あのとき?ごめん、僕のせいだな。どうしたんだって聞かれなかった?」
「すっげえ剣幕で怒られました。空先輩から借りたってことは、サマーキャンプの遭難の時に何かあったってことだろって。なんで黙ってるんだ、教えろってずーっといわれたんすけど、言える訳ないじゃないっすかあ」
「がんばったね、大輔君」
「もう少しだけ待ってって言いました。ぜんぶおわったら、ぜんぶぜんぶ話すから、ちょっとだけ待ってって。お姉ちゃん、泣いちゃったんですけど、うん」
「仕方ないよ、大輔君は間違ってない。ジュンさんだって分かってくれるよ。これだけジュンさんのためにがんばってるんだから」
「ありがとーございます」
へへ、と笑った大輔は乱暴に目頭をぬぐった。きっと大輔が光子郎の家に向かうことも、本当は引き留めたいにも関わらず本心を押し殺して送り出したことがうかがえる。
化粧の下地を塗り、薄手の粉をはり、ファンデーションを乗せるという念の入れようである。くすぐったい、と能天気にけらけら笑っていたらしい大輔だが、デビモンの痣を知っている光子郎でもすっかりどこにあったのか分からなくなるほどの出来である。
「ゴーグルはどうしたの?大輔君」
「あ、忘れた」
「珍しいね、ゴーグル忘れるなんて」
「姉ちゃんがアタシのまえではゴーグルつけんなっていうんすよ。八神君にあこがれてるのは分かるけど、そのまえにアンタはあたしの弟でしょ、なんで一年中ゴーグルつけてんの、ぶっちゃけむかつくって。ひっでえ。せめてアタシの前では本宮大輔でいろって。わけわかんねえ」
「あはは、そうなんだ。その様子だとジュンさんと仲直りできた?」
「あ、はい。たぶん?あんまいつもと変わんない気がするんすけど、一応。久しぶりにいっぱい喋りました」
「そっか、よかったね」
「はい」
さて、本題に入ろうか、と光子郎はパイナップルマークの黄色いノート型パソコンを広げた小さな机に向かった。無線LAN機能があるにも関わらず、わざわざコードで繋がっているのはダイアルアップ接続でインターネットにつなげるためだという。
デジタルワールドと安定したネットワークで繋がるには、まだまだ時間帯によっては不安定になる無線LANに頼るより、泉家のインターネット回線を使った方がいいらしい。どうやってゲンナイさんから大事なデータを貰うんだろう?と大輔は疑問符だ。
デジタルワールドと現実世界が安定して繋がっているデジタルゲートは、光が丘(ヴァンデモンの拠点になっているそうなので、実質使えないことになる)、サマーキャンプ場、そしてあやうく放り出されるところだったアメリカのどこか、の3か所だけだ。
あとはインターネットからアクセスできるゲートポイントを経由して、セキュリティシステムに許可を貰って、デジタルゲートを開いてもらうしか方法がない。
なっちゃんたちは後者の方法でデジモン達を送還しているそうで、ゲンナイさんたちは現在進行形で安定して繋がるデジタルゲートを急ピッチで構築中らしいのだ。
つまりメールのやり取りはできても光子郎のパソコンからゲンナイさんのところに行くには、本来ならずいぶんと時間がかかるはずだ。
不思議そうな大輔に光子郎はまあ見ててよって笑った。首をかしげながら大輔はキーボードをたたく光子郎の隣でディスプレイを眺めていた。
「ゲンナイさんから、いくつかアドレスを教えてもらったんだ。テンプ湖底の結界が張ってある隠れ家、ファクトリアルタウン、ナノモンのピラミッド。デジタルワールドの動向はある程度分かるよ」
「へえ、すごいっすね」
「あとはホームページのアドレス」
「どこのっすか?」
「まあまあ、見ててよ。大輔君、デジヴァイスは持ってきた?」
「あ、はい。紋章も持ってきました」
「ちょっと貸してくれるかな?」
「ちょっと待ってください。えーっと、たしか、ここに、あー、あった、あった、これだ。はい、どうぞ」
PHSに通されたホルダーに括りつけられていたデジヴァイスと紋章は、PHSがお役御免となったことで一度ばらばらになった。なくしたら大変だ、と今度は紋章についているホルダーにデジヴァイスが括りつけられたので、ちょっと斜めに引っかかっているデジヴァイスが渡される。
でも仕舞い方が適当だったせいで、すっかり丸結びになってくしゃくしゃになってしまった紐である。思わず笑ってしまった光子郎は、どうするのさ、これ、といいながら受け取った。いいんすよ、あとでハサミで切るんで、と大輔はしれっといいはなった。
太一さんみたいなこといわないでよ、とそれこそ笑ってしまった光子郎は、ついでだからと解いて上げた。そして、デジヴァイスを取り外すと、反対側にあるねじをゆるめ、ゆっくりとカバーの一部をとりはずした。そこには穴が開いている。
「ほら、デジヴァイスに記録されたデジモン達のデータをヴァンデモンの城で集めたときに、みんなのデジヴァイスをパソコンにつないだだろ?ここからUSB端子でつなげられるんだ」
「へー、ここからなんすか」
「そうそう、ちょっと待ってね。ゲンナイさんの話をまずは聞こう」
「え、どうやって?メールでもするんすか?」
「ううん、違うよ。これからホームページにアクセスするんだ」
光子郎は予め登録してあるホームページを開いた。そこは会員制のページのようで、IDとパスワードの提示が求められている。
しかし、大輔のデジヴァイスがピピピと音を立ててディスプレイが白く発光すると、自動的に黒い丸がならんだ。かちりとエンターキーを叩けば、あっさりアクセス出来てしまった。
なるほど、デジヴァイスが許可証になっているのだ。そこには見たことがある画面がみえる。和室の部屋がそこにあった。
『ふぉっふぉっふぉ、驚いたかのう、大輔』
「あ、ゲンナイさん!もしかして、これってテレビ電話ってやつっすか?すっげー!」
『お前さんたちの世界だとまだカクカクにしか映っとらんようじゃのう。もちっと技術が進歩すれば、リアルタイムの動画が送れるようになるんじゃが。まあ、仕方ないわい。光子郎のパソコンとの連絡はメールで事足りるからの」
「あんまり容量大きいのは勘弁してください。さすがにやりすぎると怒られちゃいますから」
『ふむ、気を付けんとならんのう。電話回線じゃからなあ』
「ええ、お願いします」
『では、早速大輔のデジヴァイスの進化プログラムをアップデートすることにしようかの。ちとまっとれ』
まるでパラパラマンガのように、かくかくに動きながらゲンナイさんは、なにもない空間にホログラムの平面を出現させた。たくさんのデジ文字がものすごい速度で流れていく。
そして、大きな画面が小さな画面に分割され、いくつかの塊に分かれたかと思うと、光子郎のパソコンに転送されはじめた。
ダウンロード画面が表示され、ひとつひとつ大輔のデジヴァイスに送られていく。表示されるデータ量に光子郎の表情が引きつったのはココだけの話である。
『ブイモンは、わしらの想定だと古代種に進化するはずじゃった。実際はフリー種ではなく、ウィルス種じゃったがの。現代種の進化ツリーを開拓したということは、やはりデジメンタルなしでの古代種への進化は、あまりに敷居が高すぎたということじゃ。すまんのう』
「でも、それがブイモンにとって一番ふさわしいってことですよね?」
『そうじゃのう。大輔とブイモンがデジタルワールドでの冒険で培ってきたものが、今までも、これからも、新たな進化の道を切り開くことはまぎれもない事実じゃ。ホメオスタシスも驚いておったわ。多岐にわたる進化経路の中で、現代種としてオーバーライトを抑制しながら古代種の力を発揮できる可能性を秘めた進化先を選び取るとは思わんかったようじゃ。そのために必要なお膳立てをするのが、わしらが出来るささやかな手伝いじゃ。受け取ってくれ』
データの転送が完了する。光子郎のパソコンはデジモンアナライザーを起動した。そこに映し出されたのは、見たこともない昆虫型の成熟期デジモンである。見たことがないのは当たり前だとゲンナイは言う。
このデジモンは、とある研究所にて、人工的につくられた実験体デジモンが祖先であり、その失われた遺跡を守るためにひっそりと墓守をしている個体しか確認されていないだからだと。
カマキリのデータから作られており、正確な機械のようにターゲットを追い詰める冷酷な性格から、ワクチン種やデータ種から恐れられていたという記録があるらしい。
あらゆるものを鋭利に切り刻む両腕の大釜は、ウィルス種を駆除するためにある。目を持たない代わりに頭から生えた真っ赤なセンサーがターゲットの位置を正確にとらえるという。
このデジモンのデータは、ブイモンが完全体に選んだ進化先の条件を整えるには必須だというのだ。
「その研究所って、もしかして鋼の帝国ですか?」
『いかにも。かつて、2体のデジモンのデータを合わせることによって、同じ世代じゃが全く新しいデジモンを誕生させるという技術を確立させたのが、鋼の帝国が躍進した基盤のひとつじゃからのう。そこから誕生するデジモンは、保育器のような機械から成熟期、もしくは完全体として生まれてきた。デジタマの起源はそこからかもしれん、とも言われておる。2体の究極体が融合してロイヤルナイツの一体が誕生したことを知った鋼の帝国は、その現象を徹底的に研究したんじゃ。その結果、共通の祖先があることが分かったらしい。つまり、もともとひとつのデジモンじゃったんじゃな。それがなんらかの原因で2つのデジモンにわかれた。あまりに強大過ぎる力だったため制御出来なかったのか、それとも生き残る可能性を少しでも残すためなのかはわからん。とにかく、共通の祖先をもつデジモン同士は、融合することで新たな個体に生まれ変わる可能性が極めて高い。仮想敵である古代種と対抗するなら、光子郎ならどうする?』
「まさか、取り込もうとしたんですか?」
『そういうことじゃな。こうしてスナイモンは生まれた。もっとも、その機械にかけることができるほど、あっさり捕まる古代種はいなかったから、計画はとん挫したらしいがの。ウィルスバスターは案外こんな感じで生まれたのかもしれんな』
「ウィルスバスターって、パソコンに入れるやつっすか?」
『わしらの世界では、ワクチン種、データ種の中で、特に強いウィルス種を滅ぼす力を持ったデジモンのことを、ウィルスバスターとよんでおる。もっとも、ウィルス種でありながら同族狩りを本能的に行うやつもいるから、一概にはいえんがの。ワクチン種とウィルス種は一件相性が悪そうじゃが、共通の祖先があり、融合条件は整っておる。それにウィルスバスターの共通の性質もある。2体のデジモンが融合するなら本来膨大なエネルギー体が必要じゃが、今回はエクスブイモンの進化先に必要なデジゲノムをプログラムに組み込むだけじゃからのう。このスナイモンのデータは、ダークエリアに到達する前に四散してしまったものをホメオスタシスが復元したものじゃ、心配はいらんて』
そっか、と大輔はつぶやいた。ゲンナイは言う。今の世界は、ダークエリアに辿り着くことができなかったデジモンのデータは、ダークエリアにつづく海の中に溶け込んでいくのだと。
データの海にはたくさんのデジモン達を構成していたデータが眠っている。やがてそのデータは0と1に解けていき、まったく新しい再構築された初期プログラムが幼年期のデジモンとなって転生することもある。
すべては循環している。ただ同じ個体に転生することはできないし、記憶を継承することは絶対にないという条件がついてしまうけれども。
やがて大輔のデジヴァイスにスナイモンを構成していたデジゲノムがプログラムの中に埋め込まれたのだった。
「ありがとう、ゲンナイさん」
『なんの、なんの、気にするでない。わしらはおまえさんたちの味方じゃからのう。当然のことをしただけじゃて』
大輔と光子郎は笑ったのだった。さて、光子郎のお母さんが用意してくれたクッキーだべよっかなあ、って大輔たちが振り返ると、げふ、と息を吐いているチビモンとモチモンがいる。すっからかんになった麦茶の容器。
氷までなくなったコップ。きれいさっぱりな皿。コブクロはゴミ箱だろう。あ、と声が上がった。こ、このやろう、と怒鳴ろうとする大輔を光子郎があわてて制止する。
だって、だって、まだご飯もらえてないんだもん、とすっかりチビモンは涙目である。ああそういえばチョコアイスあげてないんだっけ。今さらのように思い出した大輔はがっくりと肩を落としたのだった。
おいしそうだったのになあ、光子郎さんのお母さん料理上手だし、手作りのお菓子とかオレのお母さん作ってくれたことないし。お母さんを褒められてまんざらでもなさそうな光子郎はちょっと照れたように笑ったのだった。
そして、USB端子からデジヴァイスを引き抜いて大輔に渡す。ゲンナイにお別れを告げてホームページを閉じたのだった。
ディスプレイには、今の選ばれし子供たちの現在地が表示されている。今はお台場エリアにいるので、そのエリアしか閲覧できないが、みんなの様子を確認するだけならこれで十分だ。
ヤマトたちはいない。太一たちはいない。ミミのマンションは一向に動く気配はない。大輔は光子郎の家にいるから、二つの光が点滅している。丈はもうマンションに帰ったらしく、所定の位置に戻っていた。・・・・・・あれ?
光子郎は自分のマンションを確認した。2つである。2つしかない。おかしい。このマンションには空が住んでいるはずなのに。どこ行ったんだろう、買い物かな?とスーパー辺りを見てみるが反応は無い。どこ行ったんだろう、と光子郎は辺りを見渡した。
「どうしたんすか、先輩」
「空さんの反応がないんだ。どこ行ったんだろう」
「この点ですか?」
「うん、そう」
「もしかして、これ?」
大輔の指差す先には、どんどんお台場のエリアから遠ざかっていく点がある。光子郎は立ち上がるなり、大慌てでカーテンをあけた。そしてがらがらがらと窓を開ける。ぴしゃん、と音を立てて全開になった窓。真っ暗な空を横切っていく影がある。そこにはバードラモンに乗った人影が東京湾を舞う姿があった。