いつかみた黒いケーブルだった。炎の壁の向こう側から漏れ出している暗黒の力に絡め取られたデジタルワールドのネットワーク。網目のように張り巡らされ、ネットワークを作っているはずのそれは、今や暗黒の力に染め上げられている。
システムがどうなっているかはわからないから確実なことはいえないか、モジュラージャックが光子郎のパソコンと同じ規格だから侵入すること自体は可能だろう。
ただ、今や暗黒の力に侵食され、下手をすれば中枢に繋がっていると思われるネットワークに飛び込むのは相当の危険を伴う。
アクセスログがどうとか、プロキシがどうしたとか熱心に解説する光子郎に、ナノモンの側で作業を手伝ってくれたワイズモンは話についていけているようで、何度もうなずいた。
「なら、空のデジヴァイスに追加された火の壁のプログラムをきみのパソコンやきみたちのデジヴァイスに入れておこう。少し起動に支障はきたすが背に腹はかえられない。これなら、少なくてもナノモンのように拉致されることはない。結界も常時発動しておくこと。いいね」
ワイズモンはさっそく空のデジヴァイスに更新された火の壁のプログラムを全員の端子にダウンロードを開始する。
「ありがとうございます、ワイズモン」
「ありがとう、これならホウオウモンにすぐ進化できるわ」
「ピョコモンが回復しきらないと無理ですよ、空さん。ピョコモンと一緒に待っていてください」
「そうだよ、空さん!今疲れちゃってるんだから休まなくっちゃ」
「でも......」
「私たちが抜けたら2人になっちゃう......ううん、でも私幼年期だし、みんなに迷惑かけちゃうかも......」
「そうだ、空さん!お兄ちゃんたちに、僕たちここにいるって知らせてよ!」
「そうですね、僕らがやろうとしていることを伝えてください。動力源を破壊しないと、どのみち世界の崩壊は完全には止まらないんですから」
「光子郎くん…タケルくん......わかったわ、気をつけてね」
こうして空とピョコモンはワイズモンの待つレジスタンスのアジトに戻り、他の子供たちと連絡が取れるように作業を手伝うことにしたのだった。
光子郎とタケルが完全体のパートナーに乗ってネットワークに飛び込んだ先は、まさしく炎の壁の本体がある場所だった。天地創造の瞬間からこれまで絶え間なく灼熱の炎が噴き上げているはずの炎の壁に、ただの黒い穴があいている。その奥から聞こえて来るなにかのおと。だがデジヴァイスの結界が遮断しているため聞き取ることができない。それは全宇宙に渦巻く怒りや憎しみ、そして恨みを銀河ひとつ入る巨大な大鍋に集め、何億年もの時間をかけて煮込んで濃縮させたような、そんな声だった。進化を否定する概念がデジタルワールドに実体化するために媒介にしている暗黒の力そのものだった。
光子郎たちが聞き取れたのは、デジヴァイスの結界の遮断すら通り抜けて来る不気味で悍ましいなにかの笑い声だけだった。
「あれ?」
異変に気づいたのはタケルだった。デジヴァイスがいきなり真っ暗になってしまったのだ。光子郎もパソコンをみてみる。全てのプログラムが強制終了して、モニター画面な真っ暗になり、かわりに光子郎が入れた覚えがないプログラム───────多面的ですべての面から二重螺旋の鎖が伸びている奇妙な図形をモニターに描き、くるくると回転し始めたのだ。
「光子郎さん、なにこれ?」
「わかりません、なんだろうこれ?」
ただ、それだけだった。デジヴァイスはなにかが起動したという英文字が並んでからは問題なく起動したし、光子郎のパソコンも火の壁のプログラムが発動したのかそのプログラムを全て焼いてしまったようでなにも残ってはいかなかった。
「もしかして、暗黒の力?」
「えっ、まさかデジヴァイスから入ってこようとしたの!?」
「火の壁のプログラムが起動してくれたみたいです。よかった、結界が展開できなくなるところでした」
「デジヴァイスの中にまで入ってきちゃうなんて!お兄ちゃんたちに教えてあげなくちゃ!」
「そうですね、ナノモンを連れて帰ったらすぐに!」
「うん!」
ホーリーエンジェモンとアトラーカブテリモンは影に近づいていく。
「ナノモン!」
「ナノモン、聞こえる!?大丈夫!?」
デジヴァイスの結界が不意に光を走らせ、より強固なものになった。火の壁のプログラムがデジヴァイスの結界と連動しているようだ。ここがどれだけ危ない場所なのかよくわかる。
「ナノモン!」
その結界の先で、光子郎たちはナノモンを発見した。さっき見たよくわからない図形が目の前にあった。正しくは鎖だけが実体化していて、ナノモンに強固に絡みつき、火の壁を突破してあちら側に引き摺り込もうとしていた。
ナノモンはなおも抵抗しているようで、内側から破裂した部品が欠損し、二重螺旋の鎖がそのたびに増えていくのがわかる。ナノモンの体がボコボコに凹んでいくのがわかる。透明人間が力任せにハンマーで精密機械を破壊しているようだった。
「ナノモンを離せ!」
ホーリーエンジェモンは渾身の力を込めてエクスキャリバーから光の斬撃を浴びせる。螺旋の鎖はびくともしない。
「やめろー!」
アトラーカブテリモンが自慢の剛腕でナノモンに絡みつく鎖をどけようとするが全く届かない。
光子郎たちをあざわらうかのように、グシャッと嫌な音がして、見えない怪力の手はナノモンの腕を粉砕する。足を粉砕する。いよいよ胴体というときになって、光子郎とタケルのデジヴァイスの結界がふたつ近づいたことで重なるところがでてきた。
「これは......!!」
あれだけ攻撃しても微塵も攻撃が通らなかったというのに、デジヴァイスの結界の範囲にナノモンが入った瞬間に、内側と外側に全てが遮断されてしまう。二重螺旋の鎖はぼろぼろにくだけちり、焼き尽くされて消えてしまう。光の粒子があたりに漂う。
「いけるかもしれません、タケルくん!」
「うん!」
ホーリーエンジェモンとアトラーカブテリモンはナノモンを守るように左右に立つ。結界は完全にひとつになり、内側にあった鎖が全て消えてしまった。
鎖の先にある多面体の謎の図形は静かに浮いている。
「ナノモン、大丈夫!?」
「ナノモン!」
ホーリーエンジェモンが治癒の魔法をかける。デジモンアナライザーによれば暗黒の侵食は致命傷ではないようだ。
「ここは危ない、一回引き上げましょう、タケルくん」
「うん!」
「うわっ!?」
焼き尽くされるのもお構いなしで鎖がたくさん襲ってきたのだ。幾重にも鎖が折り重なり、アトラーカブテリモンたちを薙ぎ払う。
「ナノモン!」
その衝撃にナノモンの胴体は光子郎の手から滑り落ちた。
「あかん、あのままやと!」
「アトラーカブテリモンじゃおいつけない!退化して、今すぐ!!」
「わかった!」
「光子郎さん!?」
「アトラーカブテリモン、無茶だ!」
「わかってる、わかってるけど、でも!あきらめてたまるか!!」
それは紛れもない光子郎の叫びだった。
サーバ大陸で太一が行方不明になった45日間、みんなの帰りをずっと耐えられたのはナノモンのおかげだ。毎日のようにいろんなことを調べては話し、意見を交換する日々は本当に楽しかった。
なによりも、エテモンを待つといったときのナノモンを光子郎は死なせるわけにはいかない。ワイズモンの必死の助けを受けて光子郎たちはここにいるのだ。諦めるわけにはいかないのだ、絶対に。
光子郎にうなずいたアトラーカブテリモンは危険を承知でカブテリモンに退化しながら、向上した機動力で一気に降りていく。
鎖がカブテリモンに迫り来る。
「行かせるか!」
ホーリーエンジェモンが時間稼ぎにもならないことはわかっていても、エクスキャリバーで弾こうとした。先程まで起動すら変えられなかった鎖がエクスキャリバーに両断され、砕けちった。
「あれ、切れた!?」
「これは、火の壁の力か!」
「ほんと!?すごいや!」
どうやらデジヴァイスで起動した火の壁のプログラムは全ての機能に適応されるようだ。デジヴァイスを通して進化しているホーリーエンジェモンにも最適化され、ダメージが通るようになったらしい。これなら。ホーリーエンジェモンはカブテリモンに少しでもいく邪魔を阻むために鎖を一閃した。
カブテリモンが炎の壁と世界の狭間を滑り落ちていくナノモンを追いかけてどんどん降りていく。必死で手を伸ばしながら光子郎はナノモンに呼びかけるが、ダメージや破損が大きいのか返事はない。もうだめかもしれない、と思う余裕すらなかった。光子郎は必死で手を伸ばし続ける。
ホーリーエンジェモンが壊しきれなかった鎖がカブテリモンを捕らえる。展開している結界がすぐに溶解させるがまた距離が離れてしまう。
「このっ!!」
光子郎はデジヴァイスを鎖に向けた。火の壁の加護が付与された光が走り抜け、鎖が一気に破壊されていく。粒子は全て火の壁にとけていく。あの鎖すら古代デジタルワールドでしんだデジモンたちの残留思念なのだと思うと、余計に怒りが増幅される。
「邪魔をするなっ!ナノモンを利用するためにここまでひどいことをしたお前を僕は絶対に許さない!!」
空から聞いたエテモンとナノモンを襲った悲劇の連鎖は、光子郎を激昂させるには充分だった。初めて会った理解者を失うことはきっと死ぬより辛いことだ。自分が手を離したせいでなんて、絶対に嫌だったのである。
「くそっ!なんで届かへんのや!あと少し、あと少しやのに!!」
光子郎の気持ちが痛いほどわかるカブテリモンは、退化してまで優先したスピードですら届かない現実に苛立つ。
2人の焦りを嘲笑うかのように、鎖が迫り来る。光子郎のデジヴァイスの光を避け、結界を掠め、矛先はナノモンのようだ。
「もうなにかを失うのはいやや!!光子郎はんが悲しむのはもうみたくない!!!」
「やめろー!!」
光子郎の絶叫があたりに木霊した。
そのときだ。
光子郎のデジヴァイスの炎の壁のプログラムと知識の紋章が反応した。2人の友情値、感情値が最高値を叩き出し、そのメーターを振り切ってもなおエネルギーに変換される2人の想いがふたつのプログラムを一気に巻き込み、覚醒状態に入ったのである。
光子郎を乗せたまま、光がカブテリモンを包み込み、は 一気に進化しはじめる。スピードはさらに加速し、ナノモンと鎖の間に入り込み、光子郎はナノモンをキャッチすることに成功した。鎖がナノモンを破壊しようとしたときにはすでにいなくなっていた。鎖が空を切る。
大きく旋回し、光を置き去りにしながら現れたのは、黄金色に輝く究極体の昆虫型デジモンだった。
全身を覆う薄金色の甲殻と頭部の四本角が特徴で、カブテリモン系とクワガーモン系の両方のデータを持っており、正反対の性質だった互いの欠点を完全に補っている。さらにアトラーカブテリモンの時に失われた飛行能力は復活しそのスピードは音速を超えるようで、鎖を次々にかわし、その鎖をツノにくくりつけられてしまっても逆に大きく振りかぶった。
「ギガブラスター!!」
謎の図形からは鎖しか実体化していなかった。その鎖はあの図形の内部でひとつにまとまっていたようで、それを引き摺り出すほどの怪力を見せ、そのままいっきに火の壁に叩きつける。
暗黒の力はただちに浄化され、燃え尽きてしまう。
「やった!やったよ、えーっと」
「ヘラクルカブテリモンや!やっと究極体になれたで、光子郎はん!はやくもどりましょ、あんときみたいに幼年期に戻ってしまいそうや!」
「そ、それだけはだめだよ!ここで退化されたらさすがに死ぬって!!」
光子郎は大慌てでナノモンをかかえたまま、ヘラクルカブテリモンにしがみつく。どんどん小さくなっていく体ながら、音速で移動できる能力が功を奏し、なんとか光子郎はホーリーエンジェモンに回収してもらえるところまで戻ることができたのだった。
ナノモンをワイズモンに見てもらったところ、どうやら大輔の紋章がデータチップと同化していたことが功を奏したようで、侵食部分は火の壁による浄化をすれば回復できる範囲で済んだようだ。ほかのレジスタンスたちに治療はまかせて、光子郎はワイズモンと共にモニターに戻った。ちなみに空は仲間に知らせる準備を続行、唯一完全体でいられるホーリーエンジェモンとタケルは警備の仕事を手伝うことになった。
光子郎たちは気づかなかったのだが、あの謎の図形こそがスパイラルマウンテンを構築しているプログラムそのものだったらしい。
ぴぴぴ、と音がして、構成しているデータが文字列に変換されて、光子郎たちのように知識がある者しか読めない言語になって表示される。ざっと流し見た光子郎は、ナビゲートしてくれるワイズモンをたよりに、古代文字を解析しながら、スキャニングしていく。コピー機のような蛍光の鮮やかな緑が走る。
データをダウンロードしていく仕事道具をみつつ、光子郎は、思いのほかデータの欠損箇所が少ないことに安堵する。
普通のデータのサルベージならここまで苦労しないのに、と光子郎はため息一つ、さっそく作業に取り掛かった。
目の前に壊れて起動しないパソコンがあるから、データを救出してくれ、という依頼なら、簡単だ。たとえば、パソコンを分解して、データが入ったハードディスクを取り出してしまえばいい。そのハードディスクをケーブルや外付けハードディスクケースに接続して、別のパソコンで復旧作業をするだけだ。
それなら専門業者に頼んだほうが安上がりなのはお約束である。
でも、デジタルワールドではそうもいかない。デジタルワールド自体が、パソコンの中にある。インターネット上に存在する異世界は、実態がない架空世界である。だから外部から復旧作業を行うという常套手段がつかえない。内部作業でしかデータの復旧ができないのだ。だから、いつだってプログラマーの真似事ができる光子郎みたいな子が無類の強さを発揮する。
デジタルワールドにおけるデータ(情報)は、実体化する性質がある。ペイントで描かれたりんごをデジタルワールドに持ち込むと、本物のりんごに近い、りんごのようななにかになるのだ。本物にならないのは、そのりんごのデータが不完全だからだろう。構成するデータが足りないのだ。
本物にするなら情報をたくさん書き込んでやればいい。より詳細な絵を描けばいい。手っ取り早いのは写真を持ち込むことだ。
もちろん、めんどくさいので、そんな労力をさくくらいなら、現実世界からりんごを持ち込むだろう。
光子郎は今まさにそのめんどくさいことをしようとしていた。
なにせデジタルワールド自体を構成するデータは、りんごの絵のような、不完全なデータ、もしくは欠損したデータが主成分だ。インターネット上に存在するあらゆる情報が、この異世界に流れつき、実体化し、複雑に絡み合って出来ている。データの組み合わせで出来ている。
かつてデジタルワールドにおいてなんらかの理由で破損したエリアを修復するのは、セキュリティ・システムの仕事だった。
しかし、現実世界との交流が加速する中で、その破損する頻度がセキュリティ・システムの許容範囲を超えてしまったことで、及ばないところもある。
そこに暗黒の力が壊滅状態に追いやられたせいで、もはや光子郎に託されたといっても過言ではなかった。
「すごいソースコードだなあ......」
思わずぼやく。動くのが不思議なくらい無茶苦茶だ。デジ文字が使われているせいでなおのことわからない。ワイズモンが提供してくれた翻訳機がなければこの時点で頓挫しただろう。
光子郎は必死でキーボードを叩く。
やるべきことはなんだろうか。デジタルワールドを構成するデータの分解を司る部分、再構築する部分、追加する部分、削除する部分を大体割り出し、該当箇所を改変すること。却下、時間がない。なさすぎる。
「途中から日本語から英語になってる......ああ、そっか。古代デジ文字は英語のアルファベットと連動してるのか」
英語表記の方が見慣れた画面だ。
「ワイズモン、セントラルマウンテンが作られたとき、はじまりの街じゃなくて、はじまりの島だったんですよね?」
「そのようだね。ムゲンマウンテンの頂上からでも全容が臨めないほど巨大なヤマだったそうだ」
「ムゲンマウンテン......まってください、前の戦いでは再編に巻き込まれなかったんですか、ファイル島は?」
「当時はまだ転生システムはなかったからね。全てのエリアのコピペ元という価値しかはじまりの島にはなかった。デジモンも弱いしね、優先度が低かったんだろう」
「なら......いけるかもしれない」
「どうするんだい、光子郎?」
古代デジタルワールド期のセントラルマウンテンの再編コードのデータは残っているあたり、ダークマスターズたちはそこまで詳しくはないからコピペして使ったんだろうことがわかる。
「これだけ残して全部消せば、もとのプログラムにもどりますね、ワイズモン。今の世界はもうファイル島しか残ってないようだから、このまま上書きしてしまえば現状維持はできるはずです」
「なるほど、スパイラルマウンテンをセントラルマウンテンのころに戻してしまう訳だな!」
「太一さんたちが塔の上にいる以上、全てを消してしまうと大変なことになってしまいますから。一か八か、やってみましょう!」
光子郎がみるに、デジタルワールド自体のデータの復旧は、文字通り0と1に還ってしまった電子の海から、必要なデータをサルベージ(引き上げる)ことを意味するようだ。
データ(情報)が実体化する性質があるデジタルワールドでさえ、実体化することができないデータの残骸は、すべて0と1の電子の海を漂っている。そこからデータをすくい上げ、あるべき情報を取り出すのは、専門知識がある人間でないと難しい。
さいわい今回はそこまでの技術を必要とはしなさそうだから、あるいは。光子郎はプログラムの改変を終えて、再起動した。あとはもう、祈るだけだ。