漂流生活も数えて3日目に突入する。本来ならばサマーキャンプの最終日だ。西に広がるトロピカルジャングルと比べると太陽の昇る位置が変わってきたので、この世界でも日の昇る方角が東ならば、今の現在地は最北端のエリアである。
気候風土は北半球と合致しているので、南半球の島だとは誰も考えていない。ムゲンマウンテンと呼ばれている塔のようにそそり立つ山を右手に、うすうす子供たちは海岸沿いをまわる進路の行きづまりを自覚しつつあった。
あてにしていたファクトリアルタウンには人間はいないとアンドロモンに言われ、おもちゃの街の村長にも人間はいないと言われてしまったのだ。テントモンに聞いたエリアの詳細を鑑みても、人間の気配がするエリアはもうない。これからどうするか。
このまま海岸沿いのエリアをまわってぐるりとファイル島を巡る。ムゲンマウンテンに登ってファイル島の全景を確認してみる。どうしようかと思いつつ、今のところ誰も何も言えないまま歩いている。海岸沿いを回るという当初の方針から一歩踏み出せないまま移動を続けていた。
気温は北の方角に近付くにつれて下がり続け、社会の資料集で見た寒冷地体の森林へと変化する。数日歩いただけで南の島の海岸から極寒の山という地球を凝縮したような場所は、間違いなく地球には存在しないだろう。
ここが人工的につくられた場所でなければ。だからこそ、子供たちはこの島に人間の影がちらついて、希望を捨てられないでいた。雪合戦で体を温めている子供たちとデジモン達を眺めながら、はあ、とため息をついたのは丈である。そういう性分ではないからか、参加する気は無いようでずっと待ちぼうけ状態だ。
「なあにため息ついてんだよ、丈。丈も参加すればいいのにさあ」
「ゴマモンもみんなも能天気でうらやましいよ」
「えー、なんだよ、その言い方。感じ悪いなあ」
「だってそうだろ?ここは今までのエリアとは環境が明らかに違うんだ。食料の調達だって難しくなるし、野宿することだってできない。僕はこのままムゲンマウンテンにむかっていくのはどうかと思う」
「丈は心配性だなあ。大丈夫だっていってるじゃん。ファイル島にはどこにでも食べ物はあるんだから心配いらないよ」
「こんな寒いのに?」
「寒い所でしか育たない食べ物もあるんだよ」
「ずいぶんと詳しいんだな、ゴマモンは」
「だってオイラは寒い所に家があるんだよ。だから全然平気だね」
だから君達デジモンと僕らは違うんだよと丈は大いに落胆した。こういうときパートナーを自負するゴマモンとは会わないなと丈は感じるのである。あ、信じてないな、ホントにオイラは寒い所で育ったんだぞってゴマモンは怒るが、丈はべつに信じて無い訳じゃないさと肩をすくめた。頼もしい限りである。ゴマモンには分からないだろう。この言葉にできない不安というやつは。
子供達が持っていたもともと3日分しかなかったサマーキャンプ用の食料は、はじめてこの島にきたときと比べると大分軽くなってしまった。そのかわりにリュックの中を占領しているのはこのファイル島で入手できる食料である。はたから見ればゴマモンの言うとおりなんの問題もないのだ。あえていうなら心理的なものにすぎない。
丈のいた世界とのつながりを連想させるものがファイル島のものに占領されていき、どんどん隅に追いやられていく保存食の袋に、言い知れぬ焦りがもたらされる。これが空っぽになってしまった時、どうしたらいいんだろう、と丈は思うのだ。なんとなくこれが当たり前になってしまうのではないかという恐怖が根底にある。この言葉を紡ぐことは認めてしまうことにもつながりかねないから、丈は言わないのだ。
「丈、どうしたんだ?ボーっとして」
心配そうに見上げてくるゴマモンに丈は一瞬言いよどんだが、言いつくろうことにした。
「いや、僕たちがここに来てから3日たつなあと思ったんだ。色々あったと思って」
「うんうんたしかにいろいろあったな」
「みんなとキャンプに来ただけだったのに、いつのまにかゴマモン達がいる変な世界に迷い込むなんてね」
「変な世界?酷いな、丈。そこまで言うことないだろ。オイラ達にとってはこの世界がオイラ達のふつうなんだよ。丈たちの世界の方がよっぽどへんだろ」
自分の世界を侮辱されたと感じたらしいゴマモンが語気を荒げるので、ごめんごめんと丈は謝って許してもらった。
「一刻も早く元の世界に戻る方法を捜し、見つけるしかないみたいだな」
「あいかわらず心配性だなあ、丈は。オイラが守ってやるって大丈夫だよ」
へへん、とゴマモンは人懐こい笑みを浮かべた。
変な臭がする、というアグモンの反応に釣られる形で空を見上げた子供たちは、光子郎が森の中に湯気が立ち上っているのを発見し、一斉に色めきたった。もしかしてという期待を込めてそちらに向かった。湯気がだんだん色濃くなり、温かい空気が雪原の白を寄せ付けず、そこの周辺だけが緑に満ちていく。
やがてさらに進んでいくと岩だらけの地帯になり、入浴剤や旅行先でおなじみの匂いだと気付いた子供たちは、いよいよ温泉だとテンションが上がった。そこにあったのは、念願の温泉である。お風呂に入れる!と期待はますます膨らんだ。
昨日、おもちゃの街でシャワーを貸してもらえたのだが、残念なことにシャワールームはビジネスホテルにあるようなトイレと一体式のものだった。子供たちがいつも見慣れている思いっきり足を伸ばせるようなバスタブが付いておらず、シャワーを浴びるスペースだけが確保されていたので、くつろげるような空間ではなかったのである。一目散に駆け寄った子供たちが覗き込んだが、みるみるうちにその表情は曇っていき、えー、という落胆の表情に変わってしまった。
残念なことに、その温泉はすべてぐつぐつとまるで灼熱地獄のごとく煮立っており、沸騰していたのである。いくら寒いとはいえ、この中に入るのはいくらなんでもためらわれた。温度はどれくらいだろうか、と試しに足元にあった石ころを掴んで、昨日樹林地帯で確保してきたツタをリュックから引っ張り出しくくりつけて、比較的浅そうなところに、ぽいっと太一が投げ込んでみる。沈んでいった石ころはそのまま沈んでいった。
再び引き上げてみるとツタも石も原型はとどめていて、湯気が立ち上っている。どうやら普通のお湯よりかなり熱いくらいである、ということが判明する。気合で何とか入れないかなって太一は言うのだが、ゆでだこじゃすまないぞって丈が止めた。
もちろん直接入るのは熱すぎるし、雪を投げ込むにしても労力がかかりそうだし、せめて近くに川があればここまで引いてこれそうだが存在しない。結論としてお風呂としてこの温泉を利用するのは無理である、という結論にいたり、子供たちは大いにがっかりした。6つある温泉は全て、子供たちがテレビや雑誌、旅行先で一度も見たこともないような色、原色のペンキをぶちまけたような強烈な色をしている。
光子郎曰く全部実在する温泉らしい。赤色をしているのは硫化鉄を含んでいるから、黒色は酸化鉄を含んでいるから、白は硫化水素、黄色は、と説明してくれたがもちろん誰一人としてついてこれていない。知ったかぶりでうなずいているのが数名いるが、理解している気配はない。
さすがにこれらの色全ての温泉が存在する場所は日本中どこを探してもないし、海沿いでもないのに緑色だったりするとお手上げらしい。とりあえず暖かな湯気に包まれたこの一帯が、真冬並みの気候の中では天国のような地帯であることにはかわりなく、そろそろお腹も減ってきたし、お昼ごはんにするかと誰ともなく言い始める。
食料はどうするんだ、と丈が心配そうにつぶやいたとき、タケルが冷蔵庫を発見した。この世界にきて、今まで何度も大自然の中に人工物という組み合わせを目撃していた子供たち、この世界で生きているため、これが当たり前だと考えているデジモン達はなんら疑問を挟む余地はなく、その冷蔵庫に殺到した。
そして冷蔵庫と冷凍庫しか無いという昭和懐かしいデザインの冷蔵庫を開いてみると、たくさんの卵が大量に入っていた。果物や魚、お菓子しか口にしていない子供たちにとっては久しぶりの卵祭りである。
目を輝かせた大輔は、ちょっと待ってよ、という丈の声に振り向いた。食べられるかどうか分からないんだから、まだ気が早い、という至極真っ当な危険性を指摘した丈に、太一がさらっと自分が毒見するから心配要らないと笑う。
不自然すぎる状況に慣れっこになりつつあるため、この玉子が第三者の所有物かもしれないから、泥棒になるかもしれないという発想はあっても口にしなかった丈は、本来自分が取るべき最上級生としての態度と責任をいまいち果たすことができず、太一やヤマト、空に置いて行かれることが多い現状に焦り始めているようだ。
そんな事知らない大輔は、昨日果物を集めていたときに助けてくれたときと違って、ずいぶんとぴりぴりしていることに気づく。なに怒ってんだろ、丈さん。そういえば、さっきの雪合戦にゴマモンは参加していたが丈は参加していなかったことを大輔は思い出す。
その時からイライラしてる気がする。ミミの話の中で今家に帰れるとしたら何がしたい、という話題に、中学受験を控えている身であるためか、春休みの宿題と塾の課題をたくさんやりたいと語っていたそうだから、てっきり勉強が大好きで運動が苦手な人なのかと思っていた。或いは雪合戦は子どもっぽい遊びだから興味がわかないから、参加していないのかと思っていた。それにしてはなんだか言葉の節々が乱暴だ。変なの。
しかし、大輔の興味はそんなことよりも卵が食べられるのかどうかにすぐに移ってしまう。太一が試しにひとつ卵を割ってみると、現役主夫が板につき始めているヤマトの判定で、新鮮な卵であるということが判明し、今日の昼飯のメインディッシュは卵となった。調味料も主食も副菜もないが、お湯が近くにあるということは、焼く以外の調理法もできそうである。バリエーションが増えるのは眼に見えていた。料理経験が浅い子供たちでも簡単に作れるのが、卵料理である。
ブイモンと大輔を初めとする力持ちなデジモン達が頑張って運んできた6つの岩が、丁度3つずつ円になるような形で置かれる。他のデジモン達が力を合わせて薄く丸く仕上げてくれた鉄板替わりの岩が乗せられる。特に表面は頑張ってミミとパルモンが綺麗にした。太一と光子郎が運んできたマキがその下に敷き詰められ、アグモンの炎によりめらめらと燃え上がった。
ピヨモンが羽を羽ばたかせて新鮮な空気を送り込み、ますます火力が強くなったことで鉄板が熱せられていく。そしてその上から空が失敗一つなく8つ分の目玉焼きを作り上げ、焼き加減を調整している。蓋をすることはできないが、おもちゃの街から持ってきた水によって蒸発していく水蒸気が焦がすことなく目玉焼きを作っていく。
半熟、堅焼き、といろいろ好みは分かれるだろうが、アグモンとガブモンが自慢の牙とあごで荒削りの器を現在進行形で作っているため、おそらく目玉焼きは堅焼き一択となりそうだ。ちなみに、テーブル替わりにも使われる予定の鉄板が冷めたら、並べられる予定である。
そして太一が得意料理だと豪語したオムレツが大量に作られていく横で、アグモンがすごいねえ、とマイペースに笑った。ヤマトとタケル達は何故か冷蔵庫の中に入っていたカゴにたくさん卵を入れ、6つある温泉の中でどれが無事にゆで卵ができるか実験していた。幸い全部まともなものができると分かったが、真っ黒になったり茶色になったりしたからの中はすべてゆで卵である。残念ながら温泉卵はできそうにない。
ミミが持ってきていたキャンプ用具からナイフを借りた丈は、せっせと全員分のはしを作っている。やがて、見渡すかぎり卵料理が出来上がった。椅子までは出来なかったため、みんな直接地べたに座るハメになるが、目の前にある精一杯のごちそうにいちいち無粋な文句をいう事ができるほどの余裕はない。腹が減ってはなんとやらである。いっただきまーす、という合唱と共に、思い思いにみんな食べ始めた。
「あー、大輔、お前オムレツ食うなよ。お前の分作ってねえんだから」
「えーっ、なんすかそれ!こんなにいっぱいあんのに?いいじゃないッスか」
「ダメだっての、まだオレお前のこと許してねえんだからな」
「それはこっちの台詞っすよ、ばーか。けーち。調子にのって作りすぎてたくせにー」
「んなっ?!なんでお前が知ってんだよ、暇だからって温泉に石投げ込んでやけどしてた癖に!いったな、お前!」
「こらこら、食事中に喧嘩しないの!これ以上騒いだらご飯抜きだからね、二人とも」
ぴしゃりと空からの仲裁が入り、むむむ、と両者にらみ合いながらも立ち上がりかけた場所に再び座る。そしてお互いに視線を逸らしたまま、黙々と食べ始めた。そんな二人のやりとりを見ていたメンバーたちは、二人に気付かれないように顔を見合わせてクスクスと笑う。これでは仲が悪いのか良いのか全然分からない。
むしろただ意地の張り合いをしているだけで、両者は喧嘩をしているつもりなのだろうが、第三者的な立場からすれば微笑ましい軽口の応酬にしか見えない。なにせ二人とも喧嘩していると口をそろえていうのだが、お互いがお互いのことを意識しすぎているのである。
太一はマキを集めながらもあっちこっち駆けまわっては仕事を探している大輔を見ているし、みんなから待っているよう言われてつまらなさそうに水切り遊びをブイモンとし始めたことまで知っているのだ。大輔も大輔でちらちらと太一の方を見ては寂しそうな顔をしてぼーとしているから、飛び跳ねてきたお湯に気づかず火傷して、雪のあるところまで駆け込む騒ぎを起こしているのだ。
はやく謝って仲直りしたいと既に顔に書いてあるのだからさっさと実行すればいいのに、なぜだか両者ともにどちらかが謝るまで自分は謝らないと主張してずーっと平行線をたどっている状態である。
どんだけ仲いいんだこいつら、と心のなかがひとつになっていることを知らないのは、きっと太一と大輔だけである。サッカー部の同属嫌悪同士の扱いにはすっかり慣れている空はそんな2人のコトなど軽くスルーして、さっさと話題を転換することにした。
「みんな、目玉焼きにはなにかけて食べる?」
卵料理は美味しい。久々に食べる卵の味は腹ペコの子供たちやデジモン達にも大好評であるのは事実なのだが、なにせここには調味料が一切無いので、いい意味でも悪い意味でも素材の良さが引き立つ料理しかできない。
つまるところ卵料理はいくら調理しても卵の味しかしないので、次第に飽きてきてしまうのだ。もちろんあっという間に完食してしまうのは時間の問題だが、きっとリュックの中にある果物は消費期限も気になるから食べることを考えれば、デザート前の会話といった感じである。
空の予想ではそれなりのグループに分かれて話題が弾むかな、という感じでの提案だったのだが、実はここにいる子供達、全員が使用する調味料がばらばらであるということが判明した。丈はオーソドックスの王道は、やっぱり塩と胡椒だろうと強硬に主張した。
素材の味が生かされるとの事である。太一はやっぱり醤油だと言い切った。塩コショウでは半熟の黄身にかける醤油の組み合わせには勝てないらしい。ヤマトとタケルはマヨネーズだそうだ。ヤマトは料理を始めたばかりの頃はよく焦がしてしまったため、味をごまかすために使っていたら慣れたらしい。
タケルはお兄ちゃんと一緒だし、マヨネーズはなんでも合うし、美味しいし、目玉焼きは味が薄いからそのままはあんまり美味しくないらしい。大輔もタケルと同じくはっきりとした味がしないのはいやなのか、ケチャップを付けると言った。たまにソース混ぜると美味しいと付け足すと、空が便乗した。
空はソース単体派で、たまにおたふくソースを使うとかウスターを使うとか気分によって変えるらしい。光子郎はポン酢と口にしてみんなから引かれていたが、大根おろしと梅にポン酢という組み合わせを聞いたらなんだか美味しそうな気がするのは何故だろう。
ミミはみんなおかしいと指摘した上で、余程の甘党なのかお砂糖を掛けるのが1番、もしくは納豆と口にしてみんなを驚かせた。納豆に生卵の組み合わせなら父親がしているのを見たことがある子供達は、なんとなく連想しやすいが、目玉焼きとの組み合わせはかなりの異色だ。
思わず笑いをこらえてしまったみんなに、ミミはなにようと頬をふくらませた。そして、果物をみんなが口直しに食べ終えて、食器やらなんやらをいろいろと処理したあと、これからどうするのかという会議が始まる。大輔やタケル、ミミ、光子郎たちもテーブルに残っていたのだが、空が立ち上がって低学年組のところにやってきた。
何やら上級生組が色々話をしているが、どうも会議が紛糾しているらしく、何を話しているのかは分からないが結構もめているようである。不安そうに下級生たちが上級生組を見ていることに空は気付いたらしかった。漂流生活初日も太一とヤマトの喧嘩を見ているため、また激しい喧嘩が行われているのではないか、とみんな気が気ではないのである。空は心配要らないのだと笑って話してくれた。
「ムゲンマウンテン、あるでしょう?」
目前に迫る大きな大きな山である。
「後ろは雪原でしょう?」
確かに吹雪こそ無いものの一面銀世界がこの温泉地帯を抜ければ待ち構えている。
「前を行くか後ろを行くか、みんなで一生懸命考えてるの。どっちも危ないから、みんなのことを考えるとどっちがいいか、私たちも頑張って考えてるの。だからしんぱいしないで、ね?決まったら教えるから、みんなあっちにある洞窟で待っててくれない?もしどこまでいっても野宿できる場所がなかったら、多分あそこで寝ることになると思うから、石とか取り除いてほしいの」
きっと上級生組が話し合っていることはもっともっとたくさんある筈である。でも下級生たちが知りたいことを全部汲みとって説明してくれた空のお願いを断ることができる子供たちもデジモンもいなかった。
わかりました、という元気の良い声のあと、光子郎とテントモンを先頭に、歩き始めていく。最後までテーブルに残っていようか迷っている様子の大輔だったが、タケルとブイモンに早く早くと急かされて、後ろ髪をひかれるような名残惜しさを残して、あわてて追いかけていったのだった。