どんくらいかなー、と暖炉の前であぐらをかきながら、大輔はつぶやいた。レンガ造りの暖炉では、組み上げられた薪を燃料にこうこうと火が揺らめいている。そのオレンジ色の火影に照らされて、うっすらと赤みを帯びている大輔は熱心に暖炉の中を覗き込んでいた。
その右手に握られているのは、キッチンから拝借した見るからに高そうな銀色のフォークである。その先に突き刺さっているのは、先程からふんわりと甘い匂いを漂わせ始めているマシュマロだ。大輔のリュックの中に、お菓子の一つとして入っていたものである。
サマーキャンプなんてイベントでもなければ、買わないような代物だ。綿菓子のようにふわふわで柔らかくて甘いだけである。女の子は好きかもしれないが、すぐに口の中で溶けてしまうためあまり食べた気がしない。
普段だったら、一袋完食する前に飽きが来てしまいギブアップすることは明らかであるため、オヤツ目的で駄菓子コーナーにやって来た場合は絶対に手を伸ばしたりはしないはずである。この珍しすぎるラインナップがチョイスされた理由は、飯ごう炊さんでカレーを食べた後のデザート替わりとして、マシュマロが予定されていたからである。
本来なら母親が子ども会からのお知らせにあった必需品項目を管理する立場として、お米と一緒に持っているべきものであった。しかし、おやつが欲しいとねだる大輔と共にスーパーで買出しした母親は、家に帰ってから買い物袋を仕分けしようと考えたまま、すっかり忘れていたのである。
いちいちビニール袋の中を確認するような性格ではない大輔は、そのままリュックの中に放りこんでしまい、今に至るというわけだ。そして今晩のご飯は何にしようかとリュックの中を漁っていた大輔の目に止まり、引っ張り出されたわけである。
そういえば、ともう5日も前になるサマーキャンプの時に、マシュマロの変わった食べ方があるのだと、大輔のいたグループのまとめ役の人が熱心に説明していたことを思い出した大輔は、聞きかじったそれを実行しているというわけだ。
ちなみに、1番長いからと用意された銀色のフォークは、直火でマシュマロをとろけさせるための棒としては不向きである。すっかり熱くなってしまったフォークを持っていられなくなった大輔は、半分とろけたマシュマロを慌てて隣に用意していたクラッカーに置いた。
もう一本のフォークで何とかマシュマロをとろうとするが、とろけかかっているそれは、まるで水飴のように伸びてしまい、うまくいかない。四苦八苦しながらようやく蓋をした。マシュマロサンドの完成である。
匂いはとっても美味しそうだが、見た目はあまりに不恰好だ。フォークを口にくわえた大輔は、まるでべっこう飴のような甘さの塊に驚いた。ちょっと冷えてしまっただけなのに、もうフォークにくっついていたマシュマロはネトネトになっている。
これは甘すぎる。クラッカー選んでよかった。チョコチップクッキーとか、マーブルチョコのやつとか、ブイモンはラインナップをしていたが、却下して正解だったとほっとする。もしクッキーに挟んでいたら、とてもではないが大輔は完食する自信はない。絶対に胸焼けする。
そして、このフォークはもう大輔だけしか使えないことに気づいて、あ、しまった、と我に返る。まだフォークあったっけ?
ブイモンだけだったらそんな事気にもとめないだろう、洗い物が増えるのめんどくさいし、でもそういうわけにもいかなくなったのだ。ふかふかのソファの背もたれから顔を出したまま、ずーっと大輔のなんちゃって料理を眺めていたのは、ブイモンである。マシュマロサンドの試作品第一号がおかれている皿を見たブイモンが、あまりの完成度の低さに落胆する。
「大輔―、あんまり美味しくなさそうだよ」
「うっせえブイモン。文句言うなら食うなよな。つーか待ってないでお前も手伝えよ!さっきから腹減った腹減った言ってばっかで、なんにもしてねえじゃねーか、腹減ってんのはオレだって同じだっての。ったく」
お腹が減ってしまって動けないブイモンには、あまりにも酷な台詞である。えー、オレじっとしてんの無理、苦手だよとブイモンは言い張っている。マシュマロを焼くというメンドクサイ調理法を実践しようとした大輔に、お腹が空いたのだから早く食べたいと思っていたブイモンは、ずーっとごねていた。いいじゃん、そのままでも美味しいよマシュマロ。
それでも暖かいものを食べたいという率直な意見には大いに賛成だったため、今に至るのだ。かれこれ30分ほど待ちわびている。マシュマロのとろけさせ加減が意外と難しいのである。
真っ黒になったり、とろけすぎてしまったマシュマロがフォークから落ちてしまったり、とろけすぎてネトネトの物体になってしまったり、完成に手間取ってすっかり冷めてしまい、マシュマロが堅焼きせんべいのようにカチカチになってしまったりしたのだ。試行錯誤やった末に、ようやく完成した記念すべき1個である。不恰好だが味は保証する。たぶん。
自分なりに一番ましな力作だと考えていた大輔は、それをボロクソに言われていらっときたらしく、皿を取り上げてしまう。
失言だったと気ついたブイモンがあわてて謝ろうとソファから降りて大輔のところに行くが、もう既に遅し。マシュマロを一つ一つフォークに刺す作業を淡々とこなしていた女の子が、目を輝かせて大輔にねだっていた。
どうやらこの瞬間を虎視眈々と狙っていたらしく、勝ち誇ったような顔をしてブイモンに微笑みかける女の子は、ありがと、と笑顔を浮かべてマシュマロサンドを食べてしまった。あー!というブイモンの声が響く。
「オレのマシュマロサンドーっ!大輔、ずるいよ、なんでなっちゃんにあげちゃうんだよ!」
「お前が文句ばっか言うからだろ?てっきりいらないのかと思ったのに」
「いらなくないーっ!オレ、腹減って今にも死にそうなのにーっ!大輔のばかああ」
「あーもー、マシュマロサンド一個でどんだけ泣いてんだよ、お前。さっきから言ってるだろ、自分で作れってば」
「ひどいや、大輔。オレが何したっていうんだよう。あんまりだあ」
「はあー、わかったわかった。すぐ新しいの作ってやるから待ってろよ」
「ホントか、大輔!やっほーい!」
だーもー、メンドクサイ奴だなあ、とわがまま放題のブイモンに大輔は頭をかいた。くっそー、今度こそ綺麗に作ってやる、と意気込みを新たに大輔は暖炉の前に向かっていった。わかってない、全然わかってないぞ、大輔!とブイモンは心のなかで叫んでみる。
ブイモンが欲しいのは大輔が作ったマシュマロサンドなのであって、ブイモンが作ったマシュマロサンドではないのだ。それだけでどれだけブイモンにとって、わざわざずーっと待っているだけの価値が落ちてしまうのか、全然分かっていないパートナーにため息ひとつ。
直接直談判しようかとも考えたのだが、大輔のことである。はあ?なんだそれ、何が違うんだよと素面で返答されてしまうのは眼に見えている。隣にライバルが居るにもかかわらず、そんなこと出来るわけがなかった。
一目見た時から気に入らないのだ。こいつは敵だとブイモンの勘が告げている。パートナーデジモンであるブイモンの地位を脅かしかねない存在であると、大輔の1番を横からかっさらってしまうかもしれない存在だと一目あった瞬間からブイモンは、なっちゃんと呼んでいる女の子を判断した。
理由なんてさっぱりである。本能が叫んでいるのだから仕方ない。ずっと何かを見過ごしているような違和感があるのに、どうしてもそれがわからなくて、もどかしくて、ブイモンはずっとイライラしている。敵対心をむき出しにしているブイモンに一切怖じけづくことなく、むしろ対抗意識を燃やしている女の子はずっと大輔の隣を陣取ってマシュマロサンドづくりに励んでいる。
なっちゃんとブイモンと大輔から呼ばれ、自らもなっちゃんと呼ぶことを宣言した女の子は、のれんにうでおし、やなぎにかぜ、というコトワザを体現したかのように、掴みどころのない、不思議な雰囲気を持っている女の子だった。
彼女は熱心に大輔のことを知りたがった。本宮大輔という名前、年齢、生年月日、星座、好きなもの、嫌いなもの、好きなこのことなら何でも知りたいという恋に恋する女の子のような振る舞い。今まで出会ったことのないタイプの女の子。きゃらを掴みかねている大輔は、どう対応していいものかわからず、すっかり戸惑いっぱなしである。
完全にペースを飲まれて振り回されていた。すぐ隣にいるのに完全スルーされて、そっちのけで大輔のことばかりに熱心な彼女が面白くなくて、パートナーデジモンであるということを強調して自己紹介したブイモンに、彼女は凄まじい落差で対応した。
まるで存在自体に全く気付いていなかったかの如く、今更のように態度を取られたことも衝撃だったのだが、開口一番に「なにこれ」とモノのような扱われ方をするとは思いもよらなかったブイモンである。
どうやらなっちゃんの中では、明確な優先順位が存在していて、ヒエラルキーの頂点に大輔がいて、それ以外は全くどうでもいい取るに足らないもの、としてひとまとまりになっているようだ。さすがに大切なパートナーデジモンを蔑ろにされて不快に思ったらしい大輔が仲裁に入ってくれた。
おかげで、最初の頃の露骨すぎる態度はなりを潜めたものの、それはあくまでも大輔が言ったから実行しているに過ぎないのだろうことは、ブイモンは嫌というほど分かっていた。そしてその心中も理解できてしまう。
自己紹介が済んだ後、大輔達は簡単にではあるがこの世界にやってきた経緯とパートナーデジモンとの出会い、デジヴァイスによる進化、思いつく限りの出来事と未だ分からない謎、そしてこの世界に迷い込むまでの経緯について包み隠さず話した。
なにせこの世界にきて初めて出会う人間の女の子なのである。もし、この世界の住人なのだとすれば、この世界についてもいろいろ話が聞きたかったし、太一達と合流することも考えると、是が非にでも聞きたいと思うことが山ほどありすぎて、どれを取り上げるべきか迷ったほどだった。しかし、大輔たちが言葉を紡げば紡ぐほど、彼女はどんどん悲しそうな顔をして言葉少なになり、とうとう最後はうつむいてしまったのである。
自分たちのことばかり話していたせいで彼女が傷ついたのだと気付いた大輔達は、あわてて謝罪したのだが、そのときぽつりとつぶやかれた言葉が、彼女のすべてを物語っていた。
「わかんない」
大輔とブイモンは顔を見合わせた。マシンガンのようにぶつけられた無遠慮すぎる質問の数々に、たった一言、全ての心中を濃縮したような一言は、あまりにも破壊力があった。律儀にも彼女はその一言ですべての質問に答えたのだ。自分の名前も、どこからきたのかも、ここがどこなのかも、なにもかもぜんぶ、彼女を形成している一欠片すら、彼女は覚えていなかった。
彼女はいう。気づいたらあのお部屋にいて、ずっと一人ぼっちで、寂しくて寂しくてたまらず、ずっと誰か来てくれないかと待ち続けていたのだと。だから大輔が声を聞いて来てくれたと知った彼女は、ずっと一人ぼっちだったという孤独から解放されて、心の底から嬉しかったらしい。
初対面であるにもかかわらず、全てにおける過程をすべて吹き飛ばして、大輔だけに一直線で好意をぶつけたのも、ひとえにそれが理由だった。彼女にとって、大輔が自分の声に答えてくれた、そして来てくれた、この洋館における初めてのお客様なのである。
そこまで聞いてしまっては、彼女のとる天真爛漫すぎる積極的なスキンシップに何も言えなくなってしまう。大輔もブイモンも、この屋敷の置かれている状況が、いかに危険に満ち溢れているか嫌というほど分かりきっていた。
どうやら彼女はデジヴァイスもパートナーデジモンもいない、ほんとうの意味で一人ぼっちで、この世界に迷いこんできたらしい。大輔が吹雪が止んだら外に出ようと考えられたのも、ブイモンがいて、デジヴァイスがあって、太一達という仲間たちがいるからである。
彼女は何一つ持っていないのだ。無防備な女の子がなにひとつ持たないまま旅をすることができるほど、この世界はやさしくはない。彼女が今まで屋敷の外に出たことがないという言葉も、なんら不自然なものではない。
むしろ当然であり、今までよくぞ堪えられたと考えてしまう。窓から大型の凶暴なデジモンが外をばっこしているような光景を見てしまったが最後、同じような状況に置かれたとしたら。
とてもではないが大輔だって楽観的な思考回路で飛び出していけるわけがない。自然と大輔とブイモンは、ごめんなさいと頭を下げていた。不用意な言葉を口にしてしまった。今まで彼女が知る必要がなかった、質問したことに何一つ答えられない、向けられる期待に答えられないというもどかしさ。
歯がゆさ、羞恥心、プレッシャーというたくさんの負の感情を、知らず知らずのうちに大輔達は提示してしまったのである。無知であるがゆえの不安や恐怖を教えてしまったことに対する罪悪感がそうさせた。
そう考えたときに、大輔のように彼女の悲痛な叫びが届いたわけではなく、ただくっついてきただけのブイモンは、彼女にとってはただの付属品でしか無いと思われるのも仕方なかった。
今ではようやくブイモンと呼んでくれるようになったが、無邪気すぎる彼女はやや毒舌過ぎる時があった。一般的な常識や知識、すべてにおける基盤すら喪失しているせいか、彼女はやや独創的な発想の持ち主である。
できそこないのイルカみたいだとか、ツノの生えた青蛙のようだと形容されたときには、悪気がないと知っていても怒りたくなったブイモンである。ある意味、生まれたばかりの雛のようにまっさらな彼女は、一見すると異様なほど大輔になついていた。
大輔に名前をつけて欲しいと提案してきたのは、彼女だったのだ。名前は?と大輔に聞かれたとき、その愛らしい顔をこてんと傾けた彼女は、名前というものを知らなかった。気付いたときには、すでにこの広すぎる洋館で一人ぼっちだったという彼女である。
当然ながら、自分ですら忘れてしまっている名前の存在など気に止めることなく、今まで生きてきていたらしい。大輔とブイモンはその話を聞いたとき、あまりにも現実離れしすぎていて、過酷すぎる環境で生きてきた彼女の深刻さを悟った。
名前には言霊が宿るとは言うが、自分以外に誰も存在しない世界においては、きっと言葉はどこまでも無力なのである。人が人の間で初めて人間となれるように、自分は自分であるという当たり前の意識なんてものは、比較対象である他者がいなければそもそも成立しないのだ。
人は説明するときにどんどん長くなる形容表現が面倒だから、名前をいうレッテルを張って会話することからコミュニケーションは始まったというのだから、彼女が道具の使い方を知っていても名前を知らないのは何一つ不自然なことではないのである。たとえ、それが自分の名前であったとしても。
彼女の理論からすれば、彼女が彼女であるという定義付けをしてくれたのが、記憶を失って生まれて初めて遭遇した他者である大輔であり、それを教えてくれたのも大輔なのだから、名前をいうレッテルを張るのも大輔がやるべきである、というわけだ。
さっぱり話についていけない大輔とブイモンは、とりあえず彼女が勝手に呼んでくれればそれを名前扱いすると判断した。彼女はわくわくしながら見守っていたのだ。これはなかなか責任重大だと思った大輔は、一生懸命考えたがさっぱり浮かばない。困り果てた大輔は、ずーっとうなっていた。
「だいすけがすきななまえってなあに?」
「好きな名前え?」
それは好きな女の子の名前はなにか、と聞いているに等しい問い掛けである。ミミに問われたときのように返すしか無い。
そしたら、オレは大輔のことなら何だって知っているのだ、と誇示したがる症候群を発病したブイモンが、いつだったかと同じようなタイミングで爆弾を投下した。
「ジュンだよね?大輔」
「じゅん?」
「そ、そーだけど……」
「じゃあ、わたし、じゅんにする」
彼女からすれば、大輔が好きな名前だったら何でもいいという考えなのだろうが、ジュンという名前を聞いたとき、真っ先に思い浮かぶ女性がいる大輔は、凄まじい勢いで拒絶反応を示した。この世界にきてから5日を数え、思い出の中でしか会えないジュンお姉ちゃんが、彼女で塗りつぶされてしまうきがしたのだ。大切な思い出が全部全部彼女で埋め尽くされてしまう。
塗りつぶされてしまう恐怖を覚えた大輔は、ぶんぶんと大きく首を振って、断固拒否を宣言した。ジュンお姉ちゃんのことをジュンお姉ちゃんと呼んでいいのは自分だけなのである。弟の自分だけなのである。大輔は自分がジュンお姉ちゃん以外を呼ぶための言葉として、一言足りともジュンという言葉を発することは絶対に嫌だった。いくら可哀想な女の子だからって、これだけは譲れない。
「駄目、それだけはゼッテー駄目!頼むからやめてくれ、他の名前考えるから」
「そう、わかった。だいすけがきめて、わたしのなまえ」
少しだけ不満そうに口を尖らせたものの、素直にこくりと頷いた彼女は、大輔が再び思考の海にだいぶするのを見届けた。
ブイモンはチョコとかクッキーが好きだとか抜かしたが、それではまるで犬や猫に付けるようではないか、と大輔は反論した。そしたら、ことのほか彼女は乗り気だった。大輔が好きなものだったら何でもいい、というお墨付きを頂いた大輔達は、少しでも人間らしい名前を考慮に入れながら、好きなモノを連想ゲーム式にぽんぽんと口に出してみた。
しかし、サッカーでは、さっちゃんとなってしまう。有名な童謡に歌われているさっちゃんは、実は交通事故で死んでしまい、バナナをちょっとしか食べられなかった、とかいう小学校で流行っていた都市伝説を思い出した大輔は、却下する。いくらなんでも不吉すぎる。
ラーメンでは、あんまり過ぎるだろう。らっちゃんもなんか言いづらいし。うーんうーん、と考えていた大輔は、ふと外を眺めて、猛吹雪のあまりカーテン越しに窓のきしみが聞こえてくるのを耳にする。冬より夏のほうが好きだな俺、今寒いし、とこぼれ落ちた言葉を拾い上げたのは、彼女だった。
「だいすけ、なつ、すき?」
「そりゃー、今はスッゲー寒いし、暖かいほうがいいよなあ」
「じゃあ、なつにする」
「え?いいのか?そんなんで決めちゃって」
「うん。なつだから、なっちゃん。なっちゃんてよんで、だいすけ。よろしくね」
すっかりお気に召したらしいなっちゃんは、鈴を転がしたような声で名前を紡いだ。それはそれは嬉しそうなほほえみをたたえている。なっちゃんは、どう見ても外国人としか思えないような容姿に恵まれているし、服装だって女の子をしているといった感じの様相だ。
どこをどう見ても、日本人の女の子にありがちなニックネームが似合うとは到底言いがたいし、とってもミスマッチであると大輔は分かっている。せめて外国人っぽい名前のほうがいい気がしたのだ。
夏、なんていまどきの女の子がもっている名前とはあまりにも程遠い気がする。昔の時代劇なんかで出てくる、名前の前に、おをつけるのが普通だったような、すっごく昔の女の子だったら普通なのかも知れないけれども、だってほら、お夏とかなんかいそうだ。
絶対に彼女が持っているであろう名前とはかけ離れていることは明瞭だった。本当にいいのかと大輔は心配になって聞いたのだが、どこまでも素直ななっちゃんは、大輔に名前をもらえたことにすっかり舞い上がっていて、大輔の考えていることなんて全然気にしていない様子だった。
まあ、いっか。記憶を取り戻すまでの一時的な名前なんだし、これがほんとうの名前になるんじゃないんだし、きっとなっちゃんだって名前を思い出したら、本当の名前のほうがいいだろうから、なっちゃんなんて忘れてしまうだろう。こうして、ぼーん、と柱時計が時間を知らせてくれた頃には、とっぷりと日が暮れて、夕ごはんの時間と相成ったわけである。
どういうわけかブイモンとずっと仲が悪いらしいなっちゃんである。ちょっとくらい仲良くしてもいいのに、と大輔は思ったのだった。なっちゃんが大輔にぴったりくっつこうとしているのは、きっと恋愛感情とかそういったものではないと大輔は判断している。生まれたばかりの雛鳥のように、他に頼る人がいないだけだろう。こうやるしか方法を知らないのだろう、若しくは探しているのだろう。
時々、これで大丈夫だろうか、という様子を伺うような不自然な問いをなっちゃんはする。大丈夫だと返すと笑うのだ。態度とか距離とかいろいろわからないから、なっちゃんなりに頑張っているのだろう。今まで一人ぼっちで過ごしてきた女の子が、フォークの名前すら疑問符だった女の子が、記憶を無くして初めてであったのが、たまたま大輔だっただけで、だから頼りにしているだけなのだろう、と思っている。
だから、なっちゃんが積極的なまでに一直線に好意を示しているのは、素直にうれしいし、ありがたいけれども、それにどうやって返したらいいのか大輔は未だに分からないでいる。だって、なっちゃんは知らないだろうけれども、女の子にあんまり興味がない大輔だって、その思わせぶりな態度とか。具体的には言葉とか、動作とか、あからさまに迫られてしまったらいくら何でも無関心ではいられない。
思わずドキドキしてしまうような、結構かわいい女の子なのである。今だって結構、顔が赤いのをごまかしている部分はある。大輔は照れ屋な少年である。クラスメイトの女子でよく話すのは、自己主張の強い気の強いグループのリーダー格とか、男女関係なく友好関係を結べる子位だ。
あとはジュンとか空とかミヤコとか、いずれも年下の大輔に対して、年上振りたかったり、先輩だったり、上下関係を強いたりとわりと大輔よりも上からの立場で、もしくは対等な立場でやりあうような感じの人たちばかりである。気の強い女性と縁のあるため、そういった女性ならある程度余裕を持てる大輔だったが、その真逆とも言えるタイプはあらゆる意味で困難なことばかりだ。
どうしていいのかわからない。女の子は未知の世界なのである。それをごまかすために、ついついブイモンを緩和剤にしたくて、巻き込みたくて意地悪してしまう。はあ、と小さく大輔はため息を付いた。いつの間にか、マシュマロサンドは、大輔の分だけしか残っていなかった。
「………どうしたんだよ、なっちゃん。オレになんかついてる?」
じいっと大輔の顔を見つめていたなっちゃんの視線に気付いた大輔はごしごしっ頬のあたりを乱暴にこすってみた。すすや埃で汚れてしまうのは仕方ないのだ。ううんってなっちゃんは笑った。オレンジ色の灯が大輔やなっちゃんを照らしている。
なっちゃんは大輔の隣に腰を下ろす。女の子が座らないような座り方なので、スカートが翻り、思わず大輔は視線を前にずらした。たぶん大輔の座り方を真似している。
「ほんのすこしだけ、思い出した気がするの」
「なにを?」
「ずっとずっとまえにね、こうやってだれかと一緒にご飯を食べてた気がする。お話してた気がするの。笑ってた気がするの。思い出せないけど、とっても大切だった。ぽかぽかするの、思い出すと」
「そっかあ、よかった。ゆっくり思い出してやれよ、なっちゃん」
「うん。ねえ、大輔」
「ん?」
「私が思い出すまで、思い出せるまで、一緒にいてくれる?」
「オレもブイモンも一緒にいるからさ、心配スンナって。大丈夫だよ」
オレも、といった時にはとっても嬉しそうに笑ってくれたのに、ブイモンもと続けるとちょっとだけ不機嫌そうに頬を膨らませて拗ねてしまうちょっぴり不満は残るようだが、大輔の答えに安心したのかなっちゃんはありがとう、大輔って見たこともないような顔で微笑んだ。
笑っているのに泣いている。どこかおぼろげで、寂しそうになっちゃんは笑った。なっちゃんって思わず声を掛けてしまった大輔は、なに?て疑問符を飛ばす少女に後が続けられず詰まってしまう。えーっと、えーっと、と言葉を捜した大輔は、リュックをがさごそと探り始める。
あれじゃない、これじゃないって中身をひっくり返す大輔はようやくお目当てのものを探り当てた。
「今度はこれ食べようぜ、デジリンゴ。ちょっと腐ってるけど。すっぱくてあんまおいしくないけどさ、マシュマロならまだあるし、焼いちゃったら大丈夫だよな」
「大輔のリュックってなんでも入ってるね。なんだか魔法のカバンみたい」
「大輔、ずるいよ!なんでなっちゃんと内緒話なんて楽しそうなことしてるんだよ。オレも混ぜてくれよな!オレも食べたい、焼きデジリンゴ!なあなあ、今度はどうやって作るんだ?」
「ブイモンも手伝えよ!」
「えー、やだ」
なっちゃんと大輔にほっとかされっぱなしのブイモンは、無理やり二人の間に割って入ったのだった。