大輔が生まれたとき、既にお台場小学校一年生だったジュンは、大輔が物心ついた頃には既に自分の部屋を持っていた。
このころ、両親と共に寝ていた大輔は、もちろん自分だけの部屋なんてない。自分だけの部屋を持っている姉が羨ましくてたまらない。自分だけの勉強机やベッド、洋服ダンスといったあらゆる自分だけの所有物を持っているのが、ずるいと思ってやまなかった。
だから、自分の部屋があるにもかかわらず、あくまでも生活の基盤は両親の部屋であり、自分の部屋は自分のものを置いておく物置部屋として姉が使っているのがさっぱりわからなかった。
大輔がちょっとした好奇心で入ってきたときには、女の子の部屋に入るのは最低だ、と顔を真赤にして怒るくせに、大輔と同じく両親の部屋で一緒に寝ているのが全然理解できなかったし、父親と母親の間という特等席をいつも独占する姉が許せなかった。
小学校に入学したといっても、まだまだ甘えたいさかりの時期だ。生まれたばかりの弟に両親の愛情と注目、感心というあらゆる特権を奪われた。自分よりずっとずっと腕白で元気で活発な男の子である弟に。
しょっちゅう何かしらの問題を起こしたり、ケガをしたりしては、両親の手をかけさせることで構われている、守られている大輔が、お姉ちゃんであるという理由だけで不平不満を封殺されるジュンの心境などわかるわけもない。
ジュンの寂しい、構って欲しい、大輔だけの両親ではないのだから自分のことを見て欲しい、頑張ってるんだからこっち見て!という無言の抵抗である。
もちろん両親も大輔に掛かり切りで孤独を感じて子供返りしている、小学校高学年の女の子の心中を理解しないワケもなく。何も言わずにみんなで川の字になって眠っていた。なるべく両方の学校行事には積極的に参加するようにしてバランスをとる。
しかし、なんとか姉弟に対する愛情を公平にしようと頑張る両親ではあるが。大輔がサッカークラブに入ったことで、もともとシーソーを平行にするくらい難しかったバランスは、あっという間に崩壊してしまう。忙しさの前にはいずれの微笑ましい要望などいつでも無力である。
スポーツドリンクやタオル、クラブユニフォームなど毎日準備しなくてはいけない。大会やイベントが入ろうものなら両親同伴が原則である以上、お弁当にも車の送迎にも力が入る。大輔がサッカーを頑張れば頑張るほど比例して両親の負担も跳ね上がっていく。
そのしわ寄せを被るのは、いつだって中学校に進学して、すっかり大人扱いされるようになったジュンである。その頃から、もともと言い争いや喧嘩が絶えなかった大輔とジュンの間では、姉弟同士の激しい衝突は日常茶飯事となった。
もちろんジュンにはジュンの言い分、大輔には大輔の言い分があるのだ。お互いに意地っ張りであり素直ではないという同属嫌悪が拍車を掛けた。それに加えてジュンが思春期でアイデンティティの確立に葛藤する難しいお年ごろに突入した。新たな問題も噴出し、もはやこじれにこじれてどうしようもないモノになっていた。
アンタは弟だから姉であるアタシの言うことは聞くべきなのだ。という横暴すぎるジャイアニズムにずっと屈服し続けて8年になる。そういった不平不満は口喧嘩でも殴る蹴るの大喧嘩を前にいつもある。だがずっと体格の大きい姉に敵うわけもなく、6歳の開きは未だに超えられない。
そういう時は最終手段として両親を召喚するという奥の手を使う大輔は、姉がお姉ちゃんなんだから、と叱られるのを見て笑う。そのたびに、大輔も男の子なのだから泣いてはいけないと、強くなくちゃダメだと諭されてしょぼくれたりする。
両親の目を盗んでやってくる姉の報復も恐れなければならず、本宮家は大輔にとってもジュンにとっても毎日が戦争のようなものだった。
それがある日、とうとう大爆発を起こすことになるのだが、それはゴールデンウイークに差し掛かったころだった。
大輔はお下がりが嫌いだった。同性でないため、ジュンが使っていた体操服や運動靴といったありとあらゆるモノを共通で使い回す、という最悪の事態はまぬがれたのだ。習字セットや絵の具セット、リコーダーなど男女差が明確でないものは両親から使うよう言い渡されていたのだ。
自分のものであるはずのものには、本宮ジュンという名前が書いてあり、それをいちいち黒いペンで塗りつぶして使っていた。みんなピカピカの新品を使っているのに、自分だけ使い古されたものである。
それが大輔には耐えられなかったのだ。ジュンの使い方が丁寧だったため、わりと綺麗なままだったのは幸いだが、扱いがぞんざいで乱暴な大輔は、しょっちゅう物をなくす。
新しいものを買って欲しくてつい、そういう扱い方をしてしまうのだ。ジュンからすればかつて自分の物だったものを適当にいい加減に扱われて、どんどん汚くなっていく文具を見るのが耐えられない。そこでまた喧嘩の火種が散っていく。そして、極めつけが小学校に進学したにもかかわらず一人部屋がもらえないということだった。
お台場の高層マンションに住んでいるというお家事情により、本宮家では自由に増改築することができない。
それにジュンと違って、自分で片付けをしたり身の回りのことをきちんとすることができず、なにかと両親の手を借りてやっていた大輔にはまだ早いだろうという両親の判断である。さんざんごねる大輔に、自分でちゃんと机に向かって勉強するという約束をしっかりと取り付けた両親は、勉強机だけは買ってくれると約束した。
今までリビングで宿題をやっていた大輔は大喜びだったが、今度は置き場所の問題が出てくる。普通ならば二段ベッドを購入していたジュンの部屋に大輔の机を置いて、共同で使用してもらうのが望ましかったのだが、当然ながら、ジュンと大輔双方からの大ブーイングが起こったのである。ジュンからすれば、もう中学校1年生である。ずっと一人部屋だったのに、なんで大輔と一緒の部屋になるのかと怒るのも無理はない。
PHSでお友達と内緒話したり、好きなアイドルのことで盛り上がるのが大好きなのに、プライベートもクソも無くなる。
中学校に上がってから生活の基盤を緩やかに一人部屋に移し、着替えや就寝をこちらに置きつつあった乙女からすれば、たまったものではない。大好きなアイドル歌手のポスターや女の子らしい雑貨品で溢れていた自分の城である。男子禁制、不可侵領域だ。中学校に上がったことでアップしたお小遣いと広くなった活動範囲を利用して、もっともっと部屋を充実させる予定だった。
大輔にあげるようなスペースなんて、一畳も無いのである。大輔だって願い下げだった。ジュンが一人部屋を持っているのに、なんで自分だけ駄目なのかと納得行かない。両親と共同で使っている部屋にあるサッカー選手のポスターとか、ゲームとか、スペースを制限されて飾れないおもちゃだってたくさんある。
友達を家に呼びたいと考えていたのに、お姉ちゃんと同じ部屋なんて恥ずかしいから嫌だ、と否定した。それはジュンも同じだ。その結果、収納スペースと化していたもうひとつの子供部屋を片付けて使うことになったのだが、その準備には結構な時間がかかるということで、しばらくの間ジュンと大輔は不本意ながら共同の部屋を使うハメになってしまったのだった。
具体的にはゴールデンウイークの間であるその一週間は、大輔にとって生まれてから一番最悪な一週間だったと記憶している。机の前にすわって勉強を終えてから遊びにいくという約束を守るべく、四苦八苦して大っきらいな勉強をしていた大輔。
なにかとジュンがちょっかいを掛けてくるのである。集中できるわけがない。CDを流したり、問題が分からない大輔をからかいはしても、自分で考えろといってヒントばかりで答えを教えてくれないし。
それに着替えだとかお出かけの準備だとか何かと理由をつけて大輔をランドセルごと追い出すのである。一人部屋になったら自分一人で寝るのだと、一人部屋にすることに難色を示していた両親を納得させるため、意地を張った大輔は、二段ベットで寝ることになったのだが、妨害がまたひどかった。
上で寝てもいいとかたまに優しいことを言うのかと思えば、マットレスを下から蹴り上げてくるいたずらを仕掛けてくる。結局二段ベッドは下だ。しかも宿題や勉強が大変なのか、ずっと夜遅くまで勉強机に向かっているせいで、眠たいにもかかわらず電気が眩しくて寝られない。音楽が漏れてて眠れない。電話がうるさくて眠れない。三重苦である。
文句を言っても、両親と寝ればいいだけだろう、と言われてしまう。無茶苦茶である。一週間一人で眠れたらが一人部屋をもらえる条件なのに。結局、念願の一人部屋が手に入るまでは、すっかり寝不足になってしまった大輔は、その期間に行われた交流試合で散々な結果を出してしまう。
ミスしてコーチに怒られるし、家でのことをチームメイトに愚痴れば、いつも嫌いだと言っているお姉ちゃんと一緒の部屋で寝ているというあべこべさを機敏に感じ取られてしまい、からかいいじり倒される。もう思い出したくもない出来事である。
そういうわけで、その時期から今に至るまで、男の子がたとえ家族であろうとも女の子の部屋に勝手に入るのは許されないことであり。なにがあっても文句を言ってはいけないのだという無茶苦茶な暴論を問答無用で受け入れてきた大輔にとっては、女の子の部屋は嫌な思い出しか無い。
それに第二次性徴を遂げつつあるジュンは、どんどん女の子から女性という大輔にとって異性に変わっていく。大輔のことなんて男として微塵も意識していないジュンは、私生活に置いてもなにかと大輔を下っ端としてこき使う。だが大輔が下着姿でうろうろしたり、みっともない恰好で寝てたりしても、邪魔だとぞんざいに扱うだけである。
それなのに、恥らいを覚え始めてからはちゃんと自分でいろいろするようになった。以前みたいにタオルを忘れたから取って来いとか言われても、ちょっと扉を空けるだけで姿を現さなくなった。
姉の変化は、もちろん弟にも変化を及ぼしていく。大輔が早過ぎる思春期を迎えているのは、間違いなく姉の影響が色濃い。戸惑いや動揺、恥ずかしさや照れというものを経験した大輔は、女の子と男の子が別の生き物であると知った。
女の子から女性になっていく過程で、興味をもつジャンルもだんだん大人びていくジュン。持っているものは、大輔にとって全てが未知の世界だった。それも手伝って、訳のわからないもの、こわいもの、とされていく。
なんだこれ、のオンパレードだ。ジャイアンだって映画ではイイヤツになるのに、大輔は姉がイイ姉になることを一度も見たことがない。だって、大輔がジュンに貸してくれと申し出ても文句を言われて怒られるのに、ジュンが勝手に大輔のものを持って行っても、姉の権限でなかなか返してくれないのである。ヒドイ話だ。
それに、お姉ちゃんと一緒に寝ることは恥ずかしいことなのだ。とすっかりチームメイトとの喧嘩で刷り込まれてしまった大輔だ。女の子と一緒に寝ることは恥ずかしいことなのだと、まだ小学校2年生であるにも関わらず悟りきってしまっている。
空やミミが雑魚寝をするときに距離を置いていたことに何の疑問も抱かなかったし、一緒に寝て欲しいとお願いするのは太一達男の子組にのみ向けられていたのがその証だ。そんな大輔が、同じ年くらいの女の子であるなっちゃんから、一緒に寝ようなんて言われたら、当然断るに決まっていた。
「どうして? どうしてわたしがだいすけといっしょにねちゃだめなの? ぶいもんはいいのに」
むう、と頬をふくらませる愛らしい女の子に、大輔はのべもなく、取り付く島も与えずに駄目だって!と強硬に反対した。なっちゃんは、大輔の予想を大きく上回る形で、ずーっと一緒に居たがるのである。ぴったりくっついて離れようとしない。
それはもう、一瞬だって離れたくないのだとはっきりと宣言したから知っている。ブイモンも大輔もすっかりタジタジだ。この屋敷には大きなお風呂があったが、男女にはっきりと分かれていて、大きく女性マークと男性マークの暖簾があるのに、記憶喪失の彼女はそもそもその区別の意味がよくわかっていないらしく、説き伏せるのに苦労した。
そして本日二度目の押し問答タイムを迎えていた。大輔にはよくわからない。なっちゃんには、なっちゃんの部屋があり、ぬいぐるみとクッションに覆われた女の子のベッドがあるのに。
大輔とブイモンは、この屋敷の探検で見つけた客間用のベッドルームを借りて寝ることにしたのだが、おやすみ、と別れようとした大輔をなっちゃんが逃すはずもなく、こうして10個あるベッドの一つを占領して、寝間着姿の女の子はじいいっと大輔たちを見ているのだ。
そしてなっちゃんは、なっちゃんの部屋にあるベッドで、大輔とブイモンと一緒に寝たいと言い出して聞かない。あんなファンシーな部屋で見ず知らずの女の子と一緒のベッドで寝るとか、突拍子無さ過ぎる提案に絶句した大輔は、顔を真赤にして首をふるしかなかった。
せっかくのお客様がいるのに、一人ぼっちで寝るのは嫌だとなっちゃんが考える気持ちも理解できる。寂しそうに、悲しそうに、目をうるませる女の子を泣かせてしまっている気分になるのは罪悪感いっぱいだ。
でめこればっかりは無理だった。恥ずかしさとか照れとか、そういうのがごちゃごちゃになってしまう。大輔は気づかないうちに、はっきりと女の子としてなっちゃんを意識し始めているのがなおさら拍車をかけていた。
「だってオレと大輔はパートナーだもん。ね、大輔」
ブイモンは優越感に浸りきって笑っている。なっちゃんは悔しそうに、むむむ、とブイモンを睨んだ。ブイモン曰く、デジモンには男や女という性別は存在しないらしいが、パートナーと同じ性別と思わしき性格や話し言葉をしているため、すっかり大輔達はその事実を忘れてしまっている。
もしブイモンが女の子のような振る舞いや一人称、話し言葉をしていたら。たぶん大輔はそうとう態度を決めるのに動揺するハメになっただろうから、ブイモンの台詞は微妙にずれていた。
「ずるい、ずるい、ずるい。わたしもいっしょがいい。ひとりぼっちはもういやなの。さみしいのはもっといやなの。おねがい、ひとりにしないで」
縋られるように訴えかけられてしまった大輔は、うーん、と非情になって却下することができるはずもなく、迷いが生じる。
捨てられた子犬のようなしぐさである。ブイモンもちょっと可哀想かなあと思い始めてしまい、無言になる。顔を見合わせた。
もともと太一達との漂流生活において、みんなを守る立場になりたい、という意識に芽生え、行動を一貫して通してきた大輔とブイモンからすれば。なっちゃんは明らかに自分たちよりもずっと弱い立場である。まさに守るべき対象の象徴である。ここまで絵に書いたような分かりやすい対象は、きっと珍しい。
頼りにされていることはひしひしと感じられるだけに、渇望していた立場になってみると、何やら面映い照れくさい感じがしている。自然と大輔の態度が軟化するのは緩やかだった。ブイモンもちょっと意地悪しすぎた反省からか、ふと思いついたことを口にする。
「じゃあ、なっちゃんがこっちに来ればいいんじゃない? 大輔」
「こっち?」
「あーそっか。なっちゃんがこっちに来たらいいんだ。こんだけたくさんのベッドがあるんだから、2つ使ったって変わんないよな」
「わたしが、こっちにくるの?」
「うん。なっちゃんがこっちに来たらいいんだよ」
それが大輔の取れるぎりぎりの譲歩である。しばらく瞬きしていたなっちゃんは、ぱっと顔を輝かせた。うん、そうするね!と笑ったなっちゃんに、大輔はほっと胸をなで下ろす。
ベッドをくっつけるとかいう提案をされたとしても、さすがに小学2年生くらいの女の子と大輔とブイモンの力を合わせてもこの大きなベッドを動かすのは無理だろう。すっかり機嫌を直したらしいなっちゃんは、立ち上がった。
「わたし、うさちゃんのまくらもってくるね。あのこがいないとねむれないの」
「ん、わかった。いってらっしゃい。なっちゃん」
「あんまり遅くなったらオレ達寝ちゃうよ」
「はやくもどってくるね! まってて!」
ぱたぱたと走り去っていったなっちゃん。大輔達は、ばたんと閉まるドアを見届けた。はあ、と大きくため息を付いた大輔は、大きく伸びをして、そのままベッドに倒れ込んだ。同じ年くらいの女の子とずっと一緒に行動したり、会話したりしたことなんてない大輔は、すっかり体が疲れていた。お疲れさま、とブイモンは笑って、大輔の隣に座った。そして、少し真面目な顔をして続けた。
「これからどうする? 大輔」
なっちゃんを不安にさせてはいけないと、無意識のうちに避けていた話題である。ようやくこれからのことを検討できる時間がやってきた。大輔もブイモンの言いたいことが分かっていたのか、ベッドから起き上がって、なにやら足元に転がっていたリュックを拾い上げた。
「どうするもなにも、ずーっとここにいちゃダメだろ」
ほら、と大輔はブイモンにリュックを見せる。あー、ほんとだ、とブイモンは中を覗き込んでうなずいた。この世界に初めてやってきた日、大輔のリュックは今にもはちきれそうなくらい、ぱんぱんにお菓子が詰まっていた。
でも5日目になったことで、リュックの重さはどんどん軽くなっていき、ずっと歩き続ける負担も軽減されるくらい、ずっとリュックの大きさは小さくなっている。つまり、それだけ食料がどんどん減っているということだ。
反比例して膨らんでいくのは、これからのご飯の不安である。食料は心もとない。この屋敷にせめて何か食べ物が一つでもあれば。リュックいっぱいに詰めることが出来たのだろうが、冷蔵庫も棚の中も全部空っぽだったのだから仕方ない。
なっちゃんはなんにもいわないけれど。ずっとこの屋敷の中に閉じ込められる形で生活を強いられていたのだ。きっとなっちゃんが全部食べてしまったのだろう、と大輔は考えていた。大輔たちに心配掛けないように言わないのだろう。強い子だ。
大輔とブイモンがここに来るにしても来ないにしても、遅かれ早かれ、彼女は大きな決断を強いられることは間違いなかった。なっちゃんは大輔との出会いをとても喜んでいるけれども。こういった現実をまざまざと見せつけられてしまうたびに。なっちゃんが夢で大輔を呼んだのは、あながち間違ってなかったのかも知れないと思う自分がいる。
もし大輔が答えようとしなければ。なっちゃんはもしかしたら、ここで誰にも会うことなくひっそりと死んじゃったかもしれないのだ。心にナイフが突き立ってられるような恐怖が大輔を襲う。そんなのあんまりだ。かわいそすぎる。大輔は不吉な想像を頭を振ってかき消した。