おう、と即答してくれた大輔は、そのままブイモンに向きあってあぐらをかいた。どうやらブイモンの違和感に気付いていたらしい。ブイモンは大輔の顔を見つめることが出来ないのか、ちぎれ雲が流れていく穏やかな春の陽気を見上げて言った。
これだけははっきり言っておかなくちゃいけない、とブイモンが思っていたことだ。少しだけ緊張感からか声がひっくり返ったが、大輔は揶揄することなく聞き役に徹してくれる。
「なっちゃん反則だよ、ずるすぎる。大好きなんて」
はあ、とブイモンは大きな大きなため息をついた。しゅん、としっぽも耳も元気がなくうなだれる。今だからこそ、今の大輔とブイモンの構築してきた関係だからこそ言えるような言葉である。なんで?と大輔は返した。
そこには故人に対する暴言レベルの愚痴に対する非難や憤怒よりも、純粋な疑問の方が大きかったらしい。なっちゃんとの風の様に過ぎ去ってしまった時間を共有し、出会いと怒涛のような出来事の果ての別れを経験した大輔は、ブイモンが本気でなっちゃんに対して憎悪を向けているわけがないと知っている。
「………だって、だってえっ!」
ブイモンは、ぐっと両手を握りしめた。そして語りだす。なっちゃんは、大輔とブイモンが怪奇現象に恐怖し、なんとか逃れようと苦心していた一連の日々の元凶である。せっかく大輔が歳相応の振る舞いに抵抗を薄れさせたのに。素直になること、甘えること、誰かに助けを求めることを実行すると受け入れたのに。これから、という最悪のタイミングでその微笑ましいながらも、大輔にとって大切な一歩を完膚なきまでに叩きのめしたのだ。
ブイモンを庇って、子供たちやデジモン達との間に距離感を作って、孤独や孤立感すら深めながらも大輔はブイモンを信じていてくれた。それなのに、再び躊躇してしまうに至った一連の行動について、特に素直になることの大切さについての心の柵を、かつてよりもずっとずっと溶かしてくれたのは他ならぬなっちゃんなのである。
ブイモンは大輔の一番側で、すぐ隣でずっと一緒だったからわかるのだ。大輔は失いかけていた意欲とやる気を取り戻していて、また頑張ってみようという気になっている。ジュンお姉ちゃんと仲良くしたいという大輔にとって原点とも言える最終目標を結果的に再認識することになったから。
なっちゃんは、ずるいのだ。ほんとうにずるいのだ。本来なら、なっちゃんを助けられなかったこと、分かってあげられなかったこと、そして傷つけてしまった女の子デジモンの存在は、大輔にとって致命傷とも言うべきトラウマを与えるはずだったのである。
再起不能にまで追い込まれることはないが、少なくとも今までの漂流生活ですこしずつ学んできたことが一気に無に帰るほどの衝撃はあったはずだ。しかし、そうはならなかった。
後悔して悔やんで免罪符の象徴となるはずだったなっちゃんは、最後の力を振り絞って、自らそれを全力で拒否したのだ。負の柵にすることを無慈悲に、徹底的に、完膚なきまでにたたき壊し、そして幾度も大輔が使ってきた逃避という手段を木っ端微塵に粉砕した。
なっちゃんは愛されることに関しては天才的な才能を秘めていたと言える。あの可憐な姿すら、すべては自分を愛してくれる存在を忘れないように。いわば愛されるために一生を捧げた集大成で作り上げた存在なのである。無意識とはいえども、大輔が心から求めていた。守る側になるために必要な守られる側としてのなっちゃん。
ジュンお姉ちゃんが誰よりも大好きな大輔を理解してくれる、肯定してくれるなっちゃん。そしてまた大輔が一歩を踏み出せるように、敢えて最後まで自分の自分勝手なお願いごとと称した。導き手としてのなっちゃんを、あの女の子デジモンは完璧なまでに成し遂げてみせたのである。
そんなことをされて、大好き、なんてほほえみをたたえて消えてしまったなっちゃんを、大輔が免罪符として使えるわけがないのである。きっと大輔はなっちゃんの件に関しては、迷うことなく進んでいけるだろう。大輔にとってもブイモンにとっても、なっちゃんはこの上なく綺麗な思い出として鮮明な記憶と共に刻まれたのである。
これからなっちゃんのことを思い出すたびに、すべては思い出という美しいフィルターと共に昇華されていく。ブイモンはパートナーデジモンとして、これからもずっと大輔と共に歩んでいくことになるのだが、ブイモンの中ではブイモンだけの、大輔の中では大輔だけのなっちゃんが、ずっと生き続けることになるのだ。
「ずるいよ、なっちゃんは。大輔の1番をとってっちゃったんだ」
ブイモンはそれだけ言うとうつむいてしまう。ブイモンには、好きになるという感情も、愛するという感情もイマイチよくわからない。全部一緒くたで好きというものなのだと思っている。家族もしらない。友達も知らない。ほんの6日前までブイモンは知らないことだらけだった。
なんとなくわかったのは大輔から教えてもらったからであって、大輔が家族や友達の好きについて大真面目に説明できるほど大人じゃないのでブイモンは未だに、それらに向けられる好きというものもわからないままだ。だから余計に混乱する。ブイモンは大輔にとっての1番になりたいと考えているけども、どこまで嫉妬しなきゃいけないのか分からないのだ。
それでも、まだ我慢できる範囲なのだ。まだ実際に目にしたわけじゃない。大輔の口から語られる存在についてはしぐさや雰囲気から憶測するだけだから、比較対象にするにはまだ早い。それに人間とデジモンという大きな格差があるから。
そんなブイモンの前にデジモンという括りにおいて同族であり、比較対象にできる存在が現れてしまったのだ。大輔がなっちゃんのことを女の子として意識していたことは分かっている。その意識の先にある感情が思慕なのか憧れなのか。大輔にとってこの上ない理想を体現したような存在だからこその親密感なのか。明確な答えを大輔が自ら導きだす前に。
中途半端な、もっとも頭を悩ませる最高のタイミングで別れを告げたのだ。死んでしまったなっちゃんには、同じ土俵で戦っても、もう絶対に勝てないことをブイモンは自覚している。だってブイモンにとってもなっちゃんは、とっても大切な存在としてこれからも残っていくことが分かっているから、余計に辛いのだ。
大輔の一番になるということは、大輔にとっての一番を蹴落とすんじゃなくて受け入れる事なのだと、ジュンや太一達と大輔の関係を見つめ続けてきたブイモンは、なんとなく分かっていたはずなのだが、突きつけられるとキツイものがある。中途半端な覚悟じゃとてもできそうにないことである。
それでも、哀しいかな、今この世界で最も大輔のことを分かってあげられるのはブイモンだけであり、その一点に置いては、一生かかったって誰も分かりっこない、理解出来ない領域にブイモンはいるのである。全力で受け止めることで響く言葉があるのだと、他ならぬ大輔が教えてくれたことをエクスブイモンだったブイモンは覚えている。
ブイモンはなっちゃんを形容するとき、あえて大嫌いという言葉を使わなかった。だって、大好きの反対は大嫌いではないと気づいてしまったから仕方ないのである。
大好きも大っきらいも、裏をかえせば相手に対して本気で強い興味関心を抱いていることに代わりはなく、無関心が真の意味での正反対なのだ。今ここでブイモンが大嫌いという言葉を使うのは、大好きと言っているも同じなのである。ブイモンにとって、なっちゃんはいわば、大輔にとってのジュンと同義にほかならない。
言葉を紡いでいくブイモンに、正直そこまで真剣に考えたこともなければ、今まで全く頓着していなかった大輔は驚きのあまり言葉が紡げない。
というか、太一やヤマト達に一時期なんかやたらと敵愾心向けてたのは分かっていたし、タケルやパタモンにも警戒心を顕にしていた時期があることは分かっていたものの、まさかそこまで考えぬいての嫉妬だとは考えもつかない。
ただ単に構ってくれない大輔にすねて、なっちゃんに対して怒っているだけだろうと考えていた大輔には寝耳に水だった。どうやら我らが頼れるパートナーデジモンは、大輔が考えている以上に大輔のことが大好きらしかった。
「お前、どんだけオレのこと好きなんだよ」
「だって大輔はオレのパートナーなんだ、大好きにきまってるだろ!もしかして、大輔がなっちゃんのパートナーになっちゃうんじゃないかって、すっげー心配してたんだからな」
「あのなあ、どんだけ信用ないんだよ。そんなことするわけないだろ、なっちゃんには一緒にパートナー捜そうって言ってたじゃねーか」
「オレ、なっちゃんの声聞こえないんだ、わかるわけないじゃんか」
「あはは。ったくもう、何いってんだか。家族でもねえし、友達でもねえし好きな女の子でもねえのに、ずーっと一緒にいる変なのなんて、お前だけで十分だっての。変な心配すんなよ」
くしゃくしゃに撫でた大輔は声を上げて笑った。え?と聞き返したブイモンが心底嬉しそうな顔をして立ち上がる。もう一回言って!とねだられるが、えーやだ、と笑いながら大輔は却下する。
がーんとショックを受けたブイモンは、待ってよ大輔!とリュックとデジタマを抱えて逃げてしまった大輔を追いかける。やなこった、と大輔はこっそり舌を出す。言葉では言い表せないくらい大切なやつ、だなんて、絶対にいってやらないのだ。さあ、はじまりの街にいこうぜ、と大輔は憮然としているブイモンに手招きした。
「大輔、ちょっとは手抜いてよっ!」
「ばーか、だーれがするか」
「できないよ!」
「あったりまえだろ、こっちは毎日毎日頑張って練習してんだ、すぐに取られてたまるかよ」
「むあーっ、大輔の意地悪!」
はじまりの街は、おもちゃ箱をひっくり返したような素敵な街だった。一歩ふみ出せば、ふかふかのベッドのようにスプリングが軋んでいるわけでもないのに、超反発してくるので、まるでトランポリンみたいにジャンプしながら進むことができる。
碁盤の目のように四角く区切られた緑色の道をおもしろがって進めば、積み木のおもちゃで出来た塔がたくさんある。たくさんの木があるのだが、そこになっているのは全部おもちゃだった。
ぬいぐるみだったり、ブリキのおもちゃだったり、昔懐かしいデザインのおもちゃがたくさんある。どっちかというと赤ちゃんや幼少期の子どもが好きそうな、ちょっと大輔とは対象年齢が離れたおもちゃがある。
長い長い影を並ばせながら進んでいた一人と一匹は、夕焼けに染まるおもちゃの街を見ていた。そして、デジタマがたっくさんある場所と、幼年期のデジモンが揺りかごの中にいる地帯を見つけた。
たくさんのデジタマのど真ん中に、なっちゃんが寂しくないように、とデジタマを置いた大輔とブイモンは、幼年期のデジモン達の世話を焼いているはずのデジモン達が見当たらないことに困惑した。おかしいな、どこにいるんだろう、なっちゃんのこと話さなくちゃいけないのに、と首を傾げる。
おーい、誰かいませんかーと呼びかけたが返事はなし。途方にくれていると、珍しいお客様に興味を惹かれたのか、揺りかごからわらわらわらと沢山のデジモン達が集まってきたのだ。
ブイモンにより一匹一匹紹介されるが、ちっちゃくて可愛いデジモン達は、生まれたばかりのようでしゃべれないらしい。自己紹介した大輔とブイモンは、すぐ側にあったおもちゃの木にぴょんぴょん飛び跳ねていることに気づく。
まるでだるま落としのごとく、一匹の上に一匹が乗って行く。ハラハラ見つめるしかない。7匹までグラグラしながらいったのだが、風が吹いてきて崩れ落ちた。あぶない!と慌てて大輔達は一匹残らず救出に成功した。
そしたら余計になつかれてしまったらしく、取ってくれとばかりに鳴かれる。そのおもちゃの中に、小さなサッカーボールを見つけた大輔は、目を輝かせたのだった。
そしていまに至る。大輔達のまわりは、デジモン達の取り巻きが出来上がっていた。なんとかサッカーボールをとろうと躍起になっているブイモンと大輔のやりとりをはしゃぎながら見ている。みんな、ぴょんぴょんと興奮した様子でボールのまねをするのだ。
もう可愛らしくて仕方ない。すっかり得意になっている大輔は、久々のサッカーボールに夢中になっていた。ブイモンも何とか頑張ろうとするのだが、相手は毎日努力に努力を積み重ねている生粋のサッカー大好き少年である、大輔に挑むのは、かなり無謀と言えた。
クラブコーチの方針で、大輔はサッカーの基礎技術を叩き込まされてきたのだ、鈍っているとはいえ負けるわけにはいかない。小学校2年生のチームは、チーム戦術で勝ち負けを駆け引きするよりも。ひたすらサッカーボールに一分一秒でも長く触って、色々してきたことが何よりも評価される環境に置かれている。
小柄な体格の大輔は、パワーやスピードは中学からで十分だと励まされて今にいたっている。もちろん、上級生のキック技術は一級品だし、50メートル余裕でとばしたり、カーブ掛けてキックしたり、ボレーキックを豪快に決めた我らがエースを見るたびに。
応援に熱が入るが、真似をして無茶をしても体を壊すだけでなんにもならない。部活だけじゃなく、サッカー仲間と遊びにいったり、父親に付き合ってもらったりと大輔にとってサッカーは何者にも代えがたいものである。
野球かサッカーに興味を持ってもらいたい、と本来ならば次男に付けるような、二番手という意味合いがある大輔の名前をもらった我が息子に父親は大喜びのようだった。得意になって話すのだが、専門用語が飛び交う会話にはさっぱりついていけないブイモンは、また新しい大輔の一面も見つけて嬉しそうに笑ったのだった。
「ブイモンじゃ相手になんねーな、よーし、今からリフティングするから、カウントよろしく」
「え?あ、うん、わかった。1,2,3」
1年生のワンバウンドからの練習は地獄だった。リフティングは練習すればするだけ上達するのだという言葉を信じて、必死にやっただけはある。
きっちりとボールの捉え方から、蹴り方、足首の力の入れ方、正確な位置で受け止め、きっちりける、という一連の流れを一回でもみすったらテスト不合格、補習、居残りである。勉強が大嫌いな大輔はよく算数で先生に呼び出しを食らっている。ダブルブッキングは死んでも嫌だと必死だったから、これだけは上達が特別早かった。
リフティングばっかり上手くなっても、成績が悪すぎるとレギュラーから落っことされるのが、小学校のサッカー部の辛い所なのである。泣きながら課題をやらされたのは今に始まったことではないが。2年生の今は、なかなか150の壁が超えられない。
足をまっすぐに伸ばして、高い位置からのリフティングに移行してから後半の乱れが、どうしても直らない。どうしてもバランスを崩してしまう上に、ここはまるでトランポリンの真上である。難易度は桁上がりだった。100を超えたら、交互に足を使えとのお達しのため何とか四苦八苦するのだがなかなかうまくいかない。
「うおああああっ、だーくっそ、135とか鈍ったっ!」
ぽん、ぽん、と転がっていったサッカーボールと一緒に転がっていく幼年期のデジモン達。大輔のリフティングを見て真似したくなったのか、頭の上にボールを乗っけて、ポーンポーンとヘディングで繋ぎ始めた。地味に美味い。
すげえ、と大輔はカウントを開始し、すっかり本来の用事を忘れているパートナーに呆れつつ、ブイモンも一緒になって遊んだのだった。ちなみに最高記録は149。カウントしてくれていたペアの人は、無常にもおまけしてくれなかった。おかげでまだ次の課題に行けていない。
「大輔、大輔、探さなくってもいいの?」
「えー、あとちょっと、あとちょっとだけ!な?こいつらにパス教えてえ!うますぎるぞ、こいつら!」
「もー大輔ええ」
すっかり自分の存在も忘れてデジモン達と遊ぶ大輔に、ふくれっ面のブイモンがずるずると引きずっていった。