ゴーグルを付けた短髪の子どもが、後ろから青と白のシマシマのアンダーとジャケットを引っ張るパートナーデジモンに呼ばれて振り返る。なにやら相談事があるらしく、外に出たいと玄関を指さすので少年は仕方ないなと肩をすくめて、先程まで会話していた友人にわりいと謝る。
いいよ、いってらっしゃいと手を降った友人は、ソファですっかり眠ったふりをしたまま引込みが付かなくなってしまったパートナーが、ちらちらと窓越しに少年たちの後ろ姿を伺っていることなんて知らないまま、てっきり一足先に眠ってしまったのだと勘違いして時計をみる。
すっかり夜になってしまったが、未だに本来の家の住人は帰って来ない。ふあ、とあくびをして少年たちを待つことに決めたようだ。外は昨日と同じ満月が輝いている。外に出たゴーグル少年は、窓をしきりに伺っているパートナーにつられてのぞいてみると、目があった友人がどうしたの?と首を傾げる。
隣では、はっとした様子で慌てて顔を背け、うつ伏せのまま強く目をとじてオレンジの大きな耳で顔を覆ってしまったパートナーがいる。何でもねーよ、と笑った少年はパートナーに引かれるがまま、ちょっとだけ辺りを散策し始める。
月明かりが遠くにある積み木の塔を照らしている。友人のパートナーデジモンの挙動に不審を覚えたらしい少年に、青きドラゴンが真剣なまなざしでなにやら説明し始める。半信半疑で眉を寄せる少年だったが、やがて相棒の説明に何点か思い当たるフシがあったのか、次第に納得し始め、緩やかに賛同に向かう。
少し言い返す場面はあったものの、拳を握って力説する相棒に、腕を組んで考える素振りをした少年は最終的に頷いた。その際、なにやら茶化すような事を言って笑い始めた少年に、むっとしたらしい相棒は言い返す仕草を見せたが、うまく言い返せないのか少年のからかいに拗ねたように頬をふくらませた。
夜であるにもかかわらず、鮮明な光景を写しとっていた鏡に突如ぴしりとひびが入る。どんどん深くなっていったかと思うと、ガラスが砕け散るような音がして、そのまま木っ端微塵に粉砕されてしまった。
「何故だ」
最敬礼しているオーガモンとレオモンが呼吸のタイミングや方法、仕方を忘れてしまう様な。禍々しい重圧が生まれる。ごくりとつばを飲み込むことすらはばかられるような。厳粛かつ圧倒的な恐怖を本能に刻みこむような殺気だ。もはやプレッシャーの領域を超えて、この場にいるデジモンだろうが人間だろうが死にたくなる雰囲気を形成する。
静寂と沈黙があたりを支配する。己の心音だけが響いている。その音すらうるさいと感じるほどだ。気が狂いそうになる。その空間の主は、まるで地獄の底から這い上がってきたかのような、戦慄の声色で言葉を紡ぐ。それは激情のはらんだ、明確な怒り。
「何故生きているのだ」
蹂躙された鏡の破片が跡形もなく消えてしまう。鏡の主であるデビモンのウイルスに侵食され、そのデータを失ってしまった。闇の洗礼を受け、デジコアを直接ウイルスで染め上げられてしまった。廃人状態のまま支配下に置かれているレオモンは微動だにしない。
しかし、かつてこのファイル島を侵略しに来たスカルグレイモンを倒すため不本意ながらも共闘して以来、ライバル視していた歴戦の勇士が。こうも呆気無くダークサイドに落ちる様子を目前で見て、その戦利品であるホネこんぼうすら叶わないと悟ったオーガモンは違う。
逆らうことが出来ずに自らの意志で服従したオーガモンは、初めて私的な感情を露呈したデビモンの豹変ぶりに違った意味で恐怖を抱く。ムゲンマウンテンの主であるデビモンは、確かにファイル島において成熟期の中でも屈指の実力者ではあった。
だがここまで露骨にデジタルワールドの征服に野心を燃やし始めたのは、黒い歯車という完全体すら支配下における入手経路不明の力を手にしてからだ。スキあらば計画を乗っ取ろうとしていたが、この様子を見ると下手をすれば、こちらまで抹殺の対象になりかねないと悟る。選択肢を誤ったが後の祭りだ。黒い歯車の侵食はムゲンマウンテンからファイル島全土まで及んでいた。
ムゲンマウンテン以外の全てのエリアに組み込まれた黒い歯車が作動し、一夜にしてファイル島は沢山の離れ小島と化してどんどんデータの海を泳いでいく。そこに選ばれし子供とパートナーデジモンを孤立させることで、確実に戦力の分散と粉砕を狙った合理的な計画は、すでに瓦解の兆しを見せ始めている。
黒い歯車によって操られたデジモン達を大量に差し向けたが、選ばれし子供たちはその圧倒的な逆境を跳ね返した。デジモン達を開放し、協力してエリアをもとの場所に戻すことに成功している。デビモンも把握しているはずなのに、不敵な笑みと余裕を崩さないのだ。
オーガモンから見ても明らかに、パートナーデジモン達は進化の都度に、そのレベルの戦力を保つ時間も伸びていて、進化の回数も劇的に増えている。
パワーアップをしているのは明瞭で、追い詰められているにもかかわらず、どこまでもデビモンは態度を変えなかった。その豪胆さとしたたかさと底知れない心情に気味の悪さすら覚えていたのだ。
しかし、選ばれし子供の中でも最年少組を極端に警戒するのは大いに疑問である。選ばれし子供たちはすでに最年少組を除いて皆合流を果たし、未だに海を漂流しているエリアを発見してからずっと向かっている。なのにデビモンの優先すべき驚異は相変わらずそちらに向けられているのだ。
それは、緑の帽子と服をきた金髪の子供とパートナーデジモンの中でも最弱の部類に入るデジモンに対して。当初からオーガモンとレオモンを、どちらも派遣するという計画があったことからもうかがい知ることができる。
オーガモンは知っている。鏡の向こう側にいるそのオレンジのデジモンを見るデビモンの目は、憎悪を超えて不倶戴天の敵を見るような激しい何かを宿していた。虎視眈々と計画を遂行していく主眼だけ重要視していたデビモンが。私的な感情を顕にするのはそのデジモンだけだと思っていたが、どうやらそいつだけではなかったらしい。
明らかにデビモンは何がなんでも抹殺する対象を広げた。選ばれし子供はパートナーデジモンに力を与えるという面では驚異だが、デジモンさえ倒してしまえばただの子供は赤子をひねるより容易く始末できる。
そのため、オレンジのデジモンを無力化するという目的でパートナーの子供も標的になっている。だがデビモンは、明らかにゴーグル少年とパートナーデジモンを抹殺する対象として見始めたのだ。これは異常である。
見当はずれにも程がある幼稚で稚拙な推理と行動をしている最年少組は嘲笑の対象でしか無い。わざわざ敵陣に乗り込んでくるつもりならば。盛大な歓迎会でも開いてやったらどうだ、とオーガモンは提案したから知っている。黙れ、とデビモンは言ったのだ。絶対零度の眼差しは、イービル・アイを発動してオーガモンの動きを封じ込めた。
これは異常なほどの執念、執着を超えた何かがデビモンを突き動かしている証だ。感情によって能力を発動させるなど三流のやることである。これは計画とは完璧に無関係な私怨だとオーガモンは確信する。なぜなら、イービル・アイを解除してその場に崩れ落ちたオーガモンとレオモンに、デビモンがはっきりと宣言したからである。
「あのデジモンだけは絶対に進化させてはならない。そのためには、パートナーの子供を始末することが先決なのは変わらない。しかし、貴様らは散々計画を失敗させてきたから、事情は変わった。私が行く。貴様らは合流しようとしている選ばれし子供たちを確実に足止めし、始末しろ。最後のチャンスをやろう。今回失敗したならば、我が糧として貴様らには死んでもらう。覚悟しておけ」
嘘だ、とオーガモンは確信した。建前などいくらでも用意できるが、司令塔を気取って今まで必要以上に姿を表さなかったこのデジモンが。直々に抹殺するために赴くと宣言するのは、はっきり言って方向転換にもほどがある。どうやらそこまでさせる何かがあるらしい。面白くなってきやがったぜ、とこっそり笑いながら、オーガモンはレオモンと共に姿を消した。配下が去ったのを確認したデビモンは、満月を背にウイルスに侵食されてボロボロになってしまっている、漆黒の翼を広げて高笑いした。
「しくじったか、裏切り者め。最後の最後に情にほだされて、余計なデータまで消費するとはバカなやつよ。選ばれし子供とデジモンを解放するために使ったエネルギーを自分の為に使えばデジタマにまで戻らなくとも良かったものを。見ていろ、貴様が生き残らせた奴らと洋館もろとも心中したほうが幸せだったと、はじまりの街で懺悔するがいい」
オーガモンは抹殺の対象を最年少組であると判断していたが、デビモンの抹殺の対象は始まりの街にいるデジモン達にまで拡大されている。それはなっちゃんを利用すると計画した時点で。
デビモンの計画の中ではなっちゃんに関わりあった者は、全て何がなんでも抹殺しなければならない対象として認定されるからである。デビモンにとってなっちゃんの存在はどこまでも邪魔であり、この世界に生きていたという証すら残してはいけない存在である。それは、完全なる私怨である。満月から、堕天使の影が消えた。
月明かりが穏やかに降りてくる夜道をのんびりと散歩していた大輔は、ブイモンと共にエレキモンの家まで帰る途中だ。タケルとパタモンになんて言えばいいのだろうかとブイモンと相談しながら、まっすぐにうっすらと見える明かりを目指して進んでいく。
夜行性の大型デジモンと遭遇したとしても、まだ今日は一度も進化していないブイモンは、夕方まで眠っていたせいか元気がありあまっているため、万が一のことが起こっても心配要らないという安心感がある。
散歩と言っても、ほんの50メートルほど先をうろうろしていただけだ。進化することが出来ないパタモンとタケルをほっとらかしなんて出来ないため、足には自信がある大輔たちがすぐに駆けつける事ができる距離だ。
もう20メートルを切っている。うまく話の切り出し方が見つからずに四苦八苦していた大輔達は、もうなるようになれとばかりにため息を付いた。窓からタケルとパタモンがこちらに気づいて手をふっている。手を振った大輔は駆け出そうとした。
それを引き止める手がある。振り返った大輔は、一瞬顔をこわばらせて仰天し、すぐに警戒と戦闘態勢に切り替えたブイモンを見た。
「大輔、何かくるよ!避けるんだ!」
ぐいぐいと手を引かれ、つまずきそうになりながらも走だした大輔が振り返ったときに見たのは、先程までいた獣道に突如出現した不気味な模様が禍々しい光沢を放ちながら広がっていく光景である。どんどん範囲が拡大されていく。
追いかけられる形で必死に走る大輔は、なんだよこれ!と叫んだ。ブイモンはその模様がエレキモンの家からなるべく遠ざかるように、懸命に元きた道を突っ走っていく。タケルとパタモンが大輔達の突然の行動に驚いて窓から外を覗き込むのが見える。
異常事態を察知したらしく、タケル達は玄関に向かったのか、窓から姿が見えなくなる。あのバカ、何やってんだ!家でじっとしてろよ、見つかるぞ!隠れろ!そう言いたいが、叫んでしまったらタケル達が危ないから言えないもどかしさ。大輔の真後ろで、完成した魔方陣目掛けて無数のレーザーが炸裂した。まぶたに残像が残る。
ぎゅーっと目をつぶって瞬きを極力押さえ込みながら、大輔は再び展開され始めた魔方陣の主を捜すべく、レーザーが飛んできた空を見上げた。満月を背に空に佇んでいる影があった。喉元を引き裂いてしまいそうな爪をもつ腕が膝まで届きそうなほど長い。そして、人のような姿のシルエットからは、ボロボロに穴が開いた真っ黒な翼が広げられている。
「デビモンだよ、大輔!」
うそだろ、という言葉が漏れる。すぐ後ろではレーザーに焼き尽くされたところから、風に乗って草の焼けた匂いが漂ってくる。どんどん魔方陣の展開する速さは早くなっている。このままでは追いつかれてしまう、と悟った大輔は、胸元で飛び跳ねているデジヴァイスをかざした。
「行けるよな、ブイモン」
「うん、いつでもオッケーだよ!」
「お前の背中、また借りるぞ!」
「まかしといて!」
大輔とブイモンの足元にまで侵食してきた魔方陣にレーザーの雨が降り注ぐその刹那、デジヴァイスからダウンロードされたデータがブイモンを構築しているデータを迅速な速さで分解、スキャン、再構成をする。光から現れたエクスブイモンに飛び乗った大輔は、ぎりぎりでデビモンの得意技であるレザーウイングをかわして、一気に駆け上がった。
「いきなり攻撃してくるなんて危ないじゃねーか!何すんだよ!」
不敵な笑みを浮かべるだけで、終始無言のデビモンは真っ赤な目を細めて大輔たちを見下す。初対面したデビモンは、大輔がなっちゃんから聞いていた通りの文字通り悪魔を彷彿とさせるような姿をしている。
ゲームでよくある単純な二元論で語られる善悪の悪のイメージをかき集めて、カタチを作って、色を塗ったような奴だ。もし事前情報がなかったら、きっと勘違いしていたに違いない。デジモンも人も外見で判断できないものだと学んだ大輔は、気圧されるコト無く、デビモンから感じられる殺気やプレッシャーをはねつける。
大輔は気付かない。正しい情報をなにひとつ与えられていない大輔とブイモンは、完璧にデビモンを勘違いしていた。デジタルワールドで初めて襲われたサイバードラモンが同種の恐怖を与えてきたから、黒い歯車で操られてしまったデジモンは、本気で相手を圧倒的な暴力による蹂躙で抹殺しようとすることもあるのだと知ってしまっていたから、勘違いしていた。
デビモンはあくまでも黒い歯車によって操られているだけであり。ブイモンが言っていたもともと狡賢くて凶暴な性格が、ますます暴走しているだけなのだろうと思い込んでいる。
実際、ブイモンやパタモンが知っている悪いデジモン、ムゲンマウンテンの主としてのデビモンは、確かに狡賢くて凶暴だ。だが知性がとても高いため無益な戦いはせずに、計略と謀略で頂点に君臨しているようなデジモンだった。
だから、触らぬ神にたたりなしといった感じで、わざわざ関わり合いにならなければ害にも薬にもならないような存在として知られていた。
そうでなければファイル島において、他のデジモン達に悪いデジモンだと知られることがまずありえない。今まで棲み分けることができるわけがない。なによりもこのデジタルワールドが、成熟期が中心に生息していて、完全体が少数のエリアであるファイル島で、そもそもデビモンが生きることを許すはずがないのである。もっと相応しい場所を選ぶはずだ。
だがその情報を大輔に提供したブイモン達は、その情報自体すでに古いものであり。このデジタルワールドが危機に陥っていることはわかっていても。おかしくなっている現段階に置いては、全く役に立たなくなっていたことを知らない。むしろ信用したがためにいろいろとひどい目に会ってきたことをすっかり忘れてしまっていた。
無知であるがゆえの行動は、どこまでも無謀でしか無い。大輔は慎重に黒い布に身を包むデビモンから、黒い歯車がどこにあるのかを捜そうと目を凝らしてみるが、さっぱり見当たらない。おかしいぞ、と違和感を覚え始めた頃、デビモンがおもむろに両手を広げてエクスブイモンの前に立ちはだかった。
「デビモン、アンタに聞きたいことがあんだ。なっちゃんをあの世界に閉じ込めた天使のデジモンってどこにいるんだよ」
「フ、フフ、フハハハハハハハハハッ!」
大輔とエクスブイモンは、突然狂ったように笑い始めたデビモンを見て絶句する。高笑いするデビモンはどこまでも嘲笑の眼差しで大輔たちを見つめてくる。そして、その耳を塞ぎたくなるようなゾクゾクとする囁きが、大輔たちを凍らせた。
「なんたる無知!愚かなる選ばれし子供よ、その愚鈍さを呪うがいい!」