子供たちは歓喜した。今まで現実世界に帰るための方法を懸命に探し続けてきた漂流生活の突破口を、ようやく開くことが出来るヒントを得ることが出来たのである。そして、いきり立つ。
なんとしてもデビモンを倒さなくてはいけない。たとえその先に待っているのが、パートナーデジモンとの別れであるとしても、今はただその事実から目を逸らしたままで、みんな一致団結する。世界を救うという大義名分よりも、子供たちをやる気にさせたのは、もとの世界に帰ることができるかもしれない、という憶測である。
みんな信じて疑わなかった。これが終われば、すべてが終わる。長かった漂流生活が終わる。心に思い描く人たちにあえる。憶測がいつか確信に変わり、ゆるぎ難い事実として子どもたちの間で勝手に捏造され、なんの確証もない期待へと変貌を遂げる中で、ブイモンが回復したことで、みんなが一緒になって戦うことができるようになった翌朝、太一達はデビモンが待つムゲンマウンテンへと出発したのである。
迷いなど一曇りも、子どもたちの間にあるわけがなかった。パートナーデジモン達は子供たちのために戦うだけだ。大好きなパートナーが望むのなら、どんな敵にだって立ち向かえる。
戦いの終わりが別れであるとレオモンから語られた伝説で証明されているのだとしても、漂流生活の中で1番闊達な子どもたちを前に、別れたくない、など言えるわけがない。パートナーデジモンとパートナーが微妙に違う視点から世界を見つめながらも、ときは一刻と過ぎていく。決戦は、迫っていた。
突然強大な地震がファイル島を揺るがす。頭上には暗雲が立ち込める。立っていられなくなった子供たちが地面に這い蹲り、パートナーデジモン達は迫り来る驚異を察知して、前に躍り出た。それは空を舞う無数の黒い歯車だ。崖っぷちの山すそを上っていた子供たちの頭の上を切り裂いて、通り過ぎていく。次々とムゲンマウンテンの頂上に黒い歯車は投げ込まれていった。
あれ、と声を上げたのはミミだった。ムゲンマウンテンの頂上が崩れ始めたのである。膨張し始めた暗黒の力に呼応する形で、ムゲンマウンテンが割れる。真っ二つに割れていく。その畏怖すべき光景に絶句しながら、麓で見上げていた子供たちとデジモン達の前に現れたのは、空に届かんばかりに巨大化した、デビモンの姿である。
デビモンのヤシロであるムゲンマウンテンが黒い歯車の生産工場と化しているのは子供たちは間近で観ている。だが、まさか、この世界に存在していた全ての黒い歯車を自らの体に取り込んで、子供たちとの最終決戦に備えていたとは思わない。デビモンはどこまでも選ばれし子供たちとそのデジモン達を確実に抹殺することができる手段を講じてきた。生きて返す気など、毛頭ないのである。空に響く轟音のような笑い声。
しかし、負けるわけにはいかない。なんとしてもデビモンを倒して元の世界に帰らなけれないけないのだ。子供たちの感覚では、もう漂流生活を始めてから、ゆうに一週間以上が経過しているのである。待っている人がいるという現実が、子供たちを奮い立たせ、パートナーデジモンたちを強くする。進化の光りに包まれたデジモン達がいっせいに攻撃を仕掛けていく。
しかし、あまりにも強大な存在として立ちはだかっているデビモンを前にしては、まるで米粒のようにちっぽけな存在である成熟期は、同じ成熟期であるはずのデビモンを前にして、なすすべなく蹂躙されていく。子供たちは怯むこと無くパートナーデジモンたちを必死で応援する。がんばれと。負けるなと。そしてパートナーデジモンの名前を呼ぶのだ。
ぼろぼろに傷つきながらも懸命に立ち向かっていくパートナーデジモンと、なんとかデジヴァイスに必死で心からの声援を送り込み、少しでもデータとして解析されていく想いの力をデジヴァイスに託して、パートナーデジモンのパワーアップを支援する選ばれし子供達。
彼らの勇姿に少しでも報いらんとばかりに、単身勇猛果敢に立ち向かっていったレオモンが、デビモンの宣言通りにデビモンの糧となって体に飲み込まれてしまったかつての好敵手を見て絶句する。こう言った形で決着をつけたくはなかったと歯ぎしりしながら、レオモンはオーガモンに自らの魂である剣を向けた。
「もう迷わないって決めたんだ!いくよ、タケル!僕、今度こそ、今度こそちゃんと、みんなを守るために進化してやるんだ!」
力強く叫んだ決意は、やがて光となってタケルがぎゅっと握り締めているデジヴァイスに、確かな鼓動となって降り注ぐ。
うん!と大きく頷いたタケルは、かつて答えられなかった問いかけに答えるために、ぎゅっと目を閉じる。そして心のなかでエンジェモンに伝えるために、一言一言祈りを込めてはっきりと告げる。その心からの言葉はやがてデジヴァイスによって解析され、パタモンの決意と一つとなったとき、一直線に登っていく光がある。
「僕が、僕が教えてあげるよ、エンジェモン。これから一緒に探そう、何をしなくっちゃいけないのか、何をしちゃいけないのか。だから、みんなと一緒に戦って欲しいんだ。僕も一緒に頑張るから。それが、僕の気持ちだよ。君にやって欲しいことなんだ」
二元論のような単純な価値観や世界観では到底説明しきれない、光と闇という存在に対して、真正面からぶつかったタケルが導き出した答えである。タケルはエンジェモンに言ったのだ。
光や闇のどちらかに属するのではなく、タケルと一緒に、これから、を捜すために歩んで欲しいと言ったのである。それは極端な闇と光のあり方を間近で見て、体験し、どちらにも理解と疑問を持ってしまったタケルが、自分なりの正しいことを見つけたい、と心から思ったがゆえの結論だった。
かつてのデビモンとエンジェモンのあり方が、光と闇であるということ以外、全く変わらないことに気付いたがゆえの結論だった。これは、これから先、光や闇というわかりやすい存在があるにもかかわらず、どちらからも一定の距離を保って、バランスをとりながら、中立に歩んでいかなければならないという、途方も無い決意と同じである。
しかし、それは同時にタケルがタケル自身の為に、なんにもとらわれないでやりたいことを見つけていくという決意表明でもある。きっと大丈夫だろう、タケルはもう一人ではないのだから。
希望とは厄災でもある。やがてタケルが手にすることになる多彩な解釈ができる希望という紋章について、タケルが明確に定義付けた瞬間だった。どんな暗闇の中でも決して失わない光、という他の精神的な形質を示す紋章とは一線を画す非常に解釈が難しい紋章にタケルが選ばれたのは、ひとえにタケルが選ばれし子供たちの中で、精神的な意味で最も幼かったという一点に理由が集約されている。
最も幼い子どもは確かに非力であり、守られる側であるが、既存の価値観や常識にさえとらわれなければ、柔軟な発想を持って、自由に、なんにでもなれるという無限の可能性を秘めているに等しい。その将来性でもって選ばれたタケルは、希望という紋章が持つ特有の性質と非常に似ていたのである。
希望という性質をよく表しているとされる寓話の中に、パンドラの箱という話がある。神から「あらゆる厄災が詰め込まれた箱」を中身を知らされないまま渡されたパンドラという女性が、好奇心に耐え切れずに開けてしまったため、この世界は厄災に溢れてしまったが、あわてて箱を閉じたパンドラがのぞいてみると、そこにはエルピスというものが残っていたという話である。
このエルピスというものがなんなのかは、この寓話をどう捉えるかによって、大いに解釈がわかれてしまう非常に難しい話である。後世の創作意識を駆り立てるために存在しているため仕方ないといえるのだが、そのエルピスは一般的には希望と解釈される。
災厄が起こり得る世界で、希望があるおかげで人は諦めずにどんな困難でも乗り越えて行くことができるのだとされている。
しかし、そもそもどうして「あらゆる厄災が詰め込まれた箱」の中に希望と解釈されるエルピスが入っていたのか、を考えてみると、そこに希望というものの本質が現れてくるのだ。幸福が逃げてしまっても、いつかは手に入るのだという希望があるからこそ、人は絶望しないでいられるということになるそれは同時に、人は絶望することができず、空虚な期待を抱きながら生きて行くことも意味する。
未来が分からないため、人は諦めることを知らず、ずっと希望と共に生きていけるが、それは同時に絶望も味わうこともあると意味する。いずれにせよ、箱の中に残ったものは、自分の手元にあり、意志や自分の力で制御することが可能なものであり、箱の外に飛び出したのが、自分たちではどうにもならない、いつどのように世の中でもたらされることになるのかわからないものである。
そしてそれらはかつてワンセットであり、箱の内と外に別れてしまったが、結局はすぐ側にあるということに代わりはない。非常に面白い側面があるのだ。
まだまだ無意識ではあるけれども、確実に一歩、タケルが成長した証である。その安定した心はしっかりとパタモンから受け継がれ、エンジェモンへと伝わっていく。
今度は安定した進化にもかかわらず、僕から私に一人称が変化し、がらりと性格が変わってしまうのは、パタモンというデジモン自体はそもそも哺乳類型のデジモンであり、善悪とは直接関係の無い普通のデジモンであり、聖なるものに属するデジモンではないからだ。
進化すると突然エンジェモンという明確な正義や善の所属に立ち位置が代わってしまうからに他ならない。もちろん、規則的な進化を遂げることが出来たエンジェモンには、はっきりとした自我がわずかながらではあるが芽生えている。あの時とは比べものにならない、鮮やかな閃光に包まれて現れた天使は、ばさりと大きく6枚の羽を揺らした。
タケルがその旅の果てに答えを見つけることが出来たとき、きっとそこにいる天使は誰よりも輝いている。今はまだ未熟な天使は、すこしばかり戸惑いながら、しかしはっきりとタケルの答えにぎこちなく微笑みかけた。
「それが、タケルの答えなんだね。人の心という不確かで移ろいやすい、曖昧なもののために、私に戦えと言うんだね。分かった。私はタケルの信仰する人の心というものの為に戦おう。たとえそのために、光の加護を失って、力を発揮することが難しくなろうとも、私は戦うことを今ここで約束しよう。タケル、君が望むなら」
ホーリーロッドを振りかざしたエンジェモンが、凛とした声で宣言した。届いた!僕の声がエンジェモンに届いたんだ!とタケルは喜びでいっぱいになって、うん!と大きく頷いた。
「頑張って、エンジェモン!デビモンなんかに負けないで!」
パートナーの心からの力強い声援がデジヴァイスを通してエンジェモンに力を与える。それは中立の立場を選択したことで、失われてしまった聖なる力を補強して有り余るものだったが。
黒い歯車を取り込み、強大な存在として立ちはだかるデビモンを倒すために必要な、対等の力を得るためには、まだまだ足りない。それを悟ったエンジェモンは、きらきらとまばゆい光に包まれている上空を眩しそうに見ている子供たち、そしてデジモン達に叫んだ。
「私に力を貸してくれ!デジヴァイスの力を私に!」
切実な未熟者の天使の声に呼応して、太一の、空の、ヤマトの、光子郎の、丈の、ミミの、大輔の、そしてタケルのデジヴァイスの光がエンジェモンに届く。進化に使われている筈だったエネルギーを根こそぎ奪われたパートナーデジモン達は、あっという間に成長期に戻ってしまった。
エンジェモンが何をしようとしているのか察知したデジモン達は、慌ててやめるようエンジェモンに叫ぶ。そして子供たちのデジヴァイスから溢れる光を何とか抑えようと奔走するが。
エンジェモンのタケルの気持ちに応えたいという気持ちが凌駕してしまい、あっという間に爪弾きにされてしまう。かつてパタモンを飲み込んだ光の濁流がエンジェモンのもとに、まるでクリスマスツリーのネオンのごとく集まっていく。
「愚か者め、死なばもろとも心中する気か!どこまでも貴様は気に入らない!」
「そんな、やだよ、エンジェモン!せっかく君と分かり合えたのにっ!エンジェモン、死んじゃうのっ?!やだよおおっ!」
「すまない、タケル。今の私ではこうすることでしか、君の望む、人の心のために戦うということに答えることが出来ないんだ。私はいつも君のことを泣かせてばかりだね。進化を望んでくれてありがとう、それだけが私はなによりも嬉しい」
「エンジェモンっ………!」
「タケル、君が望んでくれるなら、何度でも私は君に会いたい。そしてまた何も知らない私にいろんなコトを教えてくれないか」
「そんな、こと、いわないでよおおっ!一緒に勉強しよって約束したじゃないかああっ!エンジェモン、やめてえええっ!」
「エンジェモン、てめえ、何勝手に決めてんだよ!何カッコ付けててんだよ!残されるヤツのこと少しは考えろよ、バカーっ!」
「大輔、もしまた会えたなら、私のことを再び友と呼んでくれるかい?」
「誰が呼ぶかよーっ!なんにも言わないで勝手に決めちまうような奴なんて知らねえよ!バカ!早くやめろよ、そんなこと!」
「ふふ、それを君がいうのか。大輔らしい。タケル、また会おう。そのときは今度こそ、私は君を守ってみせる」
8つのデジヴァイスから降り注いだ虹色の光が濁流のように押し寄せ、エンジェモンのホーリーロッドに溢れて浸透していく。それを両手でひとつの塊に押し固めたエンジェモンは、デジヴァイスに込められていた全ての光をかき集めた。
そして、強大な闇を打ち砕くべく、ひとつの小さな矢となったエンジェモンは、一気にデビモンに駆け抜けていく。やだよ、とタケルは叫ぶ。やだよおおっと涙を弾けさせ、がばっと顔を上げたタケルはありったけの声を上げて叫んだ。
「いかないで、いかないで、お願いだから置いて行かないで、一人にしないでよ、エンジェモ―――――ン!」
タケルの悲痛な叫びに悲しげな笑顔を残したままで、エンジェモンは自らの存在を証明すべく拳を振り上げた。
「ヘブンズナックル!!!」
エンジェモンの決死の特攻は、光を捨てて人ともにあると決めた天使をきらめかせる。炸裂した拳に薙ぎ払われていく歯車。強大になりすぎたデビモンの体を突き破っていく黒い歯車が、どんどんデビモンの体を内部から破壊していく。ばかな、なんだこれは!
もともと強大すぎる闇の力に溺れ、自我をも飲み込まれていたデビモンは気づいていなかったのである。デジモンはデータが実体化した存在である。ウイルス種である以上、ある程度の闇の力に耐性はあるものの、デビモンが手にした力はデビモンの考えているよりも遙かに強大で、遙かに凶悪で、扱うことが非常に難しい。
良薬でも分量を間違えれば劇薬となるように、自らのもつキャパシティを超えて取り込んだ闇の力は、どこかで間違えて崩壊の兆しを見せ始めれば、あっという間に暴走していく。制御ができなくなった闇の力は、もともと不相応だったデビモンのデータをも侵食していく。食い破っていく。
そこに待っているのはデジタマに戻るというデジタルワールドの摂理すら無視した、取り込みである。まさに弱肉強食。エンジェモンの拳が届く前にデジコアにあったはずの1番の根幹であるデータチップが闇の力に飲み込まれ、濁流のように消えてしまう。
結局のところ、デビモンは利用されていたに過ぎない。それに気付いた時にはもう遅い。ムゲンマウンテンを頂点として大地を浸食し続けた黒い歯車は、ファイル島をエリアごとに分断して孤島にしてしまうほど、広がってしまった。
暗黒の楔が撃ち込まれた時点で、もはやデビモンは用無しなのだ。デジタルワールドが許容できる範囲を遙かに超えた悪行の因果応報がここにあった。かつての同族によって討ち取られるという皮肉をもってその生涯を終えたデビモンは、エンジェモンの必殺技によって光に葬られた。データが消滅していく2つのデジモンがいる。デビモンは高笑いした。
「フフ、フフフフ、フハハハハハハハハハッ!面白い、実に面白い!結局のところ私は手の中で踊らされていたにすぎんというわけか!」
突然の衝撃発言に子供たちとデジモン達の動きが硬直する。これで終わりじゃなかったのか?デビモンを倒せば、元の世界に戻れるんじゃなかったのか?という期待をしていたが故の絶望の眼差しが浮かぶ。どういうことだよ!と叫ぶ子供たちの声にデビモンは心底愉快だと言いたげに笑った。そして、子供たちの心を蹴落とすようなことを畳み掛けたのである。
「置き土産に教えてやろう、選ばれし子供たちよ!暗黒の力が広がっているのは、このファイル島だけではない!あの向こうには、私以上に強力な暗黒の力を持ったデジモンも存在するのだ。私はその力を利用しようとしただけだ!エンジェモンの力を失ったお前らに生き残れるような力などあるわけがない!せいぜいもがき苦しめ、その様子を私は冥府から傍観するとしよう。せいぜい、あがくがいい!終りのない戦いに絶望するのを楽しみにしているぞ!」
その声を遮る者があった。
「だまれ!私は、タケルは、選ばれし子供たちとデジモン達は、決して歩みを止めたりはしない!人には人の強さがあるのだ、光にも闇にも中立であろうとする強き心があるのだ!貴様のような奴がいるかぎり、私たちは負けはしない!それこそが、聖なる光となるのだから!」
子供たちとパートナーデジモンたちを心強く励ましてくれる言葉がある。ぼろぼろと涙を流すタケルがひざまずいている前に、6枚の羽が舞い降りる。それがひとつのデジタマとなったとき、大輔からデジモンの輪廻の神秘を聞かされていたタケルは、しっかりとそのデジタマを抱きしめて、泣き崩れたのだった。