オレがチビモンだったころ、ずーっとずっとそのときってやつを待ち続けていたことだけ覚えてる。長い長い間、気が遠くなるくらい長い間。ずーっとオレはその時ってやつが何なのかわからないのに、もうとっくの昔に忘れてしまったのに。
ずっとどきどきしながら、わくわくしながら、はらはらしながら待っていた。そのときが必ず来ることだけがオレのすべてだったから、どうしてオレがずーっと待ち続けているのなんか全然気にしなかった。
ずっとずっとオレは眠っていた。真っ暗な洞窟の奥深くで、そのときってやつがオレを見つけてくれるまで、オレのことを必要としてくれるそのときってやつが現れるその日まで、その感動と喜びを一気にぶちまけられるように、待って待って待ち続けていた。
他のチコモン達はどこに行ったんだとか、どこに住んでいるのだとか、こうやってそのときってやつを待っているのかどうかなんて全然気にしなかった。だってひとりぼっちじゃなかったから。オレがオレであるために、大好きなそのときってやつのために、役に立てるために、大切な大切な何かと一緒にいたから、全然さびしくなんてなかった。
そしてとうとうそのときってやつがオレに逢いに来たのかと思って、嬉しくって楽しくってわくわくしながら飛び出したら。まだそのときじゃないんだけど、本当ならまだそのときってやつは先のはずなんだけど。ちょっとだけ変わったから、事情が変わったから。
ちょっとだけ早くなったよって教えてもらえたんだ。オレが初めてこの世界に飛び出した時、オレが知ってる世界じゃなくてびっくりしたんだ。オレが知ってるものが全然ないんだ。知らないものがたくさんあるんだ。
世界がとっても大きくて、時間がとってもゆっくりで、すべてがとっても複雑になってた。知らないデジモンたちがたくさんいて、初めは言葉が通じなくて大変だったんだけど。その内なんとなく分かるようになって、雰囲気で仲間に入れてもらえるようになって。気付いたらオレはこの世界のデジモンとして溶け込めるようになってたんだ。
おいしいものがたくさんあるし、日向ぼっこもできるし、お昼寝もできるし、オレは全然寂しくなんかなかったんだ。知らないが知ってるに変わっていって、そのかわりにオレはどんどん知ってた世界を忘れていったんだ。ずーっと待ってた頃にいっつも夢の中で生きていたふるさとの世界をオレはもう思い出せない。
思い出すことなんてできないくらい忘れてしまったけれど、もうどうでもいいんだ。オレはこの世界のことが大好きだから。そのときってやつが来ないかなって待ち続けていることだけは変わらなかったから。そしたら、頭にぴーんってきたんだ。そのときってやつがやっときたんだって、身体が震えたんだ、涙が出てくるくらいうれしかったんだ。
だからオレは今まで遊んでたデジモン達のことなんかそっちのけで、いても経ってもいられなくなって、ずーっと走り続けて、あの場所に来たんだ。出ちゃいけないって言われた場所。危ないから絶対に近付くなって言われた場所。高い高い門の向こう側を夢見ていたオレは、生まれて初めて同じ空が続く始まりの街に行くことが許されたんだ。
お迎えのデジモンに連れられてやって来たその場所で、今まであったこともないようなデジモン達がいて、みんなそのときってやつのために集まってきたんだって知ったんだ。まだかな、まだだね、遅いな、早く来ないかなってみんなで待ってたんだ。
オレみたいに洞窟の中でずーっとずっと待ち続けているデジモンはひとりもいないようだったけど、どうやら起こされたのはオレだけみたいだったけど、事情が変わったって何のことだかわからないけれど、もうそんなことどうでもいいんだ。
そのときってやつが何よりも大切だって思って、ここまできたのはみんな同じだった。それだけで仲間だってわかったんだ。そして、オレは知ったんだ。そのときってやつがくる瞬間に。その名前を知ったとき、もう幸せすぎて死んじゃいそうだって思ったんだ。
ねえ、だいすけ。オレはね、だいすけと会えた時、世界が色付いたんだよ。世界が変わったんだよ。だいすけのためにオレがいるんだって、だいすけにあうためにオレのずーっとがあったんだってわかってとってもとってもうれしかったんだよ。
だいすけの笑顔がオレを幸せにするんだよ。世界は変えられるんだよ。ブイモンっていう魔法の言葉が、オレのことよんでくれるって、ただそれだけで、大好きなだいすけから呼んでもらえるだけで、オレは生きてられるんだ。
黒い歯車と一体化した闇の化身が天使の犠牲によって薙ぎ払われたその後、ムゲンマウンテンの頂上で朝日を拝むことになったブイモン達は一夜を明かしたことを知る。エレキモン達がはじまりの街で待っている。
このファイル島で出会ってきたデジモン達が子供たちの帰りを待っている。現実世界への帰還が叶わなかった悲しみを抱えながら、まずは生還の吉報をみんなに伝えなくてはならない。これからのことはそのあと考えればいい。思いっきり泣くのはその後でも遅くない。
とりあえず、子供たちに必要なのはふかふかのベットと温かいお風呂とみんなで囲む美味しいご飯である。進化のエネルギーを根こそぎエンジェモンに持って行かれてしまったデジモン達は、進化する気力も残っておらず、ほとんど気力だけで子供たちと共にムゲンマウンテンを下った。
すっかり太陽が昇った平和なファイル島において、初めて迎えるなにもない日常は安全そのものだった。子供たちはレオモンが先導する抜け道を通って、迷わずの森を通り、始まりの街に一直線である。
そして、みんな思い思いにやりたいことをやって、思いっきり昼夜逆転の生活スタイルとなってしまうが、事実上その日は子供たちとデジモン達の惰眠をむさぼる寝息によってすべて消耗されてしまったのだった。
そして、当然のことながら半日昼寝をしてしまうと夜冴えて眠れなくなってしまった大輔は、ブイモンを連れてこっそりみんなが雑魚寝しているリビングを抜け出し、エレキモンが寝ている寝室に向かった。エレキモンの朝は早いのだ。この始まりの街にいるベビーたちのご飯を一体で用意するお仕事があるから。
エレキモンに用がある時にははやくいかないと、真っ暗な中を捜しに行かなければならなくなってしまう。さすがに誰にも言わないでどこかに行ってしまうと怒られるのは目に見えているのでそんなことできるわけがない。
急げ急げと裸足で忙しなく走り抜けた廊下の先では、さいわい寝室の電気が漏れている。あーよかった、間に合った、とほっとした大輔はとんとんノックする。だれだよ?って返事があったので、オレだよ大輔っていうと、入れよ、開いてるぞって言われたからドアノブを回した。
「どうしたんだよ、大輔にブイモンじゃあねえか」
「ちょっとエレキモンに聞きたいことがあってさ」
「聞きたいこと?ああ、デジタマのことなら生まれんのはまだまだ先だと思うぜ」
「いや、違うんだよ。エレキモンってさ、始まりの街に生まれてくるベビーたちの世話してるだろ?新しいベビーが生まれたら、やっぱり分かるんだよな?生まれたとか、デジタマが増えてるとか」
「あったりまえだろ、何言ってんだよ。オレに知らないことなんかないぜ」
「じゃあさ、今日新しく増えたデジタマってあるよな?」
「今日?今日か?デジタマは増えてなかったけど、新しくベビーたちが4匹仲間入りしたぜ」
「え、デジタマ無かったのか?」
「ああ、くまなく探したけど間違いねえよ。もしものことがあったらえらいことになるからってピョコモンやメラモンたちに手伝ってもらって、この家にベビーたちもデジタマも避難させてたからな」
なんでそんなこと聞くんだよって不思議そうに聞いてくるエレキモンに、大輔はちょっと言いにくいのか言葉を濁してしまう。
「誰にも言わないでくれよ、特にタケルには」
「うん?なんだなんだ、そんなにやべえ話なのか?」
「そうじゃないけど、なんか、勘違いされそうだしさ。みんな、オレみたいにデジタマのこと詳しく知らないから気にしてなかったんだけど、エンジェモンが死んじゃった時、デジタマが残ったのに、デビモンは無かったんだ。だからはじまりの街にあんのかなあって思って」
「あー……そう言うことか。そりゃ言いにくいよな」
「だろ?べっつにもう悪さをしないんならデビモンのデジタマがあったってオレは構わないけどさ、なんか、嫌だろ?できるなら内緒にしてほしいなって思ったんだけど、無いんだ?」
「ああないね。まああんだけの事仕出かしたんだから、なんのお咎めもなしってわけにはいかないだろ。今頃あの世でこっぴどく叱られてんじゃねーかな。地獄にでも落ちてんじゃねえか?悪いことをしたデジモンはあの世からデジタマになってこっちの世界に還ってこれないって言われてるしな。デビモンは堕天使型のデジモンだから、生きたままあの世に逝っちまったかもしれない」
「へえー、デジモンってすぐにデジタマに還る訳じゃないんだ?」
「そりゃそうだろ、一回死んだデジモンはみんなあの世に逝くんだよ。そんでデジタマになって還ってくるんだ。人間がどんだけ時間かかるか知らねえけど、オレたちデジモンにとってはそれがすっげえ早いだけだよ。でもデジモンによって個人差があるんだ。だからエンジェモンやなっちゃんとかいうデジモンは、とってもいい奴だってあの世で判断されたから、はたから見ればすぐにデジタマになったように見えるくらいのスピードで還ってこれたんだ。まあ、いろいろあるんだよ。デジモンもな」
そっか、と安心したように大輔は笑った。デビモンと遭遇する機会が消滅したに等しいから安堵したのか、タケルたちに対してデビモンの転生先であるデジタマの存在を隠す必要が無くなったからなのかはエレキモンにはわからない。まあ気のいい選ばれし子供は悪さをしないんならいいやって言っちゃってるので、きっと前者なのだろう。
昨日の敵は今日の友ってか、いい奴だなあ、お前ってエレキモンは大輔の首元に残されている憎悪の象徴を見上げて、半ばあきれ顔で言ったので、そんなことねえよって大輔は肩をすくめた。覚えてないんだから仕方ないんだ。覚えてないって相当だよ、大輔ってつぶやいたブイモンの口調は義憤入り混じりである。大げさだなあって大輔は言うが、エレキモンはそんな大輔を咎めるようにたしなめる。
「そんなんで大丈夫なのか?大輔。もしデビモンが記憶を持ったまま生まれてきたら、多分本気で殺されるぞ、お前。ブイモンが敵意むき出しなのも当たり前だろ。それくらいのことされてんだよ、お前。ちょっとは危機意識もてよな。なんかトラウマ持っちゃってるんだろ?大丈夫なのか?」
あー、とバツ悪そうに頬を掻いた大輔は小さく首を振った。全然大丈夫じゃないよとはブイモンの談である。簡単な実験をブイモンと一緒にしてみたから大体分かったのだ。結論から言うと重症だ。
右手を目の前に近づけてグーパーしながら様子を伺ってみるが、なんともない。試しに首に触れてみるが、やっぱりなんともない。空から貸してもらった真っ赤なバンダナがズレていることに気がついて、慌てて包帯が見えないように、丸まっているところを引き伸ばしたから、自分がする分には問題ないのだ。
へんな感じがするなあ、と大輔は自分の体に起こった不具合について、改めて首をかしげてみる。もう大輔の意志ではどうにもならないような反射的な反応であるため、どうしようもないのだが、やっぱりなんだか変な感じだ。
びくりと体が揺れて、体が勝手に緊張感に苛まれて、ぞわわわわという悪寒が背筋を凍らせるのである。相手が誰であろうと身構えてしまう。さっと血の気が引いて、みるみるうちに青ざめて、力が抜けてしまう。酷い時には首のあたりに変な圧迫感を感じて、口元を押さえてうずくまりたくなる。
大輔の意識の中では、平気である、安全である、大丈夫だ、と思っているのに、全然体が言うことを聞いてくれなくなってしまう。この症状が現れたときには、大輔の体が悲鳴を挙げている時だから。絶対に、絶対に無理をするな、隠すな、言え、と耳にたこができるくらい言われた。
大輔は、こくこくと頷いたので覚えている。へんてこになってしまった体は、違和感だらけだ。ブイモンが大輔の側に寄って来るなり、右手を掴んでぎゅーっと握りしめてみたり、腕を回してくっついてみたり、ぺたぺた触ってきたり、ちょこまかちょこまかと思いつく限りのスキンシップを忙しなく試みたから境界は把握できた。
大輔、どんな感じ?大丈夫か?といちいち心配そうに見上げてくる相棒を見ていると、いつものように気恥ずかしさから抵抗する気にもなれずにされるがままだったのはご愛嬌。本人なりには大真面目なのだろうが、くすぐったくて大輔が笑ってしまうとむむむ、とブイモンは不満そうに口を尖らせていうのだ。
「大輔、真面目にやってよ。オレは大輔のために調べてるんだから」
そういうと、決まって大輔はこう返すのだ。
「わーってるよ、じっとしてりゃいいんだろ。でもくすぐってえんだってば」
けたけたと笑ってしまう大輔にブイモンは肩をすくめるしかない。そして抗議のためにずいっと体を近づけて、ほっぺたをむにーっと引っ張ろうとしたとき、大輔の瞳の向こう側に怯えと恐怖が浮かんだのを見た。
ばしっとブイモンの両手を弾きだしてしまった大輔は、あ、とつぶやいてそろそろと手を下ろした。わりい、と申し訳なさそうな顔をするパートナーに、ブイモンはあわててぶんぶん首を振って、ごめん大輔!と謝った。
見えない暴力の影に怯えていた眼差しは、しばらくすればなりを潜めて、大好きなパートナーを元の調子に戻す。それの繰り返しだった。そんなことを思い出したブイモンはいうのだ。
「大輔から見て、首より上の方から、他の人の手が見えちゃうと変になっちゃうんだよ、エレキモン」
「そりゃ完璧にトラウマだな」
「あーもー、なんなんだよ、早く治んねえかなあ」
「大丈夫だって、きっと治るよ。初めの頃よりずっと調子はよくなってるんだろ?」
「まーな、後ろからだったらもう平気だし」
「早く治るといいね、大輔。大輔が泣いちゃったとき、抱きしめてあげられないのはつらいよ。後ろから抱っこできるのはいいけど、大輔が最初に笑顔になるのが見られないのはやだなあ、オレ」
「サンキュー、ブイモン。ま、なんとかなるだろ」
「ホントそう言うところは太一に似てるよな、お前」
「え?そうか?」
「おう、なんかそういうあっけらかんとしてるとこ似てるぜ、お前ら。ゴーグルつけてっから兄弟かと思ったけど違うんだな、お前ら。苗字違うし」
「へへっ、まーな!」
からりと大輔は笑うので、エレキモンはつられて笑顔になったが、ブイモンはちょっと拗ねている。なんでこんなときに太一が出てくるんだよ、とでもいいたそうな顔である。そして、ふといいことを考えついたのか、ブイモンが話題転換もかねて提案してくる。嫌な予感しかしない大輔は身構えた。
「そーだ、大輔からだったらなんともないんだから、抱きついてくれたらいいんだよ、なっちゃんの時みたいに!そしたら怖い思いしなくてもいいだろ」
思わぬ方向から飛んできた突拍子も無い提案に、はああっ?!と間抜けな声を上げてしまった大輔は、なにいってんだよ、お前!と顔を真っ赤にして声を荒げる。どうして大輔がそんな事をいうのだ今さら、といった様子のブイモンである。出来るわけ無いだろ、と言いかけた言葉は、にっこり笑って紡がれた、太一、という言葉の前にはあっという間に粉砕されてしまう。
ブイモンの意味を察したエレキモンは、ぷっと吹き出すなりそのまま大笑いに突入してしまう。よっぽど壺に入ったらしい。
それを言われたらもうどうしようもない。現実を鑑みてそうとも言えなくなってきているので、次第にごにょごにょとしぼんでしまった。あーだこーだと自分は別に好きでやってるわけじゃなくてその、と誰にいうでもなく言い訳がましい言葉を吐きながらうつむいてしまう。
「太一はいいのに、なんでパートナーデジモンのオレはだめなんだよ、大輔」
「あ、あれは太一さんがっ……!」
勘弁してくれと大輔がどこか疲れたような顔をして、がっくりと肩を落とすのも無理は無い。そもそも魔の手から逃れるためにここまで来たのだから。デビモンの一件以来、大輔のトラウマを払拭するためという免罪符を獲得した太一は、それはもう極端なほど大輔に構い倒していた。
いつもは会えない親戚が年下の甥っ子を猫可愛がりするがごとく、本人の意志など全く考慮すること無く、いろんなところに引っ張りまわすのである。はっきりいって自己満足の塊に過ぎない一方的な行動であり、タケルに対して過保護な自覚があるヤマトですら本気でどん引きするような有様だ。
太一なりに有限実行ができなかったことに対する謝罪のつもりなのだろうとは空の談である。大輔の必死の抵抗や訴えもいつものことなので、全然聞く耳持たずなのはいただけないが、注意してどうにか出来るものでもないらしい。気が済むまで好きにさせろ、という事実上の見捨てを見た大輔は、このとき初めて空を心の底から恨んだ。
ついでに面白いからと傍観を決め込んだ上級生組、甘えられてよかったねと見当違いにも程がある様子でニコニコする友人も恨んだ。なにこの公開処刑。いちいちやることが極端なのは今に始まったことではないが。
太一と知り合ってからまだ1年と4ヶ月しか経っていない大輔にはたまったものではない。自然体でいろいろとやられる分には丁度いいのだが、意識してやられると度が過ぎてしまうの典型だった。
はっきりいって大輔は今の太一がウザくて仕方ない。本宮大輔は八神太一の実の弟ではないのだ。あくまでもサッカー部の仲の良い先輩と後輩の立場でしかないはずなのだ。ただ少しだけ大輔が太一に対して、仮想の兄としてのフィルターを掛けて、精神的な安定を図るために、あくまでもこっそりと慕っていたにすぎない。
それがバレたのは不本意だったが、いろいろと相談することが出来てよかったなあ程度の認識しかなかった。大輔にとっては。今まで限りなく一方的なまでの尊敬が一転してた。大きくベクトルがこっちにまで飛んできてしまうという現状は混乱しか招かない。余計なお世話である。
八神太一は八神ヒカリのお兄ちゃんでなければならないのだ。という本来の太一のスタンスのほうが、実は大輔にとっては非常にありがたいのだ。
確かに仲睦まじい八神兄妹を見ては自分の現状を比較して嫌な感情を滾らせることも多々あったし。お兄ちゃんと呼べない現状をもどかしく思うこともあったが。大輔が求めているのはあくまでも精神安定剤としての理想像な太一のほうが重要なのであって。実は太一本人がそれを意識して世話を焼かれるのは非常に困る。
本来なら、八神太一にとっての1番は八神ヒカリという実の妹であり、それが絶対的な不動であるという事実がある。どうがんばっても絶対に勝てない、覆すことが出来ない現実である。
それのほうが重要なのだ。実はそれが大輔が太一を兄フィルターに選んだ決定打である。だって期待しないですむではないか。もしかしたら、を期待しなくてもいいではないか。絶対に奇跡なんて起こらないんだから。大輔はただ太一を理想のお兄ちゃんとして慕って、尊敬して、崇め奉っていればそれでいいのである。
別にだからどうこうしてほしいと大輔は太一に求めてなんかいないのだ。むしろほっといてくれというレベルである。なぜなら大輔にとって重要なのは、相手側の反応を考慮しなくてもいいけど。大輔にとっての理想のお兄ちゃんでいてほしい、という非常にご都合主義で自分勝手で。大輔は大変楽ちんであるというスタンスを確立することなのである。
いわば恋に恋する女の子が、恋する私って素敵だわという自己陶酔とナルシスト的な心境に浸るのが大好きであるということによく似ている。お兄ちゃんという理想が大事なのであって、そのフィルターを外してしまえば。太一をサッカー部のキャプテンとして尊敬している大輔しか残らない。
きっと大輔自身も太一本人をそこまで本気で慕っているのかと言われてしまえば、疑問符が浮かんでしまう、非常にややこしい事態になっている。結局のところ、太一と空は大輔にとっては、どこまでも本宮ジュンの代わりにしか過ぎない。どこまでも現実逃避のための白羽の矢でしかないのだ。
つまるところ、大輔が求めているのは「太一が理想的なお兄ちゃんである」というただ一点のみであり。「太一が大輔に対してお兄ちゃんのように構ってくれる」ことではないのである。全然別次元の話なのである。
だから大輔は、タケルのお兄ちゃんであるはずのヤマトに対して。うらやましいと嫉妬にも似た感情をいだきはしても。絶対に理想的なお兄ちゃん像を押し付けたりはしないのだ。
だってヤマトは太一のように無意識にお兄ちゃんをやっている訳ではない。不慣れながらも不本意ながらもお兄ちゃんの立場に生まれてしまった。四苦八苦しながらお兄ちゃんをやっているだけだ。お兄ちゃん向きな性格をしているとはいえないからだ。
しかもヤマトはお兄ちゃんである自分という存在で自分を精神的に支えている気配がある。だからタケルだけでなく大輔に対しても、お兄ちゃんぶろうとしてくる。はっきり言って重いのだ。大輔の抱えている問題は非常に複雑怪奇である。
大輔の話を聞いた人間が、一発でその本質を完璧に理解することなど絶対に出来ないだろう。困ったことに大輔はこの事実に全く気づいていない。ただ太一と空をお兄ちゃん、お姉ちゃんのように慕っているのだという自覚があるだけだ。ただそれがジュンお姉ちゃんの代わりであるということにどこか気付いていて、ちょっと後ろめたさを感じているレベルである。
もっともっと心の奥底では、一時的な逃避にもかかわらず。それが突き崩されてしまうと大輔自身どうなるかわからないくらいの不安定さをはらんでいて。空や太一に対してとっても失礼極まりないことをしている。というねじれにねじれたややこしすぎる問題なのにだ。
本人は気づいてすらいないのだ。それこそが実はジュンとの不仲を何時まで経っても解消できない、諸悪の根源なのだから始末に終えない。大輔が自覚しなければ全ては始まらない。それを明確に指摘した人がいたのは、大輔にとっては幸運でもあり不幸だった。おかげですっかり大輔は苦手意識を山積している。
大輔の本能を凌駕する上には上がいたわけだ。しかもすっごく近くに。世間は狭いものである。完璧に言い当てなくてもどこかでその可笑しさに気がついて、忠告めいたことを言ってヒントだけだして放り投げるという、最善をした人が一人いる。
ヤマトである。太一と大輔の関係のややこしさに気付いていたヤマトは、何度か太一に忠告しているのだが、普通気づくはずのないこの問題である。太一からすれば、大輔の為を思ってしているのに、それが良くないことだからやめとけ、というのである。まだまだ水面下ではあるが、確実にかちんときている。
ヤマトはヤマトで無意識でお兄ちゃんができる太一を羨ましく思っている側面があり、タケルや大輔が太一に懐いているのが気にくわない。こっちは色々と考えたり悩んだり、他の子供達やガブモンに相談しながら、なんとかお兄ちゃんをやっているのに。太一は無意識のうちに全部こなしてしまうのだ。努力している自分がばかみたいに思えてくる。そんなこんなでいろんな心境が交差する中で、表面上はあまりにも穏やかに時間は流れていく。
大輔はブイモンと一緒に太一から逃げてきたのでここにいる。たっぷり睡眠をむさぼり、おふろにも入ってお休みしようとしたはいいが。いつまでたっても眼が冴えて眠れないのはみんな同じなのだ。きっとみんなが顔を合わせることになるのは明日の昼ごはんだろう。ファイル島を救ってくれた英雄のために島中のデジモン達が懸命に作った料理が並ぶ予定なのは秘密だ。
「まあ好きなだけここにいればいいけどさ、行かなくていいのか?」
「え?どこに?」
「どこにってそりゃタケルのところだよ」
「やっぱりエレキモンもそう思うだろ?ムゲンマウンテンを降りてからこの調子なんだよ、大輔。タケルのとこ、行かなくてもホントにいいの?大輔。トモダチなんだろ?」
「いーんだよ、ほっとくのだってトモダチなんだから」
大輔は頓着しない様子で断言する。えー、なんで?とただいまトモダチという謎の存在について、現在進行形で大輔から日々勉強中のブイモンは首をかしげた。こいつら子供たちの中で一番仲が良くなかったっけ?もしかして喧嘩でもしたのか?ってエレキモンは思った。
デビモンを倒すこととタケルの気持ちに答えるということを引換にして、エンジェモンはエネルギーを使い果たしてデジタマになってしまった。デジタマを抱いて大泣きしていた様子がかつての大輔と重なって見えてしまったブイモンは、気になって気になって仕方ないのだが、大輔がぐいぐいと手を引いてここまで来たので、未練がたらたらなのだ。
もちろんタケルよりははるかに大輔の方が大事なブイモンは、どちらかを選べと言われたら即答で大輔のところに飛んでいく自信があるが、てっきり大輔ならタケルに叱咤激励を飛ばすとばかり思っていたので拍子抜けなのだ。納得行かないと顔に書いてあるブイモンに大輔は言う。だって大輔もブイモンもなっちゃんという少女デジモンを失っているはずなのだ。誰よりも気持ちを共有できるのは確かなのに。
「だって、タケル泣いてただろ」
「それと大輔がどっか行っちゃうのとなんの関係があるんだよ?」
「あのタケルが泣いたんだぞ?わんわん大泣きしてんだぞ、ありえねーよ、ぜってー」
「エンジェモンがおかしくなった時もないてたよ?」
「それはノーカン。だってオレ知らねえし。とにかく、アイツがみんなの前で大泣きするってすっげーことだろ」
「あー、そう言われてみればそうかも」
「オレはそーでもねえんだよ。そりゃ、この世界にきてから、わんわん泣いたのはブイモン、お前がいるときだけだったけどさ、ブイモンがいてくれたから泣けたって言うのはあるけどさ、多分、アイツは初めてなんだよ、あーいうの。オレがいたら、多分半分こになるんだよ。太一さんたちが半分こになるんだよ。あの夜そうだったみたいに。それってちょっとカワイソウじゃねーか?それに、思いっきり泣いたら悲しいことなんてどっか飛んでいっちまうこと知ってるから、なくのが1番だってことくらいわかってるからさ、あーいうときはなんにも言わない見守ってもらえるほうがいいって分かってんだよ。それが1番だと思うんだよ。でもオレ出来ねえし、たぶん、なんかいろいろ言っちまう気がするんだよ。オレ変なコトばっか言うし」
だからタケルが泣き止んでからいくんだと大輔は言う。ブイモンは、トモダチって難しいんだ、とつぶやいた。大輔はなっちゃんとまた会えると信じているから。タケルがまたエンジェモンと会えると信じている。そうでなければ、大輔は大輔の気持ちに対して嘘をついて裏切ることになる。だから、絶対にそれだけは譲れない。
だから思い浮かんでくることは、全部全部、ポジティブで前向きで積極的なことばかりである。タケルを元気づけようとエレキモンから聞いたこと。思いつくことから片っ端言って聞かせることになるだろうな、と大輔は考える。そうなったとき、確実にタケルには聞かせてはいけないことまで、たくさん話してしまうだろうことが分かってしまった。だから気付いたら大輔はみんなのもとから離れて、こっそりここにいた。
「タケルに言えねえだろ、デジモンが記憶を受け継ぐのかどうかは、すっげー運任せなんだって。もしかしたら、今度生まれてくるパタモンは、オレ達のこと覚えてないかもしれないなんて、ぜってー言えねえだろ。そんなこと言ったらタケルの奴、今度こそ落ち込むどころじゃすまねーよ、オレだって未だに嫌だって思ってんのに。オレ嘘つくの下手だってアイツ言ってたけど、アイツがおかしいくらいに気付いてるだけだろ、ありえねえもん。だったら尚更、あそこにいたらダメなんだ。相談に乗りたいなんてわけわかんねえこと言って、もっと仲良くなりたいとか恥ずかしいこと平気で言うようなやつ、もしそんなこといっちまったら、オレ、間違いなくヤマトさんに殺される。太一さん達と一緒にいられなくなるの、やだろ」
「そっか、大輔も意外と大輔のこと分かってんだね」
「おいそれどーいう意味だよ」
「だって大輔自分のことそっちのけで他のことに突っ走ってっちゃうから、追いつくの大変なんだよ」
「うっせえ、お前にだけは言われたくねえっての、ばーか」
軽口の応酬ながら、どこまでも雰囲気は和やかだ。ブイモンは思う。こんなに綺麗に笑う大輔を見るのは初めてだと。そして思うのだ。これからどんなことがあったって、絶対に大輔のためにならなんだってするんだって、改めて思うのだ。
見上げた青空はどこまでも優しい。もとの世界に帰るという期待が粉砕されて。ホームシックになっているにもかかわらず、一言だってブイモンにいわない大輔みたいに優しい。太一からお呼びがかかるまで、タケルのもとに戻ろうとしていた選択肢を殴り捨て、ブイモンは大輔と一緒にいることを決めた。
「そうだ、思い出した。なあなあ、エレキモン。この世界ってふつうお墓って作るのか?」
「お墓あ?そんなもん造らないに決まってるだろ。お墓を作ってもらえるようなデジモンなら、尊敬されてたり、慕われてたりするようないいデジモンだって相場は決まってるからな。普通はデジタマになってこの世界に還ってこれるだろ。もし記憶を持ったまま生まれてきた時に、そんなお墓があってみろ。お花供えられて涙流してる奴とばったり会っちゃったらどうすんだよ」
「やだなあ、それ」
「だろ?だからオレたちデジモンにとっては、そういう習慣ってあんまりないんだ」
「じゃあレオモンが言ってた一族代々の墓ってどういうことなんだ?」
「あー、レオモンに聞いたのか?」
「そういえば、ケンタルモンが守ってるエリアにあるって言ってたよ」
「あはは、そりゃすっごく昔のデジモンだからお墓だってあるさ」
「え?なんでだよ」
「なんでってそりゃ、この世界が生まれた時から今みたいな世界じゃなかったからに決まってるだろ。まあこれはオレがこの街を守るように頼まれた先代からの受け売りなんだけどな。はじまりの街で生まれたデジモンが死んじゃったらあの世に逝って、デジタマになって還ってくるなんてのは、物凄い時間をかけてこの世界が造ってきたことなんだ。だから、レオモンのご先祖が生きてたくらいの昔は、お前らみたいにお墓を造るような世界だったんだよ」
「へー、そうなんだ。なんかすげーな」
「すげえだろ」
「へへ、そうだな。な、ブイモン」
「………」
「ブイモン?」
「…………え、あ、なに?大輔」
「どうしたんだよ、ボーっとして。オレの腕なんか掴んでどうした?」
「なんでもないよ。なんかちょっと怖くなっただけ」
そう言いながら大輔の腕にしがみつくブイモンの力がちょっと強くなる。大輔は握り返した。忘れていなければいけないことを思い出してしまいそうな気がして、ブイモンは首を振った。