用意するものは、公園や幼稚園にある格好のポイントとして友達の間で常識と化していた庭の一角にある土と砂。先生から借りて持ってきたジョウロに汲んで、たっぷりに満たされている水道水。
そして毎日泥だらけにして怒られるタオルとハンカチ。最後に家からこっそり持ってきた、冷蔵庫につり下げられた紙袋に、結ばれて山のように放り込んであるビニール袋である。
いつものように友達の名前を呼んで見るが、友達は先生と呼べと言ってくる。キョトンとしたものの、すぐに先生と呼んだ。
腕をまくったら準備万端、初心者相手に遊びの極意を教える師匠の役割が出来てご満悦なのか、いつになく得意になっている友達がいて、よーくみてろよ、と言われて。
どきどきしながら、わくわくしながら、その様子をしゃがみながら目に焼き付ける。運動会や集団遊戯で使われるグラウンドの真ん中あたりは、踏み固められてサラサラで乾いている。それが秘訣なのだと偉大なる先生は教えてくれた。
その場でツイストし始めた友達を見よう見まねでやってから、ざっざとスニーカーで大きめの砂を払い、きめ細やかな砂が出てくる辺りを探しだし、そこに庭から掘り出してきた良質の土と混ぜ合わせてだいたい一緒くらいの比率で混ぜ合わせる。
水を混ぜ合わせようとすると、せっかく見つけ出した最高の素材が水に流されて台無しになってしまう、これだから素人は、と手厳しい指摘が入り、肩をすくめてご教授願うと、任せとけ、と泥だらけの手で叩かれた。
気にも留めていないが、きっと帰ることにはまた泥んこで帰ってきたことを怒られるだろう。こんなこともあろうかと我らが先生は、どこから持ってきたのか大きな大きな皿引いて、その上に沢山の土を乗っけた。なるほど、これなら水が無駄にならないし、土が流れて不純物が入らない。
尊敬のまなざしを向けられることに気付いた友達は、ますます指導に熱が入る。曰く、代々これを作るときにはこの皿を使うようにと、受け継がれてきた由緒正しい大皿らしく、友達も出所はさっぱりだが、先生に怒られて没収されたことは一度も無いので、勝手にランチルームからかっぱらってきたものではないらしい。
土と砂に水がいきわたるようにジョウロで友達にストップといわれるまで注いでみると、真っ白だった土が真っ黒になってドロドロになる。そして乾いたところが残らないように、徹底的に混ぜまくる。
ここで手を抜くと完成した時にひびが入って壊れる、穴が開くという見るも無残な形になってしまうらしい。それは大変だと大真面目で泥遊びに夢中になる。目的が手段に変わり始めたころ、手でつかめるくらいしっかりとした泥が出来上がった。
もうこれだけでも面白いのでどうでもよくなってしまうが、ここからが大事なんだよ、と大幅に脱線しようとする不真面目な生徒をひっつかんだ友達により、マンツーマン教室は続行した。手のひらに適量の土を乗せて丸めていく。大きさはこれくらい、と見本を何個も見せてくれた友達の完成品は、すさまじいレベルである。
よーし、頑張るぞとやる気を出したので、一生懸命手のひらにのるくらいの球体を作り上げていく。作るときには水分を絞り取るように、ぎゅうぎゅうと力を込めながら作ると、びしょびしょにならずに、丸く作ることが出来ると、
きめ細やかな指導が入る。言われたとおりにしてみると、初めて作るには筋がいいと一番弟子として褒められ、嬉しくなって笑った。
初めてなんだからちょっとくらい砂利が入ったって気にしない、あまりにも大きいモノはダメだけど、と点検してくれる。ここからは代々受け継がれてきた一子相伝の秘密だと念を押され、意味が分からないけど、自分にだけ教えてくれるんだと分かったので、絶対に誰にも教えないと約束する。不格好ながら出来上がった泥団子を受け取った友達が、丸く丸く形を修正してくれる。
そして、せっかく作った泥団子に、さっき取り分けておいた土をどさっとかけてしまった。思わずあー、と声を上げてしまうと、その様子にさもありなんといた様子でふふんと胸を張った友達は、これが秘密なんだよと内緒話で教えてくれた。絶対に取ってきた土を使うこと、乾いた土を使うこと、と念を押されて頷く。
免許皆伝の道はまだまだ遠い。このまま指でこするとだめだから、とぱんぱんとなれた様子で砂利を払った友達は、
磨き方までわざわざ手とり足とり教えてくれた。どんどん出来上がっていくのは、遊戯の時間によく先生が手に持っているボールと同じくらい真ん丸な砂の覆われた泥団子である。
おおお!と目を輝かせると、まだまだこんなところで満足しちゃだめだ、と手厳しいお言葉が飛んでくるので、肩をすくめた。あとはずーっと、どばどばっと土をかけて、砂利を払って、指で磨いていくという途方も無い作業が始まるのだという。
外で遊ぶのが大好きな子供にはすさまじい拷問だが、頑張れば頑張っただけ、すぐ横にこんなんができるぞと完成品の見本を置いてもらい、しかも友達がずーっと話をしてくれるから全然気にならない。楽しい話をずーっとしながらやっていたら、全然気にならない。
なにつくってるの?と後ろから先生に話しかけられたので、これー!と差し出すと、がんばってね、と頭をなでられて精が出る。子供が頑張って頑張って地面の隅っこで円を作りながら、黙々と泥団子を作っているのは、とっても微笑ましい光景である。おやつの時間までには終わらせるようにと言われたので、うなずく。おやつの後はお昼寝の時間である。
そして、ようやく作業の時間が終了したので、ぽけっとから取り出したビニール袋に泥団子を放り込む。そして友達の言われる通り、乾かすことにした。素人はここですぐに布で磨き始めるからいけないと友人はうそぶく。真の巧みとは、泥団子の表面が固まっただけの見せかけに騙されてはいけないらしい。放っておくとせっかく閉じ込めた水分が表面から逃げ出してしまい、せっかく作っても完成品の見本にはならないのだという。
ここに一番の名人と言われる秘訣があったのか、と目を輝かせたまま、ほめたたえる。まーな、と声を上げて笑う友人につられて笑った。ビニール袋に入れておくことで、カラカラに乾いてしまうのを防ぎ、別の日に出来るようになるらしい。なかなか考えられている。チャイムが鳴る。友達と一緒に手を洗い、おやつの時間に飛んでいった。そして、お昼寝の時間をまどろんだ。そして目を覚まして再び作業を再開する。
ビニール袋から取り出した泥団子は、表面がしっとりとしていて、少し湿っている。ここからが根気勝負だと友人が言いきったので、改めて気合を入れる。再びスニーカーで発掘したきめ細やかな砂を手にいっぱいつけ、うっすらと表面に残るようにする。この粉を使って、ひたすら磨く作業が始まった。
もう言葉を交わすことも無く、じーっと泥団子とにらめっこしながらの真剣勝負である。白砂と呼んでいる魔法の粉である。友人曰く、友人が教わったこの作り方も、この砂が無いと絶対に完成品の見本レベルには到達しえず、ここでしかできないらしい。
力の入れ過ぎもダメだが、ちゃんと力を入れて磨かないと、いつまでたってもくすんだままの泥団子、目指す完成品には到達しない。風が吹いたら砂ほこりとなって飛んでいくレベルのを選んで手に着けることが秘訣らしい。ここは経験がものを言うからと、終盤にもなれば友人が代わりに全部やってくれた。
ありがとう、の言葉に乗せて、当たり前だろ、と笑ってくれた。磨いて磨いて磨いて、ひたすら磨いているのを横で見ているしかない。わくわくしながら、ずーっと横で眺めていた。
とうとう最終段階である。今日は絶対にジャージを着てこいよと念を押されていた理由をここで知る。きめ細やかな布で磨くといいらしいが、小さな男の子がお母さんのストッキングとか持っていく理由が泥団子のためだと言ったら怒られる。
もうここまでくれば、服を汚してお母さんに怒られるなんて心配、吹っ飛んでいる。男の子である。外で遊んでなんぼである。無我夢中でこすりまくった。ずーっと擦り続けていたので、太もも辺りが熱を持ち始めたころ、友達がみてみろよと言ってくる。おそるおそるその面をみた。ぱっと輝いた表情に、だろ?と満足げに肩を回してきた友達が笑う。
真っ黒な泥団子が、まるで真珠みたいにその面だけぴかぴかに光っている!お母さんの持っているネックレスについてる奴みたいである。もうここまで来ると夢中である。師匠友人よりは一回り小さいけれども、ちょっとひびが入ってしまっているけれども、確かにぴかぴかの黒団子である。
ぼんやりとではあるが、太陽の光に反射して、どこからどう見ても鏡みたいに光っている。ビニール袋にくるんで、大切に大切にしまい込んだ。大きな大きな手作りの黒真珠である。きっと喜んでくれる。
家族の絵を描いたって、折り紙を作ったって、必ず喜んでくれる人を知っているから、その瞬間を思うと笑顔になる。いてもたってもいられなくなる。まだまだ太陽が高い空を見上げて、早く夕方にならないかと早とちりな心は自宅に急いた。
「誰に渡すんだよ、大輔」
「おねえちゃん!ぼく、あ、じゃなかった、おれ、これ、おねえちゃんにわたすんだ!」
「おおおっ、いいなあ、それ!ピッカピカの泥団子だぜ、ぜってー喜ぶよ、大輔のおねえちゃん!明日、どうなったか聞かせろよ!約束な!」
「うん!ありがとー、せんせ。ぼく、ぜったいにおしえてあげる!やくそく!」
1995年3月4日の出来事である。光が丘テロ事件に巻き込まれた本宮家は、この日を最後にお台場にある団地に引っ越してしまうことになる。もう名前も思い出せない友達。もう二度とピッカピカの泥団子は作れない。
泉政実と泉佳江夫婦が愛する我が子を失ったのは、もう10年以上前になる。念願の我が子を奪ったのは、病だった。治療の甲斐なくこの世を去った一人息子の死を受け入れられず、悲しみにくれ、途方にくれる泉夫婦。親戚や近所の人々も気を使ってくれ、慰めてくれた。
その中でも、一番親身になって、葬祭関連のことから、私生活のことまで気配ってくれたのは、遠戚である数学者夫妻であった。数学者夫妻は同じ時期に一人息子に恵まれ、いずれ育つであろう子供たちの将来と、いつか一緒に酒を飲み交わしたいと見守っていく両親の喜びを分かち合った友人同士である。
痛いほど泉夫婦の心痛を理解してくれたのだ。いろんな人に支えられ、なんとか天国に召された我がこのためにも、これからのことを考え始めた泉夫婦に、さらなる不運が襲い掛かったのは、そのころである。
数学者夫妻が生まれたばかりの一人息子を残して、交通事故で若くしてこの世を去ったのだ。我が子だけでなくかけがえのない友人、親戚を失った泉夫婦は悲しみにくれる。これから、今まで支えてくれた友人のために恩返しがしたいと、それを何よりも支えにして行こうとしていたのに、また置いて行かれてしまったのだ。
何も手助けすることができないままで。そうした最中、彼らの忘れ形見である一人息子の処遇について、残された遺族もまた当惑しきっていた。青天の霹靂だったのだ。遠方すぎる親族同士、父方母方の話し合いは持たれたものの、若い夫婦の残した宝物を我が子のように育て上げられる生活環境や経済基盤を持っている世帯がいない。
子どもの年齢を考えると育てる家族の年齢もまた大きな枷となってしまう。そして泉夫妻は決意するのだ。光という名前が付けられたこの忘れ形見を、数学者夫妻の代わりに、我が子の代わりに、誰よりも愛して慈しんで我が子として育てようと決意する。
光子郎が泉夫婦の養子として引き取られ、一人息子として大切に大切に育てられる人生が決まった瞬間だった。なんにもしらない光子郎は普通の家庭の普通の家の一人息子として育てられ、数学者だった父親の血は争えないのだろうか、理系の分野に興味を持つ、非常に探究心あふれる好奇心旺盛な男の子として育って行く。
とりわけパソコンに非常に興味を示し、泉夫婦が自慢に思うほど、まるでスポンジが水を吸収するかのごとく学んで行く。面影を重ねることもある父としては、ぜひともその才能を開花させてほしいと理解を示した政実の手により、光子郎は小学校4年生にもかかわらず、自分のパソコンやCDプレイヤー、携帯電話など環境を整えられて行く。
ある意味期待過剰ともいえる親心だが、自分の好きなことを精一杯支援してくれる父親のことが光子郎とは大好きだった。良家のお嬢様だったためか、親しき仲にも礼儀ありを体現するような、お上品で清楚な母親が大好きだった。
しかし、絵に描いたような幸せな家族にだって、いろんな葛藤や複雑な心境はあるものである。たしかにそこに愛情はあるのに、受け取り方一つでそれはまるで間逆の作用を起こしてしまう。我が子のように、ではなく我が子として育ててきた愛しい息子がどんどん数学者夫婦に似てくる複雑さ。
才能を磨けば磨くほど、どんどん離れて行ってしまうのではないかというずっと抱いてきた恐ろしさ。もう数学者夫妻の代わりではなく、我が子の代わりではなく、泉家の光子郎である。かけがえのない息子である。血のつながりはなく養子であるという事実は、いつかは告げなければならない。
この世に生まれてきたのは、数学者夫婦があってこそであり、自分たちにとっても光であり、いつかは3人でお墓参りをしたいという思いがあるのに、いつごとになったら事実を告げなくてはならないのかという背反する親心、矛盾する良心。
一方でずっと黙っていることに対する良心の呵責と後ろめたさが泉夫婦を苦しめてきた。それはきっといいことでもないけれども、わるいことでもないのだ。真剣に向き合わなくてはいけない問題である。だからこそ、泉夫婦は何度も葛藤と衝突を繰り返してきた。
母親が父親に対して感情的になったり、ヒステリックになったり、父親がそれを寡黙に受け止めて説得したり、仲むつまじい夫婦であるが故の互いの支え方というものがある。
ただ、それが何も知らなかった光子郎からすれば、それはただの言い争いにしか聞こえない。喧嘩にしか聞こえない。たった10年しか生きていない子供に、大人には大人なりの感情との付き合い方があるなんて理解するほうが無理である。
「ねえあなた、いつになったら」
「まだ小学生だぞ、まだ早いだろう」
トイレに行くために夜中に通り過ぎた両親の部屋に明かりがついていて、なにやら物音がする。こっそり覗き込んだ先で、感情を露骨にあらわにして怒っている母親とそれをただ聞いている父親がいるのだ。そしてこの会話である。光子郎の心は混乱する。トラウマとして深く深く刻み込まれてしまう。
まだ理解するには早いだろうという両親の親心は、予想以上に精神的に早熟していた一人息子を傷つけた。ネットで調べた先で見つけた養子縁組制度。調べれば分かってしまう本当の両親のこと。全部全部作り事、うそだらけだったこと。
光子郎の心は、どうして両親が喧嘩していたのか理解できなくて、必死で自分なりに正当化していく。中途半端で聞いてしまった会話は、どんどん視野を狭めて行く。なんでがたくさんあって埋まらない。
好奇心旺盛な調べたがりの性質は、やがて答えが見つからないことに対する嫌悪感と潔癖さにエスカレートしていく。子供は両親に対して憎悪を向けることは絶対にできない。壊れてしまうから。だから子供はその原因を自分に求めてしまう。
そして答えを勝手に作って埋めて行く。本当の子供ではないから、お母さんもお父さんも僕のことが嫌いだから喧嘩していた。本当の両親のことを隠していたのも、話してくれないのも、お墓参りに連れて行ってくれないのもきっとそう。疑心暗鬼は加速する。
大好きだったお父さんからもらったパソコンたちが、自分を両親から遠ざけるためにしか見えなくなる。お母さんが「光子郎さん」って息子なのにさん付けで他人行儀なのも、きっと名前で呼びたくないから。
あんたは腹を痛めて生んだ子供ではないから、と言われているようにしか聞こえなくなる。もうここまで来れば、人間不信の極地である。一度生まれてしまった不信の目を大好きな両親に向けなくてはいけないという悲劇である。
そんなことができるほど光子郎は強くない。だから、露骨なまでに避け始めた。予防線に敬語が身につき始めた。何にも考えないでできていたはずのことが、必ず理屈だらけの理論思考に凝り固まると、どんどんできなくなって行く。光子郎は友達の作り方がわからなくなっていた。
そんなもの理屈でできるようなものではないから、なおさら。気づいたらネットという直接人間関係を重視しなくても、文章だけでやり取りができる非常に便利な世界に気づいてしまう。現実につかれきっていた子供がのめりこむのは早かった。
部屋に閉じこもってずっと自分の世界に浸っていても、やさしい母親も父親もお年頃なのだろうと距離感に困惑して、なかなかうまいこと関係構築がうまくいかないことも拍車をかけて、本当は部屋から連れ出してほしい息子の心なんて気づかない。
初めての子育てなんてそんなもんである。やがて、母親お手製のものを持たされ、うれしいとは思っていても、素直にそれを持つのはちょっと恥ずかしいと思い始める4年生である。
「泉光子郎」とか「光子郎」はまだいいけど「こうちゃん」はないだろう。生まれてこの方そんな風に呼んだことすらないくせに。いまだにあの夜のことが怖くて怖くて聞けない光子郎は、変にうがったものの見方をする癖が身についている。みんなに見られるのは恥ずかしいし、いまだに母親の心理が分からないから、こういうときだけ母親ぶるのが嫌である。
そのため、大輔がPHSを首からずっと提げているのをみた光子郎は、特に意識することなく貸したのだ。元の世界に帰ったら返してくれといったのは、単なる言葉のあやである。無意識にこそ本心が隠されているのだと、どうやら口にした本人よりも言葉とか表情とかそういう分かりやすいものから、相手のことを考えることができる受感性の高い後輩のほうが見抜いていたようであるけれども。それに気づいてない光子郎は困惑するしかない。
大輔は泣きながら怒るのだ。家族のお手製で作られた、先輩のためにつくった、丹精込めて作った、愛情込めて作った大事なものを、なんで大輔みたいに扱うのが適当でよくものをなくしたり、壊したりしてコーチから怒られているのを見ているくせに、なんで貸したんだと逆切れされるのである。
気にしてないと、無事でよかったから気にするなと、泣くなと励ましているのに、どういうわけか説教されている気分になってしまう。へんな逆転現象である。そのくせ、大輔は大輔でなんで自分がここまで怒っているのかさっぱり分かっていない様子である。ケースが失われてしまった本人よりもずっとずっと悲しんでいるのである。わけが分からない。
奇妙奇天烈な光景である。みんなそれに気づいて、どうやら当人同士でやったほうがわかりやすいだろうという無用の好意でどっかいってしまった。たぶんホエーモンの体の中を探検しているのだろう。
残されたのはぐずっている大輔と途方にくれる光子郎、そしてパートナーデジモンたちだけである。ああ、本当なら僕も今ごろホエーモンの体の謎について思いをはせているはずだったのに。はあ、とため息をついて、光子郎は、大輔が泣き止むのを待っていた。置いてきぼりにするほど薄情になった覚えはない。
「たぶん、大輔は光子郎のことまで勝手に想像して、泣いちゃってるんだ。大変だよ」
助け舟を出したのはブイモンだった。いっている意味がよく分からなくて光子郎は疑問符である。
「オレが怪我したときも、オレがエンジェモンのこと庇ってるのはおかしいって怒るんだよ、大輔。エンジェモンの攻撃に巻き込まれそうになったことなんか、ぜんぜん気にしてないんだ」
それはPHSのケースにも顕著に現れている現象である。ちょっと相手のことが考えられるやさしい子、ではすまない気がして光子郎は心配になってくる。はっきり言って異様である。いくらなんでも限度があるだろう。相手のことを考えられるということは、決して自分のことをないがしろにしてまでできることではないし。
きっとそこまで簡単な事ではないのだ。自分のことを大切にしない人に、他の人のことまで本当に考えられるのかといえば、否である。大輔はどこまでも自分のことがすっぽ抜けている。それはもう無意識である。偽善とか善意とかそれ以前の問題である。
自己犠牲の思考をもつ人だって、自分と他人を天秤にかけて、他人に天秤が傾くからこそそう思うし行動するのに、大輔は思い込んだら一直線の面があるのは事実だとしても、躊躇したり戸惑ったり一切しないのは、明らかにおかしい。
まるで行動によって自分のことを見出そうとしているような、そんな危うさがある。ブイモンもどうやらそれを感じ取っているからこそ、他のパートナーデジモン達よりも、ずっとべったりしているようだ。
「大変でんなあ、ブイモン。ワイかて光子郎はんがそんな危なっかしかったら、気が気じゃあらへんで。ワイらパートナーデジモンにとっては、大輔はんや光子郎はんになんかあったほうが、ずっとずっと恐怖でっせ」
「そうなんだ」
「もちろんや、そのためにワイらはおるようなもんやから」
羽音を立ててテントモンが胸を張った。なんだか面映い気がして光子郎は笑ってしまう。
「大輔、どんどん突っ走ってっちゃうから、追いつくの大変だっていってるだろ。ちょっとはオレの方も見てくれよな」
何度目になるか分からない切実な気持ちである。光子郎は笑った。
「大輔君、みんなの役に立ちたいって気持ちは分かるけど、やっぱり君はまだ小さいんだから、あんまり無理しちゃだめだよ。どうしてそんなに焦ってるんだい?」
ぐしぐしと涙をぬぐった大輔は、鼻声ながらつぶやいた。
「わかんないっすよ、そんなこと。ずーっと、ずっと前からそうだったんすよ。オレが悪いことしたわけじゃなくても、オレのせいじゃないってみんなが許してくれてるってわかっても、いっつもいっつもぎゅーって苦しくなるんです。もう、死にそうになるくらい苦しくなるんすよ。我慢できないからやっちゃうんですよ。耐えられないからオレのせいだって思っちゃうんです。そりゃオレずーっと考えるの苦手だし、ずっと喧嘩してるよりは早く仲直りして遊びたいから、めんどくさいからさっさと忘れることにはしてますけど、なんかぜんぜん違うんです。なんかわけのわかんないものにつぶされそうになるんです。なんなんすかね、これ」
「うーん、なんだろう。難しいな」
「光子郎先輩でもわかんないのに、オレにわかるわけないじゃないっすか」
「いや、そんなことないよ。僕にだって分からないことはいっぱいあるさ。悔しいけど」
「へ?そうなんすか?」
「うん。だからケースについては、ひとまず置いといてもらってもいいかな?大輔君。僕の中でまだはっきりとした答えが見つかってないことが、たくさんあるから、そのときがきたらまた考えるよ」
「はあ。それってやっぱオレが小2だからっすよね?オレまだちっさいし」
「違うよ。まだ、誰にもいえないことなんだ。テントモンにも太一さんにも。まだ僕の中でいろいろ考えてる途中だから」
「そっすか、わかりました。じゃあ、オレ何したらいいっすか?結局約束破っちゃったし」
「え?だからそれは」
「なんかもやもやするんでお願いします」
「あはは。じゃあ、2つほどお願いしてもいいかな?」
「なんすか?」
「タケル君を呼んできてくれないかな?大輔君だけ敬語じゃなくなるって不公平だから」
「あ、はい」
「それと、大輔君、忘れてるかもしれないけど、一応僕もサッカー部だよ」
「わかってるっすよ、ちゃんと先輩っていってるじゃないっすか!」
「でも太一さんや空さんばっかりに頼ってるだろ」
「……あはは」
「ちょっとくらい頼りにしてくれないと、僕もちょっと複雑なんだ。考えてくれるとうれしいんだけど」
「が、がんばります」
なぜだか緊張気味にうなずいた大輔に大げさだなあと苦笑いをにじませながら、光子郎は立ち上がる。これからみんなのところにいかなくてはいけない。いこう、と差しのべられた手を大輔は迷うことなく取ることが出来た。ホエーモン曰く、サーバ大陸に上陸するのなら南西側の岸に存在するトナミの街がいいらしい。選ばれし子供の噂はサーバ大陸にも聞こえてくるので、きっと住人達は歓迎してくれるだろうと教えてくれた。
目印は船。トナミの街は港街。でも停泊している船は無く、なぜか船が空に向かって垂直に立つように、砂浜に突き刺さっている奇妙な光景が広がっているとのこと。この話を聞いた時、真っ先に大輔たちが思い出したのは、干からびた沼地に突き刺さっていた船である。
メラモンから逃げるためにピョコモン達と逃げ込んだあの巨大船だった。なんでもそんな感じの船がまるで住宅街のように砂浜にずらりと並べられ、ホエーモンたちを始めとした近隣に生息するデジモンにとってはそれが建物という認識のようである。
一体どんな光景が広がっているのか。どんなデジモン達が待っているのか。わくわくしながら思いをはせるのはきっとみんな同じだった。ホエーモンでもサーバ大陸までは5日掛かる。まだまだ航海は始まったばかりである。