(完結)おれとぼくらのあどべんちゃー   作:アズマケイ

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第67話

「おねえちゃん、おねえちゃん、おきてよう」

 

「なによう、大輔」

 

「といれ」

 

「はいはい、分かったわよ。もう、今何時だと思ってるのよ」

 

 

ふあああ、と大きくあくびをしながら、起き上がったジュンは、パジャマ姿のまま目をこする。ぱちりと電気を付ければ、もう夜遅い。仕方がないので、すっかりおびえている弟のために電気の道を作る。

 

だってえ、と怖がりな弟はお姉ちゃんのパジャマの裾を引っ張って、はやく、はやく、とせかすのである。今日はお父さんは出張で、お母さんは婦人会の旅行でいないのだ。だから家にはジュンと大輔だけしかいない。

 

いつもならみんなで川の字になって眠っているお父さんとお母さんと大輔の部屋は、布団いっぱいになるのに、小学校4年生の女の子とあと2カ月でやっと5歳になる弟では、いつもより部屋が広く見えた。お布団は2つでも広いくらいである。

 

 

「だから見ない方がいいっていったのに」

 

「だって、てれびかえてたらみちゃったんだもん」

 

 

だいじょうぶだよ、と意地を張って布団の潜り込んだのはどこへやら、すぐに手をつないでほしいと伸ばしてくるのはいつものことである。だから見たい番組を言ってくれればリモコンで変えてあげるのに、と何度も言うのだが。

 

お姉ちゃんが見たいと言っていた春の特別企画で放送される面白いコメディのアメリカの映画を早く見たくて仕方なかったこの弟は、いつもの癖ですぐにぱちぱちとチャンネルを変えてしまう。

 

いい加減勉強すればいいのに。やめとけと言ったのだが、お姉ちゃん大好きっ子の大輔は聞く耳を持たず。お姉ちゃんが持って来てくれたジュースとお菓子に夢中で、このありさまだ。やっぱりお父さんもお母さんもいない夜更かしは嬉しいらしかった。

 

 

いつもは22時には本宮家は真っ暗になる。ジュンは全く学習意欲の無い弟にはあ、と溜息である。バカだから可愛いけど。毎週土曜日の9時は、大輔の天敵である裏番組が放送されているというのに、いつもいつもチャンネルを変える時にちらっとみてしまうのだ。

 

人が死んじゃったり、人が人を殺したりして、それをシリーズものの探偵が解決するという一話完結のドラマをやっているサスペンス劇場。しかも今日はちょっとジュンも怖かった。最悪である。

 

知らなかった、しっかりテレビ番組を確認しとくべきだったと後悔してももう遅い。やがてジュンがはまることになる、美形アイドル二人組の片割れが主役を務める、ミステリー・オカルトブームの先駆となった、大人気推理物漫画を実写化した単発のドラマが、たまたまやっていたのである。

 

ジュンの周りでも、じっちゃんの名にかけては大流行だ。しかも丁度、決め台詞の「謎は全て解けた!」と宣言した高校生探偵が、ポスターをはがし白骨化した行方不明の女子高生をみんなに見せるという、ここ一番の見せ場というショッキングすぎる場面に遭遇してしまったのである。大輔が怖がるのも無理はなかった。

 

 

毎週土曜日は必ず大輔はすっかり怖い夢にうなされたり、ありもしないものを想像して、怖がってしまい、お姉ちゃんとすがりついてくる。本当はジュンだって怖かったのだが、泣きそうな顔をして慌ててチャンネルを変えて、お姉ちゃんと泣きついてきた弟がいる。

 

その手前、そんなこと言ってられる訳もなく、それに異様なほど怯えるのを見ていると帰って冷静になって、だいじょーぶよ、と励ます作業に入る。いつものように大輔を連れてトイレまで行ってあげて、扉の向こうでずーっと待っててあげる。

 

あーもう眠い。ふあーとあくびをしたジュンは、出てきた大輔の代わりに電気を消して、換気扇を回してあげながら、ちゃんと手を洗ったかと聞いた。うん、とほらと手を見せてくれる。

 

 

水道の音もしたし、石鹸の泡も残っているから、ちゃんとやったんだろうと確認して部屋に戻る。大輔がジュンの後ろに隠れてしまう。早く行こう、とせかしてくる。どうしたんだとそっちを見たら、雛段が飾ってあった。昨日はひな祭りだったから、家族で一緒にちらしずしを作ったのである。

 

嫁入りが遅れたら困るからってすぐに片付けたかったのだが、ジュンの友達を呼んでひな祭りをしたから、主賓として料理とかジュースとかいろいろ準備しなくちゃいけなくて、お母さんと大輔を巻き込んで大忙しだったから、結局片付けられなかったのだ。

 

 

だからせめて、とお雛様は全部後ろ向きにして、おかえり願うとか言うお母さんの実家の風習で対処した。光が洩れて、頭の方が影になって、十二単衣の辺りがきらきらひかっている。お雛様たちがなんかこわい。これは大輔が怯えるのもしかたないなあ、と思って、ジュンはパシンと居間を閉めて、先に進んだ。

 

 

「今度は何の夢見たの?」

 

「なんかね、ちっちゃいひよこがでてきたよ」

 

 

あそこから、と指差す先はお父さんの書斎にあるパソコンである。

 

 

「ひよこ?」

 

「うん、ひよこ」

 

「あのぴよぴよなくヒヨコ?ニワトリになっちゃうひよこ?」

 

「うん。きょう、おねえちゃんにつれてってみせてもらった、がっこのひよこ」

 

「なにそれ、全然怖くないじゃない」

 

「こわいよ!だって、なんか、どんどんおっきくなるんだよ!」

 

 

こんくらいから、と手を広げて教えてくれるものの、明らかにそれはひよこのサイズではない。それが、こーんくらいになって、こーんくらいになって!とつま先立ちである。相変わらず面白い発想をする弟である。本人はいたって大真面目なので聞きとるふりをしながらも、昔から想像力豊かな弟である。ジュンは面白がっていた。

 

それでそれで?と大輔が見たという怖い夢を聞きながら、ジュンは話に夢中で怖がらなくなった大輔を連れて寝室へ行く。光が丘小学校では3年生と4年生の生き物係が兎と鶏の世話をすることになっている。

 

ジュンは丁度生き物係だったから春休みの間も、週に1度友達と一緒に小学校に自転車を走らせ、兎小屋と鳥小屋を綺麗にして、エサを上げて、水を取り替えてあげるという仕事をこなしている。

 

鶏の卵がかえったという大ニュースが緊急連絡網を通して送られてきた今日、ジュンはいても立ってもいられなくて、大輔を自転車の後ろに乗せて学校まで走ったのだ。ピヨピヨないてる小さなヒヨコは4羽生まれて、ただ今名前募集中だ。春休みになったら、その内の2匹はHRで名前を決めようってことになっている。

 

よっぽど今日一日の出来事が嬉しかったんだろうなあってジュンは思うのだ。連れて帰りたい、飼いたいってごねる大輔をたしなめるのが大変だったから。ぱちん、と廊下の電気を消して、さあ寝室の電気を消そうと手を伸ばしたときである。

 

 

 

 

 

突然部屋が真っ暗になった。悲鳴を上げたのは、びっくり仰天した大輔である。先に布団にもぐりこんでいたので、パニックになる。

 

 

「おねえちゃん、おねえちゃん、どこ!?」

 

「ここにいるわよ、こっち来なさい、大輔」

 

「うん」

 

 

ほっとしたのか、ようやく探り当てたジュンの手をしっかりと握りしめてくる大輔の手を離さないようにしながら、ジュンは何度かスイッチを入れるのだが電気が入らない。停電だろうか。

 

何でこんな時に、と思いつつ、何とか月明かりでも探そうとする。しゃっとカーテンを開けるとうっすらと明かりが下りている。他のマンションは真っ暗である。やっぱり停電か。

 

 

「おねえちゃん、まっくらだよう」

 

「ブレーカーあげてくるけど、大輔もくる?」

 

「いくっ!おいてかないでっ!」

 

 

切実な叫びに分かったわよと頷いて、手を握ったまま、何とかなれてきた暗闇を頼りに廊下を進む。キッチンからいすを引っ張ってきて、電気のスイッチを確かめてみるのだが、全て全滅である。玄関までやってきた本宮姉弟は、大輔がいすを支えている間に、ジュンが何とか背伸びしてブレーカーをあげてみる。

 

やっぱり無理である。泣きべそかき始めた大輔に、泣かないの、男の子でしょ、と叱咤激励しつつ、今度は電話。お父さんの仕事先の電話番号くらいなら、小学校4年生のジュンはもう知っていた。

 

お姉ちゃんの後ろをくっついてくる大輔を元気づける言葉を紡ぎながら、固定電話にかけてみるのだが、なぜか通じない。もうどうしようもない。夜は遅いし、外に出るのは危ない時間帯である。うーんと考えたジュンは大輔の頭をなでた。

 

 

「もう寝よっか、大輔。きっと起きたら全部元に戻ってるわよ」

 

「うえええ、ねれないよう」

 

「大丈夫、お姉ちゃんが羊数えてあげるから」

 

「んー」

 

 

首を振る大輔が抱きついてくるので、ジュンはよしよし言いながら抱っこした。泣き虫大輔である。何かあるとすぐに泣くのだ、この弟は。お母さんとお父さんをとられてちょっとさみしいと思うこともあるのだが、大輔はもうお姉ちゃんお姉ちゃんばっかりで、もうべったりなのである。学校から帰ったら、真っ先におかえりなさいって出迎えてくれるのである。

 

そして学校で遅くなっても、ずーっとおやつを我慢して、一緒に食べるのを楽しみにしているような子である。幼稚園で絵を描いても、工作をしても、必ずどっかにお姉ちゃんがいるので、子煩悩なお父さんやお母さんによって作られた展示場所は、夏休みの宿題とか裁縫で作ったジュンの作品もあるが。

 

大輔の作品はもうジュンだらけになっているのである。かわいい弟である。今日だって、泥だらけになって帰ってきた大輔が作った渾身の泥団子がコレクションに加えられた。

 

これ、ホントに泥団子?と聞いてしまいたくなるほど、ぴっかぴかに光っているのである。まる体育館の時間に使う砲丸投げの球を、すっごく綺麗にしたみたいな、光沢を放っているのである。それを、すっごく嬉しそうな顔をして、お姉ちゃんのために作ったから、お姉ちゃんにあげるといわれたのだ。

 

お母さん曰く、お母さんにも見せてくれと帰宅の道中で何度かせがんだのだが、お姉ちゃんに一番最初に見せるんだ、の一点張りで、幼稚園のカバンをかたくなに抱えて、見せてくれなかったそうである。それはもう嬉しいに決まっていた。ありがと、と笑ったジュンに、えへへ、と大輔は笑ったのである。停電の真っ暗闇を怖がる弟を守らなくては、とジュンは思った。

 

 

 

 

 

その時である。どおおおん、というすさまじい轟音が響いて、すさまじい揺れが本宮家を直撃したのは。すっかりパニック状態になって怯えきっている弟を守るために、反射的に大輔を上からだっこして、ぎゅーって抱きしめたジュンは、こっちまで飛んできた沢山の砂ぼこりと突風で寝室が滅茶苦茶になるのを見た。

 

見るも無残な光景である。ジュンはすっかり腰が抜けて立てなくなった大輔に、大丈夫、あたしがいるから、お姉ちゃんがいるから、と必死で励まし、こくこくと頷く大輔を抱えながら、そっちを見たのだ。

 

もう揺れはない。一体何があったんだろう、とジュンは立ち上がろうとした。でも大輔を置いていくわけにはいかないし、とすぐに気付いて、大輔に背中を向けた。

 

 

「ほら、おんぶ」

 

「うん」

 

 

小学校4年生の女の子は身体の成長が男の子よりもずっと早いので、クラスでも身長が高い方のジュンは、小柄な大輔なら簡単におんぶできた。しっかりと首にまわされた手を確認して、よいしょっとおんぶをして、そっちに向かう。

 

居間に続いているはずの廊下は、もういろんなものが落ちていて歩くのも億劫だが、スリッパで何とか踏み越える。ドアを開けたジュンと大輔を待っていたのは、なんにも無くなってしまったリビングである。

 

ベランダの方が大きな大きな穴が開いている、月明かりが丸くこぼれおちている恐ろしい光景である。テレビもソファもテーブルもゲーム機もカーペットも、お雛様も、大輔とジュンの展示室も全部全部、ぶっ壊された挙句に、無理やり隅の方に追いやられてしまって、すっかりはげてしまったフローリングの空間である。

 

ジュンは愕然とする。呆然として立ち尽くすジュンの右肩から覗き込んだ大輔は、今までお姉ちゃんのために作ってきた、大事な大事な宝物を全部ぶっ壊されてしまった光景を見て、ショックを受けたのか、わんわんと泣きだした。

 

泣きたいのはこっちである。そっちの方に行こうとして、お姉ちゃんからするすると降りてしまった大輔は、なんとか取り戻そうとして、がれきの中にかけていく。スリッパも履かずに!

 

 

「何やってんのよ、大輔!危ない!」

 

「だって、だって、おねえちゃんのためにつくったのにいい!」

 

「ばっか、そんなことどうでもいいのよ!けがするから戻ってきなさい!」

 

「やだああ!」

 

 

あーもう!と聞きわけのない弟を連れ戻すためにジュンが、がらんどうになってしまったリビングに突入しようとしたときである。泣きじゃくっていた大輔は、突然ぴたりと動きを止めて辺りを見渡したのである。

 

何やってんのよ、と言いかけたジュンは、その挙動不審な弟を見て、何かあったのかと怪訝な顔になる。そんな姉の様子など気にも留めずに、大輔はきょろきょろとあたりを見渡す。なにかを探すみたいに、忙しなく動く小さな瞳。それが向かった先は、ベランダだった。

 

 

「あ」

 

「どうしたのよ?大輔」

 

「いたっ!」

 

「え?」

 

「いたああ!」

 

 

ぱたぱたぱた、とまたジュンの横をすり抜けて走っていく大輔である。もうジュンは訳が分からなくなって、待ちなさいって言って、大輔を追いかける。ベランダにある手すりに手を伸ばして、足をかけて、身を乗り出した大輔が危なっかしくて見てられない。

 

やっと捕まえた大輔を捕まえて、降ろそうとしたけど、なかなかベランダから離れてくれない。落ちるってば、大輔!必死で止めようとするジュンに向かって、振り向いた大輔は言ったのだ。

 

あそこ、あそこだよ、おねえちゃん!と興奮した様子で叫んでいる。指を指す先は何も見えない。ただ不気味な雲行きが広がっていて、真っ暗に停電した高層マンション群が広がっているだけである。

 

 

「おねえちゃん、ひよこっておっきくなったら、にわとりになるんでしょ?もっとおおきくなったらどうなるの?」

 

 

訳のわからない質問である。はあ?と返すジュンに、大輔はいったのだ。

 

 

「おーむになるの?おねえちゃん」

 

 

その時、ぴしゃんとすさまじい雷が落ちた。きゃああ、と思わず声をあげて耳をふさいだジュンに、大輔はきょとーんとした顔で首をかしげている。そして、ベランダから降りて、ジュンの所に寄ったのだ。

 

 

「おねえちゃん、だいじょうぶ?」

 

 

まだ小学校4年生の女の子である。今まで必死で我慢してきた、こわいこわいこわい、という思いが爆発したのだ。訳のわからない現象に巻き込まれて、ぷっつりと緊張に戸が切れてしまったらしい。

 

大輔は何が見えているんだろう?あたしは何も見えないのに。豪快に穴が開いているベランダの真ん中で、ジュンはすっかり力が抜けて立てなくなってしまう。

 

ぼろぼろぼろと涙がこぼれてしまう。ぐすぐすと泣き始めてしまったジュンに、びっくりした大輔はのぞきこんでくる。そしてジュンには何も見えない世界に向かって、また身を乗り出すのだ。

 

 

「おねえちゃんのこと、いじめるなああ!」

 

 

大きく響き渡った声である。はっとなったジュンは、顔をあげた。ちっぽけな弟が、ジュンのために必死で怒っているのである。ジュンはただそれを眺めているしかなかった。大輔は何やら必死でベランダに身を乗り出して、食い入るように何かを見ている。そして、すごい、すごいっていいながら、ジュンを振り返ったのだ。

 

 

「おねえちゃん、もうだいじょうぶだよ!すごいよ、おっきいきょうりゅうが、おっきいおーむをやっつけてくれてる!」

 

 

でも、ジュンには何も見えない。ただ、雷鳴に似た破壊音が響いている。きゃっきゃとはしゃいでいる弟が分からなくて、ジュンは混乱する。毎日毎日、学校に通っている時に見える景色が、どんどん破壊されていく様子しか見えない。どんどんジュンの日常が壊されていく。

 

破壊されていく。見るも無残なかたちで。なんにもないはずなのに、ただ道路がえぐれ、橋が倒され、マンションにいっぱいの穴が開いて行き、瞬きする都度に瓦礫に変わっていく。やめてやめてやめて、なんなのこれ、こわいこわいこわい!いやあああ!うずくまるジュンに大輔はキョトンとしている。

 

やっぱりこの子には何かが見えている。そう思うと、怖くなってしまうジュンである。てくてくてく、と近づいてきた大輔がとんでもないバケモノに見えてしまう。やだ、こないで、こないで!そしたら、大輔は言ったのである。ジュンは空に響き渡るホイッスルの音を聞いた。それだけが焼き付いている。

 

 

「おねえちゃん、こわいの?ないてるの?」

 

「・・・・・・・うん」

 

「だいじょうぶ!ぼくがおねえちゃんのこと、まもってあげる!」

 

「え?」

 

「ぼくがすっごくつよくなって、おねえちゃんのことまもってあげる!わるいやつ、やっつけてあげる!」

 

「ほんと?」

 

「うん!ごーぐるつけたひとみたいに!おっきいきょうりゅうといっしょに、やっつけてあげる!」

 

「ゴーグルの人?」

 

「うん!ほら、ほら、そこにいるひと!」

 

 

おそるおそる破壊された街並みを見下ろしたジュンは、そこにホイッスルを吹いているゴーグルを付けた少年を見た。いつもいつもお姉ちゃんの後ろをひっついてばかりだった泣き虫が、このときだけは、ジュンにとっては眩しかった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

やがて時は流れる。光が丘テロ事件と名付けられたその事件により、お台場に引っ越すことになった本宮家である。ジュンと大輔にとっては、あまりにも衝撃的な事件だった。ニュースを聞いて飛んで帰ってきた両親が見たのは、見るも無残な惨状と化した我が家でわんわん泣いている長女と、必死で僕が守ってあげるから泣かないでって、励ましている長男である。

 

その日以来、本宮家では光が丘テロ事件を思い出させないように、子供達に対する配慮として、いついかなる時でも豆電球だけは残して電気を付けておくという一風変わった風習が生まれた。

 

まだ幼い長男はすぐに忘れてしまったようでけろりとしているのだが、小学校4年生だった長女は心的ダメージが大きく、すっかりふさぎがちになってしまった。マスメディアに振り回される不慣れな日常は、確実に長苦しめた。物ごころついている高学年の長女である。

 

学校でも、近所でも、親戚にまで根掘り葉掘り、あることないこと聞かれてしまうのだ。ジュンはなんにもみえていないのに、いろんなことを聞かれるのである。知らない、分からない、って言ってるのにみんなわかってくれない。

 

 

本宮家のベランダは大きく穴が開いていた被害がひどかった一軒として連日取り上げられるニュース特番で映ってしまったせいである。その時からである。ジュンが一人で部屋に閉じこもって泣きたいときには、ずーっと鍵をかけるようになったのはそんな長女を支えたのは、すっかり元気を失っているお姉ちゃん大好きっこの長男である。

 

 

「ぼく、つよくなりたい!つよくなって、おねえちゃんや、おとうさんや、おかあさんをまもりたい!わるいやつをやっつけたい!ごーぐるつけたひとみたいに、でっかいきょうりゅうといっしょに!だって、ぼく、みたんだよ!ごーぐるつけたひとが、ぴーってふえならして、でっかいきょうりゅうがおーむをやっつけるとこ!ぼく、みたんだよ!ぼくがつよくなったら、おねえちゃん、つらいめにあわずにすむでしょ!なかなくってすむでしょ!ぼくがおねちゃんをまもるんだ!」

 

 

目をキラキラさせて、泣き虫だった大輔が、すっごく元気なやんちゃ坊主になった瞬間である。長男の元気が本宮家にもたらしたものは計り知れないものである。ジュンもなんとか立ち直って、元気な姿を見せるようになった。両親はほっとして、仲睦まじい姉弟の成長を見守ることにしたのだ。ずーっと活発になった弟は、あいかわらずお姉ちゃん子である。

 

しかしどういうわけか、あれだけ毎日毎日、お姉ちゃんを守るために強くなりたいって言っていた弟に変化が訪れた。まるで忘れてしまったかのごとく、光が丘テロ事件前後の記憶が飛んでしまったかのごとく、なんにも言わなくなってしまったのだ。

 

そしてジュンや両親は悟るのである。光が丘テロ事件に巻き込まれたトラウマを受けたのは、大輔も同じであると。大好きなお姉ちゃんを守るために、ちっぽけな自分の心を必死で奮い立たせながら、悲鳴を上げる声を無視しながら。

 

懸命に家族を元気づけていた大輔は、もう光が丘テロ事件の出来事について覚えていること自体が辛くなってしまったのだと。5歳になった男の子には、あまりにもショックが大きすぎて、精神的な負担がキャパシティを超えて、忘れてしまったのだ、と気付くのだ。

 

その日から、本宮家において、光が丘テロ事件についての戒厳令がひかれることとなる。すべては大輔のためである。泥団子はどうしたんだ、とか、なんでひっこしたんだ、とか、大輔に聞かれても答えられないもどかしさである。

 

なんで、ぼく、じゃなくて、おれって言うようになったんだっけ、と言われたジュンは、さあ?というしかない。かっこいい、つよい男の子になりたい、どうしたらいい?って聞いてきた大輔に、じゃあ「ぼく」じゃなくて「おれ」にしたらって、ジュンが提案したことも全部全部、大輔は忘れてしまったのである。

 

ジュンを守りたいって言ってくれた大輔は、どこかに行ってしまったのだ。なんにも知らないままでも、大輔はずーっと元気な男の子に育っていく。小学生になっていく。ジュンも両親も安心する。寂しいけど、元気ならいっか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

でも目を輝かせて、サッカー部に入りたいって入部届けを持って帰ってきた大輔に訳を聞いた日から、ジュンの苦悩は開始されることになる。その日から、やけに太一先輩、空先輩っていう人が大輔の言葉から出てくるようになったのだ。

 

お姉ちゃん一色だった大輔が、どんどん離れて行ってしまうのである。やがてお姉ちゃんが姉ちゃんに変わってしまう。そして、太一先輩のまねをするんだ、っていって、部屋で見つけたゴーグルを頭に着けるようになったのである。ジュンはもしかしてという歓喜に沸いた。もしかして、思い出した?大輔、ゴーグルの人みたいになりたいって言ってたし。

 

お姉ちゃんのこと守るために強くなりたいんだって、目をきらきらさせていた、あの時の大輔が戻ってきたんじゃないかって思ったのだ。光が丘テロ事件のことは絶対に大輔には言うなって両親からきつく口止めされているジュンは、なかなか聞くことが出来ないもどかしさに葛藤する。

 

大輔に、ありがとう、って言ってないのだ。大輔のおかげでどれだけ家族が救われたか、どれだけジュンにとって助けになったか、お礼の言葉すらいえないまま、4年も時が過ぎていたのだ。ぜんぶ大輔のためだけど、やっぱりもどかしかった。お姉ちゃんをやれなかった自分を守るって言ってくれたのは、なによりも変えがたいものだったから。

 

 

そしてある日、とうとう耐えきれなくなったジュンは、両親の言いつけをやぶってしまおうと決意する。お弁当を持っていく口実をつくって、サッカー部の練習に顔を出して、そのゴーグルの人、八神太一って言う少年に逢ってみようとジュンは決心する。

 

不慣れな料理で指を切ったりしながら、何とか一応形にはなったので、お弁当を作った。大輔は忘れていったけど、都合がよかった。ジュンは2年ぶりに母校の土を踏む。そしてフェンス越しにグラウンドで大輔を探したのだ。初めて弟のサッカーをやっているのをみたジュンである。

 

応援に行きたかったけど、そしたらゴーグルの人のこと、記憶が戻ったかどうか聞いてしまいそうだったから、両親が許してくれない。ジュンも言っちゃいそうで怖かったから、いけないまま1年が過ぎていた。大輔、って声をかけようとしたジュンは凍り付いた。

 

 

なに、あれ。

 

 

ジュンが見たのは、太一と空に、きらきらした目をして話しかけている大輔である。お姉ちゃんを守るんだ、って言ってくれたあの眩しい笑顔を向けている大輔の姿である。なんでよ、なんであの男の子に笑ってんのよ!その笑顔はあたしのために向けてくれたものじゃないの!?嫉妬がわき上がる。こっちは言いたいこともいえないせいで、大輔との仲がどんどん悪くなっていく一方なのに。

 

 

かしゃん、とフェンスがなった。ジュンは太一のゴーグルを見て目を見開いた。光が丘テロ事件のとき、すでに小学校4年生だったジュンは覚えていた。忘れたくても忘れられないから、覚えていた。

 

あの子じゃない!大輔があの人みたいになりたいんだって、わけのわからないことを言っていた、指差していた男の子。光が丘テロ事件のどまんなかでホイッスルを吹いていた、ゴーグルの男の子!

 

ジュンの中ですべてが凍りついてく。なによなによなによ、じゃあサッカー部に入りたいのはあの子に逢うためだった訳!?一緒にサッカーをやりたかったわけ!?

 

あたしのこと守ってくれるっていってくれたこと、お父さんやお母さんを守るために、だれよりも強くなりたいんだって、言ってくれたことはすっぱり忘れてるくせに、あの子のことは覚えてるわけ!?

 

何よそれ!こっちはどんな思いで、大輔が思い出してくれるの待ってたと思ってんのよ!!結局全部全部あたしのからまわりだったの!?ふざけないでよ!こっちはずーっと大輔のためにいろいろがんばって隠してきたのに!無駄だったってこと!?

 

 

そしてジュンは気付いてしまう。世界でただ一人の本宮大輔のお姉ちゃんである本宮ジュンだから気づいてしまう。大輔の中でお姉ちゃんであるジュンではなく、太一お兄ちゃんや空お姉ちゃんが芽生えていることに気付いてしまう。

 

お弁当箱を落としてしまったジュンは、とりあえずお弁当だけでも届けようとして、そのまま結局声が掛けられないまま帰ってしまった。このことをお母さんにぶちまけることなく、そのまま八神太一という少年に光が丘テロ事件と呼ばれることになる、あの日のことについて問いただす勢いがジュンにあれば何か変わったのかもしれない。

 

しかし、それは叶わなかった。血相変えたお母さんから、八神君も大輔と同じだって聞かされたから、何も言えなくなってしまった。

 

八神君も大輔と同級生の妹さんも、あの日のことはきれいさっぱり忘れてしまっていて、覚えてないんだって聞かされたから。それだけじゃない。同じサッカー部にいる仲良しの武之内さんも泉君も光が丘に住んでいた被害者なんだって聞かされたから、ジュンはその日から一度もサッカー部に顔を出すことができなくなってしまった。

 

怖くなったから。みんなの家族は記憶喪失になっている子供のことが心配で、被害者の会という形で年に数回懇談会を開いていることを知ってしまったから。まだ中学生なのに、大人と同じ立場を強いられることになってしまったのだ。

 

ジュンだってあの日のことが忘れられない被害者なのに。もちろん、同じような立場の子供たちは何人かいて、今となってはかけがえのない友達だけど、かけがえのない相談相手だけど、それとこれとは話が別なのだ。

 

そして、ぷっつん、とジュンの中で何かが壊れてしまった。大輔の頭にあるゴーグルを見るたびに、ジュンは思い出してしまうのである。もう、どうしようもない。いろんなことがありすぎたのである。気付いたら、ジュンは大輔に対してどうやってお姉ちゃんをやっていたのか、もう思い出せなくなっていた

 

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