(完結)おれとぼくらのあどべんちゃー   作:アズマケイ

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第77話

1995年3月4日、光が丘テロ事件発生。この日から、八神ヒカリという女の子の時間は、凍り付いたままである。

父親の書斎にあるパソコンから出てきた大きな卵から生まれた、黒くて小さな生き物は、彼女にとって初めて出会うデジモンと呼ばれる生き物だった。

 

 

飼い猫に追いかけられて怯えきった様子の生き物が可哀想になって、祖父の形見であるホイッスルを持って、元気づけるために、大好きなお兄ちゃんの真似をして一人部屋の下で寝るくらい、お兄ちゃん子だったヒカリは、ベッドの下にもぐりこんで、ぴ、ぴ、ぴ、と吹いた。その時の感動は忘れられないものになる。

 

 

ぱちぱちと目をまたたかせた小さな生き物は、ヒカリのホイッスルに合わせて、ふわ、ふわ、ふわ、とまるでしゃぼんだまのような虹色の丸を八神家にもたらしたのである。

 

 

小学校1年生であるにも関わらず、共働きの両親の代わりに妹の世話を焼く兄は、非常に自立心旺盛な少年で、一人で目玉焼きとトーストとインスタントの味噌汁を準備して、ヒカリと一緒に食べることが出来るほど、早熟した少年だった。

 

祖父の形見のゴーグルを肌身離さずもつ兄を真似して、ホイッスルをずーっと口にくわえて遊んでいるようなヒカリは、そのホイッスルによって怯えきっていた生き物が大人しくなり、ベッドから出てくるのが嬉しくて、ご飯が出来たという言葉そっちのけで、その生き物に触れたのである。

 

大好きだった祖父からもらった形見が、この生き物を元気づけたのかと思うと嬉しかったのである。

 

 

その時である。

 

 

もともと、人には見えないなにかの気配を感じて怯えきっていた様子を見せるものの、はっきりとは自覚できない。ただやみくもにいろんなものが怖いのだと自身の中で思い込み、見て見ぬふりをしてきた彼女が。

 

身を持って、異質の力を持っているのだ自覚するにいたったのは。彼女の腕の中にいた、ボタモンと呼ばれるデジモンが、コロモンというデジモンに進化したからだ。彼女は克明に覚えている。

 

 

抱っこできるくらいのちっちゃい黒い生き物が、ピンク色の目が真っ赤な生き物になってしまった。ヒカリと頭が同じくらいになった。訳が分からず硬直するヒカリがいつまでたっても、子供部屋から出てこないことに業を煮やした兄が発見したのは。

 

間抜けな光景だ。意味不明な生き物に餌をやるために、飼い猫のえさケースをとった太一が悪いのだが。餌を盗られたと思い込んで乱入した飼い猫がそのピンク色の生き物を攻撃し、進化したばかりで勝手がわからないコロモンが負けてしまった。

 

 

ネコにも勝てないのかと呆れかえる兄の横で、自分が触ってからいきなり大きくなったデジモンである。彼女の不安は芽生えた。

 

しかし、コロモンと名乗ったその生き物が、友達の証だよとファーストキスを妹、兄から奪い取るという大事件を起こした。すっかり懐いて一緒に遊んでくれたので、彼女の中ではコロモンは友達と言う存在に上書きされた。彼女にとってコロモンは大事な友達である。

 

 

正体不明の謎の生物、未知の存在であっても、しゃべるというコミュニケーションが彼女に警戒心を薄れさせた。度重なるスキンシップは彼女から愛着を生んだ。ホイッスルの、ぴ、ぴ、ぴ、という音共に飛び跳ねてくれるピンク色の人懐こい生き物は、もうすっかり彼女にとっての友達となるにいたった。

 

 

しかし、彼女の持つ異能の力は、デジタルモンスターという生き物に対して、生きることと同義である「進化」を促すものであった。彼女が無自覚のうちにコロモンに接すれば接するほど蓄積していった「進化」の光は、彼女の知っているコロモンを別のデジモンに変えてしまう。

 

 

デジタルモンスターはもともと、よほど知能に優れる種族でなければ、本能と同義で生きることである進化をした後は、過去は別の存在として映る。自分がどういった生き物であるという自我を持たない生き物であるため、普通の進化を遂げた先にいるのは、新しい自分である。頓着せずに生きていく。他者からどういった形で見えるかなど一切気にしない、ただ生きることだけを全力で生きるだけのモンスターである。

 

 

たまたま八神家に迷い込んだ野生のコロモンを分解、設計、再構築、という進化のプロセスに歩ませていき、新しい進化の姿であるアグモンに進化させてしまったヒカリは何も知らない。そこにいるのは、また大きくなってしまったコロモンである。

 

兄の持っている動物図鑑で見たこともないような、オレンジ色をした大きな大きな生き物。ヒカリをおんぶしても平気なくらい大きな生き物。でも、コロモンはヒカリのことを友達と言ってくれたから、また友達であると信じてやまないヒカリは、その急激な変化に戦慄する。

 

 

しゃべってくれないのである。なんにもしゃべってくれないのである。一言もしゃべってくれないし、こっちをみてもくれないし、ただただ辺りを見渡す。そして、突然、大好きな兄の部屋を無茶苦茶にする。豹変したとしか思えない暴挙にヒカリは驚いて、あわててコロモンと名乗ってくれたオレンジ色のデジモンに乗っかって、必死で止めようとしたのだが、全然止まってくれない。

 

 

彼女は必死で呼びかける。ホイッスルを吹いて反応を見ようとしたが、コロモンは反応してくれない。見向きもしてくれない。それどころか、ヒカリを乗せたまま、家の扉をふっ飛ばし、階段を転げるように降り、どんどん大好きな兄がいる家から遠ざかっていく。

 

 

夜である。光が丘集合団地は夜であり、ネオンの光や家庭の明かりが付き始めた明かりは、どんどん遠ざかっていく。まだ5歳のヒカリはただの普通の女の子だから、訳が分からない。意味不明な事態に大パニックに陥る。一人ぼっちである。ヒカリが大好きな兄と共にあった生活が、友達であるはずのコロモンによって破壊されていくのである。

 

 

それを最前列から見る目撃者となってしまった。兄がよく家に帰る時に使う電話ボックス。ヒカリが幼稚園の友達や近所の友達と遊んだり、兄と遊んだりする公園にある遊具や電灯、!流れていく電車や車を見ていた鉄橋。よく母親と共に駄菓子を買ってもらえる商店街、沢山の民家、車。大切な日常と言う普通の生活の風景を手当たり次第に破壊していくのである。だから、ヒカリは、叫ぶのだ。

 

 

 

涙をいっぱいに溜めて、振り落とされないようにしがみ付きながら、懸命に叫ぶのだ。友達を止めるために。幼稚園の先生に教えてもらったのである。間違ったことをしたら、それを教えてあげるのも友達だよって。

 

 

「やめて、やめて、やめて、コロモン!コロモン、おうち、かえろうよーっ!」

 

 

でも、コロモンだったはずのデジモンは、もうヒカリの知っているコロモンではないから、頭の上に乗っているヒカリのことなど、微塵も気にかけてくれない。気にする必要もない。ただ、本能が他のデジモンの気配を感じて、生物の生きるすべとして、その存在を感じて一直線に場外乱闘すべく、その存在を探すのだ。

 

 

 

どんどん破壊されていく恐怖にヒカリが恐れおののき始める。このコロモンは私の知っているコロモンじゃない。

そう、彼女が気付いた時には、全てが遅かった。

 

 

 

 

 

彼女の力は、デジタルモンスターに触れることで、効果を発揮することが出来る異能の力である。本来であるならば、その姿がアグモンとなった時点で恐怖を感じて離れてしまえばよかったのである。そうすれば少なくても、それ以上アグモンから進化することはなかった。ボタモンからコロモンに進化した時点で、感じたハズの恐怖に導かれるがまま行動すれば、少なくてもこんな大災害にはならなかった。

 

 

 

しかし、人間という異なる存在と接することができたデジモンはどうやら自我が芽生える傾向にあるようで、少なくてもコロモンの時には、うっすらとではあるものの、ヒカリや太一を友達と認識できるほどの自我が芽生えた。

コミュニケーションができるくらいまである。

   

 

それはきっと、大好きな祖父の想いの詰まったホイッスルが、ゆるやかなトリガーだったのだろう。ただ、ヒカリがあったデジモンは、ふつうの、ただの、やせいのアグモンである。だから、小さく芽生えた筈の自我は、急激なまでに蓄積された「進化」の光に押し流された。濁流の渦に飲み込まれた。

 

 

 

彼女は心優しい普通の女の子だった。友達を大切にして、間違ったことは間違ったことだって、教えてあげられる女の子だった。だから止めようとしてコロモンだった生き物に乗って、必死でくっついたのである。最悪の事態になるとも知らないまま。そして、彼女の目の前で、とうとう怖くなって逃げ出した彼女の目の前で、必死にしがみついていた彼女から、流れ続けていた「進化」のヒカリは、とうとうコロモンを見上げるほど大きな大きなバケモノに変えてしまう。

 

 

 

彼女の恐怖は察するに余りある。その時である。轟音を立てて。巨大なバケモノが上空から姿を現わしたのは。世界中に散らばってしまったデジタマを回収するために、世界各地に散らばったデジタルワールドからのお迎えが、

たまたま八神家と同じ回線を使っていて、なおかつ父親の仕事の関係上、ネットにつなぎっぱなしにしていることが多く、よく接続を遮断するのを忘れてしまう本宮家のベランダから飛び出してきたのは、それよりほんの少し前だった。

 

 

 

ベランダから舞い上がったひよこは、どんどん大きくなっていき、一気に上空に舞い上がることには巨大なデジモンとなっていた。だから、ヒカリが見たのは、その巨大なデジモンの姿だけである。コロモンが出てきたことで、兄がパソコンをシャットダウンしたせいで、追いかけることが出来なくなり、そのまま出口を探していたデジタルモンスターのお迎えがやってきたのは。コロモンだったバケモノとその突然現れたバケモノが対峙した時、彼女はきいたのである。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

という、言葉を。本宮家から現れたバケモノから聞こえたのである。ヒカリは呆然とする。ヒカリの頭の中では、もうすっかり友達だったコロモンを変えてしまったのは、自分が原因であるということは、隠しようがない現実として、辛辣なまでに彼女に突き付けられている。この街を壊滅状態に陥らせたのは、ヒカリである、と彼女は5歳であるにも関わらず、逃れられない最悪の状況で最前席から強制的に見せられている。

 

 

 

それなのに、このバケモノは、コロモンだったバケモノではなく、どんどん街をぶっ壊して行く鳥みたいなバケモノは、ヒカリに言ったのだ。ごめんなさいと。そう、彼女は受け取った。

 

だって、そのバケモノが雷鳴を落とし、ヒカリが恐怖におののいて、耳をふさいで、お兄ちゃん助けてとわんわん泣きわめいた時に、その声が聞こえてきたから、ヒカリはそう思ったのである。だから尚更ヒカリは大パニックに陥る。

 

 

コロモンをバケモノに変えてしまったのはヒカリである。そのコロモンだったバケモノと喧嘩しているのは、バケモノである。だから、ヒカリはコロモンだったバケモノがやられるのが怖かった、悲しかった、可哀想だと思ったのだ。

 

 

それなのに、そのバケモノから「ごめんなさい」と謝られてしまった。そして、空中を滑空するそのごめんなさいのバケモノ目掛けて、コロモンだったバケモノが攻撃をするたびに、光が丘集合団地は、まるで火の玉のようなものによってどんどん穴が開いていく。それを見ているしかなかったヒカリは、気付くのだ。ようやくヒカリを探し当てて、大丈夫か、と守ってくれる大好きな兄が抱っこしてくれる、背中越しにその声は大きく響き渡ったのである。

 

 

「おねえちゃんをいじめるなああああ!」

 

 

ヒカリくらいの男の子だった。その子がベランダから落っこちそうになるくらい、はい出して、叫んでいる。その子の家には、大きな大きな穴が開いていた。コロモンだったバケモノが集合団地の高層マンションに沢山開けた、

恐ろしいくらいに大きな穴くらい開いていた。ベランダに穴が開いていた。ヒカリは思うのだ。心臓が止まりそうになった。

 

 

 

ごめんなさいの化け物が出てきた所を、本宮家のベランダから出てきたことを知らないから、思ったのだ。もしかして、あの大きな穴を開けてしまったのは、ヒカリがコロモンだった友達を変えてしまったバケモノから吐き出された、炎のたまで開いてしまったのではないか?と。男の子の横には、その男の子のきっとお姉ちゃんがうずくまって泣いている。

 

 

 

急所である。ヒカリは目の前が真っ暗になった。ヒカリは八神太一お兄ちゃんが大好きである。だから、男の子はきっとヒカリくらいあのお姉ちゃんのことが大好きなんだろう、と分かったから、理解できるから、泣きだしたのである。

 

 

「ごめんなさい」

 

 

また、ごめんなさいのバケモノの声がする。どうしてあのバケモノはちゃんとゴメンナサイが出来るのに、コロモンはごめんなさいをしてくれないんだろう。怖くなって泣いているのだ、と勘違いしている兄は、ヒカリをいかにこの場外乱闘から守るかに必死で、男の子の姿は見ていても、声までははっきりとは訊きとれていないようである。

 

 

ヒカリだって、きっと、コロモンだったバケモノの下敷きになりかけて、ホイッスルが何処かに行ってしまって、

必死で探そうとして茂みの中を探していなかったら気付かなかった。あぶないって兄に抱きかかえられなかったら気付かなかった。

 

 

 

 

 

そして、兄がホイッスルを吹いた。

 

コロモンだったバケモノは、ごめんなさいの化け物を倒して、そのままどっちも消えてしまった。朝になった。ここにいてはマズイ、と判断した兄の懸命な行動により、逃げるように立ち去る中で、ヒカリはその男の子に謝り続けたのだ。

 

 

 

ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい、って。大好きな兄に抱っこされたまま、泣き続けたのだ。その日から、もう、すべてが大騒ぎである。みんな忘れてしまった、光が丘テロ事件には、ヒカリは忘れることなんてできないから、ずーっと覚えたまま、置いてきぼりにされてしまった。言えるわけがないのである。誰にもいえないのである。

 

 

光が丘テロ事件の犯人は、八神ヒカリであるなんてこと、誰にも言えるわけがないのである。だから、ヒカリの心はいつまでも1994年の3月4日で凍り付いたままだったのである。少なくても、その日までは。

 

 

 

 

 

きっと、彼は知らない。大好きなお兄ちゃんである太一でさえ、忘れてしまったのだからきっと知らない。でも、ヒカリは嬉しかったのである。あの時、サッカー部の後輩として紹介した兄の仲介で、再びヒカリの前に現れた男の子は、言ってくれたのだ。

 

 

「こいつがオレの妹のヒカリだよ。ほら、挨拶ぐらいしろよ、ヒカリ。もう小学校1年生だろ?」

 

「に……にちは……。ヒカリ、です」

 

「よしよし、でな、ヒカリ。こいつは、オレのサッカー部の後輩で、大輔っつーんだ。お前とおんなじお台場小学校の1年生なんだぞ」

 

「オレ、本宮大輔。1のAなんだ」

 

「う、うん。私は、1のB、なの」

 

「よろしくね、大輔くん」

 

「おう、八神さん」

 

「おいおい、大輔。オレも八神だぞー、ややこしいだろ」

 

「え?そうっすか?」

 

「そうそう。ヒカリでいいよな?」

 

「う、うん。みんな、ヒカリちゃんって呼んでるから、大輔くんも、ヒカリでいいよ」

 

「ふーん、ならヒカリちゃんでいっか?」

 

「うん」

 

 

そこには、異能の力を持つヒカリにとって、あこがれてやまない「普通の女の子である元気でやんちゃなヒカリちゃん」として、扱ってくれる男の子として、本宮大輔君と言う男の子は、現われたのである。

 

 

おなじお台場小学校1年生として、「普通」に扱ってくれる。「普通」にあいさつしてくれる。「普通」におしゃべりしてくれる。「普通」にお友達をしてくれる。あの日から「ヒカリちゃん」って一回も呼んでくれないけど、本宮大輔君は普通に女の子は全員名字にさんを付けて呼ぶ、もしくは名字で呼び捨てにする人だ。

 

滅多に名前を呼ぶことはない、みんなの中心にいる「普通」の男の子だったから、ヒカリは全然気にしていなかった。そういうもんなんだって思ってやまなかった。

 

ただただ嬉しかったのである。異質な力を隠すのに必死で、なかなかお友達は出来るんだけど、プライベートに突っ込んだ話とか。一定の距離を要する親しさの先にどうしても行くことが出来ない臆病な女の子にとっては。ちゃんとした一定の距離を置いてくれる本宮大輔君と言う人は、とっても居心地がいい男の子だったのである。

 

 

 

だから、それに舞い上がってしまい、本宮大輔君がどんな目で八神光を見ているのかなんて、気付けない。本宮大輔君がサッカーとお兄ちゃんである八神太一のことを良く聞いてくれるから、大好きなお兄ちゃんの話だったら沢山出来るヒカリは、もう大喜びでお友達をしていたのである。

 

そして、いつも、いつも、影で怯えているのである。どうか、どうか、本宮大輔君が光が丘テロ事件のことを思い出しませんようにって。心の中で必死で願いながら、毎日を過ごしているのである。八神ヒカリは、全てを知っていながら、彼に甘えている。

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