(完結)おれとぼくらのあどべんちゃー   作:アズマケイ

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第8話

それは1年ほど前に遡る。お台場小学校サッカークラブは、各学年それぞれが、保護者やOG・OBが会員を務める後援会の全面協力体勢のおかげで外部から指導に来てくれるコーチがいる。思いっきりサッカーをすることが出来る環境が整っていた。代表者の佐々木コーチは、サッカーをすることが大好きな子供達に思いっきりサッカーに打ち込める環境を提供すること。

 

お台場小学校を卒業しても子供たちが人生においてスポーツを愛してくれるようにすることが指導方針だと話している。関わる全ての人達に元気と感謝の気持ちを分け与える事ができるチームにするという方針のもと、多くの子供達が広大なグラウンドでサッカーボールを追いかけていた。

 

 

毎週決まった曜日と土日祝日はサッカー練習で埋め尽くされる。サッカークラブに入りたいと入部届けを職員室に提出してから早半年、大輔も小学二年生以下を対象とした関東にある小学校との交流戦や地方大会ともなれば、少しでも背番号10番のツートップの片割れに近づきたいと、一生懸命レギュラーとして日夜努力していた。

 

憧れの先輩は大輔がお台場小学校に入学したその年に、4年生でありながら、その実力が認められて6年生が主力のサッカーチームのレギュラーに選ばれたこともなおさらに拍車をかけていた。

 

 

本人は大好きなサッカー選手に憧れ、ボランチをやりたいとずっと言い続けている。しかし担当コーチからこれからたくさんの壁にぶつかり乗り越え、いろんなタイプの選手と味方として敵として会うのに、まだ早い。基本技術の向上やサッカーの基礎知識の学習、ボールの技術向上がまだまだ発展途上であるにもかかわらずそんな簡単に任せられるかと突っぱねられて長いことになる。

 

 

なかなか認めてもらえないとやっきになり、どんどんサッカーにのめり込んでいる大輔他多くの子供たち。もっぱらの楽しみは、親御さん達の差し入れ、もしくは家族が手によりをかけ作ってくれたお弁当だ。

 

もちろん大輔もその一人であり、その日も練習の合間、貴重な1時間半の休憩に入るやいなや、全速力で昼飯タイムに突入した。友達と弁当のおかずを比べたり、互いに好き勝手争奪戦を繰り広げるさなか、大輔も参戦すべく愛用のスポーツ鞄を開いたのだが、いつもあるはずのお弁当がない。

 

あれ、あれ、あれ、とひっくり返してみるのだが、見当たらない。やばいやばいやばい、もしかして家に忘れてきたのかもしれない、どうしよう、と焦りに焦りまくっている大輔は、心配そうに見つめてくる友達を待たせながらロッカーの中まで探していた。

 

 

そしたら、1、2年生チームの監督がご家族が届けてくれたぞとあきれ顔で教えてくれたので、あーよかった、と胸を撫で下ろしたのである。ありがとうございますと頭を下げた大輔に、オレはご家族にいえよと監督は至極もっともな指摘をして笑った。校門が自由に開いていて、卒業生がちょくちょく顔を見せていた開かれた学校だった時代は終わった。

 

お台場小学校でもかつての関係者や卒業生であっても学校の敷地内に入ることができるのは、運動会などの一般に開かれたイベントか、外部の人間用のゲートをくぐり、署名をして許可を得た人間のみである。忘れ物をしたら校門前や駐車場で待っているか、無自覚だった場合、こうして関係者の人に届けてもらうしかないのだ。

 

またかよ、本宮、と軽く小突かれて忘れ物の常習犯は、ごめんなさいと反省しきりである。

 

昨日の夜に準備出来るモノは全部突っ込んであるので忘れることは少ない。だが早朝のバタバタしている時間帯に入れなければならないお弁当だったり、なかなか乾かなかったユニホームだったりするとついつい忘れてしまうのだ、この少年は。

 

 

おかげで監督と大輔の家族はすっかり顔なじみである。こうして10分ほどお小言を頂戴してしまった大輔は、愛用のお弁当箱片手にようやく食事にありつこうとして、お弁当箱を開いた。

 

 

しかし、その日のお弁当は、母親が調子でも悪かったのかと心配になるくらい、チームメイト他本人からも大不評だったのを大輔は覚えている。育ち盛り食べ盛りのスポーツ少年は、好き嫌いが実に分かりやすく、彩りや栄養バランスを気にするご家族の心遣いなどどこ吹く風。

 

いわゆる真っ茶色な弁当が大好きだった。ハンバーグや唐揚げ、ミートボールなんかが入っていたらテンションが上り、嫌いな野菜が細かく刻んで紛れ込んでいるとあからさまに食欲が失せてしまう。そして仲間たちでなんとか消費して、空っぽなお弁当を家族に見せようと努力する。

 

 

なぜなら嫌いなものだからと残したり、まずいと文句を言ったりしたら、一貫の終わりだからだ。折角労力を尽くして創り上げたお弁当を否定されて怒ったご家族が、お弁当を二度と作らない、もしくは自分で作れ、買って来いと脅迫めいた脅しをかけてくる。

 

そんな攻防もまた日常茶飯事な本宮家におけるその日の弁当は、はっきりいってラインナップだけなら弁当の三種の神器が揃っていた。おにぎり、玉子焼き、タコさんウインナー。

 

あと付け合せのトマトとポテトサラダ。いつも弁当箱の傾きなど考慮せず適当にカバンに突っ込んでいるせいで、寄り弁になってしまうのが当たり前だった。たぶんいつものようにお母さんが届けてくれたから、当たり前ではあるが寄り弁にならずささやかな奇跡に感動したりしていた。

 

 

その日は特別「いつもの味」が徹底的に排除されていたのを覚えている。ポテトサラダ以外。おにぎりの形は歪だし、のりの位置がおかしいし、なんかしょっぱいし。本宮家直伝の甘い卵焼きは焦げ目がほとんどを覆いつくし、苦くて甘さなど吹っ飛んでいた。タコさんウインナーはなんかいつもの四足じゃなくて二足歩行になってたし、茹で過ぎたのか体が破裂してたし。

 

それでも物体Xや汚弁当ではなく、食べれることは食べれたので完食したはいいものの、大輔、お母さんに謝った方がよくね?これ怒ってるよとチームメイトに本気で心配された。

 

大輔の母は料理を趣味とするような人間ではなかったが、既に2年のキャリアを誇る台所の魔術師が、ここまであからさまな失敗をするなど考えられなかったのである。さすがにこれは幾度となく忘れ物をしてきた大輔への報復であることは間違いない。そう、その時の大輔は思った。

 

 

しっかりやれよ、下手したら2度とお弁当作ってもらえないかもしれないぞ、なんて恐ろしい忠告をしてきたチームメイトもいたりして、びくびくしながら大輔は帰宅した。お帰りと出迎えてくれたのは、いつものお母さんである。とりあえず機嫌が良さそうなので、ほっとした。

いつものように泥だらけにして帰ってきた大輔に風呂場に行くよう指示を出し、忘れないうちにプリントと連絡帳を渡すよう言われ、かばんをひっくり返して渡す。湯沸かし器をスイッチいれてと叫んだ大輔は、シャワーを浴びて部屋着に着替えた後、髪を乾かしながら、思い出したようにいったのだ。

 

 

「なあ、お母さん。やめてくれよな、あんな嫌がらせ」

 

「なんのこと?お母さんなにか大輔に嫌なことしちゃったかしら?」

 

「もう忘れ物しないから!だからさ、あんなお弁当つくるのやめてくれよ」

 

 

思えばその日、朝から珍しく姉貴とは喧嘩しなかったと大輔は回想する。やけに上機嫌でソレがかえって不気味で話しかけられなかっただけなのだが、本人に言ったら殺されるので大輔だけの余談である。

 

その時大輔が見たのは、明日コロッケの調理実習があるとかで昨日の晩からキッチンで練習していた、エプロン姿の姉だった。聞き耳を立てていたらしく、ばつ悪そうに顔を背けたジュンは慌てた様子で部屋に帰っていく。ぽかんとしながら姉を見送った大輔に待っていたのは、なんてこと言うのアンタ、とものすごい剣幕で怒るお母さんである。

 

 

「今日は大輔のお弁当も作ってあげるんだって、5時からずっとキッチンにたってたんだよ、ジュンは。それなのに忘れちゃって、アンタって子は。それなのにジュンは怒りもしないでお弁当を届けにまで言ってくれたんだよ、それなのに……!大輔、ジュンからお弁当もらったんでしょ?ジュンがお弁当作ったこと聞いてるんでしょ?どうしてそんな、嫌がらせだなんてひどいこと言うの、大輔!謝りなさい!」

 

 

ここでようやく大輔は自分が勘違いしていたとはいえ、ジュンに対してとんでもない暴言を吐いていたことを自覚した。大輔は慌てて弁解した。

 

 

知らない。知らない。なんだよ、それ。聞いてない!え、今日のお弁当、姉ちゃんがつくったの!?だってオレはコーチからお弁当を届けてもらったから、直接姉ちゃんからお弁当もらったわけじゃない!

 

コーチからはご家族が届けに来たってしか聞いてないから、何時もみたいにお母さんが作ったのかと思ったんだよ!何も聞いてない。知らない。なんだよ、姉ちゃん、オレ知ってたらこんなことぜってー言わなかったのに!

 

 

わたわたして同じことをループしまくっている弟に、お母さんはとにかくジュンの誤解を解いていらっしゃい!そもそも謝る相手が違うでしょう、しっかりしなさい、とリビングから追い出した。ようやく我に返った大輔は、大慌てでジュンの部屋に直行したのである。

 

その頃の大輔は、まだジュンのことを「お姉ちゃん」から、何となくチームメイトに言うのが照れくさくなって「姉ちゃん」に切り替えた頃だった。ジュンのことを知っている先輩や先生方から、自分の悪口を姉が言いふらしているということを聞いてはいたものの、まだ姉のことを信じていた時期である。素直に自分からごめんなさいと言える時期だった。

 

お弁当を作ってくれたのは嬉しかったし、今まで興味のかけらも示さなかったサッカーを頑張る自分を見てくれたのが嬉しかった。でも何で練習を見に来てくれたんなら、一声掛けてくれなかったんだろう、そしたらもっと頑張れたのに。疑問に思いながら大輔はジュンの部屋を尋ねたが、鍵がかかっていた。

 

 

ジュンは昔から不都合なことが起こると鍵を掛けるくせがあり、怒っていると直感した大輔は、いつものように「ごめん」と自分から謝り、「今日お弁当作ってくれてありがとな」と感謝した。いつもなら、仕方ないわねー、と横暴な条件付きではあるもののジュンは笑ってゆるしてくれたのだ。しかし、その日だけは何故か様子が違った。

 

 

いつまで待ってもカギを開ける音がしない。バンバン叩かないでよ、ドア壊れたらどうすんの、と軽口叩いて招き入れてくれたはずの姉の笑顔が現れない。そして、なんども開けようとノズルをまわしても返事がない。

 

これは本気で怒らせたと次第に焦り始めた大輔は、「姉ちゃん」から「お姉ちゃん」に変わり嫌われたらどうしようという焦燥感と不安からどんどん嗚咽が混じった叫びに変わっていく。

 

 

しばらくしてドアは開いたものの、そこに立っていたのは真っ赤に泣きはらした姉の姿があった。それからなにがあったか大輔はよくおぼえていない。

 

確かなのは、その時はまだ言われたことがなかった酷い罵声と拒絶の言葉を一方的にまくし立てられ、ごめんなさいという言葉を繰り返しながら俯いた。

 

ジュンがドアを閉めようとしたので、あわててそれを阻止しようとしたら、乱暴に突き飛ばされた。ジュンは一切大輔と目を合わそうとしなかった。一人になりたいから放っておいて、と素っ気の無い言葉だけが嫌に大輔の耳には残っている。

 

 

どうして一人になりたかったのか、未だに大輔は分からないままである。いつまでたっても居座り続ける弟に業を煮やしたのか、ばたばたばたと走り去った姉は、帰り際からぽつぽつと降り始めた雨にもかかわらず、傘もささずに飛び出したのだ。

 

大輔は慌てて傘を2本もって姉を追いかけ、いつもサッカーをして遊んでいる公園の真ん中で姉を見つけた。ざんざんぶりの雨の中、傘もささずに力なくブランコに座り込んでいるジュンを見つけた大輔は、声をかけようとした。ここまでは断片的な記憶だから、無我夢中だったのだろうと大輔は思う。

 

その時ジュンが笑っていたか泣いていたか、もう思い出せない。だが、そこでかわされた会話だけ鮮明に憶えている。どこか遠くで夏休み期間でも活動を続ける小学校か、中学校の生徒の帰宅を知らせるチャイムが響いていた。小学生の集団下校が見えた。

 

 

「ひとつ聞いてもいい?大輔」

 

「え?なに?なんだよ、お姉ちゃん」

 

「アンタがゴーグルを付けたがるようになったのは、八神太一君がつけてるからで間違いない訳ね?」

 

「そうだよ」

 

「八神太一君が【ゴーグルの人】だからな訳ね?」

 

「ごーぐるのひと?たしかに太一先輩はいっつもゴーグルつけてるけど……」

 

 

突然ジュンが口にした奇妙な言い回しがよく分からない。大輔はその意味を尋ねたのだが、それはきっとジュンが望んでいた回答には程遠いものだったのだろう。むしろ聞きたくなかったとでも口走ってしまいそうな悲しみがジュンの表情からはうかがえた。一瞬だけジュンの瞳に宿っていた期待が絶望に変わる瞬間を大輔は見てしまう。

 

ぎりぎりとブランコの鎖がしなって、うつむいてしまったジュンは、なにかをこらえるように口元をきつく結んだのだ。その時、ジュンはあーもう!と乱暴にブランコのチェーンをつかんだため、錆び付いているブランコがきしんだ。ああ、思い出した。確か、ジュンは、ジュン姉ちゃんは、生まれて初めて俺の前で泣いていた。

 

 

「あーあ、いっつもお姉ちゃんやってたアタシが馬鹿みたい。何やってんだか」

 

「はあ?」

 

「アンタはいっつもそうよね、なんにも知らないで、平気な顔してアタシばっかり空回りするんだ。もう疲れちゃった。もういいわ、大輔、アンタ今日から家族でもなんでもないわ。「お姉ちゃん」て二度と呼ばないで」

 

 

乱暴に傘を奪って返ってしまったジュンの姿にぽかんとした大輔は、とんでもないことを言われたことに気付いて、あわててジュンを追いかけて走った。謝った。ひたすら謝った。大衆の面前で同じ言葉を繰り返されたってめげなかった。振りほどかれた拍子に、殴られたような跡が残ったって気にしなかった。

 

たった一人の姉だ、お姉ちゃんと呼べなくなるのが嫌だった。

 

でも、大輔が「ごめんなさい」を口にするたびに、ジュンはますます傷ついた顔をする。理由が分からないのにすぐに謝るのがアンタの悪い癖よねと小さくつぶやいたのが最後だった。気づいたら家にいた。

 

 

とりあえずびしょ濡れになった大輔とジュンはお母さんにこっぴどく叱られ、その日は一言も話せないまま終わってしまった。次の日目が覚めて大輔は真っ先にジュンの部屋に駆け込んだ。もしかしていなくなっているのではないかと心配したのだ。

 

しかし、待っていたのはいつもと変わらず、何やってんのアンタ、とあっけらかんとして笑うジュンの姿。まるで昨日のことは嘘だったのか、とばかりにけろりとしていて、大輔の言葉にはあっさり「嘘」だと翻してしまったのだ。そんな事が何度か続いたある日、気づいたら大輔は姉の言うことが素直に信じられなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

それが大輔がタケルとの大喧嘩の最中に口走った、「謝っても、ありがとうお姉ちゃんっていってもぶん殴られて、おまえなんかいらないんだって公園の真ん中でみんなの前で怒鳴られたこと」、のあらましである。

 

 

生まれて初めて家族以外の人間に、自分と姉との間にある複雑な関係を積み重ねてきた一端を、ぽつぽつではあるが話した大輔は、自然と心が軽くなった気がした。

 

はあ、と大きなため息を付いた大輔に、ブイモンが大丈夫か?大輔、泣きそうだよ、と見上げてくるので、乱暴に目元を拭った大輔は、にひひと笑った。なんて言っていいのか、言葉が見つからない。そうヤマトとタケル、そしてそれぞれのパートナーデジモンの顔に書いてある。

 

 

「だから姉貴のこと話すのいやだったんだよ。嫌いになれない俺が、スッゲー情けねえじゃんか」

 

 

はあ、と自嘲気味につぶやいた大輔に、ごめんね、大輔くんとタケルが言ってくるので力なく首を振った。

 

 

「いーって、気にすんなよ」

 

 

むしろ思わぬ形で心の黒い塊が吐き出せたことを大輔は素直に感謝していた。そして大輔は、何か思うところがあったのか、思案しているヤマトを見上げる。どうした?と無愛想な眼差しが向けられた。

 

ヤマトに対する一方的な苦手意識は、もう大輔の中から完全に消え失せていた。変わらず何を考えているかよく分からないものの、タケルと自分をえこ贔屓なしで真剣に、対等に叱ってくれた人である。

 

 

ただちょっとだけ、いやだいぶ?考えていることを行動とか体で表現するのが苦手な人なのだ。それでも本気でタケルや自分のことを1番に考えてくれる人であると分かった。それだけで十分だった。

 

なるほど、太一と空と仲良しなわけである。ようやく納得いった大輔は、改めてこんなお兄ちゃんがいるタケルが心のそこから羨ましいと思った。そして、この人ならなんか教えてくれるかもしれない、と思い、大輔は思い切って口を開いたのである。

 

 

「ヤマトさん、姉貴、なんであんな事言ったと思います?」

 

「うーん、そうだな。大輔、何個か聞いていいか?」

 

「え?あ、はい」

 

「ありがとう、と、ごめんは言ったんだよな?じゃあ、ごちそうさまは?おいしかったは?またつくってほしいは?ついでにいうと「サッカーを見てもらえたらもっと頑張れるから、一回練習見に来てもらいたい」って正直に言ったか?」

 

「えー、そんな事恥ずかしくて言えないっすよ」

 

「言ってないんだな?」

 

「………はい」

 

「俺の意見を言わせてもらうとすれば、ごちそうさまが言えないお前は、もし俺の弟だとしてもジュンさんと同じでぶっ飛ばしてたと思うぞ、正直」

 

「えええっ?!」

 

 

予想外の過激な返答を真顔で返された大輔は、ブイモンと共に思わず声を上げた。ヤマトの物騒な物言いに同じくびっくり仰天したタケルが、どうして、お兄ちゃんと訪ねてくる。ヤマトはいいか?よく聞けよと前置きすると、うっすらと笑ったのだった。

 

 

「実はこう見えても、俺は料理が得意だ」

 

「………はい?」

 

「返事は?」

 

「へ、へえ、凄いっすねヤマトさん」

 

「まあな。さっき説明したとおり、俺は父さんと二人で住んでるんだ。でも父さんは全く料理ができない。だから俺がするしかなかったんだ。ちなみに野球部の大会とか、練習とかで必要な弁当は全部俺の自作だ。金かかるしな」

 

「はあ」

 

「大輔、お前料理なんてしたことないだろう。大変だぞ。目玉焼きがうまく作れないせいで、その日のテンションががた下がりするくらい落ち込む」

 

「ええっ」

 

「だから分かるんだ。弁当を作るっていうのは、思いつきでできるようなもんじゃないんだってことがな。不恰好だって、失敗だらけの弁当だって、ジュンさんがお前のために作ってくれた弁当だろ?俺なら、「ありがとう」より「ごちそうさま」が欲しいな。「ごちそうさま」って言葉は、食べた人にしか言えない言葉だろ」

 

「………なるほど。でも、言い過ぎじゃないっすか?」

 

「まあ、俺もジュンさんじゃないから、あってる自信はないけどな。俺がそう思っただけだ。あとは、「お姉ちゃん」から「姉ちゃん」に変わったのもその頃なんだろ?何でやめたんだ?」

 

「だって恥ずかしいじゃないっすか」

 

「じゃあ聞くが、太一に聞いたんだけど、お前最初は「太一先輩」「空先輩」って呼んでたそうだな。なんで「そのころ」から「太一さん」「空さん」って呼び方を変えたんだ?」

 

 

真っ直ぐ見下ろされる視線に、大輔は思わず顔をそらしてしまった。うまく言葉が紡げない。図星である。ばれている。誰にも口にしたことないのに。不思議そうに相方の名前を呼ぶブイモンに、この動揺によってうるさくなった心臓の音が聞こえないことを祈りながら、大輔は必死で言葉を考える。なんとか言い返さなくては。

 

ここで言いよどんでは認めてしまうといっているようなものではないか。必死で考えるものの、半ばパニック状態で真っ白になった頭はろくに機能せず、ただぞわぞわとした悪寒がする。

 

 

やっぱりな、とヤマトが呟く言葉にびくりと大輔の体が揺れた。大輔が「太一先輩」「空先輩」という、お台場小学校サッカー部の先輩、後輩の関係を連想させる呼び方から、唯一二人だけ「太一さん」「空さん」という単なる上下関係に使われる汎用性高い呼び方に意図的に変えた時期は、大輔の中で「ジュン」という「お姉ちゃん」像が揺らぎ始めた時期と完全に一致する。

 

 

あの日、「お姉ちゃん」であることが「疲れた」、とはっきり言い放ったジュンの言葉は、今も強烈な印象をもって大輔に打ち込まれていた。それはさながら、自分には「価値」があると自己肯定の礎となる条件付きではない、無償の愛情注がれて育つはずの赤子が、その対象である母親から、母親ではなく女としての一面を見せられる不幸に似ている。

 

それは、生まれて初めて大輔の目の前で「ジュン」が「お姉ちゃん」であるという存在を脱ぎ捨て、一人の人間として現れた瞬間でもあり、未知の存在でもある「ジュン」というタダの人間を目撃した瞬間だった。

 

 

大輔は知らないのである。「ジュン」という一人の人間は生まれた頃から大輔にとっての「お姉ちゃん」であった一方で、「本宮ジュン」というはっきりとした自己を確立しようともがく思春期の兆候が見え始めた、13歳のちっぽけな子供であるということを。

 

そして子供から大人へと変化していく中で、今までと同様に「お姉ちゃん」であることを無条件に求められた「ジュン」は、「お姉ちゃん」の象徴である大輔の腕を振り払おうとしたのだ。

 

 

「ジュン」は気付いていたのである。「お姉ちゃん」であることをやめた「ジュン」ではなく、新しい「お兄ちゃん」「お姉ちゃん」の形である「太一さん」「空さん」という存在が、大輔の中にしっかりと芽生えてしまっていることに気付いてしまったのである。

 

本当は大輔は、八神太一のことを「太一(お兄ちゃん)」、武之内空のことを「空(お姉ちゃん)」と呼びたいのである。しかしそれはできないと分かっているから、さん付けにする。

 

 

なぜなら、八神太一は、どれだけ頑張っても本宮大輔のお兄ちゃんにはなってくれないからである。八神太一には、八神ヒカリという3つ年の離れた妹がおり、大輔と同じ年であるため。

 

そして太一が妹の存在を公言するほど大切に思っていることを、言葉の節々から、大輔は嫌というほど感じていた。3年前太一は光を殺しかけたことがあるという。体調が悪い妹の世話を頼み、留守番をお願いして出て行った共働きの両親。お兄ちゃんだからといわれ、調子にのって頷いたものの、思い出した友達と遊ぶ約束。

 

遊びたいさかりの太一は、風邪を引いていたヒカリを無理やり外に連れだして、友だちと一緒に遊ぶという暴挙に出る。もともとお兄ちゃん子だったヒカリは、丁度いろんなことを真似したがる時期だったため、出かけるという太一になんの疑問も抱かずついていってしまう。

 

 

そうしてサッカーに夢中になる太一は、辛さを我慢してベンチでずっと待っていた光のことなど忘れ、陽が沈むまでさんざん遊び倒し、我に帰ったときには風邪をこじらせ高熱で倒れた妹がそこにいた。搬送される救急車、扉の向こうに運ばれる妹、そしてこっ酷くしかる母親と緊急連絡で慌てて帰ってきた父親。

 

あの時、太一は心のそこから妹を失うことを恐怖した。そして負い目が生まれた。俺は「お兄ちゃん」にならなきゃいけないんだと、その時初めて太一は思ったという。遊び半分の戯れの中で大輔は太一に「お兄ちゃん」と呼んでもいいかと聞いたことがある。可愛い後輩の戯言に太一は少し困った顔をして、ごめんな、と笑ったのである。

 

俺は八神ヒカリだけのお兄ちゃんであって、八神太一は八神ヒカリのお兄ちゃんでなくてはならない。だから八神太一は本宮大輔のお兄ちゃんにはなれないと、冗談めかして言われたのだ。だからせめてもの抵抗で、大輔は「先輩」呼びから「さん」付けに呼び方を変えた。

 

 

どうやらすでに見抜かれている大輔の心理、ことごとくこの兄弟は自分とは相性が悪いと大輔は痛感した。やっぱ苦手だ、この人。もちろんヤマトも、始めこそ姉の心理を完全に理解しろという無理難題を押し付ける気はなかった。

 

 

しかし、大輔は無意識ながら「ジュン」という「お姉ちゃん像」が揺れ動いたという事実を感じ取っており、全く知らない「ジュン」という存在が現れたことを知っていながら、怖くなって距離を置いたと気付いた。大輔はそこまで理解できる子供だと判断した。だから中途半端にヒントを出して投げたのだ。

 

あと一歩。姉に嫌われていると思い悩む大輔が、その泥沼から這い上がるのは目前なようにヤマトには見えていた。

だから畳み掛ける。

 

 

「お前、ジュンさんと太一や空と比べて、どっちが好きだ?」

 

「え?」

 

「嘘つくなよ、重要なことだから」

 

「………………そりゃ、姉貴に決まってるじゃないっすか。嫌われてたって、姉貴は俺の姉貴なんだし」

 

「そこまで分かってるなら答えは簡単だな、大輔。あとは自分で考えろ」

 

「えええっ?!そんな、俺考えるの苦手だから相談したのに!」

 

「まあ、ひとつアドバイスしてやれるとすれば、理由も分からないのに速攻ごめんなさいって謝るのは、怒られたから、怖いから、っていう理由だけで、反射的に謝ってるようにしかみえないこともあるから、

注意した方がいいってことだな」

 

「でも、その理由を教えてくれなかったんすよ。どうしたらいいんすか、そんなの」

 

「「お兄ちゃん」や「お姉ちゃん」はお前の考えている以上に大変だってことだ。がんばれよ、大輔、」

 

 

さあいくか、二人とも。太一たちが待ってる。大輔の頭から離れて言った手が先導する。思わぬ宿題を残されてしまった大輔は、意地悪だこの人と心のなかでぼやく。ヤマトと大輔のやりとりを聞いていたタケルは、パタモンを抱えて大輔と同じように首をかしげている。

 

分かったか?と一抹の望みを託して聞いてみたが、全然分かんないや、とタケルは肩を落とした。分かった?大輔、と疑問符を浮かべているブイモンに、頭を抱えた大輔はわかんねーよ、とつぶやいた。

 

 

やがて大輔は知ることになる。「お兄ちゃん」や「お姉ちゃん」という存在はあくまでも、大輔の見る絶対像に過ぎず。

 

彼らには彼らなりの苦悩が有るということを。しばらくして、他ならぬヤマトと太一から教わることになるのだが、今はまだ知るよしもないのだった。

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