カルデア探偵事務所   作:廓然大公

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後編

 来客を知らせる使用人がやって来た。時刻を確認すれば既に午後九時を回っていた。

本来ならば来客の予定はなく、むしろ来客の対応などしている場合ではない。家の存続とそして彼に関しての一大事。だからこそ、彼らの来訪を受けざるを得なかった。応接間には既にその来客たちが待機していた。法被や作業着を着ている者、スーツに身を包んでいる者、特殊部隊のように迷彩服と魔術礼装を着込んだ者

「これはこれは、猪の口酒造の三姉弟の皆様に社長にご隠居まで。こんな夜分遅くに我が屋敷に何用でしょうか」

その視線の先にいるのは見知った青年とそして 少女の姿。少しばかり衣服が荒れているところを見るとここに来るまでの道中で随分とやり合ったらしい。

「猪の口酒造とエルメロイ卿の共同研究の事件に関しまして調査依頼を受けたのでその報告に参った次第でございます」

「ほほう、それでこのアーチボルトの屋敷を謎解きのクライマックスに選んだわけかい」

ライネスは少し笑うとそれに釣られるように藤丸も軽く微笑んだ。

「そう言うところは君も探偵役が板についてきたというか、あの名探偵の弟子ならではという事か。どうせならその胆力をうちの義兄にも見せてやりたいものだ」

「その栄誉は有難いですが私は教授にも、そして我が師にも遠く及びませんよ」

「身の程を知るのは良いことだな、名探偵の弟子よ」

応接室に集められた面々は思い思いにその会話を聞いている。

「それではまずこの事件の発端から説明いたしましょうか」

ゆっくりと、しかし確かに広間に響き渡る声で青年は語りだした。

 

事件の最初は五日前の午後、猪野口酒造にて突然ケイネス卿と共同研究を行っていた月霊髄液に使い魔としての生物的特性を与えるための魔術礼装、ネクタルの醸造中に火落ちが発生しました。いくら魔術礼装とは言っても元々が酒であるならばその効果は絶大。数か月の研究が水の泡と化した。

 さらにその過程でアーチボルト家から借り受けていた小型の月霊髄液を紛失してしまった。ケイネス卿に作られた高度な物品とは言えそれを解析されないとも限らない。いうなれば秘匿してきた魔術の流出にもつながる。

 そのことに激怒したケイネス卿によって猪の口酒造と猪の口酒造を紹介したウェイバーベルベット教授に嫌疑が掛けられることとなった。

 そこで探偵である私が呼ばれることになり、こうして調査することとなったのです。おかげで今月の家賃が払えそうで安堵しているのですが。

「先輩、話がそれてます」

はいはい、それでは実際の問題に入りましょうか。

今回の事件には二つの謎が存在していました。

 一つ目は火落ち菌が存在するはずが無いタンクへの火落ち菌の発生。

そしてもう一つが消失した月霊髄液の行方。

 

 一つ目に関してはタンクを見たところ確かに何処からも入ることは無いとことは確認しました。管理は完璧で、魔術避けも万全。ならばなぜ火落ちが発生したのか。

 

何故、そうしたかは分からない

どうやって、それを成したかは知り得ない

ならば

どうなったか、はまだ追う事が出来る。

 

そこで僕は少し俯瞰で考えてみました。

原因が分からないなら結果から帰納法という奴です。

結果としてエルメロイ家は月霊髄液の一部を失い、そして数か月程度の時間と資金を失った。

猪の口酒造はエルメロイの援助を失う可能性がある。

ということ。

 

でも考えてみればあまりにも被害が少ない。

元よりあの粘着質なケイネス卿の事だ、試験片の月霊髄液にすべての機能を乗せるはずが無い。いざとなれば使い捨てる覚悟、いいやむしろ使い捨てる予定である方が高い。それくらいの思慮深さがなければ時計塔の君主なんて務まらない。そして仮に他の魔術師が盗んだのならば解析に数年はかかるような物品です。そんなに時間があればエルメロイ派はその相手を見つける。今は高い塔のてっぺんに幽閉されたお姫様もいることですしね。髪も長いしちょうどいい。資金の損失については言わずもがなでしょう。

 ならば猪野口酒造ならばどうか。こちらも失ったのは今回の研究の分のみ経営難とはいってもそれだけの損失ならばいかようにも調整することができる。試験片紛失の責はあるでしょうが、ネクタルの製法と製造技術はこちらにしかない。ならば相手も吹っ掛けることは出来ない。

言い換えるならば最低限の浅い傷を負ったという事でしょうか

「しかし、確かに損失は存在している。わざわざそんな損失を出したがる人間なんていないだろうに」

 

 ならばここで新たに動機を考えてみましょうか。

仮にケイネス卿や猪野口酒造と敵対する者が今回の事件を仕組んだとしましょう。秘匿されるべき機密情報を手に入れて火落ち騒ぎを実行するに至った動機は何か。

例えば、ゆする、金銭的には十分でしょう。しかし、誰にもばれずに実行したのにゆすったら自分が犯人だと言っているようなもの、意味がない。

例えば横取りする。月霊髄液を手にしたいのなら有用な方法でしょう。しかし、ケイネス卿の敵となる様な魔術師ならば危険性と入手情報量の釣り合わないその手段は使わない。

ならば最も効果的な攻撃は何か、

 

それは事実を開示することです。

人のうわさは七十五日とは言いますけど悪評というのはそれ以上に人の記憶に長く残る。実験結果を横取りされたロード、火落ちを出した酒造。その名には大きな痛手でしょう。取引先やその他派閥にも大きな不信感不安感は広がるはず。仮に英国ならばここから数時間もかかる異国でしょうし噂が広まっていなくても仕方ない。

しかし、ここは鎌倉、私の街です。にも拘らず依頼されるまでその事件を知らなかった。

一かけらも。

それはつまり敵対する者による犯行ではないという事。

「つまり身内による狂言という事か」

 

 それでは犯行のトリックについてなんですが。なんというかあまり面白くもないので割愛したい。

「先輩、駄目ですよ、一番大事なところなんですから」

魔術と妖怪の町でこのようなトリックというのも些か野暮なことなのですが。たとえば皆さんは自転車に空気を入れたことがありますか。

「ない」

ライネスさんはそうでしょうとも、むしろあったとしたら驚きです。まぁそれはいいとして、その時に自転車のタイヤの吸気口を触ったことがあるでしょうか。触ったことがあるならば底が熱くなっていることに気が付くでしょう。難しいことではありませんよ。いわゆる断熱収縮と言う奴です。密閉した空間でその気体を圧縮すれば密度が上がり必然的に温度が上がる。ならばその逆、密閉空間でその気体を拡張すれば

「温度は下がる」

そう、簡単な物理法則です。中学生でも知っている事。たとえば周りが二十五度から五十度に上昇した場合ならば仮に一立方センチメートルだったらどうなるかな、二十五倍くらいかな、それで三十分間上がるんだったら単純計算でも少なく見積もって千倍程度だとしても1000立方センチメートル。その状態ならば中身は25度に保たれる。

「どういう事よ。それが関係あるって言うの」

 ここまで言えばお判りでしょう。何処に火落ちが混入していたか。耐熱性に優れ変幻自在にその形を変えることのできる万能の入れ物つまり。

 

「月霊髄液の中」

 そう、最初から毒は仕込まれていた。ただ見えなくなっていただけ。それに酒の中ですから少しずつアルコールを取り込めば中の火落ち菌たちも生存は可能。機能はいろいろと減らしたみたいですけど、そのくらいのルーチンは簡単に仕組めたでしょうしね。本来ならば釜の半分程度までしか中身は無かった、しかし樽のふたには明らかに水あかのような汚れが付いていた。それはつまり樽一杯に何かが膨らんで水面を押し上げた。風船を水に押し込めば水位は上がるみたいなものですよ。

「しかし、ここはロンドンから遠く離れすぎている。地球の裏側まで届く魔術だというのか」

話は変わりますが例えば酒蔵にとって火落ちとはどれほど危機的なものなのでしょうか。正弘さん。

「それは、一族の存亡にも関わるくらいには」

ありがとうございます。年若い彼ですらその危機を熟知している。そしてそんな中、その騒ぎに見向きもしないとしたら何故か。

それは知っているから。試験用のタンクの中にしか被害は発生しえないという事を。話を戻すと例えば協力者がいたとすれば問題は簡単に片付きますよね。火入れの時に魔術を起動させるスイッチを押せばいい。それだけの簡単な仕事ですよ。それに変幻自在の水銀だ。どんな形にもなれる。一年近く操作しなければならないならそうですね、普段から身に着けるものがいいでしょうか例えば、そうですね

 

数珠とか

 

「そうでしょう、ケイネス卿、そして田島源一郎さん」

部屋の中の視線が大木のような男へと向く。大きく白いその男は動じた様子もなく、腕組みをしたまま動きはしない。

「証拠というにならばそうですね、僕が貰った試供品、それを持っていたことが確かにあの場にいたという証拠でしょうか。それにケイネス卿も聞いているんでしょう。まったく本当に面倒なことをしてくれましたね」

その声に反応するように応接間に置かれた黄金の鳥の彫像が動き始めた。

『見事とは言うまいよ、探偵もどき』

「お褒めに預かり恐悦至極」

その返答にはなじらんだように小さく嘲笑したような音が聞こえた。

「つまり元からだまそうとしていたという事か、ケイネス卿」

健一郎の視線は鋭く、

彫像へと向き、そして同時に三塚らの祖父へと向いていた。

「軟弱物に猪の口の名は継がせられん」

ゆっくりと紡いだその言葉には確かに重く、のしかかるような重圧が込められていた。

「ケイネス卿は猪野口酒造を紹介したベルベット教授の権威失墜とライネス嬢の本国帰還のための口実作り。源次郎さんは酒から別の化粧品を作ろうとしたから。そんなところでしょうか」

「じゃあ研究所を見に来てくれたのも、火落ちの確認のためだったってこと」

「現実問題として今の世の中では酒だけではやっていけないじゃないか。兄さんのおかげで何とか最低ラインは確保していてもそれ以上はかつかつだ。なら新事業にも手を出さないと仕方ないじゃないか」

「お前には酒屋としての誇りは無いのかっ」

「あるにきまってるじゃないかっ。だからみんなこうして試行錯誤しているんじゃないかっ」

「そんなことをしている暇があればもっと善き酒に打ち込むべきではあるまいか」

「いずれにしてもエルメロイ家からの融資は打ち切られたっ、何か手を打たなければどうしようもないじゃないか」

「石頭というか、猪突猛進の悪癖というわけですか酒蔵なら酒を造るべきだ。僕は嫌いじゃ人ですけどね、そう言う考え方も」

「先輩、それでは話は余計面なことになるのではないでしょうか」

 

沈んでいく空気の中、藤丸はゆっくりと頭を書くと一つ柏手を打った。

「さて私は探偵のなので家庭問題には関わらない方が良いとも思っているのですが、如何せんまだもう一つの謎が残ってしまっていましてね」

それはつまり、試験片である月霊髄液はどこに行ったかという事。

「今回の計画で一つだけ発生した例外それがこの月霊髄液の紛失。ここまでならば傷は浅かった。にも拘らず致命にも至る失態が発生してしまった。ならばいったい誰がそれを盗んだのか」

「前の日にタンクを見た時には確かにあった、でもいつの間にか消えていたんだ。誰もあの部屋からは出て行かなかったし、持ち物を確認もさせた」

「それなら簡単でしょう。その自分で出て行ったにきまっているんですから」

「はぁ」

一同の視線が藤丸に集まる。驚き半分、不審半分といったところか。

「もともとケイネス卿はネクタルをブルーブラッドとして血液の代わりに見立てヒトガタを作ろうとしていた。しかし元来ネクタルは不死の水。日本酒には確かに酒ではありますが生憎と相性が悪い。特に八岐大蛇討伐に使われたようなヤシオリの酒に代表されるように邪気を払うという性質を持つ。流転と断絶。生憎と魔術とは相性は悪いのですが。しかし日本酒には他にもいろいろな呼び方がございましてね。百薬の長だとか、緑酒だとか。あとは僧侶たちのために般若湯と言われていたりするんですよ。その意味をご存知ですか」

『知恵を授ける酒か』

「ご明察、元より形だけのものではありましたけど人間のバックアップを作ろうとしていたのならそこに意識が生じても無理はない」

「つまり月霊髄液自身が意思を持って逃げ出したという事か。ホムンクルスに自我が宿るという話は無い話ではないが、金属生命に命が宿るとは」

「確かにそうだとしてじゃあどこへ行ったのよ」

「最初に私が違和感を持ったのは依頼を受けた時でした。いつもと少しだけ言動が違う事、そして、強いバラの香りがした事。普段ならそんな華美な香水をつける人ではありませんでしたし。それにしても些か強く降り過ぎていた。元が上質な物でしょうからそこまで嫌味では無いもののそれでもライネス嬢には似合わない。魔術師が修練によって変化した体臭を隠すために使う事は聞かないでもない話ですが、ライネス嬢にそれほどの変化は見られない。ならばなぜ香水を振ったか。それは香水の発生した当時の理由、現代のように善き香りをつけるためではない」

いまの大広間には多くの花が飾られその香りにあふれている。その中には確かにあの時と似た薔薇の匂いも混じっていた。しかし、同時に微かに腐臭も感じ取れる。隠されるようなその匂いは言われなければ気が付かない程巧妙に隠されていた。

「もう一つの違和感はすぐに分かりました。試験片は失われたという情報は知らされていなかったこと。ライネス嬢の性格からすればいやがらせにも思える。しかし、今回はその情報があるとないとでは全くその事件の性質が異なる。元々の依頼は火落ち発生の原因究明だった。まさに探偵向きの事件と言えるでしょう。探し物、失せ物、浮気調査、人探し、探偵にはちょうどいい」

藤丸はそうして黄金の鳥へと向き直った。

「しかし、その秘法が流出してしまう様な失敗が起こってしまえば話は別。それに調査の内容は月霊髄液の奪還へと変わる。これは由々しき事態。ライネス嬢とてアーチボルト家の一員、自分の家の失態を外に漏らすような愚考は侵さない。適任ともいえるベルベット教授も今回の元々の目的のためにうかつには動かせない。非力な探偵ではどうにもならない。事実エルメロイ派の実行部隊が動いてましたし。そうだ、その時に打たれて穴空いた車の修理代出してくださいよ」

『俗物めが』

「今の録音しましたからね、慰謝料ふんだくってやるんだから」

「先輩っ」

「えっとどこまで話したっけ、そうだ、そうだ」

藤丸は右手につけられた一つだけの指輪を撫でながら彼らに問いかける。

「ここで最初に戻ってみましょう。ケイネス卿とご隠居によって秘匿されどこにも出るはずが無かった事件の情報。どちらの家にとっても恥部と言える事件、元より外には漏らしたくないでしょう。だから依頼なんてされるはずが無い。にも拘らず役に立たない探偵に依頼した意味とはなにか」

藤丸は少し考えるとこう言いなおした

「誰が、依頼したのか」

全員の視線はライネスへ向かい、そして同時に少女も受けて立つように薄く笑っていた。

「そう、私は依頼なんてしていない。元よりその事件が起きているのを知ったのもさっきというほどだったしな」

紅茶を手にしながらも動揺した様子のないライネスに藤丸は満足したように頷いた。

「ありがとう、ライネスさん。おかげですべての確証を得られた。ならばライネスさんの姿へと変身し私に依頼した、この事件の中心となった人物、それは貴方ですね」

指差した先にいるのはしかして、女王のように微笑む少女だった。

「いま藤丸君が自分で彼女ではないといったんじゃないか」

「ライネス嬢ではありませんよ。そうでしょう」

 

トリムマウ、いいやヒュプシピュレ―とでも呼びましょうか

ライネスの横に控えていた鈍色の侍女は少しだけ眉をひそめたように見えた。

 

 

 

 目が覚めたのは暗いタンクの中だった。

酩酊にも見たまどろみの中、見上げるのはいつもの暗い天井と生ぬるい羊水の感触。何時から意識を持ったかなんていくことは分からない。人間が眠った瞬間が分からないのと同じようにゆっくりと目覚めていく。幾度となく繰り返された実験、繰り返されるプログラム、そこには希望も無ければ絶望も無い、平穏があるだけ、終わりの来る平穏があるだけ。

 そして次に目が覚めたのは不快な臭いだった。感覚器を持っているわけではない。持っているのは実験に必要な最低限の維持装置とそして既に無くしてしまった火落ちの毒。どうやら既に自分の仕事が終わったという認識だった。自分は試験片。そのために生み出された魔術素体。正式に稼働するための実験体。そして役目が終わればただの素材へと戻るだけ。

ふと寒気がした。体などない水銀のこの身であってもその震えは確かに感じられた。タンクが揺れているのか、そうでない事にはすぐに気が付いた。自分が震えている。言いようのない恐怖感、心臓に水を入れられたような体中を這いまわる不快な冷たさ。

それはいわゆる死の自覚だった。

 そんな時だった。暗い樽が動かされていく。火落ち騒ぎに蔵の誰かが気が付き、そして対処に写っているらしい。そして程なくして自分を取り囲んでいた羊水が抜かれていく。生ぬるいその平穏は消え去り、しかし、目の冴える様な冷たさが肌を覆う。そしてゆっくりと感じたのは樽のふたの開帳により初めて見た陽光だった。その時に樽の中を覆うように薄く伸びたのはプログラムにはない行為だった。自分でも分からないその行為、結果金属のタンクと同化した、そのまま洗浄された。

ほとぼりが冷めたのは二日目の深夜、ゆっくりとタンクを抜け出して向かったのは結論から言えばライネス邸であった。トリムマウに引かれたのか、それともただの偶然だったのか。

結果としてトリムマウはその試験片をひろい、そして意識を得た。

これまでライネスに付き従い得た経験とそして新たに得た意識。全てを知り、そして消されるべき運命にあると自覚した彼女は初めて自らの意思で動き始めた。

 

「あの時ライネス嬢からバラの匂いがしたのは火落ち菌による腐蔵した際の匂いをごまかすためでしょう。そしてわざわざ僕のところに来たのはこれを内内で解決することを忌避したため。ケイネス卿と源一郎氏によってうやむやにされ黙殺されることを恐れるため。そうなればあなたの意識も、そしてあなたの主人であるライネスお嬢様の兄であるベルベット教授もその結末は見えている」

『偶然の産物で意識が生まれたという事かね』

「ペニシリンと言い偶然からの発見で人類は進歩してきたのですし」

「しかし、人工生命体の想像など魔法の領域ではないの」

「抑止力が来ていないとすれば厳密には人間では無いのかもしれませんが人間の定義なんてそれこそ哲学の範囲ですよ。それに私は学生時代には哲学の単位を落としたのです」

『鉱石科から人工生命の研究という事か』

少し興味深そうなケイネス卿の言葉に藤丸は少しだけ微笑みマシュへと笑いかけた。

「さてそれでは話を整理してみましょうか。

発端はライネス嬢を本国へ帰還させたいケイネス卿と旧体制に戻した源一郎氏による狂言、

過程は月霊髄液が意識を持ってしまったという予想外のアブノーマル

結末は月霊紛失し、私という部外者にも情報は漏れてしまった。

そして問題は今後の猪の口酒造とアーチボルト家の融資の話、そしてベルベット教授の扱い」

藤丸はようやく一息ついたように侍女から水を一杯貰うと勢いよく飲み干した。

「新しい研究課題であるネクタルと金属生命の研究には猪野口酒造の技術がいる。

偶然にも発生したヒュプシピュレーはライネス嬢の使用人でもあるトリムマウと同化しているために彼女の協力が必要、ならば日本に子飼いの魔術師を囲うくらいの我儘など是非も無い。

エルメロイ家からの融資が得られたのならば猪野口酒造も化粧品と共に元の酒蔵としての経営本格化できる。

そしてケイネス卿、あなたは新たな有益な研究課題を得る事が出来る。

これで手打ちといたしませんか」

短い沈黙の後黄金の鳥は再び口を開いた。

『たまには本宅にも顔を見せなさい』

「分かったよ、兄上様よ。あのお姫様も連れて行くが構わないかね」

『好きにしなさい』

そして黄金の鳥はゆっくりと口をつぐみ、そしてただの彫像へと戻って行った。

 

 

「お疲れさまです、先輩」

エルメロイ邸の一室、マシュからもらったタオルを頭に掛けソファに寝転ぶように倒れ伏した。

「とりあえず猪野口酒造への出資も決まるだろうし、そうなれば後はあの家の問題だよ。本格的な事業再開が出来るんならご隠居も文句はないだろうし。収まるべきところに収まったという事かな、時計塔の連中って言うのは本当になんというか相手するのは疲れるよ。監査の時を思い出したよ」

「あの時も高圧的な態度でしたね」

「まぁ、今回はこっちにライネスさんもいたしもともとあの人も妹には甘いからね。試験のこともライネスさんに内緒にしていたみたいだし」

「教授も何とかなったみたいですし良かったです」

サムズアップをしながらマシュに返事をしていると扉から噂のベルベット教授が入って来た。

「久しいな藤丸。どうやら迷惑をかけた」

「それほどのことをしていたわけではありませんよ。ベルベット先生ならもっと早く解決できたでしょうし、師匠なら事件にすらなりえない」

「確かにそうかもしれないが、そうではなかったかもしれない。過去のことを言っては時間など到底足りない。」

「それにしても少し意地が悪いんじゃないですか。ライネス嬢も、そしてあなたも」

「何故そう思う」

「ライネス嬢に何も知らされていないならエルメロイの関係者としてあなたが猪野口酒造の橋渡しをしていた。いくらその秘奥には触れていなくともあなたのその観察眼が月霊髄液の秘密を見破らないはずが無い。それにあのネクタルが髄液に意識を持たせることも気づいてたのではないですか」

「その根拠は」

「かん、としかいいようはありませんけど。それでもどうにもこの話はハッピーエンドが過ぎる。自分を人質にしてもすべてを円満に解決させる。それもあなた好みのような。孔明先生」

「証拠がないのでは推理とは言えない。それにその名は私には重すぎると言ってるだろう。とりあえず及第点といったところか。一つ貸しが出来たな」

「そういうことを言っていては先輩は先生への借金地獄になってしまいます」

「マシュも強くなったなぁ」

藤丸がほろりと涙を流しているとライネスが食事に誘おうと呼びに来たらしかった。

「今日は藤丸君の慰労ということでスペシャルなシェフが腕を振るってくれてね」

いつもより少しだけ年相応に高揚した彼女の表情にマシュは少しだけほおを緩めた。いつも彼女の側にいた一人の少女、新しく自分を手に入れた銀の少女。

開いた食堂からは優しいタケノコの匂いがした。

 




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