由比ヶ浜にタピオカを奢ったら、みみみに※※された。   作:菓子子

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十五話『蛇足』

 七海が勉強面に関して僕を頼ろうとしていること。

 彼女の目的が、自分と同じ大学を受験し合格すること。

 しかし、思うように成績が上がらず、そもそもその大学を受験できない危機に瀕していること。

 頼られることを拒んでいたけれど、先程の三者面談の一部を目撃して、その気持ちが揺らいでいること。

 仮に僕が手を貸したとして、七海の成績が上がる保証はないこと。

 もし上がらなければ、七海の貴重な時間を奪ってしまうこと。

 その事に対して責任を持つのが怖いこと。

 

「……」

 

 頭の中でグルグルと渦巻いていたものを、隣に立って歩いている平塚先生に僕はそのまま吐き出していた。

 それだけで、僕の心が軽くなる気がした。

 きっとこれが、甘えるということなのだろう。

 僕は今、平塚先生に甘えている。

 気恥ずかしいような、返って清々しいような、なんともいえない気持ちだ。

 

「……そうか」

 

 話終えた後、相槌も打たずに目を細めていた先生は、そう一つだけ零した。

 

「お前はどうしたいんだ?」

「……分かりません」

「そうか。……なら」先生は言う。「やってみろ」

 

 言って、先生は立ち止まる。

 ラーメンのおかげで、少しだけ温度の上がった息を吐く。

 

「君は賢いから、そう言わなければ『助けてはいけない理由』を探してしまうんだろう。さっき君が言ったこともその最たる例だ。受験期の七海の貴重な勉強時間を奪うことが怖い? そんなもの、やってみなければ分からない。物事に100%はないし、悪い可能性についての議論は詐欺師がやることだ。前途ある学生がすべきものじゃない」

「……そういうものですかね」

「といって、君が難色を示すことも織り込み済みだ」

 

 意地の悪いことを言う先生を見ると、確かに意地の悪い顔をしていた。

 

「一つ訊いていいか」

「はい」

「もし君が新しい勉強方法を実践してみて、結果そこまでテストの点数が上がらず失敗してしまったとしよう。その場合、君はどうする?」

「……どうして失敗してしまったのか、考えます。考えて……もし原因が分かれば、改善しようとします」

「それと一緒さ」

 

 平塚先生は両ポケットに手を突っ込んだ。

 

「君が彼女を助けようとして失敗する可能性は、もちろんある。当たり前だ。私とは違って、君には誰かを教え導く経験はないからだ。大事なのは失敗した上で、君が今後どう行動するかだ。失敗を、如何に人生の糧とするかだ」

「で、でも……それだと七海は……」

「ああ。場合によっては落ちるかもしれないな。でもその失敗を恐れていては、君は前に進めない」

「……前に……」

 

 進めない。

 そうだった。僕は二年の春頃から、ちっとも前に進めていない。

 でも……先生。

 

「結構、現実的なことを言うんですね」

「そうか?」

「はい」僕は頷いた。「先生なら、誰もが幸せになれるアドバイスをしてくれるのかなって……あ、いや、心の底でちょっとだけ思っていたというか」

「そんなものがあれば苦労はしないさ」

「じゃあ……どうしてそれが、先生なりの最善策なんですか?」

「佐倉は私の元教え子だからな」

「……?」

 

 どういう意味だろう。

 頭に?マークを浮かべていると、先生は見兼ねて付け足してくれる。

 

「そしてその、七海という生徒は……私の教え子じゃ、ない」

「……ああ」

 

 なるほど。

 そこが判断基準か。

 僕の利益が最大化されるような案を提示して。でも、その他の先生の人生には関わりのなかった人に関しての不利益については気にしない。

 そういう価値観なのだろう。

 ……。

 

「……でも」

「……なんだ?」

 

 本当に先生がそんなことを考えるだろうか?

 ある意味で冷酷とも取れる考え方を、僕に与えるような人だったか?

 少なくとも、僕の中での先生は違った。

 色んな人に手を差し伸べて、結局全部引っ張ってしまうような、そんなお節介で優しくて強い先生だった。

 そんな先生が、こんなことを言うのは何故?

 そんな先生に、こんなことを言わせてしまっているのは誰?

 

「……あぁ、」

 

 間違いなく僕だろう。

 一年も足踏みを続けている僕だろう。

 その僕を無理矢理引っ張り上げる為に、先生は自身のポリシーを押し下げて、僕がもう一度立ち上がれるような提案をした。

 そういう解釈が……今更ながら僕の頭をもたげてくる。

 

「いえ、なんでも」

「なんだよ」

 

 なら僕には、その期待の通りに頑張ることでしか、先生に報いるための選択肢は残されていないのだろうと。

 そう納得することにした。

 ……ともあれ、横目に睨んでくる先生の追及から逃れないと。

 

「なんでもないですって」

「嘘をつけ。私の目は誤魔化せないぞ」

「……ぶっちゃけると、言うのを途中で止めたフリをして、先生にモヤモヤさせることが目的でした」

「二度と遠近を感じられない体にしてやろうか?」

「……」

「……あ、片目を潰すという意味だからな」

「分かってますから!」

 

 直截的に怖いことを言わないで欲しい。

 ともあれ、愉快な会話だった。

 何も言わずに、僕達は十字路を真っ直ぐに突っ切る。

 様子から見るに、まだ平塚先生と別れる場所は先のようだ。

 しばらく相手の出方を伺うような、逆に隣を気にせずに歩いているような、そんな微妙な空気が続いて。

 先に沈黙を破ったのは先生だった。

 

「なぁ」

「はい?」

「もしも私が、その……七海の勉強を見てやろうと提案していたら、佐倉はどう思っていたんだ?」

「お人よし過ぎて、将来マルチ商法に関わることになったら、標的にするリストに入れたいと思います」

「そうか。……まぁしないが」

「はい」僕は頷いた。「お人よしがどうか以前に、先生……やっぱり、忙しそうですし」

「あ、あぁ。まあな」

 

 やや狼狽えながら、先生は言う。

 

「まだまだ若手ですもんね。やっぱり、上からの皺寄せが来るから――」

「あぁ……そうだ、な!」

「ぐぇ」

 

 思いっきり足を踏まれた。

 渾身の一撃だった。

 

「ふ、ぐ、おぉお……」

「としても、だ。……もし実際近くにそのような人がいれば、君はどう思う?」

「や、ちょ、あの……先生。しんみり言われても入ってこない……めっちゃ足痛い……」

「軟弱だな。どれ、その痛みを紛らわせるために、別の場所に刺激を与えようじゃないか」

「し、しげき?」

「……顎を差し出せ」

「砕かれる!?」

 

 理不尽な暴力の理不尽な正当化だった。

 顎を手で守りつつ、先程受けたダメージを回復する。

 

「えっと……何でしたっけ? 自分を犠牲にしてまで優しくする人をどう思うか、ですか?」

「まぁ、そんなところだ」

「……何かの心理テストです?」

「なんでもないよ。……ただの暇つぶしだと思ってくれていい」

 

 はぁ。暇つぶし。

 それにしては意味深な質問のように思えた。でも、あまり邪推しても仕方がなさそうだ。

 僕は考えることを放棄して、素直に考えることにした。

 

「苦しい、かな。……あ、勿論彼が向けている優しさが、僕の交友関係と遠ければ遠いほど、ですが。だから僕は、先生がもしも七海と関わろうとしたら、止めると思います。……これはきっと、七海と僕の問題なので。……あ、でも……」

「なんだ?」

「ちょっとだけ、カッコいいです」

「ほう」先生は僕を見た。「カッコいい?」

「はい。……僕って結構自分が大事なんで。だから自分を犠牲にして、他人を助けようとするなんて、僕みたいな人種からすると結構すごいなぁって思うんですよ。それは。自分には一生できないことだから」

「できるさ」

「気休めは大丈夫です」

「それが気休めになるかどうかは、これから佐倉がどのような人生を歩めるかに掛かっていると思わないか?」

「……なんですか、それ。変に綺麗に纏めようとしないでください」

「はは、確かに」先生は笑った。「参考になったよ、ありがとう」

「いや、別にお礼を言われるようなことでは……まぁ、はい」

「私はこの道を右だ」

「へ?」

 

 前を向くと、T字路が眼前に差し掛かっている。

 かなり喋っている間に歩いていたらしい。

 

「あぁ。僕は……左です」

「そうか。じゃあ……じゃあな」

「はい」僕は頷いた。「さようなら」

 

 言って、僕と先生は背を向けた。

 七歩歩いた当たりで気になって、僕は後ろを振り向いてみる。

 そしてずっと、西日を背に悠々と歩いている先生を、見えなくなるまで見送った。

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