由比ヶ浜にタピオカを奢ったら、みみみに※※された。 作:菓子子
放課後。
いつもいる友人の輪から外れて、帰りの用意をしている七海の元に僕は向かった。
その行動に七海は面食らったのか、準備の手を止めて呆けた顔でこちらを見ている。
しかし。
「七海」
と僕が、彼女の苗字を言うや否や、開かれていた目がスッとジト目に変わる。
「……つーんだ。私は七海じゃないですー。『みみみ』という、親に付けてもらった立派な名前がありますー」
「七海みみみ……!?」
なんてアグレッシブな名前なんだ……いや。
「七海みなみでしょ。流石に知ってるから」
「じゃあ『みみみ』って呼んでくれてもよくない?」
何が『じゃあ』なのかは分からないが、七海のことを『みみみ』と呼んでやる義理はない。
半ば僕も意固地になっていた。
「七海」
「……」
「七海じゃないのか?」
「違います」
「ああ、そう。そうか」と、僕はクジャクヤママユを盗られた青年のように言った。「僕、七海みなみって人に勉強法を提案しに来たんだった。でも君は七海じゃない。どうやら僕の人違いだったみたいだ。ああ、ごめん『みみみ』さん。僕は――、」
「ちょちょちょちょ!! えっ、勉強法! なにそれ! 詳しく! ケーダブリューエスケー!」
「いや、でも僕は――、」
「そんな大根役者の真似はいいから!」
言って、目を輝かせながら両手で机の側面をガッシリと掴んだ七海は。
絞り出すような小さな声で、僕に訊く。
「ホントに……?」
「うん」僕は頷いた。「とりあえずこの問題、解いてみて」
七海に渡したのは、志望大学のとある数学の過去問……とよく似た、別の大学の過去問だ。
七海は元々そのまま帰るつもりだったらしく、友達と視線を交わしながら今解くことに難色を示してはいたけれど、同時に僕が教えたい勉強法も喉から手が出るほど欲しかったようで、その友達に別れを告げてから、渋々と問題を解き始めた。
僕は答案用紙代わりのルーズリーフを逆さに見ながら、七海の様子をじっくり観察。
「……うん」
僕の思っていた通りだった。
僕の問題を解くプロセスと、七海の解くそれは真っ向から違っていて。
つまりは、僕の勉強法はまったく役に立たない。
そう確信せざるを得ないほど、僕の目から見た七海の解答は、変だった。
「……いよっし。できた!」
「……すごい」
素直に僕はそう言った。
「どう? どうどう! 合ってる?」
「うん、合ってる」
「マジ!?」
「計算結果は間違ってたけどね」
「ええ! じゃあダメじゃん! ダメ、じゃん……」
直ぐ水を掛けられた子犬のようにシュンとなる七海。
彼女を元気づけるためだけじゃないけれど、僕は七海を見た。
「でも解法は合ってる。その愚直な解き方で最後までやり遂げるのは、やっぱりセンスがあるんだと思う」
「ええっと……? もしかしてわたくし、間違ったのに褒められてる……?」
「七海」
「は、ひゃい?」
「数学の問題って、いつもどうやって解いてる?」
「んんっと? 普通っちゃ普通だと思うけど……ええと、ね」
彼女なりの『普通』をどうにか言語化しようとしているのか、七海は首を捻りながら左斜め上を向く。
口を開くのに、そこまで時間は掛からなかった。
「広大な土の中に埋まってる、一つの金塊を掘り当てるイメージ……なのかな。その金塊を公式という名のスコップを使って掘り当てる……みたいな!? 分かる?」
「うん。なんとなく分かる」
なるほど。金塊が答えで、公式と思考そのものが土を掘るスコップか。
短時間で思いついたにしては、言い得て妙だと思う。
「でも、それだと」僕は言った。「初めに掘るべき場所が分からない?」
「そう! そうなの!」七海は頷いた。「初め式変形してみよっかなーとか、とりあえず平方完成してみよっかなーとか、掘る場所多すぎてもうそれだけで頭が痛いよね! 難しい問題ほど多い気するし……」
「うん。うん。……でも、今の問題はちゃんと解けた」
「まあ、それはね? ……正直勘と言いますか……シックスセンス的なアレと言いますか……」
「それだよ」
「うぇっ!?」
ゴニョゴニョ言っている七海に言葉を返すと、変な声をあげた。
構わず僕は続ける。
「七海はその『解き初めに正解のルートを引く勘』がもの凄くいいんだ。……多分、僕よりずっといい」
「そ、そんなお世辞……いいっていいって」
「いいや、お世辞じゃない。僕ならこの問題で、七海ほど自信満々に、まず方程式の微分を取ろうとしない」
でも、七海はその問題に取り組むや否や、真っ先に示された関数の接線を求めはじめた。
数学を感覚で解くとは、このことなんだろうと思い知らされた。
七海は間違いなくそのセンスを持っている。勿論先天的なものもあるだろうけれど、何年間に及ぶ数学の演習で研ぎ澄まされてきた、確かなセンスが。
それは、答えから逆算して解き始めるタイプの僕にはないものだった。
「でも……この解き方、安定しなくてさ」
七海は困ったように笑う。
「解ける時はもう、トラックで走ってる時みたいに集中してズバズバ解けるの! でも……分からない時は全然、ペンが走らなくって」
「……」
「...あ、走るだけに?」
「後付けで駄洒落を誇張しなくていいから」
ともあれ。
七海の言う通りだった。正解までのルートを初めに決めつけて解くやり方は安定しない。
一方で、『答えを知るためには、何を知ればよいのか』と、正解から引き返して、ある程度当たりをつけてから解き始めることが一般的で、安定するやり方だ。
でも試験直前の今更になって、七海にその方法を試させることは危険だし、身につかない可能性の方が高い。
それなら。
「それなら、分からない時がなくなるまで、そのセンスを磨けばいい」
「え……?」
七海の尖ったやり方を更に鋭くすればいいんじゃないか?
これが、僕が考え抜いて出した結論だった。
「これ」
僕は、左手に持っていた薄い参考書を七海に差し出した。
「あげる。黒くて分厚い参考書と、黄色くて小さい参考書と、橙色と青色の二種類ある参考書に比べて、かなり難しいやつ。これを解いて解いて解きまくって欲しい」
「えっ……でも、先生には頻出問題を覚えてって言われたよ?」
「数列と整数の性質……は二次には出ないか。……ええと、数列みたいな覚えゲーは勿論暗記が安定だけれど他の分野はそれが多すぎて間に合わないと思う。それに概念をしっかり理解しないまま勉強すれば丸暗記になって効率が悪い」
「なんか急に饒舌になった!?」
「……え、あ、おぉ」指摘されて初めて気づいた僕は、しどろもどろになりつつも返す。「まぁ……オタクだからな」
「オタクって……勉強の?」
「うん、まぁ」
「おぉ……それって……」
流石に引かれたか。
引かれてしまったか。
なぜだか、七海と
「カッコいい、ね!」
一瞬で、ブレた。
……え?
「いやー、やっぱり何かに本気になれるって、やっぱり私みたいな人から見れば、憧れちゃうなーって……うんうん、やっぱり佐倉くんは私の見込んだオトコだねー!」
そして七海らしからぬ、自虐的な言葉で。
それは間違いなく、七海の本質が顔を出した瞬間……なのかな。
なんて考察を入れていると、七海に左肩をバシバシ叩かれる。
「痛い痛い痛いから」
「そう? ……じゃあ代わりに二度とアルコールが分解できない体になってみる?」
「その流れは前にやった!」
「えっ? ……肝臓を、」
「それもやった!」
直接言われる前に、なんとか七海の言葉を遮って。
僕はツッコミに乗っかってくれた七海に向き直る。
そして視線で、七海の意志を問う。
「んじゃ……早速やってみますか!」
「……え、本当に?」
「いや、なんでそこで聞き返すの! あはは!」
「だって、結構博打みたいな方法だから……」
安定択はもちろん、先生が言っていたらしい頻出問題を解いて解法を暗記することだ。
でも、僕は七海の数学を解くセンスに賭けた。
そもそも、センスとは曖昧なもので、実際は閃きだったり勘だったりと色んな要素が――、
「まーまー細かいことはいいから! ね? だから一緒に頑張ろ?」
「う、うん……って、え?」
一緒に?
と、訊き返そうとして前を見た先に、七海の姿はいない。
振り返ってみると、僕の隣の席には黒髪のポニーテールが……。
「ほら、早く。私、近くにライバルがいた方が燃えるタイプだから! いいよね! ね!」
目を輝かせながら、渡した参考書を早速広げている七海を見て。
流石に、『僕は近くに人がいない方が集中できるタイプなんだ』とは言えなかった。