由比ヶ浜にタピオカを奢ったら、みみみに※※された。 作:菓子子
「「はぁー……」」
勉強で本当に疲れた時は、家へ帰ることさえも億劫で、今の間だけ時間を任意に進めることができる能力者になって、その能力を操作して家へ帰っている時間まで時を進めたくなる。
と、そんな妄想をしてしまう程度に僕は疲れていた。
そしてきっと、七海も。
「いやー! こんなに勉強したのめっちゃ久しぶりかも! 佐倉は毎日こんなことやってるんだ!? すごいね!」
いや。
全然疲れていなさそうに見えない。
少なくとも、数時間集中して勉強した直後に、こんな元気溌剌とした声を上げられない。
「ああ、うん……」
だから、しっかりと嫌でも耳には届いていたけれど、生返事のように曖昧な返事をすることしかできなかった。
でも、それだけじゃ冷たいだろう。
なんとか会話のボールをよいしょっと返す。
「なんでそんなに元気なんだ?」
「えっ? いや、私も超々疲れたよ?」
「超々疲れてたらそんな声出せないよ」
「超々々疲れてなくても、佐倉ってこんな声出さなくない?」
「超々々々疲れてたから今、七海に揚げ足を取られたんだ」
「あはは!」
めっちゃ笑っている。
疲れていたら渇いた笑いしか出せなくなる僕は、そんな彼女の姿を見て殆ど感動していた。
「んー。でも、あれかもね」
「……?」
「ほら、私運動部だったから。だから、基礎体力には自信アリ、かも?」
「あー……」
なるほど。
受験期運動部あるある……と言えば、あるあるだ。
夏頃にはてんでダメな成績だったのに、三年生の夏の大会が終わったのを契機に、成績がグンとあがるケースが多い。それはただ勉強に覚醒した訳じゃなくて、帰宅部や文化部に比べて体力が有り余っているから、長い時間勉強してもあまり疲れを感じないから。
つまり勉強の対価として消費される体力が無尽蔵にあるから、ガス欠をすることが少ない。因みにこのケースは野球部に多い。
「すごいなぁ」
「でしょ? ……あれ今私、佐倉に褒められた?」
「え……うん」僕は謎の確認を不思議に思いつつも、頷く。「そのつもりだったけど」
「ふ、ふーん……らしくないじゃん」
「……そうかな?」
どうだっけ。
分からない。思い出そうにも、思い出そうとする行為自体が億劫に感じられて、思考が前に――というより、後ろに進まない。
疲れているんだろう。うん。
だから。
「七海ってどうして、そんなに勉強を頑張ってるんだ?」
踏み込んだ質問をしてしまったのも、きっとそのせいだった。
七海の会話のテンポが、少しズレたのを感じる。
つまり、中々七海は口を開かない。
「……なんで?」
「いや……七海の目指してる学部って、少しレベルを下げた近くの大学にもあるみたいだし」
その情報が、三者面談で盗み聞きして得られたものだとは、流石に言えなかったけれど。
僕は続ける。
「だとしたら、単に偏差値の高い大学に受かって、少しでも就職に有利でありたい……という考え方が妥当なのかな。それでも、七海だったら苦労しないと思うけど。性格はいい……? かどうかは置いておいて、明るい性格だと思うし、顔もいい……? かどうかは置いておいて、愛嬌はあると思うから」
「ん? んん? ……私もしかして、口説れてます? 口説かれちゃってます?」
「は? 急に何の……ぅ、」
あ? 僕……今なんて言った?
流石に思い出す。思い出せる。
……顔が赤くなるまで、ものの数秒も掛からなかった。
「忘れてください……」
「あはは! これは七海選手、忘れられませんね~~」
「……確か頭にもの凄い衝撃を与えれば直前の記憶は飛ばせられるはずだから試しにちょっとやってみることも視野に入れても、」
「ノ、ノー! ノー現実逃避! ノーライフ!」
顔の前で手を横にブンブンと振る七海だった。
閑話休題。
「私……中途半端が、苦手なんだ」
おもむろに、七海はトーンが落ちた声で話し出した。
志望大学を変えなかった理由を。
そしてきっと、その大学へ行くために、僕を利用した理由も。
「別に、行きたくない大学を悪く言ってるんじゃないよ? でも、ここで妥協して、先生に勧められた大学を受けちゃったら……なんか、そういう人間になっちゃいそうで」
「そのことが、怖い?」
「そ、そうなの! 佐倉も分かる?」
「いや分からん」
「さっすが佐倉……ってぇ、分からんのかい!」
「でも、理解できる気はする」
見事なノリ突っ込みを決めてくれた七海に、僕は正直に返す。
『分かるよ』なんて責任の重い言葉、口先で言える訳がないだろう。
でも、理解はできていると思う。
例えば、重い荷物を運んでいるばあちゃんを見かけた時。例えば、意図せず持ち物を落としてしまった人を見かけた時。例えば、人として悪いことをしてしまいそうになった時。
もし、今の僕にとって相応しくない選択をすれば罪悪感を覚えるだろう。それでもする度に慣れていって、罪悪感は薄れて、終いにはなくなる。そういう人間になることが……怖い。
それとよく似たモノを、七海は感じているんだろう。
「たまも……あっ私の親友、たまって言うんだけどね。高校卒業したら、親が開いてるお店を手伝うって言ってるし。葵も……東大に行って、学びたいことがあるって言ってるし。私だけ……なんだ。中途半端なの」
「……」
「だから、せめて……元々目指してた大学だけは、譲りたくない……って! そう思い至ったのですよ! 私は!」
自分のせいで、やや沈んでしまった空気を感じ取ったのか、最後は元気に締めくくる七海。
自分語りタイムだったのに、最後まで人の気遣いをしている変な奴だった。
しかしそれが彼女の性質であり、魅力の一つなのだろうと。
勝手に納得する。
ともあれ、七海の強い意志は感じた。あとはその目標に向かってひた走るだけだ。
……でも。
「じゃあ……」
「……うん?」
僕はまた一つ、彼女に踏み込もうとする。
「やっぱり、僕に近づいたのは……その大学に合格するため?」
「……」
七海は一瞬だけ口を開いた後、しかしキュッと口を噤んでしまう。
きっと、数日前の彼女なら、迷いなく頷いていたはずだ。
彼女は何か僕に隠し事をしている。
僕をあとほんの少しだけ踏み込ませるか。それとも、はぐらかすか。
確率は五分五分といったところか。
「私……」
そして、たまたま。
ここが、七海がはぐらかさない世界線だった。
それだけの話で、深く考えるべき事象じゃないように思えた。
「私ね?」
「うん」
「……好きだった人が居て、さ」
「……あぁ」
僕は頷く。
そのやりきれない表情から、悲恋を察したことも含めて、頷く。
よくある話だから。
明るい性格の同級生が、誰かに想いを寄せていることなんて、よくある話だということを。
僕は一年前に学んでいる。
だから、素直に頷いた。素直に……頷くことができた。
「そして、多分ね……今も好きなんだと思う」
「あぁ……」
かと言って、頷くこと以外にできる行動なんて知らなかったが。
なんとなく僕は彼女の顔を見ることが躊躇われて、前を向きつつ七海の歩幅に合わせる。
「その人は、ずっと……本当に前ばっかり見ててさ……全然前に進めない私が、めっちゃ情けなく見えるくらいにね。だからね! 私はずっと、遠く見えなくなってく彼に、本当に……正直、本当にムカついて! でも! 同時に……ムカついてる自分が嫌になって……あっゴメン、脱線しちゃった。あはは」
「ああ、うん」
「とにかく、ムカついたんだけど……やっぱり、憧れてたんだと思う。どうかな。諦めてた……のかな。分かんないけど……だからこそ、見返したくなったんだ。見捨てられたみみみも、まだまだ結構やりますよ! ……って、言いたくなってさ」
それに。
と言って、七海は立ち止まる。目の前の信号が赤だったから。
七海からの視線を感じる。
釣られて僕も、彼女を見る。
そして、白い息と共に七海はポツリと呟いた。
「……寂しかったんだ」
寂しかった。
それは絶対、周りに人がいないことが原因じゃない。だって、七海は沢山の友達に恵まれているから。
では何故、七海は寂しさを覚えていたのか。
その寂しさを紛らわせるために、何故僕を選んだのか。
考えを巡らせていると。
『私と貴方が、似てると思ったから……かな?』
七海が、僕に向かって言放った言葉を思い出した。
僕と七海は似ている。似ている部分がある。
性格か。思想か。容姿か。成績か。視力か。コンプレックスか。
それとも……経験か。
「あ……」
そして気づく。
僕が、七海にとって奇跡的と言っていいほど、都合のいい人だということに。
「ねぇ、私たち……似た同士、いいバディになれそうだと思わない?」
そう言って笑う七海の表情は強かで。
今にも……崩れてしまいそうな儚い笑顔だった。