由比ヶ浜にタピオカを奢ったら、みみみに※※された。 作:菓子子
「ぐ……」
僕と七海が同盟を組んでから数カ月が過ぎた。
と言っても何か劇的な変化があった訳ではなく、ただ自分の生活の一部に七海が入り込んできただけで。
「ぐぐぐ……」
強いて挙げるとすれば。
「佐倉ーっ。おはよー、今日は会えたねー」
「……ああ。おはよう」
七海が僕をくん呼びしなくなって。
『佐倉』のイントネーションが、『桜』寄りになったことくらいか。
「七海」
そして相変わらず、『七海』は『七海』のままだった。
「うーさっぶ……って佐倉、どうして苦虫を嚙み潰したような表情してるの?」
「放っとけ」
「苦虫でも嚙み潰したの?」
「嚙み潰すか! ……普通に緊張してるんだよ」
普通に。逆に今日緊張しなくて、いつ緊張するのか。
試験当日。大事を取って、大学の近くのビジネスホテルに泊まってからの、最寄り駅で下車してからの行く道。
たまたま会った僕と七海は、足並みを揃えて校門へと目指している。
「えぇ! なんで! だって佐倉、この前の模試じゃA判定だったじゃん。……それとも何―? もしかしてC判だった私への嫌味か! 嫌味なのかうりうりー」
「勉強すればするほど、失敗した時にこれまでの努力が無駄だった事に気づきたくないから嫌なんだよ。それに……」
言うべきかどうか迷ったが、ついつい口に出してしまう。
「……七海への責任もあるし」
落ちたら、とか、滑ったら、とか。流石にそんな直截的なことは言わないけど。
もし七海が受験に失敗したら、殆どが僕のせいだ。
その覚悟でやってきた。だから素直に怖いし、緊張してしまう。
「だから、いいって。まーた余計なもの背負おうとしてるねー」
「背負わせようとしてきたお前が言うな」
「あはは! 確かに!」
「全く……」
なんでだよ。
なんで大事な日なのに、単語帳すら見ないでこんないつもの談笑に耽っているんだ、僕達は。
そのことが無性に可笑しくて。
「あー……何かニヤニヤしてますねー」
「してないよ」僕は口元をマフラーで隠しながら言う。「全然してない」
ついつい、緊張が解けてしまう。
校門を抜け、キャンパスの中へ入って、色々な種類の建物を横目に目的の試験会場へ足を踏み入れてから、各々の教室を探して慣れない校内をウロウロする。
僕の方が先に見つかって、足を止めた。
それだけで七海は察したのか、今日一番の笑顔を見せながら、両腕をグッと手前に引き寄せて
「頑張ってこーね! 佐倉」
ちょっと意地悪なことを言いそうになったが、ここはしっかりと我慢して。
「ああ。……七海もね」
「うん!」
曲がり角に消えていく七海を見送った。
それから指定された席に着いて、待って。英語、数学、物理化学の順にテストをこなして。
あまりにも集中しすぎたせいで、全ての試験を終えた頃には、七海の具合なんて確認できる余裕もないくらいに疲れ切っていた。
それからフラフラの身体で電車を何本か乗り継いで、家路についた。
「あいつ、大丈夫だったかなぁ……」
心配になってくるも、確認する術はなく。
アパートの戸を開けた頃にはすっかり、夜の帳が降りていた。
「ぐ……」
翌日。
僕はベッドの上で、七里ヶ浜に打ち上げられたワカメのように横たわっていた。
「ぐぐぐ……」
受験勉強を終えた反動で、精も根も尽き果てて体調を崩したか。
それとも試験会場に風邪菌を持ち込んだ、バイオテロ受験生がいたか。
受験が終わった翌日には、自分へのご褒美としてあのラーメンに行こうと密かに画策していたのに。予定が狂ってしまった。
「気持ちは分かるけどさー。でもやっぱり、ちゃんと寝てなきゃダメだって」
「ああ……」
「お粥作ったげたからさ。ね? 食べれる?」
「うん……」
お粥か……久しく食べてないな。
七海の言う通り、茶碗にはお粥……の上に、でかでかと梅干しが鎮座している。
僕が言うべき言葉は。
「梅干し苦手……」
「分かる!」
「分かるのかよ」
「でも、こんな時こそちゃんと食べなきゃって言うよ?」
「うぅ……分かったよ」
背に腹は代えられないし、せっかく七海が作ってくれたのだから、その優しさを無下にはできない。
七海はそのお粥をスプーンで掬って、僕は口を開けて。
こう言った。
「……なんで七海が僕のアパートにいるんだ!?」
ベッドから飛び起きる僕。
呆気に取られて、スプーンを僕の口に運ぼうとしていた姿勢そのままに、目をしばたかせる七海。
「えっ? いや、だって鍵開いてたし」
「七海は鍵の開いてる部屋があれば不法侵入してしまう輩だったのか?」
「そ、そんなわけないじゃん! 佐倉の部屋だったから入ったんだって……って、そ、そんな恥ずかしいこと言わせないでよ……」
「頬を染めて何かい、いい雰囲気にさせるようなことを言うな!」
「あはは!」
どもる僕を笑う七海だった。
じゃなくて。
驚きと体内の熱でオーバーヒートしてしまいそうな頭をなんとか抑える。
「というか冷静に考えて、何で?」
「えっ? そりゃあ、風邪引き用のご飯と言えば、お粥じゃん」
「一番どうっでもいい疑問に答えるな」
閑話休題。
僕は作ってくれたお粥を、遠慮して自分の手で食べながら、七海がここに来た経緯を聞いた。
朝、いつものように高校に行くと、佐倉がいなかった。
いくら試験後の高校とは言え、真面目な佐倉が高校に来ないのは不思議だった。
そこで担任に伺って、佐倉が体調不良で休んでいることを知った。
七海は佐倉の見舞いをしたいと担任に訴えて、住所を聞いた。担任も担任で、僕に渡したい書類があったらしく、その書類を七海に渡すことで、手間が省けるというメリットがあったらしい。
そして七海は、行きがけのスーパーで買い物をしてから、スマホの目印を頼りにアパートまで辿り着き、ベルを押してみるも佐倉が出てこない。
試しにドアノブを捻ってみれば、簡単に扉は開いて。
簡単に不法侵入でき、簡単にキッチンでお粥を作れた――ということらしかった。
「あー……」
扉の鍵、閉め忘れていたのか。確かに言われてみれば、閉めた記憶はなかった。
いくら試験を終えたからって、気を抜きすぎでは……僕。
「とまぁ、そういう訳なのですよ。いやーっ、健気だねー。泣ける努力の女だねー!」
「なんか言ってる……いや……でも、助かったよ。ありがとう」
僕はお粥を平らげて、米粒一つ残っていない茶碗を返す。
「だから、これで……終わりにしよう」
それを受け取った七海の目を見て。
僕は続けた。
「十分借りは返してもらった。僕は七海に勉強を教えて、七海は僕にお粥を作ってもらった。取引完了だ」
「と、取引って……へ? 一体全体、何の話?」
茶碗を持ちながら、七海は問う。
惚けているんだろうか。だとしても、返す言葉は変わらない。
「いや……だから、お粥作ってくれたのって、そういうことでしょ? 別に僕は見返りを求めてなかったけれど……でも、これでスパッと僕と手を切りたかったのだとしたら、甘んじてそれを受け入れよう。勉強を教えた対価としてお粥は……まぁ……うん、初めて食べた親以外の手料理だったから、新規特典としてチャラってことで。それでいいよね?」
「な……」
七海からの見返りが欲しくて、僕は勉強を教えた訳じゃない。
ただ、自分を変えたかったからだ。助けを求めている人に手を差し伸べることが怖くて、いつまでも躊躇っていた僕自身を変えたかったから。
その地点で既にWin-Winの関係は保たれていたんだ。
でも、その事を七海は知らなかった。だから一方的に他人の時間を搾取している気になって、そのことに対して罪悪感を覚えても仕方がない。
だから僕の住所をわざわざ担任に訊き出して、世話を焼こうとした。
そういった七海なりの策略だったのだろう。いや、そうに違いない。
そうだろう? 七海。
「なんで……」
その策略に、乗ってあげたはずなのに。
なんで七海は両腕を震わせて、目に涙を溜めて。
「なんで、そんなひどいこと……言うの?」
そんなことを、言うのだろう。