由比ヶ浜にタピオカを奢ったら、みみみに※※された。   作:菓子子

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三話『陽』

「ぐ、ぐ……」

 

 近くに誰もいないのに、お気に入りのシャーペンであるドクターグリップを力強く握って、歯を食いしばりながら呻く僕。

 

(しゅ、集中できない……)

 

 直近の問題である、授業合間の十分休憩等に時折刺さってくる視線。

 それが気になって気になって、今日も英単語帳の進捗がよろしくない。

 由々しき問題だった。貴重なスキマ時間を勉強に充てられないとなると、家に帰ってからしなければならない課題の量が増えてしまう。校内で消費できなかったタスクを、持ち帰ってせかせか消費している昨今の僕は、さながらブラック企業に入社してしまった要領の悪い新入社員のようだ。

 

(やっぱりもう一度、行こうかな……)

 

 奉仕部へ行って相談することを勧めてくれた、担任の先生とゆい……なんだっけ?

……ナントカ浜さんの言葉を思い出す。

 人に頼ることは慣れていないのだけれど、今は藁にも縋る思いだった。睡眠不足で判断力が低下していることも、要因の一つとしてあるのかもしれない。

 放課後ということもあって、まばらなクラスメイトと机の間を通って教室を抜ける。

 潮風に、ここが海の近くにあることを感じさせられながら廊下を抜け、階段を降りると、

 

「ねぇ」

 

 誰かに声を掛けている、制服姿じゃない女の人とすれ違う。

 

「ねぇってば」

「……え?」

 

 肩を叩かれて振り返ると、その女の人は僕のことを見ていた。

 そこでようやく、その人は他でもない僕に話しかけていることに気づく。

 ……誰だろう。

 

「佐倉葉一って子を探してるんだけど、知らない?」

「えっと……」

 

 にしてもキレ―な人だ。初対面なのに距離が近い。なんかいい匂いがする。物理的にも、精神的にも距離を感じさせない。なによりなにより、胸囲の主張がやや強めなのも、佐倉的にポイントが高い。

 この人と知りあいの人も、さぞかし色んな意味でレベルの高い人なのだろうと、益体のないことを考える。

 ……一方で、彼女は僕のことを知っているみたいだが。

 

「僕、ですけど……」

「あっ、ホントに? よかったラッキー」

 

 警戒と緊張を悟られないように、言葉少なに返す。

 すると彼女は、僕の肩を叩きながら破顔した。

 

「いやー、雪乃ちゃんを負かした子がどんな子か知りたくなっちゃって。へぇ……君が……ねぇ?」

「あ……あの……」

 

 そしてめっちゃジロジロ見られるんですけど。あと雪乃ちゃんって誰ですか。ついでに貴方も誰ですか。

 唐突にぶっ込まれた超絶怒涛の情報量に目を白黒させていると、僕の戸惑いと疑問を察知してくれたのか、彼女は『ああ!』と思い出したように言った。

 

「わたしは雪ノ下陽乃。雪ノ下雪乃のお姉さん」

「はぁ……お姉さん、ですか」

「なんでもは知らないけどね」

「なんでも知ってるおねーさんではない、と……」

 

 整理すると、雪乃という、僕が何かで負かしてしまったらしい妹がいる雪ノ下陽乃さん、僕に興味を持って学校に乗り込んできた……ということか。

 なるほど、ぼやけた輪郭がなんとなく……くっきりとはまだ見えないけれど、前後の繋がりは分かってきたぞ。

 

「でも、まぁ、いいや。何か見たら冷めちゃった。あんまり面白そうじゃないし。またね、佐倉くん」

 

 もう、二度と会うことはないと思うけど。

 そんな捨て台詞を吐いて、雪ノ下陽乃さんはあっさりと階段を引き返していく。

 謎のまま放り出された情報と、モヤモヤと胸につかえる言葉を、僕に残して。

 

「まるで得体の知れない人を見て、何をどう反応すれば分からないとでも言いたげな表情をしているな、佐倉」

「う、お」

 

 思わぬ至近距離から放たれた、かなり的確な比喩に対しても、十分なリアクションを取ることができずに、僕は階段の上でたたらを踏む。普通に危ない。

 

「先生」

「近くで快活そうな私服姿の女性を見かけなかったか?」

「雪ノ下陽乃さんのことですか?」

「……話が早くて助かる」

 

 はぁ、と大きなため息をつく先生。

 その息のニオイに対してリアクションを取るべきかどうかちょっとだけ迷って。

 とりあえず、無言で鼻をつまむことにした。

 

「ヤニ臭い先生で悪かったな」

「冗談ですって」

 

へそを曲げられてしまいそうだ。

ここは強引に話を戻そうか。

 

「で、彼女がどうかしたんです?」

「あ、いや」先生は言った。「突然、あいつが職員室にやって来てな。『今二年生で一番賢い生徒の名前を教えて』だと。、礼の一つもくれずに出て行ってしまったんだ。それで追って追いかけてきたという訳だよ」

「なるほど」

 

「……もしかして、僕の名前を言いました?」

「察しがいい、かつ自覚があって助かる」

「いや、別に……そうじゃなくて」僕は訂正を期して言う。「その……雪ノ下さんが僕の名前を聞いて回っていたので。想像です。……それに……」

「なんだ?」

「僕は僕の偏差値ほど頭はよくない」

 

 特別に論理思考力が他より優れている訳じゃない。物覚えも、百歩譲って平凡だ。自分の家や自転車の鍵を閉めずに離れてしまうことがままある程度には、おっちょこちょいだ。

 その自覚はいくらでもある。……だから、先生が言ったような自覚はあるはずがないし、その事実もない。

 

「私の作ったテストで90点台後半を取った上で、頭がよくないと言われてもな」

「先生は授業中に、先生が大事だと思っている部分や表現を、よく強調して教えてくださるので。だから、そこをしっかりと押さえておけば八割は固い」

 

 あとは漢字のしっかりとした暗記と、問題集をしっっっかりとよく読んでおけば90点は押さえられる。後は気合いで詰められたり、詰められなかったりする。今回は運がよかっただけだ。

 だから、学力で勝ち取った96点ではないから、国語の点数だけで自分が賢いと判断するのは大きな誤りである。

 

「それが賢いと言っているんだよ」

「……え」

 

 でも。

 先生の出した答えは違ったらしい。

 

「私が覚えて欲しいところを覚える。それはテストの点数を上げたいと思った時にすべき、当たり前の行いだ。でもその当たり前が当たり前のようにできなから、人はまちがうんだよ」

「それは……」

「君はもっと、当たり前のことを当たり前にできない人間のことを知るべきだ」

「……分かりました」

 

 僕が渋々頷くと、平塚先生は胸の前で腕を組んで、満足げに頷く。

 ……もしかしてだけど。

 

「もしかして先生、今僕のこと褒めてくれてました?」

「ああ、そのつもりだが?」

「遠回りすぎでしょう……」

「じゃあ、嬉しくなかったのか?」

「それは…………まぁ、」僕は少し恥ずかしくなって、視線を横に逸らして。「嬉しくない……ことはないですけど」

「じゃあ、私は正しい褒め方をしたということだな」

「……ぐぅ」

 

 ぐぅの音も出ないほどに論破されてしまった。

 ぐぅの音は出たけど。

 

「君が、ここのOGである雪ノ……陽乃に何を上から目線で唆されたのかは知らないが、学力という土俵の上では目線は一緒だからな。まぁ、気に病むことはないだろう」

「え、え」聞き捨てならないことを聞いた気がするぞ?「雪ノ下さんって高校生の頃、テストで一位獲ってたんですか?」

「ああ。基本的には、そうだったかな」

 

 綺麗で私服のセンスがよくて、胸囲の主張が強くてお喋りも上手そうな上に、頭もいいだって?

 そんなチートめいた人が、この地球上に存在していいのか?

 

「なんだか、それって……」

 

 妹さん、大変そうですね。

 と滑らせかけた口が、寸前になって踏みとどまる。

 勝手に、知ったような口をきいてしまうところだった。

 

「何だ?」

 

 急に口ごもる僕を不思議に思ったのか、先生は訝し気に訊き返した。

 僕は少しだけ考えて、言い直した。

 

「ラスボスみたいな性能ですね」

「はは」先生は笑った。「倒すつもりなのか?」

「いえいえ、そんな」僕は笑わずに言った。「僕はカレーでも作って食べておきます」

 

 僕の軽口をどう受け取ったのかは分からなかったけれど、先生は『そうか』と短く相槌を打って、元来た道を引き返していった。まだ何か職員室でしなければならないものでもあったのだろう。

 不意に目線を上げてみると、もう既に先生の姿は見えなくなっている。

 僕も取り残されないように、少し深呼吸をしてから、奉仕部の部室へと歩みを進めた。

 

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