由比ヶ浜にタピオカを奢ったら、みみみに※※された。   作:菓子子

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六話『タ』

 静かな図書室でせかせかと、次のテスト考査のために英単語や数学の公式の確認などをしていると、周りの席を立つ音で我に返る。

 時計を見ると、もう下校時刻の十分前を切っていた。そういえば野球部の掛け声や、サッカーのボールを蹴る音、静謐な図書室に聞こえてこなくなっている。

 

「……帰るか」

 

 僕は図書室だったり、本屋さんだったり本が沢山置かれている場所特有の、インクの匂いが好きだった。ガソリンスタンドの周りのニオイに並ぶ、分かる人には分かる、その匂いを鼻から吸い込むだけで、なんとなく落ち着いた気持ちになる香り。

 そして何より静か。

 それ故に、ここは外せない勉強スポットとなっている。

 

「……」

 

 もうそこそこいい時間なのに、帳を下ろすつもりはないらしい空は、薄くて広い春らしい雲を浮かせながら、その雲を朱く照らしている。

 そして、その真っ赤空以外はまだあまり見慣れない、アパートまでの帰り道を一人で歩く。

 見慣れないけれど、暇を埋めてくれる程度の景観が広がっている訳でもなく。

 僕はいつものようにイヤホンを両耳にはめて、プレイリストに入っている曲をランダムに再生させながら、特に何かを考えることはしないで歩みを進めていた。

 だから。

 

「うーん………………」

「…………あ、」

 

 店先にガラスで保護された、タピオカミルクティーの模型を食い入るように見つめている由比ヶ浜をスルーしてしまいかけた。

 

「鳴尾浜」

「阪神タイガースの二軍の本拠地じゃなくって、あたしは……って、ガリ勉じゃん」

 

 じっと見つめていた、タピオカ増し増しのそれから一旦目を離して、僕を見る由比ヶ浜。

 そして相変わらずの、『浜』に対する造形の深さだった。

 

「入らないのか?」

「えっ!?」

「いや……何驚いてんだよ」僕は素直に突っ込む。「ここ、タピ屋の前。お前、女子高生。条件は揃ってる」

 

 タピ屋の扉を開けられる条件が……って待てよ?

 なのにその店先で立ち止まっているということは。

 やはり、どの店にも一人で入ることに抵抗があるのだろうか。

 一人焼肉然り、一人ラーメン然り。

 いつもたくさんの人といる由比ヶ浜は、お洒落なお店でも一人では入りづらいのでは?

 

「もしかして、由比ヶ浜ってこういった店に一人で入られないタイプ?」

「や、それは大丈夫」

 

 大丈夫なのかよ。

 考えて損した……なら。

 

「えぇ……じゃあ、」

「財布……忘れちゃって」

「あぁー……」

 

 思ったより、どうしようもない理由だった。

 

 

 

 

 

 

「さっきからそわそわして、どしたの?」

「してないよ」僕は首を横に振った。「全っ然そわそわしてない」

 

 『内装がいいみたいだし、せっかくだから中で飲もうよ』という鶴の一声で、由比ヶ浜のみならず僕までも、タピ屋なる異空間へと誘われてしまった。

 なんかいい匂いがする。……紅茶だ。出所は間違いなく、お客さんの各々が持っているそのタピオカミルクティーだろう。

 その白く濁った液体を、一心不乱にドゥルドゥルと吸い続け……ることはなく、時折口に運びながら、且つインスタグラムでタイムラインに投稿しながら、対面だったり隣の友人と気兼ねなく話している。

 

「いやいや、めっちゃそわそわしてるし」

「しょうがないだろ。……こういう店入るの、初めてなんだよ」

「へぇ、意外……でもないか。言われてみればそりゃそーかって感じ」

「うん……」

「……あー、や、いい意味でね? 逆にね?」

「お、おお」

 

 上手い返しが思いつかなかったので、由比ヶ浜に気を遣われてしまった。

 どこをどう、逆に捉えても、今の言葉をいい意味に解釈することはできないだろうけど。

 ……というか。

 

「……別に、僕も飲まなくてもよかったんだけどな」

「いーじゃん。だって、いままで飲んだことなかったんだよね?」

「まあ……そうだけど」

「人生経験で一回飲んどけば、損にはならないって」

「うむむ……」

 

 確かに、自発的にはこの店に入って飲むことはなかっただろう。

 だから、由比ヶ浜に唆されたことが、この店に入る切っ掛けになったのも、きっと何かの縁で。

 膨大な人生経験の一つとして、この日のことが残るのなら、アリなのかもしれない。

 と、好意的に解釈すれば、情状酌量の余地はあるように思えた。

 ともあれ。

 

『ガリ勉……その、お金貸してくれない?』

 

 由比ヶ浜は両手を合わせて、頭を少し下げた。

 なんでも、一人で帰っていた時に、この店の前を通っていて。

 そこで、今日が安くタピオカが売られている月一の日だったことを思い出して、ソロだがいざ入ろうとしたところ。

 財布を忘れたことに気づき、かと言って素直に諦めることができなくて、うんうんと頭を悩ませていたらしい。

 そんなちょうどいい時に、僕がイヤホンで曲を聞きながら、通りがかったようだ。

 

「にしてもさ、めっちゃ安くない?」

「ん?」

「スタンダードで300円だって」

「ああ」僕は頷いた。「高いな」

「ねー……いやいや、ガリ勉人の話聞いてた?」

「要するにミルクティーなんだよな? 午後ティーはスーパーで買ったら100円もしない」

「うっわー……」

 だから、キャッサバを加工したものを入れた程度で、その値段が三倍になるのはおかしい、と。

 伝えてみると、由比ヶ浜は軽く引いていた。

 まぁ、ある程度予想はしていたが。……理由は分からないけれど。

 

「……そういや、ガリ勉ってシャーペン何使ってる?」

「は? ……いきなり何の話?」

「今のと関係ない話。普段使ってるシャーペンの種類、教えてよ」

「ドクターグリップ、だけど。五百円くらいの」

 

 急な話の転換に驚きつつも、一応投げられたボールを返してみる。

 アルファゲルでもなく、デルガードでもなく、クルトガでもなく、僕はなんとなく書き心地がいいからという安直かつ大切な理由で、中学の頃からドクターグリップをずっと使っている。

 

 

「そっか。あたしは百均のかわいいデザインのシャーペンを使ってるんだけど」

「そうなんだ……?」

 

 とりあえず、相槌は打つけれど。

 由比ヶ浜がそんなどうでもいい自分語りをするだろうか?

 疑念が自然と湧いて、意図を勘ぐってしまう。

 

「そんなあたしが、『五百円のシャーペンって高すぎ』って言ったら、何て返す?」

「……」

 

 ……なるほど。

 由比ヶ浜の言いたいことは分かった。

 

「お前は、ドクターグリップの書き心地を何にも分かってない」

「えへへ」

 

 また貸してね、と続けて由比ヶ浜は言った。

 由比ヶ浜の言いたいことは分かった。なら、素直に吟味しようじゃないか。

 程なくして二つのモノノミが運ばれてくる。

 一つは普通のもの。もう一つは、タピオカ抹茶ラテ。

 前者は僕、後者は由比ヶ浜に配膳して、愛想のいい笑顔を浮かべた店員さんは『ごゆっくり』と僕達に声を掛けた後、レジの方へと向かって行ってしまった。

 ……。

 深呼吸。

 

「ん~~!」

「……ふぅ……」

 

 由比ヶ浜はもう一口目を済ませていて、ほっぺが落ちないように左の頬に手を当てながら、その味に舌鼓を打っている。

 僕もさっさと飲んでしまおうか。

 ストローに口をつけて、一思いに啜ると。

 

「……んんっ!?」

 

 なんだ!?

 何か得体の知れない球状のモチモチが、口内に侵入してくる!

 それは喉を素通りして、それらのいくつかは食道へ直行して行って。

 一つは気管に触れてしまったようで、僕は派手にむせてしまった。

 

「ちょっ……ガリ勉大丈夫!?」

「あ、あぁ……グフッ……だいじょ……ケッホ……」

「全然大丈夫じゃないっ!?」

 

 タピオカで窒息しかける僕。

 ハンカチを差し出してくれる由比ヶ浜。

 四方八方から突き刺さる他のお客さんの視線。視線。視線。

 とんだ恥を由比ヶ浜にかかせながら、僕は咳が収まるまで口を抑えることになった。

 

「……ごめん。みっともないところを見せた」

「い、いいのいいの。その、あたしも経験あるし」

「『人は死に方を選べない』って言葉が、骨身に染みたよ」

「流石に神様も、そんな悲しい最期は避けてくれるって」

「……なるほど」僕はその考え方に、少し感心してしまった。「神様サマサマだ」

「うん。……ほら、早く……や、落ち着きつつ早く飲んでみてって」

「難しいことを言うな……分かったけど」

 

 改めてストローに口をつける。

 上品な紅茶が鼻腔をくすぐる。遅れて、午後ティーよりかは甘味の薄いミルクティーの味がやってきた。かと言っても味が薄い訳じゃなくて……なんだろう、とにかく美味い。

 

「でしょでしょ?」

「うん……これは悔しい美味しさだ」

「でしょでしょ??」

 

 でしょでしょと、何故か自慢げにでしょる由比ヶ浜。

 流行るモノは、流行るモノなりに理由があるらしい。

 しかし少し結構そこそこかなり悔しくて、意地悪なことを言ってしまいたくなる。

 

「何かヤバい物でも入ってない?」

「入ってないし……はぁ~美味しい……」

 

 一方の由比ヶ浜の方も、抹茶ラテがお気に召しているようで、口をモゴモゴと動かしながら、タピオカの食感に浸っている。

 本当に美味しそうだ。見たことがないような笑顔で飲むものだから、言葉要らずでその飲み物の美味しさが伝わってくる。

 食レポのリポーターになれば、一生食べていけるんじゃないか? ……もちろん二つの意味で。

 

「うん?」

 

 僕の様子を伺うような由比ヶ浜の視線でようやく僕は、不覚にも由比ヶ浜に見惚れていたことに気づく。

 慌てて視線を外しても、由比ヶ浜は見逃してくれなかった。

 

「どしたの?」

「なんでもないよ」僕は努めて冷静に首を横に振る。「たまたま視線が合っただけだ」

「にしては、結構見られてた気がしたんだけど……」

「う……」

「……あげないからね? 抹茶ラテ」

「い、いらねぇよ」

「あ、でも奢ってくれたんだから……えっと、一口なら……いいよ?」

「だ、だから」頬が熱くなっているのを感じながら、なんとか返す。「いらないって」

 

 由比ヶ浜は、そういったことに免疫がない人なのか。

 それとも今日日、高校生が間接云々ごときで戸惑うのは、流石に童貞が過ぎるのだろうか。

 それとも由比ヶ浜ただ、『そうなる』ことに気づいていないだけなのか。

 

「…………あ」

 

 どうやら後者だったようで、

 

「や……ちゃ、違うから。うん。そ、そう意味じゃなくて……」

「わ、わかってる」

 

 僕は冷静に返そうと……したが失敗して、結果どちらもどもってしまった。

 やっぱり僕も、少しだけ動揺しているらしい。

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