由比ヶ浜にタピオカを奢ったら、みみみに※※された。 作:菓子子
「あ……そういえば、ヒッキーって誰?」
気まずい空気をなんとか払拭しようと、斜め下を見ながら頬を朱に染めている由比ヶ浜に、強引に話題を提示した。
由比ヶ浜も由比ヶ浜なりに、気まずさを感じてくれていたのか、多少のぎこちなさはあったけれど、その話題に乗っかってくれる。
「えっとね。……ヒッキーは、ヒッキーかな」
「なるほど」僕は彼女から放たれたキラーパスに、半ばやけくそになって頷く。「完全に理解した」
「なんていうか、言葉じゃ上手く言い表せなくって……や、あたしのボギャブリーが、ひ、ひんじゃくなのかもだけど」
「……そうなんだ?」
ボギャブリーじゃなくて、正しくはボギャブラリーだという指摘は、話がかなり脱線しそうなので言わないでおく。
「えっと……根暗で、言ってることはよくわかんなくて、地雷いっぱい持ってて、あたしのことをいっつもバカにして……でも、ちょっとだけ、ほんの時々、カッコよくなる」
「……その長い前置きで、全然カッコいいようには思えないんだけど」
「でも、やっぱりそうじゃないの。言葉にすればするほど、ヒッキーの……なんていうかな、ヒッキーを言い表せてない感じがして……うあー、モヤモヤするー」
目を閉じつつかぶりを振って、眉間に寄った皺をグリグリと両手で押さえる由比ヶ浜。
言葉で語りつくせない人……か。
当たり前だ。言葉で語りつくせる人なんて、きっとこの世にはいない。
その人を知れば知るほど、その人のことが分からなくなったりすることだってある。
……それはもちろん、自分自身も含めて、だ。
「ちょっと前もさ、初対面であたしのことをビ、ビッチ……って言ったし……そんなの普通、一番のっけに言わなくない?」
「え、ビ……何て?」
「な、なんでもないっ」
だから、由比ヶ浜はその人と向き合っているのだろう。
だから、まちがう。沢山の時間を経て、その人の本質を捉えた言葉を見つけられたとしても、数多ある膨大な本質を捉えるにはきっと、生きて死ぬまでの時間じゃ少なすぎる。
だから、由比ヶ浜は……。
……。
「それにヒッキー、先週も、」
「あ、そういえばさ」僕は言った。「雪ノ下雪乃も、奉仕部なんだっけ?」
……あれ?
僕は今、どうして話題を変えたんだ?
これって……いや、まさか。
そんなはずは。
「えっ……?」ほら、由比ヶ浜も困っているじゃないか。「あっ、ゆきのん? ゆきのんはねー……ゆきのんもゆきのんかなー」
「……いやいや。そうかもだけど、もっと何かこう……あるだろ。お前は語彙力が低下して『尊い』と『エモい』しか言えないオタクか」
「えっ何急に……とおといって何? 二日前?」
「それは一昨日。……愛らしいとか、見守りたいとか、いじらしいとか、庇護欲がそそられるとか、そういった感情をひっくるめた便利な言葉だ」
「えっじゃあ三日前?」
「それは一昨昨日だ……っじゃなくて、人の話聞けよ」
さきおととい、な。
因みに、三日前のことをわざわざ一昨昨日と言う輩には注意した方がいい……と、この前死んだばっちゃが言ってた。
生きてるけど。なんなら言ってないけど。
「いやー今日はゆきのんに会えてよかったー」
「……最近会ってなかったんだ?」
「……うん」少し間を空けて、由比ヶ浜はコクリと頷く。「前も言ったかもしんないけどさ、最近、集まり悪くて……いや、ゆきのんもやらなきゃいけないこととか、事情があるって分かってるんだけど……ちょっと、ね」
「寂しい」
「言うなし!」
「まあまあ」僕はガーっと噛みついてきそうな由比ヶ浜を宥めながら言う。「確かに、僕が行った時は二回ともゆきの……雪ノ下、来てなかったもんな」
「うん……一回聞いてはみたんだけどさ……うまくはぐらかされちゃった」
えへへ、と仕方なく笑う由比ヶ浜。
僕はその笑顔を見て、何故か少しだけ悲しくなる。
「あの時……ガリ勉と会った時も、ゆきのんに教えてもらいたかったんだ」
「ああ」
僕が初めて奉仕部に行って、初めて由比ヶ浜と会った日のことか。
そこで由比ヶ浜に、テスト直しで分からないところを教えた。
あれは本来、雪ノ下が負うべきタスクだったのか。
「賢いのか?」
「うん?」
「雪ノ下は」
「うん。ずっと学校で一番だったみたい」
「へぇ」
確かに理知的な人だったもんなぁ……その時はすごい剣幕で睨まれてしまったけれど。
『雪ノ下さんって高校生の頃、テストで一位獲ってたんですか?』
……。
……由比ヶ浜の言葉で、僕が先生と話した時の、僕自身の言葉を思い出した。
雪ノ下じゃない。雪ノ下さんだ。
つまり雪ノ下陽乃は、学年で一番賢かったということだろう。
そして、雪ノ下雪乃は。雪ノ下陽乃の妹であるところの、ゆきのんさんは。
「ガリ勉?」
「…………ん?」
「や。ん? じゃなくて」
「なんだよ」
「急に黙るから……何かあたし、変なこと言った?」
「えっ……あ、ああいや、言ってない。全然言ってないよ」
「ほんとに? もしそうだったら、ごめんね?」
「だから違うって」
そんなに気を遣わなくてもいいのに。
不意に机を見てみると、ちょうど僕と由比ヶ浜のミルクティーの中身が空っぽになっていた。長居してもお店の人に迷惑だろうし、そろそろ出ようか。
鞄の中から長財布を取り出すと、由比ヶ浜はそれだけで察してくれたようで、『ごちそうさまでした』と律義に手を合わせてから、僕に合わせるように席を立った。
早くレジへと向かって……と、その前に。
「あのさ、由比ヶ浜」
「うん、由比ヶ浜だよ。何?」
「雪ノ下のことだけど……その内来るようになる」
少なくとも、六月には。
「そっか。……うん、あんがと」
そんな予言は、由比ヶ浜には僕からの励ましだと思われたようで。
素直な優しい笑みを、僕に向けてくれた。
右に曲がっても、左に曲がっても、由比ヶ浜は隣にいた。
たまたま自分のアパートと、由比ヶ浜宅が近くにあったという偶然……で片付けていいのか分からないレベルで、僕達は家路を共にしている。
まだ辺りは明るい。だから、別に最後まで由比ヶ浜を送る必要はないだろうと、そんな算段を立てる。
僕は二人きりで無言でも気にならないタイプだから、気の知れた人とはあまりこのようなシチュエーションでも言葉を交わさない。
でも、由比ヶ浜がそういったタイプだとは限らないし、むしろ反対のイメージがあった。だから僕は、下手っぴながらも、なんとか三秒ルール(三秒間互いが黙ってしまうのを避けること)を守りきっている。
特別楽しいとは思わなかった。あまり面白くない話題に移った時は、『音楽でも聴きたいなぁ』なんてことを思ったりもした。
でも。
こんな少しだけ非日常な帰り道が、毎日続くような想像を、思わず働かせてしまうくらいには、愉快で、落ち着いた時間だったように思う。
「あ、そういえば」
「ん? なになに?」
「もう、僕のことはいいから」
「えっ……どういうこと、かな」
「手を出していない人に手を差し出す必要は、ない。……少なくとも、僕には。もう、僕は大丈夫だから」
視線を感じても、六月まででこの総武高校とはオサラバだから。
大丈夫だから。
と。
言う。
「で、でも……あたしは」
「それは分かってる」
きっと、それが君のいいところで、強いところなんだ。
打算的なことを何一つ考えることはしないで、手を差し伸べることができる人。
それは茨の道だ。手を差し伸べた人に、いつ裏切られるか分からないのに。実際、この年まで生きているのだから、裏切られ、その優しさに付け込まれ、利用されて、傷ついた経験だってあるはずなのに。
それでも由比ヶ浜はまだ、僕に手を差し伸べようとしている。
それはとても強いことで、僕も、そしてほとんどの人ができないことだ。
「そういうところが、きっと僕は……僕は、」
「……」
思わず言いそうになった言葉を飲み込んで。
代わりに僕は。
本音を、もう一つの本音とすり替える。
「ちょっとだけ、羨ましいと思ってる」
「うらや……い、いやいや! あたし、別に、そんなんじゃ……ない、し」
「あ……いや、いやいや。こっちこそいきなり、キモいこと言ってごめん」
苦しい弁明を続けていると、手前にT字路が見えてきた。
そろそろ潮時だろう。
「あ、えっと」少し言葉を切って、僕は言った。「この角、由比ヶ浜はどっちなんだ?」
「え、えーと……右かな」
「そうか。俺は左だ」
「あっ……そっか」
「またね」
僕は早口でその場を後にしようと、その分かれ道を左に曲がった。
変なことを言ってしまって、少し恥ずかしかったというのもある。これは枕に向って叫ぶコースまっしぐらだな……と、嘆いていると。
「ガリ勉!」
後ろから、大きな声が聞こえて思わず立ち止まる。
その声の主は、唯一僕のことをその名前で呼ぶ、由比ヶ浜しかいない。
恐る恐る振り返ってみると、西日が眩しくて目を細める。けれども確かに、陰になって見えづらい由比ヶ浜の笑顔が、そこにある。
「今日はあんがと。助かっちゃった」
「あ……」
「じゃね!」
由比ヶ浜は手を挙げて、僕も遅れて手を挙げる……前に、由比ヶ浜は右の道を、走って行ってしまった。
僕は、中途半端に上げられた右手の力を、仕方なく抜いて。
どう考えても否定することのできない気持ちを胸に抱きながら、ほんの少しだけ早足でその場を去る。
「……ちょろすぎるな、僕」
だって、今日は少しだけ、遠回りをしなくちゃならないから。