自分の担当してきたアイドルが、W.I.N.G.で優勝した日の夜。俺はいつも通り残っていた仕事を片付けるべく、雨の降る中事務所に戻っていた。
「お前、今日くらいは直帰しても良かったんだぞ。」
社長室の扉が開き、声をかけられる。
「いえ、今日だからこそやっておきたいこともあるので。」
「そうか、なら好きにするといい。私は帰るとしよう。戸締り頼むぞ。」
「はい。お疲れさまでした、明日もお願いします。」
「ああ。」
社長が去り、事務所に一人になる。窓を叩く雨音が耳に心地いい。俺は冷めやらぬ優勝の興奮を一旦落ち着かせ、デスクに積もった書類に向き合う。企画書や要項に目を通し、抜けがないか確認し印を押す。今までやってきたこととなんら変わらない事務処理だったが、今日は不思議といつもより早いペースでこなすことが出来た。
積もっていた書類も無くなり、息をつく。雨はまだ降っている。ふと左腕に目を遣ると、針が重なる10分前といったところだった。そうか、あいつが優勝してからもう6時間も経つのかと、独り言ちる。
「結華…。」
今日こそ、ちゃんと…。
「呼んだ?」
「おわっ!ビックリした…。」
不意に少女の声が俺の独り言に応えた。ここにいると思っていなかった人物に声をかけられれば驚きもするだろう。声の主は三峰結華。俺の担当アイドルだ。
「Pたん驚きすぎでしょ~。」
「いつからいたんだ…。」
「えーっとね、社長と入れ違いで入ってきたよ?」
「そうだったのか…全然気づかなかった…。」
「ずーっと書類とにらめっこしてたもんねえ。」
俺はデスクを立ち、彼女のいるソファに座った。
「三峰、打ち上げ行ってたんじゃなかったのか?」
「もうとっくに解散したよ?まみみんとか高校生だしさ。」
「それもそうか。で、三峰はなんでここに?」
「……それ、三峰に言わせたいの?」
「悪い、俺も会いたかった。」
彼女に応え、向き直る。澄んだ蒼い瞳が俺を見つめる。否応なしに心臓が早鐘を打つ。
「ちょっ、そんな直球で言われると三峰でも照れるって。」
向き合った少女の頬が仄かに赤く染まる。
「それに俺”も”って、Pたんてばだいぶナルシストなとこあるよね~。」
「う、うるさいな。」
「ふふ…私も会いたかったよ。」
微笑む彼女に、どこか安心感を覚える。
「三峰、改めて優勝おめでとう。」
「うん、ありがとうプロデューサー。」
「お?やけに素直だな。いつもなら茶化すのに。」
「だって…今一番言ってほしい言葉を、一番言ってほしい人に言ってもらえたから。それが嬉しくて。」
そう言うと、彼女は嬉しそうに目を細める。
「三峰…。」
「ねえ、プロデューサー。」
「なんだ?」
「今だけ、この時間だけでいいから、結華って呼んでほしいの…。」
俯きつつ彼女は言い、その白く細い手を俺の手にそっと重ねる。
「……結華、今だけだからな。」
「…えへへ、やった。」
本当にこいつは強かだな…と少しの呆れ混じりに関心しつつ、指を絡めてきた手を握り返す。
「なあ結華。」
「ん?」
「あの日も、雨が降ってたな。覚えてるか?」
「当たり前だよ。一度だって忘れたことなんてない。」
握る手に熱を感じる。
「あの日プロデューサーに見つけられて、いつも見てるだけだった世界に連れてこられて。」
蒼い瞳が再び俺を見据える。
「素敵なもの、いっぱい見せてくれた。全部、全部あなたのおかげ。」
「…全部ってことはないだろ。」
「そう、かな…?」
「ああ、そうだ。結華が頑張らなきゃここまで来れなかった。」
「そっか…そう、だね…私も頑張ったんだよね…。」
結華の握る手に力が入る。
「ねえ、プロデューサー…。」
結華が俺を見つめる。俺もまた結華を見つめ返す。お互いに、自然と引き寄せられていく。が────。
「ダメ、だよプロデューサー…。」
握りあった手があっさり解かれる。彼女の両手が俺の両肩に置かれ、押し止められてしまう。
「結華…。」
「あなたは、みんなのプロデューサーなんだから…私たちみんなの魔法使いでいなきゃ…私の王子様になっちゃダメなんだよ…。」
結華の瞳に涙が滲み、両肩に置かれた手が固く握られる。
「三峰は…今日の景色を見せてもらえただけで充分だから…それだけで三峰は───」
「なら、なんでそんなに悲しい顔をするんだよ…。」
「そ、れは…。」
俺は強く握られた結華の手を優しく握って、彼女の潤んだ瞳を凝視する。
「アイドルとしての結華の気持ちは、いつだって俺にちゃんと言ってくれてたよな。でも、本心は聞けてないとも思ってる。」
「三峰は…三峰はいつも本気だよ?いつもちゃんとPたんに本気で話してるよ、嘘なんか言ったことも…。」
「ああ、それはわかってるよ。ただ…。」
「ただ?」
「……結華自身の、心の奥底は見せてくれてない。」
結華の瞳が伏せられる。
「Pたん、ずるいよ…」
「ずるくてもいいさ。俺は、結華の本心が知りたい。」
握っていた手が、再び指を絡めてくる。互いに視線を通じ合わせ、瞳が閉じられる。そして体温が伝わるほど寄り合い、唇が重なった。それはさも必然だったかのように。
「やっぱり…あなたはずるい。」
目の前の愛しい少女が少し困ったような、けれど満たされたかのように笑みをこぼす。
「気持ちはやっぱり…口にしちゃダメ、なんだよな…。」
「うん…それはきっと、私がアイドルをやめるとき…。」
「いや、結華にはアイドル続けてもらうよ。」
「…え?」
俺の返答に、結華はきょとんと首を傾げる。
「俺達が今の気持ちをちゃんと言葉にできたら、俺だけのアイドルになってくれないか?」
我ながら気取りすぎだとも思ったが、結華の心を掴んで離したくない。俺の言葉に結華が紅潮する。…うわ、耳まで赤くなってる。
「…もう、バカ。」
結華はそう呟き、再び唇が重なる。ずっと触れていたいような、柔らかく潤った繊細な唇。絡み合う指にも一層熱が通じ合う。
「…プロデューサー、私ずっと────」
「あのー、お二人とも?」
結華が瞳を潤ませながら何かを言おうとした瞬間、俺達以外の声が割って入った。
「はづきちさん!?」
「は、はづき…さん…。」
「はい、こんばんはお二人とも。」
その声を発したのははづきさんだった。
「はづきさん…え…?」
結華と二人きりになってから誰かが事務所に入ってきた気配はしなかった。それは結華も同じだったようで、動揺を隠すそぶりすらできていない。そんな俺達を見かねたのか、はづきさんが優しく微笑みつつ口を開く。
「私、忘れ物を取りに来ただけで…そんなにびくびくしなくてもいいですってば。私、これで口は固い方なんですから。」
えへん、と少しわざとらしく胸を張ってみせるはづきさん。
「はづきちさん、いつから…?」
思考が止まってしまった俺に代わり結華が口を開く。
「えっと、俺だけのアイドルになってくれ~辺りからですかね。」
「じゃあ、キスしてたのも…」
「ばっちり見ちゃいました。」
はづきさんがふふ、と微笑む。あぁ…めちゃくちゃ恥ずかしい。今までの高揚は何処へ。俺もさっきの結華みたいに真っ赤なんだろうなぁなんて考えていると。
「でも結華ちゃん、良かったですね~。」
「ちょっ、はづきちさん!?」
なにやらはづきさんが結華をからかっている。
「えっと…どういう?」
「あれ?結華ちゃん、全部言ってないんですか?」
「わー!はづきちさんストップストップ!」
結華がはづきさんの口を手で塞いでいる。俺はますますおいてけぼりを食らっている…のかこれは?
「えぇっと、結華。はづきさんと何かあった…いや、はづきさんは何か知ってるのか?」
「……」
結華は紅潮した顔はそのままに口をつぐんでしまっている。するとはづきさんは何か察したのか、ぽんと手を打ち俺の手を引き、結華を一人残し社長室に向かう。
「結華ちゃん、ちょっとだけ待っててくださいね?」
社長室に入る前に結華にそう言い、彼女は静かに頷いた。
「プロデューサーさん、少し伝えておきたいことがあるんです。」
はづきさんは社長室の扉を閉めるなり、俺に向き直る。
「はづきさん、何か知って───」
「プロデューサーさんの聞きたいことはあとで答えますから、今はひとまず私の話を聞いててください。」
はづきさんはしーっ、と人差し指を口の前に立てて俺の言葉を遮る。俺はそれに無言で頷く。
「プロデューサーさんは結華ちゃんのこと、好き、ですか?」
「はい。愛してます。けど…。」
「立場上伝えてはいけない、って思ってるんでしょう?」
「え、あ…はい、その通りです。」
考えていたままのことを言い当てられ、たじろぐ。
「ふふ、お二人は本当に似た者同士ですね。」
本当に微笑ましい、と感じているようにはづきさんは口もとを緩ませている。
「えっとですね、実は私以前から相談を受けていたんですよ、結華ちゃんから。」
「相談?」
「はい、まあ相談というかコイバナですね。それで結華ちゃんもほとんど同じこと言ってたんですよ。私はアイドルだから気持ちは伝えられない。けどW.I.N.G.の結果がどうあれ、今日けじめをつけておきたいとも言ってたんです。」
「結華も…そうですか…。」
思わず微笑んでしまう。
「プロデューサーさん、嬉しそうですね。」
「そりゃ嬉しいですよ。」
「ふふ、でもお二人が思い合ってるのは私もなんとなくわかってましてたよ。」
「え…俺はともかく結華もですか?」
くすっとはづきさんが笑う。
「ええ、多分ここのみんな察してると思いますよ。」
「そ、そうでしたか…。」
「それでですね、ここから本題なんですけど。」
そう言い、はづきさんは俺をまっすぐと見つめる。
「もし結華ちゃんに直接言えないことがあったら私に相談してほしいんです。」
「というと?」
「お二人が公にできない以上、不満があっても誰かに相談したりとかってできないじゃないですか。」
「…まぁ、そうですね。」
結華のことだ、俺に言いたいことがあっても遠慮して溜め込んでしまうかもしれない。
「…プロデューサーさんもですよ?」
「え?」
「今、結華ちゃんのことだけ考えてたでしょう?プロデューサーさんも結華ちゃんに言いづらいことが出てくるかも知れないじゃないですか。」
「そう言われると絶対無いとは言いきれないですけど…。」
万が一にも結華に不満はないが、心配になるときは今まで何度もあった。
「だから、そんなときは遠慮なく私に言ってください!」
はづきさんは真剣な目で俺に言ってくれている。
「…わかりました。もし、その時が来たらよろしくお願いします。」
「結華ちゃんにも同じこと伝えてありますから。」
「本当にありがとうございます…。」
はづきさんに頭を下げる。
「その代わり、ちゃんと仕事とプライベート分けてくださいね?」
「はい!それはもう、任せてください。」
「そ、れ、と!」
はづきさんがずいっと顔を近づける。
「結華ちゃんのこと、幸せにしてあげてくださいね?」
「任せてください!」
俺の返答に、はづきさんが優しく微笑む。
「じゃあ私はこれで帰りますから、あとはごゆっくり。」
そう言い残し、はづきさんは帰っていった。
はづきさんを見送った俺は、結華の隣にまた戻っていた。
「Pたん、はづきちさんと何話してたの?」
少し不安気な表情を浮かばせつつ問いかける結華の手を握りつつ、俺は答える。
「はづきさんがな、俺たちの仲応援してくれるって。」
「…そっか。私にも色々アドバイスしてくれたりしたんだよ。」
「あの人には頭が上がらないな。」
「だねえ…。」
結華が俺の肩に寄りかかる。ふわりとしたほんのり甘い香りが鼻孔をくすぐる。
「ねえプロデューサー、ひとつ聞こうと思ってたんだけどさ。」
「どうした?」
「いつも私、まみみんにネイルやってもらってるんだけどさ、今回の本番前になんでか左薬指だけやってくれなくてさ。」
「あー…。」
「それで、なんでーって聞いたら理由はプロデューサーに聞いてーって言われちゃって。」
いかにも俺は昨日、摩美々に『三峰のネイルは左薬指だけベースコートまでにしておいてくれ』と頼んでおいた。理由はまぁ…我ながらキザだとは思うのだが。
「えぇっとな結華。今からその理由を説明するから、ちょっと左手出してもらえるか?」
「いいけど…。」
少し不思議そうにしつつ、結華は左手を俺に差し出す。
「ちょっとそのままじっとしててな。」
俺は差し出された結華の手を下からそっと握りつつ、先程社長室から戻ってくるときに自分のデスクからポケットに入れておいた紅いマニキュアを出す。
「Pたん、それ…。」
まだ少し不思議そうな結華を尻目に俺はマニキュアのふたを開け、結華の細く白い薬指にマニキュアを塗り始める。
「Pたん塗るの上手だねえ。」
「まぁ、ちょっとな。」
…まさか自分の爪で練習してたなんて言えない。俺は少しずつ塗っては乾かし、余分なところをしごいて落としつつまた塗ってと繰り返す。そして最後にトップコートを塗る。そうして5分以上経っただろうか。俺は握っていた結華の手を離す。
「綺麗な紅…薔薇みたい…。」
塗られた自分の左薬指を見、結華が声をもらす。
「えっとな、今日のステージで結華が勝てたらやろうと決めてたんだ。まぁ絶対勝つと信じてたんだが。」
「プレゼント…ってこと?」
結華が可愛らしく首を傾げる。
「ああ。本当は指輪でも渡したかったんだが…それは流石に、な。」
「指輪かぁ…Pたんからそれを貰うのは、まだ少し後かな。」
一瞬、結華の瞳が陰る。
「それでな、考えたんだ。なんとかして指輪と同じくらいちゃんと気持ちを形にできるものはないかって。」
「そっか…それで左手のここに…。」
「嫌、だったか?」
俺の問いかけを遮るように、結華が俺に抱きつく。
「嫌なわけないよ…凄く嬉しい。すっごくすっごく嬉しい…。」
「そうか…あぁ、安心した。」
結華に応え、俺もまた結華を抱き締める。
「…私もなにかプロデューサーに渡したいな。」
「いや、大丈夫だって。」
「遠慮しない遠慮しなーい。…あ、そうだPたん。右耳ってピアス開けてる?」
「ん?開けてはいるけど。」
「ごめんね、ちょーっとだけ放しててくれる?」
そう言うと結華は俺から身を離し、右耳に着けているピアスを外しそれを俺に渡す。
「はいこれ、私からの指輪代わり。」
「これ、ルビーか?」
「ん。一つくらいは高いの持ってた方がいいかなーって思って買ってたんだ。」
俺にルビーを…そうか、結華らしいな。
「ありがとう。毎日着けるよ。」
「ちょ、毎日はいいってば。でも、私と一緒の日は着けてほしいな。」
「ああ。必ず着けるよ。」
そう言い、俺達は手をつなぐ。手のひらから伝わる体温が、俺に幸せを感じさせてくれる。何物にも代え難い幸福感に浸っていると、結華が改まったように口を開く。
「Pたん、私さ、結構嫉妬深いし、すぐ本心隠しちゃったりしちゃう子だけどさ。」
「ああ、知ってる。」
握る手に力が入る。
「それでも、私とずっと一緒にいてくれると嬉しいな。」
「当たり前だ。俺は結華が───。」
その先を言おうとした瞬間、結華が唇を重ね、塞いでくる。
「そこから先は、ダメだよ?」
「…ああ、そうだったな。」
結華が少し嬉しそうに微笑む。
「プロデューサー、これからもずっとずっと、よろしくね。」
結華の告白に俺も応える。
「こちらこそ。」
ここまで読んでいただき本当にありがとうございました