がんばれアイバー:俺がハンターになった理由 作:姉の犬
・ようこそ、狩人の世界へ……
・おめーの寿命ねぇから!
・ふて寝! 眠らずにはいられないッ!
ヨルビアン大陸はサヘルタ合衆国西部―――沿岸に発達した工業地帯の中に、ハオズ市が在った。
数多の企業からなる生産力は言わずもがな、その立地から南北への物流の要衝として知られた都市である。市には大小の工場がひしめき合い、その数は海を廃棄物で埋め立てる事によって今尚増加している。
反面、街の工業的特色に染まりきる事なく、海から少し陸へ行けば大規模な繁華街や競技場等が並び、緑化政策によって植林された街路樹や森林公園が目を楽しませる。また、更に内陸へ少し行った自然保護区では各種魔獣や絶滅危惧種を収容するなど、環境事業に於いても隆盛を誇っていた。
そのハオズ市内の繁華街を行く1人の人物が居る。
逆立った黒髪に意志の強い瞳、山吹を下地とした紺色の胴着が鍛え抜かれた躰を包み、その所作の1つ1つから雄大な自然の力強さを想わせる。両の耳で光るイヤリングの宝石が、彼の神秘性をより一層引き立てていた。
荘厳たる大樹や巌を思わせるこの男、我らが主人公アイバー―――ではない。彼奴だとすれば覇気やら威厳やら、諸々勝ち過ぎている。
「仙人様、お久しぶりです」
「ご覧下さい、助言の成果が良好で―――」
「今回は何日程逗留なさいますか」
男が歩を進める度に町人からは尊敬や思慕の籠もった声が上がり、彼もまたそれに気さくに応じる。
その人々から発せられる言葉の枕に付くのは「仙人様」なる呼称であった。
事情を詳らかにしてしまえば単純な事で。話題のこの男、普段は市の奥地にある山にて晴耕雨読の日々……偶にふらと住宅街まで下山しては、数日滞在した後に住処へ戻るという生活をしているのだが、その滞在期間に市井の問題を聞いて廻り助言やら仲裁やらで解決していた。
その泰然とした頼もしさと的確な対応から住民からの信頼厚く、また、百余の歳月を経て尚若々しいその容貌から付いた愛称が「仙人様」である。
さて、今日も今日とて下界の民への奉仕を続ける仙人だが、今日は如何にもきな臭い問題が生じた様であった。と言うのも、通りの向こうから駆けてくる初老の男の只ならぬ表情と叫びがそれを容易に悟らせた訳で。
「カカロータ、大変だ! 役所に来た大変な変態が物騒で、その、大変なんだ!」
件の仙人を名前で呼ぶ男、何の事はないこの界隈の自治体の長である。かなり取り乱しているが、話を要約すればこうだ。
役所にやってきた人物が警備員含め大勢の人々を襲った―――息も絶え絶えやってきた彼は言うだけ言うと、その場へ頽れて気絶した。緊張の糸が切れた反動であろう。
「役所か。よし、任せておけ」
仙人―――カカロータはそう告げて、大変な変態とやらが居る現場へ足を向かわせる。
それだけの事であるが、その場に居合わせた人々に多大な安心感を抱かせるには充分だった。
●
役所へと到着したカカロータが先ず見たのは、入口を取り巻くようにして群がる人々であった。その最前列では数人の警備員が身を張って人垣の整理に努めている。どうにも苦戦している様だが、遠くから聞こえるサイレンの音からして、程なく警察により落ち着くだろう。
カカロータが現状を把握すべく歩を進めると、それに気付いた野次馬はさっと道を開ける。その様は海を割るモーセの如し。
最前列、役所の前へと出た彼を迎えたのは、野次馬を相手に奮戦していた警備員の一人であった。カカロータも見知った、警備の責任者である。
「仙人様、いらして頂けましたか」
「ご苦労だな、それで事の詳細は?」
「それが、その、大変な変態が―――」
青い顔を浮かべる警備員を見て、カカロータは察した。
この男、大層な恐怖に苛まれている。
長い人生に於いて海千山千の猛者や修羅場に相対したからこそ解る。件の人物は、余程の実力者であろう。それも、凶悪な、という部類の。
「落ち着け。大筋は聞いている、詳しく説明してくれ」
躰を振るわせる警備員の肩を叩き促せば、ややあってから彼は事の次第を語った。
曰く、麗らかな昼下がり、誰もが世の平和を謳歌している最中に「その男」が現れた、と。中肉中背の、目元を隠す程の黒髪以外は特徴のない青年だったという。
青年は入口に佇む警備員を見るや、役所内の職業斡旋所の所在を訊ねた。警備員の方も暇を持て余していたところで、持ち場の仲間に一声掛けてから青年に案内を申し出た。
ここまでは別に怪しい事ではない。よくある話である。
問題は、その男が斡旋所の窓口に立った時に起こる。
「国民番号が無かった?」
「ええ。当初は、身分証を紛失したものと思っていました。しかし、役所の方でデータ機構の情報をあたったところ、そうではない、と」
国民番号とは、生まれ出でたその時より万人に与えられる、個人情報を管理するのための番号だ。捨て子にまで付与されるそれが無いという事はつまり、社会的に存在しない事と同義であり、様々な事情があるが結論として出されるのは「その者に係わるな」という排斥の一言である。
そして、この世界において国民番号を持たないとなればその青年は―――。
「―――流星街の生まれか」
「ええ。一応私も、彼にどこから来たのかと訊ねました。案の定、答えは『ゴミ山からだ』でしたよ」
「しかし、此処まで来るのは腑に落ちないな。同じ大陸内とはいえ距離がありすぎる」
「事情が、あったのでしょう。私も大分考えましたが、それらしい解答は出ました。こいつは流星街を何らかの形で飛び出して、同じような環境を求めて此処に流れ着いたのだと」
これには合点がいった。
カカロータには、警備員の言う「同じような環境」に心当たりがあったのだ。
その場所こそ、市の海岸の外れにある廃棄物の群―――清掃工場の在る区域である。先に述べた埋め立て等の廃棄物処分を担うこの区域は、生活ゴミから産業廃棄物まで、市内どころか隣接する市のそれをも一手に引き受けている場所だ。
広大な敷地には日々膨大な量のゴミが運び入れられ、同時に必要に応じた処分が為されているが、搬入量に物を言わせた廃棄物の山々は揺らぐ事なく屹立している。
そしてその峻厳なる山脈は、法規を犯す悪党の絶好の活動拠点となった。杜撰な管理によって複雑化したゴミの迷宮は、その内に蠢く闇を表社会の目から完全に覆い隠す。殺人、窃盗、麻薬取引、人身売買、違法賭博―――凡そ陽の目と人目の憚られる卑しい行為が、当然の様に遣り取りされる無法地帯。
規模では及ぶべくも無いが、それでも彼の流星街を彷彿とさせるその土地は、何時しか地元の人間が第2のそれと評する程に成長していた。否、内部を統括する組織が無く、各勢力間の抗争の絶えないこの場所は、或いはあちら以上に性質が悪いのやも知れない。
このような悪意と惨禍渦巻く悪辣外道の伏魔殿に、流星街宜しくの洒落た通称など望むべくも無く。ただその有様を端的に表してこう呼ばれた。
―――「廃棄街」と。
遠く離れた忌避されし街を離れたと思しき件の青年。彼が塒にするには格好の場所と言える。
成程、大体の事情は察する事が出来た。しかし男は何故役所なぞに顔を出したのか。
カカロータは一抹の疑問を抱え、警備員に話の続きを促した。
青年の素性が素性だけに長くなるかと身構えるも、事の成り行きはそれほど複雑ではなかった。
番号照会によって青年が求職者から厄介者に変わった途端、斡旋所の窓口でどのように対応するかの検討に移った。その結果、身分証がなければ職業の紹介が叶わない、と単純に返答をした訳だが。これを受けて青年は身分証の交付を求めた。
「国民番号が無いなら付けられるように申請させろだの、番号が無くても体を為す身分証くらいあるだろうだの、常識を欠いた言い分にも冷静に対処したんです。ええ、住む世界が違うって事を、遠回しに伝えたりもしました。そうして暫く問答してたんですが、奴さん、ついに痺れを切らしたみたいで」
「癇癪起こしてこの有様、と言う訳だな」
「ええ。私は逃げ出すので精一杯で。お恥ずかしい」
話を聞く間も、現場へと歩を進めていたカカロータ。
到着した彼を迎えたのは、窓口の受付嬢と2名のガードマン、そして十数人の無辜の市民であった。全員意識を手放して地に伏せているが、見た限り息はあるようだ。
哀れ青年の憤怒に晒されたであろう彼らを一瞥し、部屋の中央へ視線を向ければ、そこに件の人物が佇んでいた。
中肉中背、目元まで覆う黒髪は仄聞したそれ。衣服も小奇麗ではあるが特筆すべき物ではない。
成程、平凡な男と評するのに否やはないだろう―――評者が常人であれば、であるが。
現場に身を置く者の中で、唯一カカロータだけがその青年の異常性を理解した。
青年の周囲で歪み、うねり、蠢き、もがき苦しむように揺らめくそれはオーラと呼ばれる物。青年の外見からは全く予想だにしない狂暴にして凶暴なる纏は、念の世界に身を置いて久しいカカロータをして瞠目する程の禍々しさを発している。室内に横たわる人々はこれを中てられたか。
対する青年も、現れた2名―――殊更カカロータに対して興味深げに顔を向けた。
瞬間、脇に控えた警備員が悲鳴を上げる。
青年の目元に垂れる濡羽色の奥、其処に彼らはこの世ならざるモノの権化を見た。
睥睨する双眸が、そのように呼ぶ事が不適であると思える程に深遠で狂気的な光を放っていた。こちらを呑み込むような、押し潰すような、周囲をさえ壊してしまいそうな、凡そ筆舌に尽くし難い感情の波―――その根源は、無慈悲にして理不尽なる終焉。即ち「死」である。
僅かばかりの驚愕を覚えるカカロータの横で、警備員がその場にへたり込む。その口から、声ならぬ声で「仙人様、助けて下さい」と、それだけが搾り出された。
「何処の闇から這い出したのか。お前、名前は?」
氷のような恐怖が支配する空間にあって、カカロータだけは平静を保っていた。彼の頑強な精神は、この状況に於いても揺らぐ事はない。
誰何された青年は実に素っ気なく、「アイバー」とだけ答えた。
まるで、自身の名前に愛着も頓着もない様子。否、先ほどから念を強めるカカロータを前に身構えもしない態度は、自分の命すら軽視しているような節がある。
「聞かない名前だな。ファミリーネームは?」
「ナイデス」
2回目の問いも、にべもなく返された。
アイバー=ナイデス。やはり聞き覚えのない名であった。彼の暗殺一家ゾルディック等、「裏」の人間は家名が広く知られている場合もある。そういった線から青年の素性を暴けるやも、という期待があったのだが。
肌で感じる程の実力を持ちながら、その情報が今に至るまで広まっていない。これは相当深い世界で、それこそ這い蹲るように、他者と自己とを殺し続けて生きてきた事の証左だった。そこに死の権化たる両の眼が合わされば、それは正に生きとし生けるモノの大敵と見るに不足はない。
しかし、これまでの受け答えで青年に交渉の余地がある事をカカロータは確信していた。紡ぐ言葉を選びながら、口を開く。
「職を求めて此処に来たそうだな、これは本当か」
「ああ」
「何故、そうしようと?」
「俺は一度、俺を殺した。だから、生きたかった。真っ当に」
言葉足らずな科白。しかし、その懊悩を吐き出すような物言いに、カカロータは胸を打たれる思いだった。
死を見せるでも宿すでもない、それ自体が形を成した青年の眼。アレは、数多の生死が交錯する極限の状況下に身を置いて尚持ち得ない代物だ。となれば先天的素質に他ならないが、決して天然自然の誕生からでは具わらない。生命に死が訪れる事こそあれ、内包する事は不可能であるが故に。
矛盾を矛盾のまま条理に落とし込んだ狂気―――青年は正しく、異物であった。
これだけ歪な存在だ、彼はこの世に生を受けたその時から修羅の道を歩んできた筈である。その生活とも呼べぬ活動の凄惨さは、余人の想像など到底及ばぬ程の。
遍く生命を吸い取り、死と根源的恐怖を振り撒く青年が、如何にして光に手を伸ばしたか。その経緯は知れない。若しかすれば、一時の気まぐれである可能性もある。
だが、それまでの自分を殺し、新たに生まれ変わろうとするその決意。吐露した言葉の端々から確かに伝わるそれに、どうして文を付けられようか。
「こいつは巡り会わせってやつなのかもな。いや、ともすれば懸命に足掻くお前の意志がオレを呼び込んだのか……」
恐らくは殺害しか知らなかったその頭で必死に考え、漸くやって来たのが此処なのだろう。
この青年は、泥中で沈み行く童だ。状況を危険だと判断するも、為す術無くその場で必死に手足を動かすより他ない。そうして己の業に抗う事すら慢性的な自殺にしか為り得ない。安寧を得ず孤独のまま、奈落へと沈降し墜下する。痛痒と惨痛をそのままに、常として。
ならば、それを目の前にして如何するか。
「生きたきゃこの世でオレの名を背負って、好きなだけ生きてみろ」
決まっている。
「オレの弟子になれ」
若人を助け導くのが、老いた先達の務めであろう。
雫が一筋青年の頬を伝うのを、カカロータは確かに見た。
次回の『がんばれアイバー』は――
>はっきり言ってやろうか? これで俺は終わりだ。
>ネンではない、念である。
>「今日は予定を変更する。区切りがついたら道場に来い」
>「どうでもいい」
『プロジェクトB』