がんばれアイバー:俺がハンターになった理由 作:姉の犬
・流星街かと思った? 残念、パチモンでした!
・具現化系! そういうのもあるのか
・えっ!? 自分のオーラで竹箒を!?
自分の念の系統が発覚するや否や、望まぬ物の具現化を目標に指定されてしまった悲しき青年こと俺。
弁解することもできたのに、なし崩しで「うん」と言ってしまった俺を待っていたのは、地獄のような日々だった。
2週間の発の修行の後は、ひたすらイメージ修行の毎日。
最初は実際の竹箒を一日中いじくった。とにかく四六時中である。目をつぶって触感を確認したり、何百枚何千枚と竹箒をスケッチしたり、ずっと眺めたり舐めてみたり、音を立てたりにおいを嗅いだりもした。
ちなみに、修行を始めるときの師匠とのやりとりがこれ。
「竹箒に関わること以外は何もするな。掃除も何もかもだ」
「ウシ美やコケ子の世話はどうする。俺がやらなきゃ誰が――」
「オレがやる。お前は世界一の竹箒になれ」
世界一の基準とは何なのか。箒その物になれとは一体。それに家畜との触れ合いまで禁ずるのはどうなのか。その他様々な疑問と不満を抱えながらも俺は修行を続けた。(余談だが、師匠は世界一のアメ玉になったことがあるらしい。まるで意味が分からんぞ)
そうしてしばらくすると毎晩竹箒の夢を見るようになって、その時点で実際の竹箒を取り上げられた。すると、今度は幻覚で竹箒が見えてくる。さらに日が経つと幻覚の竹箒がリアルに感じられてきた。重量も柔軟性も穂の擦れる音も聞こえてくる。
その時点になって師匠から、そろそろ具現化できるかもな、という言葉が。
精神的に参っていた俺も、この報にはようやくか、と歓喜したものである。
しかし、俺はここから進展しなかった。
師匠曰く、並の能力者ならとっくに具現化できている段階らしいのだ。だというのに、現実味を帯びては霧の中へと消えていく竹箒。感覚の上ではそこに確かにあるのに、物質化していない。具現化を試みる度に味わう挫折に、オデの心はボドボドだった。
この頃の俺を突き動かすのはもはや、いつかこの箒で爺さんをしばくのだという使命感と、この修行を延々と繰り返すだけで人生を終えてしまうのではないかという恐怖への反抗心だけであった。
そうして一向に成功しない具現化に、どうして、なぜ、と頭を悩めているうちに事件は起こった。あの忌々しい事件が――。
●
弟子の修行を監督し、カカロータは確かな感触を得ていた。
今回の弟子に関しては第一印象から類稀なる天稟が備わっているだろう事を感じていたが、実際指導するや忽ちにその才気を見せつけられた。長年培った洞察力を以ってして測り切れぬ伸び代、回り道を必要とせず常に最適へ向かう直感、それに付随する身体能力と学習速度。
天才と形容するに申し分ない逸材を目の前にして、見立てよりも早く巣立ちの時が来るだろうというのがカカロータの見解であった。
だが、オーラを物質化する段階に当たり修行は難航する。豈図らんや、竹箒顕現の最終段階をも満足した者がその達成を見られぬとは。
アイバーの修練は凄まじかった。想像力と集中力を磨きに磨き、精度と密度を詰めに詰めているのは間違いない。何らかの脅迫観念に駆られているかのような、鬼気迫る態度がそれを物語っている。
しかしその努力を以ってしても、具現化には至らない。
日々痛苦を顕にする弟子を見て、師の心もまた痛んだ。
現実は非情であり、故に平等で、斯様に残酷だ。更生に励む若人の淡い希望を、気紛れに容赦なく摘んで行く。或いは、これは暗闇の最奥で生きてきたアイバーに対する当然の報いなのかもしれない。
だがそれでも、何とかしてやりたいというのが師としての親心だった。
此処を訪れてから日課の1つとして命じた掃除。そこで手にした竹箒は、青年にとって初めての「真っ当な道具」であっただろう。来る日も来る日も、飽きもせず生活域を掃き清めるその姿。殺害以外の用途で物を振るう事を心底楽しんでいるような―――そんな弟子の様子を見るのが好きだった。
そして彼が自身の系統を知った時、迷わずそれを思い浮かべたであろう事はこれまでの触れ合いから容易に知れるというもの。今、竹箒の具現化を諦めてしまえば、彼は日常の用具ではなく殺傷を目的とした武具を顕現させてしまうだろう。そうなれば、再び血に塗れた世の深淵へと堕ちてしまう。手は早く打たねばなるまい。
「何か、切欠が必要なのかもしれないな」
長年の経験と勘が、そう告げていた。
○
修行が滞ってからどれ程だったか。あれはそう、雲1つない澄み切った空に煌々と光る月が映える――そんな名月の夜。
その日俺は、山小屋から草むら1つ挟んだ天然温泉にて月見を楽しんでいた。
そこかしこで湯浴みを共にしているのはお猿さんたちだ。彼らとの死闘も今は昔、自然界における上下関係のもとで良好な友好関係を築いている。動物は言葉を介さない分、情念と行動でこちらとコミュニケーションを図るので非常にやりやすい。しかしどうにも俺を過大評価しているようで、かしずくような態度で接してくるのは少々居心地が悪かった。
と、ここでサル太彦が来客の報せを告げた。(コッペパンのように大きな鼻が特徴の彼は一際知能が高く、何かと重宝している)
彼が指さす方を見れば、師匠がこちらへ歩いて来るのが見えた。温泉に来たからには当然全裸だが、その手にはタオルの他にもう1つ、場にそぐわない物が握られていた。
竹箒である。下ネタではない。俺の悩みの種、具現化目標のそれである。
温泉の直前まで来た師匠の挨拶に会釈で返すと、彼はいつになくしみじみとした面持ちで俺の隣へ腰を下ろした。
「お前はすげえよ。よく頑張った。たった1人で……」
――何やら師匠の様子がおかしい。一体どうしたんだ。
このただならぬ雰囲気に俺は内心で狼狽するしかない。お猿さんたちも何かを察したのだろう、サル太彦を先頭にそそくさと温泉から離れていく。薄情者どもめ。
この唐突な激励が、具現化の修行に対してのことだというのは分かる。それにしてもなぜ今、わざわざ出向いてまで言うのか。
俺の疑問を余所に、師匠は言い聞かせるように話し出した。
「これまでの修行を振り返って分かったことがある。お前は、この世界からどこかズレているんだ。平時は巧妙に調和しているように見えるが、戦闘等の非常時にはそれが綻ぶ。その証拠が、異常な時間感覚だ」
異常な……ああ、組手をしたときに話したあれか。
「恐らく、集中したときのお前の体感時間は他者の感じるそれよりも長い。相手に数秒の思考ができる時間があるとして、お前はその中で数十秒の思考が可能だろう。
場所によっては心滴拳聴とも呼ばれる境地で――お前の場合は相手の意こそ汲めないが――対峙する両者がその域に至ることはままある。だが、時間の圧縮という一点だけとはいえ、恒常的且つ一方的にそれを為すのは有り得ないことだ。これは才能の一言で片付く問題じゃない。正真正銘のバグだよ」
師匠はおどけるようにして一息入れ、更に続けた。
「そしてもう1つ、お前の異常性を示すのに一番の要素がある。それは大行の一、絶を完全には会得できないという事実だ。
これは以前にも言ったが、オーラの動きや精孔の具合からして絶そのものの肉体・精神操作には成功している。ただ、結果として少量のオーラが表層に留まってしまうというのが正確か。それも、極めて歪んだ形でな。これは穿って見れば、自身の気配を消しきれない――と言うより、消しているのに存在の主張を隠匿できないということだ」
そして、弁論は結びを迎える。
「意識した時間は通常のそれより圧縮されたもので、消した気配は霧消せずに残る。この二点から見えるのはお前の認識がこの世の理と一致していないという事実であり、ズレていると言ったのはそういうことだ」
いかん、全然話が見えない。
俺がこの世ならざる者だと見抜いた師匠の慧眼には感服するばかりだが、しかしそれだけだ。お前化け物だろ、と糾弾するならとっくの昔にできたはず。
なら、師匠のいうズレとやらを前提とする問題があるということだろうか。まさかこれで昨夜に甘味を摘み食いしたのがバレるわけでもなし……うん、さっぱり分からない。
ここは素直に白旗を揚げるとしよう。
「で、その話が何に繋がるんだ?」
「つまり具現化が成功しない原因が、このズレにあるってことだ。物質の形成イメージが完全ではないために具現化の妨げになっているんだよ。オーラの物体化は即ち、自身の精神力を物質へ変換するということ。だがお前のズレた体は、この世界に自分のオーラをどう作用させれば良いのかが分からない。その不完全な部分がお前の深層心理――無意識下にあるために、これまでの修行では補えていなかったわけだ」
師匠すげえ。かつてない長口上を聞いたときは正直いけ好かない説教かと思ったが、俺の行き詰まりについて考えてくれていたのか。さすがは年の功、外見に見合わずしっかり歳はくっている。
さらに、我が敬愛すべき師匠は問題点を洗い出しただけでなく、その解決策まで導いていたのである。
「故にこの竹箒という存在をお前が一番強く認識し受け入れたとき、きっと具現化は成る。ズレそのものを修正することはできないだろうがな。そしてオレはそのための方法を模索し、結論を出した」
月光を背後にそう言いきる師匠の神々しさたるや、筆舌に尽くし難い。
このとき俺の脳内では、大勢のプチアイバーが輪を成してカカロータ像を祭り上げていた。
が、それも束の間。感謝の念を伝えるべく師匠の目を見た俺は、当初から抱いていたあの違和感の正体に気付くことになった。
ここへ来てからこっち、哀愁と共に放たれていた雰囲気。それは正しく「決意」であった。それを裏付けるかのように、師匠の黒曜石を思わせる瞳からは力強い意志が放たれている。
――そう、師匠は何か並々ならぬ決意を秘めてここを訪れたのだ。今までの口上その全てが、その決意を実行に移すための布石にすぎないに違いあるまい。
その考えを確信させるように、師匠がついに本題に切り込んできた。
「やっぱどう考えてもこれしか、お前が具現化できる道は思い浮かばなかった」
師匠はやおら立ち上がると、俺にも起立を促した。
説明されずとも分かる。師匠は、今ここで俺の問題解決のための一手を打とうというのだ。わざわざ温泉まで出向いて話題を切り出したのもつまりは、サル太彦たちとの触れ合いで心身ともに余裕のできた状態の方が具現化成功の確率が上がると踏んでのことだろう。
ここまできて、そしてここまで思われて、提案を断ろうなどと言えるやつはいまい。
――この人の薫陶を受けて、本当に良かった。
感極まった俺が腰を上げ二人が並び立ったのも一瞬。
師匠の姿が掻き消えたかと思うと、背後に気配が。
それを何とか首だけで追った俺が目にしたのは、ビリヤードの
「わりいアイバー、これしかなかったんだ……」
なんだその悪気のワの字もない朗らかな顔は。あんたも爺さんと同じ類の人間だったのか。
これから起こる惨劇を直感と本能で悟った俺は全力で回避体勢に入るが、時すでに時間切れ。
師匠は(ご丁寧に周まで施した)竹箒を俺の不浄の孔めがけて――。
「アッー!」
バイバイ貞操……。
某月某日、俺は大切なものと引き換えに具現化を成功させた。
次回の『がんばれアイバー』は――
>箒が具現化した。それだけは確かだ。
>俺にはもうこの山での生活しか考えられない。
>お前ら人間じゃねえ!
>放心せずにはいられないな。
『アイバーズ:失われた