瓦礫の山となった街の遥か上を、巨影の群が通り過ぎる。6基の二重反転プロペラが翼に並び、高空に爆音を轟かせながら悠然と飛ぶ。翼と胴体に描かれたイケスカ市の識別マークが陽光に煌めいていた。
富嶽。
ユーハングの人々が信奉する火山の名を冠した、巨大爆撃機。その圧倒的な爆弾積載量と高空性能によって、まさしく火山噴火のような破壊を地上へもたらす。昨日までの友好都市であったショウトさえも、遥か眼下で火の海と化した。
爆撃隊を護衛する五式戦闘機もまた、整然と編隊を組んで帰路に着いていた。飛燕こと三式戦闘機を空冷エンジンに換装し、設計を微修正した機種だが、単なる急増品に止まらぬ高性能機だ。三式には無い軽快さと三式譲りの頑丈さを持ち合わせ、そして何より信頼性が高い。
イジツの大地に合わせ、暗い黄色で塗装されたこの五式戦は自由博愛連合の部隊だ。富嶽とは所属が異なるが、実質的には同じ指揮系統で行動している。何故なら従うべき相手は同じ人物だからだ。
中隊長機の操縦桿を握る、若き女性パイロット。彼女もまた、連合とその盟主に忠誠を誓った身だ。電熱線入りのジャケットで寒さに耐えつつ、ゴーグル越しに周囲の状況へ目を配る。
《……なあ、マイカ》
斜め後方を飛ぶ僚機から通信が入った。イジツの飛行機はかつてユーハングからもたらされた物だが、当時より無線技術は格段に進歩している。感度は良好だ。
《本当にここまでする必要、あったのか……?》
「トシロウ、帰還するまでが任務よ。無駄口は謹んで」
冷静に返事をし、無線のスイッチを切り替えた。再び空は沈黙に包まれ、エンジン音だけが低く操縦席に響く。
富嶽と五式戦の戦爆連合は悠々と水平飛行を続ける。その整った編隊と同じく、彼女の……そして自由博愛連合の正義も揺るぎなかった。
《……ショウトを爆撃せざるを得なかったことを、自由博愛連合議長として大変遺憾に思います》
卓上に置かれたラジオから、若い男の肉声が聞こえる。精鋭飛行隊の控え室はそれなりに豪奢で、パイロットたちは座り心地の良いソファに腰掛け、紅茶なりコーヒーなりを嗜んでいる。そして耳はラジオを通じて聞こえてくる、議長の言葉に傾けられていた。
《思えばアレシマでの会談で、僕はユーリア女史に何度も説きました! きっと分かってくれる! そう信じて一生懸命に説明しました! 都市国家の横の繋がりによる自由では、最早イジツに未来はないと! 統制された縦の繋がりによる自由……「穴」の向こうから伝えられた政治思想、
ゴーグルと飛行帽を脱いだマイカは、くりくりとした大きな目でじっとラジオを見つめていた。体つきは豊かだが、そのプロポーションの割には童顔だ。しかし単独撃墜29機、共同撃墜28機を誇るエースであり、自由博愛連合の精鋭部隊の一つ・親衛第四飛行隊の隊長でもある。
そして傍らには彼女の僚機を務める青年が、冷めきった紅茶を手に立っていた。ユーハングの戦闘機乗りのような、短く刈り込んだ頭髪が印象的だ。
《そうこう言っているとアレシマが空賊に襲われ、僕は久々にパイロットとして出撃! 自慢じゃないけど零戦2機、あと飛龍か呑龍か忘れたけど重爆1機をポンポーンと撃墜し、ホテルに残った彼女を守り抜きました!》
ラジオから「ポンッ」という音に続き、拍手の音が聞こえてきた。おそらく議長が得意の手品を披露したのだろう。
《にも関わらーず! ユーリア議員もとい元議員は、連合に加わることを決めたガドールへ叛逆を企てたばかりか、我々と友好関係にあったショウトの人々を唆したのです! 敢えて断言しましょう! 彼女はイジツ史上他に類を見ない、超ッ! 絶ッ! 悪女であると!》
議会は相当盛り上がっているようだ。然り、その通り、などの相槌が電波に入る。
《彼女がラハマへ亡命したことは突き止めております! すでにかの町へ使者をーー》
不意にプツリと途切れる音声。一瞬の間を置いて、全員の視線がスイッチを切った青年へ集中した。彼のカップに入った紅茶は一口も飲んでおらず、くつろいだ様子の仲間たちと違い、どこか苦々しげな表情である。隊の2番機であるトシロウだ。
「マイカ、一度でもいいから考えてみてくれ。本当にこれでいいのか?」
真剣な面持ちでトシロウは尋ねる。彼の撃墜数は隊内で最下位だが、援護戦闘の達人として何度もマイカの危機を救い、また他のメンバーも生還させてきた。そのため仲間たちから絶大な信頼を寄せられる一方で、実直さが時に疎まれる。刈り込んだ髪はその一本気な性格を表しているかのようだった。
「ショウトがユーリアに着くメリットなんて無かったはずだ。現に俺たちが出向いた途端に降伏したんだぞ。それを一方的に爆撃なんて……」
「イサオ議長が必要と判断したからよ」
マイカの答えに淀みは無かった。それが彼女にとって唯一無二の真実なのだから。
「それに爆撃時刻は事前通告したから、死傷者は1人も……」
「死傷者がいなかったか、ショウトに降りて調べたわけじゃないだろ! 大体死人が出てなければセーフって問題じゃないはずだ!」
声を荒げるトシロウ。仲間たちが何人か立ち上がるが、彼がひと睨みすると身が竦んだ。
「反逆者のレッテルを貼られたまま、ショウト市民は他の都市へ行くことなんてできない! 破壊し尽くされた町へ戻って来て暮らすしかなくなる!」
「戦いが終われば復興支援もできる。全ては議長の国家統一連合構想を実現させてからよ。必要な破壊なの」
「それまで病人や赤ん坊はどうする!? 下手すりゃ瓦礫の中で死を待つ羽目に……!」
不意に、ドアが開け放たれた。甘い匂いが談話室へ流れ込む。
全員の視線がそちらへ向くと、エプロン姿の少女がずかずかと大股で入ってきた。手にした盆には一口サイズのパンケーキが山盛りにされ、ジャムの瓶が添えられている。
「焼けたよ」
少女はぶっきらぼうに告げた。可憐なエプロンとは裏腹に、刺すような鋭い目つきと仏頂面だ。おさげにして肩へ垂らした髪は深い黄金色で美しいが、勇気のある男でなくては声をかけられないような、近寄りがたい雰囲気を漂わせる。
マイカはそんな彼女に笑顔を向けた。
「ありがとう、クルカ。いただくわ」
おさげの少女は再びずかずかと部屋に踏み入り、盆を卓上に置く。山盛りのパンケーキが一枚、頂上から麓まですべり落ちた。各自に小皿とフォークが分配される。
それを一瞥して、マイカはトシロウへ向き直る。
「トシロウ。私たちはリノーチ大空戦のときからイサオさんの下で戦ってきたけど、あの人の判断が間違っていたことなんてあった? 大義のためには小義を捨てなくてはならない」
語りつつ、小皿に小さなパンケーキを取り分けるマイカ。先にトシロウの分、次いで自分の分を取り、ジャムを添える。
「ほら、食べましょう。冷めないうちに」
香ばしい匂いのパンケーキは隊員たちの共通の好物だった。だがトシロウは口をつけていないティーカップを無造作に置くと、身を翻す。
「トシロウ!」
「自分が捨てられる側に立っても、同じことが言えるのかな。君も、議長も」
吐き捨てるように言い残し、彼は開け放たれたままのドアから出て行った。苛立ちを隠そうともしない足取りで。
湯気を立てるパンケーキを前にして、隊員たちの空気は冷めていた。ほとんどの者は手をつけずに、ある者はトシロウの背中を見つめ、ある者は舌打ちし、またある者はじっと考え込む。調理した当人のクルカはそんな仲間たちを一瞥し、冷ややかに口を開く。
「隊長。アイツとちゃんと話し合った方がいい」
「僕もそう思います」
一人だけすでにパンケーキを頬張っていた隊員が、それを飲み下して同調する。第2小隊長のフェイフーだ。紳士的な態度の青年だが、同時に隊で最も豪胆なパイロットでもあり、最多の戦果を挙げている。
「トシロウは貴女のことを……」
「止めて。今は余計な感情は必要ない」
二人を睨みつけ、きっぱりと言い切るマイカ。フェイフーは思わず溜息を吐き、クルカも鼻を鳴らすが、彼女は平然とラジオのスイッチを入れ直した。聞こえてくるのは万雷の拍手だった。もしラハマがユーリアの引き渡しに応じなかった場合、今度はラハマが爆撃対象となる。
最近イケスカにも名の知れてきた、コトブキ飛行隊との空中戦もあり得るだろう。パンケーキにバターを塗りながら、マイカは今後の戦いに想いを馳せていた。
海が干上がり、都市の間には赤茶けた荒野が広がる世界・イジツ。ここに統一国家と言えるものは存在しない。かつて飛行機をもたらしたユーハングが去って以来、点在する多数の都市国家は抗争と和解を繰り返しながら、荒廃していく世界で共存している。
マイカにとって大切なことは何よりも、盟主イサオによる統一国家を築き上げることだった。イジツ人類の未来のために。そして自分と同じ目に遭う子供を無くすために。
それが唯一絶対の正義だと信じていた。
……しかし、その正義は脆くも崩れ去った。空に開いた『穴』と共に。