騒動が一段落し、ラハマには再び平穏が戻っていた。とはいえそれは仮初めのものだ。イケスカ動乱後、自博連から流出した戦闘機が空賊の手に渡り、空の治安は悪化の一途を辿っている。商船を失ったオウニ商会はコトブキ飛行隊を含め、立て直しのために奔走していた。街の守りは自警団が中心にならざるを得ない。
「元気だねぇ、本当に」
訓練に明け暮れる自警団の戦闘機を見上げ、羽衣丸の元副船長・サネアツは嘆息した。顔立ちはそれほど悪くないものの、その覇気のない態度が災いし、ナイスミドルと呼ばれることはほぼ無い。
自警団のパイロットたちには居場所というものがある。それに引き換え、船を無くした船乗りほど惨めなものはない。ドードー船長のように自力で飛べるわけでもないのだから。
己の不甲斐なさと、それを船員たちから馬鹿にされていることも自覚している。それでも未だに副船長の制服を着ているのはサネアツなりの意地だった。例え箒を手に、商会本部の庭掃除をするしかなくても。
「もうしばらくの辛抱よ」
不意に後ろから声をかけられ、サネアツは飛び上がりそうになるのを堪えた。いつの間にかルゥルゥが側まで来ていたのだ。
「臨時収入も入ったことだし、いずれ新しい飛行船が手に入るわ。そのときはまたお願いね」
「勿論です、ルゥルゥ!」
素早く回れ右をして、姿勢を正しつつ答える。
「あ、ひょっとして今度こそ、船長に昇進とか……」
「ドードー船長に言いつけるわよ?」
「……すみませーん」
がっくりと肩を落とし、掃き掃除を続ける。ふと臨時収入とは何のことか気になったが、すぐに誘拐事件の慰謝料のことだと察した。女だてらにこの稼業をやっているだけあって、ルゥルゥは同業者の間でも抜け目ない社長として知られている。今回も支払いを申し出たトシロウに対し、かなりの額を吹っ掛けたはずだ。
「いやぁ、しかし……対空賊の情報屋って儲かるんですねぇ。一○○式司偵なんて高級品使ってるし、保釈金、損害賠償、治療費、慰謝料……エリートさんたちにもちゃんと払ったんでしょ?」
「らしいわね」
ルゥルゥの脳裏にトリヘイの顔が浮かんだ。人生万事塞翁が馬、などと言いながらホクホク顔で帰って行った。彼も元空賊なだけにそういう所は抜け目ない。
支払いが完了した時点でマイカとその部下たちは釈放された。幹部であったフェイフーの説得もあり、全員がトシロウのクチバ新報社へ加わることとなった。
「短期間でそれだけ稼げるんですからねぇ。あの人たちも良い働き口が見つかってメデタシ、メデタシ……」
「そうはいかないと思うわよ」
意地の悪い笑みを浮かべるルゥルゥに、サネアツはぎょっとした。まさか報復するなどと言うのではないだろうか。いや、彼女がそんな一銭の儲けにもならないことをするはずがない。
「あの若社長さん、会社を立ち上げるためにタネガシでスポンサー見つけて借金してたのよ」
「……タネガシっていうと、もしかして……」
「もしかしなくてもゲキテツ一家ね」
ラハマより南に位置するタネガシは、イジツでは貴重な水源地帯である。それ故に多くの空賊から狙われており、さらにかつては土着のマフィア同士の抗争が絶えなかった。だが今では全てのマフィアが一つに統合されており、一致団結してカタギの住人たちを空賊から守っている。その勢力は自由博愛連合でさえ、迂闊に手出しできなかったほどである。
それがゲキテツ一家だ。イケスカ動乱以降、空賊の動きが活発になっているのを踏まえてトシロウに出資したのだろう。
「若社長さんもなかなか商売上手みたいでね。もう3割くらいは返済する予定だったそうよ」
「まさか、そのお金を保釈金その他諸々に使っちゃったと?」
「そういうことね」
サネアツの顔が青ざめた。マフィア相手に金銭トラブルなど起こせばどうなることか……他人事ながら恐ろしかった。
「一先ずタネガシまで謝りに行って、埋め合わせに何か一仕事させてくれって頼んでみるそうよ」
「じゃあ、あのマイカさんたちは入社早々、いきなり危ない橋を渡ることに……?」
その場にいない赤の他人に同情してしまう、元副船長。一方のルゥルゥは煙管から紫煙を燻らせ、ゆっくりと頭上を見上げた。
「
夕日に照らされる荒野の上。カウルフラップを閉じ、一○○式司偵は峡谷へと急降下する。赤茶けた荒野に走る谷は曲がりくねっており、双発機で通るのはあまりにも無謀だ。しかしトシロウは迷わず操縦桿を押し、一気に突入した。
2本のスロットルレバーを操作しつつ、突き出た岩を右へ左へと回避する。研ぎ澄まされた反射神経と本能の成せる技だった。
《マイカ、まだ追ってくるか?》
「ええ、紫電改が5機!」
一○○式司偵の前席・後席の間には燃料タンクがあるため、乗員同士の連携にはやや不便である。後ろに座るマイカは後方警戒の他、峡谷の地図、そして積んでいる『荷物』にも気を配らねばならなかった。
2人乗りの一○○式司偵だが、無理をすればもっと乗せられる。ゲキテツ一家からの依頼で捕らえた麻薬密売人を機体後方へ押し込んでいたのだ。薬で眠らせた上で縛り上げてあるが、目を覚まされたら厄介だ。その上になかなか体重があるため、本来の速度が発揮できない。
左エンジンの回転を落とし、急旋回でカーブを曲がる。やや間を置いて、マイカの視界に爆発が見えた。追っ手のうち1機が曲がりきれず、岩壁に衝突したのである。
「1機墜ちた! 残り4機よ!」
淡々と報告するマイカ。動乱以降、自博連幹部の杜撰な戦後処理のせいで、イケスカに配備されていた流星や紫電改などが空賊へ流出する事態が起きている。しかし全ての空賊が、それらの高いスペックを使いこなせるわけではない。
III型の後部座席には機銃が積まれていないため、マイカは反撃できないことに若干の歯がゆさを感じていた。しかし今は相棒の腕を信じている。
「トシロウ、この次の分かれ道を右!」
《おう!》
ナビゲートに従い、トシロウが機を旋回させる。紫電改の葉巻型のシルエットが後ろに迫っていた。おそらく悪事の情報がゲキテツ一家に漏れるのを防ぐべく、捕まえた仲間諸共抹殺するつもりだ。
やがて2人の一○○式司偵は正面に夕日を捉え、いくらか広い谷間を飛ぶ形となった。逆光で視界は悪くなるが、追っ手も照準がつけられなくなる。
「トシロウ、用意!」
そしてマイカは冷静に時間を測っていた。勝負はここで決める。
「……今よ!」
フラップ開。昇降舵を上へ。減速しながら浮き上がる偵察機の下を、4機の紫電改が通過していく。
逆光のため、そして目標を注視していたがために、彼らは気づくのが遅れた。その先の谷間が急激に細くなっていることに。
刹那、立て続けに爆発が起こった。1機が岩壁に翼をぶつけ、飛散した残骸に後続機が衝突したのだ。谷の上へ上昇したマイカは翼を傾けながらそれを確認し、周囲を見渡す。
「敵影無し」
《よーし》
トシロウの安堵の声が聞こえた。夕日に赤く染まった空の中、2基のハ112-II型エンジンの音が低く響く。かつて乗っていた五式戦と同じエンジンだ。
それに耳を傾けながらホッと一息ついたところで、無線機が電波を受信した。
《クチバ1、クチバ1。こちらクチバ2、応答願います》
「こちらクチバ1、オーバー」
フェイフーの声だ。空賊の根城から目標を拉致したのは彼率いる地上班で、その後は別ルートで脱出する手筈になっていたのだ。
《こちらは脱出に成功しました。損害ゼロ、これよりタネガシへ向かいます》
「了解。地上で会いましょう」
通信を切った後、マイカはフェイフーの声が前より生き生きとしていたように思えた。父親と同じ義賊に戻った気でいるのかもしれない。麻薬シンジケートに一泡吹かせたわけだから、確かに『弱きを助け強きを挫く』という理念には適っている。
そして当のマイカ自身も、以前より心が軽かった。重責から解き放たれたからか、または殺したと思った相棒が生きていたからか。
《よーし。あとはそのヤク野郎を引き渡せば、返済は待ってもらえるな》
「ごめんなさいね。私のために……」
《気にすんな。お前らみたいな凄腕がいれば借金もすぐに返せる。投資だよ、投資》
あっさりと言い切るトシロウに、マイカはくすりと笑った。
自分たちの評価が高まれば、ゲキテツ一家はまた困難な仕事を頼んでくるかもしれない。またそうでなくても、空賊たちから恨みを買う仕事には違いない。これからも自分たちは厳しい人生を送ることになるだろうと、マイカは予測していた。
その中で自分のやるべきことが何なのか、まだ分からない。しかしどんな人生でも、どんなに無慈悲な空でも、生き生きと笑いながら生き抜いてやろうと心に決めていた。あの赤毛の用心棒のように。
《さあ、帰るぞ。クルカが晩飯作って待ってるだろうからな!》
「ええ!」
陽光を受けながら、優美な双発機は風を切った。
お読みいただきありがとうございます。
何とか完結させることができました。