マイカは愛機を見つめていた。かつての五式戦闘機ではなく、空賊から奪い取った九五式戦闘機だ。九七式よりさらに一世代前の機体で、機首にラジエーターを持つ液冷エンジンの複葉機である。どことなく角ばった無骨なデザインで、ラジエーターのシャッターが尚更それを引き立てる。上下の翼はN字型の支柱と交差した線で支えられ、脚も剥き出しの固定脚だ。
ユーハングがイジツへ来たばかりの頃、住民の宣撫用にばら撒いた機体である。この機体もイジツの大地に合わせた赤茶色で塗装されているが、翼と胴体にはユーハングの『赤い太陽』のマークを塗りつぶした跡があった。
オリジナルと違う点を挙げるとすれば、照準器である。本来は望遠鏡型の照準眼鏡だが、ジャンク屋で手に入れた光像式に換装してあった。電気系統の改造に手こずったが、格闘戦時の照準能力は大きく高まった。
胴体に書かれた『忌』の文字は、とりあえず『寿』の逆になりそうなマークを、という意味で選んだ。だが空賊に成り下がった自分たちには似合っている……マイカは自嘲的にそう考えた。
「隊長とクルカの九五式が市街で格闘戦。そして私が上空から援護、という筋書きでしたね」
確認するフェイフーに、マイカは静かに頷いた。戦闘機に乗るのは最も腕の立つ3人で、残りは人質の見張りに残す。クルカはマイカと同じく九五式戦闘機を使うが、フェイフーが乗るのは父親の隠れ家に残されていた戦闘機だ。極めて珍しい機種だが、強力な機体ではない。低空での格闘戦では特に不利だ。
3人がかりとはいえ、これでエースパイロットの操る隼を相手に戦おうと言うのである。ほんの少し前まで五式戦闘機で威風堂々と大編隊を組んでいた自分たちが、今やこの有様だ。
「言えた義理ではないですが……トシロウがいてくれれば心強かった」
フェイフーが苦笑しながら言った言葉は、マイカの胸にも深く突き刺さった。いつも自分の隣を飛んでくれていた男の顔が脳裏に浮かぶ。
「アイツが生きてたら、こんなことは止めろって言うと思うけどね」
同じように苦笑するクルカ。確かにそうだろうとマイカも思った。実直な彼ならば、これ以上無益な争いをして血を流すなと皆を戒めるはずだ。
だがもう、彼のまっすぐな瞳を見ることも、あの力強い声を聞くことも、二度と無い。自分がそうしてしまったのだから。
「2人とも、いろいろありがとう。もし降りるなら今が最後のチャンスよ」
今から自分がやろうとしていることは逆恨みにすらならない。コトブキの隊長を撃墜したところでイサオが帰ってくるわけでも、彼が裏で行なっていた不正が取り消されるわけでもない。そしてかつての雇い主であるイケスカは市の責任逃れのため、追っ手を差し向けるだろう。
単なる自己満足の戦いに、仲間を巻き込もうとしている。マイカにもその自覚はあったが、戦友達は皆承知の上でここまで着いてきた。
「隊長。今だから言いますが、私はイサオ議長のために戦ったことはありません。全て貴女のためです」
「え……?」
フェイフーの口から出た言葉に、思わず目を見開く。
「父の空賊団が壊滅し、病気の母と2人で生きていたとき、貴女が僕を連合に推挙してくれた。だから母を病院へ入れることできました。どの道残り少ない命でしたが、最期の時を温かいベッドで迎えさせることができました」
少し懐かしそうな目をして、フェイフーは微笑を浮かべる。元空賊やその血縁者に手を差し伸べる者は少ない。せいぜいマフィアの用心棒にでもなるか、1人で追い剥ぎとして生きるか、でなければ何処かへ自首するかだ。
「そのために息子が権力の犬になったことを、父はあの世で嘆いているでしょう。しかしその道を選んだときから、僕の忠誠心は一貫して貴女に向いています。イサオ議長がいなくなっても、貴女がいる限り恩を返します。……クルカ、貴女は?」
話を振られ、クルカは頰を掻いた。
「……あたしの方は、単なる戦争中毒だけど。まあ居場所をくれたのは隊長だからね、アンタの真似をして義理を果たすのも悪くないと思ってるよ」
「だ、そうです」
覚悟は決めている。戦友達の目はそう言っていた。
今最も信頼するこの2人もまた、自分と同じ理想のために戦っていたのではなかった。トシロウもそうだった。しかし動機が違えど目的は同じであると信じ、共に戦うと誓い合った。しかし彼はすでにこの世はいない。クルカの言ったようにしっかり話をしておけば、とも思うが、彼が連合へ抱いた疑念は消せなかっただろう。
心に後悔は残るが、今自分にできることは一つ。彼らの隊長としての、そしてイサオと自由博愛連合の理想に賭けた者としての責任を果たすことだ。
「……ありがとう。最後までよろしくね」
そう答えた後、脳裏に過ぎったのはこれから戦う相手のことだった。コトブキ飛行隊隊長・レオナ。かつて“一心不乱”のレオナと呼ばれた撃墜王。
彼女と自分はどうして、こうも違ってしまったのだろうか。自問しても答えは出なかった。
陽の傾きかけた滑走路を、レオナは離陸した。隼は滑らかに離昇し、フラップと脚を畳む。ハ25エンジンは非力だが、機体が軽いため上昇はスムーズだ。主翼に緑の帯、尾翼には『寿』の字を崩したパーソナルマーク。イジツではあまり隠密性を期待できない、緑色の迷彩塗装だ。コトブキの名と同じく、飛行機をもたらしたユーハングへの敬意からくる験担ぎである。こうした理由からユーハング式の塗装に拘る飛行機乗りは意外と多いが、隠密性を犠牲にしても生き残れるという、エースの自信の現れでもある。
空の駅からは残された隊員……ザラ、ケイト、チカが見送っている。チカが大きく手を振り、ケイトは無表情ながらもどこか心配そうに見えた。それに対し、付き合いの長いザラはどこまでもレオナを信じていた。さらにやられっ放しは癪だからという理由で、エリート興業まで着いてきていた。万一敵がキリエとエンマを飛行機で移送しようとした場合は彼らが追跡し、トリヘイが飛び移って救出する手筈だ。
もっともあの2人を、特にキリエを飛行機に閉じ込めるなど、自分なら絶対にしないとレオナは思った。それこそチカの言う通り、大人しくしているわけが無いだろう。
東へ進路を取りながら、レオナは敵のことは考えた。やはりイサオ支持者の残党だろうか。イサオはラハマとコトブキ飛行隊を諸悪の根源として盛んに煽ったため、今でも自分たちを恨んでいる者がいてもおかしくはない。レオナ自身、イサオの構想は合理的で世の中のためになると信じていた。無差別爆撃は彼の部下たちが勝手にやったことだと信じたかった。だが結局、富嶽製造工場での戦いで恩人の本性を知ることになった。
キマノの街が見えてきた。10年前は大いに賑わっていたこの都市も、今では見る影も無い。レオナは周囲への警戒を怠らなかった。ゴーグルの防弾ガラスは綺麗に拭いてあり、高い透明度を保っている。ゴーグルに油汚れでもあれば、それを敵機と見間違えることもあるのだ。
だが、そのときレオナはある懸念が浮かび上がった。敵はこちらがキマノの西から来ることを見越しているのではないか、と。母船を失った今、中継地点として最も近いのは西側の空の駅だからだ。
そして今の時刻、太陽は西側……レオナ機の後ろにある。
「……まずい!」
咄嗟に機体を横滑りさせた途端、太陽光の中から飛び出してきた戦闘機が降下しつつ機銃を撃ってきた。多数の線がすぐ脇を掠め、隼の塗装が僅かに剥げる。
「くそっ!」
横滑りから操縦桿を斜めに倒し、バレルロールに入れる。隼は樽の内側をなぞるような螺旋軌道を描いた。減速することなく敵機に自分を追い越させる技術だ。
だが相手は即座に機を上昇させるハイGヨーヨーで対抗し、オーバーシュートを防ぐ。レオナの後方、そして上方を執拗にキープする。パイロットはかなりの腕だ。
ベテランのレオナだが、相手の機種は分からなかった。見たことのない戦闘機である。彗星と同様、機首にラジエーターがある液冷エンジンの単葉機。そしてその大きなラジエーターには赤い口とギザギザの歯……シャークマウスが描かれている。操縦席は飛燕や雷電と同じく、真後ろの見えないファストバック式風防だ。胴体の下に増槽を付けているあたり、大分前から待ち伏せしていたらしい。
再び、相手が撃ってくる。おそらく12.7mmだろうが、翼に合計6丁も積んでいた。こちらの機体を包み込むような弾幕が放たれる。
レオナは咄嗟に急降下した。エンジンが風圧で
目指すは市街地。隼の長所は小回りが効くことである。キマノの建物の合間を塗って飛び、攻撃を回避しつつ場合によっては反撃する……機体の長所を活かすのがパイロットの腕だ。
ビルによる気流の乱れに注意しつつ、旧市街地に突入する。謎の戦闘機は追撃を諦めたのか再上昇した。
しかし息を吐く暇はなかった。ビルの合間から飛び出してきた複葉機がレオナの背後を取ったのだ。
「九五戦だと!?」
後ろを一瞬だけ振り向き、すぐさま機を急旋回させるレオナ。イケスカの時と同様、超低空で建物の間を飛び回る市街戦。
空気抵抗の大きい複葉機より、隼の方が速度は上だ。しかしレオナほどの腕でも、入り組んだ市街地で最高速度を出し続けることはできない。九五式戦闘機はレオナの動きに食らいついてきた。
《……コトブキ飛行隊、レオナ隊長》
不意に入った無線。敵パイロットのものだと勘で察する。
《私は元自由博愛連合、親衛第四飛行隊隊長のマイカ》
「こちらコトブキ飛行隊のレオナ。このような戦闘は無意味だ。私の仲間を返してもらおう!」
回避運動を取りながらも、毅然として言い放つ。しかしそれに対して返ってきたのは、思いがけない返答だった。
《……レオナ。リノーチ大空戦以来ね》
レオナはハッと目を見開いた。8年前のリノーチ大空戦。一心不乱に戦い、撃墜され、あの男に助けられた記憶。そのとき共に戦った、同じ駆け出しのパイロットがいた。
「マイカ……“死に物狂い”のマイカか!?」
《覚えていてくれたのね》
無線を通じて聞こえてくるマイカの声は微かに震えていた。それが激情からなのか、または恐怖からなのかは分からない。
「マイカ。お前が私たちを憎むのなら、それは否定しない」
レオナは極短く息を整え、語りかける。
「工場での戦いでイサオ議長はこちらの話を聞いてくれず、私は一方的に撃墜された。お前もそうするのか?」
《……レオナ。私はもう、何が正しいのかなんて分からない。立場がちょっと変われば、正義と悪なんてすぐアベコベになる》
会話をしながらも、レオナはマイカを振り切るために、マイカは食らいつくために急旋回と加減速を続けた。上空をシャークマウスの戦闘機が抑えているため、レオナは下手に高度を上げられない。機体の性能差はともかく、空戦の勝敗は有利な位置を取れるかで決まる面が大きいのだ。
《子供の頃、私は都市間の紛争で家族を失った。だから同じ正義でイジツを一つにする、イサオさんの野心に賭けた!》
電波に乗せられた声に、感情が滲み出る。レオナは直感で察した。
戦うしかないのだと。
《私は自由博愛連合の理想を信じた者として……そのために手を汚した者として、最後まで責任を果たす! これはそのための『復讐』よ!》
九五式が撃ってきた。機首の7.7mm機銃2丁がプロペラ越しに放たれた瞬間、レオナは操縦桿を軽く引いて左のラダーペダルを踏み込んだ。
軽量な隼は風車のように回転し、九五式はその前に飛び出す。入り組んだ市街地では隼の接眼式照準器は不利になるが、ベテランのレオナは勘だけでも何とか当てられる。敵機のリベットを数えられるくらいに接近していれば。
だがその瞬間、横合いから飛び出してきた別の九五式がレオナの背後を取った。マイカ機に狙いをつける前だから気づけた。
「くっ!」
即座に空戦フラップを開き、プロペラのトルクも利用し急旋回。建物の合間へ逃げ込む。しかし複葉の九五式は速度こそ遅いが、隼の動きに追従して市街地の中を追ってくる。
横ではなく縦方向の格闘戦に持ち込まねばならない。しかし頭上では謎の戦闘機がレオナの後上方に占位しており、市街地から頭を出すことができなかった。
「今墜とされるわけにはいかないんだ……!」
普段冷静なレオナの本性は“一心不乱”。熱中すると敵を墜とすこと以外は考えられなくなる。だからこそ今は敵の射弾をかわしつつ、脳裏に仲間達の顔を思い浮かべていた。ザラの酔った顔や、パンケーキに舌鼓を撃つキリエの顔を。そうすることで、今は単機でも自分が隊長であるという自覚を持ち続け、一心不乱になることを避けていた。
今必要なのは敵機を撃墜することではなく、生き残ることなのだから。
そして何より、イケスカ動乱の中で自分が自由だと気付いた今、命を捨てることはできない。
「ジョニー、頼んだぞ……!」
お読みいただきありがとうございます。
病気になった若手の代替で一番過酷な部署へ転勤になった流水郎です。
しかし何とか繁忙期の合間にある暇な時期がやってきました。
ガルパン二次を書くつもりでしたが、コトブキの方が先に書けてしまったもので……
連載形式をとっていますが、後数話で完結する予定です。
荒野のコトブキ飛行隊は総じて面白いアニメだったと思います。
ただ空戦以外のシーンを薄めて端折って何とか12話に詰め込んだという感は否めず、批判している人の気持ちも分かりますが。
本作は原作で語られていないところを私の勝手な妄想で補完したりしているので、今後コミカライズや公式スピンオフなどが出てくれば矛盾してしまうかもしれません。
まあその場合は鉄脚少女のときと同じく「非正史(レジェンズ)」ということで。
上述の通りリアルの労働が年々過酷になっているので、もう鉄脚少女のような長期連載はやらないつもりです。
もう完結して一年以上経つのに「鉄脚少女はまぐれで人気が出ただけだから削除しろ」という脅迫文が未だに送られてくるくらいなので、逆に言えばそれだけのものを書けたのだと一人で良い気になっています。
今後もお付き合いいただける方、またはこの話から私の作品を読んでくださったという方は、今後も気の向いた時にダラダラと書いていくつもりなのでよろしくお願いいたします。