キマノの上空で戦うフェイフーは善戦していた。低空での格闘戦において、P-40は隼に対し圧倒的に不利である。その上相手はエース級パイロット2機。それでも彼は的確な操縦と回避操作で生き延びていた。ファストバック式風防で背後が見えないため、風防を開けて安全ベルトも外し、身を乗り出すようにして後方を警戒する。
しかし徐々に追い詰められていることに変わりはない。クルカが墜落したのを見て、フェイフーは反撃を試みていた。ラジエーター部に描かれたシャークマウスがケイトの背後に迫り、12.7mm機銃が火を噴く。その直前にケイトはラダーを踏み込み、横滑りで回避した。多数の火線が脇を掠めていく。
「……レオナが戦っている相手より、腕自体は上。少なくとも空間把握能力に関してはキリエ並み」
《感心してる場合じゃないって!》
ツッコミを入れつつ、チカがP-40の後ろへ回り込もうとする。
すでに何発かはP-40に命中させていたものの、決定打にはなっていない。隼の武装は機首の12.7mm機銃のみだが、ユーハングが『新型マ弾』と称した炸裂弾をつかえば20mm機関砲に迫る威力を発揮できる。しかし動乱で羽衣丸を失ってから、オウニ商会は緊縮財政。在庫の炸裂弾もレオナ機の分しかなかった。
だがそれでも、勝つことはできる。
「チカ、合わせ技で」
《よーし!》
チカ機がP-40の背後に着く。その瞬間、ケイトは操縦桿を前方へぐっと倒した。機首が下がり、廃墟のビル群が間近に迫る。それでも機首を上げず、さらに下げ続け、やがて機体は背面になる。
ケイトの得意技・逆宙返り。強烈なマイナスGで頭に血が上り、眼球が飛び出しそうな感覚に陥るも、ケイトは冷めた表情を崩さない。彼女とて苦痛は人並みに感じる。それでも全ては計算尽くの行動であり、己の腕を信じているからこそ耐えられる。
背後のチカを警戒していたフェイフーは、この動きに対応できなかった。このような低空で逆宙をやるとは思わず、降下して市街地へ逃げ込んだように錯覚したのだ。その間にケイトは頭を下に向けたまま上昇、チカのさらに後ろで水平に戻った。
「チカ、回避」
《おりゃぁぁ!》
チカが気合と共に、愛機を右へ旋回させ、離脱。フェイフーがその動きに気を取られた瞬間、ケイトは照準器の中にP-40を捉えていた。正確にはその最も脆い部分である、動翼を。
「捕捉」
左手の白い指が、機銃の発射レバーを引いた。軽快な発射音と共に、機首の機銃がプロペラの合間から発射される。
隼は射撃時の安定性が良く、ケイトの技術も高い。放たれた弾は狙い違わず、P-40の左翼エルロンを吹き飛ばした。さらにラダーを踏んで僅かに機首を振り、左尾翼の昇降舵も穴だらけにする。
人力で操作する以上、
それでもP-40は何とか機体の安定を保ち、脚を出して不時着を試みていた。ユーハング戦闘機には見られない、90度回転させて後方へ折りたたむ主脚だ。フラつきながら高度を下げていくP-40を、チカは右側方から追う。同時に通信機のチャンネルを切り替え、相手に呼びかける。
《おい大口野郎! 不時着して大人しく……》
……が、チカの言葉は途切れた。軽い衝撃と共に、何かが彼女の愛機に穴を開けたのだ。P-40の操縦席から腕を突き出したフェイフーが、隼目掛けて拳銃を撃ったのである。そして2発、3発と命中させていた。頭上から振り下ろすような妙な撃ち方で、安定しない機上からにも関わらず、だ。
《わ! わ! ふざけんな、反則ー!》
慌てて離れていくチカ、着陸操作に入るP-40。両者を見ながら、ケイトはあの機体に乗っているのは例の拳銃使いだと推察した。だとすればキリエたちを簡単に救出できたことにも合点が行く。あれほどの腕の持ち主が地上にいればジョニーも手こずったかもしれない。
そして目の前の敵を排除した今、自分たちのやることは決まっている。
「チカ。この機体にはもう構わなくていい。優先すべきはレオナの援護」
《分かってるよ! 覚えてろ、バーカ! アホー!》
子供らしい悪態を残し、チカは隊長の方へ機首を向けた。
仲間たちが墜ち、マイカは自分の敗北を悟った。しかしそれを受け入れることはできなかった。
《隊長! 逃げてください!》
フェイフーの声も無視し、隼を追い続ける。馬力で劣る九五式戦闘機では、縦方向の格闘戦で隼に勝つのは困難だ。その上、ケイトとチカの隼も迫っている。
生還は絶望的。だがそれでもいい。クルカは体当たりまでやってのけたのだ、首謀者である自分が生き残っては合わせる顔がない。
そう、かつて自分が最も信頼していたあの戦友にも。
上昇する隼。マイカは食い下がった。いくらか引き離されても、レオナが降下して攻撃へ移る際に撃つチャンスはある。燃料も弾も残り少ないが、その分機体は軽くなっている。だからまだ、どうにか戦える。
せめて刺し違えるくらいのことはできるはずだ。
《……マイカ。一つだけ答えほしい》
不意に耳に入った、宿敵の声。優位が入れ替わったためか、最初より落ち着いているように聞こえた。
《お前の気持ち、分かるとは言わない。だがこれがお前のやりたいことなのか?》
「……私は負けた途端に掌を返した連中とは違う。私たちを戦犯として追放した奴らとは」
発射レバーに指をかけつつ、マイカは言葉を振り絞った。隼の機影を照準線に捉え続ける。
「私は最後まで親衛第四飛行隊として、敵と戦い続ける! それが私の責任……やらなくてはいけない義務!」
《そんなものは無い》
不意に、隼がマイカの視界から消えた。驚愕する彼女の耳に、レオナの声が響く。
《『やらなくてはいけないこと』なんて本当は無い。私たちは『やっていいこと』の中から『やりたいこと』を選ぶ》
複葉機の欠点は空気抵抗の大きさと、視界の悪さ。主翼が2枚ある以上、どうしても死角は増える。レオナは九五式の斜め上、上翼の死角へと隠れていた。
さらにそこからスロットルを絞りつつ機首を上げ、失速反転。マイカへ隼の機首……機銃を向けた。
《ーーそれが自由だ》
刹那、九五式戦闘機に多数の弾痕が穿たれた。新型マ弾がエンジンカウルを吹き飛ばし、翼に穴を空けていく。正面の風防にオイルが飛散し、黒煙が吹き出す。
明灰色の複葉機は機首がガクンと下がり、錐揉みに入った。そのまま眼下の廃墟へと墜ちて行く。マイカは脚に軽い衝撃を受け、次いで温かなものが溢れてくるのを感じた。それが機銃弾の命中によるものだと理解するのに時間がかかった。
認める、認めないの問題ではなく、マイカは理解せざるを得なかった。私の負けだ、と。
結局得るものは何もなかったが、それは分かっていたことだった。復讐は何も生まないとは言うが、そもそも何かを生み出すために行うものではない。マイカの復讐心は行き場のない怒り……自分たちから正義を奪ったレオナたちだけでなく、信じていたイサオに対するものでもあった。
それももう終わりだ。自分は敗北した。後は死を受け入れることが、仲間たちへのせめてもの償いだ。
しかし目を閉ざした時。彼女の頭の中に、かつての相棒の声が響いた。
ーーマイカ! 右のラダーを踏め!ーー
不時着に成功したフェイフーは、愛機を置き捨て廃墟の中を走っていた。手には愛用の拳銃を握り、実弾を装填している。予備の弾は少ないが、自決用の1発はポケットの中に温存してあった。
P-40の無線機は壊れていなかったので、彼は地上からマイカに撤退を呼びかけた。しかし隊長はそれを聞き入れず、やがて撃墜された。フェイフーが向かっているのはその墜落地点である。九五式戦闘機がビルの陰に消えた瞬間、錐揉みから回復したのが見えたのだ。もしかしたら彼女は生きているかもしれない。
建物の陰から陰へと移動しながら、ふと自問する。自分は義理を果たせたのだろうか、と。
トシロウが生きていればそうしたように、マイカを止めるべきだったかもしれない。だが自分には彼女に別の道を示すことができなかった。信じていた正義を、理想を失った隊長に、希望を与えることができなかった。結局のところ、恩に報いる方法は最後まで部下であり続けることしかない。
だがマイカが生きていたとして、どうやってこの廃墟から脱出する?
一式陸攻は郊外に偽装網をかけて隠してあるが、未だに頭上を隼が飛び回っている中で離陸できるのか?
思案していたとき、路地で何かが蠢いているのが見えた。反射的に拳銃を振り上げ、『投げ撃ち』の構えを取る。本来馬上での射撃に向くとされる特殊な撃ち方だが、フェイフーはこれが一番得意だった。
しかし、撃つ必要は無かった。ビルの壁に手を着き、半ば這うようにして歩く人間。激しく破れた飛行服を纏った戦友の姿がそこにあった。
「クルカ!?」
銃に安全装置をかけ直し、即座に駆け寄る。飛行服の背中や脇腹が破れ、露出した肌にはいくらかの擦過傷が見受けられた。だがあのような墜落をしたのにこの程度で済んだのは奇跡的だ。
「クルカ! まさか生きていたとは……!」
「……フェイフー?」
抱き起こされた彼女も、虚ろな声で相棒の名を呼んだ。意識はちゃんとあるようだが、何か様子がおかしい。
「……やっぱりあたし、助かっちゃったのか」
「ええ。隊長も墜とされましたが、無事かもしれません。行きましょう、すぐそこです」
右手に拳銃を握りしめたまま、左の肩を貸そうとする。しかしクルカはそれをぎこちない手つきで振り払った。
「あたしはもういいよ……目が見えないんだ」
ゆっくりとした口調には諦観と、絶望の色があった。ハッとして彼女の頬を掴み、顔を自分へと向けさせる。目の焦点が合っていない。そして鳶色の瞳の中に、黒インクを垂らしたような斑紋が見えた。
網膜剥離を起こしている。
「どうせ死ぬつもりだったし……地べたで生きるくらいなら、いっそアンタの手で……」
「戦闘機乗りを地上では殺しません」
きっぱりと言い切り、強引に肩を貸す。そのまま引きずるようにして、ひたすら歩を進めた。
目はパイロットの命である。程度によるが衝撃で網膜が剥がれたのなら、失明を免れても視力低下はあり得るし、そうなればもう戦闘機に乗れない。そして飛行機乗りにとって、飛べなくなるということは死ぬより辛いことだ。フェイフーにもそれは分かっているが、それでも仲間を見捨てる気にはならなかった。
「新しい生き方を探しましょう。僕が手助けします」
「……あたしは空戦しか知らない」
「料理が得意じゃないですか。視力が多少なりとも戻ったら食堂でも始めましょう」
思いついたことを即座に口に出す。ほんの僅かでも希望になることを願って、だ。
「僕がウェイターをやります」
「隊長はどうすんのさ……?」
「誘ってみますよ」
新しい生き方が必要なのはマイカも同じだろう。彼女が生きていて、尚且つ気が済んでいればの話だが。
やがてクルカは虚ろな目を閉じ、クスリと笑みを漏らした。
「お人好しだね、隊長もあんたも……」
クルカの体重を支えて歩きながら、キマノから脱出する方法を必死に考える。護衛無しの一式陸攻でコトブキ飛行隊から逃げ切るのは難しいだろう。コトブキが燃料切れで撤収するのを待つ手もあるが、クルカを可能な限り早く病院へ連れていきたいし、マイカも重傷を負っているかもしれない。
空から見つからないよう陸路で逃げる、などという選択肢は最初から無かった。イジツは都市同士の距離が離れており、その間は危険な荒野が広がっている。ユーハングが航空機をもたらすまで、各都市は大規模な隊商を編成し、命がけで荒野を渡って交易を行なっていた。荒野を彷徨う獣の襲撃、砂嵐、海底火山の名残から吹き出る有毒ガスなどにより、多くの旅人が斃れてきた。そこを怪我人を連れ、徒歩で渡るなど正気の沙汰ではない。
良い考えなど浮かばないまま、2人は墜落地点へと辿り着いた。
やはり九五式戦闘機は錐揉みから立ち直り、車輪を上手く設置できたらしい。しかし制動には失敗し、前のめりに転覆していたのだ。3枚のプロペラは全て折れ飛び、翼間の張り線も一本千切れている。翼に穿たれた弾痕や、油まみれになった機体がなんとも痛ましい。
そしてその傍らに、マイカは倒れ伏していた。
「隊長!」
駆け寄り、近くにクルカを座らせる。マイカに意識はなく、顔も青ざめてはいるものの、手首を握ってみると脈はあった。
だが左脚の貫通銃創が深刻だった。太腿の付け根を縛った上で、傷口に止血用の布を押し込む直接圧迫止血法を施してあった。マイカが自力でやったのだろうが、そこで意識が途切れたらしい。
「隊長は……生きてるの?」
「まだ脈はあります。ですが、これは不味い……」
早急に2人を設備の整った病院へ運ばねばならない。だが、どうやって?
その時だった。
路地から静かな足音が迫ってきたのだ。
フェイフーは再び『投げ撃ち』の構えをとった。前方投影面積を小さくするため、体を横向きに構える。
しかし姿を現した人物を見て、彼は目を見開いた。
「ジョニーさん!?」
「やはり君だったのか……フェイフー」
両手に持った拳銃を構え、ジョニーはゆっくりと口を開いた。フェイフーの銃と同じく、弾倉がトリガーガードの前にあるタイプの自動拳銃だ。その銃口は左右どちらもフェイフーの胸にピタリと合わさっている。
「投げ撃ちで戦うガンマンと聞いて、そうだと思っていたよ」
「……貴方はもう引退したと聞きましたが?」
「したよ! だからこれ以上撃たせないでくれ!」
声を荒げるジョニーだが、その震える声は恐怖からではない。フェイフーの頰に冷や汗が伝った。
「君のお父さん……ナードゥー団長は空賊だったけど、名誉を重んずる人だった。そして何よりも、家族と戦友を大事にする人だったじゃないか」
ジョニーが一歩踏み出す。頭上に掲げた拳銃をそのままに、フェイフーは体の震えを懸命に抑えていた。
「君になら分かるはずだ。今するべきことが何か……」
力の篭った眼差しに見据えられ、フェイフーは身動き一つしなかった。ジョニーの背後……建物の陰に隠れている自警団の面々も、その様子を固唾を飲んで見守っていた。
だが、その時間はほんの数秒で終わった。
フェイフーが拳銃から弾を抜き、両手を上に挙げたのである。
「……降伏します。この2人を助けてやってください」