病院の廊下を歩くジョニーは妻のことを考えていた。彼の元から姿を消した後、ポロッカに住んでいたことは分かっている。マダム・ルゥルゥに調べてもらったところ、自由博愛連合による空襲からは避難できたが、未だにポロッカには戻っていないらしい。
富嶽編隊による爆撃は天災に匹敵する破壊力で、ユーリアによる弾劾の結果、イケスカ市は空襲を受けた都市に多額の賠償金を払うことを承知した。
ラハマは撃墜された自警団機の代替として連合の戦闘機を接収した以外、最低限の賠償金しか要求しなかった。ラハマは爆撃を阻止できたので、その分をポロッカやショウトに払って欲しいという町長の意向だ。
だが復興まではまだまだ時間がかかる。復興が済んだ後、ミキはポロッカに戻るだろうか。いっそラハマに来ればいいのに……。
「……ここじゃないの?」
後ろを歩いていたリリコに呼び止められた。いつのまにか病室を通り過ぎていたらしい。
慌てて後戻りし、ドアの前に座る自警団員に「お疲れ様です」と挨拶する。
「お疲れさん、ジョニー。こんな朝からお見舞いかい?」
「はい、ちょっと伝えたことがあって。……様子はどうです?」
「大人しくしてるよ。男の方は結構気さくな良いヤツだ」
監視役の自警団員は猟銃を携帯しているが、どうやら撃つ必要は無さそうだ。ジョニーがドアをノックすると、中から「どうぞ」という返事が返ってきた。
静かにドアを開ける。清潔な病室内ではベッドに腰掛けた少女が食事をしているところだった。ただし彼女は目の位置に包帯を巻いており、自分で物を食べるのは困難だ。
パン粥を匙ですくい、クルカの口元まで持っていくのは、側に寄り添うフェイフーの役目だった。
「やあ、おはよう」
「おはようございます、ジョニーさん」
フェイフーが礼儀正しく挨拶するのに対し、クルカは僅かに顔を向けるだけだ。大都市ほどではないが、ラハマの病院には一通りの設備が整っており、彼女は手術を受けることができた。完全な失明は免れたものの、極端な弱視になることは避けられそうにない。フェイフーの方は無傷だったが、彼女の介助者を兼ねて病院に軟禁されていた。万一のことがあればジョニーが責任を持って対処するということで、町の顔役たちも同意してくれた。他のメンバーは全員、町の留置所に拘束されている。
「病院の食事はどうだい?」
「犬の餌だね」
ぶっきらぼうに言い放つクルカ。しかし食器はほぼ空になっていた。
「毎日完食してますよね」
「どうすればマシになるか考えてるのさ」
彼女の口調はそれほど不快でもなさそうだった。自警団員が言っていた通り、大人しく病院生活を受け入れているようだ。
「結局このおっさん、アンタの拳銃の師匠だったわけ?」
「ええ」
「師匠って呼ばれるほど、いろいろ教えたわけじゃないけど……」
苦笑するジョニー。彼が凄腕の用心棒として名を馳せていた頃、時には空賊に雇われることもあった。かつて大空賊として知られていたセキト団は貧民層から絶大な支持を得ており、首領と付き合いのあったジョニーはその息子にも拳銃を教えていた。
「君は筋が良かったからね。戦闘機乗りと兼業でなければ、とっくに僕を追い抜いていただろう。生きていてくれてよかった」
「……僕は結局、父が軽蔑していた権力の犬に成り下がってしまいました」
「それもお母さんのためだったんだろう?」
ジョニーはふと懐かしそうに目を細めた。空賊として苛烈な世界で生きながら、互いに愛し合う夫婦。一介の用心棒であり、銃に頼って生きるしかなかった若き日のジョニーにとって、フェイフーの両親は憧れでもあった。そうした中で出会った女性がミキだったのだが、結局銃への愛着を手放すことができなかったために逃げられる羽目となった。
用心棒時代の異名は“逃げられジョニー”……あまりにも強すぎて戦う前に敵が逃げ出す、という名誉ある通り名だったが、今では女房に逃げられたという意味にしか聞こえない。彼自身の未練がましい態度もまた、それに拍車をかけていた。
「僕も今度こそ銃を遠ざけて、ミキと仲直りするんだ……そして今度こそ、ナードゥー首領みたいに家族を大事にして……」
「つくづく諦めが悪いわね」
「諦められないんだよ!」
冷徹に評するリリコに、病院内ということも忘れて声を荒げる。フェイフーも苦笑せざるを得なかった。
「……別にいいんじゃない?」
パン粥を飲み下し、クルカがポツリと言った。
「誰だって1人じゃ生きていけないんだから」
「そう! そうだよね!」
目を輝かせるジョニー。リリコは「ご自由に」と苦笑いした。意外そうな顔をしたのはフェイフーである。
「貴女がそんな気の利いたことを言うとは」
「……アンタが言わせたようなもんだよ」
目の見えないクルカは声を頼りに、彼の頰を軽く叩いた。1人では生きていけない状態になったからこそ、このような言葉を言えるようになったのだろう。普段からジョニーに辛辣な言葉を投げかけるリリコも、今の台詞自体に異論は無かった。ジョニーはもう少し態度を改めるべきだとは思うが。
「ま、それはそれとして」
リリコはタイミングを見計らい、本題を切り出した。
「貴方達の今後について、伝えておくことがあるわ」
……その頃、町の飛行場の隅ではちょっとした訓練が行われていた。戦闘機に関わることではなく、地上での戦いだった。
キリエが上段回し蹴りを繰り出し、エンマは身を軽くかがめてそれを避ける。同時に軸足を払いのけると、キリエはバランスを崩した。
「いたっ!」
尻餅をつきながらも、なんとか受け身を取るキリエ。ジョッキを片手に監督していたザラが苦笑する。
「キリエは重心が高すぎるのよ。あと空戦でもそうだけど、迂闊に大技を出さないように」
「う~、了解……」
悔しそうに起き上がるキリエだが、対するエンマも軽く息を切らせていた。地上で拉致された反省から、一度対人格闘の訓練をやり直そうという話になったのだが、いささか気合が入りすぎている。あれから三日間、2人とも負けず嫌いな性格ゆえに連日訓練を続けていた。最初は付き合っていたチカも飽きてしまい、愛機に乗って図書館へと繰り出した。
「さあエンマ、もう一丁! 今度は私が一本取る!」
「望むところですわ!」
「2人とも。そろそろ休憩しなさい」
ジョッキに残ったビールを全て飲み干し、ザラはやんわりと告げた。
「紅茶とパンケーキ、持ってきてあげるから」
「……そうですわね。休みましょう」
2人が日陰に入り、ザラは飲み物等を取りに向かう。その背にキリエが「シロップ多めにして!」との言葉を投げかけた。
滑走路の隅には休憩スペースもあるが、2人が入った日陰は戦闘機の翼の下だった。荒野で不時着した時はこうして日差しを凌ぎ、救助を待つのである。ただし今そこにある翼は愛機の隼ではない。
廃墟から回収された戦闘機、P-40Eだった。反対側の翼の下にはナツオ整備班長が体を休めている。見た目はどう見ても子供だが、実際は経験豊富なメカニックであり、オウニ商会でも古参社員である。レオナたちからの信頼も厚く、キリエら新参からは頼られると同時に恐れられる存在だ。
「後で整備班流格闘術も教えてやろうか?」
「えー、お尻にエナーシャハンドル突っ込んで回しまくる格闘術はちょっと……」
「ご遠慮申し上げますわ。ところで……」
ふとP-40の機首を見上げ、エンマは顔をしかめた。
「この下品な塗装はいただけませんわね」
「あー、まあ上品じゃねーな」
ナツオも同じようにシャークマウスを見上げ、苦笑する。機首のラジエーターは確かに顎のように見えるため、そこに大口のペイントを施すのはセンスとしては悪くない。しかしこの赤い口とギザギザの歯、鋭い目のデザインは賛否両論だった。エンマと同様、マダム・ルゥルゥは品が無いと評し、サネアツも「これはちょっとねぇ」とコメントした。ケイトは威嚇効果はあると評価したものの、自機に描くのは御免蒙ると言っていた。
ナツオとしては結構気に入っているが、隼には似合わないだろうと思っていた。同じようにラジエーターが機首にある液冷機ならそれなりに合うだろう。トリヘイは彗星に描くことを検討していたが、姐さんに却下された。
「これ、塗装の他に特徴あるの? なんかチカはパイロットの腕が良かっただけでパッとしない戦闘機だった、って言ってたけど」
「まあそうだなぁ……」
未知の飛行機であっても、いじってみれば特徴が見えてくる。ナツオが凄腕整備士たる所以だ。彼女が見た限り、P-40は決して悪い飛行機ではないが、隼との格闘戦は難しい設計だ。チカとケイト相手に不利な条件下で渡り合えたのは、パイロットの腕あってこそだろう。だが人間工学に配慮されている部分もある。
「乗ってる人間のことはちゃんと考えてるな。機体は丈夫だから隼より速く急降下できるし、防弾もそれなりにしっかりしてる」
「他には?」
「トイレもついてる」
「だってさ、エンマ!」
「何で私に言うんですの!?」
没落貴族の令嬢は顔を真っ赤にした。もっともトイレと言っても機外へ小便を排出する管がついているというだけなので、女性が使うのは難易度が高いだろう。ユーハング同様、この機体の製造元も『戦闘機は男が乗るもの』という前提で設計していたのは間違い無い。イジツとは戦士文化が根本的に違うようだ。
だがナツオが心底驚愕したのは、そのエンジンだった。それほど高馬力・高性能というわけではないが、スペック表に乗らない面がユーハング機より明らかに優れていたのだ。
「今朝、ケイトに1時間くらい試験飛行してもらったんだよ。終わった後カウル外してエンジンを見たら、オイル漏れが全くなかった」
「え!?」
「ちょっと、本当ですの?」
キリエとエンマの2人は心底驚いた。隼は着陸後にエンジンを見ると、いつも油まみれになっている。機種や個体によって差はあるが、基本的に飛行機のエンジンはそういう物だと思っていたのだ。
しかしP-40のエンジンは飛行を終えた後も、ナツオが思わずムカついてしまうくらいピカピカだった。その上、始動時に整備員がエナーシャハンドルを回す必要がない。操縦席からセルモーターを使って始動できるのだ。
「ユーハングはこの機体を作った連中に比べて、基礎工業力じゃ相当負けてたんだろう。それを設計屋の職人技で補ってたんだ。短期決戦なら隼や零戦が勝つだろうが、長い戦争になれば逆転されちまう」
おそらくユーハングが疾風や紫電改を作った頃には、P-40の故郷ではより強力な戦闘機が開発され、大量生産されていただろう。昨日この機体を検分したアレンも同じ意見を述べていた。ナツオにはユーハング……日本軍がイジツから去ってしまった理由が、僅かながら見えたように思えた。
「サブジーはこの戦闘機、見たことあったのかな?」
「ユーハングの技術者だったって爺さんか? もしかしたら見たかもな」
もう開発も設計もやる気はない……そう言って来訪者を追い返した老人の姿を、キリエは今でも覚えている。彼は敵に勝つために飛行機を作っていたのだろうか?
だとすれば何のために戦っていたのか?
イジツに残ることで、あの老人は戦いから解放されたのだろうか?
「……ねぇ、キリエ」
ふと、エンマが口を開いた。
「『一殺多生』というユーハングの言葉、ご存知?」
「知らない」
「一つの悪を倒すことで、大勢の人を生かせる、という意味ですわ。私、自分の戦闘機乗りとしての道はそういうものではないかと思いましたの」
地下牢での問対の後から、エンマも色々と考えていたのだろう。正しいことをしているつもりでも、立ち位置が変われば誰も悪になり得る。だがエンマの戦う理由はやはり、義憤と家の再興だった。
「人によっては私も確かにクソ虫の一員でしょうけど。それで私と同じ思いをする人が減るなら構いませんわ」
「……そうだね。凄くエンマらしいと思う」
幼馴染であるキリエは彼女の家が没落した理由も、空賊に敵愾心を燃やす理由も知っていた。キリエに心底憎い相手ができたのはついこの間のことだったが、その相手に勝利できたのは憎しみを手放したからだ。愛機が自然に飛べるように。
「私ももう、迷わない」
誰も自分から自由を奪えないし、否定することもできない。イケスカでの戦いでそれを悟った。人生の師であるあの老人が飛び去った航跡を、一歩ずつ追いかける。ただそれだけだ。
ふと、爆音が滑走路へ接近してきた。空冷エンジンの双発機だと音で分かる。
遠くに見えたシルエットをナツオが双眼鏡で確認した。
「……お、一○○式司偵のIII型か」
「あら、イジツで最も美しいとされる飛行機ですわね」
エンマも興味深げに機影を見つめる。一○○式司令部偵察機は流線型の優雅なシルエットが特徴の双発偵察機で、III型は風貌が機首先端まで延長されているため、尚更洗練されたデザインとなっている。それは外見の美らのみならず空気抵抗の低減にもなっており、彩雲と双璧をなす高速機として知られている。
やがてその流麗な機体が肉眼ではっきりと見えるようになり、胴体に描かれたカラスのマークが確認できた。滑走路上空を一周し、エンジンナセルから脚を出して着陸体制に入る。
音を聞けばパイロットの腕は分かる。左右のエンジン音をしっかりと同調させている。そのまま静かにバランスを保ったまま接地、しばらく滑走した後、機首を振って駐機スペースへと向かう。
「良い腕だ」
ナツオが感心した。静止した一○○式司偵はやがてエンジンをカットし、前席のパイロットが風防を開けた。飛行帽を被ったその男は機上で大きく伸びをすると、ゆっくりとキリエらの方を顧みた。