冷蔵庫の中に一晩置いておいた水出し麦茶が暴力的な苦さを発揮していた。1リットル1パックって書いてあったよなぁ?
最近食に関しておざなりになり始めた。
先週は一週間丸々インスタントだったし、昨日久し振りに料理をしようとして作ったのは素パスタであった。
まあ、一人暮らしの男性であるならば当然の帰結と言えるだろう。
そろそろちゃんとした飯を食いたいところである。
外に食べに行こうにも深海棲艦が海に見え隠れするこのご時世、灯台の近くに飯屋があるわけない。
しっかりとした食事をするには自炊をするか車で30も移動しなければならない。
「誰かここに来て飯でも作ってくれないかなぁ。」
切実な願いが思わず口を突いて出た。
思えば実家にいた頃は随分と楽だったものだ。
時間になれば食事ができていて掃除洗濯も親まかせ。
人間一度は一人暮らしを体験してみるべきだ、本当に母親の偉大さを噛み締めることになる。
「あぁ…ちゃんとした飯が食いたい。」
天使はここにいた。
若干青みがかった長髪が数メートル先で揺れている。
この女性、鳳翔が来てから散らかった服は片付き、乱雑な机が整理された。
埃がかっていたコンロでは青い炎が踊りその上で食材が旨そうな匂いを上げながら炒められている。
「まさか自分の事を覚えていてくれてたなんて感激ですよ鳳翔さん。」
「そんな…灯台は私達海に出るものにとっての生命線です。」
目線だけをこちらに向けながら鳳翔が続ける。
「ましてや、その守り手となる人の事を忘れるだなんて。」
天使を通り越してもはや神である。
「それよりもいきなり押しかけてしまって…迷惑だったのではないですか?」
「いえいえ、いつでも来ていただいて結構です。アポ無しでも、唐突でも平気です。むしろもっと来てください。」
どっかにパパラッチには全く別のことを言った覚えがあるが気にしない事だ。
「えぇ…そんな。」
「あぁ、そんな真剣に考えないでください冗談ですから。」
「そうなのですか…。」
心なしか沈んだ声音であった。
そこからは双方特に言葉わ交わすことは無くただ炊事の音だけがしていた。
やがて出来上がった残り物の有り合わせで作った炒め物は寅之助にとって実に数日ぶりである”しっかりした食事”であった。
それを一瞬で平らげた寅之助は鳳翔からお茶を受け取っていた。
「そういえば提督のおっさんは元気してるか?」
「ええ、今日も駆逐艦の子達と走り回っていました。」
「そうか…無駄に元気なんだな。」
「本当に、ええ本当にその通りなんです!」
鳳翔が急に饒舌になってきた。
明かに地雷というより何かの琴線に触れたようだ。
さっきまでこれでもかというほどに物腰柔らかだった彼女が急に捲し立てるように提督への愚痴が出てきた。
「この前もですね、あれ程、あ、れ、ほ、ど、岸壁の近くで駆逐艦の子を追いかけるなと言ったのに…
それは日常生活のだらしなさから職務の怠慢まで。どうやらよほど溜まっていたらしい、川の水が堰を破ったように次から次に出てきて止まらない。
(これはこれであのおっさんも大変だな)
などと寅之助が思っている裏で怒りのBGMは止まる事を知らず、ついに空が赤くなり始めていた。
いまだ提督に対して何かを言い続けている鳳翔さんの肩を叩く決心がついたのはその時であった。
「おーい、鳳翔さん。」
そう言って呼びかけるとようやく鳳翔さんの愚痴は鳴りを潜めた。
「あ、あの。私、私なんて事を…こんな…。」
そう言って顔を真っ赤に染め上げた鳳翔はぱくぱくと口を動かし始めた。
「うん、まあ、本当によく喋ってましたね。一体いつ息継ぎしていたんですか?」
「う、ううぅぅ。い…。」
「い?」
「言わないでください〜。」
ソファの上で丸くなってしまった。
「えーっとですね、外見た感じもうそろそろ帰宅された方が良いのではないかと思うんですが。取り敢えず荷物はまとめておきましたので道が封鎖されないうちに。」
「本当に、本っ当に申し訳ございませんでした。」
荷物を受け取った鳳翔は何度も何度も頭を下げながら出口へ向かう。
「いえいえ、そんな…気にしないでください。美味しいご飯食べさせてもらいましたし。」
悪い顔の寅之助が続ける。
「何よりあのおっさんの弱みを大量に握れましたし。」
「お恥ずかしい限りです。」
最後にそう言ってもう一度礼をすると鳳翔はやっと帰って行った。
「うし、それじゃあ夕飯作りますかね。」
せっかく鳳翔が片付けてくれたのだ。この最高の状態のキッチンを使わない手はない。
そう呟いて寅之助は冷蔵庫を開けた。
果たしてそこはまさにすっからかんであった。
正確には少しの調味料が残っていたが食材はまるで無かった。
「よし、きょうの夕飯は素パスタ。」
多分亀返信は続きます