ナイン・レコード   作:オルタンシア

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蒼い竜の飛翔

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《ひどいよ!お母さんも、お父さんも!》

 

白い背景に滲み浮かんだのは、“自分”だった。

《自分》はここにいるのに、《自分》の視界に映っているのは、確かに“自分”なのだ。

両手の拳をぎゅっと握りしめ、全身を使って叫んでいた。

 

《どうして?どうしてそんなことしたの?お姉ちゃんがかわいそうだよ!》

 

叫んでいる“自分”の目の前に、男性と女性が現れる。

それは、とても見覚えのある2人で、《自分》の顔が顰められるのが分かった。

2人とも、困ったような、狼狽えているような表情をしている。

 

《ねえ、何で?どうして答えてくれないの?》

 

“自分”が問う。その後ろに、すーっと浮かび上がってきたのは……“姉”だった。

 

《もういいよ、『  』。もういいから……》

 

“姉”が必死に“自分”を宥めている。

背後から“自分”に縋るように、肩に手を置いてきた。

それでも、“自分”は止まらなかった。

 

《……もういい、お父さんもお母さんも知らない!嫌い!》

 

何も言ってくれない2人に痺れを切らした“自分”が、癇癪を起こして2人に背を向け、何処かに行ってしまった。

白い背景に溶けていくように、“自分”が消え去った。

 

「………………」

 

“大輔”は、“自分”のことのはずなのに、何処か他人事のようにこの光景を見ていた。

 

 

 

 

 

 

 

『……ケ……スケ………ダイスケ!』

 

は、と目を覚ますと、目の前には心配そうに見つめてくる2つの赤い瞳。

ブイモンだと気づくのに数秒ほど気づいた。

むっくりと起き上がる。大丈夫?って聞いてきたから、ぼーっとしながらも頷いた。

 

『ホントに?でも、ずっと魘されてたぜ?』

「……変な夢見てたけど、忘れた」

 

ブイモンにそう指摘されたが、嘘である。

本当は不気味なぐらいはっきりと覚えているのだが、口にするのも憚れたので、大輔はそう言って誤魔化した。

それよりも、

 

「……ここ何処だ?」

 

辺りを見渡した大輔が言う。さあ、ってブイモンは困ったように返事をした。

大輔とブイモンがいたのは、静かな森の中だった。

ただの森ではない、適度に湿り気があるようで、剥き出しになっている肌にじっとりとした空気が纏わりついた。

しかし夏の湿気のような、不快な感じはしなかった。

森の木々が地面から吸い上げた水分を、空気中に放出しているようで、大きく息を吸い込むと肺の中に空気中に漂っている水分が入り込んで、少し冷たくなった気がした。

背の高い木々がデコボコとした足場の悪い地面から生えて、空を覆いつくしているのに、薄暗さを感じないどころか、どこか神聖な空気すら感じる。

前にビデオで見た、自然と共に生きる少年と、山犬に育てられ人間を憎む少女を主人公とするアニメ映画に出てきたような森に似ていると思った。

黒いミミズみたいなものを大量に身に宿した猪が、若干トラウマだったりする。

 

「……いや、ホントに何処だよ?」

『わ、分かんない……』

 

唖然と見上げていた大輔が再度ブイモンに問いかけるが、ブイモンは自信なさげに小さな返事をするだけだった。

何でだよー!ってブイモンの肩を掴んでがっくんがっくんと揺さぶる大輔だが、知らないもんは知らないよー!としか返せない。

でも、と解放されたブイモンが軽く咳き込んだ後、再びぐるりと辺りを見渡した。

 

『……何だろう、何か……懐かしい匂いがする……』

「懐かしい匂い……?」

 

うん、とブイモンは神妙な表情で頷く。

その表情はまるで、苦しそうな、切なげな、今にもその赤い眼から涙を零しそうだったので、大輔は一瞬息を飲んだ。

 

「ブ、ブイモン……?」

『え?何?』

 

しかしその表情は、すぐに引っ込んでしまった。

大輔が声をかけると、キョトンとした顔を浮かべて大輔を見やる。

あれ、って大輔は目を白黒させた。

この森を懐かしいと言って、今にも泣きそうな表情を確かにしていたのに、こちらを向いたブイモンは、いつもの表情をしていた。

気のせいだったのだろうか、って大輔は腕を組んで沢山の「?」マークを頭上に浮かべる。

……が、幾ら考えても答えなんか出てくるわけがないので、大輔はとっとと気持ちを切り替えた。

 

「とりあえず、ここから出ようぜ。じっとしてても、こんなに深そうな森じゃあ見つけてもらえるか、分かんねーしよ」

『おう、そうだな』

 

もう1度辺りを見渡してみる。大輔とブイモンをここまで運んだベッドが、地面に激突したためか、骨組みからバラバラになっていた。

大輔の青いパーカーと茶色いズボンが、残骸になったベッドから零れたシーツに包まれるように地面に転がっているのが見えたので、それを拾って軽く埃を払い、パジャマから着替える。

パジャマを置いていくのは憚られたので、荷物になると分かっていたが持っていく他ない。

お姉ちゃんが見たら絶対に文句を言いそうな雑な畳み方をする。

ん、と大輔はブイモンに手を差し出すと、ブイモンは何の違和感も躊躇もなくその手を取り、手を繋いだ。

しかし、

 

「……どっちに行けばいいんだろう」

『………………』

 

1歩踏み出す前に、大輔達は早速壁にぶち当たった。

自分達が今、何処にいるのか分からないのである。

だから何処に向かえばいいのか、出口が何処にあるのか全く見当がつかなかった。

気がついたらこの森の中にいたのだ、分かるはずがない。

あのいかにも怪しい館で一夜を明かそうとしたのが、きっと運の尽きだったのだ。

ずっと怪しい気配がしていたのに、上級生達に遠慮して何も言い出せなかった。

そのせいで仲間達は、そしてファイル島はバラバラになってしまった。

やっぱり言っとけばよかったかなぁ、って思う反面、言ったところで理解してくれたかどうかとも思う。

怪しい気配がするから、館から離れましょう、なんて絶対信じてくれない。

……お姉ちゃんがいたら、真っ先に話して、太一さん達に上手く言ってくれていたかもしれないのに。

一瞬そんな考えが思い浮かんだけれど、ここにいない人のことを考えても仕方がない。

大輔はぶんぶんと首を思いっきり振った。

 

『え、ダ、ダイスケ?どうしたのさ、急に……?』

「……いや、考えても仕方ねぇなって思ったんだよ」

 

いきなり首を振り出した大輔に驚いたブイモンだったが、大輔は何でもないと再度誤魔化した。

それよりもまずは太一達と合流する方が先である。

四方を森に囲まれて方向感覚が分からないが、とりあえず進んでみれば何か分かるだろう、と楽観的に考えて先に進もうと1歩踏み出した。

 

「うわっ!」

『危ないっ!』

 

斜面になっているようで、1歩踏み出したら湿っている土で足が滑りそうになった。

ブイモンが咄嗟に繋いでいる手に力を加えて、大輔が転ぶのを阻止する。

サンキュー、ってお礼を言いながら、今度は転ばないように1歩1歩踏みしめるように進んだ。

斜面になっている、ということは、ここは山なのだろうか。

斜面と言っても緩やかな下り坂で、慎重に進んでいけば滑り落ちていく心配はなさそうだ。

猪突猛進を体現している大輔にとっては、時間をかけて進まなければならないのは苛立ちの種だろうが、ここですっ転んで怪我をしても心配してくれる人(というかデジモン)はいても、絆創膏を貼ってくれる人はいない。

初めてこの世界に来た時に、逃げ回った際にスライディングするみたいにずっこけて膝を擦りむいたことがあったが、落ち着いてから空が絆創膏を貼ってくれた。

あれから1週間近く経っている。

傷はとっくによくなっていたから、膝小僧に貼っていた絆創膏は何処にもなかった。

大輔はよく転ぶから少し持ってなさい、ってその時言われていたんだけど、横着して受け取らなかったことを、今猛烈に後悔している。

 

 

目の前が薄らと白みがかってきた。

顔や腕に纏わりついてくる水分が先ほどより多くなってきた気がする。

不快さはないけれど、ちょっとべたべたしてきた。

前に進む。白みがかった光景は、少しずつ濃くなっていく。

霧雨みたいだった水分が、白いベールに変わっていく。

 

「……ブイモン、いるよな?」

『……ダイスケこそ』

 

霧雨が霧に変わるのに、時間はかからなかった。

真っ白な視界は、手で泳ぐように掻き分けるように探らなければ、障害物にぶつかってしまうぐらいに濃い。

時々間に合わなくて、気づいたときには木にぶつかることもあった。

両手でやればその危険は減るだろうに、大輔もブイモンもそれをしようとしない。

片方の手は塞がっている。2人がはぐれないように。

それでも時々互いに声をかけあって確認している。

今繋いでいる手は、本当に自分のパートナーのものなのか、それが不安で。

どちらも戻ろうとは言わなかった。来た道を引き返そうとは言わなかった。

こんなに霧が深くては、戻っても意味がないからだ。

もう前に進むしかない。

2人は更に慎重になる。

互いの手を掴む己の手の力が、ますます強くなる。

 

やがて、それは唐突に終わりを迎えた。

 

「……あれ?」

 

素っ頓狂な声をあげたのは、大輔だ。

霧が、晴れたのだ。

でもそれは徐々に薄れていったのではない。

まるでハサミで切り取られたかのように、唐突に晴れたのだ。

そこにだけ見えない壁があって、それに阻まれているかのように、押しとどめられるように終わったのである。

2年生の大輔でも、流石にそれが不思議な現象だと分かる。

沢山の「?」が大輔とブイモンの頭上に浮かんでは消えていった。

 

「……う、おー?」

 

しかしいくら考えても、大輔の頭では到底理解できそうになかったので、さっさと切り替えることにした。

霧が行く手を阻まれている箇所には、円形の空間が出来ていた。

誰の手も加えられていないような原生林だったはずなのに、大輔とブイモンが霧に誘われ、迷い込んだこの空間は、誰かが円形になるように木を植えたか、木を伐採したかのような不自然さと完璧さを感じた。

そしてその中心には、樹齢何千年はあろうかと思われる樹が聳え立っていた。

少し盛り上がった地面の上に、まるでこの森の主のように君臨しているその樹に見とれて、大輔は感嘆の溜息を吐いた。

夏休みになると毎年のように放送される、北欧のトロールがモデルと言われている妖精と2人の少女達の心の交流を描いた、アニメ映画に出てきそうな樹だと言えば想像はしやすいだろう。

あの樹のように背は高くなかったが、幹は子ども達が全員手を繋いで囲んでも足りないぐらい太かった。

生い茂っている枝のあちこちで、一定の間隔で何かが発光しているのが見える。

神々しさのような、神秘的なものさえ感じた大輔は、すごいなぁって素直な感想を抱いて、それをパートナーのブイモンと分け合おうと思い、隣にいるブイモンの方に顔を向けて……目を見開いた。

 

「へ!?ちょ、おま、どうしたんだよ!?」

『……え?』

 

ぎょっとなって、一瞬だけ硬直して、慌てて声をかける。

惚けていたブイモンは、声をかけられたことでぼんやりとしながらも、大輔の方に顔を向ける。

何で、って口をパクパクさせながら、大輔は言った。

 

「お前、何で、泣いてんだよ……?」

『………………へ?』

 

何を言われているのか理解するのに時間がかかったブイモンだったが、気づいていない様子のブイモンに大輔は手を伸ばして目元を拭ってやる。

そこでようやく、ブイモンは自分の異変に気付いた。

顔に両手を持っていくと、指先にぽつりと雫が伝った。

次から次へと雫が落ちてきて、それが涙だと気づくのに数秒かかった。

あれ、あれ、ってブイモンは慌てて拭うが、涙は留まることを知らず、ブイモンの意思を無視してどんどん溢れてくる。

 

『な、なん、で』

「ちょ、もう、勘弁してくれよ……」

 

ハンカチなんて持ってねぇよ、と呟いて、大輔はパーカーの裾を引っ張ってブイモンの目元を乱暴に拭いてやった。

しかし涙は止まらない。ダメだ、と大輔はブイモンの涙を止めることを諦めて、泣き止むのを待つという選択をした。

 

 

数十分後。

 

 

「……泣き止んだかよ」

『……ん、ごめん。急に……』

 

別にいいよ、と大輔は告げる。

沢山泣いたせいで、元々赤いブイモンの目が更に赤くなっているし、目元も少し腫れている。

水でもあればいいのだが、この辺に小川はないようなので、放っておく以外なかった。

 

「……でも何だって急に泣き出したんだよ?」

 

先ほど、懐かしい匂いがすると言っていた時も、泣きそうな表情を浮かべていたことを思いだした大輔は、気になって聞いてみる。

手のひらを押し付けるように目元を拭っていたブイモンは、未だにしゃくりあげていた。

 

『……分かんない。分かんないけど……さっきっから胸の奥が痛くて……』

「え?胸の奥が痛いって……何かの病気か?」

『……多分そういう意味じゃない』

 

そうじゃなくて、とブイモンは鼻をすすった。

 

『胸の、奥から……懐かしさとか、痛みとか、ぶわーって溢れてきて……』

 

気がついたら泣いていたらしい。

自分でもよく分かっていないようなので、大輔に理由が分かるはずもなかった。

とにかく泣き止んでくれたし、多分もう大丈夫だと思う、という何とも頼りない答えが返ってきたので、よしとしよう。

それよりも。

 

 

大輔はこのぽっかりと空いた空間の中止に立っているあの樹が、先ほどから気になって仕方ない。

ブイモンの手を取り、大輔は中心にある樹に恐る恐ると言った足取りで近づいていく。

積み上げられた岩と土の玉座の階段をあがり、時々湿った土に足を取られそうになりながらも君臨する森の王の下へと歩み寄っていった。

 

「………………」

『………………』

 

木の根元付近まで近寄って、立ち止まる。

見上げる。生い茂る枝の葉から零れている光は、どう見ても空から降り注いでいる太陽のものではない。

しかし大輔達がいるところからでは、よく見えなかった。

背は高くない樹だが、大輔が手を伸ばしても1番低い位置にある枝には届きそうにない。

光がなんなのか気になって仕方がない大輔は、しかしこの樹に登ろうという気にはなれなかった。

何と言うか、神々しさと同時に、威圧感のようなものも感じたのだ。

ただそこにあるだけのはずなのに、上から押さえつけられるような圧迫感を覚えたのである。

だが拒絶されているとも思えなかった。

それならここまで近づけない。

ここに来たのも、偶然ではないような、そんな気がして仕方ないのである。

 

 

視線を下にずらす。樹の根っこが一部盛り上がって、洞(うろ)のようになっていた。

大輔が四つん這いになれば余裕で入れそうな入口だった。

中はどうなっているのだろう、と大輔はブイモンから手を離して1歩近づいてみる。

その時であった。

 

《久しいな、人間》

 

声がした。その空間に響くような、空気をその手に収めて抑え込むような声に、大輔とブイモンはきょろきょろと辺りを見渡した。

 

「……今の、聞こえた?」

『う、うん……』

 

何処から聞こえてきたのか、自分達以外の誰かがいるのか、太一達の声ではないのは確かで、大輔は後ずさりしてブイモンの隣に並び、手を掴む。

ブイモンも、握り返す。大輔を守れるのは、自分だけだ。

ここで戦う力があるのは、自分だけだ。

致命的な弱点はあるが、今はそんなことを言っている場合ではない。

進化が出来ない?知るか、そんなこと。大輔を守るのは俺だ!

大輔の手を握る手に、力が籠る。

 

《……む?よく見れば儂が出会った子どもとは姿形が異なっておるな……》

「だっ、誰だよ!?何処にいるんだ!?」

『す、姿を見せろ!』

《おかしなことを言う。儂は目の前にいるというのに……》

 

目の前?って大輔とブイモンは顔を見合わせた後、正面に目線を戻す。

そこにあるのは、この空間の中心に聳え立っている巨大な樹だけである。

……つまり。

 

「……樹が、喋った?」

《ようやく気付いたか》

 

くつくつと含むように笑う声の主……“樹”は言った。

数十秒ほど硬直した大輔とブイモンは、その後パニックに陥ってぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる。

 

「樹!?樹が喋ったのか!?何で!?」

『し、知らないよ!喋る樹なんて俺も見たことないし!!』

《はっはっは、元気のいい子どもだ》

 

パニックになっている大輔達を尻目に、“樹”は呑気なことを言っている。

数分経ってからようやく落ち着いた大輔とブイモンは、恐る恐ると言った様子で“樹”を見上げた。

先ほどまでは遠慮なく見上げていたのに、と“樹”はまたくつくつと笑う。

何処にもないはずの目に見られているような居心地の悪さを、大輔とブイモンは感じてむすりとむくれた。

 

《……随分久しい顔を見たな。暫く見ていなかったが……懐かしい》

「?」

《いや、こちらの話だ。……人間がいるということは、またこの世界に危機が訪れているのだな?全く、いつの世も忙しない……樹として存在している身としては、平穏無事で過ごしたいのだが……》

「……どういうこと?」

《何、儂は何千年、何万年も前からここに存在している。“前”にも人間の子どもが、ここに来たのだ》

「え!?俺達の前にも人間が来たの!?」

《応。この世界に危険が迫ると、世界が人間の子どもを選出し、世界を救ってもらう。そうしてこの世界は1度破滅を免れたのだが……また人間の子どもがここにこうしているということは……》

 

“樹”が溜息を吐いたかのように、言葉を切る。

 

『どうしたんだよ?』

《………否》

 

黙り込んでしまった“樹”にブイモンが首を傾げながら問いかけたが、“樹”は何でもないと答えた。

 

「……なあ、俺達よりも前に選ばれた子どもで、世界は救われたんだよな。その時は何があったんだ……?」

《……それは儂の口からは語れぬ。儂はただ長生きしているだけの“根”に過ぎん。この世界の行く末を見届けるだけの存在。この世界の生き証人。儂に出来るのはただここに在るだけ……》

 

目の前にあるのは“喋る樹”のはずなのに、その“樹”が悲しみの表情を浮かべているような錯覚に陥って、大輔は目をぱちくりとさせる。

先ほどまで感じていた畏怖は何処へ行ったのか、大輔はブイモンの手を離すと“樹”を見上げながら近づいていき、そっと幹に手を伸ばして、撫でた。

 

《……何をしている?》

「……何か悲しそうだったから」

 

そう言って大輔は年月を重ねた、荒い“樹”の肌を優しく撫で続ける。

突然の、大輔の行動に面食らって唖然としていた“樹”だったが、やがてくつくつと笑い、そして森中に響き渡るほどの高笑いを上げる。

大輔とブイモンは、びっくりしてその場で硬直してしまった。

 

《くくくっ……子ども、名は》

「え……?だ、大輔、だけど……」

《……そうか、大輔。お前はいい眼を持っているな》

「眼……?」

 

首を傾げる大輔。

さわり、と風が吹いていないのに枝の葉が揺れた気がした。

 

《そうだ。本質を見抜くその眼……その眼ならば、孤独に身を落とした者を見極め、救い上げることが出来るやもしれぬ》

「……何言ってんのか、さっぱり分かんねーんだけど……」

《……今はまだそれでいい。この世界を救うために、お前達は呼ばれた。今はこの世界を救うことだけを考えろ。しかし、そうだな……》

 

ふむ、と“樹”は考え込むような素振りをする。

さわり、風が吹いていないのに枝の葉が揺れる。

そして、のっそりとした動きで、1番低い位置にある枝が何と動き出した。

ぎゃあっ!?と大輔とブイモンは悲鳴を上げて後ずさる。

 

「What the…!?The branch is moving!?Why!?How did you do that!?」

『ダイスケ……また変な言葉になってるよ……』

 

またもや興奮して英語で捲し立てる大輔に、ブイモンが半目になりながら指摘する。

もうだいぶ慣れてきたから、指摘するだけに留めておいた。

いけね、と大輔は口を抑えると、“樹”がくつくつと笑う。

 

《面白いな、大輔は……取って食うわけではないから、戻ってこい》

 

確かに“樹”では大輔を食べることなんかできない。

別に、食われると思ったわけじゃないし、枝が突然動いてびっくりしただけだし、と言い訳じみたこと考えながら、大輔とブイモンは手を繋いだまま、意を決して“樹”に近づいた。

 

《身に着けている聖なる絡繰りを出せ》

「?聖なる絡繰り……?」

《腰につけているだろう、お前達にのみ身に着けることを許された、“進化の光”を放つものだ》

「……もしかして、これのこと?」

 

“樹”の言いたいことを察した大輔は、ズボンにひっかけていたデジヴァイスを手に取り、“樹”に見せるように差し出す。

“樹”は枝を動かし、デジヴァイスの真上に翳す。

ほわん、とここに来てからずっと気になっていた光が点滅した。

枝が大輔の近くに移動したことで、それがはっきりと見えた。

それは、まるでガラス玉のようだった。

怖いぐらいに透明で、その中に光が包み込まれているように収まっていた。

ガラス玉には何かの塗料で塗られたような、綺麗な曲線の模様が描かれている。

綺麗だなーって見とれていたら、そのガラス玉から雫のようなものがじわりと染み出した。

ぴちょん、そんな音を立ててガラス玉から染み出た雫が、デジヴァイスのディスプレイに落ちた。

 

 

ぱぁ……

 

 

デジヴァイスが風を巻き起こしながら、眩い光を発する。

うわ、と大輔とブイモンは眩い光に、目を瞑った。

数秒ほど経って、光はデジヴァイスの中に収まるように消えていった。

 

「……びっくりした」

『な、何?今の……』

《何、これから先で役に立つだろう。ここから動くことのできない、儂からの餞別だとでも思ってくれ》

 

さて、と“樹”は言った。

 

《……そろそろ行きなさい、大輔。仲間を探さなくてはならんのだろう?》

「へ?え、あ!そうだった!」

 

本来の目的を思いだした大輔は、デジヴァイスを再びズボンにつっかけて、ブイモンの手を取り、湿った土と岩が積み上げられて出来上がった自然の玉座を降りた。

 

「あのっ、何かよく分かんねぇけど、ありがとう!」

 

降り切ったところで、大輔は振り返り、そう言った。

 

「俺、頑張るから!世界を救うとか、闇を祓うとか、よく分かんねぇけど、でも、俺に出来ることは何でもするから!」

《………………》

「ブイモンと一緒に頑張るから!だから、えっと、何て言えばいいのかな……!」

《……ふふふ、今回の子どもも随分頼もしいな。ああ、是非とも頑張ってくれ。儂はいつでも見守っているぞ……さあ、もう行きなさい。お前の仲間の1人がこちらに向かっているようだ》

『え!?な、何でそんなこと分かるんだ!?』

《ふふふ、さてなぁ。全ては風が知っているのだ》

 

そして再三、“樹”は先を促した。

大輔はもう1度礼を言って、ブイモンの手を引っ張ってその場から立ち去って行った、

 

 

空間を取り囲むように立ち込めていた霧は、いつの間にか晴れていた。

 

 

 

 

《……我が子に幸あらんことを》

 

 

 

 

大輔のために下ろしていた枝を元の位置に戻し、“樹”は再び樹となった。

 

 

 

 

 

 

「……あれ?」

 

大輔達の目の前には、風に揺れている緑が広がっている。

大輔とブイモンは目を白黒させながら、目の前の草原のエリアを見つめた。

後ろを振り返る。森があった。

しかし大輔達が先ほどまでいたはずの原生林の森ではなく、普通の森だった。

大輔達がいたのは原生林の中で、出入り口も分からないぐらい奥深いところだったはずなのだ。

少し斜面になっていて、滑り落ちないように慎重に降りて行ったのも覚えている。

しかし大輔達が今しがた出てきた森は斜面や山などではなかった。

大輔とブイモンの頭上に沢山の「?」が浮かんだが、彼らの頭では到底解決できそうにない現象だったのも確かなので、ひとまず頭の隅に置いておくことにして…………。

 

 

 

 

ぞ、

 

 

 

 

「──っ!?」

 

とりあえず無事に森を出られたからよしとしよう、ということで大輔とブイモンは仲間達を探そうと、1歩踏み出した時である。

背筋に氷のナイフを突きつけられ、なぞられたような悪寒を感じた大輔は、ひゅ、と息を飲んでその場に硬直した。

大輔と手を繋いで歩き出そうとしたブイモンも、同様に。

違うのは、硬直したのではなく戦闘態勢を取ったことである。

大輔の手を振り払って、ブイモンは両手の拳をきつく握って、胸の位置で構えながら忙しなく辺りを見渡している。

これは、殺気だ。

大輔に向けられた、明確な殺意だ。

パートナーデジモンの宿命とも呼ぶべき本能が、大輔を守れと命令したのである。

ブイモンの瞳孔が極限まで凝縮され、戦闘態勢を取りながら辺りを忙しなく警戒している。

 

『……誰か、いるの?』

 

気が立っているのか、ブイモンの声がいつもより低い。

 

 

 

 

 

──キシッ

 

 

 

 

 

何処かで、闇が笑った気がした。

 

 

 

 

 

 

『……っ!危ない、ダイスケ!』

 

何かに反応したブイモンが、大輔を押し倒すように飛びついた。

直後に、大輔がいた位置に上から何かが降ってきた。

ドゴォ、という轟音と共に地面が岩と瓦礫に変貌する。

 

「なっ、なっ、なっ……!?」

『……いた、あいつだ!』

 

事態を飲み込めきれない大輔が目を白黒させているのを尻目に、ブイモンは攻撃が降ってきた方角……上空を見渡し、そして何かを発見した。

あれ、と指さした先に、長い紐のようなデジモンが飛んでいた。

青みがかった緑のボディーに、頭部の骨のようなものを被っている。

真っ赤な翼は、少しボロボロになっていた。

最初の夜、ガブモンが進化した夜に戦った、シードラモンにそっくりだった。

 

「ブ、ブイモン……あれって……!」

『エアドラモンだ……何でここに……!?』

 

エアドラモン、と言うらしい。

シードラモンのシーは恐らくSea、つまり海のことだろう。湖に住んでいたから、そんな名前なのだろう。

ならばエアドラモンのエアはAir、空気のことだ。赤い翼に、空を飛んでいることから間違いない。

いや、それはどうでもいいのだ、割と。

今どうにかしなきゃいけないのは、この状況だ。

自分達を攻撃してきたということは、自分達の敵なのだろうか。

デビモンの差し金?大輔は訳が分からない。

でもブイモンは、もっと訳が分からなかった。

 

『おかしい、おかしいよ、ダイスケ!』

「え?おかしいって……何が?」

『エアドラモンだよ!エアドラモンはファイル島にはいないはずなんだ!もっと遠くの……とにかくここじゃないところにいるはずなんだよ!』

「ええっ!?」

 

ブイモンの言葉に大輔は混乱するしかない。

ここにいないはずのエアドラモンが、何故ここに?ブイモンに聞いても、ブイモンは首を振るばっかりだ。

どうしよう、大輔は狼狽えるしかない。

そうこうしているうちに、大きく口を開いたエアドラモンが、再び技を放ってくる。

ブイモンは大輔の手を握って、その場から走った。

直後に、背後から地面が破壊されたような音が聞こえたが、振り返る余裕はない。

 

『ギシャァアアアアアアアアアアアア……!』

 

走った大輔とブイモンの後を追って、咆哮を上げながら翼を羽ばたかせた。

間違いなく、あのエアドラモンは大輔達を狙っている。

 

「ど、どうしよう、ブイモン……!」

『ど、どうしようったって……流石に無理だよ、オレ、空飛べないもん!』

 

至極全うな反論に、大輔は何も言えなかった。

ブイモンは空を飛べない。成熟期への進化もできない。

逃げ回るしか、彼らに許された手段はなかった。

 

『くそぅ、オレが空を飛べたら……!』

 

空を飛ぶ手段を持ち合わせているのは、ピヨモンとテントモンだけである。

自分がどんな進化をするのか、進化してみるまで分からない。

もしかしたらピヨモンやテントモンのように、翼を持ったデジモンかもしれない。

アグモンのようにがっしりとした体格の、地上戦に向いているデジモンかもしれない。

ゴマモンのように、水中戦に特化したデジモンかもしれない。

デジモンの可能性は、無限大だ。

しかしブイモンも大輔も、今はまだそのことを知らない。

今しなければならないのは、エアドラモンから逃げることだ。

エアドラモンは、なおも執拗に空から攻撃を仕掛けてきている。

森の中に逃げ込むか?それなら目くらましになりそうだけど、エアドラモンは凶悪な上に、1度狙いを定めたら撃墜するまで逃がさない。

やり過ごすことは不可能に近いだろう。

どうする、どうしよう……。

そんなことばかり考えていたせいで、大輔を引っ張っていたことが頭から抜けてしまったらしい。

 

『……あっ!』

「うわっ!」

 

気づいた時には、目の前の景色が開けていた。

両側に立ち並んでいた樹々が突然途切れて、空がいっぱいに広がったのである。

がらり、と足元の地面の一部が欠片になって崩れ、下に広がっている白波を立てた海に落下する。

デビモンのせいで1枚の紙を千切ったようにバラバラになってしまった島の欠片には、これ以上逃げ場はない。

 

『ギシャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!』

 

背後から聞こえてくるエアドラモンの咆哮のせいで、回れ右をすることは叶わなかった。

ならば森の中に逃げ込むしかない。

ブイモンは大輔の手を引いて横に広がっている森に逃げ込もうとした。

 

『ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

赤い翼を羽ばたかせ、必殺技であるスピニングニードルという、幾つもの鋭利な真空刃が大輔とブイモンに襲い掛かってきた。

ぎょっとなったブイモンは、このままでは大輔が危ないと手を離して思いっきり突き飛ばす。

吹っ飛ばされた大輔は地面を滑りながら尻餅をつき、木にぶつかってとまる。

何するんだよ、という抗議の言葉は、大輔の口から飛び出してくることはなかった。

大輔が見たのは、エアドラモンの必殺技が周囲を取り囲むように直撃し、その衝撃で宙に投げ出されたブイモンの姿だった。

直撃は免れたらしいが、宙に投げ出されたブイモンの身体は後ろの方へ吹っ飛ばされる。

後ろ……つまり、千切れて切り立った崖の方に。

 

「ブイモン!!」

 

大輔が咄嗟に手を伸ばすが、小学2年生の大輔の腕は短すぎてブイモンには届かない。

あ、と言っている間にも、ブイモンの身体は重力に従って海に吸い込まれていく。

考えるよりも先に、大輔は行動を起こした。

立ち上がって、走って、地面を蹴り、大輔は崖に落下していくブイモンを追うように飛び降りたのだ。

 

『ダイスケッ!?』

 

ブイモンは目を見開く。

エアドラモンの攻撃から大輔を護るためにその手を離したのに、あろうことか大輔は自分の後を追って崖から飛び降りたのだ。

どうして、何で。

ブイモンは焦る。

必死の形相で手を伸ばしてくる大輔。

このままでは一緒に、海に落ちてしまう。

そうなればエアドラモンは好機とばかりに、自分達を攻撃してくるだろう。

水中に特化しているわけではないこの身体では、思うように動けない。

 

──大輔を、護ることが出来ない。

 

そんな考えがブイモンの頭を過った時、心の奥が、頭の中が熱くなった。

 

『ダイスケェエエエエエエッ!!』

 

大輔の手がブイモンの手を掴む。

海面まであと2メートル、と言ったところまで迫っていた。

ずっと待っていたパートナーを、こんなところで死なせない!

ブイモンの感情が高ぶる。

大輔のズボンに引っかけられていたデジヴァイスが、“金色の光を放って”ブイモンに伸びていく。

デジヴァイスから与えられた情報によって、ブイモンの身体のデータが書き換えられていく。

黄金に包まれた龍を、大輔は見た。

大きくなった身体を支える、太い脚。スラリとしたボディーは、グレイモンのがっしりとした体形とはまた違った、逞しさを感じた。

背中から翼が生える。エアドラモンのものとは違い、少し小さかった。

ブイモンだったものを包んでいた黄金色が、その身体に溶けるようにすーっと消えていく。

海面まであと数十センチというところまで迫った時、ブイモンだったものは大輔をその逞しい腕で抱きしめ、くるりと反転しながら上昇する。

宙を舞い、そして落ちた崖の上に大輔を下ろした。

突然の出来事に目を白黒させていた大輔だったが、目の前に佇んでいるものを見てじわじわと理解する。

露わになったのは、ブイモンが大きくなったような姿だった。

青いボディーと赤い眼は健在だが、顔つきは愛らしい表情から随分と逞しくなった。

鼻のようだった顔の角は、鋭い刃になって長くなっている。

そして何より、ブイモンの時にはなかった、腹部のマーク。

間違いでなければ、あれは大輔もよく見慣れた文字だ。

あれは……。

 

「……ブイモン?」

『違うよ、ダイスケ。俺、進化したんだ。今はエクスブイモンだよ』

 

デジモンは、そう名乗った。

エクスブイモン。ブイモンが進化した姿である。

やはり、ブイモン……エクスブイモンのお腹にあるのは、Xの文字だ。

Xというより、Vという字の下に斜めの線が入っているように見える。

ようやく進化を果たしたブイモン、基エクスブイモンに、大輔の口角が徐々に上がっていく。

大輔が喜んでくれているのだと分かって、エクスブイモンも微笑んだが、今はそれどころではない。

 

『ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

 

咆哮が聞こえる。エクスブイモンと大輔は顔を上げた。

エアドラモンが長い身体をくねらせながら突進してきた。

でももうエクスブイモンは焦らない。

ばさり、と背中の翼を広げると、エクスブイモンは地面を蹴って飛び上がった。

あ、という大輔の呟きを置いてけぼりにして、エクスブイモンは攻撃をしようと口を開いているエアドラモンに、猛スピードで突っ込み、そのスピードを殺さず拳をエアドラモンの口に叩きこんでやる。

 

『ギシャアアアアッ!!』

『……っ!』

 

エアドラモンに触れた瞬間、エクスブイモンの表情が一瞬歪んだが、地上にいる大輔からではそれは見えない。

短く息を吐いてざわつきそうになる心を抑え込み、エアドラモンから距離を取って睨みつける。

大輔を狙っていたエアドラモンは、標的をエクスブイモンに変える。

 

『ギシャアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!』

『おっと……!』

 

赤い翼を羽ばたかせ、長い身体をくねらせながらエアドラモンがエクスブイモンに向かって行く。

エクスブイモンは背中を向けてエアドラモンから距離を取るように飛び回る。

 

──……進化はできたけど、どうすれば……!

 

放たれる攻撃を難なくかわしながらも、エクスブイモンは考える。

念願だった進化は果たしたが、ブイモン……エクスブイモンには致命的な弱点がある。

誰かに触れられるのがダメ、というものだ。

触るのは大丈夫だが、触れられると動けなくなってしまうのである。

先ほど攻撃した時も、一瞬だけ身体が硬直してしまった。

進化をしたことで余裕が出来たのか、いつもの発作のような症状は出なかったものの、いつまでも逃げ回っているわけにはいかない。

下には大輔がいるのだ、大輔を守らなければならない。

 

『ギシャァアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!』

 

は、と我に返る。気がついたら飛ぶスピードが落ちていて、すぐ背後にまでエアドラモンが迫っていた。

まずい、と思ったと同時にエアドラモンが尻尾の部分を振り回してきた。

反射的に受け止める。

 

『ギシャアア……!』

『──っ!!』

 

ぞわり、とした感覚が背中を走る。

誰かに触れられた時と同じ、あの感覚。

ひ、と小さく悲鳴をあげたが、ぐっと堪えた。

 

「頑張れぇええええっ!!エクスブイモォオオン!!」

 

何故なら、大輔の声が聞こえたからだ。

下を見る。デジヴァイスを握りしめて、必死に声援を送ってくれているパートナーがいる。

それだけで、エクスブイモンは力と勇気が湧いてきた。

そうだ、触られるのが嫌だとか怖いとか、泣き言言っている場合ではない。

大輔を守らなければ!

 

『ギシャアアア……!』

 

懸命に声援を送る大輔を、エアドラモンが苛立たし気に見下ろす。

その眼が明らかに異様なことに、エクスブイモンは気づいた。

何と言うか、目がギラギラとしている。

口の端から唾液をだらだらとだらしなく垂らしていて、歯をカチカチと鳴らしていた。

パートナーとしてだけでなく、デジモンとしての本能が警鐘を鳴らす。

これは、早々にかたをつけなければまずいと。

 

『っ、うらぁあああああああああっ!!』

 

掴んだ尻尾を気合だけで離さず、そのまま1周して振り回して投げ飛ばしてやった。

 

『エクス……!』

 

そして畳みかけるように、次の攻撃に移る。

両腕を胸の前で交差させ、しまい込むように身体を丸めた。

腹の辺りが薄らと光ったのが、大輔には見えた。

 

『レイザー!』

 

ば、と勢いよく身体を広げると、腹に描かれている『X』の字から同じ形の光が発射された。

真っすぐ伸びていくソレは、エクスブイモンによって投げ飛ばされたエアドラモンに直撃する。

かなり強く投げ飛ばされたらしく、エアドラモンは翼で体勢を整えることすらできなかったようだった。

 

『ギシャァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア……!!』

 

断末魔のような咆哮を上げながら、エアドラモンは投げ飛ばされた勢いと、エクスブイモンが放った光線によって、遥か向こうへと吹っ飛ばされていった。

 

──何か、呆気なかったな……

 

肩で息をしながら、エクスブイモンは思う。

殺気を漂わせながら襲い掛かってきたにも関わらず、大して苦戦せずにエアドラモンを撃退できてしまった。

初めて進化をしたから、興奮していつもより力が入ってしまったのだろうか。

……グレイモンやガルルモンも、最初に進化した際には割とあっさりと敵を倒していたから、そういうものなのだろうか。

何だか嫌な予感が拭えない。あのエアドラモン、黒い歯車で操られていた他のデジモン達とは、何かが違っていた気がした。

……早くここを離れた方がいいかもしれない。そう判断したエクスブイモンは、徐に下に降りて行った。

 

「エクスブイモン!」

 

大輔が駆けつけてくる。

頬を上気させて、興奮しているようだった。

 

「You’re great! Awesome! And you’re able to flying now! Please! Can I get a ride to you!」

『……ダイスケ。今度でいいから、俺にダイスケが喋っている言葉を教えてくれないか?』

 

こうも頻繁に英語で捲し立てられてしまっては、もう驚いたり指摘したりするのも面倒である。

せめて大輔が何を言っているのか理解できるぐらいにはなっておきたいなぁ、と苦笑しながら言った。

またやってしまった、と大輔は口元を抑え、照れ笑いをする。

その時だった。

 

「大輔くーん!」

『ブイモーン!』

「!この声は……!」

 

聞き慣れた大好きな声がしたので、大輔の頭部にあるはずのない子犬の耳がピンと立ったような幻覚が、エクスブイモンには見えた。

勢いよく声がした方向を振り返れば、100メートルぐらい向こうに大好きな女の子が、手を振りながら走ってくる姿があった。

 

「ヒカリちゃーん!」

『プロットモン!……あれ?』

 

隣にいるのはプロットモンだと思って声をかけたエクスブイモンだったが、だんだん近づいてくるにつれて、何かがおかしいと気づいた。

それは、すぐに分かった。

プロットモンがプロットモンではなかったのだ。

薄いピンク色の四足歩行の子犬ではなく、白い猫のような姿をしていたのである。

 

『プロットモン、だよな?進化したのか』

『あら、アンタ……ブイモン?ダイスケの傍にいるってことは』

『ああ、今はエクスブイモンだ。今しがた進化した』

『ふーん?ワタシはテイルモンよ。じゃあさっき飛んでったエアドラモンは、アンタの仕業って訳?やるじゃない……』

『……褒めてる割には、不機嫌そうだな……?』

『当たり前でしょう!せっかく進化して、アンタやパタモンをあっと言わせてやろうと思っていたのに!まさかアンタまで進化してたなんて……』

『……謝った方がいいか?』

『莫迦ね、ワタシを更に不機嫌にしたいわけ?ちょっと拗ねただけよ、気にしないで』

 

どうやらプロットモンが進化したデジモンはテイルモンと言うらしい。

ということは成熟期、今のエクスブイモンと同じだ。

その割に、大きさはブイモンよりも小さかった。

ブイモンもアグモンやガブモンと比べるとチビなのだが、そのブイモンよりも小さいのである、本当に成熟期なのかと疑ってしまうほどだ。

しかも念願の進化を果たして、まだ進化をしていなかった仲間に自慢してやろうと思えば、同じく進化をしていたブイモン、しかもグレイモンほどではないが大きい。

テイルモンが拗ねてしまうのも、無理はなかった。

ヒカリも興奮しているようで、エクスブイモンの周りをうろつきながら、すごいすごいって興奮している。

褒められて悪い気はしないけれど、今はそれは置いておいて。

 

「ねえ、ヒカリちゃん。他の人は?太一さんは?」

 

未だ興奮してエクスブイモンの周りをぐるぐる回っているヒカリに問いかけると、我に返って首を横に振った。

 

「ううん、私とプロットモン……テイルモンだけだったの……大輔くんは?」

 

ノー、と大輔は言った。つまりいいえだ。

そっか、ってヒカリはがっかりした。

でもすぐに気持ちを切り替える。

大輔くんに逢えたからいっか。なっちゃんの言ってた通りだ。

嬉しくて、ヒカリはくふくふと笑った。

しかしなっちゃんのことは誰にも言わないと約束した。

大輔にも言わない。約束したのだから。

 

「大輔くんと逢えてよかった」

「俺も!」

 

2人は向き合いながら、互いの両手を握った。

にこにことした笑みに、テイルモンは溜息を吐きながら優しく見守る。

 

『……テイルモン』

 

隣に立っていたエクスブイモンが、腰と声を落としてテイルモンに話しかけた。

大輔とヒカリは、気づかない。

 

『……何?』

 

エクスブイモンに倣って、テイルモンも小さく返す。

 

『……早く、みんなと合流しよう。何だかきな臭い……嫌な予感が離れないんだ』

『……奇遇ね。ワタシもそう思っていたわ』

 

エクスブイモンも、テイルモンも、表情が険しい。

聞けば、テイルモンに進化したきっかけを話してくれた。

ドリモゲモンに襲われた、と。

 

『ドリモゲモン?ファイル島にはいないはずだろう?』

 

エクスブイモンが驚く。

大輔達がいるのは、デビモンによって散り散りにされた、ファイル島の残骸である。

周りは何もなく、ただ広い海のど真ん中にぽつんと存在しているファイル島には、いわゆるガラパゴスであった。

古代よりその姿を変えずに生きているデジモン達が、多く生息している場所。

だからいわゆる“亜種”に当たるエアドラモンや、ドリモゲモンがいるはずがないのだ。

一体何故……。

 

『……考えるのはよしましょう、エクスブイモン。ワタシ達がしなければならないのは、ここに生息するはずのないデジモンが、何故いるのかを話し合うことじゃないわ』

『……ああ、そうだな』

 

パートナーとして、子ども達を守ること。

エクスブイモン達が何よりも優先しなければならないのは、大輔達の安全の確保だ。

そのためにも、はぐれた仲間を探さなくてはならない。

幸い、今のエクスブイモンなら空を飛べる。

乗せるのは、身体の小さな子どもと、成長期と変わらない姿の成熟期。

しかもエクスブイモンが触れられても問題のない人選である。

これはラッキーとしか言いようがなかった。

ヒカリとお話している大輔に、エクスブイモンは手を差し出した。

 

『……ダイスケ、ヒカリ。オレの手に乗って。タイチ達と合流しよう』

「え、でも、太一さん達が何処にいるのか……」

『それなら大丈夫よ』

 

太一達も、大輔達と同じように散り散りになったファイル島の残骸に飛ばされてしまった。

何処に太一達が飛んだのか分からない今、闇雲に動き回るのは得策ではない。

だがテイルモンは言う。

 

『ワタシ達がしなきゃいけないことは何?』

「……太一さん達と合流すること?」

『そうじゃないでしょ。貴方達は何のために呼ばれたの?ゲンナイが言っていたでしょ、この世界を救うためだって。そのためにはまずファイル島の闇を祓ってほしいって。つまり?』

「……デビモン?」

 

ヒカリがコテン、と首を傾げながら言うと、そう、とテイルモンは頷く。

 

『デビモンは昨夜ワタシ達をバラバラにしたわ。ワタシ達の目的が分かっていたみたいだから、邪魔させないために。そしてそのデビモンが住んでいるのは、ファイル島の中心とも言えるムゲンマウンテン……』

「あ、そっか!」

 

ファイル島を覆っている闇というのは、間違いなくデビモンである。

闇を祓うということは、つまりデビモンを倒す、ということだ。

すなわち。

 

「デビモンを倒すためには、ムゲンマウンテンに行かなきゃいけない……」

「きっとお兄ちゃん達も、そう考えてムゲンマウンテンに向かっているよね!」

『そういうことよ。ただ闇雲に散り散りになったファイル島を1つ1つ探すよりも、目的地にさっさと向かった方が効率がいいわ』

「そうだな!よし、エクスブイモン!頼むぜ!」

 

ようやく合点がいった大輔とヒカリは、エクスブイモンの大きな手に乗った。

ゆっくりと手を挙げて、肩の方に移動させる。

大輔とヒカリは、エクスブイモンの方に座った。

 

『大丈夫か?』

「俺は平気!」

「わ、私も……」

『念のために手で支えてるし、ゆっくり飛ぶから……』

『……っと、ワタシもいつでもいいわよ』

 

テイルモンもエクスブイモンに飛び乗り、準備は万端である。

 

『よし、行くぞ!』

「「おー!」」

 

地面を蹴り、飛び上がる。

ジェットコースターに乗った時のような浮遊感が、ヒカリの内臓を擽った。

ひえ、とヒカリの口元が引きつっている。

大輔は楽しそうだけれど。

 

『3人とも、しっかり捕まってるんだよ!』

 

身体を地面と平行にするように、エクスブイモンはムゲンマウンテンに向かって飛んで行った。

数分もしないうちに、陸地が海に変わる。

散り散りにされたファイル島は、ただ静かに地平線へ吸い込まれるように流されていくのが見えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《………………………………………………………………………………………………………………キシッ》

 

 

 

 

 

 

 

 

何処かで、闇が笑った気がした。

 

 

 

 

 

 

.


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