ナイン・レコード   作:オルタンシア

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嗤う闇

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日はすっかり傾いており、少々肌寒い風が吹き始めている。

鮮やかな緑のキャンパスは、夕暮れのオレンジに染まっていた。

 

たくさんの赤ちゃんデジモンがいるエリア、いつもなら夜ご飯をお腹いっぱい食べて、うとうとし始める時間帯である。

だが赤ちゃんデジモン達はいつまで経っても自分のゆりかごに向かおうとしないし、そもそも夜ご飯もまだだった。

いつもご飯をくれるデジモンがすぐ傍にいるのに、いつまで経っても夜ご飯を用意してくれない。

でも赤ちゃん達は催促するために泣くこともしなかった。

出来なかった。むしろお腹が空いていることも、忘れているようだった。

赤ちゃん達はみんな、賢の周りに群がっていた。

両手で目を擦るようにぐしぐしってして、えぐえぐってしゃくりあげて、パタモンと赤ちゃん達が仕切りに大丈夫?大丈夫?って顔を覗き込んでいる。

でも賢は泣き止まない。ずーっとずーっと両目から大量の涙を流して、パタモンがどれだけ声をかけても何も言わずにしゃくりあげているのである。

パタモンは困っていた。

泣きそうになったり、静かに涙を流したり、泣くのを堪える賢の姿は何度か見たことがあったけれど、先ほどみたいに泣き喚くことはなかったのである。

だからどうやって慰めていいのか分からなかった。

ずっと傍でおろおろしていることしか、できなかったのだ。

……無力な自分が情けない。パタモンは項垂れるしかなかった。

 

『……あ、のよ』

 

未だしゃくりあげている賢と、項垂れているパタモンに、気まずそうに話しかけたのは、喧嘩を売ってきた赤いウサギである。

エレキモンという名前のデジモンで、ここ《はじまりの町》で、赤ちゃんデジモン達のお世話をしているそうだ。

誰に頼まれたわけでもなく、勝手に世話をしているらしいのだが、それは置いておくことにして。

赤ちゃん達のご飯を調達するために、少し離れた小川で魚を取っていたら、泣き声が聞こえてきて、駆け付けたら賢とパタモンがいた。

それを見たエレキモンは、赤ちゃんデジモン達が虐められていると勘違いしてしまったそうだ。

 

『……さっきベビー達から聞いたよ。世話してくれてたんだってな。なのにいきなり攻撃して、悪かったよ』

『ボクはいいから、ケンに謝って』

 

ちょっとだけぶっきらぼうになってしまったのは、致し方なしか。

賢もパタモンも、赤ちゃんデジモンが珍しかっただけだったのに、とんだ不可抗力である。

 

『……おう、ケン、ごめんな?』

 

エレキモンは賢の方を向いて改めて謝罪するも、賢は未だに泣き止んでおらず、返事をすることもできない。

困ったように頭をかいたエレキモンは、気まずい空気を払拭するために、今日はここに泊まっていけと提案した。

もう日が暮れている。辺りはオレンジに染まっている。

今からここを出て何処かへ行こうとも、夜になれば夜行性の野生デジモン達がうろついており、小さい2人では危ないとのことだ。

お腹も空いてきたし、エレキモンが赤ちゃん達のために取ってきて、放置していた魚を取ってくると言って、エレキモンは走り去っていった。

賢は、まだ泣いている。

 

『ケン……』

 

泣き止んでくれないパートナーを、途方に暮れながら見上げるパタモン。

どうしたら泣き止んでくれるのだろうか、必死に考えても何も思いつかない。

幾ら声をかけても、賢はパタモンの存在なんか忘れちゃったみたいに、何も答えてくれないのである。

ごめんねって言っても、泣き止んでって言っても、賢はいつも見せてくれる笑顔を浮かべてくれないのである。

ただぎゅってパタモンを抱きしめて、ぐりぐりって顔をパタモンに押し付けて、涙をボロボロ零しているのである。

 

 

だって思い出しちゃったのだ。

今よりももっと小さい頃に、パパとママが毎日のように喧嘩をしていた日々のことを。

ママのヒステリックな悲鳴と、パパの宥めるような怒声、それから時々響く破壊音。

兄の治と一緒に、子ども部屋に閉じこもって、枕で頭を覆ってじっと耐えていた日々。

パパとママは毎日喧嘩をしていた。子ども達が聞いているかもしれないなんて、これっぽっちも考えないで。

兄と弟は、そんな暴力から逃れるために、いつも部屋の中に閉じこもっていたか、外に逃げていた。

そして仲の悪い両親に巻き込まれる形で、仲のいい兄弟は離ればなれになってしまった。

賢にとって“喧嘩”とは、絆を、家族をぶち壊す象徴でしかない。

だから目の前で友達が喧嘩を始めた時、賢は息が止まりそうになった。

何が起きたのか、理解が出来なかった。

いつもニコニコしていて、甘ったれで賢にべったり引っ付いて、お兄ちゃん達が戦っている間は、大輔とブイモン、ヒカリとプロットモンと一緒に後ろで控えていたはずなのに、それが見たことのない形相でエレキモンと取っ組み合ったのだ。

聞いたこともない声で、怒鳴っていたのだ。

その瞬間、友達と口論することすら避けようとするほどに争いごとが苦手な賢の脳裏に、普段は心の奥底に閉じ込めている悍ましい記憶がぶわーっと蘇った。

ドアの隙間から見えた、母の形相。母を宥めようとする父の憔悴しきった背中。死んだ目をした兄。

時折聞こえてきたのは花瓶が割れる音。前のお家には嫌な記憶しか残っていない。

その記憶が目の前で再現され、賢は震えた。

視界が真っ白になったり真っ黒になったり、足ががくがく震えて、呼吸も荒くなって、心臓がバクバクと胸を突き破りそうなぐらい激しく波打った。

いつもなら傍にお兄ちゃんがいてくれるから、我慢できた。

大丈夫だよ、お兄ちゃんがいるからねって頭をよしよしして、ぎゅーってしてくれるから、耐えられたのに。

でも今、ここにお兄ちゃんはいない。

大丈夫って言ってくれる人がいない。

友達のパタモンは、賢を置いてけぼりにして、賢が大っ嫌いなことを盛大にしでかしてしまった。

色んなものが積み重なった賢が、パニックを起こしてしまったのは仕方がないと言えよう。

 

 

賢はまだ泣いている。

大粒の涙をボロボロ零しながら、パタモンを抱えて震えながら。

 

──ボクじゃダメなの?

 

賢が泣いてしまった本当の理由を知らないパタモンの心に、一点の曇りが浮かぶ。

大輔やブイモン、ヒカリやプロットモンがいてくれたら、少しは違ったのかな。

彼らがいてくれたら、きっとすぐに賢を慰めてくれたのに。

そんな考えに至ったことすら、嫌悪感を抱いてしまう。

自分はケンのパートナーなのに、ケンのパートナーは自分なのに、自分じゃない誰かがいてくれたらいいのにって思ってしまった。

だってさっきっからずっと自分が慰めているのに、賢は全く自分を見てくれないのである。

聞いてくれないのである。自分がここにいるのに、賢は何も言ってくれないのである。

パタモンの心にどんどんどんどん、まるで透き通った綺麗な水に落ちた一滴の墨が広がっていくように、曇っていく。

泣き止んでくれない賢、一瞬でも自分じゃなくて他の誰かを思い浮かべてしまったことに、パタモンは顔を歪め、そして……。

 

『……うぇええええええええええええん』

 

賢の気持ちに引っ張られるような形で、泣きだしてしまった。

ボロボロと涙を零して、賢の腕の中でわんわん泣いている。

いきなり泣き出したパタモンに、顔をぐりぐり押し付けていた賢は目をぱちぱちさせて、パタモンを見下ろした。

 

「パタモン……?ど、どうしたの……?」

『だっでぇ~ゲンがなぎやんでぐれない~~ながないでっでゆっでるのに~』

 

泣いているせいで言葉に濁点がついているが、つまり自分が泣き止んでくれないことで泣いているのだと理解して、賢はようやく涙を拭った。

 

「ご、ごめんね?ごめんね、パタモン、僕、気づかなくて、あの」

『う゛ええええええええええええええええええ……』

 

立場が逆になって、今度は賢があたふたすることになる。

ごめんね、ごめんねって賢はパタモンをぎゅーっと抱きしめて、また泣いた。

周りに群がっている赤ちゃんデジモン達まで泣きそうになっていた。

でも2人は気づかない。ただ気の済むまでひとしきり泣いて、泣いて、泣いて、目を真っ赤にして泣き止んだのが、数十分後。

泣きはらした目は、2人とも真っ赤だ。

賢はパタモンを抱えなおして、ぼんやりと空を見上げる。

オレンジ色に染まっていた空の向こう側から、僅かに濃紺が顔を覗かせていた。

エレキモンは、まだ帰ってこない。

 

「……お腹空いたね」

『エレキモンがご飯作ってくれるって』

 

きゅるん、と可愛らしい音が賢とパタモンの腹から同時に聞こえた。

あれだけ泣いたのだ、体力が消耗して空腹になるのは仕方ないだろう。

賢が泣き喚いていた際にエレキモンが言ってくれたことを話せば、賢はそっかと言って立ち上がった。

 

「じゃあ、お手伝いしないと。エレキモンもきっと僕が急に泣いちゃったから、びっくりしちゃったよね。謝らなきゃ……」

『……何言ってるのさ。ケンは何も悪くないよ?』

 

突然喧嘩を売ってきたのはエレキモンの方だ。

勘違いで、赤ちゃん達を守るためだったとはいえ、理由も聞かずにいきなり攻撃してくるのはいただけない。

下手をすれば赤ちゃん達を巻き込んでいたのかもしれないのに。

 

「しょうがないよ、エレキモンは赤ちゃん達を守りたかっただけなんだ。帰ってきたら知らない人がいて、びっくりしちゃっただけだよ」

『もー、どうしてケンはそんなに優しいんだよー?自分が怪我してたかもしれないのに……ボク、怖かったんだよ?』

「……うん、ごめんね、パタモン」

『………………』

 

飽くまでも悪いのは勝手に入ってきた自分達で、エレキモンは悪くないと言う賢に、パタモンは呆れるしかなかった。

だってこうすれば丸く収まることを、賢は知っているのだ。

自分が悪かったのだって思えば、自分から謝れば丸く収まるのだ。

そうすればそれ以上拗れないって、自分さえ我慢すればいいんだって、まだ小学2年生なのに悟ってしまったのである。

……そして、もしかして、ってパタモンは何となく気づくのだ。

自分のパートナーは自分が思っている以上に争いごとが嫌いなのではと。

いつもニコニコしていて、自分が知らないことを何でも知っていて、頭の回転が早い、自慢のパートナー。

パタモンもいずれは、他のデジモン達と同じように進化を果たし、賢を守るために奮闘するだろう。

それが当たり前だと思っていたのだが、ここに来てパタモンと賢の間に僅かな溝が生まれてしまった。

 

──もしも……

 

パタモンは思うのだ。

もし自分が賢を守るために進化をしたとして、その時賢は……今まで通り自分の友達でいてくれるのだろうかと。

賢を守るためだけでも、賢は泣いて拒否をしたのだ。

もしも自分が戦うために進化をした時……自分と賢はどうなってしまうのだろう?

 

「エレキモンと仲直りできたから、もういいじゃない。ね?」

『……ケンがそう言うんなら、もういいよ』

 

賢がこれ以上エレキモンを責めないというのなら、パタモンはそれに従うだけである。

正直もっと色々と言ってやりたいことはあるし、賢を守るパートナーとしてはエレキモンがいきなり攻撃をしてきたことは許せないけれども、もうどうでもよかった。

大事なのは、賢なのだから。賢がもういいって言っているから、許してやるのだ。

ボクって何てカンダイなんだろ、と自画自賛する。

きゅるん、と再びお腹が鳴った。

お腹空いたなーエレキモン何処かなーって賢の腕に抱かれながら、はじまりの町と森のエリアの境目に辿り着く。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

何処かで、闇が笑った気がした。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「っ!!」

 

森のエリアに右足を踏み入れた瞬間、全身に氷水をかけられたような悪寒が走った。

ぎくり、と賢とパタモンはその場で硬直し、立ち止まる。

ぎゅ、とパタモンを抱える賢の腕に力が入った。

風が吹く。森の木々が揺れる。葉が擦れる音がする。

目の前には森、そして後ろには沢山のおもちゃと赤ちゃんで溢れたはじまりの町。

小川の潺と、赤ちゃんデジモン達のきゃあきゃあという楽しそうに騒ぐ声が聞こえる。

幾ら見渡しても、何の変哲もない光景が広がっているだけだというのに、この壮絶な違和感は何だ。

何かがおかしいと、賢の本能が警鐘を鳴らしている。

ここから離れろと、逃げろと激しく鼓動する心臓が訴えている。

 

 

がさ

 

 

森のエリアとはじまりの町の境界に立っている賢の耳に、風が吹いたにしては不自然な葉の擦れる音が届いた。

小川の潺と赤ちゃんデジモン達の楽しそうな声の方が遥かに大きいはずなのに、微かな葉音が嫌に響いて、賢とパタモンは大袈裟に跳ねた。

 

がさ、がさり

 

音がまた聞こえる。

気のせいだと思いたかったのだが、再び葉っぱの音が鳴ったので、その希望は無残にも打ち砕かれた。

 

がさり……ぽろ

 

再度音がする。直後、茂みの向こうから何かが転がった。

それは、枯れて折れたらしい樹の幹だった。

坂になっている、敷き詰められた河原の石に、茂みからゴロゴロと枯れ木が転がってきたのである。

同時に、賢の背筋を舐めていた悪寒がふ、と消えた。

緊張して変に力が入っていた賢の肩から力が抜け、パタモンを抱きしめていた腕の力も緩んだ。

ずるり、とパタモンが賢の腕から落ちるように抜け出した。

頭の羽を動かして、転がってきた枯れ木の下へと飛んでいく。

待って、って硬直が解けた賢も慌ててパタモンの後を追う。

賢の手のひらサイズほどの石が沢山敷き詰められた地面は少し歩きにくかった。

今パタモンと離れるのは少し心細い、と言うのもあったが、パタモンの行動が少し気になったのだ。

転がってきたのはただの枯れ木のはずなのに、パタモンがピリピリしているような気がしたからだ。

いつもなら賢の安否をまず確認するだろうに。

……先ほど、エレキモンと喧嘩をした時のパタモンのことを思い出して、少しだけ身震いしてしまったのは、内緒だ。

 

「パタモン、待ってよ!」

 

駆け足でパタモンの後を追う。しかしパタモンは賢の声など聞こえていないように、枯れ木に向かって真っすぐ飛んで行った。

距離にして、約20メートル。飛ぶのが上手ではないパタモンは、耳の羽を一生懸命動かして、枯れ木の下に辿り着いた。

じ、と見下ろしている。数秒遅れて、賢もパタモンの隣に立った。

 

「パタモン?どうしたの?この枯れ木がどうかしたの?」

『……ウッドモンだよ』

「ウッドモン?」

『うん。枯れた樹みたいだけど、こいつもデジモンだよ。でも……』

 

パタモンは眉を顰めて、枯れ木……ウッドモンを見下ろす。

 

「どうしたの?」

『……ウッドモンは、ファイル島にはいないはずなんだ』

「そうなの?」

『うん……ケン、ここから離れよう?何か、嫌な感じがする』

 

ここにいるはずのないデジモンが、ならば何故いるのか。

力なく転がっているだけのウッドモンに、妙な胸騒ぎを覚えたパタモンは、賢の足をぐいぐいと押してウッドモンから離そうとした。

 

 

 

 

 

 

 

 

《………………………………………………………………………………………………………………キシッ》

 

 

 

 

 

 

 

 

『………………』

 

むくり、と。立ち去ろうとした賢とパタモンの背後で、気を失っていたはずのウッドモンが緩慢な動作で起き上がった。

ゆ~らゆ~らと非常にゆっくりとした動きで左右に揺れるその姿は、傍から見れば不気味だが背中を向けている賢とパタモンは気づいていない。

 

『……あ゛』

 

喉の奥から絞り出したような呻き声が落ちる。カラン、とウッドモンの足元の石が転がった。

パタモンの大きな耳がその音を捉え、振り返る。

 

『……あ゛、あ゛……』

 

一拍遅れて、賢も後ろを売り向いた。倒れていたはずのウッドモンが、立っていた。

ゆらゆらと身体を左右に揺らしながら、呻くような掠れた声を出しながら、口の端から唾液を垂らしながら、そしてくり貫かれた幹の向こうから顔を覗かせている青い眼を泳がせながら。

 

『あ゛……あ゛……』

『っ……!』

「え……な、何……?ウッドモン、どうしちゃったの……?」

 

その異様な光景に、賢もパタモンもただならぬものを感じたようだ。

賢の口元は引きつっており、パタモンもピリピリとして四つ足で地面を踏みしめていた。

 

『あ゛……あ゛、あ゛あ゛、あ゛、ぁ、あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ッ!!!』

 

ゆらゆらと左右に揺れながら、根っこのような足をゆっくりと動かして、1歩前に出た。

直後に、賢も1歩下がる。

ウッドモンが1歩近づく、賢も1歩下がる。

そして、咆哮。喉が突き破れるほどの声量と、複数の声が重なっているような雄たけびに、賢は咄嗟に耳を塞いだ。

びりびりと空気が震えるほどの咆哮は、森とはじまりの町に響き渡り、そのエリアに住んでいるデジモンや赤ちゃんデジモン達を怯えさせた。

 

『あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛あ゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛っブランチドレイン!!』

 

全身をガクガクと揺らし、腕になっている枝を小刻みに震わせながら、再度咆哮を上げる。

直後に、でたらめに振り回した腕がゴムのように伸びた。

片方は空に向かって、もう片方は賢とパタモンに向かって。

危ない、とパタモンは賢を押し倒すように飛び掛かり、伸びてきた腕から庇う。

森のエリアとはじまりの町の境界にいた賢は、パタモンに押されてはじまりの町の方へと滑るように転がっていく。

仰向けに転がった賢の視界に、ウッドモンが伸ばした木の枝の腕が横切るのが見えた。

目を白黒させてひっくり返っている賢に、パタモンが逃げてと叫んだ。

 

「え、な、何……?」

『あの木の枝みたいな腕に当たると、エネルギーが全部吸い取られちゃうんだ!』

「ええっ!?」

 

パタモンの言葉を聞いて顔を真っ青にさせた賢は、慌てて立ち上がって逃げようと振り返った。

だが、その足が地面を蹴って走り出すことはなかった。

何故ならパタモンに背を向けて逃げようとした賢の視界に、赤ちゃんデジモン達が映ったからだ。

何が起きているのか理解できていないらしい赤ちゃんデジモン達は、目をぱちぱちさせながら賢を見つめていた。

 

ダメだ、と賢は立つために地面に添えていた手を握りしめる。

 

このまま逃げると言うことは、はじまりの町を走るということだ。

はじまりの町には元からいた赤ちゃんだけでなく、賢とパタモンが孵してしまった赤ちゃん達も、沢山いる。

もしもこのまま賢がはじまりの町の方へ逃げた時、ウッドモンが追いかけてこないという保証はないのである。

赤ちゃんデジモン達を巻き込むわけにはいかない。

そう思った賢は、はじまりの町ではなく、ウッドモンの方に向かって走り出した。

 

『ケン!?何してるの!?』

「赤ちゃん達を巻き込めないよ!」

 

ウッドモンを牽制していたパタモンはぎょっとなったが、賢のその言葉で彼の行動を理解した。

ウッドモンは引っ込めた樹の枝の腕を再び伸ばそうと構えたが、パタモンが空気砲を放ってそれを阻止する。

川を挟んでウッドモンがいる岸とは反対側に逃げた賢を追って、パタモンも耳の羽を動かして賢の後を追う。

虚ろに呻いていたウッドモンは、暫くキョトキョトとした様子だったが、やがてのっそりとした動きで賢とパタモンが逃げた方角へと向かった。

 

 

 

 

 

「はあっ、はあっ、はあっ……!」

 

どれぐらい走っただろうか、賢の息は切れかかっている。

足も縺れて何度か転びそうになっていた。

気が付けば周りは樹々が立ち並んでおり、空は生い茂った葉で覆われて辺りは薄暗くなっていた。

後ろからついてきていたはずのパタモンはいつの間にか賢を追い越しており、先導してくれている。

しかしもう賢は限界である。額から、首から、全身から汗が噴き出しており、薄紫のTシャツが所々濃い染みを作り出していた。

立ち止まり、膝に手をつく。肩で息をする。全身から噴き出した汗が重力に従って滴り落ちる。

もうこれ以上は走れなかった。

少し先を飛んでいたパタモンは、そんな賢に気づいて戻ってくる。

 

『ケン!』

「……っ、ご、めん……!もう、僕、はしれ、な……!」

 

息も絶え絶えに、賢はパタモンにそう言った。

膝をついて肩で息をする賢の背を擦りながら、パタモンは先ほど来た方角を睨む。

ウッドモンが来る気配はない。

追いかけてくるのを見たわけではないのだが、あのウッドモンは明らかに異常である。

いきなり攻撃してきたこともだが、目の焦点が合っておらず、口の端から涎をだらしなく垂らしていた姿は、かなり不気味だった。

そもそもウッドモンはここ、ファイル島にはいないデジモンだ。

それなら何故、ウッドモンはここにいるのか。考えてもパタモンには思いつかない。

でも1つだけ、はっきりしたことがあった。

 

──あれは、黒い歯車で操られているのではない。

 

今まで何度か黒い歯車で操られたデジモンと対峙したことはあった(正確には他の仲間達が、である)が、あれとは全く様子が違う。

黒い歯車で操られていたデジモン達は、黒い歯車に宿った闇の影響で心を悪に染めてしまったが、意識と意志はきちんと存在していた。

だがあのウッドモンは……。

 

『……あ゛、ア゛……』

『っ!!』

 

パタモンの耳が、ウッドモンの呻き声を捉える。

もう追いかけてきたのだ、とパタモンは顔色を変える。

逃げなければならないのだが、賢はまだ走れそうにない。

パタモンは覚悟を決めてウッドモンの呻き声がする方を向き、いつでも攻撃を放てるように体勢を整えた。

しかし、しっかりと大地を踏みしめていたはずの四肢が、ふわりと浮き上がり、周りの景色が流れていく。

肩で息をして、もう走れないと弱音を吐いていた賢に抱きかかえられているのだと気づいたのは、数秒後。

 

『ケン!?』

「っ、ダメ……!絶対、ダメ……!」

 

びっくりして賢の名前を呼べば、賢は譫言のようにそう言った。

暫く走って立ち止まり、辺りをきょろきょろ見渡すと、賢は近くの茂みに飛び込み、息を潜める。

このままやり過ごすつもりのようだ。パタモンは、訳が分からない。

 

『ケン、このまま逃げたってしつこく追いかけてくるだけだよ?そうだ、エレキモンと合流しようよ!ボクはまだ進化出来ないけど、エレキモンと2人で力を合わせれば……』

「静かにっ!」

 

口を塞がれる。抱きしめられる。激しく鼓動している賢の心臓が、パタモンの耳に響いてくる。

パタモンを抱きしめている腕は、震えていた。

頑ななまでに争いを避けようとする賢に、パタモンは歯がゆい思いを抱く。

このままでは、賢も傷ついてしまうかもしれないのに。

 

『あ゛………ア゛ぁ……』

 

息を潜めてじっとしていたら、ウッドモンの呻き声が聞こえてきた。

確かめたくとも、賢が強く抱きしめているせいで、茂みから顔を覗かせることが出来ない。

目を閉じ、最低限の呼吸だけして、身体を丸めている賢が、妙に手慣れていることに違和感を抱いたものの、今はそれどころではなかった。

非力でも、パタモンはデジモンである。

パートナーである。賢を守るために生まれてきたのである。

ウッドモンを倒すことが出来ずとも、追い払うぐらいなら出来るし、先ほどパタモンが言ったようにエレキモンと力を合わせれば何とかなるかもしれないのだ。

それなのに、賢はパタモンを抱きしめて、やり過ごそうとしている。

逃げようとしている。

“そうすればいいのだということを知っている”。

自分や仲間達が幼年期だった頃、逃げることしか出来なかったように。

 

『あ゛…………』

 

ウッドモンの呻き声が近づいてきている。

賢の心臓がより一層激しく鼓動している。

そんな賢を落ち着かせようと、パタモンは声を出さずに賢の頬を撫でて、宥めようとする。

荒くなりそうな呼吸を必死に抑える。

喉がカラカラになって、でも唾液を飲み込む音すら響きそうな静寂な森の中で、賢は唇を噛みしめて我慢する。

大丈夫、我慢するのは慣れている。息の潜め方も、時のやり過ごし方も、知っている。

自分達が我慢をして、時が過ぎるのを待てば、いつか終わりは来るのだ。

両親の喧嘩が、離婚をすることによって終わったのと同じように。

……迎えたのは、最悪の結末《シナリオ》だったけれど。

 

『あ゛あ゛ア゛……』

 

呻き声が近い。賢の喉が引きつりそうになるが、口を抑えることで何とか堪えた。

ど、ど、ど、と心臓が胸を突き破りそうなほど、更に激しく鼓動していた。

パタモンを抱きしめる腕にも、更に力がかかっている。

苦しくて息が出来ない、とパタモンは言いたかったが、声を出せばウッドモンに見つかってしまう。

そうなればウッドモンとの交戦は免れないだろう。

それはパートナーの子どもが望んでいることではない。

追い払うために戦うことが出来ないのは悔しいが、パートナーの子どもを悲しませるのは本意ではなかった。

ただじっと耐える。息を潜めて、そこらへんに転がっている石のように。

 

『あ゛ー……』

 

呻き声が遠ざかっていく。さく、さく、さく、とウッドモンがゆっくりとした動作で、根っこのような足を動かして歩いている音がする。

 

「………………」

『………………』

 

遠ざかっていく。

 

「……行、った、かな……」

『…………みたい』

 

小さい小さい声で、賢は言った。

パタモンは耳の羽をぴくぴくさせて、遠ざかっていく音を拾う。

ウッドモンがこちらに気づいて、戻ってくる様子はなさそうだった。

そう言ってやれば、賢はやっと詰まらせていた息を全て吐いて、肩から力を抜き…………。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

《………………………………………………………………………………………………………………キシッ》

 

 

 

 

 

 

 

 

ぞわり、と全身の産毛が総毛だつ。

ひゅ、と息を飲み、パタモンを抱きしめていた腕には再び力が籠った。

パタモンも、本能が刺激されて険しい表情になった。

今度こそ賢の腕から逃れて、賢の前で大地を踏みしめる。

犬や猫などの動物が、自分を襲おうとしている他の動物に対して、毛を逆立てて威嚇するように。

 

 

そこには、見たことのないデジモンがいた。

今の今までいなかったはずの場所に、突如として現れたのだ。

景色の中から浮かび上がっていたのでも、何処からか飛んできたというわけでもなく、まるでそのデジモンがいないフィルムといるフィルムを無理やりくっつけたかのように、本当に突然に現れたのである。

そのデジモンは、全身がピンク色をしていた。

腕の大きな爪は毒々しいほどに赤く、頭部には2本の長い角が生えている。

顔の模様は目なのだろうか、まるで悪魔のような細い眼をじっと見ていると、心が、魂が捕らわれそうで賢は息をするのも忘れてしまった。

 

「パ、パタモン……あの、デジモン、何……?」

 

賢は辛うじてそれだけをパタモンに問いかけたが、パタモンは答えなかった。

対角線上にいるピンク色のデジモンを睨んで、地面にめり込むほどに足で踏みしめている。

こいつは、ダメだ。

敵意や殺気などが、デビモンの比ではない。

デビモンがその内に秘めている闇の力など、可愛いものだ。

もっと深い……光も、闇でさえも飲み込むほどの、“暗黒”。

そうだ、“暗黒”をデジモンにしたような、そんな違和感だ。

 

《………………………………………………………………………………………………》

 

ピンク色のデジモンは、最初に軋むような音を出す以外に何も発しない。

それが余計に不気味であった。

一体何の目的で賢とパタモンの前に現れたのか、そもそもこのデジモンは一体何なのか。

賢に危害を加えるつもりなのなら、相手が誰だろうが怯むわけにはいかない。

治とガブモン、それに仲良しの大輔達もいない今、賢を守れるのはパタモンだけだ。

パートナーの子どもが、争いを避けたがるとかそんなことを言っている場合ではない。

あいつは、自分が傷ついても戦わなければ……。

 

だから、反応するのが一瞬遅れた。

 

目の前のデジモンが敵意とか悪意とか殺気を超えたものをパタモン達に向けていたから、すぐ後ろに危機が迫っていることに気づけなかった。

 

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『っ!!』

 

にたり、と見たことのないデジモンが笑った気がして訝しんでいたパタモンは、ようやく背後から迫ってきた殺気に気づき、振り返る。

賢のすぐ背後から、焦点の合わない目を泳がせ、ニタニタと笑っている口の端から大量の唾液を零し、木の枝の腕を賢の頭上に突き刺そうとしている、ウッドモンの姿。

 

『エアーショット!!』

 

身体いっぱいに大きく息を吸い込み、空気の塊をウッドモンにぶつける。

吹っ飛ぶウッドモン。一瞬の出来事だったので、賢はそのまま棒立ちになっていた。

我に返ったのは、ウッドモンが地面に力なく転がっていった時。

目を見開いて、口元を引きつらせ、全身を震わせながら、錆びたロボットのようにぎこちなく振り返る。

地面に転がって、口の端から涎を垂らしているウッドモンの姿に、賢は引きつった。

 

『っ、あいつは……!』

 

思いっきり息を吸い込んで吐き出したために、若干息が切れている。

吹っ飛ばしてピクリとも動かなくなったウッドモンを睨みつけて、は、とパタモンは振り返る。

あのピンク色のデジモンは?振り返った先には、“何もいなかった”。

 

「パ、パタモン……!」

『ケン!怪我はない!?』

 

緊張から戻った賢は、駆け足でパタモンの下へ駆け寄る。

怪我はないかと問えば、ないと答えたので、パタモンはほっとする。

だが、安心はしていられなかった。

 

『…………………………あ゛』

「っ!?」

『っ!!』

 

微かな呻き声を拾った賢とパタモンは、ギクリと身体を硬直させる。

恐る恐る、賢とパタモンは振り返る。

パタモンが吹っ飛ばしたはずのウッドモンは、いつの間にか起き上がっていた。

相変わらず目は虚ろで、口の端から大量の唾液を垂らしている。

 

『ア゛……あ゛あ゛ア゛……』

「あ……」

『ケン、下がって……ケン!?』

 

もう1度吹っ飛ばしてやろうとしたが、賢が咄嗟にパタモンを抱き寄せて後ずさる。

パタモンは賢の腕から逃れようともがくが、賢は強く抱いて離さなかった。

このままでは賢を守れないのに、賢は頑ななまでに戦おうとしない。

それは即ち……賢がパタモンの進化を望んでいないのと、同じこと。

 

『ブランチドレイン!!』

 

そして、ウッドモンは容赦なく、木の枝の腕を伸ばす。

様子のおかしいウッドモンには、関係ないのだ。

賢に戦意がないとか、パタモンは弱い攻撃しか出来ないとか、そんなこと全く関係ないのである。

ただ目の前に動くものがある、エネルギー源がある、それだけだ。

他のデジモンのエネルギーを自分の生きる糧としているウッドモンに、相手の都合など関係なのだ。

木の枝の腕が伸びる。賢とパタモンに迫る。

賢は、逃げようと足を動かした。

 

スローモーション。

 

パタモンを抱いたまま、そこから逃げようと右の方を向く。

でも遅い。行動するのが遅すぎた。

ウッドモンの木の枝の腕はすぐそこまで迫っている。

エアショットで吹き飛ばしてやりたくても、パタモンは息を吸い込むことで空気の塊を吐き出すのだ。

賢に抱きしめられている状態では、息を大きく吸い込むことが出来ない。

賢は走り出す。ウッドモンに背を向ける。木の枝の腕は、賢の首筋まで、あと数センチというところまで迫っている。

鋭い木の枝の先が刺されば、一貫の終わり。

 

──このまま賢を守れずに、みすみす賢を失ってしまうのだろうか。

 

賢の腰に携えたデジヴァイスに、僅かに光が灯った。

 

 

『フォックスファイヤー!!』

 

同時に、勇ましい掛け声と、青白い一閃の炎が真っすぐ伸びてくるのが見えた。

 

《ギぃあ゛あ゛ア゛あ゛ア゛ア゛ア゛ア゛あ゛あ゛ア゛あ゛あ゛あ゛ア゛ア゛あ゛ア゛あ゛あ゛ア゛あ゛あ゛あ゛ッ!!!》

 

断末魔と共に、ウッドモンが青白い炎に包まれ、燃え上がる。

 

「けーん!!」

『パタモン!無事かー!?』

 

聞こえてきたのは、大好きな兄の声と、そのパートナーの声だった。

燃え上がって断末魔を上げているウッドモンを呆然と見つめていた賢とパタモンは、一閃の炎が伸びてきた方角と、聞こえてきた声の方に顔を向ける。

蒼い狼の背に乗り、兄が森の向こうから駆けてきた。

 

「賢!よかった、パタモンも無事だね!」

『オサム……ガルルモン……どうしてここが……?』

『はじまりの町の赤ちゃん達とエレキモンが教えてくれたんだ』

 

聞けば、エレキモンは賢とパタモンが森の中へ逃げ込み、更にウッドモンが追いかけていった後に、はじまりの町に帰ってきたらしい。

騒がしい赤ちゃん達から事情を聴いたエレキモンが仰天して、賢とパタモン達を助けるべく、森の中へ行こうとしたところを、ガルルモンに乗った治が駆けつけてきた、ということらしかった。

 

「……そう、だったんだ。ごめんなさい、お兄ちゃん……」

「何を謝る?赤ちゃん達を巻き込まないように、森に逃げたんだろう?賢は何も悪くないよ」

『そうさ。パタモンと一緒にウッドモンと戦ってたんだろう?』

『…………う、ん』

 

あれ?とガルルモンは首を傾げる。

パタモンはガルルモンの言葉を否定しなかったが、何処か複雑そうな表情を浮かべたからだ。

パタモンならきっと、そうだよって、えっへんて胸を張って、頑張ったボクを褒めて褒めてってすると思ったのに。

というか、ウッドモンに追われていたにしては、進化をした様子が見られなかった。

進化していれば、間違いなく2人ともはしゃいでいただろうに、そんな気配が全く見られないのである。

治もその違和感に気づいたようで、困ったように眉尻を下げながらガルルモンの方に顔を向けた。

何かあったことは確実なのだろうけれど……治は兄として、今賢に問いただしても絶対に答えないだろう、ということだけは、分かっていた。

 

「……とりあえず、はじまりの町に戻ろうか。エレキモンも、心配していたよ」

『さっき、コウシロウ達とも合流したんだ。アンドロモンから話を聞こうって。さあ、乗って』

「……うん」

『………………』

 

乗りやすいようにしゃがんだガルルモンは、それでも賢にとっては大きかったため、治が抱っこして乗せてやる。

パタモンは賢の腕の中、そして治は賢が落ちないように、彼の後ろに乗って支えるように抱えてやる。

捕まっててね、とガルルモンが促し、そして優しく走り出した。

置いていかれる風が、賢の頬を撫でて気持ちいい。

いつもならきっとはしゃぐ状況に、しかし賢は素直に喜べなかった。

その賢の様子に、やっぱり何かあったんだな、と思いながらも、治は無理に聞き出すことはしなかった。

 

「………………」

 

賢は振り返る。

遠ざかっていく、賢とパタモンがいた場所。

 

 

燻っていたウッドモンは、影も形もなくなっていた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ムゲンマウンテンの頂上に、デビモンが集めた闇の力が集結していく。

デビモンは高揚する気持ちを抑えきれず、高笑いを洩らした。

 

『いいぞ……もっともっと集めて…そして世界を……世界を美しい闇で満たし、我が手に……!!』

 

子ども達がここに向かってきていることは、分かっていた。

生意気にも、自分を倒そうとしていることも。

 

──そうはさせない……!

 

世界を手に入れるためにも、この世界が呼んだ救世主などに、邪魔をされるわけにはいかなかった。

自分こそが、世界の支配者なのだ。

この島も、海の向こうにある大陸も、全て自分のものにする。

海の向こうに住んでいる、強いと言われているデジモンも、全て自分の糧にしてやる。

自分以外の強者など、必要ない。生きとし生ける者全て、自分にひれ伏し、恐怖し、崇めるがいい。

 

──あと少し……。

 

頭上に集められた闇の卵を見上げながら、デビモンは暗い笑みを浮かべた。

後少しで、パワーアップするために必要な闇が集まる。

その闇を身に宿し、まずは邪魔な子ども達を……。

 

『……何だ、貴様は。』

 

美しい闇の卵をうっとりと見上げていた時、自分と同じような気配を感じて、デビモンは不機嫌を隠さずに呟いた。

闇に包まれた空間から、ぬうっと現れたのは場違いなほどの明るいピンク色のデジモン。

この辺りではまず見かけない姿のデジモンに、デビモンは眉を顰めたが今はそんなものに構っている暇はない。

何も言わずにただそこに佇んでいるだけのデジモンなど、何の障害にもならない。

デビモンはそのデジモンからさっさと興味を無くして、闇の卵に再び目を向けた時だった。

 

 

どす

 

 

背中に何か衝撃のようなものを受けて、それからじわじわとした熱が背中から広がっていく。

ゆっくりと、背後を振り返った。

さっきのピンク色の奴がニタリと笑った気がした。

どくん、と何かが自分の中に流れ込んでくるのを感じた。

 

『!?』

 

ぐらりと世界が歪む。何が起きたのか把握しようとしたが、頭の中を鷲掴みされたような感覚に襲われ、すぐに何も考えられなくなった。

ニタリ、ピンク色のデジモンが嗤う。

デビモンに突き刺したのと反対側の爪を、デビモンが集めていた闇の力に向ける。

すると集められた闇から筋が伸びてきて、爪に吸収されていき、ピンク色のデジモンを介してデビモンに送られていくように、赤い爪に黒い筋が入って不気味に発光していた。

 

『がっ…!?』

 

ビクビクと手足が痙攣する。

思考が、目の前が真っ黒に染まっていく。

 

《………………………………………………………………………………………………………………キシッ》

 

不気味な声を残して、そのデジモンは姿を消した。

 

 

 

 

 

 

.


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