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鉄製の診察台に寝かされたブイモンの周りには、医療ドラマで見るような機械がずらりと並んでいる。
そこから伸びるコードについたパッドが、ブイモンの心臓付近と頭についている。
これ何ですか、と大輔が聞いたら、これでブイモンが目覚めない原因を見つけるんだよ、とアンドロモンが優しく教えてくれた。
ピ、ピ、ピ、という規則的な電子音が、静まり返った空間に響き渡る。
頑なに目を閉じたままのブイモンを、大輔は唇をきゅっと結んで見守ることしか出来なかった。
ゲンナイからの話がひと段落したところで、アンドロモンは大輔を連れて管理室を出た。
ブイモンの様子を見るためである。
最初はアンドロモンにブイモンを運んでもらおうとしたのだが、アンドロモンの機械の手でも生き物の気配を感じるのか、眠っているはずのブイモンはやはり真っ青になって魘されるので、結局大輔が背負っていくことになる。
そこで案内されたのが、管理室の4分の1ほどの広さの部屋だった。
ここは、普段はアンドロモンがクールダウンするための部屋らしい。
クールダウンって何?と聞くと、機械は継続して使い続けていくとどんどん熱を帯びて、ヒートアップしてしまう。
そうなるのを避けるために3時間動いたら、1時間休むというのを繰り返している。
それをクールダウンというのだ、と教えてくれた。
そう言えば光子郎さんもパソコンを弄っては休ませていたなぁ、ということを思い出した。
『……うーん』
「アンドロモン、ブイモンは?何処かおかしいの?」
『………………』
「アンドロモン?」
『……それがねぇ……何処もおかしくないんだよ』
「え?」
『数値は何も異常を示していない。ただ眠っているだけだ』
「……眠ってるだけ?眠ってるだけなのに、何で起きないんだろう……?」
『ふむ……深い眠りについているせいで、身体の機能は低下してはいるが、健康面に問題はなさそうだ。だから自然に目を覚ますのを待つしかなさそうだな』
「………………」
『心配はいらないよ。本当に眠っているだけだ。目を覚まさない間は何も摂取することはできないから、きっと起きたらお腹が空いたと騒ぐはずだよ』
何の問題もなく眠っているだけ、という診断に大輔は納得がいかない。
ならばどうして大輔が幾ら呼びかけても起きないのだろう。
大輔はどんなに眠くても朝になれば自然と目を覚ますし、たまにお姉ちゃんに起きろーって部屋に乗り込まれて、布団をはぎ取られて叩き起こされる。
でもブイモンは起きない、起きてくれない。
アンドロモンが慰めの言葉をかけてくれるけれど、大輔が元気になることはなく、来た時と同じようにおおんぶをしてみんなの下に戻って行った。
《ファイル島からサーバ大陸までは、どんな大きな船でも5日以上はかかる。本当ならサーバ大陸へ渡る船も用意してやりたかったんだが、その前に敵に襲われてしまって、データを紛失してしまってね。その代わりと言ったら何だが、船の代わりに君達をサーバ大陸に連れて行ってくれそうなデジモンに連絡をしたから、そのデジモンに乗って来るといい。ただそのデジモンは身体がかなり大きいから、ファイル島まで迎えに来ることが出来ないんだ。渡した地図に印をつけておいたから、その場所まで筏を作って向かってくれないか?ああ、うん。君達にばかり負担をかけるのは、本当に心苦しいとは思っているよ。お詫びにもならないかもしれないが、渡し損ねた食べ物のデータは復元できたから、それを渡しておこう。他に何か欲しいものはあるかい?今すぐと言うわけにはいかないが、出来る限り用意しておくよ》
デジヴァイスに紋章に関するデータをダウンロードしている最中に、ゲンナイがサーバ大陸へ行くための手段を教えてくれた。
ゲンナイからもらったデータを弄ってちょっとだけ口元がにやけていた光子郎は、ゲンナイにいきなり名指しされ肩を震わせていたが、急いで地図を開いて確認する。
広大な海にぽつんと赤い印が点滅している。
縮図された地図から治が計算してみると、ファイル島から1時間ほどの位置らしい。
今日はもう遅いのでそれはまた明日にするとして、何か他に欲しいものはあるかと聞かれた時、真っ先にミミが反応して勢いよく手を挙げた。
「あの!あの!私、欲しいのがあるんですけど!」
《何だい?》
「お風呂上りのスキンケアとヘアケアください!」
前にヒカリがシャワーを浴びた後にちゃんと乾かさずに眠ってしまい、更に翌日起きた後にぼさついた髪を水で濡らして押さえつけるだけ、というのを目撃してしまったオシャレ大好きミミちゃんは、真っ先に欲しいものを述べる。
太一達男性陣は何でそんなもの、と怪訝な表情を浮かべていたし、同じ女子の空とヒカリも首を傾げている。
男性陣やまだ小さいヒカリちゃんはともかく、そろそろ女子として色々と気になりだすお年頃のはずの空までが反応が鈍いのはどういうことだ、とミミは悲鳴を上げたくなった。
しょうがない、この冒険中に色々と空さんに仕込んであげよう、なんてミミが企んでいることなどつゆ知らず、ゲンナイは君が望むのならと快諾してくれた。
《用意するのに時間がかかるから、サーバ大陸に着く頃に渡せるようにしておくよ》
「わーい!ありがとうございます!」
見るからに喜んでいるミミに、太一達は苦笑するしかなかった。
その時、アンドロモンに連れられてブイモンと一緒に出ていった大輔が戻ってきた。
どうだった、と太一が尋ねるが、その顔色と表情から芳しいものではないというのは、太一達も画面の向こうのゲンナイにも痛いほど伝わった。
ゲンナイから食事のデータを受け取った後、もう遅いから寝なさいというゲンナイの優しい労りの言葉を合図に、ゲンナイとの通信は終了した。
この管理室は四面が分厚い壁で囲まれており、窓がない。
つまり外の様子が、ここからでは分からないのである。
管理室から出て工場の屋上に行ってみれば、確かに見上げた空は綺麗に半分ずつ、濃紺とオレンジに分かれていた。
丈の腹の虫が鳴ったのを聞き、早速ゲンナイからもらった食事のデータを使用してみる。
光子郎のパソコンから次々とおにぎりが飛び出してきた。しかも具材付きで。
塩むすびはもちろん、梅やシャケ、昆布、ツナマヨまで。
久しぶりの主食と具の種類の多さに、子ども達は歓喜の声を上げて、2つずつ受け取り夢中になって食べる。
丈なぞ、感極まって涙まで流していたので、ゴマモンに大袈裟じゃないかと呆れられた。
しかし丈が涙を流すのも無理はないだろう。
この世界に飛ばされて1週間以上は経過している。
その間、食べ物と言えば果物ばかりで、1度だけ卵尽くしの料理を囲んだが、それ以外は質素なものだった。
これからはまともな食事が出来る、と子ども達が涙ぐむのも無理はないのである。
デジモン達も疲れてはいたが、食事と聞いて一気に元気が出てきたようで、初めて見る、子ども達が彼らの世界で食べているという食べ物に興味津々だった。
子ども達から手渡されたそれを、一気に平らげるもの、恐る恐る口に運ぶものと反応はそれぞれであったが、全員が美味しいという感想を抱いた。
『美味しいね、ソラ!』
「そうね」
嘴にご飯粒をつけながら食べるピヨモンに、空は苦笑してハンカチで拭ってやる。
空に構ってもらえるのが嬉しいのか、ピヨモンはんふふと笑っていた。
『ええなぁ、コウシロウはんらの世界は。こんな美味いもんがあるやなんて……』
「ふふ、いつか僕達の世界に来れたら、たくさん食べさせてあげるよ」
『ホンマでっか!?約束でっせ!』
食べるのが大好きなテントモンがぼやいたら、光子郎はしっかりとその呟きを拾ってそう約束をしてくれた。
テントモンの目が見るからに輝いたので、光子郎は苦笑しながらもちろんと答える。
他のメンバーも、概ねそんな感じだった。
そんな和やかな空気の中、1人だけ浮かない顔をしていることに、誰も気づけなかった。
ゲンナイからテントをもらった日と同じように、子ども達は工場の屋上にテントを設置して眠りにつく。
明日からはいよいよ海を渡り、数日かけてサーバ大陸という場所に移動するのだ。
しっかりと身体を休めて、明日からの旅に備えなくてはならない。
サーバ大陸に連れて行ってくれるデジモンと合流するために、筏を作らなくてはならないのだ。
いつもより少しだけ早い時間に寝付いたせいで、大輔は変な時間に起きてしまった。
催したわけでも、寒さや暑さで目を覚ましたわけではない。
ただ何となく、言い知れぬ何かを感じ取って急激に意識が引っ張られたような気がした。
しばらく目を瞑って、ベッドで寝がえりを何度か打ってみたが、眠気が再び襲ってくるどころかどんどん覚醒していく。
「………………」
駄目だ、と大輔は諦めて起き上がる。
テントの中は薄暗い。自分のベッドで一緒に眠っているブイモンは、先ほどと変わらずぐっすりだった。
アンドロモンの話では数日は起きないということなので、暫くブイモンとお喋りが出来ないのは寂しい。
大輔は小さく息を吐いて、何気なく辺りを見渡した。
「……あれ?」
隣のベッドが空っぽであることに気づいた大輔は、思わずと言った様子で声を出してしまった。
慌てて口を塞いで先輩達のベッドを見やったが、幸い丈がうーんとか言いながら寝返りを打っただけで、誰も起きる気配はない。
ほっと胸を撫で下ろし、再び隣のベッドを見やる。
そこは、賢とパタモンが使っているベッドだった。
いつもなら賢とパタモンとブイモンと、先輩達にもう寝ろって怒られるまでお喋りしているのに、今日の賢はベッドに入るまでずっと卵を抱えて貝になっていた。
お休みの言葉さえ、賢の口から紡がれなかった。
その賢が、ベッドにいない。
どうしたのかと慌ててテントの外に出ると、空を見上げて座り込んでいる賢の後ろ姿が、そこにあった。
「賢……?」
「っ、あ、大輔、くん……」
声をかけると、肩を震わせて硬くなった賢は、勢いよく振り返った。
それが大輔だと知って、何故か安堵した賢に、大輔は首を傾げながらも、テントに戻る気配がなかったので、そのまま隣に座る。
一瞬だけ身じろぎした賢だったが、それでもそこから動くことはなかった。
「……やっぱここじゃ星空見えねぇなぁ」
呟いた大輔の視線の先にあったのは、工場から排出される灰色の煙のせいで薄らと曇っている夜空。
初めてここで寝泊まりした時、ミミの提案で工場の屋上にテントを設置し、寝ることとなったのだが、その時も星が排出された煙に遮られて、瞬く小さな光を見ることは叶わなかった。
そうだね、と賢は小さく同意するが、それ以上何かを言うことはなかった。
視線を夜空から賢へと移す。
その腕に抱いた、物言わぬ命。
かつて賢のパートナーだったデジモンが、力を使い果たして今は眠っている。
遠い昔のことのようだったようにも思えたあの出来事は、実は1日しか経っていない。
命を使い果たしたその瞬間を、大輔も目の当たりにしていた。
黒い翼を持った天使は、命と引き換えに新しい朝を連れてきたのである。
置いて行かれる賢の気持ちなど、これっぽっちも考えずに。
「……あ、の、さぁ、賢……」
何か言わなければ、と思って口を開いた大輔だったが、喉の奥から何か慰めの言葉が飛び出してくることはなかった。
何を、言うつもりだったのだろうか。
大丈夫だよという無責任な言葉だろうか。
元気出せよという慰めの言葉だろうか。
どちらも違う気がして、大輔は開いた口を閉じてしまう。
何を言っても、今の賢にはきっと響かない。
だって大輔と賢の間には、大きな溝があるのだ。
パートナーを亡くした賢と、そうじゃない大輔。
そのたった1点の違いこそが、2人を隔てる決定的な溝となっている。
まだ何も失っていない大輔の言葉は、幾ら投げてもその溝の底に落下していくだけだろう。
デビモンを倒すために、文字通り命を懸けたパタモンは、力を使い果たして卵になってしまった。
争いを嫌う子どもに嫌というほど突きつけられた、現実と宿命。
ここはゲームの世界なんかではない。自分達が住んでいる世界とは違っていても、確かに痛みを感じる世界だ。
性別も年齢も、そんなもの何の言い訳にもならないのである。
現に賢だけではなく、同い年の大輔やヒカリも、上級生達の庇護を掻い潜って戦場へと引っ張り出されてしまった。
そしてその結果が、“これ”だ。
例え大輔が上級生であったとしても、かける言葉なんか見つからなかっただろう。
「……明日は、サーバ大陸に行くんだよね」
星のない夜空をぼんやりと見上げていた賢が、ぽつりと呟いた。
賢になんと声をかけたらいいものかと頭を抱えていた大輔は、賢の言葉で引き戻される。
「お、おう、そうだな」
「……ファイル島から、闇が消えたから……他の、まだ闇が残ってるところに、行くんだよね」
「?そうだな」
昼間にゲンナイが言っていたことは、半分も理解できていなかったが、治が分かりやすく簡潔に教えてくれた。
ファイル島から怖いものが消えたから、次はサーバ大陸に行って同じように怖いものを消していく。
そうしてこの世界から邪悪なものを全て消し去れば、大輔達は晴れて自分達の世界に帰ることができるのだと。
ファイル島に来てからほぼ毎日のように繰り広げられる戦闘で、怒涛の日々を過ごしていた上級生達は何処か疲れたような表情を見せながらも、まだ見ぬ新天地に少しだけわくわくしているのが見て取れた。
大輔もきっと通常なら上級生達と同じようにはしゃいでいたかもしれないが、ブイモンが深い眠りについて全く目を覚まさないため、そちらに気を取られている状態である。
だからサーバ大陸に行くと言われても、そうか~ぐらいの認識でしかなかった。
「……大輔くんは」
「へ?」
「大輔くんは、ブイモンが進化した時、どう思った?」
何と声をかけたものか、それとも黙って立ち去ろうか。そんなことを考えていたところに、突然そんなことを聞かれて、大輔は面食らった。
賢は、真剣な表情で大輔を見ている。
賢が決してふざけているわけではないと悟った大輔は、しかし賢の質問の意図がよく分からず、頬をかく仕草を見せた。
「どう思った、って……そりゃ、嬉しかったぜ?太一さん達みたいになれた!って。ずーっと俺ら守られてばっかりだったもん」
「……そう」
「……賢は、嬉しくなかったのか?」
表情は冴えない。
デビモンと戦っていた時から、賢はしり込みしていたことを思い出す。
あの時は色々と無我夢中で、すっかり記憶の彼方に飛んでいたが、みんなが必死にデビモンと応戦していた時から、賢はずっと戦いから目を逸らしていた。
パタモンがエンジェモンに進化した瞬間に大輔も立ち会っていたが、賢はちっとも嬉しそうではなかったのを、確かに見た。
ずっとずっと、悲しそうな顔を引っ込めなかった。
エンジェモンが進化した時も、戦っている時も、最期の瞬間だって。
まだパートナー達が進化出来なかった頃は、あんなに目を輝かせて想いを馳せていたのに、一体どうして。
賢は、卵を抱きしめたまま小さく頷いた。
「……僕のパパとママ、リコンしちゃったって話、したよね?」
「……おう」
「ママは普段はとっても優しいんだけど、パパと喧嘩するとすっごく怖い顔、するんだ」
唐突に、語り出す。
昼間はとても優しい母なのに、夜になって父が帰ってくると一変する。
貼りつけたような笑顔で父と接して、夕飯の時間はいつも薄ら寒い空気が流れていた。
自分は何となく居心地が悪いな、ぐらいにしか思っていなかったが、兄の治は両親を取り巻いていた空気に気づいていたらしく、ずっと両親を見ないようにしていたそうだ。
そうだ、というのは両親が離婚した後に治からそう聞いた。
ご馳走様をして、自分が使った食器を台所のシンクに持って行って、暫くリビングでお兄ちゃんと談笑したりお兄ちゃんが宿題しているのを横目で見たりして、9時になったら歯磨きをしてパジャマに着替え、両親におやすみなさいをして寝室へと向かう。
それだけなら他の家族と、何ら変わりはない。
でも幼い兄弟がベッドに入って1時間ぐらいすると、両親は普通の家族とは違う行動をとる。
意識が暗闇に差し掛かりかけた頃になると聞こえてくる、皿が割れる音。
女性の金切り声と、男性の怒声。
賢は、いつもその音に怯えていた。
治に抱きしめられ、目と耳を塞ぎ泣きながら眠った夜。
そして、賢は1度だけ見てしまった。
両親の諍いが一瞬だけ収まったのを見計らい、トイレに行った帰り。
リビングの扉が少しだけ開いていたから、好奇心に負けてその隙間からリビングを覗き込んだのが、運の尽きだった。
いつも優しい表情を浮かべた母はそこにおらず、アニメやゲームに出てくるモンスターのような怖い怖い形相をして、正面にいるらしい父を睨みつけていた。
悲鳴を上げそうになったが、咄嗟に口を抑えることで何とか堪える。
がちがちに震える身体を何とか叱咤して、賢は足元をよろめかせながら部屋に戻った。
ドアノブを掴み、音を立てないようにそーっとそーっと、時間をかけて下に引く。
自分の身体が入るぐらいの隙間だけ開けて、さっと入り込む。
入るときと同じようにそっと扉を閉じて、その扉にもたれかかり、ずるずるとその場に座り込む。
はあ、はあ、と荒い息を何とか抑えようとして両手で口を覆い、気がついたらボロボロと涙を流していた。
優しいママ、大好きなママ。
──あのひとは、だれ?
次の日も幼稚園があることを忘れて、賢は一晩中その場に座り込んで泣いたそうだ。
「……だから僕、喧嘩とか嫌い。争いとか、戦争も、嫌い。喧嘩のせいでパパもママも変わっちゃった。……パタモンも」
そっと卵を撫でる。なでなで、なでなで。何度も撫でる。
見下ろす目には、悲しみしかない。
友達だった。友達だと思っていた。
嫌だと言ったのに、止めてと言ったのに、パタモンは賢の手を離れて行ってしまった。逝ってしまった。
“進化をする”ということがどういうことなのか、賢には分かっていなかった。
分かっていなかったから、進化をすることに関して気楽に考えていた。
大輔とヒカリと、そのパートナー達で、どんな風に進化するのかって毎日のように話し合っていた。
楽しかった。まだ見ぬパートナーの進化した姿に想いを馳せ、友達と語り合う日々は、楽しい冒険の一部であった。
……全てが、壊れてしまった。
「サーバ大陸に行ったら、また戦わなきゃいけない。この世界を助けなきゃいけないのは、分かってるけど、でも、僕、戦いたくないよ。またパタモンが傷つく。またパタモンが、パタモンじゃないデジモンに進化する。嫌だよ……!」
兄や兄の親友、先輩達や友人2人のデジモンはみんなそれぞれのデジモンの面影を色濃く継いでいるのに対し、賢のパタモンはパタモンだった頃の面影が何処にもなかった。
愛らしい四足歩行で、大きな羽のような耳が生えたハムスターだったのに、賢の友達は何処にもいなかったのである。
そこにいたのは、美しい黒い羽を持った天使。
──あのひとは……だれ?
いつだったか、豹変した母の形相が頭に過った。
「……何だよ、それ」
思わぬ形で聞いてしまった賢の独白に、大輔は唖然とした様子で呟く。
絞り出すように出された声は、少し震えていた。
賢と大輔以外誰もいない、工場が稼働する音だけが夜空に吸い込まれていく中、大輔の声は嫌に響いた。
「何で、そんなこと、言うんだよ。そんな、パタモンじゃないとか、変わっちゃったとか、何で」
言いたいことがまとまらずに、考えていることがそのまま飛び出しているせいで、大輔が何を言いたいのか分からない。
しかし大輔が怒っているのは、明確だった。
立ち上がり、両手を握りしめてわなわなと震わせている。
賢の息が、一瞬詰まった。
大輔を怒らせてしまった。顔から血の気が引いていくのが分かる。
両親の離婚というトラウマを抱えた男の子は、だから反応に遅れてしまった。
「パタモンは賢を守りたくて、頑張ったのに、なのに何でそんなこと言うんだよ」
「……そんな、ことって?」
「喧嘩のせいでパタモンが変わっちゃったとか、パタモンじゃないとか、そういうことだよ!」
賢が、争いごとが苦手なのは理解できた。
両親の離婚というトラウマによって形成された賢の優しい性格は、デビモンを倒すことすら躊躇してしまっていた。
パタモンが進化してしまったことから目を逸らしたかったことも、デビモンとエンジェモンの戦いが両親の言い争いを彷彿とさせてしまったことも、その切々と訴えてくる声色で、痛いほどに理解はした。
理解はしたけれど。
「何で、そんなこと言うんだよぉ!パタモン、頑張ったじゃねぇか!賢が傷つくとこ見たくなかったから、守りたかったから、頑張ってたのに、何で、パタモンが頑張ってたとこ見ないふりするんだよぉ!」
パタモンの全てを否定する賢の言葉が、大輔には許せなかった。
パタモンはただ、賢を守りたかっただけだった。
子ども達がピンチに陥ると、デジモン達は爆発的な力を発揮して進化を果たす。
通常はゆっくりと、時間をかけて力を蓄えて進化をするものだけれど、選ばれし子どもである大輔達のデジモンは、デジヴァイスの力によって短期間での進化が可能である。
子ども達の想いや心を糧として、デジモン達は同じ個体よりも強いデジモンへと、進化をするのである。
しかしそれには子ども達だけでなく、デジモン達の想いも必要不可欠だ。
子ども達を守るために力が欲しい、という想いと、子ども達の死にたくないという気持ちが重なるからこそ、デジモン達は強い力を手に入れることが出来るのである。
子ども達だけでも、デジモン達だけでも、デジヴァイスは光らない。
もしも、少しでも子ども達とデジモン達の間で想いの齟齬があれば、強すぎる力は制御できずに歪な方向へと向かってしまうのだが、子ども達はまだ知る由もない。
賢は、進化してほしくなかった。
パタモンは、賢を守りたかった。
2人の気持ちはちぐはぐであったため、本来ならエンジェモンは暴走してもおかしくなかった。
否、もしかしたらエンジェモンに進化することすらできず、全く別のデジモンに進化していたかもしれない。
今回は運がよかったのだ。
勿論、そんなこと子ども達は知らないのだけれど。
「ぼ、く……そんな、つもり……」
「じゃあ、どういうつもりだよ!」
「え、と……」
「戦いたくない、やだやだって!俺だってやだったよ!でも死にたくねぇもん!お姉ちゃんに会いたいから、お姉ちゃんのとこに帰りたいから、だから頑張っただけだよ!賢は、お母さんやお父さんに会いたくないのかよ!帰りたくないのかよ!」
「……帰りたいよ。帰りたいけど……でも……」
「でも、何だよ!」
「っ、大輔くんに、何が分かるの!?」
賢は、初めてに近い形で声を荒げた。
全てを壊す、賢にとっては悪の象徴とも呼ぶべき喧嘩や争いを避けたがる賢は、初めて友人に啖呵を切った。
「喧嘩のせいで、パパとママが喧嘩したから、僕達は離ればなれになっちゃったんだよ!お兄ちゃんとパパには、ママに言わないと会えなくなっちゃった!でもお兄ちゃんとパパに会いたいって言うと、ママ怖い顔するんだ!いっつもむすって顔、するんだ!悲しそうな顔するんだ!だから僕、我慢しなくちゃいけないんだ!ママを、悲しませたくないから!パパもママもいて、お姉ちゃんもずっと一緒にいてくれる大輔くんに、僕の、何が……!」
ボロボロと涙を流しながら、賢は必死に訴える。
今でも、鮮明に思い出せる、母に手を引かれて兄と父とは違う道を歩いた、あの日のことを。
賢は最後まで、みんなと一緒にいたいと願った。
でも大人達は、そんな幼い子どもの些細な願いを、いとも簡単に引き裂いてしまう。
幼い賢に、家族団らんの記憶は殆どない。
だから小さい頃は、父親に手を引かれたり肩車をしてもらったりしている同年代の子が、羨ましくてたまらなかった。
けれど離婚後の生活基盤を立てるのに必死だった母に、そんなことを言えるはずもなかった。
幼くとも賢かった子どもは、母に迷惑をかけまい、心配させまいと気丈に振る舞い、“いい子”でいようとした。
大人の言うことはよく聞いて、早寝早起きもして、お手伝いもして、いつもニコニコ、大人の手を煩わせない“いい子”でいようと、努力した。
それでもやっぱり、兄と父と一緒に暮らしていたおぼろげな記憶が、恋しい。
“普通”の家族に戻りたい。
ただそれだけを願っていた子どもは、再び大切なものが手のひらから零れていくのを、ただ見守っていることしか出来なかった。
両親の離婚を阻止することが出来なかった、あの幼い頃のように。
「……知らねぇよ。分かんねぇよ。賢の気持ちなんか、これっぽっちも分かんねぇよ!!」
大輔も、負けてはいない。
日頃から大袈裟なぐらい声が大きくて、元気でやんちゃな男の子は、それ以上の声を張り上げて応戦する。
何も知らないのは、そっちの方なのに。
「一緒にいられるから、何なんだよ!一緒にいられりゃ、家族なのかよ!あんな、あんなの、家族じゃ、ない!お姉ちゃんのこと何にも考えてない、
そこまで言って、はっと我に返った大輔は慌てて口元を押さえた。
絶対に言うまいと思っていたことを、太一やヒカリにさえ内緒にしていたことだったのに、賢の言い分にあまりにも腹が立ってしまって、普段押さえているものがつい口から飛び出してしまったのである。
しまったと思ったが、もう遅い。
大輔がずっと心に秘めていたものを、僅かとは言え賢に知られてしまった。
賢を見やる。目を見開いて、ポカンとしている賢がいた。
「おいおいおい、どうした!」
一瞬だけ静まり返った空間に、聞き慣れた声がして大きな陰が割り込んできた。
太一だった。
更に遅れて治と光子郎と丈、女子3人もテントの外に出てくる。
どうやら賢と大輔の大きな声で、強制的に起こされたらしい。
大きな声で起こされ何事かと辺りを見渡すと、最年少の2人の姿がない。
外に出てみたら、最年少2人が一触即発の状態だったために、慌てて間に入ってくれたようだ。
「どうしたよ?何があった?」
「……何でもないっす」
よほどのことじゃなければ滅多に怒らない大輔が、珍しく機嫌が悪そうだった。
だから太一は努めていつも通りを装い、大輔と賢に尋ねてみたのだが、大輔はぶっきらぼうに一言だけ返して先輩達を押しのけてテントに戻って行った。
それだけでいつもの大輔と様子が違う、と太一と治は気づく。
いつもの大輔なら相手と喧嘩をしてしまったり、機嫌が悪かったりすると聞いてくださいよぉ!とか言って、がーっと喋り通すはずだ。
脳内で言いたいことを纏めずに口から飛び出すまま言うだけ言って、こちらが理解する前にすっきりしたーと言って勝手に自己解決してしまうのである。
最初こそ太一も治も頭に沢山の疑問符を浮かべていたが、彼の姉があいつはああいう性格だから、ただ黙って聞いてやってと言ってくれたので、以後その通りにしている。
だから何でもないと言ってテントに戻ってしまった大輔を見て、何処か調子が悪いのではと勘繰った治が先ほどまで大輔と一触即発だった弟に尋ねてみたが、呆けた弟も何でもないと言って、卵を抱えてテントに戻ってしまった。
「……どうしたんでしょうね?」
「……さっきの様子じゃ、喧嘩でもしたみたいに見えたけど……」
光子郎と丈が言う。
確かに、微睡の向こうで聞こえてきた大きな声は、まるで怒鳴り合っているようで、喧嘩をしているように聞こえた。
一昨日まで仲良くお喋りしていた姿を見かけていただけに、2人が大きな声を出してまで喧嘩をするなど、珍しい。
況してや、
「……大輔はともかく、賢が、ね……」
治の呟きは、全員が拾った。
優しすぎるぐらい優しい男の子は、争いを嫌って何が何でも回避しようとする。
それは、昨日の戦いでも同じだった。
兄の治とすら喧嘩をしたことがなかったのに。
「……治」
「……まあ、いいんじゃないかな。いい機会だよ、賢にも僕にも……」
1つのものを2つに分けるほど仲のいい兄弟。
でも普段は離ればなれで、滅多に逢えない。
喧嘩が出来るほど、一緒にいられないだけなのだと、治だけが気づいている。
それはいいことなのか、悪いことなのか。
何にせよ。
「喧嘩して対立するぐらいなら、自分の本意じゃなくても仲良くする方を選んじゃうからね。まだ2年生なんだ、我慢なんかしなくていいのに……」
「治くん……」
両親のことは、確かに気の毒だ。
しかし時には相手の矜持をぶっ壊す勢いで主張しなければならないこともある。
賢にだって、譲れないものがあるはずだ。
喧嘩をして離れてしまうぐらいなら、友達でなくなってしまうぐらいなら、譲れないはずのものまで捨ててしまうのは、違う。
だから何があったのかは知らないが、この喧嘩はいい機会と見た方がいいだろう。
賢は優しすぎるのである。
調和を望むあまり、自分を押し殺して相手の意見にすり合わせるのは、人形と変わりない。
弟はもう少し我儘になるべきだ。
なので大輔には悪いが、少しだけ傍観させてもらうとするかな、と治は苦笑する。
「……治が言うんなら、それでいいけどよ」
「うん。だから先輩や光子郎達も、暫くはノータッチで頼むよ」
「はあ……」
「……傍観するのはいいけど、捻じれることだけは避けてくれないかな」
「勿論ですよ。放置はしません、傍観するだけです」
物は言いようだ、と光子郎は思った。
「………………」
「……ヒカリちゃん、もう寝ましょう?」
「2人とも友達だから、心配だよね。でも明日も早いから、とにかく寝よう?ね?」
「そうよ。それに大輔なら大丈夫。きっと朝になったらけろっとしてるわよ。いつもみたいに」
男子が使っているテントをぼんやりと見つめるヒカリに、空とミミが気づかわし気に声をかけてくれた。
ヒカリも、あまり争いは好きではない。
しかし太一の妹だけあって、争いは好きではなくとも、そうしなければならないと割り切るのは得意だ。
戦いの最中、ずっと賢が怯えていたことにも気づいていたし、大輔が賢に怒ったのはもしかしたらそのことが原因なのかも、と思い至る。
当たらずとも遠からずなのだが、実際に喧嘩を見ていないヒカリは、何も言うことはできない。
「……はい」
しかしこの拭えない不快感のようなものはなんだろう?
ヒカリは冴えない表情のまま、テントに戻った。
清々しい朝、とは言えないがぐっすりと眠ったお陰で、ぼんやりしていた頭はそこそこ冴えている。
子ども達はいつも通り旅に出る準備をして、テントを出た。
いつもなら前日の夜に取っておいた果物の残りを朝食にするのだが、今日は違った。
昨日ゲンナイがくれた食事のデータがあり、もうひもじい思いをせずに済むのだ。
昨日は夜も遅かったということもあり、1人につきおにぎり2つだけだったが、他にどんなメニューがあるのだろうと少しわくわくしながら光子郎がデータを引き出す。
茶碗に入った白米、みそ汁、既に調理されているシャケの切り身という丈が喜ぶメニューはもちろん、トーストやオムレツ、サラダと言ったオシャレな洋食、ステーキ、カレー、スパゲティ、とにかくありとあらゆる食事のメニューが揃えられている。
汚れないように、食事のデータと一緒にゲンナイがくれたシートを敷いて、ちょっとしたピクニック気分を味わいながら、子ども達は朝食を取った。
今日で、このファイル島ともお別れである。
ここに来て1週間以上経つが、長かったような、短かったような。
テントを光子郎のパソコンに収納し、アンドロモンがいる管理室へと降りる。
ゲンナイが示してくれた位置で、子ども達をサーバ大陸へ運んでくれるデジモンと合流するため、1番近いところから出発するということになっているので、アンドロモンは昨日子ども達を工場まで連れてきてくれたガードロモンを呼び、海の近くまで運んでくれた。
大輔は、未だに不機嫌そうだった。
基本的に怒りが持続しない大輔が、昨夜の賢との喧嘩を引きずっているのは、かなり珍しい。
海に着くまで太一が何度かどうしたと問うても、大輔はぶっきらぼうに何でもないですを繰り返すのである。
こうなったら意地でも口を開かないのは、経験上よく分かっているので、彼の怒りが静まったのを見計らうしかない。
ただこれからの冒険に支障をきたすことだけはやめてくれ、とだけ言って、太一はそれ以上言及するのは止めておいた。
賢も昨日と変わらず、卵を抱えて悲しみを堪えている表情を浮かべている。
大輔との喧嘩を引きずっているのか、パタモンを失った悲しみか……あるいは、その両方か。
どちらにしろ、こればかりは時間が解決してくれるのを待つしかないだろう。
海岸近くの森に降り立った子ども達の前に、子ども達が以前助け出したデジモン達が合流した。
昨夜、子ども達が寝静まっている間に、アンドロモンが連絡を取っておいてくれたらしい。
ファイル島をデビモンの魔の手から、そして闇の脅威から救ってくれた子ども達のために、筏づくりの手伝いを申し出てくれた。
木を切り倒すのに骨がいりそうだったので、その申し出を有難く受け取った子ども達は、筏づくりを開始させる。
いっぱい寝ていっぱい食べたパートナー達は元気もいっぱいだったが、筏を作るために進化をしてもらうのも、少し躊躇っていたところだ。
見たことがあるデジモンもいたし、それぞれ知らないデジモンもいた。
デビモンによって離ればなれにされた際に出会い、それぞれ助けたデジモンらしい。
助けた後に友好的になったのは羨ましいなぁ、と思いながら大輔が作業していると、別の作業をしている賢が視界に入った。
途端にむすりと表情を顰める大輔。
昨夜のことは、まだ許していない。
パタモンを蔑ろにするようなことを言った賢なんか、もう知らない。
頬を限界まで膨らませた大輔は、さっさと賢から視線を逸らして自分の作業を再開させる。
だから、他のデジモンよりも小さい赤いデジモンが、賢に話しかけていることに気づくことはなかった。
1時間後。
「よぉし、完成だ!」
太一が叫ぶように言う。
子ども達の目の前には、初めて作ったにしてはなかなかいい出来に仕上がった筏があった。
全員が乗っても、滅多なことがなければ壊れないだろうが、自分達をサーバ大陸まで連れて行ってくれるデジモンと合流出来ればいいのだ。
満足そうに出来を見つめた後、子ども達は筏を海に浮かべて手伝ってくれたデジモン達に感謝を述べる。
本格的にお別れだ。
少し寂しい気もするが、この世界を救うためには前に進むしかないのだ。
全てが終わったらきっとまた逢えると信じて、子ども達は後ろ髪をひかれながらも筏に乗り込み、ようやく慣れ始めたファイル島を後にする。
「いざ、新大陸へ!」
太一の号令を合図に、筏は大海原へと旅立っていった。
《ゲンナイ様、子ども達は無事に旅立ちました》
「ありがとう、アンドロモン」
サーバ大陸の、とある場所。
大きなスクリーンに映し出されたのは、ファイル島にいるアンドロモンである。
子ども達をサーバ大陸に送り出すまで見守っていてほしいと依頼していたのだが、しょっぱなからデビモンの放った黒い歯車の餌食になってしまった、という報告を聞いて苦笑いしたものだ。
まあ、子ども達が無事に解放してくれたので、良しとしよう。
《……ゲンナイ様、1つ気になることがあるのですが……》
画面の向こうのアンドロモンが、表情を1つも変えず、しかし声のトーンを落としてゲンナイに尋ねる。
「どうした?」
《ブイモンのことなのですが……》
「ああ、そう言えばブイモンの様子はどうだった?」
目を覚まさないブイモンを心配していたゲンナイに、アンドロモンは困惑しているような声色で切り出した。
《はあ……眠り続けている原因は分かりません。幾ら調べても眠っているだけなのです。なので私にはどうすることも……数日経てば目を覚ますことは分かったのですが……》
「……眠っているだけ?」
アンドロモンは頷く。
ゲンナイは怪訝な表情を浮かべる。
眠っている以外に何の異変も見当たらないので、対処のしようがないのだとアンドロモンは申し訳なさそうに項垂れた。
「分からないのなら仕方がない。君のせいではないよ」
そう言って慰めたが、アンドロモンの表情はあまり冴えない。
ゲンナイに頼まれたことをきっちりこなそうと張り切っていただけに、子ども達に刃を向けてしまったことを悔やんでいるのかと思っていたが、それだけではなかったようだ。
《眠り続けている原因が分からないのも心配ではあるのですが……私は別のことが気になっているのです》
「うん?」
何か、他の問題があったのだろうか。
ゲンナイはアンドロモンに続きを促すと、そこでアンドロモンはようやく表情らしい表情を浮かべる。
それは、険しさを表していた。
《……ブイモンのデジコアについてなのですが……どうも消費が激しいような気がしたのです》
「………………」
《急激な進化によって、子ども達のパートナーデジモン達は、我々と比べるとデジコアの消費は激しいものです。しかしデジヴァイスにはそれを負担、軽減してくれる機能が備わっているため、アグモン達のデジコアはすぐに修復されます。……しかしブイモンのデジコアは、デジヴァイスの修復が追いついていないように見受けられました》
《勿論きちんと修復はされているようです。ただ修復機能が消費に追いついていないだけで……ブイモンが目を覚まさないのは、デジヴァイスの修復が追いついていないほどに消費しているデジコアを回復させるために、身体の防衛機能が無意識に働いているのでは……》
「……大輔には言ったのかい?」
《いえ、言っていません。飽くまでも推測ですので、いたずらに心配をかけるのは本意ではありませんし》
「……それがいいね。子ども達にはこれからの戦いに専念してもらわないといけないし、デジコアの修復が追いついていないからと言って、大輔とブイモンを戦いに参加させないわけにはいかない。彼らが選ばれたのにも意味があるのだから……」
《………………》
アンドロモンは目を細めてモニターの向こうにいるゲンナイを見つめる。
ゲンナイは誤魔化したつもりのようだが、機械型のデジモンである自分に嘘は通じない。
相手の細かい仕草、表情の変化、ちょっとした呼吸の乱れ、言葉のトーンなど、面と向かっていなくとも判断できる要素は沢山ある。
だからアンドロモンには分かっていた。
ゲンナイは、何か隠している。
しかし無理に問いただすつもりはなかった。
何故ならアンドロモンの役目は、ここで終わりなのだ。
闇が晴れたファイル島を、子ども達が取り返してくれた平和を守るために、アンドロモンは働かなければならない。
子ども達のことは心配だが、これ以上アンドロモンが手を貸してやることはできないのである。
次のサーバ大陸では、サーバ大陸のデジモンが子ども達をサポートするのだから。
「子ども達がついたらまた連絡をするよ」
《……はい。子ども達を、よろしくお願いします》
どうか子ども達が無事に旅を終えられるように。
アンドロモンは上司であり同士であるゲンナイに深々と頭を下げた。
プツン、と大きなスクリーンからアンドロモンが消え、白い線が画面の真ん中に一瞬走ってブラックアウトした。
ふう、と息を吐く。
ゲンナイはスクリーンが設置されている部屋を出る。
ドアを開けると、冷たい印象を受ける狭いコンクリートの狭い空間に出た。
目の前にあるのは、上へ昇るための階段。
壁の両脇がくり貫かれて、等間隔に蝋燭が設置されているだけの簡易な照明しかない、薄暗い階段をゲンナイはゆっくりと昇っていく。
12段ほど階段を上がったところに、地下室の外に出る鉄製の扉があった。
扉を開ける。眩い光が開いた扉の隙間から差し込まれる。
暖かい木の床板が張られた廊下に出てきた。
そこは、典型的な日本家屋だった。
目の前に別の部屋に通じる襖があり、廊下は横に伸びている。
ゲンナイは向かって右側へと向かう。
正面の襖を開けると、畳の部屋があった。
まだ“彼女”は帰ってきていない。
部屋の真ん中に置かれているテーブルには、ゲンナイの飲みかけの湯飲みと、ミカンが幾つか置かれている浅い籠。
それから1冊の、少し草臥れた本。
ゲンナイはその本を手に取ると、パラパラとめくった。
ある程度までめくり、その手を止める。
「……ここまでは順調……あとは……」
彼の言葉の真意は、如何に。
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