ナイン・レコード   作:オルタンシア

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おかしな村①

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わあ、と子ども達とデジモン達から歓喜の声が沸き上がる。

深い森で、突然開けた場所に辿り着いた一行の視線の先に、集落があった。

樹々の間からちらほらと見えていた、ひと際大きなゲルが集落の中心に建っている。

あそこからコロモンの匂いがするらしい。

アグモンの進化前であるコロモンはいい子ばかりだから、きっと突然やってきた子ども達を、嫌な顔することなく歓迎してくれるだろう。

案内してくれるデジモンも待たせていることだし、子ども達は小走りで集落へと向かう。

 

『……あれ?』

 

それは、ほんの僅かな違和感だった。

懐かしい同族に逢えるとわくわくしていたアグモンだったが、村に近づいていくにつれその足が遅くなっていく。

周りを走っていた子ども達は、足取りが遅くなっていくアグモンに気づかず、そのまま走って行く。

 

「どうした、アグモン?」

『……違う、ここ』

 

立ち止まったアグモンに気づいたのも、その呟きを拾ったのも、太一だけであった。

 

 

 

 

コロモンの村に到着した一行は、まずテントの大きさに驚いた。

何故かって、そのテントは1番背の高い丈が身を屈めれば何とか入れるほどの大きさだったからだ。

コロモンは幼年期Ⅱというレベルで、アグモンやガブモンの1つ前の姿である。

ファイル島で出会った、同じ幼年期Ⅱであるピョコモンの村は1番小さな賢ですら頭を入れるのが精いっぱいだったほど小さいお家だったのに。

みんなその時のことを思い出しているのか、きょとんとしながらテントを見つめている。

住んでいる地域が違うからだろうか、治と光子郎と丈は探求心に火が付いたようで、額を寄せ合って何やら議論し合っている。

とりあえず誰かいないかとミミとパルモンは、あのコロコロとした丸いフォルムを思い浮かべながら村を散策し始めた。

太一がアグモンを伴って、遅れてやってきたのはその時である。

 

「こんにちは~」

 

パルモンを伴って、辺りを見渡しながら村を散策するミミの視界に、何かが映った気がして振り向く。

灰色でコロコロとしたフォルムが、もごもごと動いている。

何の疑問も抱かずに、ミミはその灰色のフォルムに近づいて声をかけた。

くるり、と4つほどある灰色のフォルムが振り向く。

あれ?ってミミは首を貸しげた。

そこにいたのは、1度だけしか見たことがないコロモンとは、似ても似つかないものだった。

コロモンは確かピンク色でコロコロしていて、赤い眼をしていて、頭に2つのひらひらとしたものをつけていたはずだ。

しかしミミの目の前にいる子達は、コロコロとしたフォルムで赤い眼は同じだけれど、色は灰色でひらひらした触覚ではなく、もふもふしていそうな羽の形をした耳だった。

赤い眼は同じなのに、コロモンの人懐こそうなくりくりした目とは違い、三日月のようで一見するととても意地の悪そうな顔である。

パルモンがぎょっとしたように、パグモンだと言った。

 

「パグモン?」

『弱い者いじめが大好きで、いっつも他のデジモンのことを莫迦にしてるの。ここコロモンの村なのよね?どうしてパグモンが……』

 

パルモンの言葉が最後まで紡がれることはなかった。

何故なら沢山いるパグモンが、何も言わずに行き成りミミを担いで何処かへと連れて行ってしまったからだ。

幼年期と言えど、沢山の、更に不意を突かれてしまったパルモンは、ひっくり返ってしまう。

その直後に、ミミの悲鳴で異変を聞きつけた子ども達が駆けつける。

パグモンは素早く、子ども達がパルモンの下へ駆けつけた頃には、あっという間に一際大きなテントの中へと入ってしまった。

中に入る。ただのテントとは思えないほど、中はしっかりとした作りになっていた。

赤くてふかふかとした絨毯が敷き詰められており、入り口の左右には2階へと通じる階段がある。

その階段に、ミミのテンガロンハットが落ちていたのを空が見つけた。

顔を見合わせた子ども達は、2階へと駆け上がる。

吹き抜けになっている2階の廊下に、今度はミミの鞄が落ちていた。

父親から無断で拝借した、キャンプのセットが詰め込まれているショルダーバッグ。

微かに物音が聞こえるカーテンの向こうに、ミミはいるようだ。

太一は遠慮なくカーテンを開けて、ずんずん突き進む。

治も後に続く。光子郎と丈も。

空と最年少達も続こうとして、ふと横にある籠に気づいた。

その籠の中に、ミミのウェスタンスタイルの洋服が乱雑に放り込まれていたのである。

それをじっと見下ろして、考え込む空。

背の低い最年少達は籠の中を見ることはできなかったけれど、端からだらんとミミの服が飛び出ているのだけは見えた。

それをぼんやりと眺めていた大輔とヒカリ、それから考え込んでいた空は唐突に閃き、慌てて太一達を止める。

 

「太一、だめ!」

「治さん、ストップ!」

「光子郎さん、丈さん!」

 

3人の切羽詰まったような声に、治と光子郎と丈は立ち止まった。

が、太一だけは間に合わなかった。

ばさり、と思いっきりカーテンを引いてしまったのだ。

あちゃー、と空は頭を抱えたし、ヒカリは顔を真っ赤にして大輔とブイモンと賢を連れてその場から離れる。

名前を呼ばれて立ち止まった上級生と、賢だけが分かっていなかった。

 

「はぁ~極楽極楽……」

 

纏わりつくような湿気と湯気、それから懐かしい匂いと零れる大量の水の音。

こんな状況でなければ、きっと太一だって喜んでいただろう。

しかし太一はその場で硬直した。

何故って、自分と1つしか変わらない女の子が、全裸になってお湯の中で寛ぎのあまり、その綺麗なおみ足を高く上げているのだから。

幸いなことに、彼女は背を向けた状態で座っているし、お湯も濁っているために彼女の全身を眺めることはできない。

頭の中が10割サッカーで占められている根っからのスポーツ少年である太一は、この事態をラッキーと捉えることはなく、ただ茫然と眺めているだけだった。

え、何だこれ、何が起こってるんだ?

ミミがピンチに陥っていると信じて疑っていなかった少年は、ミミを助けるべく心に抱いていた闘争心を燃やすことが出来ずに、ただその場に突っ立っていることしか出来ない。

ミミが気づいていない間に、空が太一を引っ張るなりなんなりすれば、この直後の悲劇を回避することは出来たのだろうが、空もそこまで頭が回らなかったらしい。

そして案の定、

 

「いやああああああああああああ!!何覗いてんのよ!!レディが入浴中なのよ!?」

 

異変に気付いたミミが振り返ってしまい、硬直している太一に、辺りにあるものを手あたり次第投げまくった。

ガツン、と風呂桶が太一の顎にクリーンヒットして、ひっくり返る。

だからダメって言ったのに、とカーテンを閉めた空が呆れながら、ひっくり返っている幼馴染を見下ろした。

ここまできて、治と丈と光子郎の男性陣は、空達が呼び止めた理由をようやく理解した。

顔が真っ赤と真っ青のミックスになって、紫色になっている。

それはそうだ、下手をしたら自分達も覗きの現行犯でミミから物をぶつけられていたかもしれないのだ。

女の子の裸という、自分達とは無縁のものを見てしまっていたかもしれないという気恥ずかしさと、罰せられていたかもしれないという恐ろしさが、いっぺんに治達に襲い掛かった。

彼らの場合はしょうがないと言えばしょうがない、治も丈も男兄弟で女っ気は母親しかおらず、そもそも治は両親が離婚しているせいで、身近な女性は空だけだ。

光子郎は一人っ子である。女の子の複雑な心の機微など理解できるはずもなし。

まあ、そんなものは覗いていい理由にはならないが、不可抗力の言い訳としては使えるだろう。

 

ただし太一はダメである。

ヒカリという妹がいるにも関わらず、デリカシーもへったくれもなくずかずか入り込んでいくのはちょっといただけない。

ちょっと周りを見れば、ミミが風呂に入っているかもしれないというのは想像つくだろうに。

 

「ほらほら、みんな出ましょう。ミミちゃんが上がるまでここにいる気?ヒカリちゃん達はさっさと出てったわよ」

 

顔を紫にしている男性陣にそう声をかけて追い出した空は、未だひっくり返っている太一の襟首を引っ掴んで引きずった。

俺は猫か、とか何とか騒いでいたが、無視である。

 

「危ないところだった……」

「ミミさんもですが、僕達もでしたね……」

 

それはミミに対する懺悔か、それとも自分達に対する幸福か。

空達が止めてくれなければ、ひっくり返った屍が増えていたかもしれない。

治と光子郎は真っ青が引っ込んで真っ赤になっている頬を冷ますように、手を仰ぎながらカーテンの外に出た。

 

「……で、大輔くんはよく分かったね?」

 

太一を引きずる空を苦笑しながら見やっていた丈が、先に外に出ていた大輔にそう聞いた。

大輔と賢に挟まれているヒカリが顔を覆っているのは、男子に裸を見られそうになったミミに対する申し訳なさか、兄のデリカシーのなさに対する呆れと怒りか、はたまたその両方か。

苦笑いしながらヒカリを宥めていた大輔は、ちょっとだけ遠い目をしながら丈に返答してやる。

 

「うち、お姉ちゃんいますから……」

 

あー、って全員が納得する。

同じ女の子の兄弟でも、それが姉なのか妹なのかでやはり扱いは違ってくるものだ。

基本的に兄という生き物は妹を女の子として見ないのである。

子供なのである。いつまでも庇護の対象なのである。

妹が裸でいようがパジャマでいようが、子どもであり庇護の対象なのだから、そこに気恥ずかしさなんてあるはずがないのだ。

でもお姉ちゃんはそうはいかない。

例え相手が弟でも男の子だ。いつかはお姉ちゃんを色んな意味で越えてしまうのである。

だからこそ、お姉ちゃんは弟に理不尽という名の躾と教育をしっかりと施すのだ。

自分の地位が脅かされないように、いつかは力をつけて姉を簡単に押さえつけてしまう日が来ることを悟られないように、姉は弟に飴と鞭を使い分けながら洗脳していく。

お陰で弟は女性の陽と陰の部分をしっかりと見て育ち、女性に対して必要以上に夢を見ることなく大人になっていく。

女性に逆らえば殴られたほうがマシというぐらいの報復が待っていることを、弟は早々に悟るのである。

そもそも女の子は男の子よりも精神面の成長が早い。

同じ年の男女でも差が出てくるのだから、歳の離れた姉弟だったら尚更だろう。

更に言えば早いうちから男女の区別をつけるアメリカで育った本宮姉弟である。

大輔が四歳の頃にはもうお姉ちゃんは一人で入っていた。

お姉ちゃんが誰かと入るとしてもお母さんとだけである。

仕方ない、日本みたいに湯船と洗う所が違うわけでも、湯船が深くて子供一人では入れられない心配もないわけだし。

 

とにもかくにもミミほどの多感な美少女が久しぶりのお風呂を邪魔、それも覗かれるなんてことになったら、どうなるかは火を見るよりも明らかだった。

顔を両手で覆って項垂れるヒカリ、遠くを見つめる大輔、それから恥ずかしそうにしている兄と上級生と、空に引きずられて出てきた太一を見て、事態を悟った賢はようやく顔を真っ赤にして俯いた。

 

 

 

 

ファイル島にいた時と同じ、ブラシにつけた絵の具を飛び散らせた夕暮れが、空いっぱいに零れている。

 

子ども達とデジモン達は、大きなテントの最上階で村のパグモン達による歓迎を受けていた。

それはまるでクリスマスの街並みのような飾りつけで、子ども達とデジモン達の前で踊っているパグモン達は三角帽子を被って、コロコロとした身体を使って一生懸命に踊っている。

まるで幼稚園児のお遊戯会みたいで、子ども達は微笑まし気に見守っていた。

 

『ここ、パグモンの村だったんだね』

『……でもおかしいなあ。確かにコロモンの匂いがしたと思ったんだけど……』

 

そんな子ども達とは裏腹に、デジモン達はしきりに首を傾げている。

パグモンというデジモンがどういうデジモンなのか知っているデジモン達は、しかし自分達が知っているパグモン達と全く違う様子に、混乱していた。

弱い者いじめが大好きで、落とし穴を掘って落ちたデジモンを莫迦にしたり、悪口を言って泣くデジモンを莫迦にしたりと、しょうもない悪戯ばかりするデジモンが、こんなにこやか歓迎ムードで出迎えてくることに不信感のようなものを抱いていた。

しかしパグモンがここにいる以上、ここはパグモンの村で間違いないのだ。

コロモンの姿が見えないのなら、コロモンは何処にいるのっていう質問はおかしい。

そもそも子ども達がすっかりと寛ぎモードだ。

ここは本当にパグモンの村なのかってデジモン達が疑念を抱いていても、子ども達がすっかり安心しているのなら、わざわざ不安にさせるようなことを言うのは憚れた。

 

「まるで竜宮城に来た乙姫様の気分だわ!」

「……それを言うなら浦島太郎、だろ?」

「……てへ」

 

パグモン達がにこにこしながら運んできてくれた食事は、果物やキノコをそのまま焼いただけの、質素なもの。

ゲンナイから食事のデータをもらっているからもう必要はないのだが、歓迎のために用意してくれたのだから食べないのは失礼だろう。

子ども達は皿に盛られた果物に手を伸ばした。

デジモン達も、子ども達に倣う。

ブイモンも緩慢な動きで食べ物に手を伸ばしたのだが、まだうつらうつらしているために、出された料理に顔を突っ込まないか、大輔ははらはらしながら見守った。

 

「はい、あーん」

『あー!』

 

ヒカリは、膝に乗っているパグモンの口元に、小さく千切ったキノコを運んでやる。

ファイル島を出発する日から、口数がすっかり少なくなってしまっていたヒカリだったが、小さなパグモンの愛らしさで少しだけ心が晴れたのか、少しだけ笑顔を見せていた。

元気のないヒカリを心配して、1匹のパグモンがずーっとひっついてくれていたのだが(そのせいでプロットモンの機嫌が今も悪い)、ヒカリはそのパグモンを膝に乗せて一緒にご飯を食べている。

時々プロットモンが、ずるいずるい私もやってってねだってきてちょっと大変ではあったが、概ね順調に食事は進んでいく。

 

「……ふう、あの、パグモン」

 

焼きリンゴを食べ終えた光子郎は、お世話をしてくれている数匹のパグモンのうちの1匹に問いかける。

 

『はいはい』

「あの、僕ら実はここで待ち合わせをしているデジモンがいるんです。僕らがここに来る前に他のデジモンは来ませんでしたか?」

 

すっかり忘れていたのだが、ここには子ども達の力を更に引き出してくれる紋章の場所に案内してくれるデジモンと合流するために来た。

予定では昨日に着いているはずだったのだけれど、色々とあって到着が1日遅れてしまっていたのだ。

ミミがパグモン達に拉致される形で風呂に連れていかれ、その後の騒動で子ども達の頭からすぽーんと抜けていたが、本来の目的は合流である。

もしも案内してくれるデジモンが既に到着していたら、早めに謝罪がしたいのだが……。

 

『うーん、貴方方以外でお客様は来てないですねぇ』

 

光子郎に問われたパグモンは、表情を変えずにそう答えた。

どうやら案内してくれるデジモンはまだ来ていないらしい。

そのデジモンが来てくれるまでここに滞在してもいいか、とお願いしたら、パグモン達は快諾してくれた。

やったぁ、って喜んでいるのはミミだ。

 

「さっきお風呂入っちゃったけど、ご飯終わったらまたはーいろっと!いいよね、パグモン達?」

『もちろんですとも!』

「やった!空さんとヒカリちゃんも入りましょ!」

 

天真爛漫に喜んでいるミミに、太一達は苦笑する。

久しぶりにこんなミミさんを見たな、と光子郎は密かに思っていたのだが、ミミのパルモンが初めて進化を遂げてからミミはずっと最年少達の世話を見てきた。

自分は最年少達と同じ守られる存在ではなく、前に出て戦わなければならない存在なのだと自覚してから、ミミはずっと最年少達のお世話をしてきたのである。

ミミの本分である天真爛漫で、思ったことは全て口にするというのを我慢して、最年少達を不安にさせないように、ミミなりに気を張っていたのだが、久しぶりに湯船に浸かったことで張っていた気が少しだけ緩んだようだった。

空はそんなミミに苦笑しながらも、気持ちは痛いほど理解できるので承諾した。

ヒカリも首を縦に振ると思ったのだが……。

 

「……私、は、いいです」

 

膝に乗せたパグモンを何度も撫でながら、ヒカリは今にも消え入りそうな声でそう返した。

いつものヒカリと様子が違ったので、太一がどうしたんだって尋ねるけれど、ヒカリは何でもないとだけ返して口を開かない。

こういう時のヒカリは何を訪ねても絶対に口を割らないことをよく分かっているから、太一はこれ以上追及するのを止めた。

 

「太一達はどうする?」

「空達が入ったら入るよ。な?」

 

太一が男子に聞くと、全員が頷く。

 

いや、全員ではなかった。

 

「あー……俺はいいっす」

「……僕も、いいや」

 

大輔と賢が、そう言って断った。

ヒカリと同じように、何処か元気のない声で、賢はともかく大輔までもがそんな調子だったから、パートナーデジモンを含めた一行は雷でも落とされたような衝撃を受けた表情を浮かべる。

何かあったのか?腹痛いのか?眠いのか?何処か具合でも悪いのか?上級生達が必死な形相で大輔にそう詰め寄るものだから、大輔は圧倒されそうになった。

 

「ち、違いますよ!別に俺具合悪いとかじゃなくて、ただブイモンがまだ眠そうだし、一緒に入れないから……」

 

大輔の言葉に、上級生達の視線が一斉にブイモンに向けられる。

目をとろとろさせて、こっくりこっくりと舟を漕いで、今にもその場に寝転がってしまいそうなブイモンに、全員が納得した。

これではブイモンを一緒に風呂に入れることはできない。

だからと言ってブイモンを放って自分だけ風呂に入るのも、きっと嫌だったのだろう。

賢は言わずもがな、まだパタモンがデジたまから孵っていない。

硬い表情を浮かべたまま、賢は未だ孵る気配のないデジたまをぎこちなく撫でる。

ちょっとだけ気まずい空気になった上級生達だったが、それなら仕方がない。

食べ終わった子ども達は、世話をしてくれたパグモン達に礼を言って、テントを出た。

流石に子ども達が眠れるほどのベッドはなかったので、子ども達はいつものテントで夜を明かすことにした。

 

 

パグモン達の目が怪しく光ったことに気づかずに。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

爆音が響き渡る。

 

お兄ちゃんと一緒に通った、公園までの道のり。

お母さんと手を繋いで買い物に行った遊歩道。

お父さんの帰りをお兄ちゃんとお母さんと一緒に待っていた歩道橋。

遊びに来たお祖父ちゃんとお祖母ちゃんと歩いた並木道。

 

全てが目の前で崩れる。壊される。

 

 

「いや、いや。やめて、ねえ×××。帰ろう、おうち帰ろうよ。ねえ!」

 

 

ヒカリは、泣き叫ぶしかなかった。

目の前で繰り広げられる恐ろしい事態に、目を背けることしかできなかった。

がらがら、がらがら。

大切なものが、音を立てて崩れていく。

強い力で叩かれた薄いガラスの板が細かい破片になってバラバラになっていくように。

見慣れた背景が崩れて、やがてヒカリの周りは闇に包まれる。

後に残されたヒカリだけが、色鮮やかに浮かんでいた。

 

「ひっく……うう……ひっ……うぇ……」

 

絶望に打ちひしがれるヒカリを、抱きしめてくれる兄はいない。

その場に座り込んで、両手で顔を覆って、ヒカリは泣きじゃくっている。

 

「ひっく……ひっく……」

 

ごめんなさい。

 

「ひっく……」

 

ごめんなさい。

 

「うぇ……」

 

ごめんなさい。

 

 

ごめんなさい。

 

 

 

ごめんなさい。

 

 

 

 

ぼう……

 

 

 

 

泣きじゃくっているヒカリの目の前に、ぼんやりとした光が浮かぶ。

ヒカリは、しゃくりあげながらも違和感に気づいて顔を上げた。

そこにいたのは、

 

「っ、お母さん……!?」

 

ヒカリとよく似た面立ちの女性、母だった。

ヒカリの目の前で、ヒカリを見下ろすように佇んでいる母。

恋しくて恋しくて、でもお兄ちゃんもお兄ちゃんのお友達も、ヒカリのお友達もずーっと我慢してその存在を思い出さないようにしていた、大好きなお母さん。

この世界を救うまでは帰れないって覚悟していたから、まさかこんなところで会えるなんて思わなくて、ヒカリはせき止めていたものがぶわりと決壊してしまった。

 

「お母さんっ!!」

 

母の足に、ヒカリはしがみついてわんわん泣き喚いた。

 

「お母さん、お母さん、お母さん!」

 

お母さんの足に、涙を拭うようにぐりぐりと顔を押し付ける。

ヒカリが泣くと、ズボンが汚れちゃうからやめてって苦笑しながら、お母さんはいつも抱きしめ返してくれる。

どうしたの、ヒカリ。何か悲しいことがあったの。お母さんに話してごらん。

そう言って抱きしめて、よしよしって頭を撫でてくれる。

 

それなのに。

 

「…………お母さん?」

 

目の前の母は、ヒカリが泣きじゃくっているのに、いつまで経っても抱きしめてくれないのである。

しゃがんで抱きしめて、よしよししてくれないのである。

いつまで経っても温もりがヒカリを包み込んでくれないから、ヒカリはお母さんの足に押し付けていた顔を恐る恐る離して、お母さんを見上げる。

 

「お母さん……?」

 

お母さんだ。見上げたヒカリの視界にいるのは、間違いなくお母さんである。

いつも優しく見守っていてくれる、お母さんなのに。

 

《………………》

 

お母さんが、じっとヒカリを見下ろしている。

その眼差しは、いつもと同じ優しさで満ち溢れていて、でも何処か悲し気で……。

 

 

──違う。

 

 

「お母さん、じゃ、ない……?」

 

お母さんによく似た女性は、そこでようやく行動を起こした。

徐に膝をつき、戸惑っているヒカリの肩にそっと手を添える。

 

そして、

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

“それ”は夜通し走っていた。

昼間は汗が滝のように流れるほどに暑くて熱い砂漠地帯も、夜になれば周囲を氷に囲まれたように寒くなる。

その砂漠地帯をものともせず、“それ”は、ガジモンは走っていた。

灰色の体毛に、ウサギのような長い耳は、一見すると可愛い見た目ではあるが、その目に滲み出ている意地の悪さやずる賢さを隠すこともせず、更に指の先から伸びる鋭い爪は、ガジモンの気性の荒さと攻撃的な性格をよく表している。

そのガジモンが、もうすぐ夜が明けようとしている砂漠を走っていた。

哺乳類型のデジモンとしては珍しく二足歩行のガジモンではあるが、早く移動するために四つ足で砂漠を突っ切っていた。

時折立ち止まっては、周囲を確認するように後ろ足で立ち上がり、鼻や耳をぴくぴくとさせていた。

そして方角を確認すると、また四つ足になって走り出す。

それを繰り返すこと、数十回。地平線の向こうから太陽が顔を覗かせようとした時に、ガジモンはようやく目的地にたどり着いた。

そこは、船の先端が地面から突き出した不思議な浜辺だった。

目と鼻の先に海があり、海の向こうから顔を覗かせた太陽が、濃紺の空を追い払って行く。

 

『エテモン様~!何処にいらっしゃるのですか、エテモン様~!』

 

船の森の中を、ガジモンは大声を出して誰かを探しながら走る。

何度もその名を叫びながら探し回ること数分ほど、どしん、という地響きがした。

その音を聞きつけて、ガジモンは地響きがした方へ走る。

どしん、どしん、という重いものが地面に落とされるような地響きが近づいてくるたびに、ガジモンの全身が大きく揺れる。

砂埃を巻き上げながらやってきたのは、モノクロモンだった。

そのモノクロモンに向かって、ガジモンは何故かエテモン様と言いながら走り寄る。

モノクロモンはモノクロモンであって、エテモンという名ではない。

それはデジモンであるガジモンが、1番よく知っていた。

ガジモンがエテモン様と呼んでいるのは、モノクロモンではなかった。

ガジモンの真横を通り過ぎてから、急ブレーキをかけるように地面を滑って止まったモノクロモンは、笑天門と書かれた丸っこいトレーラーを牽いていた。

ぷしゅうう、という音を立ててガジモンの前で停まったトレーラーは、がちゃ、と横が開いてぎらついた七色の光がトレーラーの中から溢れだした。

白いスモークもたかれて、ぎゃぎゃーんという耳障りな音が響く。

一瞬ガジモンがたじろいだのは、その音が頭に響いたからでは、決してない。

ああ、そうじゃないとも、うるせーなんて言おうもんなら明日の朝日は確実に拝めないのだから。

濛々と噴き出る白いスモークが薄れ始めた頃、煙の向こうにポーズを取っている陰が見えた。

 

『イェイ、イエーイ!この世で最強!!それがこの私!!エテモォオオオン!!』

 

晴れたスモークから出てきたのは、猿のような全身スーツを身にまとった、サングラスをかけたデジモンだった。

名前をエテモンと言い、先ほどからガジモンが呼んでいた、ガジモンの上司の名前であった。

ふざけた大人が猿の着ぐるみを着ているような、とってもシュールな外見だが最強と自称するだけあり、実力はファイル島を支配しようとしていたデビモン以上だ。

子ども達の次の相手はこのエテモンなのだが、現時点で子ども達はそのことを知らない。

 

『よっ!エテモン様!キング・オブ・デジモン!!』

 

ガジモンがそう言ったら、ガツンと拳骨で殴られる。

 

『朝っぱらから声が大きいわよ!!』

『それを言うならエテモン様の方が……』

『シャーラップ!お黙り!!』

 

こうやって盛り上げてやらないと機嫌が一気に急降下する癖に、一番煩くしていたのはエテモンなのに、自分の思ったタイミングでないところで声をかけられると、こうやって黙らせられるのだ。

あまりにも理不尽すぎる、とガジモンは涙目になりながらもこれ以上抗議はしない。

そんなことをすれば、大事な報告をする前に、塵芥にされて消されるからだ。

エテモンに仕えて早幾年。これまで何度同類が目の前で理不尽に消されたか、ガジモンは100を超えたところで数えるのを止めた。

自分より弱い者には強気に出るガジモンは、典型的な意地の悪いデジモンらしく、強い者にはへこへこと下手に出る。

自分より強い者に歯向かうなんて、愚か者のすることだ。

何が何でも生き残るために強い者に媚びへつらう、それが賢い生き方だ。

莫迦な正義感などで、腹は膨れない。

たとえ強いものの理不尽で頭に血が昇ろうとも、苛つこうとも、ご飯に在りつけるのなら喜んでプライドなんか捨ててしまう。

それがガジモンというデジモンである。

仲間達の命を犠牲にしながら、何を言えば強き者の機嫌を取れるか、機嫌を損ねるかを判断していく。

そうやって最後まで生き残った者こそが、本当の強者だ。

だから賢いガジモンは、これ以上エテモンの機嫌を損ねないように、理不尽に対する文句は心の中に仕舞っておいた。

 

『アチキの計算によると、もうすぐ選ばれし子ども達がここに上陸してくるわ!!』

 

そう言ってマイクを向けた先には、トレーラーに設置されているモニターに青い光が点滅していた。

曰く、選ばれし子供達の到着予測地点らしい。

 

『それを待ち伏せして一気に叩きつぶすの!う~ん、我ながらナイスな作戦!』

 

大声出したりしたら子供達に気づかれちゃうでしょ!、ってエテモンは大きな声でガジモンに注意するが、エテモンの作戦は昨日の時点でおじゃんになってしまっている。

くねくねとした動きとニヤニヤしている顔は、自分が立てた作戦に酔いしれているからだろうが、全てを知っているガジモンは何処までも冷静であった。

来ませんよ子ども達、って冷静に言い放ったガジモンに、エテモンはえ?って間抜けな声を上げる。

 

『選ばれし子供達は一昨日の内に他から上陸して、今パグモンの村にいます』

『な、何ですってぇえ!?』

 

何でそうなるのよどうしてどうして!?ってエテモンは最強と自称している化けの皮が少しだけ剥がれている。

徹夜で考えた寸分の隙も無い、完璧で素晴らしい計画は無駄に終わってしまった。

何で何でってエテモンはガジモンに詰め寄っているけれど、そんなこと言われても知らんがな、ってガジモンは思っていることだろう。

しかし絶対に口に出してはいけないので、ガジモンは誤魔化すようにモニターの誤っている情報を指摘する。

エテモンは慌てて、思いっきり操作板を叩いた。

機械オタク、特に治や光子郎が目にしたら間違いなくエテモンをぶん殴るであろう所業だったが、根っからの機械音痴であるエテモンは、そんなこと知ったこっちゃない。

思いっきり叩かれた機械は、独特のノイズ音を出しながら情報を更新する。

青い点滅は、途端に別の場所で光った。

野太い絶望の悲鳴を上げながら、エテモンはきぃきぃ喚く。

 

『あ゛ー!ホントだわぁ!アチキの作戦台無しじゃないのぉお!絶対許さないんだから!!』

 

全ては自分の機械音痴が招いたことなのに、エテモンは子ども達へ八つ当たりにも似た怒りを抱く。

その怒りを発散すべく、エテモンは台無しになった作戦の代案を考えながら、ゴチャゴチャとキーボードをいじり回した。

普段は配下のガジモンに任せっ切りで機械のことなんかこれっぽっちも分からないくせに、最新型とか聞かされると目の色を変えて飛びつくのである。

何処のミーハーだ、いじり方も知らない癖に。

そんなことを思いながらガジモンが見守っていると、トレーラーを引っ張っていたモノクロモンを切り離して、その場から離れていった。

 

『いでよ、ダークネットワーク!』

 

高らかに叫ぶと、トレーラーの前輪から2本の黒いケーブルが波打ちながら出現した。

闇の気配を漂わせているそのダークネットワークは、サーバ大陸のあちこちに張り巡らされており、エテモンの勢力として拡大されていっている。

ファイル島でデビモンが闇の力を秘めた黒い歯車を使って、世界を征服しようとしていたのと同じだ。

そのダークネットワークはエテモンが独自で生み出したものではなく、デジタルワールド中に蔓延っている悪意が闇に変換され、偶然生み出された産物である。

エテモンはデビモンと同じように、おこぼれを拝借しているようなものだ。

しかし元々の実力も相まって、ダークネットワークで強化されたエテモンは、自分こそが世界の支配者であると信じて揺るがない。

これさえあれば、“アイツ”だってけちょんけちょんに倒すことが出来る!

まずは手始めに、この世界の救世主だなんてバカバカしいことを言われている子ども達を始末しなければ。

サングラスの奥に隠されたエテモンの目には、見た目からは考えられないほど暗い野望の火が灯っていた。

 

『はいよー!』

 

しゅっぱーつ!なんて、とても暗い野望を秘めているとは思えないほどに明るい声を合図に、トレーラーはケーブルをレールのようにして動き出した。

意志を持ったようなそのケーブルは、目的地であるパグモンの村まで一直線である。

コケにしてくれた子ども達をどう料理してやろうかと、エテモンは嗤う。

動き出したトレーラーに、ガジモンは慌てて飛び乗った。

 

『他の連中は連れて行かないんですか?』

『選ばれし子どもなんかアチキ一人で十分!』

 

そう言ってエテモンはサングラスを光らせ、高笑いをする。

 

 

子ども達の冒険は、まだ終わらない。

 

 

 

 

 

.


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