ナイン・レコード   作:オルタンシア

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おかしな村③

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──声が聞こえる。

 

 

《おや、何かと思えば。久方ぶりの地平線の迷い子ですか》

 

 

──声が聞こえる。

 

 

《地平線と地平線の狭間に迷い込んでしまうなんて、貴女は運がいいのか悪いのか。いえ、きっとその両方ですね。何故なら貴女はここに来るのは、2度目なのですから》

 

 

──声が聞こえる。

 

 

《過去から現在(いま)へ。そして現在(いま)から未来へ。その速さを変えることなく、常に流れゆく時間と時間の狭間は、とてつもなく重いもの。その質量に耐えうる者はいないというのに、貴女のその丸裸の魂は傷つくことなく存在している。本当に不思議ですねぇ》

 

 

──声が聞こえる。

 

 

《……しかし幾ら貴女が特別と言っても、長い時間ここを彷徨うのは危険ですね……仕方ありません。“また”送って差し上げましょう》

 

 

──声が聞こえる。

 

 

《……おや?いつの間に目を覚ましていたのでしょうかねぇ。ここが何処だか分かりますか?私が誰で、貴女が誰か分かりますか?いえ、この地平線の狭間において、自分が何者なのかなんて些細な問題ですね。ここでは貴女であって、貴女ではないのですから。むろん、私も私であって、私ではない。ここでの記憶も記録も、貴女の中には欠片も残らないでしょう》

 

 

──声が聞こえる。

 

 

《……ふふ、いけませんね。久しぶりの迷い子に、柄にもなくはしゃいでしまいました。さて、いつまでもここにいては、貴女の本質は本当に失われ、ただの概念となって最後には地平線の一部となって消えてしまうでしょう。それはあの方の本意ではありません。今日まで貴女達のために、あの方は心を砕いて慎重にことを進めてきたのですから》

 

 

──声が聞こえる。

 

 

《少しずつ予定調和の未来から外れ、いずれ新たな地平線が生まれるでしょう。さて、それは最初から決まっていた宿命か、それとも貴女が望んだ運命か、はたまた神の悪戯による天命か……いずれにしても、ここから先は貴女が書き記す物語、貴女が描く地平線》

 

 

──声が聞こえる。

 

 

《……おや、見えてきましたね。さあ、あの光の向こうが、貴女の今の物語であり地平線です。あの光に包まれれば、たちまちここでの出来事は忘れてしまうでしょう。しかしそれでいいのです。それがいいのです。人は誰しも地平線の狭間に迷い込むものですが、誰1人としてその存在を覚えていないでしょう。何故なら……》

 

 

──声が聞こえる。

 

 

《……いえ、この話は止めておきましょうか。どうせ貴女とはここでお別れです。貴女は既に地平線の住人、私は地平線の狭間を彷徨う、哀れな咎人。平行の地平線は永遠に交わることがない。善と悪のように、光と闇のように、貴女と私が交わることは、決してない》

 

 

──声が聞こえる。

 

 

《さようなら、地平線の住人よ。願わくば、二度と逢うことのないように》

 

 

──声が聞こえる。

 

 

 

──声が聞こえる。

 

 

 

 

 

──声が、聞こえる。

 

 

 

 

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閉じた暗闇の向こうで、微かな喧騒が聞こえてくる。

ヒカリは微睡に引き留められながらも目を覚ました。

具合が悪くて寝込んでいたことを思い出し、上半身を起こす。

ベッドのクッションが揺れたのを感じたのか、枕元に寝ていたプロットモンが目を覚ました。

 

『ヒカリ!もう大丈夫なの?』

「うん、寝たらよくなったみたい。心配かけてごめんね、プロットモン」

 

何か夢を見ていたような気もするが、覚えていないので特に大した夢ではないのだろう、とヒカリは口を閉ざす。

朝起きた時には身体が怠くて、とてもではないが起き上がるのが困難であった。

兄や友人達にも心配をかけてしまい、ここを発つのが遅れてしまうのではと懸念していたが、目を覚ましたら朝の怠さが嘘みたいにすっきりしていた。

ベッドから降りて、立ち上がってみる。屈伸運動をしてみる。

両手をぐーぱーと握ったり開いたりしてみる。

……特に異常は見られない。

本当にあの怠さはなんだったのだろう、と思いながら、ヒカリはプロットモンを腕に抱き、テントの外に出た。

 

「……あら、ヒカリちゃん?」

 

少し慌ただしい。兄はパグモン達の住処であるテントの上に登って忙しなく辺りを見渡しているし、他の子ども達もばたばたしている。

何があったんだろうと思って、テントの入り口でその慌ただしさをぼんやりと眺めていたら、テントの方に向かってきた空が気づいてくれた。

ヒカリの様子を見に来てくれたらしく、もう大丈夫なの?って尋ねてきたから、大丈夫です、って笑顔で答える。

しかし多少の体調不良なら、ヒカリは我慢してしまうことを知っている空は、本当に?って半目でヒカリを見下ろす。

本当です!って慌てて答えると、空はまだ疑っているようで額に手を当ててみた。

……確かに先ほど触った時よりは、暖かみがあった。

賢のデジたまを探す前に触れた時は、少し冷たかったが、今は平熱ぐらいには戻っていそうである。

具合がよくなったのなら、それはそれでいい。

しかし問題は……。

 

「空さん、みんなどうしたの?なんか慌ててるみたいだけど……」

 

ヒカリが心配するといけないから、と言って太一は賢のデジたまのことをヒカリに伝えなかった。

彼女が目を覚ますまでには、デジたまも見つかるだろうと、少々楽観視していたところもあったのは否めない。

しかし思っていたよりも早く、ヒカリは目を覚ましてしまった。

どうしたものか、と空はさりげなく隣のピヨモンに目線をやるが、ピヨモンも困ったような表情をしている。

うーん、と悩んでいると、ヒカリは辺りをきょろきょろと伺い、そして言った。

 

「……大輔くんと賢くんは?」

『ブイモンもいないわね。もしかしてテント?』

 

ヒカリとプロットモンの言葉で、空とピヨモンは、否、子ども達はようやく最年少2人の不在を知ることとなる。

そう言えば、って空とピヨモンがまず気づいて、大輔達の名を呼びながら村を歩き回り、それに気づいた治と光子郎が同じく大輔達の名を呼びながら探し、それから太一と丈の知るところとなった。

全員で呼びかけども、大輔と賢がはーいって返事をすることはなく、子ども達とデジモン達は捜索対象が増えてしまったことで大いに慌てた。

そして最年少2人を探している途中で、太一のアグモンもいないことが判明する。

嘘だろ、って子ども達は青ざめ、デジモン達はパートナーから離れたアグモンに呆れ、現場は更に騒然とした。

どうするどうする、ってお兄ちゃん達が慌てているのを、何も知らないヒカリとプロットモンは眺めていることしか出来なかった。

 

『………………』

『……あら、アンタ……』

 

そんなヒカリを、じっと見つめている者がいた。

1匹のパグモンだった。それは、昨日の夜、宴会の席にてヒカリの膝を陣取ってくれた個体だった。

子ども達にとっては沢山いるパグモンのうちの1匹で、見わけもつかないパグモンだがプロットモンには分かる。

種類は違えど同じデジモンだ、大好きなヒカリを独り占めした憎い相手の匂いはしっかりと覚えてやった。

どうしてくれよう、と睨みつけていると、ヒカリが視線を感じたのか、パグモンがいる方に顔を向けてしまった。

 

「あ、ねえ、パグモン。何があったの?みんな慌ててるみたいだけど……」

 

空から説明してもらおうと思っていたのに、大輔と賢がいないって気づいて、ヒカリのことをほったらかしにしてしまったせいで聞けず終いであった。

パグモンなら何か知っているだろうと思い、ヒカリをじっと見つめているパグモンに近づきながら話しかけた。

 

「大輔くんと賢くんもいないし……何か知らない?」

『いない』

「いない?大輔くん達、いないの?どうして?」

『いない』

「え?」

『いない』

「パ、パグモン?」

『いない』

『ちょ、ちょっと、何よ?どうしたって言うの?』

 

パグモンの様子がおかしくなり、ヒカリとプロットモンはぎょっとなって後ずさる。

ばたばたとしている上級生達は一体どうしたのか、大輔と賢は何処に行ったのか、それをパグモンに尋ねると同じ言葉を繰り返し始めた。

いない、いない、とそれだけを口にして淡々と繰り返している様は、ただただ不気味であった。

 

『いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない』

「パグモン……?」

『いない、いない、いない、いない、いない、いなイ、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、イナイ、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、いない、イない、いないいないイナイいないいないイないいないいないいないいないいなイいないいないいないいないいないいないいないないないないないないなイないないないないな居ないないないないナイないないないないないないないないないないないないないないないないないないないないな否いないないないないないないないないないないないないいいいいいいいいいいイいいいいいいいいい胃いいいいいいいいいぃいいいいいいいいいいいいいいいいいいい』

 

ひっ!とヒカリの声がひっくり返り、プロットモンは全身の産毛が総毛だった。

壊れたラジオのように同じ言葉を繰り返すパグモンは、やがて赤い眼がぐるぐると回り出す。

両目が同じ方向に回っているのではなく、左右の回る方向が違うのだ。

右の目は左回りに、左の目は右回りに。

ぞわり、とヒカリの背筋に悪寒が走って、プロットモンは喉の奥を低く鳴らして唸る。

話し合っていた上級生達が異変に気付いたのと、“ソレ”が始まったのは同時であった。

 

『えべれびばがぎぎぎぎごげぐが』

 

最早言葉は失われている。

目をぐるぐると回しながら壊れてしまったパグモンは、突如黒い光に包まれた。

遠巻きに様子を伺っていた他のパグモン達も、固唾を飲んで見守っている。

 

「な、何だ……?」

「ヒカリ!プロットモン!こっちにこい!」

 

治は呆然と呟き、太一は様子のおかしいパグモンの傍にヒカリとプロットモンがいることに気づいて叫んだ。

しかし2人は聞こえていないのか、黒い光を発しているパグモンを唖然と見つめている。

黒い光はやがて空気を入れられた風船のように膨らみ、ヒカリとプロットモンを優に飲み込んでしまうほど大きくなった。

へたり込むヒカリを護るように、プロットモンは黒く大きな光を睨みつける。

 

ぱぁん、と膨らみすぎた風船が破裂したような音がした。

 

「……え?」

 

静まり、停止してしまった空気に、ヒカリの唖然としたような声だけが嫌に響いた。

黒い光を突き破って現れたのは、見慣れたデジモンであった。

大地を踏みしめる力強そうな四肢、伝説の金属・ミスリル並みの強度を誇ると言う毛並み、狼を彷彿とさせる頭部。

 

『グルルルるルルルル流留ルルル……』

 

プロットモンのそれとは比べ物にならない、空気を擦るような低い唸り声。

パグモンがいた場所には、ガルルモンがいた。

治のパートナーであるガブモンが進化した姿だ。

しかし治のガブモンとは、様子が違っていた。

治のガブモンは青い毛並みをしているが、目の前にいるガルルモンは黒い毛並みをしていた。

治のガブモンが進化したガルルモンは優しそうな黄色い目をしているのに、目の前の黒いガルルモンはギラギラと血のように赤い目でヒカリを見つめていた。

無感動で、無感情で、ただそこに佇んでいるだけの“モノ”。

ヒカリは口をはくはくとさせて、息をするのも忘れてしまった。

 

『グル……』

 

ぎらり、と黒いガルルモンの目が光った気がして、プロットモンがヒカリに叫ぶ。

 

『ヒカリ!進化を!』

 

しかしヒカリはその場にへたり込んでしまって、自分の身を護ることも忘れてしまっている。

目の前で起こったことに脳の処理が追いついていないのだろうか。

真っ先に我に返ったのは、同じくガルルモンに進化をするパートナーを持つ治だった。

 

「ガブモン!」

『おう!』

 

デジヴァイスを手に取り、ヒカリを助けなければという思いを込めれば、デジヴァイスから光が漏れてガブモンを包み込む。

0と1がガブモンの身体を急激に書き換え、二足歩行の身体が大きくなって四足歩行となった。

大地を蹴り、ヒカリの前までひとっとびで駆けつける。

ほぼ同時に我に返った太一も、ヒカリとプロットモンの下に駆けよって、へたり込んでいるヒカリを抱っこしてその場から離れた。

 

「ヒカリ、大丈夫か!?」

「う、うん……」

 

他の子ども達の下まで戻ってきた太一は、ヒカリを地面に下ろして顔を覗き込んだ。

目を白黒させてはいたものの、特に怪我をしている様子は見受けられなかったので、太一とプロットモンはほっと胸を撫で下ろす。

 

『ぐがごぎげげげがばぶべ』

 

言葉になっていない音を発しながら、黒いガルルモンは治のガルルモンに飛び掛かる。

治のガルルモンは負けじと応戦し、大きく口を開いて飛び掛かってきた黒いガルルモンを紙一重で避けると、距離を取って青白い炎を吐いた。

炎が直撃し、黒いガルルモンは溜まらず仰け反って後ろの方に跳んだ。

がしゃあん、とパグモンのテントが1つ、破壊される。

きゃあ、と言うミミの悲鳴がかき消された。

 

 

そこからはもう、阿鼻叫喚の地獄絵図だった。

理性を失った黒いガルルモンは執拗に治のガルルモンに飛び掛かり、治のガルルモンはそれを避けるために跳躍しながら翻弄していく。

時折青白い炎を吐いて黒いガルルモンを牽制するが、油断をしていたのは最初の一撃だけだったようで、炎を浴びても怯まない。

パグモン達は仲間の変貌に怯えているのか、隅の方でひと塊になって、仲間だった黒いガルルモンをただ見ていることしか出来ていないようだった。

大丈夫?ってミミが何度か声をかけても、パグモン達は怯えてしまって答えない。

子ども達とパートナー達は、ガルルモン同士の戦闘の邪魔にならないように少し離れたところで待機していたが、それでも身体の大きな成熟期が2体も、テントが所々に設置されている狭い空間で戦うのは少し無理があったようだった。

 

『……ぐうっ!』

「ガルルモン!」

 

黒いガルルモンも、青白い炎を治のガルルモンに向かって吐き出した。

空中に逃げていた治のガルルモンは、避けることが出来ずに炎をまともに食らってしまい、炎に押し出されて子ども達の方へ落ちてきた。

慌ててそこから避ける子ども達。しかし黒いガルルモンは追撃の手を緩めず、直線上にあるテントに構わず突進してくる。

近くにいたミミとパルモン、光子郎とテントモンが悲鳴を上げながら、地面に倒れるように伏せた。

がしゃん、とテントがまた1つ潰れる。

 

「うう、痛い…………あら?」

 

テンガロンハットが飛ばないように押さえつけながら、顔を軽く横に振った。

すぐ隣に、頭を押さえてうずくまっている光子郎達がいる。

わあきゃあと上級生達の喧騒の中、咄嗟に閉じていた目を開けて何気なく辺りを見渡したら、黒くて小さい何かが蠢いたのが視界に入った。

何だろう、と凝視する。潰れたテントの隙間から這い出て、ぽよんぽよんと地面を跳ねている、黒くて小さいもの。

牡丹餅みたい、というのがミミの第一印象だった。

 

「いたた……ミミさん、大丈夫ですか……?」

「え?あ、うん。私は大丈夫。パルモンは?」

『私も平気……あれ?ミミ何持ってるの?』

 

起き上がった治のガルルモンが、首を何度か振った後に再度黒いガルルモンに攻める。

飛び掛かってきた黒いガルルモンに炎をぶつけ、先ほど自分がされた仕返しをしてやった後、ひっくり返った黒いガルルモンに伸し掛かった。

 

「この子?さっきその潰れちゃったテントから出てきたの。すごくちっちゃいし、赤ちゃんデジモンかしら?ここにいたら危ないわ」

 

伸し掛かられた黒いガブモンは、四肢が千切れるのではと懸念してしまうほど出鱈目に振り回して、治のガルルモンを振り払おうとする。

パルモンは、ミミの腕に抱かれた黒くて小さいものに、驚愕の声を上げた。

 

『ボタモン!?どうしてここに!?』

『何やて!?』

 

パルモンの言葉に反応したテントモンも、同様に驚いていた。

 

「どうしたの?」

「この子がどうかしたんですか?」

 

ミミと光子郎が尋ねる。

2人は、知らなかった。何も知らなかった。それはデジモン達にとっては当たり前で、当然で、常識だったから、知識として子ども達に教えようなんて、これっぽっちも思っていなかったのだ。

治のガルルモンを振り払った黒いガルルモンが立ち上がる。

しかし無理をしたその身体は既に限界を迎えていた。

 

『ボタモンは幼年期Ⅰ、赤ちゃんのデジモンなの!』

「赤ちゃん?ふーん、やっぱり赤ちゃんなんだ」

「この子が進化すると、パグモンになるんですか?」

『んなわけあれへん!ボタモンはコロモンに進化するんや!パグモンには絶対進化しーへんさかい!』

「へ?」

『ここはパグモンの村なのに、コロモンに進化するボタモンがいるなんておかしいわ!ねえ、ちょっと!』

 

ボタモンは幼年期Ⅰのデジモンだ。

人間で言えば生まれたばかりの赤ちゃん、1歳にもなっていない赤ちゃん、まだはいはいもできない赤ちゃんである。

幼年期Ⅰのデジモンは、幼年期Ⅱのデジモンよりも戦う力がないため、はじまりの町のようにお世話をしてくれるデジモンや、進化先である幼年期Ⅱや成長期などに見守られながら育つのが一般的だ。

潰れたテントの中から出てきたということは、このボタモンはテントの中にいたということに他ならない。

まだ戦う力のないボタモンが、群れや仲間からはぐれてこの村に1匹だけでやってきたというのは、考えにくい。

基本的にそれぞれの進化前の世話をするものなのだが、ボタモンが進化をするのは大抵コロモンである。

もちろん、デジモン達は無限の可能性を秘めているので、ボタモンの進化先はコロモンだけではないのだが、パグモンに進化することはテントモンの言うとおり絶対にないのだ。

じゃあ、何故ここにいるはずのないボタモンがここに?

 

 

激しい戦闘が繰り広げられている中、パルモンとテントモンはそれぞれのパートナーを伴って、隅の方に一塊になって縮こまっているパグモンの下へと駆け寄る。

ほぼ同時に、黒いガルルモンは断末魔のような咆哮をあげて、ずしんとその場に倒れ込んだ。

光に包まれ、小さくなった黒いガルルモンは、パグモンまで退化していた。

ピクピクと小さく痙攣し、口の端から大量の泡と唾液を零している。

恐る恐ると言った様子で、倒れたパグモンを覗き込む太一と治とガブモンを尻目に、空達はパルモン達が隅っこの方で震えているパグモン達に詰め寄っているのを見た。

 

『さあ、白状しなさい!』

『アグモンが、コロモンの匂いする言うてたんに、パグモンがおるなんておかしいなぁとは思てたんや。何や知っとるんなら、教えてくれまへんかいな?』

 

パルモンは怒っているのを隠さず、テントモンも口調こそ柔らかいが有無を言わさぬ圧迫感のようなものを醸し出しながら、パグモン達にじりじりと詰め寄る。

ひ、とパグモン達は2体の剣幕に圧され、ぴょこぴょこと逃げだそうとしたが、異変を察して駆け寄ってきたガブモン達に通せんぼされてしまい、合計6体の成長期に囲まれ、逃げ場を失った。

遅れて、子ども達も駆け寄ってきたが、デジモン達と違って何が起こっているのかよく分かっていないようだった。

何があったのか、太一がミミと光子郎に訪ねると、ミミは抱っこしているボタモンを差し出しながら、パルモン達が教えてくれたことをそのまま太一達に伝える。

この村は、何かがおかしい。

 

「おい、何か知ってるな?知ってること全部吐け!」

 

1度疑ってしまったら、懐疑心は何処までも突き進んでいく。

太一は足下にいた1体のパグモンを乱暴に抱き上げて、じと目になりながら問いただした。

この期に及んでパグモンはまだ誤魔化そうとして、昨日の宴で歌っていた歌を披露するが、子ども達はもう騙されない。

そこでパグモンはとうとう、本性を表した。

先ほどまでの友好ムードは一転し、悔しそうな表情を浮かべて太一達を罵倒し始めた。

 

『ふーんだ!騙される方が悪いんだよ!』

『そうだそうだ!』

『せーっかくガジモン達に頼まれて、エテモン様に捧げようと思ってたのに!』

『騙された莫迦な子ども達って、笑ってやろうと思ってたのに!』

「……ははは、そうかそうか」

 

ぞ、と太一の背筋が凍る。

というか子ども達を取り巻く空気が凍ったというか何というか。

ひ、と太一の喉の奥から引きつったような音が飛び出す。

ぎ、ぎ、ぎ、と錆び付いたロボットみたいにぎこちなく、冷気を漂わせている人物へと顔を向けた。

がっし、と太一が持ち上げていたパグモンを、アイアンクローの要領で引っ掴み、自分の顔の位置まで持ち上げたのは、太一の親友である治だった。

その顔は何処までもにこやかで、それが逆に恐ろしさを醸し出していた。

 

「ところで君たち、僕の弟のデジたまはどうしたのかな?わざわざコロモン達がいた村を乗っ取ったぐらいだ。デジたまがなくなったのもどうせ君たちの仕業だろう?」

『知らないよーだ!誰が教えるもんか!』

「ははは、そうか。まあ大体検討はついてるけどね?」

「え?治、君、心当たりあるのかい?」

「丈先輩、思い出してください。こいつら確かに僕たちと一緒にデジたまを探してはくれましたけれど、こいつらが探しに行ったのは滝の方だけで、後は何処に探しに行くでもなく、ただ村をうろうろしていただけでしょう?」

 

確かに子ども達が村の周辺をうろうろしていた間、パグモン達は何故か真っ先に村から少し離れた場所にある滝の方へ探しに行っていた。

人はやましいことや場所を避けたがるものだが、その心理はどうやらデジモン達も同じらしい。

滝の方に何かを隠していて、それを子ども達に知られたくなかったから、パグモン達は自ら滝に赴いて何もないことをアピールしたのだ。

しかし幼年期の幼さ故か、はたまたパグモンという種族の特徴故か、色々と詰めが甘かったようで、それ以上の行動を起こさなかった。

治はどうもその時点で、おや?と思ったようだった。

ただ相手が幼年期だったから、きっと滝まで行って帰ってくるのに体力を使ってしまったんだろうな、とその時はそれで流してしまい、太一達にも特に言う必要はないだろうと頭の隅に追いやってしまったのである。

まさかその時は、特に気にもとめる必要はないと思っていたことが、この時に生かされることになるなんて思いもしなかったけれど。

そしてそのことを指摘してやれば、まだまだ幼年期のパグモン達はあからさまにぎっくぅって身を強ばらせた。

分かりやすすぎて、いっそ笑える。

ふ、と治は鼻を鳴らして笑った。

 

「さあて、まず君達は元々いたコロモン達を追い出すなりとっ捕まえるなり何なりして、この村を乗っ取った。平たく言えば住居不法侵入罪になるね。次。ここをパグモンの村と偽って僕達を騙した。これは詐欺罪になるのかな?最後、僕の可愛い大事な弟が大切に温めて待っていたパートナーのデジたまを許可なく、無断で、何処かに持ち去ったね?これは窃盗罪に当たる。おめでとう。君達はこれで立派な犯罪者というわけだ。まだ赤ん坊ぐらいの歳なのに、もう犯罪者だなんて、君達の未来は明るいねぇ。え?君達がやったって言う証拠がない?言うに事欠いて、まだ言い逃れしようとしているのかな?ん?あれだけ分かりやすく自白しておいて、盗んだのは自分達ではありませんとでも?ははは、面白い冗談だ。ところで、僕達の世界では罪を犯したものは相応の罰が下るんだ。罪の重さで罰の重さも変わるわけだけれども、住居不法侵入罪、詐欺罪、そして窃盗罪に相応しい罰って何だと思う?僕としてはやっぱり僕達のパートナー達全員と戦うことだと思うんだ。もちろん君達はそのままで、僕達のデジモンは進化させて、成熟期でね。え?フェアじゃない?罰なんだからフェアにしたら意味がないだろう?君達に拒否権はないよ。ああ、ちなみに太一はどんな罰がいいと思う?」

 

息継ぎ無しで一気に治はそう言い放つ。

サッカー部で、下級生達にドリブルのやり方や、シュートのコツを教えてあげている時の顔と、同じ笑みを浮かべていた。

……しかし言っていることはえげつない。

すごくえげつない。

パグモンをアイアンクローで掴んで、顔の位置まで持ち上げてぎりぎりぎりと絶妙な力加減で締め上げている姿は、どう見てもいつもの治とは程遠かった。

そんな治を唖然と見つめていたら矛先が向けられてしまい、太一は口元を引きつらせる。

そんなもんほっといて、とりあえずデジたま先に探そうぜ、とは言い難い雰囲気だったが、治の暴走を止められるのは太一だけだ。

デジたまが見つからなくて泣きながら探しているだろう賢のことも心配だし、大輔とブイモンも何処に行ってしまったのやら検討もつかないし、ということで。

 

「……ほっとけよ、そんな奴ら。どうせこれ以上何もできねぇって。それよりもデジたまと賢達探そうぜ」

「……それもそうだね。今はパグモン達なんかよりも、賢達の方が大事だ。僕としたことが頭に血が昇って、大事なものを見失うところだったよ。よかったね、君達。太一が寛大な判決を言い渡してくれて。さあ、僕達の気が変わらないうちに、一刻も早くここから立ち去ってくれ……正直君達のことは今すぐにでもシバキ回してやりたいぐらいには、腸煮えくりかえっているんだから……」

 

太一には聞こえないように、鷲掴みにしているパグモンだけに聞こえる音量で最後の台詞を言い放てば、パグモン達はひぃ!と灰色の体毛を真っ青に染めて、がくがくと頷いた。

すごごごご、とかいう黒いオーラを背負って、顔に影を作りながら迫ってくる様は、幼年期のパグモンから見れば成熟期が迫ってきているような錯覚に陥ったことだろう。

えげつない台詞を吐いたとは思えないほど優しい手つきで、掴んでいたパグモンをそっと地面に置いてやれば、パグモン達は涙目になりながら、そそくさと村を後にした。

黒いガルルモンに進化してしまい、気を失ったパグモンももちろん連れて行って。

 

 

 

 

 

滝の方に駆けつけた子ども達が見たのは、ぐったりしているブイモンと、そのブイモンに寄り添っている大輔と賢、それからその2人と1体を護るべく、ボロボロになりながらも踏ん張っているアグモンだった。

奥には檻に入れられているたくさんのコロモンと、無造作に放り投げられているデジたまがある。

その檻の前に立ちはだかる、見慣れない2体のデジモン。

ガジモンだ、とテントモンが教えてくれた。

先ほどまで村を乗っ取っていたパグモンが主に進化するデジモンで、パグモン以上に質の悪い悪戯をしかけてくるらしい。

こいつらが黒幕か、とパートナーがボロボロになってしまって怒りが頂点に達した太一と、大切な弟を泣かせたとして静かにぶちギレている治は、デジヴァイスを構えた。

 

「おっまえら、よくも俺のアグモンを!ただじゃ置かねぇから覚悟しとけ!」

「君達はよっぽど僕達を怒らせたいらしいね……?」

 

どうして大輔とブイモンと賢がここにいるのか、それはこの際置いておこう。

2体がかりでアグモンを蹂躙したその罪は重い。

ずごごごごという真っ黒いオーラを背後から排出させて怒り狂っている太一と治は、子ども達でさえ近寄りがたい雰囲気だったが、アグモンはそれどころではなかった。

太一が言った、俺のアグモン、という台詞がずっとアグモンの頭の中をぐるぐると駆け巡っているのだ。

ずっとずっとみんなと一緒に待っていて、待ち焦がれていた大好きなパートナーが、自分のために怒り狂ってくれているのだ。

天にも昇る勢い、というのはこういうことを言うのだろう。

ボロボロで、大輔達を護るために奮闘して、立っているのもやっとだったアグモンは、それだけで元気になった。

 

『タイチィ!』

「行くぜ、アグモン!」

『オサム、俺達も!』

「戦わせてばかりで悪いけど、頼むよガブモン」

 

デジヴァイスから光が漏れ、アグモンとガブモンを包み込む。

大きくなり、光を突き破って生まれたのはグレイモンとガルルモンだ。

滝の奥の洞窟内は狭いものの、成熟期が2体いても窮屈さは感じなかった。

大輔と賢はぐったりしているブイモンを引きずって、太一と治の背後に、空達の下に移動する。

 

「そ、空さん、みんな……」

「2人とも怪我はない?」

 

膝をついて大輔と賢の顔を覗き込んだ空の言葉は、2人を心配するものだった。

勝手に離れたことを怒られると思っていた大輔は、目を白黒させながら空を見上げ、ないですと呆けたように答える。

よかった、と空が安堵したと同時に、太一達の方も決着がつく。

流石に成熟期2体を相手にするのは無謀だったらしく、ガジモン2体はあっさりとグレイモン達に吹っ飛ばされ、滝の前に流れている川に落とされ、流されていった。

あまりにも呆気ない幕引きに、グレイモンとガルルモンはポカンとしていたし、太一と治は物足りないと言いたげに鼻息を荒くしながら流れ去っていくガジモンを見送っていた。

 

「ざまーみろ!」

「もう少し痛めつけてやりたかったんだけどね……ふふふ」

 

治の恐ろしい台詞は無視して、子ども達は檻の中に入れられているコロモン達を解放してやる。

そこらへんに転がっている石で鍵をぶっ壊したり、パートナー達にぶっ壊してもらったりして、コロモン達を全て出してやった。

勿論、賢のデジたまも。

檻の中からデジたまを取り出して、わんわん泣きながらデジたまを抱きしめる。

よかった、とみんなが安堵する中、1体のコロモンがねえねえって太一に話しかけてきた。

 

『あのね、ぼくたちがつかまったあとに、もう1たいべつのデジモンがつかまったみたいなの』

「え?そうなのか?何処に?」

 

こっちーってコロモンは連れて行ってくれる。

滝の洞窟は奥行だけでなく向かって左側にも広がっており、そっちの方に新しく捕らわれたデジモンがいるらしい。

確かにぽつんと、コロモン達がいた檻とは離れたところに別の檻があった。

その中には、布の塊が蠢いていた。

もがーという悲鳴にも似た声が聞こえてきたので、恐らくコロモンが言っていたデジモンがあの布に包まれているのだろう。

どうして?と子ども達は至極当然の疑問を抱いたが、助け出すのが先だ。

太一はそこらへんにあった手頃な石を掴んで、鍵をぶち壊した。

檻を開いて、布の塊を取り出し、解いてやる。

中から姿を現したのは、更にロープでぐるぐる巻きにされている、蝙蝠のようなデジモンだった。

そのロープも解いてやれば、丸いフォルムに蝙蝠のような翼と、鳥のような足が生えているデジモンが現れた。

もがもがと言っていたのは猿轡をされているせいだったようで、それも取ってやる。

ぷは、と詰まらせていた息を吐きだし、新鮮な空気を吸い込みながら助けてくれた存在に目を向ける。

よう、と太一が代表して声をかければ、黄色い目をぱちぱちさせた。

 

『……貴方は、人間の子ども?』

「おう」

『……もしかして、ゲンナイ様の言っていた、選ばれし子どもですか?』

「ん?今ゲンナイ様って言ったかい?」

「君、もしかして、ゲンナイさんが言っていた、案内してくれるデジモン?」

 

蝙蝠のようなデジモンは、ぶわあっと泣きだした。

 

『あああああようやくお会いできましたぁあああああ!よかったです、本当によかったですぅううう!』

 

わあわあと地面に伏して号泣するそのデジモンに、子ども達とパートナー達は苦笑する。

落ち着いて、って空が宥めれば、そのデジモンはぐすぐすと鼻水を啜りながらも泣き止んでくれた。

 

『うう、すみません……こちらに着いたのは数日前なのですが、その時には既にコロモン達の村はパグモン達に乗っ取られていたようで……ワタクシもすっかり騙されてしまいました……』

 

コロモン達が住んでいる村だと聞いていたのに、そこにいたのはパグモンだったから、おかしいなとは思っていたらしい。

たが乗っ取られていたなんて露ほども疑わず、道を間違えたと思いこんだそのデジモンは、パグモン達にコロモンの村は何処かと尋ねたそうだ。

結果は、ご存じの通りである。

 

「パグモン達は俺達が追い払ったから、もう大丈夫だよ」

『おお!そうですか!流石は選ばれし子ども達です!』

 

傍に居たコロモン達がすごいすごいどうやって!?って無邪気に訪ねてきたけれど、太一達は曖昧に笑って誤魔化した。

先ほどの治は……ちょっと思い出すのは憚れるし、お子様には聞かせられない。

 

『ワタクシ、ピコデビモンと申します。ゲンナイ様に頼まれて、貴方方の案内をいたします。どうかお見知りおきを』

 

そう言ってそのデジモン……ピコデビモンは子ども達に挨拶をした。

え、ってヒカリはそのデジモンの名を聞いて、1人だけ驚いたような表情をする。

その名は、聞いたことがあった。

忘れもしない、“あの子”の話。

ヒカリは、ピコデビモンに話しかけようと口を開きかけたが、それは叶わなかった。

 

 

 

《あーもしもしぃ~?》

 

 

新たな魔の手が、子ども達の行く手を塞ぐことになる。

 

 

 

 

 

 

.


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