.
ぞ、
大輔とヒカリ、それから賢の背筋に氷の鋩を宛がわれたような、悍ましい悪寒が走る。
ひゅ、と息を飲み、紋章を探していたその手を止めて、その場に立ちすくんだ。
『……ダイスケ?』
まだ眠いのか、目を擦りながらもそれでも昨日よりは覚醒し始めたブイモンが、大輔の異変に気付く。
『ヒカリ……?』
弾かれたように立ち上がり、全身を小刻みに震わせているヒカリに、プロットモンが眉を顰めながら尋ねた。
「………………」
賢に気づいたものはいない。
きっとパタモンがここにいてくれていたら、真っ先に気づいてくれていただろうに、彼は未だに卵の中で眠り続けている。
上級生達は、紋章探しに夢中で気づかない。
足元の影の奥底から、得体のしれない何かが這い出てくるような錯覚に陥っていた大輔達は、声を上げることすらできなかった。
身体に強い負荷がかかって、全身が硬直して、手がぶるぶると震えて、足に上手く力が入らずにガクガクしている。
この感覚は、知っていた。
つい数時間前に感じたばかりのものだったから、よく覚えている。
これは……。
「おい、大輔!どうした?」
『何かあったの~?』
太一とアグモンに声をかけられて、大輔はようやく我に返ることが出来た。
全身にかかっていた変な硬直が解けて、その場にへなへなと崩れ落ちる。
ダイスケ!ってブイモンが慌てて駆け寄って、大輔を支えてくれる。
どうやらブイモンが太一を連れてきてくれたらしい。
幾ら呼びかけても返事をしてくれず、目を見開いて硬直したまま動かなかったから、これはただ事ではないと思ったのだろう。
太一とアグモンが声をかけた途端に硬直が解けたもんだから、ブイモンがむすりとしながら抗議する。
『俺が呼んでも返事してくれなかったのに!酷いや、ダイスケ』
「え、あ、わ、わりぃ……」
しかし大輔は放心状態から抜け出せず、ブイモンの方を見ずに謝罪の言葉をぼんやりと口にしただけだった。
ヒカリも似たようなもので、プロットモンが空とピヨモンに知らせて駆け付けた2人によって意識が強制的に引き戻され、その場に座り込んでしまった。
そこでやっと、治は賢の異変に気付いて賢の下に駆けつけた。
しかしまだ嫌な気分は拭えない。
何故なら漂ってくるプレッシャーが、消えたわけではないからだ。
静かに、誰にも気づかれないように足元から忍び寄ってきて、子ども達の首を締め上げようとしているような、そんな感覚が大輔達の頭から拭えないのだ。
大輔は、ヒカリは、賢は辺りを忙しなくきょろきょろと伺う。
そしてデジモン達は、ようやく気付くのだ。
何も感じなかったのに、平然としていたのに、デジモン達は示し合わせたように顔を勢いよく上げて、同じ方向を見た。
目をギラギラさせて、歯を剥き出しにして、喉の奥を鳴らすように唸っている様子は、ファイル島にてデビモンの館に誘い込まれたあの時と同じようなデジモン達の様子に、初めはキョトンとしていた子ども達の顔に警戒の色が浮かぶ。
デジモン達が見ている方向に、子ども達も顔を向ける。
勿論、大輔とヒカリと賢も。
デジモン達と子ども達の視線の先には、先ほどは気づかなかった大きなモニターがあった。
しかし何かが映っているわけではない。
彼らが見ているのはモニターの更に上、モニターが設置されている壁の上だった。
ぽつん、とそこに何かがいるのは分かったが、遠くて何がいるのか子ども達には判別できない。
それでも、デジモン達が警戒心を剥き出しにして睨みつけていることから、そこにいるのが良くないものだというのは分かった。
モニターの上にいた何かは、音もなく降り立ち、子供達の前に佇む。
それはピンク色で、悍ましい赤い爪を持った、見たことのないデジモンだった。
頭には2本の角があって、赤い爪はまるで死神の鎌のように大きく、鋭い鋒だった。
何の言葉も発さず、ただそこに佇んでいるだけのはずなのに、そのデジモンから身が竦むようなプレッシャーを感じた子ども達は、ごくりと息を飲む。
言葉が出ない子供達を尻目に、大輔とブイモン、そして賢は、目の前に現れたピンク色のデジモンに目を見張った。
あのデジモンが初めて姿を現したのは、賢とパタモンの前であった。
その時はデビモンによって子ども達はバラバラに引き裂かれてしまい、何とかみんなと合流しようと奮闘していた時だ。
賢はその時知らなかったのだが、賢以外の子ども達はそれぞれ上手く合流していたのである。
太一・アグモンと治・ガブモン、光子郎・テントモンとミミ・パルモン、空・ピヨモンと丈・ゴマモン、そして大輔・ブイモンとヒカリ・プロットモンである。
賢とパタモンだけが、誰とも合流できなかったのだ。
はじまりの町に迷い込んだ賢とパタモンの前に、“そいつ”は現れた。
何も言わず、何もせず、ただ目の前に佇んでいるだけだった“そいつ”は、悍ましく濃厚な闇の気配を漂わせていた。
その直後にウッドモンに襲われ、姿を消してしまったためにその正体を掴むことが出来なかった。
次に現れたのは、つい数時間前。パグモンの村改めコロモンの村でだ。
パグモン達の悪質な悪戯により、パタモンが眠っているデジたまを奪われ、みんなで探していた時。
喧嘩をしている真っ最中の大輔とちょっとした言い合いをしていた時に、“そいつ”は再び賢の前に姿を現した。
その時もやっぱりその場で佇んでいるだけだったし、その直後にまた邪魔が入ってしまったので正体を探るチャンスを失った。
そういうこともあり、大輔達はその存在を上級生達に伝えるのをすっかり失念してしまっていたのである。
ざり、という砂利が踏まれた音がして、ピンク色のデジモンは一歩を踏み出たのが見えた。
ビク、とデジモン達の肩が震え、戦闘体勢になる。
デジモン達の興奮は、最高潮にあった。
この中でただ1体、あのデジモンと対峙したことのあるブイモンも、当然のように。
初めて対峙した数時間前、ブイモンは戦ってもいないのに自分の敗北を悟った。
無理だと。挑めば間違いなく自分の命を落とすと、そんな幻覚を見せられてしまったのである。
知っているのだ、分かっているのだ。
鋭く尖っている爪が皮膚に食い込んでしまうほどに強く握りしめ、腕が震えている。
それでも、ブイモンはあの時感じた恐怖を押し殺すために、拳を強く握りしめて大輔の前に立つ。
あの時は恐怖が勝ってしまい、手も足も出なかった。
直後に邪魔が入って恐ろしい幻覚は解け、また眠気に襲われて忘れかけてしまっていたが、パートナーを護れないなんてパートナーデジモン失格である。
大丈夫、今度は仲間のデジモン達がいる。
──それでも、この拭えない不安はなんなのだろうか。
心の奥から、砂に溜まった空気が泡になって水面へ沸き上がってくるように襲い掛かってくる不安を、どうしても拭うことが出来なかった。
ざり、とそのデジモンがまた1歩足を踏み出して子ども達に近づいてくる。
ひっ、って恐怖で身が竦んでいるミミや光子郎を、大丈夫だって安心させてやりたいのに、空と治も恐怖で身を縛られて動けないのか、声をかけようとすらしていなかった。
呼吸をするのも躊躇うほどに、そのデジモンから溢れて子ども達やデジモン達を押さえつけようとするプレッシャーが伸し掛かってくる。
誰1人として動こうとしないし、逃げようとも言わない。
動いても逃げても一瞬で追いつかれてしまう、という妙な確信があったのだ。
それでなくとも、そのデジモンから発せられるプレッシャーのせいで、子ども達は立ちすくんでしまって足が鉛のように重くて動かないのである。
ざり、ピンク色のデジモンがまた一歩近づく。
ざり、ざり、ざり、ざり……
砂利の音がこれほどまで怖いと感じたのは初めてだった。
来るなと念じたところで、何も変わらない。
ピンク色のデジモンと、子供達の距離がどんどん縮まって行く。
デジモン達も、あのピンク色のデジモンが持つ闇に当てられているのか、パートナーの前に立って睨みつけるのが精一杯だったようだ。
──どうなるんだ、俺達。
太一が拳を握りしめて歯を食いしばる。
こんなところで終わってたまるかという気持ちは強くあるのだが、プレッシャーに負けそうな身体に、挫けそうになっていた。
このまま世界を救うことが出来ずに、みんなでこの場でやられてしまうのか。
そんな時も諦めずに、みんなの戦闘を走っていた太一の心がめりめりと音を立てて折られかけている。
ふと、ピンク色のデジモンが歩みをやめた。
距離にして、約50メートル。
先ほどよりも大きく、そして重い闇の気配が、闘技場全体を包み込む。
冷や汗が尋常ではないほどに、子供達の額から溢れて、次々と頬を伝っていた。
ピンク色のデジモンが、徐に右の爪を掲げた時……景色が一変した。
どぉおおおおおおおおおおおおおおん!!
激しい爆音と破壊音が静寂をぶち破り、砂煙が子供達の視界を遮る。
「うわっ!!」
「きゃあああああああああ!!」
今まで声一つあげられなかった子供達が、ようやく言葉を発した。
濛々と立ち込める砂煙のせいで、何が起こっているのか分からない。
分からないけれど、この場から離れた方がよさそうだ。
そう判断した太一と治、そして空は、誰よりも先に異変を察知してへたり込んでいた最年少を引っ張って、ゴールポストの後ろにある観客席の方に避難した。
「みんな、大丈夫か!?」
「な、何とか……!」
「それより何なんだあいつは!!」
最年少組を背後に庇うように、上級生達とそのパートナーが佇む。
爆発によってプレッシャーから解放された子ども達は、これまでの鬱憤を晴らすかのように騒ぎ立てた。
詰まっていた息を一気に吐き出して、まるで100メートルを全力疾走したかのように息を切らしている。
汗はびっしょり流れ、顔から血の気が引いていた。
それほどまでに、あのデジモンが放っていたプレッシャーが重かったのである。
ひとしきり騒いで落ち着いたのか、子ども達はぜえはあと息を切らしながら黙り込んだ。
そして一斉に、先ほどまでいた場所に目を向ける。
砂煙は未だ濃く立ち込めていたが、ゆらりと黒い影が見えたような気がして、子供達の間に緊張が走った。
「……あ!」
そう声をあげたのは誰だったか。
砂煙のカーテンの向こうから姿を現したのは、子供達がよく知るデジモンだったのだ。
オレンジ色のボディに青い筋が幾つも走っていて、頭部には頑丈な茶色いヘルメット。
ティラノサウルスのような逞しい身体のデジモンは……。
「グ……グレイモン…?」
呆然と呟いたのは太一である。
彼の相棒が進化した姿、グレイモンである。
何で、と子ども達は呆然となったが、コロモンの村に沢山のコロモンが住んでいるんだから、その中から数体がアグモンになって、さらにその数体の中の何体かがグレイモンになっていたとしても、何らおかしくはないと、光子郎が震える声で説明してくれた。
確かに納得のいく答えではある。
もしもあのグレイモンに如何にも怪しい首輪がされておらず、闘争心を剥き出しにして子ども達に対して敵意を向けていなければ、の話ではあるが。
『グルァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!』
ビリビリと空気を震わせながら、敵のグレイモンが咆哮する。
ピンク色のデジモンは音もなく宙に浮かび上がり、またモニターの上に降り立った。
莫迦にされているのだろうか、と太一は苛立たし気に叫ぶ。
「グレイモンにはグレイモンだ!行くぞ、アグモン!」
『うん!』
太一の言葉にアグモンは力強く返事をする。
後に続こうとした治とガブモンだったが、太一に止められた。
「治とガブモンはここにいてくれ」
「おい、一人でやる気か?格好つけてる場合じゃ……」
『そうじゃないよ、オサム』
治が抗議しようとしたら、アグモンが違うと遮った。
アグモンには分かっていた。
どうして太一が一人で行こうとしたのか、どうして治達を止めたのか。
え?って治とガブモンはアグモンを見やる。
『あのデジモンの正体とか目的とか分からない以上、僕達全員でかかっても勝てる保証はないでしょ?それにあのグレイモン以外にも敵が潜んでいるかもしれない……』
「ブイモンもプロットモンも進化できるけど、だったら賢は誰が護る?まだパタモンは生まれてないし、それに……」
太一の言わんとしていることを理解した治は、はっとして賢を見やった。
顔色を真っ青にして、腕に抱いたデジたまを震えながらもしっかりと抱きしめている。
パタモンはまだ生まれる兆候は見られない。
賢が争いを恐れていることを感じ取って、パタモンは生まれてこれないのでは、とガブモンがこっそり教えてくれたのを思い出した。
デジモン達にとってパートナーの子ども達は、何よりも護らなければならない存在である。
太一が、治が、空が、他の子ども達が死にたくないとか助けてって強く心で願うことで、その想いがカタチとなってデジヴァイスに届き、力に変換され、デジモン達を更に強くするのである。
護るために強くなるデジモン達を、しかし賢は争いから目を背けて、拒絶してしまった。
帰りたいと思う反面、もう戦いたくないという思いが拮抗しあっているせいで、パタモンは生まれてこられないのではないかと。
護ってくれるパートナーデジモンがいないということは、真っ先に狙われるのは賢だ。
治は唇を噛みしめ、賢から目を離して振り絞るように言う。
「……分かった、気をつけろよ」
『無茶しないでよ?』
「分かってるって!」
『みんなを頼むね!』
駆け出して行くリーダーの背中を見送りながら、治はくるりと振り返った。
「ここは危険だ。観客席の上の方に移ろう。それからいつでも進化できるように、デジヴァイスは持っとくんだ!」
「みんな、こっちよ!」
治と空の後をついていって、子供達は観客席の方へと移る。
ピコデビモンが戻ってきたのは、その時だった。
『も、申し訳ございません!ジャミングが酷くて、なかなか通じずに……って言うか何があったんですか、コレ!?』
「説明は後だ!とにかく君もこっちに来て!」
砂漠を根城にしている知り合いと連絡を取るために子ども達と離れていたピコデビモンは、目の前の惨劇に唖然としている。
ゴマモンを抱えた丈が急かして、ピコデビモンも子ども達と一緒に観客席の上の方へと避難した。
太一がデジヴァイスを構えて、アグモンをグレイモンに進化させる。
雄たけびを上げながら、グレイモンは勇ましく敵のグレイモンに突っ込んでいった。
「太一さんとグレイモン、大丈夫かなあ……」
『……だ、大丈夫だよ。グレイモン強いし』
『あっちもグレイモンよ、ブイモン』
心配そうにしている大輔に、ブイモンが励まそうとして口を開いたものの、プロットモンに突っ込まれた。
そうだった、敵もグレイモンだった。
どうするんだろう、どうなるんだろう、って大輔とブイモンは気が気じゃない。
「……ん?」
その時だ。丈のデジヴァイスが一際強く輝いたのは。
眩しいぐらいの光がデジヴァイスから放たれて、丈は、ゴマモンは、子ども達は困惑する。
ピコデビモンだけが、歓喜していた。
『この辺りに紋章があるのです!みなさん、探しましょう!』
ようやく場所を特定できた紋章。
子ども達は先ほどピコデビモンが描いてくれた紋章の模様を思い出しながら、くまなく探す。
紋章さえゲットできれば、こんなところに用はない。
エテモンがいつ襲い掛かって来るかも分からないし、何を考えているのか分からないあの見たことのないデジモンの遊びに付き合っている暇のないのだ。
子ども達もデジモン達も、床に這いつくばって目を凝らした。
進化した太一のグレイモンが、果敢に敵のグレイモンに向かっていく。
がっしりと組み合い、震えるほどに強い力で相手の手を砕いてやろうと握りしめ、押し返されないように地面を抉りながら踏ん張る。
力比べは僅かに太一のグレイモンが勝り、足と尻尾を使って1歩踏み出すと、硬い兜で覆われた頭で頭突きをかましてやった。
堪らず仰け反った敵のグレイモンに、太一のグレイモンは更に追撃をかまそうと力強い尻尾を振り回して、敵のグレイモンの身体を吹っ飛ばす。
しかし敵のグレイモンも負けてはいない。
強靭な尻尾に吹っ飛ばされたというのに、すぐさま起き上がって、太一のグレイモンに体当たりをした。
「グレイモン!!」
『だい、じょうぶ!』
表情をしかめてはいたが、太一のグレイモンもすぐさま起き上がって、敵の同族と対峙する。
同じグレイモン同士の戦いは、もうしばらく決着がつきそうにない。
──丈の紋章を探していた賢はその光景を見てしまい、デジたまを抱く腕の力がほんの少し強まった。
また争い合っている。
同じ種族なのに、仲間なのに、トモダチなのに。
太一のグレイモンは、太一を護るために、同種族と戦うことを全く躊躇していない。
割り切れないのだ、どうやったって。
本能的に、デジモン達も生きてるんだって理解している男の子には、とても辛い光景でしかないのだ。
それでも何も言わないのは、やめてって言わないのは、太一とグレイモンが自分達を護るために戦っていると分かっているから。
敵のグレイモンが逃げれば、きっと太一とグレイモンはトドメを刺すようなことはせずに、みんなに逃げろと言うだろう。
しかしもしも、太一のグレイモンが負けてしまったら?
敵のグレイモンには、太一のグレイモンみたいに止めてくれる人はいない。
一緒に戦ってくれる人間がいない。
ただただ本能的に、同種族であるグレイモンに対して敵意を剥き出しにして、戦っている。
敵のグレイモンに護るものなんて、護りたいものなんてないのだ。
それが分かっているから、賢はやめてって声を上げることが出来ない。
どん、と軽い衝撃が走って、賢は我に返った。
「………………」
「だ……大輔くん……」
じっと、咎めるような半目は、ぼんやりと突っ立っていた賢を咎めるような目つきだった。
何してんだよ、とぶっきらぼうに放たれた言葉も、ちょっとだけ刺刺しい。
「え、と……」
「……俺だって……太一さん、心配だよ。でも、丈さんの紋章見つけて、早く逃げないと、エテモンも来ちゃうんだぞ?分かってんのか?」
言われなくても分かっている、と目を泳がせながら賢は紋章探しを再開させた。
階段状になっている観客席の座席や壁には一面が繊細な模様が描かれている。
レリーフ、といったようなものだろうか。
複雑に描かれている壁の絵の中に収まっているのだとすれば、探し出すのは骨である。
それでもこの世界を覆いつくそうとしている、邪悪を払うために必要なものだ。
弱音を吐いている暇などない、と子ども達とデジモン達は注意深くレリーフの模様の1つ1つをじっと眺めて探す。
爆音と瓦礫の音が、派手に鳴り響いた。
紋章を探しているその手を止めて、思わず立ち上がった子ども達が見たのは、倒れているグレイモンだった。
どっちの、なんて言わずともみんな分かっていた。
敵のグレイモンは首輪をしている。
倒れたグレイモンには、首輪はなかった。
「太一さんっ!」
『グレイモン!』
大輔とブイモンが身を乗り出すように観客席の背もたれに手をついて叫んだ。
舞う砂埃の中、敵のグレイモンは躊躇なく太一のグレイモンを踏んづけてやろうと足を上げる。
太一のグレイモンは慌てて転がって避けた。
そのことにほっと胸を撫で下ろし、やきもきしながらも子ども達は紋章探しを再開させる。
何処だ、何処にある。
早く見つけてここから立ち去らなければ、あのグレイモンだけでなく追いついたエテモンも相手にしなければならなくなる。
コロモンの村を一瞬で地図から消し去ったあの力は、今の子ども達ではまだ太刀打ちできない。
紋章を手に入れ、力をつけなければ、子ども達に勝ち目はないのだ。
強すぎた力でその身を滅ぼしてしまった者を知っているからこそ、子ども達は必死になって紋章を探す。
「……あれ?」
『?ヒカリ?どうしたの?』
ふと、壁の模様の中を根気よく探していたヒカリの視界に、気になる模様が映り込んだ。
一瞬見逃しそうになったが、デジャビュのようなものに襲われて、プロットモンと一緒にその模様をもう1度、よーく目を凝らして食い入るように見つめる。
植物が描かれていたレリーフの中に、突然幾何学模様のレリーフが現れたのだ。
両隣は植物なのに、その箇所だけが幾何学模様になっていたのである。
疑問に思ったヒカリは、辺りを見回した。
近くにいたのは、大輔とブイモンと賢である。
3人を呼んで、みんなでじいいいいっと見つめる。
幾何学模様に紛れ込んでいる、十字架と4つの三角形は、間違いなくピコデビモンが教えてくれた紋章だ。
「……あった!ありました!」
叫んだ大輔の声を聞いて、子ども達とデジモン達は歓喜に包まれた。
ずうん、という重い音を立ててグレイモンが倒れこんだ。
敵のグレイモンの爪が、太一のグレイモンの脚を切り裂いたのである。
3つの黒い筋からぶしゅうっと勢いよく血が吹き出した。
グレイモン!と太一は叫び、思わず駆け寄る。
『タイチ……っ、ダメだ……!』
痛みを堪えながら、グレイモンは太一に近寄らないよう告げるが、太一は聞いていなかった。
ただグレイモンが心配で、これ以上やられるのを見たくなくて。
いつもいつも自分の掛け声で、うん!って力強く頷いてどんな敵にだって立ち向かって行く相棒が、目の前で倒れたことを認めたくなくて。
グレイモンに手を伸ばす。
じんわりと暖かい。
ドクン、ドクン、とゆっくりと波打っている心臓の鼓動が、手に伝わってきた。
デジモンってこんなに暖かいんだな、なんて頭の片隅でぼんやり思っていたら、グレイモンが唸り声をあげながら、震える腕で上半身を支えた。
「グレイモン!大丈夫か!?」
『ぐっ……!だ、大丈夫……!それより……」
離れて、という言葉は続かなかった。
敵のグレイモンががばあっと大きな口を開けて、巨大な火の塊を太一のグレイモンに向かって吐き出したのである。
それが何なのか、太一にはよく分かっていた。
パートナーの必殺技である。
どれほどの威力を誇っているかなんて、誰よりも理解していた。
ヤバイ、と身を伏せたら、太一のグレイモンが尻尾をブンと降って火の塊を四散させる。
更に迫ってくる敵のグレイモンを、重い身体を支えるために力強く逞しい脚で蹴って、吹っ飛ばしてやった。
闘技場のど真ん中で戦っていたグレイモンが、闘技場を囲う壁まで吹っ飛び、崩れるほどの力で。
すっげえ、って太一は興奮しかけたけれど、そんなことに感動している場合ではない。
先ほどからどうもグレイモンの様子がおかしいのである。
身体を支えている両腕が見るからに震えて、何かを堪えるように目をぎゅっと瞑っているのである。
呼吸も少し荒い。上手く息を吸い込めていないのか、苦しそうに喉が鳴っていた。
最初の方は果敢に挑み、敵と組み合っても押し負けなかったのに、時間が経つにつれて、足元が覚束なくなってきていた。
敵のグレイモンに脚を切り裂かれたのも、動きが鈍くなっていたせいだ。
いつもならそんな失態犯さないのに。
壁まで吹っ飛んだ敵のグレイモンは、連鎖する破壊のヒビで次々と崩れてくる煉瓦をどうすることもできず、埋れて行く。
しばらくは大丈夫だろうと判断した太一は、焦りもあって少々苛立たし気になりながらグレイモンに怒鳴りつけてしまった。
「おい、どうしたんだよ、グレイモン!らしくねーじゃねーか、あんなのに遅れを取るなんて!まさか同族だからって遠慮してんのか!?」
『っ、違う、よ……!』
「だったら何で…!」
しかしグレイモンは全く気にしていないようだった。
それよりも太一に言いたいことがあるようで、懸命に言葉を紡ぐ。
『身体、に……っ、力が……入らないんだ…!』
「……は?」
何を言っているんだ、と言いたげに太一の表情が崩れる。
グレイモンは続けた。
『ここ……闇の力が充満して……っ、いつも、みたいに、デジヴァイスから、タイチの力が流れて、来ない……!』
「………!?」
慌ててデジヴァイスを手に取る。
光ってはいたが、いつものような強さではなかった。
どうして、って愕然となる太一。
いつもなら眩い光が溢れ出しているのに、どうして。
堅く脆いものが崩れるような音が響き渡る。
ハッと太一とグレイモンがそっちを見れば、崩れた壁に埋もれていたはずの敵のグレイモンが、立ち上がったのだ。
先ほどよりもより強い咆哮をあげて。
敵のグレイモンに伸し掛かっていた瓦礫が空に舞い上げられ、そして重力に従って雨のように落下してきた。
不幸は、突然訪れる。
太一が、突然倒れたのだ。
何が起こったのか理解できなくて、太一のグレイモンは硬直する。
ぐったりと四肢を投げ出して倒れている太一が、グレイモンの赤い瞳に映った。
『タイチ……?』
パートナーの名を呼ぶが、太一は全く反応しない。
直後に、グレイモンと太一の周りに、瓦礫の雨が降り注いだ。
重たい物が落下してきた音で我に返ったグレイモンは、太一に覆いかぶさって瓦礫の雨から太一を護る。
皮肉にも、太一に覆いかぶさったことで太一との距離が縮まったことにより、グレイモンは理解してしまった。
ぐったりと倒れこんでいる太一の額から、赤い液体が流れている。
近くには、同じく赤い液体がついた大輔やヒカリの拳大ほどの大きさの破片。
考えることは苦手だと自負しているグレイモンでも分かった、簡単な方程式だ。
敵のグレイモンを埋めていた瓦礫の破片が空へと巻き上げられ、落下してきたものが不幸にも太一に直撃したのである。
本当に突然のことだったから、すぐ傍にグレイモンがいてすっかり油断していたからこそ起こってしまった、不幸な事故だった。
グレイモンの赤い瞳が揺れる。
瓦礫から這い出てきた敵のグレイモンが、咆哮を上げながら太一のグレイモンに襲い掛かり、何度も殴りつけてくる。
しかし太一のグレイモンは反撃しない。
ただ動かない太一を見下ろしているだけだ。
タイチ、タイチ。
声にならない声で、何度もパートナーの名を呼ぶ。
太一は答えない。
その瞬間、太一のグレイモンの思考が真っ黒に塗りつぶされる。
太一から太陽のように明るくて眩しい力を受け取っていたグレイモンの心が、闇に浸食されていく。
『…………あ゛』
何も、考えられなくなっていく。
笑っている太一が、どんな敵にも果敢に挑んでいく太一が、データの粒子になって闇の中に消えていく。
これまで築き上げてきたはずの絆が、闇に絡めとられて沈んでいく。
残ったのは、ただパートナーを護らなければならないという本能だけだった。
『タイチ……』
護らなければ。僕が護らなければ。僕がタイチを護るんだ。
ずっとずっと待っていた、大切なパートナー。
護るために強くならなきゃいけなかった。
強くなくてはいけなかった。
そうじゃないとタイチを護れないから。タイチに嫌われちゃうから。
ああ、でも怪我させちゃった。護らなきゃいけなかったのに。
護れなかった僕を、きっとタイチは嫌いになっちゃう。
嫌だ、そんなの嫌だ。
待ってたのに、ずっとずっと待ってたのに。
ごめんなさい、タイチ。嫌わないで。僕のこと嫌いにならないで。
ごめんなさい。今度はちゃんと護るから。
ちゃんと護るために強くなるから、だから許して、怒らないで。
何でもするから、僕を置いていかないで。
護らなきゃ、タイチを護らなきゃ。
僕のタイチ、僕だけのタイチ。
僕が護ル。僕だケがタイちをまモる。
ほかのだれにもわたさない。ダレニモアゲナイ。
僕からタイチを取らないで。
護らナきャ、護ラないト。
《…………………………………………………………………………………………………………………………………………………キシッ》
沈んでいった闇の中で、あいつが嗤った気がした。
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