ナイン・レコード   作:オルタンシア

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虚ろな心

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紋章探しに砂漠へ出かけていた他の子ども達が戻ってきたのは、夜も更けた頃である。

それは、頭を打って怪我をした太一と、気を失って倒れてしまった最年少の3人が目を覚ましたのと、ほぼ同時だった。

4人が目を覚ましたと聞いた空達は、ひとまずは安心だと胸を撫で下ろす。

じゃーん、と手に入れた紋章をミミが見せてくれたのは、一息吐いた頃だった。

 

「探すの大変だったんですよぉ。ピコデビモンったら、今回もゲンナイさんから大まかな位置しか聞いてなかったらしくて、帰りの船の中でもずーっと謝りっぱなしだったし」

「へぇ、何処にあったんだい?」

『それがねぇ、サボテンの中にあったの』

 

パルモンは言う。

広大な砂漠に、1つだけポツンと佇んでいたサボテンがあって、コカトリモンが所持している豪華客船で近づいていったところ、ミミのデジヴァイスが薄らと光ったかと思うと、サボテンの天辺に花が咲き、そこからミミの紋章、純真の紋章が姿を現したらしい。

ミミのデジヴァイスの収められた紋章は、太一のとも丈のとも違う、まるで雫のような形をしていた。

これで紋章は3つ、残りはあと6つだ。

あと6つも、この広いサーバ大陸を歩き回って探さなければならないのか、と子ども達はげんなりしたが、ここでピコデビモンが朗報を持ってきてくれる。

 

『ピッコロモンの守護しているこのエリアに、2つ預けたとゲンナイさんから聞いております!なので、実質5つ見つけて、あと4つですね!』

『えっ、じゃあ今から取りに……』

『喝!』

 

痛い!という短い悲鳴が響く。

ぽかん、という軽い音は、ピヨモンが叩かれた音だった。

ピッコロモンが手に持っていた杖で、ピヨモンの頭を叩いたのである。

 

『今何時だと思ってるっぴ!幾らここがワタシの結界の中でも、夜行性のデジモン達が俳諧しているに決まってるデショ!君達はこれからもっと大変な冒険をしなきゃならないんだから、休める時には休むっぴ!』

 

叩きつけられる正論に、子ども達もデジモン達もぐうの音も出ない。

確かに身体は休息を欲しているし、紋章は逃げないので子ども達はピッコロモンに言われた通り眠ることにした。

 

 

 

 

一乗寺治が天才少年であることは、周知の事実である。

 

幼稚園の時にはもう足し算と引き算を理解していたし、漢字だって書けていた。

本を読むのが好きだった治は、児童書では飽き足らず大人が読むような難しくて分厚い本も好んで読んでいた。

自分の知らないことを知識として吸収するのは楽しかったし、母親もゲームや漫画ではなく本を欲しがる息子がうれしくて、どんどん本を買い与えてくれた。

また、治は勉強だけでなく運動も出来た。

1番好きなのはサッカーで、休日になれば父親と一緒に公園でサッカーをして遊んだ。

それは、至って普通の家族像だった。

何処にでもある平凡な、他の子どもと比べると少しだけ賢い子どもがいる以外は全く普通の家族だった。

 

それが崩れてしまったのは、一体いつのころからだっただろうか。

 

治の天才っぷりは、彼が小学校に上がる前から知れ渡っており、ご近所の子持ちの奥様はこぞって治を羨ましがった。

親の言うことをよく聞き、大人しい性格の治は手のかかる男の子を子どもに持つ親から大変羨ましがられたものだ。

 

「ほんっと、治ちゃんはいい子でいいわぁ。うちの息子なんか毎日服を泥だらけにして、何度叱ったことか……」

「聞きましたよぉ。治ちゃん、まだ小学1年生なのに6年生の受験用のテストで満点取ったんですって?羨ましいわぁ」

「この前は道に迷った外国人を英語で道案内してあげたそうですねぇ。まだ6歳なのに、うちの聞かん坊に爪の垢でも煎じて飲ませたいわぁ」

 

こんな感じで近所の奥様方は毎日のように井戸端会議で母親を羨ましがり、持ち上げる。

最初は謙遜したり受け流していたりしていた母親も、だんだん毒されていく。。

日本一の大学への進学率が高いと言われている塾を見つけてきた母親は、異様なほど治に塾に入るように勧め、治が渋っているのも知らんぷりをして勝手に手続きをしてしまった。

月曜日から金曜日まで、学校が終わると真っ直ぐ塾に行って、7時から8時ぐらいまでみっちりと勉強をする。

土曜日はほぼ丸1日、塾に缶詰めだ。

本当は日曜日も通わせたかったらしいが、塾の先生にやんわりと止められたというエピソードがあったことなど、治は知る由もなかった。

今でこそ自分の意見はしっかりと告げる治だが、当時は大人しい気質だったために、塾に行くのは嫌だと拒否することが出来ずに、嫌々塾に通った。

勉強するのは嫌いではない、むしろ好きだ。

でもそれと同じぐらい身体を動かしたり、アニメを見たりゲームをするのも好きだ。

学校の友達とだって盛り上がるのはもっぱら前日に見たアニメやバラエティの話だし、1番仲のいい友達とは互いの家を行き来して当時流行っていたゲームの対戦で遊んでいた。

しかし母親が勝手に塾の手続きをしてしまったせいで、友達と遊ぶ時間がなくなってしまった。

机に齧りついて勉強するよりも、泥だらけになって遊びまわる方が魅力を感じる同級生の男子は、急に付き合いが悪くなってしまった治から離れて行ってしまうのに、時間はかからなかった。

元々内向的で、あまり自分の意見や感情を面に出さない治は、友達が減っていくことに落ち込んでいっても誰にも気づいてもらえない。

況してや、息子を天才少年だと褒め称えられ、息子をもっともっと褒めてもらおうと躍起になっている母親なら、猶更だ。

日に日に元気を無くしていく息子に気づいてくれたのは父親だったのだが、その理由が友達をなくしてしまったからだとまでは分からなかったようだ。

男の子だから、勉強と同じぐらい外で遊ぶのも好きなことを知っていたから、ほぼ毎日塾に通わされているせいで遊ぶ時間が無くなってしまったからだと、父親は思っていたらしい。

確かに賢い子どもは、父親にとっても自慢だった。

他人から褒められるのは気分が良かったし、何より好きなものに没頭する息子の生き生きとしている姿は、親としても誇らしかった。

勉強もできて、運動も出来る。

ある人はきっと、それは何も出来ないのと同じだと言うだろう。

だが何でも出来るというのは、それだけ将来の可能性が広がっている、ということだと父親は思っていた。

色んなものに挑戦して、これだと思うものを見つけて、そして将来に向かって羽ばたいてほしい。

それが父親の願いだった。

妻である母親も、同じ気持ちだと思っていた。

異様にぎらついた目で息子に勉強を強いている妻の姿を見るまでは。

 

「治ちゃんは天才なのよ!もっともっと勉強して、いい大学に入れて、もっともっと有名にするのよ!」

「そういうのは治の意志で決めるものだろう!私達が押し付けるものじゃない!」

 

両親の諍いが始まったのはその頃だった。

治を有名にしたい母親と、将来の道は自分で選んでほしいと思っている父親。

2人の正反対の意志はぶつかり合って留まるところを知らない。

子ども達の前ではそんな素振りを一切見せないものの、夜になって子ども達が寝静まる頃を見計らって、近所にも子ども達にも全く配慮をしていない夫婦喧嘩をする。

弟は怯えてお兄ちゃんの布団に潜り込んでくるし、治は治で喧嘩の理由が自分であるとして目を閉じ耳を塞ぐ。

仲の良かった友達が離れて行き、行きたくもない塾に行かされ、家に帰れば両親の聞きたくない諍いを聞かされ……。

治の幼い心はどんどん削られていく。

 

 

両親が離婚したのは、治が小学2年生になったばかりの頃だ。

春から夏にかけての、少し日差しの強い日。

母方の祖父母の家に突然連れていかれ、1ヵ月ほどそこに滞在し、戻ってきた頃には両親の離婚は決定されていた。

まだ4歳だった弟の賢は、泣いていやがった。

いやだよぅ、いやだよぅ、みんなでいっしょにいたいようって泣き喚く賢と、唖然とする治を無視して、両親は子ども達の親権について話し合っている。

きっとそれについても何度も話し合っていたけれど、ずっと平行線のままだったのだろう。

どちらが子どもを引き取るかで散々もめて、裁判にまで発展していった。

それはまだいい。

大人同士の争いは裁判所っていうところで、第三者が話を聞いて判断するところだということは、天才少年の治ならちゃんと理解していた。

しかし理解していることと、納得しているということは同じようで全く違う。

大人達は子ども達の意見なんか聞こえないふりをして、勝手に話を進めていく。

みんなと一緒がいいって泣いている、まだ幼い賢のことなんか見えていないみたいに、話が進められていく。

 

「治ちゃんは私が引き取ります。あの子の環境を整えてあげられるのは、私だけです」

「お前は治に強いているだけだろう!そうやって押し付けて、治が壊れたらどうするんだ!」

「仕事で忙しくて滅多に帰ってこない貴方に言われたくないわ!」

「治が嫌がっていることに気づいていないお前が言うな!」

 

「父さん、母さん」

 

もう限界であった。

幾ら天才少年と言えど、心は小学2年生の子どもと同じなのだ。

知識量は他の小学2年生と比べものにならなくとも、治はまだ小学2年生なのだ。

両親の諍いを見て、耐えられるはずがないのだ。

本当は賢のように泣き喚きたかった。

みんなと一緒が無理なのは分かっていたけれど、分かっていても一緒がいいのは治だって同じだった。

両親の仲がいいところが見たいのは、子どもとして当たり前だった。

母親と父親が喧嘩をするところを好んで見る子どもなんか、いるはずがない。

それなのに両親は、治が小学2年生であるということが頭からすぽーんと抜けていたようだ。

この日ほど、治は自分の才能を恨んだことはなかった。

自分はただ勉強をするのが好きなだけだったのに、知らないことを知るのが好きなだけだったのに。

一体何が両親を狂わせてしまったのだろうか。

 

「僕は、父さんについていくよ」

 

裁判では、子どもは母親と一緒にいるものだという単純な理由で、治と賢は母親に引き取られるという判決が出た。

母親は勝ち誇ったような笑みを浮かべていたが、治はそれを拒否したのである。

両親も裁判員も驚いていたし、弟もびっくりしていた。

考え直さないかと母親があの手この手で治を引き留めようとするが、治は頑として受け入れなかった。

お兄ちゃんと一緒にいられないと理解した弟は、自分もお父さんと一緒に行くと治にしがみついたが、治は賢に言った。

 

「父さんも母さんも離婚して他人に戻ってしまうけれど、それでも僕達にとっては1人ずつしかいない両親なんだよ。僕達の存在が、4人が家族だったっていう確かな証拠になるんだ。それを途切れさせないためにも、僕は父さんのとこで、賢は母さんのとこで暮らそう。大丈夫、いつかきっと元に戻れるから……」

 

そう言って弟と母を納得させた治だったが、最後の言葉は弟を慰めるための嘘である。

きっと一生、自分達が一緒に暮らす日が戻ることはない。

元には戻れない。

見えない絆は“物”ではないのだ。1度壊れてしまったら修復するのは難しい。

 

 

そもそもこれは建前に過ぎない。

治は母親と一緒にいたくはなかったのだ。

まだ父親の方がマシだったから、父親と一緒にいると言ったに過ぎないのだ。

治はずっと、両親の諍いを見て、聞いていた。

争いの理由も、離婚の原因も、全て治なのだ。

治を有名にしたい母と、飽くまでも普通の子として育てたい父。

そこに、賢の存在は欠片も見当たらなかった。

治にとって賢は護りたい大切な弟なのに、治ちゃんが賢ちゃんを護るのよって、治はお兄ちゃんになるんだからなって言ったのは両親なのに。

それなのに2人とも言い争っている最中、一言だって賢のことを話題にしたことはなかった。

裁判の時だってそうだ、2人も裁判員も治、治、治って治のことばっかりで、みんなと一緒にいたいって泣いている1番幼い賢のことなんて誰も気に留めていなかった。

賢をずっと守ってきたのは、誰よりも賢かった治だけだった。

賢はずっと、おかあさんもおとうさんもおにいちゃんも、みんないっしょがいいって言っていたのに。

ずっとずっと、家族の誰よりも家族の行く末を案じていたのは賢だったのに。

治が両親を嫌っているのは、そう言った理由だった。

サーバ大陸を目指して、ホエーモンの胃袋の中にいた時に交わした、大輔との会話。

両親の離婚というトラウマを抱えているせいで、人と争い合うことを嫌う弟が初めて喧嘩をした相手は、サッカー部の後輩だった。

そのサッカー部の後輩に、初めて自分の気持ちを吐露した。

両親が嫌いだと。

優しい賢を泣かせておきながら、気にも留めずに治を自分の手元に置いておくことばかり考えていた両親を、好きになれるわけないのだ。

それでも治はまだ小学2年生なわけで、親元を離れて暮らしたいなんていう願いが聞き届けられるわけがない。

治の選択肢は、父親以外いなかった。

母親は治を有名にすることしか考えていなかった。

2人には治だけではない、賢だっていたのに、2人の目には治しか映っていなかったのである。

治は、それがどうしても許せなかった。

……それが賢を更に悲しませるものだと、分かっていながら。

 

 

 

 

 

「……あれ、治先輩?」

「っ、光子郎……」

 

夜寝る前に水を飲んでしまったせいなのか、光子郎はトイレに行きたくなって意識を急浮上させた。

しょぼしょぼする目を擦りながら何気なく辺りを見渡すと、テントモンがちょうど寝返りを打ったところであった。

苦笑し、眠気を訴える身体を叱咤しながら立ち上がって、他の子ども達やデジモン達を踏まないように慎重な足取りで部屋の外に出て行くと、そこにはサッカー部の先輩である治がいた。

ピッコロモンの屋敷は、結界の中にある森のエリアの、高い岩山の上にある。

その屋敷はドーナツのように真ん中がくり貫かれた円柱の形をしており、円の外側が部屋に、内側は中庭のようになっていてぐるりと柵で囲われていた。

その柵の間から足を出して、治が夜空を眺めている後ろ姿を、光子郎は見た。

治の名を呼ぶと、まるで魂が何処かへ飛んでいたかのように、治の身体が跳ね上がる。

相手が光子郎だと分かって治は罰が悪そうにしていたが、光子郎は特に気にすることはなく、どうかしたんですかと問いかけた。

 

「……ちょっと、眠れなくてね。そっちは?」

「トイレに行こうと思いまして……あれ?」

 

ふと、光子郎は座っている治のズボンに違和感を覚えて、じっと目を凝らす。

Tシャツの下が薄らと光っていた。

それを指摘すると、気づいていなかった治は慌てて背中の方のシャツをめくる。

デジヴァイスが光っていた。

この光り方は見覚えがあった。

太一と丈の紋章を見つけた時に、彼らのデジヴァイスが光ったのと同じ光だ。

そう言えばピコデビモンがこの辺りに紋章が2つも隠されていると言っていたっけ、と思い出した治と光子郎は互いに顔を見合わせる。

 

「……黙って出てきちゃいましたけど、大丈夫でしたかね」

「そうだな……ガブモン達、きっとどうして自分達も連れて行ってくれなかったんだって怒るだろうな」

 

そう言いながらも2人の足取りは止まらず、デジヴァイスが導くままに歩を進めていく。

広大な砂漠に隣接していた、緑が生い茂るエリアはピッコロモンの結界のお陰で外からは見えないようになっている。

エテモンに見つかる可能性は少ないが、このエリアに生息しているであろう夜行性のデジモンのことを考えればパートナー達は連れてきた方がいいはずなのだが、それでも2人は戻ろうとしなかった。

 

「太一さんは勇気、丈さんは誠実、ミミさんは純真……1人1人形も意味も違う。僕のはどんな紋章なのかなぁ。治さんはどう思いますか?」

「………………」

「……治さん?」

「っ、ああ、ごめん。ぼーっとしてた……」

「……大丈夫ですか?顔色があまりよくないように見えますけど」

「そうかな?月明かりのせいだと思うけど……」

 

それよりも紋章の話だっけ、と治は笑顔で話を逸らす。

 

「どんな紋章か、か……考えたことなかったな。光子郎は?」

「そうですね……僕は考えすぎて結局まとまらない感じです。勇気とか誠実とか……何となく太一さんや丈さんらしいなって思ったら、だとしたら紋章はそれぞれ僕らに相応しい形をしているのかなって……だったら僕に相応しいものって何だろうって考えたら……」

「……自分に相応しい形、か」

 

光子郎の生き生きとした顔や、弾む口調に、治はこっそりと自嘲した。

この後輩の言う通り、紋章の名前や形がその人に相応しいものを象っているのだとしたら……。

 

──僕に相応しい形って……何なんだろう。

 

自分には何の取り柄もない。

ただ、他の人よりも成績がいいだけ、運動が出来るだけ。

でもそれは個性でも何でもない。

個性というのは、その人にしかないもの、その人にしか出来ないもののことだ。

例えば太一は、みんなが躊躇するような壁や溝を、先陣切って飛び越えていくような奴だ。

人はそれを無謀と呼んだり勇気と呼ぶ。

よくも悪くも無鉄砲で、後先考えずに行動して痛い目に合うこともしばしばだ。

でもそんなことでへこたれたり落ち込んだりする太一ではない。

失敗しても、まあいっか!と言って豪快に笑い、またチャレンジする。

太一を尊敬している後輩達は少なくないし、物怖じしない性格からか友達も多い。

間違っていると思ったら、上級生だろうが先生だろうが食ってかかっていくその姿は、まさにリーダーに相応しいと思っていた。

治も、太一を尊敬している友人のうちの1人である。

自分には持っていないものを、太一は沢山持っている。

自分には出来ないことを、太一は平気でやってのける。

確かに成績も運動神経も太一よりは上かもしれないし、それは自分も太一も自覚しているところではあるものの、それでも治は太一には敵わないと思っていた。

劣等感を抱いていないと言うと嘘になるが、それよりも尊敬や憧れの念が強いのだ。

だから太一が紋章を手に入れ、それが勇気だと知った時、太一に相応しいと素直に納得した。

納得したからこそ……自分が惨めに思えてくる。

 

「……ぱい、治先輩……治先輩!」

「っ!」

 

思考の海に沈んでいた治を引き戻してくれたのは、光子郎の声である。

は、と意識が引き戻され、無意識に歩を進めていた治は立ち止まった。

 

「大丈夫ですか?やっぱり出直した方が……」

「……いや、考え事をしていただけだ。ここまで来たのに、今更引き返すのも面倒だよ。このまま行こう」

 

心配する光子郎に無理やり笑顔を浮かべながら、治は再び歩き出す。

光子郎は何か言いたげに、遠ざかっていく治の背中に手を伸ばして口を開いたが、しかし結局何も言わずに口を閉ざし、駆け足で治を追いかけていった。

同時に、2人のデジヴァイスの光が更に強まる。

 

「治先輩!」

「ああ、近いみたいだな」

 

デジヴァイスの導きを頼りに、2人の子ども達は先を急ぐ。

がさがさ、と草むらをかき分けて行きながら、光が導くままに足を進めていけば、あ、という呟きが2人の口から同時にもれた。

光が差し示している先にあったのは、井戸だった。

砂漠に掘られた井戸、つまり、ピッコロモンの結界の外だ。

どうしよう、と2人は顔を見合わせる。

ピッコロモンの結界のお陰で、エテモンに見つからずに休養できているのだが、外に出れば忽ちエテモンに居場所を察知されてしまう。

やはりパートナー達と一緒に来ればよかったか、と後悔したが、ここまで来て引き返すのも悔しい、と妙な意地とプライドが2人の心をちくちくと刺激してくる。

 

「………………」

「………………」

 

ちょっとだけ、ちょっとだけなら出てもいいんじゃない?って悪魔が2人の耳元で囁いてくる。

紋章をデジヴァイスに収めるだけ、結界の外と言ってもほんの数メートルしか離れていないし、と誰に向かってなのか分からない言い訳を心の中に浮かべながら、2人は意を決して結界の外に出た。

さく、さく、さく、と細かい粒子を踏みつける静かな音が、肌寒い砂漠の夜空に吸い込まれていく。

強くなっていくデジヴァイスの光は、井戸のところでひときわ強く輝く。

中を覗き込むと深淵が広がっており、底を覆い隠す闇が治と光子郎を見つめているように見えた。

ごくり、と光子郎は息を飲む。

 

「……ここにあるんですかね?」

「デジヴァイスはそう示しているね……よし」

 

意を決した治は、井戸の中に通じている桶がぶら下がっているロープを手に取り、積み上げられている石煉瓦に足をかけた。

え、って光子郎は目を見開いたが、そんな後輩に構うことなく治はロープにしがみつくと、慎重にロープを伝って降りて行った。

光子郎はどうしよう、どうしようって一瞬だけ狼狽えたが、何の躊躇もなく降りていく治を見て覚悟を決める。

治の頭の上にいるのは申し訳ないが、この際そんなことは言っていられなかった。

月の光が届かず深くなっていく闇の中を、目を凝らしながら少しずつ下がっていくと、周りの石煉瓦の壁が突如として光り出した。

ぎょっとなって降りるのを止めると、光はすーっと収縮されていきながらロープに掴まっている2人の周りをくるくると回り始めた。

小さくなっていく光に、やがて2つの色が浮かび上がる。

1つは青、1つは紫。

2人の周りをくるくる回りながら近づいていき、青いものは治の、紫のものは光子郎のデジヴァイスにそれぞれ収まった。

ロープにぶら下がっている状態で確認するのは危険なので、2人は急いで上に上がる。

井戸から出て、来た道を戻り、結界の中に入る。

腰につけていたデジヴァイスを手に取り、適当にボタンを押すと先ほど収まった紋章が浮かび上がった。

治の紋章は円の中心に波打った線が縦に入っており、円の左右にも上下の突起物がついていた。

光子郎の紋章は、大小2つの丸があり、眼鏡のように弧を描いた線で繋がっていた。

 

「これが、僕の紋章……!」

「………………」

 

光子郎が興奮を抑えようとしながら声を振り絞っている。

デジヴァイスを握りしめている手が震えているのが分かる。

純粋に喜んでいる光子郎を尻目に、治の表情はとても硬い。

じっと紋章を見下ろしている治の目はとても険しかったのだが、光子郎は自分の紋章に夢中になっていた光子郎は気づかなかった。

 

 

 

 

 

『全くキミ達は2人とも何を考えているっぴか!!』

 

戻ってきた治と光子郎に降ってきたのは、ピッコロモンの雷である。

紋章を手に入れた治と光子郎は、空が白み始めていることに気づいて慌ててピッコロモンの家に戻ったが、一足遅くピッコロモンに見つかって叱られている。

ピッコロモンの両隣には怒っている様子のガブモンとテントモン。

目を覚ましたらパートナーがおらず、発狂寸前に至りながら仲間達を叩き起こして、治と光子郎を探し回っていたらしい。

騒がしさで目を覚ましたピッコロモンは、心配せずともすぐに戻ってくると何もかもを見透かしたような言い方で子ども達を宥めてくれたそうだ。

今すぐにでも治と光子郎を探しに行きたい、と半狂乱になりかけているガブモンとテントモンを制しながら待つこと数時間。

治と光子郎はまだ誰にも見つかっていない、誰にもバレていないことを祈っているような顔で、こそこそと戻ってきた。

無事な姿にホッとするやら、黙って出て行ったことに対する怒りやらで、子ども達はもちろんパートナー達はこそこそ戻ってきた2人を押し倒す勢いで抱き着いてきた。

ひっくり返った治と光子郎に説教をかましたのは空と丈である。

ミミは心配したんですよぅ、なんて可愛いことを言ってきたが、それだけだったのが救いだった。

絶対安静の太一は、勝手に抜け出して紋章を手に入れてきた治と光子郎に対して怒ることも呆れることもなく、豪快に笑って済ませ、紋章ゲットおめでとうという言葉だけもらった。

最年少組にも知らせようとしたら、生まれる気配が全くなかった賢のデジたまがいつの間にか孵って、しかも一気にパタモンにまで進化していたことに、子ども達もデジモン達も大変驚いた。

何故ならデジたまから生まれると、どのデジモンも例外なく幼年期のデジモン……つまり赤ちゃんのデジモンとして生まれてくるものだ。

まさかまさかパタモンの姿のまま生まれてきたのか、なんて阿保なことを考えていたら、賢が種明かしをしてくれた。

生まれた時は確かに赤ん坊だったが、一気に進化してパタモンになったという。

それにはピッコロモンも驚いた。

選ばれし子ども達のパートナーデジモンは、確かにデジヴァイスの恩恵もあって従来のデジモンと比べると進化するスピードがとても速い。

通常のデジモンたちは長い年月をかけて次の世代へとその姿を変える。

しかしそれでは闇を晴らすためには時間がかかりすぎるために、ゲンナイ達は異世界から太一達を呼んで、デジモン達が急速に進化できるように対応したのだ。

急激な進化をするために、その姿を維持することが出来ずに退化をするというデメリットを抱えているパートナーデジモン達だが、それにしたって生まれてから直後に、一気に二段階も進化をするのはピッコロモンも予想外だった。

それだけではない。

一体何があったのかは知らないが、ファイル島を出る直前からずっと喧嘩をしていた大輔と賢が、いつの間にか仲直りをしていたのだ。

一体何があったんだ、と丈が唖然としながら尋ねるが、2人は笑って誤魔化すだけだった。

 

「……それで、2人の紋章ってどういう意味になるんだ?」

 

ピッコロモンから3時間にわたる説教を受けた治と光子郎は、正座をして痺れている足に悶えながら仲間達の下に戻ってきた。

3時間ずっと正座しっぱなしであったために、内側からじわじわと広がっていく痺れで歩くことが出来ず、2人して四つん這いになりながら太一が使っていた部屋に赴いた。

未だ包帯が痛々しく頭に巻かれている太一だったが、負傷したことを全く感じさせない笑顔を浮かべながら戻ってきた治達に労いの言葉をかけてくれた。

他の仲間達と、それからすっかり元気を取り戻した最年少達が太一の見舞いを兼ねて朝食を取っていた。

帰ってきた治と光子郎に、空と丈が再度軽い説教をかまし、もうピッコロモンから散々説教を受けただろうからいいだろと太一が止め、ガブモンとテントモンはもう絶対絶対自分達を置いていくなと詰め寄ってきて、それぞれに返事をしてようやっと朝食にありつけた。

寝不足に正座で痺れた足のコンボはキツイが、空腹を訴えている身体のためにも朝食はしっかりと取らなければ。

太一がピコデビモンに訪ねたのは、治と光子郎が朝食の食パンと牛乳を頬張っている時だった。

ピコデビモンはメロンパンを美味しそうに頬張っており、倖せで蕩けている表情を浮かべていたが、太一に話しかけられたことで我に返った。

慌ててメロンパンをもごもごと飲み込んで、太一の質問に答える。

 

『ええとですね、ここにあったのは友情と知識だそうで。お2人のデジヴァイスを見せていただけますか?』

 

そう言われた治と光子郎は食パンを頬張りながら、腰につけているデジヴァイスを手に取り、ボタンを操作して紋章のデータを映し出す。

 

『ふむふむ、ええと、こちらの方……』

『コウシロウはんや、ワテのパートナーやで』

『コウシロウ様のは知識となります。で、眼鏡の方は……』

『オサムだよ、俺のパートナー』

『オサム様のは友情の紋章ですね』

「知識と友情かぁ。2人らしいな」

 

太一が笑う。

これで紋章は5つ集まり、残るは空と最年少3人の4つとなった。

着々と集まっていく紋章に、子ども達の気分も色々な意味で高揚していく。

新しい力を手に入れるわくわくとした感情と、エテモンとの決戦が近づいているという緊張感がごちゃ混ぜになって不思議な気持ちだった。

紋章の力が暴走して、グレイモンが恐ろしいデジモンに変貌したのを目の当たりにした子ども達ではあったが、太一もアグモンも悪くないと分かっているから子ども達はそれほど気にしている様子はない。

力は使い方を間違えると、自分の身を滅ぼすことになる、というのはファイル島の最終決戦で既に学んでいたからかもしれない、と丈は後に語ってくれた。

 

「………………」

 

紋章について話し合っている子ども達の会話に混ざっていない子が1人いる。

治だ。

デジヴァイスを握りしめ、ディスプレイに浮かんでいる紋章をじっと見下ろしている。

仲間達の言葉は、思考の海に沈んでいる治の耳には届いていなかった。

治の紋章の意味は“友情”だと、ピコデビモンは言っていた。

それを聞いた時、治は何かの間違いだと本気で思った。

何もない自分が、自分のことしか考えられない自分の紋章が、友情?

友人が少ない自分が、親しい友人が太一しかいないような自分が?

デジヴァイスを握る手の力が、更に強くなる。

世界の命運が、全てここにいる9人の子ども達と9体のデジモン達の肩に重くのしかかっている。

それを改めて思い知らされたような気がして、治の表情は更に険しくなった。

 

──しかし、これは……

 

『……オサム?大丈夫?』

「お兄ちゃん?」

 

黙り込んだ治に気づいたのは、パートナーであるガブモンと弟の賢だった。

両隣から顔を覗き込まれ、我に返った治は2人に何でもないよとだけ返す。

本当に?って2人とも同じ顔をして聞いてくるものだから、それがおかしくて治は吹き出してしまった。

 

「本当に何でもないって。自分の紋章を手に入れて、嬉しくて話を聞いていなかっただけさ」

「………………」

『……分かった。そう言うことにしといてあげるよ』

 

太一や空なら、その言葉できっと誤魔化されただろうが、相手はパートナーと弟だ。

治が誤魔化していることなどお見通しなのだろう、賢は困ったように眉尻を下げ、ガブモンは眉間に皺をよせている。

しかし2人は空気を読んで、それ以上言及することはなかった。

太一達の会話に再び参加する2人を見守り、治は再びデジヴァイスに目を落とす。

 

──これは、ある意味チャンスなのかもしれない。

 

何もない自分がこの世界で何が出来るのか、ずっと考えていた。

ここに避難してきた日の夜、自分達は何のために選ばれたのかピッコロモンに問い詰めたことがあったが、結局聞き出すことはできなかったのだ。

問い詰めた時に一瞬だけ見せた表情を、治は見逃さなかった。

ピッコロモンは、自分達の知らない何かを知っていると。

しかし結局ピッコロモンは答えてくれなかった。

言いたくないと言うのならそれ以上追及することはできない、と治は諦めたのだが、それでも空っぽの自分が何故選ばれたのかが分からなくてずっともやもやしていた。

ゲンナイは想いの強さが決め手だったと言っていたが、あの口調では絶対他にも何か隠している。

それを知るためにも、自分の紋章が“友情”であることに意味があるはずだ。

 

(……何もない僕でも、出来ることがあるのなら)

 

選ばれた意味があると言うのなら、この紋章と向き合ってみよう。

治は目を閉じ、深呼吸を1つ。

ゆっくりと目を開けて、デジヴァイスをズボンの裾に引っかけた。

 

「……あれ?ピコデビモン、何処行った?」

「何か通信入ったっつって、さっき慌てて出て行ったぜ」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『……ええ、先ほど4人目と5人目の子どもが紋章を手に入れました。紋章集めは順調ですよ。全ての紋章が揃いましたら、絶大な力が手に入ります。なぁに、子ども達はすっかりワタクシめを信用していらっしゃいますよ。ヒヒヒ……』

 

 

 

悪魔の子どもは、人知れず嗤った。

 

 

 

 

 

 

.

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