ナイン・レコード   作:オルタンシア

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リアルとデータ

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この世界に来てから、この夢を見るのは一体何度目だろうか。

上下左右、何処を見渡しても真っ暗な空間は、最早見慣れた夢の世界だ。

大輔以外誰もいない、光さえ飲み込んでしまいそうなほどの暗黒は果てすら見えない。

それなのに不思議と怖いとか寂しいとは思わなかった。

この夢は、一体何なのだろう。

何度も見ているけれど、この夢が何を示唆しているのか、大輔にはさっぱり分からなかった。

夢と言うのは平たく言えば、浅い眠りの最中に行われる記憶の整理であり、これまで自分が体験した出来事や言ったことのある場所が夢として再生されている状態のことを言う。

また、年代によって見る夢が若干異なるという研究データも出ており、大輔ぐらいの年齢だとテレビや絵本などの外部刺激で夢の内容が影響されることが多いのだが、完全な真っ暗闇の夢と言うのは一体何を意味しているのだろうか。

暗闇は怖くはないが、好きでもない。

今よりも幼い頃から、大輔は凡その人が“見えないもの”を見て生活していた。

お父さんもお母さんもお姉ちゃんにも見えてない“見えないもの”は、昼も夜も関係なく見えていたのだが、夜は特にその数が多かった。

街灯のない夜の道、静まり返った公園、人気の少ない場所。

灯りがないにも関わらず、夜の闇にくっきりと浮かび上がって、急に遭遇すると心臓が止まるぐらいびっくりする。

そんな時はいつもお姉ちゃんにしがみついていた。

お父さんもお母さんもお姉ちゃんも見えていない、“見えないもの”が見えている大輔を、家族は誰も否定しなかった。

それどころか面白がって、何が見えたの?とか何がいたの?なんて聞いてくる始末だ。

大輔も家族が否定しないから素直に見えたものを両親やお姉ちゃんに伝える。

だから家族は大輔がしがみついてきた時は、“見えないもの”を見た時だと理解してくれていた。

お陰で“見えないもの”を怖がることも少なくなっていき、夜に遭遇しても驚かなくなっていた。

 

それでも、嫌いなものは嫌いだ。

 

ぼう……

 

暗闇だけの空間、大輔の背後に暖かい光が浮かび上がる。

振り返る。大きな光が浮かんでいた。

今までは大輔の顔ぐらいの大きさだったのに、今日は何故か大輔の3倍ほど、大人の男性ほどの大きさがあった。

その光の中心から、ぽとんと1つの陰が生み出される。

その陰は少しずつ大きくなっていき、唖然としている大輔を尻目にだんだんシルエットが形作られていった。

それは、大人の陰だった。

真っ黒の影に塗りつぶされていた陰は、髪の毛の先や身に着けている服の輪郭など細部にいたって浮かび上がっている。

 

すー、と。

 

陰の影が薄くなって、色づいていく。

服の色、髪の色、靴やズボンの色、そして肌の色が形成されていくにつれ、大輔の目が見開かれていった。

 

「……お父さん……?」

 

呟かれた、苦々しい想いが込められた言葉。

ぎり、と歯を食いしばって、姿を現したその陰を睨みつける。

そこにいたのは、大輔が大っ嫌いな父親だった。

お姉ちゃんを泣かせた、大っ嫌いなお父さん。

お母さんも嫌いだけれど、お母さんを止められなかったお父さんも同罪だと、大輔は両親を2人とも嫌っていた。

2人のせいでお姉ちゃんは……。

 

光が消える。

お父さんが1歩、前に出る。

大輔は2歩、後ろに下がる。

そんな大輔を見て、お父さんは悲しそうに笑った。

……その笑顔に違和感を覚えた大輔は、胸の前で握っていた両手の握りこぶしを若干緩め、しかめっ面もきょとんとした顔に変わる。

じっと見つめ合う、大輔とお父さん。

……いや、違う。

 

「……誰?」

 

お父さんじゃない。

お父さんに似ているけど、この男性はお父さんじゃなかった。

髪の色も顔つきもお父さんにそっくりだけれど、お父さんじゃない。

一体誰だ。警戒心が一気に跳ね上がり、更に距離を取る大輔に男性は悲し気な笑みを崩さない。

だがその歩みを止めることもなく、1歩1歩踏みしめながら大輔に近づいてくる。

大輔は社交的だが、その反面得体のしれないものに対して警戒心が強い。

さっきよりも強い拒否反応を示しながら男性を睨みつける大輔に対し、しかし男性は気にも留めず大輔に近づいてくる。

……逃げればいいのだ。

背を向けて、走り出せばいいのだ。

真っ暗闇の空間、何処へ行けばいいのか分からないが、走って、走って、走って、逃げればいいのだ。

子どもの足で大人から逃げられるわけがないけれど、嫌なら、怖いのなら、得体が知れないのなら逃げればいいのだ。

……それなのに大輔の足は後ずさりすることしか出来なくて、見つめてくる男性から目を逸らすことも出来ない。

 

とん、

 

1歩踏み出してくる。

大輔は動けない。

 

とん、

 

また1歩踏み出してくる。

距離にして、約2メートル。

 

とん、

 

とん、

 

1メートル。

男性はその場で立ち止まると、一拍置いてその場に片膝をついた。

たじろぐ大輔。やはりその目から逃げることが出来ず、その場に縫い付けられたように動けなかった。

じ、っと見つめ合うこと、約数秒。

 

す、

 

立てた膝に乗せていた手を伸ばし、大輔の頭をぽんと軽く叩いた。

思ってもみなかった行動をとった相手に、大輔は目を白黒させる。

がしがし、と乱暴に撫でられ大輔の首がガクガクと揺らされた。

徐に口を開き、そして男性は、

 

──ごめんな

 

と、言った。

 

 

 

 

 

 

「じゃあ、ピッコロモン。世話になったな」

 

治と光子郎がそれぞれの紋章を手に入れてから1晩経って、翌日の朝。

子ども達安全なピッコロモンの結界から出て、砂漠のエリアにいる。

からっとした空気の風が吹き、遮るものが何もない空にはギラギラと砂漠を照り付ける太陽が浮かんでいる。

うーん、と太一は腕を天に突きあげるように伸ばすと、背中の方がぽきっと鳴った気がしていててと言いながら腰を押さえて前かがみになる。

ご飯を沢山食べて進化を果たしたアグモンが、慌てて太一を支える。

太一の頭からは包帯が取れて、傷はすっかりなくなっていた。

 

『……本当に行くっぴか?本当ならあと1日ぐらい休んでほしいっぴが……』

「ありがとうな、ピッコロモン。心配してくれてさ。でも俺の怪我でこれ以上遅れるわけにはいかないだろ」

 

無理はしないからさ、と笑う太一を、ピッコロモンだけでなくパートナーのアグモンも他の子ども達も心配そうに見つめる。

特にサッカー部の後輩である大輔や、妹のヒカリは他の子ども達の比ではなかった。

太一が怪我をした時、最年少の3人は錯乱状態に陥っていたために、太一が怪我をしていたことを知らなかった。

知ったのは、ピッコロモンの館に運び込まれて、目を覚ました後だ。

隠さないブラコンのヒカリはそれを聞いた途端取り乱し、太一が寝ている部屋に突撃しそうになったらしいが、大輔と賢が何とか宥めた、と聞いて太一は腹を抱えて笑ったのは完全な余談である。

 

『子ども達、そしてデジモン達。タイチが無茶をしないようにしっかりと見張るのだっぴよ』

「分かっていますよ」

『任せてよ!』

 

頭に怪我をした子どもを連れて駆け込んできた子ども達を見た時、ピッコロモンは顔には出さなかったものの心臓が止まりそうな想いをした。

自分達の手に負えなくなってしまったほどに大きくなりすぎた闇を祓うために、無理やりの形でこの世界に召喚した、何も知らない子ども達。

その子ども達をサポートするために、ピッコロモンを始めとしたゲンナイに雇われたり頼まれたりしたデジモン達がいるというのに、みすみす怪我をさせてしまった。

このエリアから離れるわけにはいかなかったとはいえ、ピッコロモンは自分の無力を呪った。

ピコデビモンもかなり落ち込んでいたし、本当ならあと1日2日ぐらい太一には休んでほしかったのだが、まだ紋章は全て集め終わっていない。

この世界を侵食している闇も着実に広がっている。

子ども達もそれを分かっているから、先を急ぎたいのだ。

早くこの世界を救うために、そして何より大切な人達がいる自分達の世界に帰るために。

 

『ピコデビモン、きっちりしっかり案内するっぴ。でも無理はさせてはならないっぴよ』

『もちろんですとも!この世界の救世主たる子ども達を、これ以上危険な目には合わせません!ワタクシに戦う力はありませんが、ワタクシに出来ることは全てやらせていただきます!』

 

太一を怪我させてしまったことを気に病んでいるピコデビモンが、翼を羽ばたかせながら鼻息荒く答えている。

頼んだっぴ、と再度念を押したピッコロモンに別れを告げ、子ども達は6つ目の紋章を探すべく、広大な砂漠を再び歩き出した。

 

 

 

 

 

『一体どうなってるのぉ!』

 

野太い女口調の声が悲鳴のように響く。

 

『選ばれし子ども達がいるのは何処なのよぉおお!』

 

エテモンだった。

コロモンの村で破壊の限りを尽くしたエテモンは、子ども達もコロモン達もいつの間にかいなくなっていたことに気づいて、部下を引き連れて子ども達を探していたのだが、一向に見つからないのだ。

サーバ大陸中に張り巡らされているダークネットワークさえあれば、簡単に見つかると思っていたのに、引っかかったのは1度だけでそれ以降何の音沙汰もないのである。

それどころか今日になって子ども達を指し示すマークが、サーバ大陸の彼方此方に出現しだしたのだ。

最初は機械の故障だと思っていた。

東の方でマークが反応したからそっちに行ってみたのだが、その場所に着いた途端に今度は反対側、西の方で反応があった。

仕方なくそっちに行ってみたが、今度は北の方角に反応した。

イライラしながら北に向かったものの、到着したと同時に反応は消え、今度は南で。

どうなってんの!と苛立ちを隠さず、とりあえず元の場所に戻ってみれば、今度は世界中でほぼ同時にマークが点滅しだしたのである。

またコンピュータを叩き壊しそうになったエテモンを何とか宥め、比較的機械に強いガジモンが代わりにパソコンを調べたのだが、どうやら原因はコンピュータの故障ではなさそうだった。

 

『何者かがハッキングを仕掛けて、ここのコンピュータのプログラムにウイルスを仕込んだみたいです!』

『ウイルスですってぇええ?ウイルス種のアチキのコンピュータに、ウイルス仕込むなんていい度胸してくれてんじゃない!何処のどいつよ、ウイルスなんて送り込んだ奴は!』

『そ、それが相手の腕がいいみたいで、追跡できません……』

『キィイイイイイイ!!なぁに寝ぼけたこと言ってるのよ!!世界の!支配者たる!スパースターのアチキに!喧嘩売ってきてんのよ!?何が何でも相手の正体を突き止めなさいよ!』

『は、はいぃいい!!』

 

両手をわなわなとさせながら、弱音を吐くガジモン達を脅し、解析を急がせる。

しかしどこの誰が送ってきたか分からないウイルスのせいで、なかなか先に進めないようだった。

それでも、ガジモン達は言われた通りにした。

やっぱりできませんでした、という返事をする選択肢は、ガジモン達には残されていない。

もしも相手の正体を突き止めることが出来なければ、消されるのは自分達なのだと分かっているからだ。

弱い者には威張り散らし、強い者には媚を売るガジモンも、この時ばかりはついていくデジモンを間違えたなと後悔するが、色々遅い。

 

 

3時間後。

 

 

『……エ、エテモン様……ようやく突き止めました』

 

 

死に物狂いでウイルスが侵入してきた経路を辿り、やがて1体のガジモンが死にそうな目をしながらそう呟いた。

ガジモンが突き止めた個所に、青いマークが点滅している。

何処!?とエテモンが身を乗り出すように、目の前のディスプレイに顔を近づけた。

反応している箇所に、エテモンの顔がみるみる険しくなる。

そこは、エテモンもよく知っているところだった。

 

『ピラミッド……ナノモンの奴ねぇえ?散々痛めつけてやったってのに、まーだこのアチキに逆らう余裕があったって訳?ふん、いいわよ。そっちがその気なら乗ってやろうじゃないの!行くわよ、アンタ達!』

 

子ども達も見つけることが出来ず、邪魔も入ったという状況でエテモンの苛立ちは最高潮に達している。

今度こそナノモンも終わりだ、と疲れ果てたガジモン達は揺れるトレーラーの心地いい振動の中、眠りに落ちた。

 

 

 

 

 

『……僕が卵の間に、そんなことになってたんだね』

 

広大な砂漠を、いつエテモンに遭遇するか分からない恐怖と戦いながら、紋章を探すために歩き回る子ども達。

ぎらぎらと容赦なく降り注いでくる太陽を、傘で遮りながら先を急ぐ。

殿を歩いている最年少達は、上級生の後をついて行きながらお喋りをしていた。

ファイル島を出発してから一昨日辺りまでずーっと喧嘩をしていて、まともに喋っていなかった大輔と賢、同じ頃から口数が少なくなって考え込むことが多くなっていたヒカリは、これまで黙っていた分を補うかのように喋りとおしている。

上級生達は、やっと元気を取り戻した最年少達に微笑みながらも、ちゃんとついてきてねって注意した。

はーい、って返事をしたのは、つい一昨日までデジたまとして賢の腕に抱かれていたパタモンは、いつの間にかファイル島から出ていたことに大変驚いていたので、その説明をし終えた直後だった。

勿論、大輔と賢が一昨日まで喧嘩をしていたことも。

パタモンは当然驚いていた。

パタモンとエレキモンの喧嘩を見た時に泣き喚いていたほど、喧嘩が嫌いだったはずなのに。

嫌いな喧嘩をするほどに、譲れないものでもあったのだろうか。

そう尋ねると、大輔はぐっと息を詰まらせたような表情を浮かべ、賢も困ったような顔で大輔と腕に抱いているパタモンを交互に見つめている。

ブイモンとヒカリ、プロットモンはそんな2人を見てキョトンとしていた。

 

「……ま、まあ、とにかく、パタモンが無事に生まれてよかったよな!」

 

強引に話を誤魔化した大輔に、ブイモンは教えてくれよって詰め寄る。

ブイモンもパタモンと似たような状態で、ファイル島を出発して5日ほどは完全に深い眠りについていて、その後は徐々に徐々に覚醒していったために、ここ1週間近くの記憶が殆どないのである。

1度だけ、コロモンの村で賢のデジたまが行方不明になった際に、再度大声で喧嘩をした大輔と賢の声量で目を覚ましたのだが、その後再び眠気に襲われてまた記憶が途切れている。

大輔と賢が何故喧嘩をしたのか、ブイモンも知らないのだ。

ヒカリも、デビモンとの闘いにて大輔がホイッスルを吹いてから蘇った、コロモンと既に逢っていた記憶に悩まされていてそれどころではなかった。

プロットモンは言わずもがな、ヒカリが心配で2人の喧嘩の内容を知らない。

1人と3体の目線が、大輔と賢に向けられる。

 

「……言いたくない」

 

唇を尖らせ、半目になりながら大輔はそう言った。

まるで拗ねているようなその表情にヒカリは吹き出しそうになったが、それをぐっと堪える。

 

「どうして?」

「………………」

 

こてん、と首を傾げながら尋ねてくるヒカリに、しかし大輔と賢はやっぱり口を噤んだ。

ちらり、とこっそり目線を向けるのは同じように大輔達を見てくるブイモンとプロットモンとパタモンだ。

今、大輔と賢の気持ちは1つになっていることだろう。

聞いてきたのがヒカリだけだったら上手く自分達の醜態をごまかして伝えることはできるのだろうが、原因が原因だけにおいそれと口にするのは憚られた。

だって2人が喧嘩をした主な原因は、パタモンなのだ。

命を懸けてデビモンを倒し、賢を護ったエンジェモンを、賢は拒絶してしまったのである。

それに怒った大輔が、いつもお姉ちゃんとやっている口喧嘩みたいにわっと捲し立てて賢を責めたものだから、賢もかっとなって言い返し、それで喧嘩になってしまった。

両親の離婚というトラウマにより、喧嘩をすると二度と仲良しに戻れないと思い込んでいた男の子の、初めて行った喧嘩であった。

終わってみれば意外にもあっさりとしていて、本当に喧嘩をしていたのかと疑うぐらい、大輔ともいつも通りの会話を交わしていた。

あんなに恐れていた争いとは一体何だったのだろう、と拍子抜けしたぐらいだ。

 

「……俺と賢だけの、秘密だから」

「え?」

「男同士の秘密なんだ。だから悪いけど、ヒカリちゃんにも言えないんだ。な?」

「………」

「な?」

「……うん」

『えー!?』

『何それ、ずるいー!』

 

しかしやっぱり本当のことを言うのは憚られる、と賢はどうしたものかと苦笑いを浮かべていたら、大輔が先に口を開いた。

男同士の秘密、という小学生男子なら誰もが憧れるであろう台詞を口にして。

最初は何を言っているんだと賢もポカンとしていたが、大輔が言い聞かせるように詰め寄ってきたから、その勢いに飲まれて思わず頷く。

ヒカリは流石男の兄弟がいるだけあって、『男同士の秘密』という言葉を聞いてあっさり引き下がった。

どうやら太一お兄ちゃんも、時々『男同士の約束』という言葉を持ち出して、ヒカリを置いてけぼりにすることがあるらしい。

『男同士の約束』には絶対的な約束や盟約みたいなものがあるらしく、これを破ったものには相応の罰が与えられるのだ、と『男同士の約束』が気になって一度だけ教えてとせがんだヒカリに、太一はそう言って脅かして、結局教えてくれなかったのだとか。

だがヒカリは空気を読んでも、デジモン達はどうだろうか。

『男同士の約束』、という小学生男子が憧れる言葉の意味など知らないデジモン達は、何で何でどうしてどうしてってそれぞれのパートナーにしがみついてくる。

太陽が照り付ける暑い熱い砂漠のエリアで、ただでさえ暑苦しいというのに引っ付いてこられたら溜まったものじゃない。

引っ付くな!と大輔はブイモンを引きはがそうともがいて、賢は腕から飛んで頭に乗ってきたパタモンに苦笑し、ヒカリは飛びついてきたプロットモンをまあまあって曖昧に微笑みながら宥める。

 

 

日常が、戻りつつあった。

 

 

 

 

 

そこは、切り立った崖に両側を挟まれた道だった。

ピコデビモンを先頭に、曲がりくねった道を進んでいくと、空のデジヴァイスが反応を示す。

こちらです、とピコデビモンは横道に逸れた。

人1人が通れるほどの細い道の先は少し拓けた空間になっており、そこには自然形成された周りの切り立った崖とは違う、人工的に彫られたような紋様があった。

それは、ハートの形をしていた。

空が自分のデジヴァイスを掲げながら近づいていくと、デジヴァイスの光の点滅が激しくなっていく。

紋章が強い光を放ち、他の子ども達の時と同じように縮小されて、空のデジヴァイスに収まった。

 

『こちらは愛情の紋章となります。ええと……』

『ソラよ!ソラの紋章は愛情なのね!ソラにぴったり!』

「………………」

『ソラ?どうしたの?』

「……え?あ、ううん。何でもないわ」

 

空の紋章は、愛情。そう聞いたピヨモンは、厳しくも優しい空にぴったりだと思って、ニコニコしながら自分のパートナーを見上げたが、当の本人は何故か硬直していた。

デジヴァイスに収まった自分の紋章を、信じられないものを見るような目で見下ろしている。

急に黙り込んでしまった空を不思議に思ったピヨモンが、空の腕を何度か引っ張るとその刺激で我に返った空が、慌てて首を横に振った。

こてん、と首を傾げて本当に?と尋ねてくるピヨモンに、空は無理やり作った笑顔を浮かべて何でもないと答える。

他の子ども達は、新たな紋章を手に入れた喜びで誰も空の様子に気づかなかった。

これで、6つ目の紋章が、子ども達の手に渡った。

残る紋章はあと3つ、最年少3人の紋章である。

 

「……あれ?」

 

ぴろん、と光子郎のパソコンにメールの着信音が鳴る。

背負っていたパソコンを下ろして、紋章を手に入れて喜んでいる仲間達に一言理を入れてから、パソコンを立ち上げた。

カタカタカタ、とキーボードとパッドを操作して、今しがた来たばかりのメールを開く。

 

「選ばれし子ども達へ……」

 

メールの見出しには、そう書いてあった。

光子郎がメールの見出しを口にした途端、6つ目の紋章を手に入れて若干浮かれていた子ども達が黙り込み、光子郎の周りに集まった。

 

「ピコデビモンの案内で、そろそろ愛情の紋章を手に入れた頃だと思う。私の名はナノモン。ピコデビモンと同じく、ゲンナイ様の下でサポートをしているデジモンだ……」

『ナノモンですって!?』

 

メールを読み上げる光子郎の言葉に反応したのは、文面にも書かれていたピコデビモンだった。

光子郎を押しのけるようにパソコンのディスプレイに張り付こうとするから、テントモンが後ろから羽交い絞めをする羽目になった。

とりあえず落ち着かせてから、光子郎は再びディスプレイに目を通す。

そこには、こう書かれていた。

 

『紋章があった箇所が洞窟になっているはずだ。

その洞窟は君達が今いる場所と、私がいるピラミッドがある場所までの道のりを短縮してくれる。

そこを通ってきなさい。ゲンナイ様もこちらに向かっている最中だ』

 

「……残り3つの紋章は私のピラミッドで管理しているから、安心しなさい。ピッコロモンから子どもが1人怪我をしたことも聞いたから、無理はしないように。医療設備も整っているから、到着次第精密検査をしてあげよう。ナノモン……だそうです」

「ピコデビモン、ナノモン知ってるのか?」

『もちろんです!ナノモンは成りこそ小さいですが、エテモンと同じ完全体のデジモンで、コンピュータの管理などを任されているのです!ナノモンのいるピラミッドにはとても大きなコンピュータがあって、そこでゲンナイ様の手助けをしているのですよ!』

 

ピコデビモンが言うのなら、このメールは信頼してもよさそうだと判断した子ども達は、目の前の洞窟に向かって足を踏み入れる。

洞窟内は、人の手が加えられたように整備されており、地面には煉瓦が敷き詰められて歩きやすくなっていた。

両側の壁と天井には、光子郎がアンドロモンの工場と、デビモンによってバラバラにされた際にとある遺跡で見つけた不思議な文字、デジ文字が並んでいる。

パタパタ、とピコデビモンはとあるデジ文字の前まで飛ぶと、そこをごしごしと擦った。

途端に、光源がないはずの洞窟内が明るくなる。

ぎょっとなる子ども達に、光子郎と治がアンドロモンの工場で得た知識を説明した。

この世界ではこの文字自体がエネルギーとなっている。

電気、という文字を書き込めば、それが電気エネルギーとなるのだ。

あの時光子郎の話を聞いたのは治とミミとそのパートナー達だけで、他の子ども達は初めて聞いた内容だった。

 

「そんな……壁に描いたプログラムでそんなことができるなんて……コンピュータの中じゃあるまいし……」

「あながち間違っていないかもしれませんよ。ゲンナイさん、言ってたじゃないですか」

「ここはパソコンを介して来ることができる異世界、でしたね。この世界全体はデータやプログラムが実体化した世界なんじゃないかって、僕は思ってます」

 

頭を抱えている丈に、治と光子郎が追い打ちをかけるかの如く畳みかけてきた。

本人達にそのつもりはないのだろうが、頭の固い丈を追撃するには十分である。

コンピュータの中の世界、と聞いて丈はますます項垂れたが、足元にいたゴマモンを抱き上げて平静を保とうとしている時点で、彼もこの世界に馴染みつつあることに気づいていなかった。

 

「……ここがデータの世界ってことは、私達自身も?」

「ええ、実態のない、データのみの存在です」

 

声が震えている空に対し、光子郎は淡々と述べる。

ここがコンピュータの世界だと言うのなら、今子ども達を構成しているものもデータ、つまり子ども達の実態がなくデータとして存在しているということになる。

 

「……実態がないって、生身がないってことか?」

「それって幽霊みたいなもの?」

「いや、幽霊ではないよ。自分の意識がデータ化されてコンピュータの中にいるってことさ」

「……それじゃあ、本当の僕達は何処にいるの?」

 

パタモンを腕に抱いた賢が、兄に尋ねる。

その表情は強張っており、パタモンを目の前で亡くした時の表情によく似ていた。

 

「もしも僕達の意識だけがここに飛ばされたんだとしたら……」

「ええ、身体は僕達が雪で遭難した時に避難した、あのお堂にあるのだと思います」

 

治と光子郎はぐるりとデジモン達を見渡す。

 

「デジモン達は、まさにデジタルモンスター。データ上の存在だったと言うわけです」

 

それは、あまりにも大胆な仮説であった。

ゲンナイが言っていた、コンピュータを介して来ることが出来る世界は、つまりコンピュータの中にある世界だと2人は考えたのである。

ここは日本ではない、この世界に飛ばされた初日に治が言い放った言葉に受けた衝撃と同じだけのショックが、子ども達を襲った。

大輔は自分の手のひらを見下ろす。

ぐーぱー、と握ったり開いたりしてみる。

その感覚は、自分達の世界にいた時と何ら変わらなかった。

だから1つの疑問が浮かぶ。

その疑問を言葉にして光子郎に尋ねようと口を開いた時、異を唱える者がいた。

 

「……俺はそうは思わないな」

 

子ども達の視線が一斉に声の主に向けられる。

太一だった。

その表情は重く、唇はきゅっと結ばれていて眉間に皺も寄っている。

自分の仮説を否定されたと思ったのか、光子郎はちょっとムッとしながらどういうことですかと尋ねた。

簡単だ、と太一は自嘲しながら自分の額に右手を沿える。

子ども達は、はっとなった。

太一の手が添えられた箇所は……。

 

「……俺達がデータの存在だったら、この痛みは一体なんだ?この世界じゃ痛みまでデータとして再現できんのか?だったら……ここにいる俺は、本当に八神太一なのか?」

「っ……」

 

それは、大輔が疑問に思って、光子郎に尋ねようとしたことと、概ね一致していた。

大輔が思い出していたのは、クワガーモンに追いかけられていた時のことだった。

思いっきりずっこけて、血が出るぐらい膝を擦りむいてしまった。

サッカークラブでサッカーボールを追いかけていた時と同じようにすっ転んで、痛くて痛くて顔を顰めたことは今でも思い出せる。

空にもらった絆創膏のお陰で傷はすっかりよくなったけれど、もし自分達の身体がデータだというのなら、ゲームの主人公達みたいだったら、どうして怪我が痛かったのだろう。

ゲームの主人公達は、怪我をしても血を出さないし痛がらない。

痛がっているのは台詞から伝わってくるけれど、画面のドット絵はそんな素振りを一切見せないのだ。

ゲームの世界なら、コンピュータの中なら、どうして自分は怪我をして、痛い思いをしたのだろう。

治と光子郎に言いたかったことを、太一が代わりに言ってくれたので大輔はそのまま口を噤んだ。

ふと隣を見ると、ヒカリと賢が似たような表情を浮かべている。

もしかしたら、大輔と同じ疑問を思い浮かべたのかもしれない。

そんな最年少達に気づくことなく、全員の息を飲む音が静寂な洞窟内に響く。

そして、全員が互いの顔を見合わせる。

 

だって太一の言う通りなのだ。

 

太一が額を大怪我したのは、つい3日ほど前のことである。

額に瓦礫の破片が当たった太一はその場で気を失い、血も沢山流した。

傷跡はすっかり消えたものの完治したとは言い難く、時々痛みで顔を顰めていたのを治も空も目撃している。

その痛みは、サッカーの部活動でスライディングをして、膝を擦りむいた時の痛みとは比べ物にならなかった。

しかし光子郎や治の言う通り、ここがデータの世界だろいうのなら、この痛みの正体は一体何なのだろうか。

コンピュータの中、と聞いて思い浮かべるのはやはりゲームである。

ゲームの世界では敵キャラに攻撃されても、主人公のキャラクター達は血を一滴も流していないし、回復の魔法で減ったHPを回復させたり、毒や麻痺を治したりしている。

ステータス画面を開けば、どんな技が使えるのか、どんなものを持っているのかというのが瞬時に分かる。

だがこの世界に来た子ども達は、特段変わった様子などない。

ステータス画面は幾ら願っても出てこないし、戦う力を授かったわけでもない。

子ども達がこれまで無事でいられたのは、自分達ではない代わりの戦力のお陰なのだ。

デジモン達のお陰なのだ。

パートナー達がいなかったら、子ども達は帰る方法どころか戦う術すら分からず、途方に暮れて永遠に帰ることが叶わなかったかもしれない。

 

「……なあ、治。前に言ってたよな。コンピュータは命令されたことしか出来ないって」

「……ああ」

 

それは、パソコンの授業の時のことだ。

来たる情報社会のために、お台場小学校は子ども達に早いうちからパソコンに慣れ親しんでもらうために、1クラス分のパソコンを導入した。

最新型のパソコンを買ったせいで、パソコンに詳しい外部の人間を雇う余裕はなくなってしまい、家にパソコンがある教員が担当することになったのだが、そんなことパソコンに目を輝かせていた、お家にパソコンがない子ども達は知る由もない。

物をぞんざいに扱ってぶっ壊す名人の太一は、お目付け役の治と空の間に座らされて授業を受けていた。

先生の話なんかそっちのけで、お家ではお父さんの許可がなければ絶対に触れない、触ってもネットサーフィンぐらいにしか使わないパソコンに夢中になっていた。

隣の席が治だったのはラッキーだと思った。

天才で秀才の治は、パソコンの操作だってお手の物だ。

下手すると先生よりも知っていたかもしれない。

しかし治はその知識をひけらかすことはなく、ただひっそりと、太一と太一を挟んで反対側にいる空にだけ色々と教えてくれた。

コンピュータは、命令されたことしか出来ない。

それを教えてくれたのは、その授業の時だ。

その時はふーんとしか思わなくて、聞き流してしまっていたのだが……。

 

「……もしもここが本当にコンピュータの中だとして、アグモン達がデータの存在だってんなら……アグモンが俺のために泣いてくれたのも、コンピュータが命令したからなのか?」

『……タイチ』

 

頭に怪我を負った太一のために、ごめんなさいと泣いてくれたコロモン。

太一を失うかもしれない恐怖でいっぱいいっぱいになって、怖い怖いって泣いたコロモン。

パートナー達が、命令されたことしか出来ないコンピュータのデータだというのなら、あの涙はデータとしてインプットされていた行為だと言うのか。

 

『……コンピュータとか、データとか、僕はよく分かんないけど……でも僕の気持ちは本物だよ。僕がタイチを待っていた時のドキドキした気持ちも、太一を怪我させちゃって悲しかったり怖かった気持ちも……これが全部決められてることなんて、思いたくない!』

 

アグモンの悲痛な叫びが、洞窟内に響き渡る。

それはまさしく、心からの言葉であった。

他のパートナーデジモン達もアグモンの気持ちが痛いほどによく分かるのか、何かを堪えるような表情を浮かべたり、項垂れたり、アグモンや自分のパートナーを見つめたりと、様々な反応を見せる。

パートナーはいないが、ピコデビモンも何処か悲しそうに子ども達を見上げていた。

その表情が作り物だとするのなら、何て高性能なデータなのだろう。

この世界はコンピュータの世界だという仮説を立てた治と光子郎は、自分をじっと見つめてくるパートナー達の方を見た。

 

「……ピコデビモン、これから行くナノモンのピラミッドに、ゲンナイさんも来るんだよな?」

『え?ああ、はい』

「だったら僕達で結論付けるより、ゲンナイさんに聞いた方が早いな」

「……そうですね」

 

自分達の発言が、どれだけデジモン達を傷つけたのか理解した治と光子郎は、バツが悪そうに謝罪する。

途端に、2体は笑顔を浮かべていいよって許した。

いいよなんて簡単な言葉では到底許されないことを言ったのに、デジモン達はどれだけ心を傷つけられても、笑顔を浮かべていいよって許してしまう。

何処までも懐の深いパートナー達に、子ども達は苦笑するしかなかった。

 

『……ともかく、ナノモンのピラミッドに向かいましょう。コウシロウ様、ナノモンから送られてきたメールにプログラムがありませんか?』

「ええ、あります。これを実行して……」

 

開きっぱなしにしていたパソコンのキーボードを片手で打ち込むと、洞窟の先に変化が起こった。

行き止まりになって立ちふさがっていた壁がぐにゃりと、まるで粘土みたいに柔らかく捻じれて消えたのである。

壁だった行き止まりの向こうに光が差し込んでいる。

 

「あの外にナノモンがいるはずです」

「え?こんな近くに?」

「いえ、さっきのプログラムで空間を繋いだらしいんです」

「なるほど、コロモンの村の時みたいな状態か」

 

太一の紋章である勇気の紋章を見つけた時、コロモンの村から歩いて1週間近くかかるはずのエリアが目の前に広がっていた。

恐らく、あれと同じ原理なのだろう。

遠い場所と場所を、プログラムを打ち込むだけで繋げて、道のりを短縮できるなんて、まるで魔法のようだ。

自分達の世界では絶対に起こりえない事態に、子ども達は感心しきりである。

 

と、

 

『……おや、すみません。みなさん。ちょっと通信が入ったようです』

 

暫くお待ちください、と言ってピコデビモンはどうやって仕舞っていたのだとツッコミを入れられそうな、蝙蝠型の手鏡を手に取り、子ども達から少し距離を取って手鏡に向かって話し始めた。

気になった最年少3人とそのパートナー達だったが、きっと大事なお話なのよって空に止められる。

どんなお話なんだろう、って空に止められながらも気になって仕方ない3人と3体は、はい、はい、って何度も相槌を打っているピコデビモンをじーっと見つめている。

やがて、ええっ!?という驚いたような声が聞こえた。

どうしたの、ってミミが尋ねると、子ども達がいたことを思い出したピコデビモンは慌てて取り繕って、また小さな声で相槌を打つ。

 

数秒後。

 

『……はい、はい、分かりました。ではそのようにいたします……。皆さん、すみません!』

 

通信を終えたピコデビモンが切り出した言葉に、子ども達はどよめく。

先程の通信は、ここに向かっている途中のゲンナイからのものだった。

そのゲンナイから、とある場所で起きた異変について、至急調べてきてほしいという新たな任務を与えられたそうだ。

最後の紋章まで目と鼻の先だから、ちゃんと案内したかった、と落胆するピコデビモンに、子ども達もここまで一緒に行動してきたピコデビモンが離脱してしまうことを残念に思いながらも、仕方がないとそれを受け入れた。

自分達をサポートするためにゲンナイから遣わされてきたのだ、別の任務を与えられたのなら、それを全うすべきである。

目的地はすぐ目の前にあるし、あとは自分達だけでも大丈夫だ。

そう言って子ども達はピコデビモンを促した。

 

『皆さん……すみません』

「謝るなよ。ピコデビモンのお陰で色々助かったからさ!」

『僕達のことなら気にしないで!大丈夫だから!』

『……ありがとうございます。そう言っていただけると、ありがたいです』

 

申し訳なさそうに頭を下げたピコデビモンは、ナノモンから送られてきたプログラムで作り出した出口から出て行き、空中でホバリングしながら再度ぺこりと頭を下げ、空の彼方へと飛び去って行ってしまった。

見送る子ども達。ほんの数日しか一緒にいられなかったが、ピコデビモンのお陰で紋章を見つけることが出来たことは、感謝していた。

残る3つは、目の前だ。

ゲンナイもあのピラミッドに向かっているということで、エテモンを止めるために時間がないのは分かっているが、直接尋ねたいことは沢山ある。

光子郎が作ってくれた出口から身を乗り出してみると、そこはエジプトにあるスフィンクスと同じ形をしたオブジェの、口の中だった。

辺りを見渡す。ナノモンがいるというピラミッドがあったが、その形状に子ども達は驚いた。

普通ピラミッドと聞けば連想するのが、四角錐状の巨石建造物だ。

底面が四角形の錐体状の、空に向かって1点に集中している頂点が特徴的な建造物なのだが、子ども達の視界に入ったピラミッドは知っているものと全く違っていた。

形は四角錐なのだが、逆なのだ。頂点が下になっており、底面が上を向いている、つまり逆さまのピラミッドなのである。

頂点は砂の中に埋もれているのだが、一体どうやってバランスを取っているのか考えづらいほどにピタリと収まっていて、子ども達は唖然としながらピラミッドを見つめた。

これまでも数々の不条理シリーズは見てきたけれど、ここまで不条理なのは初めてである。

何にせよ、子ども達の最後の目的地はピラミッドなのだから、いつまでも呆けている場合ではない。

スフィンクスの口から下にある砂地まで約2メートル弱。

ゲンナイがくれた便利アイテムの中に、確かロープもあったはずだ、と光子郎はパソコンを操作してロープを取り出した。

ナノモンに今から行くという旨のメールを送信し、子ども達はスフィンクスの口からロープを伝って降りる。

ざく、と砂漠に降り立つと、ちょっとだけ足が沈んだ。

最後に丈とゴマモンが降りて、何故か後少しというところで落下して顔面を強打したこと以外は特に大したこともなく、飛べるテントモンにロープを回収してもらって、子ども達はピラミッドに向かって真っ直ぐ突き進む。

ピロン、と電子音が鳴って、光子郎のパソコンにメールが届いた。

 

「ナノモンか?」

「何て書いてある?」

 

太一と丈が尋ねると、光子郎はタッチパッドとキーボードを操作しながらメールを開いた。

 

「えっと……ピラミッドの内部は侵入者を防ぐ仕掛けが沢山あって、案内なしに入るのは危険だから迎えを寄越すそうです」

『迎え、でっか?』

「うん、ピラミッドに来れば分かるって……」

 

メールによれば、ピラミッド内部は大昔のデジモンが遺した技術と、ナノモンの現代の知識で独自に組み上げた技術で複雑になっているらしく、ナノモンですら地図のような案内図がないと迷ってしまう複雑な構造になっているらしい。

見取り図を送って子ども達自身で来てもらっても構わないのだが、病み上がりの怪我人が1人いることを考えると、これ以上負傷者を出すのは忍びないという結論に至り、つい最近ゲンナイから派遣された味方のデジモンに内部を案内させる、とのことだった。

どういうデジモンに案内させるということは書いていなかったが、特に問題はないだろうということでナノモンには返信せずにピラミッドに向かう。

 

『……おーい!』

「ん?」

 

後少しでピラミッドに着く、というところで子どものような声がピラミッドの方から聞こえてきた。

立ち止まった子ども達に向かって、ピラミッドの方から何かが走ってくるのが見えた。

近付いてくるにつれ、それはミルクチョコレートのように美味しそうな色合いをしていることが分かった。

円らな黒い瞳と、ロップイヤーという種類のウサギみたいに長く垂れた耳を揺らしながら走ってくる。

あのデジモンが案内してくれるデジモンだろうか。

そう思って光子郎が尋ねようと口を開きかけた時である。

 

『わーい!やっと来てくれたんだね!待ちくたびれちゃったよ~!』

 

少女のように高く、ちょっと間延びした声を上げながら、茶色いデジモンは両手を広げて、てってって、とそのまま走ってきたと思ったら……。

 

『逢いたかったよぉ!』

『………………っ!?』

『はっ!?』

『ちょっ……!』

 

茶色いデジモンは何故かブイモン目掛けて走って来て、思いっきり抱き着いてきたのである。

ぎゅ、という音がしそうなほど抱き着かれたブイモンは、一瞬何が起こったのか理解できていなかった。

代わりに行動してくれたのが、パタモンとプロットモンである。

2体も一瞬硬直していたが、すぐに我に返って、慌ててブイモンと茶色いデジモンを引きはがした。

 

『何するのさ!』

『ブイモン、大丈夫!?』

 

2体だけでなく、大輔やヒカリ、賢、それから上級生達もこれには慌てた。

ブイモンは誰かに触れられることを極端に嫌がる。

大輔とヒカリと賢、それからパタモンとプロットモン以外の者がブイモンに触れると、目を見開いてガタガタ震えて、冷や汗が止まらなくなって、勝手に悲鳴を上げてしまうのである。

だから上級生達もそのパートナー達も、極力ブイモンには触れないように心掛けていた。

触れさえしなければ、ブイモンは他のデジモン達のように“普通”だったからだ。

1度だけ、丈がうっかり触れてしまったことがあったが、それ以降はみんな更に細心の注意を払っていたから、特に問題らしい問題は起こらなかった。

それをあろうことか、知らなかったとはいえ茶色いデジモンはブイモンを思いっきり抱きしめやがったのである。

触れられるだけで悲鳴を上げてしまうのに、抱きしめられたらどうなるのか、全く見当がつかなかった。

引きはがされたブイモンの腕を引っ張って、大輔とヒカリと賢は大丈夫かってブイモンに声をかけたのだが……予想外のことが起こる。

 

『……なん、とも、ない……みたい』

「……はあ?」

 

引きはがされたブイモンは、大輔が声をかけるまでがっちーんと硬直していたが、硬直が解けた身体を見下ろして首を傾げていた。

いつもみたいに、ガタガタ震えたり冷や汗が流れなかったのだ。

それは、初めてヒカリと賢に触れられた時の感覚と全く同じだった。

パタモンとプロットモンと、大輔以外は触れられるのが怖いと思っていたのに、ヒカリと賢も2体と1人と同じように平気だと思った、あの時。

他の子ども達やデジモン達に触れられたらもうダメなのに、茶色いデジモンとは初めて会うのに、何故か抱き着かれてもいつもの症状が出なかったのである。

頭上に沢山の疑問符を浮かべるブイモンを唖然と見たのち、パタモンとプロットモンは思いっきり警戒心を剥き出しにして、茶色いデジモンを睨みつけた。

 

『……あんた、ロップモンよね?アンタがナノモンのところに案内してくれるデジモンなの?』

『うん、そうだよ~。ピラミッドの中はえげつない仕掛けがいっぱいあるからねぇ。僕も覚えるの大変だったよ~』

『そんなのどうでもいいよ!何さ、君!何でブイモンってば平気なの!?僕達以外が触るの、すっごく嫌がるのに!』

 

頬を膨らませながらパタモンはぷんすか怒って、茶色いデジモン……ロップモンに向かって声を荒げる。

四つ足で踏ん張るように、最大限威嚇してやるが、ロップモンは全く意に介していないようで、ニコニコとした笑みを崩さなかった。

 

『まあまあ、落ち着いて~。ナノモンも待ちくたびれるから、早いとこ行こう?』

『まだ話は終わってないわよ!』

「プロットモン、落ち着いて!」

 

今にも噛みつきそうな雰囲気だったので、ヒカリが慌ててプロットモンを抱き上げて、ロップモンから引きはがす。

それでもヒカリの腕の中で暴れて、ロップモンに掴みかかりそうだから、ヒカリは抑えるのに苦労した。

 

『……ホントに忘れちゃったんだね』

『え?』

「?何か言った、ロップモン?」

『……何でもないよ。さ、ナノモンが怒り出さないうちに、早く行こう!』

 

くるりと翻って、ロップモンはたったったっとまた走り出す。

待てよ、と太一を筆頭に子ども達とデジモン達はロップモンの後を追った。

 

 

 

 

 

ロップモンの言っていた通り、ピラミッドは仕掛けだらけであった。

まず入り口が見せかけの壁だったのである。

何処からどう見ても壁で、幾ら見渡しても入り口らしい入り口は何処にもなかったのに、ロップモンは躊躇することなく見せかけの壁に飛び込んでいったのだ。

分かりやすく言うと、その一部分だけが立体映像で、実体がないのである。

それはファイル島に初めて降り立った日、太一と当時コロモンだったアグモン、光子郎と当時モチモンだったテントモンがクワガーモンから逃げるために飛び込んだ、見せかけの樹と同じ原理であった。

ピラミッドの内部は大分古いせいなのか、ところどころ壁が剥がれていたり、天井が朽ちていた。

たまに侵入してくる阿呆がいるらしくて、そいつを撃退するために常時罠や仕掛けが作動されているためなのだそうだ。

その侵入者に付き合って一緒に侵入してきた奴が巻き添えを食らって、罠や仕掛けで命を落とすことも少なくない、というのをあっさりとした口調で言い放つものだから、子ども達もデジモン達も気が気ではなかった。

とりあえず、ここは踏まないでね、ここは触らないでね、と言うロップモンの忠告は素直に従った方がよさそうだ。

途中で高圧電流の網が張り巡らされている部屋に来た時は、流石に躊躇してしまったが、ロップモンが一声かけると電流がストップした。

ナノモンが止めてくれたらしいのだが、それなら他のトラップ類の作動も止めてほしいと思ったのは言うまでもないだろう。

 

 

階段や長い通路、トラップだらけの部屋を通り抜けること、約数十分。

子ども達が辿り着いたのは、広い広い空間だった。

そこにはアンドロモンの工場で見た大きなスクリーンの倍はありそうなスクリーンがあった。

そのスクリーンに映し出されているデータの羅列や、外やピラミッド内部の映像、サーバ大陸と思しき大陸の地図が所せましと映し出されている。

治と光子郎の目が輝いた時、先頭を歩いていたロップモンがスクリーンの前にいた小さなデジモンに話しかけた。

 

『連れてきたよー』

『ああ、ご苦労だったな、ロップモン』

 

くるり、と何か操作をしていたらしデジモンが振り返る。

薬のカプセルが機械化して、手足が生えたようだ、と丈は思った。

 

『いかにも、私がナノモンだ。こんな成りだが、これでも完全体である故、見た目で判断すると痛い目に合うぞ。さて、早速だが君達には紋章を取りに行ってもらう。想定していなかった出来事で予定よりも少し時間がおしているからな。ああ、君達を責めているわけではないぞ。どれだけ慎重にことを運ぼうとして、綿密に計画を立てても想定外のことは必ず起こる。況してや君達は私達の世界を救ってもらうために、別の世界から無理やり連れてきたからな。文句などあるはずもあるまい。紋章を持っていない子どもは誰かな?』

 

合成音のような声を出しながら、一気にそれだけ言うと、子ども達を1人1人、自分のメモリに保存するように眺める。

口を挟む隙もなくべらべらと喋られたことに呆気に取られていた太一達だったが、話の半分も理解できていなかったのか、大輔はナノモンに圧倒されることなく、元気よく俺です!と手を挙げた。

ロップモンに抱き着かれた衝撃から何とか戻ってきたブイモンも、真似をしてはーいって挙手をする。

我に返ったヒカリとプロットモン、賢とパタモンも然り。

 

『ふむ、1番小さい子ども達か。それならちょうどいい』

 

ナノモンはくるりと振り返って、目の前のキーボードを操作する。

 

『あれを見ろ』

 

ナノモンが指さした方向には、何の変哲もない壁がある。

が、子ども達が壁に目を向けたと同時に、何処かへと通じる四角い穴が出現した。

 

『ゲンナイ様からも聞いていると思うが、紋章はその存在自体が強大な力を持っている。ここにある3つは、その中でも特別なのだ。他の紋章のようにただそれと分からないように隠すことが難しかったために、ゲンナイ様はこの特殊な仕掛けがしてあるピラミッドの奥深くに隠し、その守護と監視を私に任せたのだ』

 

そして当然、その道のりにもトラップは仕掛けられているのだそうだ。

 

『紋章を隠した後、ゲンナイ様が独自に作り上げたトラップであるため、私でも解除はできない。だが命を脅かすようなものではないから、安心しなさい』

「……それはいいけど、どうやって行けばいいんだ?この大きさじゃあ、俺達は入れないぜ?」

 

その入り口は小さな子どもが四つん這いになってやっと入れそうなほどの大きさしかなかった。

最年少の大輔と賢、そしてヒカリとそのパートナー達なら難なく潜れるだろうが、上級生達の中でも1番小さな光子郎ですら入れなさそうだった。

上級生のパートナー達もそれなりに大きく、入ったら詰まってしまうだろう。

ということは、である。

 

『当然、その子ども達とパートナー達だけで行ってもらうことになる』

 

そうナノモンが言った途端、上級生達は反対した。

幾ら命を脅かすようなトラップがなくとも、まだ小学2年生の大輔達だけで行かせるのは危険すぎる。

妹と弟がいる太一と治を筆頭に、上級生達は何とかならないかとナノモンに詰め寄ったが、こればかりはどうしようもない、取り付く島もなかった。

 

『そもそもタイチ、だったか?お前は病み上がりだとピッコロモンからも聞いているぞ。幾らゲンナイ様特製の包帯を巻いたお陰で治癒が早まったとは言え、完全に治癒したわけではない。ここの設備で精密検査をしてやってほしいとゲンナイ様からも頼まれているから、お前は必然的にここで待機だ』

「っ、でも……!」

「賢達だけでなんて……」

「お兄ちゃん、太一さん」

 

尚も食い下がろうとする太一と治の台詞を遮ったのは、賢だった。

その腕にパタモンを抱き、ナノモンに詰め寄っていた上級生達を真っ直ぐ見つめる。

 

「僕、行くよ。大輔くん達と。だからお兄ちゃん達はここで待ってて」

「っ、賢……!」

「僕、パタモンと約束したんだ。誓ったんだ。もう逃げるのやめるって。目を逸らすのやめるって」

 

両親を奪った争いごとをずっと避けてきた、平和を愛する男の子は決めたのだ。

自分達のいるべき場所へ帰るためにも、この世界の平和を取り戻すためにも、前を見つめると。

兄の背中に隠れるのは止めるのだと。

 

「大丈夫だよ。だってパタモンがいるもん。大輔くんもブイモンも、ヒカリちゃんもプロットモンも。だから怖くないよ」

「……賢」

「パタモン、僕のこと守ってくれる?」

『……当たり前じゃない!ケンは僕のパートナーなんだから!』

 

もう争いから逃げていた男の子はいない。

パートナーを争いから遠ざけようとしていた子どもはいない。

今度こそ、パートナーと一緒に歩き出すために、賢は兄にお願いした。

 

「お願い、お兄ちゃん」

 

真っ直ぐ治を見上げる賢に触発された大輔とヒカリも、上級生達を真剣な眼差しで見る。

 

「太一さん、俺も行きたいっす!」

「お兄ちゃん、お願い!絶対無茶はしないって約束するから……!」

 

ブイモンとプロットモンも、それぞれのパートナーの隣に立つ。

 

『俺達でちゃんとダイスケ達を守るよ!』

『だから行かせて!守られるだけなんて、私達も嫌よ!』

 

プロットモンの言葉に思い当たる節がある上級生達は、言葉に詰まる。

最年少であるが故に護られる立場であった大輔達。

そのパートナーであるブイモン達も、必然的に庇護の対象になっていた。

アグモンやガブモン達と同じ、子ども達を護るパートナーデジモンであるにも関わらず。

3体ともファイル島で1度進化したきりで、サーバ大陸に来てからは諸事情により1度も進化をしていないが、本来なら他のデジモン達のように前線で戦う存在なのだ。

護られるような存在ではないのだ。

その結果、賢とパタモンの悲劇が起こったことを忘れてはいけない。

 

『……これだけ言ってるんだから、行かせてあげてもいいんじゃない?護ってばかりなのは、ダイスケ達にも失礼だと思うよ?』

「…………はあ、分かったよ」

 

澄んだ目は何処までも強い決意に満ち溢れており、3人と3体が横一列に並んで太一を始めとする上級生達に詰め寄ってくる。

ロップモンの後押しもあり、最年少の圧に負けた太一は首を縦に振るしかなかった。

やったぁ、って3人と3体は両手を上げて喜んでいるから、上級生達は苦笑するしかなかった。

まだまだ自分が護らなければと思っていたのに、いつの間にか最年少の3人は上級生達の背中から飛び出して、1人で歩き始めてしまっていたらしい。

子どもの成長は早いんだなぁ、なんてお母さんやお父さんみたいなことを上級生達がしみじみ思っていたら、話はまとまったか、と情緒もクソもありゃしないナノモンの言葉が空気をぶった切る。

じろり、とナノモンを睨みつける上級生達の心情など露知らず、大輔達ははーいといい子の返事をして、入り口に向かって駆けていった。

 

『では、何ともないとは思うが、怪我をしないように気を付けていきなさい』

「はーい!」

『行ってきまーす!』

 

上級生6人とそのパートナー6体、それから2体の味方デジモンに見送られ、最年少達は四つん這いになって穴の中へと吸い込まれていった。

 

「………………」

『……心配でたまらないという表情を浮かべているな』

『見送るって決めたんだから、腹くくればいいのにー』

「うるせぇ!」

 

図星を突かれた太一はやけくそ気味に怒鳴る。

目に入れても痛くないほどに可愛がっている妹が、心配ではないわけがないのだ、お台場小学校一のシスコンが。

空や光子郎達も呆れていたが、つい先ほどまで太一と同じように最年少を心配して、3人と3体だけで行くのを一緒になって反対していたから、何も言うことはできなかった。

 

『そんなに心配なら、監視カメラを一応設置しているから見るか?』

 

それを聞いた上級生達が一斉にナノモンに詰め寄ったのは言うまでもなかった。

 

 

 

 

 

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